元気のない小さな槍使い
大国フィルファ領の街であるダダは、20万人ほどが暮らす中堅どこの街だ。
ダダは、国の外れも外れの南西に位置していて、旧ザグレア領との国境側にあり、戦争好きな領主がいることで有名なロハンという街にもほど近く、常に戦争の危機に晒されている場所でもある。
ただし、街自体が戦場になったことはなく、中心街にある行政施設が立ち並ぶマルクト広場を中心に石造りの道が綺麗に整備され、3〜4階建の木製の三角屋根が数多く立ち並ぶこの街は、200年以上も争いごとに巻き込まれずに繁栄を続ける裕福で美しい街としても有名だった。
教会や政府施設は石造りの建物が目立つが、民が暮らす家々はベージュや淡いグリーンの壁で彩られた木組だ。そこに橙色の屋根と天然木を使ってデザインされた三角屋根の建物は、まさに童話の世界に紛れ込んでしまったような錯覚に陥るほど可愛らしかった。
さて、そんなメルヘンな街に奇妙な旅人たちが夜更けに訪れた。
その数、8名。挙句、剣士、修道士、槍使い、親子、兵士…なんていう変な取り合わせだ。
アルバとサーシャのお二人さんとそのお仲間である槍使いのサカテ、サラとサシャの母娘とその護衛である3人の兵士たちである。
サカテとは、ここダダの街で待ち合わせの予定だったのだけど、偶然にもザグレア平原で再会することが出来た。アルバとサーシャが鉞を扱う無法者の傭兵団からサラとサシャ親子を助け、サカテが怪我をして動けなくなっていたサラ達の護衛である3人の兵士を、一人はおぶり、他の2人は抱え込んで来たところに偶然にも出会えたのだ。
最初は「お前ら、こんなとこで何してんだ?」って、サカテは目を丸くしたんだけど、事情を説明し、共に助けた相手がグループだったことに「本当に偶然が重な理すぎて気持ち悪いな。神様でも近くにいるんじゃないか?」ってサーシャを見ながら顔を顰めた。
そして怪我をした3人の兵士を教団の白馬に乗せて、サシャはアルバがおんぶして、無事にここダダについたのだった。
「皆様、本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません。」
ダダの正門をくぐり街に足を踏み入れると、大きな時計台の前でサラとサシャの母娘と護衛の3人は、アルバたちにそう言って深く頭を下げた。
時は、夜の9時を回ったところ。
ルンより北に位置するこの街の夜は骨身にしみる寒さだった。アルバはマントを深く被り、足をガタガタ震わせながら、小さく首を振った。
「あっ…いえ…。そんな一生のご恩なんて…大袈裟です。」
そのたどたどしい声は、彼の性格をしっかりと表していて、その場にいたみんなが笑いを洩らしたものだ。
結局アルバたちが助けた母娘と護衛たちは、夜中に治安の安定していないザグレア草原地帯を抜けるなんていう無謀な旅の仔細を話すことはなかったが、世間話には快く付き合ってくれ、彼女たちの人となりは実に気持ちのいいものであった。だがそれゆえに、旅の理由は気になったものだ。
ロハンの出身で、旦那がお城勤め。
彼女たちはそれ以上は話さなかった。
見ればサラとサシャは、着ている服や持ち物もいいモノを身につけているし、護衛をつけられるくらいだから、それなりの身分の方だというのは想像に容易いのだけど、そんな2人が命を狙われるなんて、きな臭いことは否めない。サーシャは特に口には出さなかったが、この母娘を襲ってきた賊の腕は、一人一人が中々のものだった。自分の騎士がいたから事なきを得たが、並みの剣士ではとても太刀打ちできるレベルではなかった。何しろ護衛であるロハン兵3人でも歯が立たなかったのだから。
だからこそ、余計に深い闇を感じ取れる。
思い起こせば、いくら護衛がついているとはいえ、力のない母娘に対し、敵は凄腕の10人以上も用意して襲わせたのだ。
