襲ってきた黒マントの男
見知らぬ街に飛び出ることで、残酷な現実世界から逃げ出す事が出来る様な気がしたのだろうか。
アルバは宿を飛び出すと行く宛てもなく夢中で走った。
彼女が師匠という名を口にした瞬間、手が震えた。せっかく昨晩は何かを吹っ切れたかの様に騎士のお仕事も師匠さんの事も落ち着いて考えられたのに、寝ぼけた彼女のたった一言に見事ゲシュタルト崩壊した。
自分はやはり絶対にサーシャを手放したくないのだ。その浅ましい考えにますます気が滅入る。
でも彼女をちゃんと師匠さんに届けないとサーシャ自身が悲しんでしまう…もう何が何だかわからなくなり、それが呑気なアルバの足を早めた。
ダダの街は思ったより都会だった。
昨日は夜中に街に着いたから気がつかなかったけど、宿のあった裏通りにも多くの店があり、一日の始まりを告げるように街の人々が開店の準備を始めていて賑やかだ。アルバは幸運にも人とぶつからなかったが、狭い路地には野菜などの荷物を運ぶ馬車やそれを店に運び込む労働者たちで溢れかえっている。
アルバはその喧騒から逃げるようにますます裏通りに飛び込んで行く。人に会いたくない…つまるところ一人になりたかった。
道はますます狭くなり、人の喧騒が薄まり、石の匂いは木の香りに変化する。
どのくらい駆けただろうか…。
煉瓦造りの道は徐々にその造りが荒くなり走りにくくなってきて、それとともに息が上がる。ジルと共に鍛え上げた身体が疲労を訴えだしたって事は、よほど遠くまで来てしまったのだろう。
ようやく足を止めて息を整えながらあたりを見渡すと、石造りの建物よりも公園や自然の木々が目立つようになっていた。
( はぁ…はぁ…。ここは何処なのかな。 )
息も絶え絶え、我に返って振り返るが、もはや知っている建物は見当たらない。プチ迷子だ。
急に不安になった。道の真ん中で足を止めたまま、自信無さげにぐるりとあたりを見回す。
「おやおや…道に迷いましたか〜?」
突然、聞きなれない男の声がした。その不意打ちのような声かけに体が少しだけ浮いた。
声のした方に恐る恐る目を向けると、肌が雪のように白い浅葱色の瞳の男が愛想笑いを浮かべながら立っていた。初対面である事は間違いがないのだけど、着ているのが上等な布地を使った黒色のコートだったからすぐに金持ちだって事だけは分かる。僕は金持ちが苦手だ。思わず後ずさって口ごもる。
「あっ…えっと…。」
「ここは初めて訪れた旅人には難易度が高い街でね。もう少し道をわかりやすくしないと観光収入に影響するのにって上役にいつも訴えているんですけどねぇ〜。君もそう思いませんかぁ〜?」
その謎の男は妙に馴れ馴れしく自分に近づいてくる。相変わらず愛想笑いは浮かべていたが、その男の目は一切緩んでいない。そう目が笑っていないのだ。何よりもその男からとんでもない覇気を感じたアルバは、一気に緊張を高め、知らず識らずのうちに顔を歪ませていた。
「…ま、まだ着いたばかりで、よく分かりません。」
「おおっ〜、そうでしたかぁ。いやぁ、ようこそダダの街へ。えっと…君のお名前は?」
「あっ…アルバといいます。」
「アルバくんですかぁ。いいお名前ですねぇ。ダダへはご旅行か何かで?」
「えっと…はい。」
そう素直に返事をすると、彼の視線が一瞬だけ僕の腰に向いた。
「君の年齢でご旅行とは豪勢ですねぇ〜。…しかも腰に帯びた剣まで立派だ。アルバくんはもしかして有名な剣士か何かだったりしてぇ〜。」
「…と、とんでもありません。これは護身用の飾りみたいなもんで…。」
そう誤魔化すとその優男は「ふうん。」を気の無い返事をして自分の目の前でスッと足を止めた。
「ところで君は何処から来たのですか?」
「えっと…ルンから来ました。」
「ほほっ〜。ルンですか。あそこはザグレア地域の中でかなり裕福な街ですね〜。すると君はお金持ちの出かな?」
「まさかっ!…ルン近くの山の中で細々と暮らしています。」
そう答えた時、アルバはいつの間にか自分が個人情報をベラベラと喋らされている事にようやく気付いた。こんな所も山奥の辺境の村で安全に暮らしていたツケが回ってきたのかもしれない。思わず口をぎゅっとつぐんだ。するとその男は一度苦笑いを浮かべると、まるで臣下が王様にでも挨拶するように胸に手を当てて小さく畏まった。
「申し遅れました。僕はジャンと言います。まぁ、この国の官兵みたいなもんです。」
「官兵さんですか…。」
それなら旅行者に尋問してくるのも理解できる。背中の大剣は忘れたが、それでなくとも自分は腰に剣をぶら下げているのだ。
( やっぱ…俺みたいな田舎者が剣を持っているのっておかしいのかな…。 )
なんて心配してみたものの、それを言うならこの目の前の男の格好もかなり怪しい。さっきこの男は自分のことを官兵だと口にしたが、確か昨晩にそこらかしこで見かけたこの国の官兵は赤色の鎧を身につけていたはずだ。ところがこの男は黒色のコート。
目つきは鋭いし、やけに落ちつているし、それにこの男はきっとセザール将軍並みに強いって事まで感じ取った。
世間知らずの田舎者でも分かるこの男の嘘に、思わず息を飲んだ。この人…絶対に官兵じゃない。
まさか…昨日のマフィアが身分を偽って仕返しに来たのか。それとも騒ぎを起こした自分を、この国の秘密警察の類が検挙しに来たのだろうか。一気に心細くなる…。
「ところで…君はルンの街を舞台とした戦争が行われたのはご存知ですか?」
その自分を試すような問いかけにますます緊張が走る。あの戦争の話をされるのは昨晩のBarの出来事を聞かれるより厄介だ。この男の目的は分かるべくもないが、サカテが忠告してくれた通り、それを知った上で自分の腕を試そうとしに来た類なのかもしれない…。
とりあえず辻褄が合うように小さく頷く。
「ええ。俺はそのルンから来たので。」
「おお、君はあの戦争中にもルンにいたのですかぁ〜。それなら知っていて当然ですよねぇ〜。何しろ両軍合わせて1万ほどが入り混じる大戦でしたから。でっ?君はその戦いを見て来たのですか?あっ!それともその見事な剣で実際に戦闘に参加したとか?」
「い、いえ…。俺はただの物売りなので…遠くから眺めていた程度です。」
差し障りのない答えを返す。するとそのジャンと名乗った男は、体を屈ませてアルバの顔を覗き込んできた。
「へぇ〜、君は物売りですかぁ。それはそれは…。」
そう漏らした次の瞬間、いっとき空間が歪む。ーーーと、男がいきなり動いた。
風が揺らす木の葉、舞い上がる砂埃、剣が抜かれザッと足が踏み込む激しい音。
全てがゆったりと、進む…。命の危機を感じ、ジルから授かった神速が発動したのだ。
アルバは瞬発的に腰に下げた聖剣ガリネリウを抜いた。
キーンッ!!!という鋼が激しく弾く音が響き渡り、手首に衝撃が走った。ジャンの不意打ちとも言える一振りをアルバは胸の手前で間一髪で受け止めた。
( さ、殺気をまるで感じなかったのに…。 )
自分の胸のすぐ前でクロスに混じり合う剣を見ながら顔を歪ませた。
ジルとの修行で自分に向けられた殺気は微かでも感じ取れる自信があったから、こんな絵に描いたような不意打ちを受けた事が信じられなかった。
「…ルンの物売りは剣術もするんですねぇ〜。」
ジャンはそうぼやきながらニヤリと笑うと、腰に差していたもう一本の剣も抜く。この男も二刀流のようだ。
そして驚いたことに、新たに姿を見せたその剣はアルバの黒剣と同じで刀身が漆黒だった。
( ま、まずいっ! )
アルバは慌てて撃ち合っていた相手の剣をいなして弾き飛ばすと、宙を舞って後ろに大きく後退した。何せ自分はまた宿を飛び出してしまった所為で黒剣を忘れてきてしまったのだ。そう、自分は今日は一本しか剣を持ってない。それにこのジャンという男からは何とも恐ろしげでただならぬ気配を感じた事も距離をとった大きな原因だった。
「い、いきなり、なにするんですか!」
思わず叫んでみたが、その細身の男は問答無用とばかりに再び自分を襲ってくる。
凄い速さだった。数日前に相対したセザール将軍以上だ。まるで矢を放たれたみたいに鋭い攻めが彼の両腕から自分に迫ってくる。
やがてジャンの右の剣が頭をかすめ、心臓を狙って来た左の突きはやっとの思いで聖剣ガリネリウで弾いたが、その一振りを弾くことが出来たのはまさに奇跡。二刀流は変幻自在の攻めを繰り出せるが一撃一撃が軽いため、命拾いした。