それだけでも敵の並々ならぬ決意が伺い知れるというものだ。
サーシャはこの先もこの母娘の身を案じずにはいられなかった。
「サーシャお姉さんも、ありがとう。」
と、別れ際にサラの娘であるサシャが、サーシャの側に寄ってきた。そしてクリクリの目で彼女を見上げながら、一度ぺこりと頭を下げた。5歳になったばかりという可愛い盛りの女の子に、サーシャは破顔して腰を曲げて、視線を合わせる。旅の過程でこの小さな女の子とはすっかり打ち解けていた。
「ふふっ、どういたしまして。」
サーシャがそう洩らすと、サシャは顔を近づけてきて、そっと耳打ちする。
( サーシャお姉さんは…本当は女神さまなんでしょ?ママは気づいてないけど、私はすぐに分かったわ。 )
( えっ? )サーシャは思わず目を丸くする。
( パパが教えてくれていたの。女神さまは、黄金色の髪でそれはそれは綺麗で可愛いお姿をされてるって。そして私たちをいつも見ていてくれて、見護ってくれているんだって。 )
( まぁ…サシャちゃんのお父様がそんな事を? )
( うん。それに証拠だってあるわ。私のサシャっていう名前は、女神さまのお名前から授かったものってパパは言っていた。だからお姉さんの名前を聞いた時にピンときたの。 )
サシャの賢こさに、サーシャは思わず苦笑いを浮かべた。不遜ながら自分は確かに教団の女神と評されている。
それに…この女の子の父親のことも気になった。自分のことは多少世間の噂になっているらしいが、風貌や名前まで正確に認識しているものなど教団上層部か王族関係しかいないはずだったからだ。とすれば、この娘の父親は只者ではないはずだ。
だが、それをこんな幼子に求めても詮無いこと。
彼女はしばらく目を爛々と輝かせるサシャを見据えていたが、やがてそっとその小さい体を中腰のまま抱きとめた。
( また会えるのを楽しみにしてますね。サシャちゃん。 )
( うん。約束だよ、女神様。 )
彼女の胸の中でサシャはそう言って、嬉しそうに顔を振った。そして「ママとみんなを助けてくれてありがとう。」と何度もお礼を言ってくる。その様子に、この気丈な女の子も相当怖かったんだとサーシャは気づいた。そしてこの5歳の女の子は、母親に心配をかけるまいと必死に恐怖と戦っていたんだろう…そう思うと抱きしめる腕にも力が入った。
だが、現実的に彼女たちを助けたのは、自分の騎士であるアルバだ。
サーシャは誇らしげにアルバに顔を向けた。
彼は、護衛のフリオと何事が話していた。多分、何度も礼を言われ、剣の腕を褒められ、くすぐったい思いをしているのだろう。顔を真っ赤にして、頭を掻きながら照れ臭そうにしている姿が妙に可愛かった。
「サーシャお姉さん。アルバお兄ちゃんと仲良くね。じゃっ!」
と、アルバに見とれるサーシャを見て、サシャは、そう言い残して母親の元へと走っていった。
小さな手足を懸命に振って、てけてけ走るその後ろ姿は、なんとも可愛い。
やがてサシャは、護衛のフリオという厳つい男と談笑していたアルバと、隅に佇んでいた小さな槍使いのサカテにも丁寧にお礼を言って、最後は母親の足を掴んだ。
「みなさん〜、本当にありがとう!このご恩は必ず返します!」
サシャは、母親に頭を撫でられながら、そう元気に叫んだ。その大人びた言い回しは、さすがはお城勤めの父を持つ娘さんだ。サカテはクールに手を小さく振って応えたが、サーシャとアルバは大きく手を振った。
「サシャちゃん!また会えるのを楽しみにしてますね!」
アルバとサーシャの声がハモる。言葉尻まで同じだったことに、一同に静かな笑いが起きた。
やがて護衛たちが母子を囲う様に側によると、揃って頭を下げた。
「本当にお世話になりました。」
5人は最後にもう一度そうお礼を言って、アルバたち3人と別れたのだった。
サラとサシャの母娘と別れたアルバとサーシャ、そしてサカテの3人は、そのまま宿へと向かう事にした。彼らが向かう宿は、サカテの馴染みである”枝束亭”という宿で、ダダの街の南門にほど近く少々入り組んだ場所にあった。
「まずは…夕餉にいたしませんか?」
お宿”枝束亭”の門を潜ると、サーシャはそう言って目をキラキラさせた。出会ってまだ1週間だが、この女神のお腹は底なし沼だと薄々感づいてきたアルバは、その言葉に苦笑いを浮かべた。
「サーシャ、食事は部屋に荷物を置いてからにしませんか?」
そう言って、両手に持っていた大きな袋を2つ掲げる。その中身はほとんどがサーシャの荷物なんだけど、結構重い…。ここまで運んできた馬を讃えたくなったほどだ。
だけどサーシャは、アルバが掲げた袋の一つを手にとってニッコリと微笑んだ。
「もう夜の10時を回っているのです。宿の食堂が終わってしまったら、街に出なくてはいけません。それでは騎士様のお腹が持ちませんから、先に予約だけでもしておきましょう?」
「う、うん。」
アルバは、早くご飯を食べたい理由とやらを自分の所為され、後退りながらそう洩らす。
食に関する事だと、やっぱり彼女には逆らえない…。まぁ、大概、逆らえないけど…。
と、ギギッーって鈍い音がして、宿の扉がゆっくりと開いた。
皆が目を向けると、その扉から人の良さそうな小太りで中年の男が顔を出していた。
「いらっしゃい。3名様で?」
宿屋の主人と思しき、丸顔で少々髪が薄いその男は、満面の笑みを浮かべながらアルバとサーシャ、そしてサカテをまじまじと見る。
と、そのご主人、いきなり視線が止まり、二度見する。その視線の先は勿論サーシャだ。アルバはそれだけで何だか心がチクリとするのだけど、男が初めてこの麗しき美貌のサーシャを間近に見れば、その反応は致し方ない。見て見ぬ振りをするしかなかった。
すると、それまで押し黙っていたサカテがぶっきら棒に口を開いた。
「親父、僕だ。」
「ああ、サカテさん…いらっしゃい。」
男は慌てて、声をあげたサカテの顔を見直して、なんだか申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。…サーシャに見とれて、馴染み客だと気がつかなかったのだろうか…。だがサカテは特に気にしないで言葉を続ける。
「急ですまないが、2人部屋と1人部屋の2室を用意して欲しい。空きはあるか?」
「大丈夫です。」
「ついでに食事もすぐに摂りたい。簡単なものでいいんで、3人分頼む。」
「ようございます。荷物はお預かりしますんで、奥の食堂へどうぞ。」
「助かる!」
サカテは主人に礼を言うと、一人でスタスタと歩き出した。勝手知ったるなんとやらだ。
アルバとサーシャも、荷物をその主人に預け、遠慮気味にしずしずと続く。
だけど、どこか2人の動きはたどたどしい…。
実を言えば先ほどから、アルバとサーシャは少々戸惑っていた。
サカテの様子が、ワラミ村で共に過ごしていた時と違うことに。
( ねぇ、アルバ。サカテさん、やけに無口ですね。 )
とサーシャが耳元でそう洩らす。アルバも、サカテの小さな後ろ姿を眺めながら大きく頷いた。出会った当初は、結構ペラペラと話していた気がするが、今の彼女はやけに口数が少ない。
( …。それは俺も気になってました。せっかく再会できたのに、全然喋んないし。体の調子でも悪いのかな? )
( 本当に…。何か思い悩んでいる風にも見えますね。 )
心配そうにサカテを見るサーシャ。
思い返せば、サラとサシャたち母娘を助け、偶然に再会した真夜中の草原の時から、既に彼女は無口だった。何を尋ねても「うん。」や「ああ。」しか言わないし、もしや避けられているのかと思ったのだけど、怪我をしたサシャたちの護衛の手当ては手伝ってくれるし、宿屋だってこうして案内してくれている。……何か釈然としない。