「ほほぉ〜、君の速さは物売りには無用の長物に思えますけどねぇ〜。」
剣を突き出したまま動きを止めたジャンは、いけしゃしゃとそんな事を口にする。
「…だったら、どうだって言うんですか?」
「いえいえ…ただ気になっただけですよぉ〜。僕は細かい事が気になるもんでねぇ。」
ジャンはそうニヤリと笑うとアルバの剣をそのままはじき返し、もう一方の黒い剣の柄で素早くアルバのみぞうちを突いた。
ドンッ!という鈍い音ともに腹に激しい衝撃を感じ、やがて激痛が全身を駆け巡る。息をする事も逃げることも出来ず、まるで内臓を深くえぐられたような痛みを感じながらアルバは前のめりになり、胃液を口から垂らしながら膝を落とした。目にも留まらぬ速さとはこのことだ。音速で動けるはずのアルバでも避けれない目にも留まらぬ一撃…ということはこのジャンという男も自分と同じく神速を習得しているのかもしれない。
「ぐふっ!…げほっ!げぇっ!!」
「あっ〜、すいません。強くしすぎましたかね〜。」
「な、なんで…ゲホッ!お、俺を…。」
「えっ?なんで僕が君を襲ったかって?それはご自分が一番ご存知じゃないですかぁ?」
倒れこむアルバを覗き込みながら、そのジャンという男は剣先を向けニヤリと笑う。
息を整えながら相手の目を睨み必死に考えた。
ーーー昨日サカテが言っていた通り、やはりセザール将軍を一騎打ちで破った事が影響しているのか…。
ーーーそれとも、昨日のBarでマフィア相手に騒ぎを起こしてしまった事か…。
襲われる理由などそれくらいしか思い浮かばないが、どちらにしてもこのまま無事に済むとは思えなかった。前者なら名声を上げたいこの男は自分の首を獲る事が目的だろうし、後者なら牢屋に叩き込まれるだろう。
( に、逃げなくちゃ…。 )
そう咄嗟に思い、息が整った瞬間、その男の足を回し蹴りで攘う。不意打ちだったから自信はあったのだが、ジャンという男は瞬時に跳躍してその蹴りをやすやすと躱わす。だけどこの男が宙に浮いた事は自分にとってはチャンスだ。
「そんな可愛い顔しながら、セコイことするんですねぇ〜。」
空中でそう口を尖らせたジャンを尻目に、アルバはそのまま大きく後退し宙を舞った。そう、その男の足が浮いていて何も出来ない瞬間を狙って大きく距離をとったのだ。そしてその跳躍はジル先生から学んだ神速が大きく影響したのか、何とアルバの後ろにあった平屋の屋根の上まで楽々と到達した。自分でも信じられないくらいの大ジャンプだ。
( よし、上手くいった! )
足場の悪い尖った屋根の上で( おっととっ…。 )とバランスをとりながら、隙を見て逃げ道を伺う。彼に突かれた腹はズキズキ痛むが今はそれどこじゃない。ふと目を北に向ければ都心へと向かう方向へ運良く家がじゅじゅつなぎになっているようだった。これはまさに神様のお導き、屋根を一目散に駆ければゴミゴミした市場とかに逃げ込める。
「あらっ〜、アルバくん。逃げるんですかぁ〜?」
ジャンと名乗った男は呆れた声をあげながら、屋根の上に乗っかったアルバを見上げた。どうやら自分の思惑を見破ったようだ。
「死にたくないですからっ!」
「ふ〜ん、あのセザール将軍を破った男とは思えない弱気な台詞ですねぇ〜。…聖騎士のアルバくんっ!!」
「お、俺は聖騎士なんかじゃありませんっ!人違いですっ!」
アルバはそう叫びながら、屋根の上を飛ぶように一目散に逃げ出した。まさに風のように…。剣の腕はからっきしだが、逃げ足の速さだけは妙に自信がある。まるで木から木へ飛び移るモモンガの様に、アルバは屋根から屋根へを飛び移り、そして駆けていく。怖くて後ろを振り返る余裕はなかったけど、さすがにこのスピードならあの男は決してついてこれないだろうって変な自信だけはあった。
辺りの景色はまるで自分が隼にでもなったかの様に凄い速さで流れていく。
その流れる風景を見て改めて思う…この自分に体に宿った能力は何だろうって。ただこのチカラは自分が生き延びる為には非常に重要だ。
( ジル先生!ありがとうっ! )
アルバは自分にこのチカラを与えてくれた師にそうお礼をいうしかなかった。