( もしかしたら、お腹が空いているだけかもしれないわ。それなら、ご飯を食べたら元気が出るのではないかしら。 )
そう言って肩を竦めるサーシャ。
アルバは( 貴女じゃないんだから…。 )とも思ったが、口には出さず小さく頷いた。争い事は嫌いだし、しかもそのお相手は可憐なサーシャさんだもの。
3人はそのまま、橙色に光るランプが申し訳なさ程度についた短い暗い廊下を進む。やがて、光が溢れる天然木で造られた台形の広い部屋に出た。
そこは小洒落た食堂だった。
4人掛けのテーブルが5つほどあり、Barらしきカウンターもある。その横では暖炉があって、煌々と炎が揺らいでいた。ムードを大事にしたのかランプの明かりは暗めで、とても大人で落ち着いた雰囲気の食堂だった。時間が時間だから、食堂に他の客はいなかったが、Barには中年の紳士が一人、ウィスキーを嗜んでいる。さすがは大人なサカテが選んだ宿の食堂だとアルバは感心しながら、キョロキョロを店の中を伺った。田舎者で子供な彼にしてみれば、都会のBarなど初めてだ。
「こちらにどうぞ。」
主人が真っ白なテーブルクロスがかけられた丸テーブルを指差す。サカテは片手だけを上げて主人に応えると、短槍を椅子にくくりつけ、ちゃっちゃっとそのまま座った。
アルバも「す、すいません。」と恐縮しながら背中の黒剣を脇に抱えながら、恐る恐る座る。
サーシャは「ありがとう。」と澄まし顔で、いつものようにスッと上品に腰掛けた。
その三者三様の様子に、首を傾げた主人は頭を掻きながら、もう一度3人に目を向けた。
有名な槍使いと、自信なさげな弱々しい少年と、どこぞの王族の姫みたいなお嬢さんの取り合わせは、如何にも変だ。
が、相手はお客様。気を取り直して、とりあえずは「お飲み物は?」と尋ねてみる。
「ビールだ。」と、サカテ。
「私は、シナモンティをお願いします。」と、サーシャ。
だけどアルバは、いきなりの難問に呆気にとられて口が開かない。そもそも外で食事をとった事などない彼は、全てにおいて要領を得なかった。
「…お客さんは、何にしますか?」
やがて急かすように主人が顔を覗き込むように聞いてくる。アルバが「え、えっと…。」とつぶやきながら頬をかきオロオロしていると、すぐにサーシャが声をかけてくれた。
「騎士様。温かいお飲物になさいますか?」
「う、うん。」
彼女を見て大きく頷く。…もう、この際、温かくても冷たくてもなんでも良かった。
するとサーシャは一度ニッコリと微笑むと、そのまま主人に顔を向けた。
「騎士様には、温かいお茶で癖が少ないものをお願いできますか?…ダージリンとかがあるといいのだけど。」
「ございますよ。では、すぐに食事のご用意をします。」
宿の主人はサーシャに愛想笑いを浮かべながらそう答えると、そそくさとその場を後にした。
宿の料理は、中々に美味しかった。
主人は簡単なものと謙遜していたが、運ばれてきた山菜のサラダに野菜スープ、そしてメインのビーフシチューに至るまでどれも素晴らしい味だった。スプーンを口に運ぶたびに大絶賛を繰り返していたアルバはともかく、食にうるさいサーシャまで味に感激し、シェフに礼を言いたいとお願いしたほどだ。結局、その料理を作っていたのは主人の奥さんだったが、サーシャは彼女の両手を掴んで、「感激しました。美味しい夕餉を本当にありがとう。」と何度もお礼を述べていた。
ところがである。
夕餉に浮かれた2人に比べ、小さな槍使いのサカテはどうにも元気がなかった。
食事は残さず食べていたが、目は虚ろだし考え込んでいるかのように顔をうつむかせ動かない。アルバは中々話をやめない宿屋の主人たちにサーシャを取られた気分になり、若干アンニュイ気分を味わっていたが、ふと落ち込んでいるサカテが目に止まった。
徐に彼女の方へ肩を寄せた。
「ねぇ、サカテ。具合でも悪いの?」
アルバは彼女の顔を覗き込むように尋ねる。だがサカテは腕を組み、何やら考え込んでいるようでその問いには答えなかった。…むしろ、本当に聞こえていないようにすら見えた。
「サカテってば!」
いよいよとアルバは彼女の肩を揺する。いつも明るく元気な彼女にここまで沈んでいられては、この先色々と困るし、面白くない。多少なら厳しくてもいいから、ちゃんと答えて欲しかった。
すると彼女は一度ハッと声を漏らし顔を上げたが、やがてまた俯いた。…本当に元気がないばかりか、なんだか顔色まで良くない。
しばらくアルバが心配そうに眺めていると、彼女は目を下に向けたままようやく口を開いた。
「なに…?」
「なにって…。話しかけても、何にも反応しないからさ。」
アルバがそう口を尖らせると彼女は小さく息を吐き、やがて自分の黒髪を撫でるように掻いた。
「それは…悪かった。」
「別にいいけどさ…サカテ、なんかあった?」
「いや…別に。」
そう言いながらも、彼女の声は明らかに沈んでいる。
アルバは怪訝そうにサカテの顔を覗き込むが、彼女はこちらを見ようともせず、手に取ったビールジョッキを一心不乱に見つめていた。出会ってから数日しか経ってないとはいえ、最初に出会った頃の彼女とは別人のようだ。
確かにこの小さな槍使いは元々言葉が少ないし、飾らないので稀に厳しい言葉をさっくりと言ってきたりするけど、なんだかんだで盗賊に襲われた時もサーシャを助ける為に力を貸してくれた恩人で、未だに理由はよく分からないけど旅に誘ってくれた仲間だ。
それに彼女はとても気さくでざっくばらんなお姉さん。とにかく話しやすいし相談にも乗ってくれ、適切なアドバイスだってくれる。もっと言えば、背は低いけどショートカットで切れ長の目を持つサカテは、見た目も格好いいし性格も男っぽいから、あんまし女性を意識することもない。
要は、人との交流が薄く女性慣れしていないアルバにとって、彼女はいろんな意味でちょうどいい話し相手なのだ。
そういう意味では、上品で可憐なサーシャよりも全然喋りやすい。あの女神様の場合は側によるだけで緊張してしまうので、気軽に相談って訳にはいかない。まぁ、自分の相談事なんてサーシャの事しかないのだから、それを話せるのは現時点でサカテしかいないってのも理由かもしれないが…。
そんな訳でアルバにしてみれば、この小さなお姉さんにいつまでも沈んでいてもらっては困るのだ。だが、だからと言って彼女を元気にさせる方法や面白いお話を聞かせてあげる事なんて、この田舎者の子供にできる訳がない。
彼は思案した挙句、彼女と別れてから起こったここ数日の出来事をかいつまんで話す事にした。まぁ、それしか話す事がなかったからだけど。
「…俺たちもさ、ここ数日は色々あってさ…凄く大変だったんだ。」
「………。」
「実は、ルンがロハンって街に攻め込まれてね。俺もサーシャや修道兵さんたちと一緒に戦ったんだ。」
「………。」
サカテは相変わらず口を開かなかったが、ようやく目線だけはこちらに向けた。武人だけあって、やはり闘いの話になると興味が湧くようだ。よしっ!と、心でこっそり腕を掲げながら、話を続ける。
「そ、それでね。その戦争でさ、セザール将軍っていう有名な人と一騎打ちをしたんだ。凄く剣が鋭くて、強い人だったんだけど…結果的には、俺……その人を倒したんだよ。」
「はっ?」
ようやくサカテはビールジョッキを抱えながら、顔ごとこっちを見てくれた。
睨むような彼女の目はなかなか迫力があったけど、どちらかと言えば、僕は彼女がちゃんと応えてくれた事に心底ホッとしたものだ。
「ロハンのセザール将軍と云えば、意志の力を使う化け物だぞ?君程度の腕では、近づくことさえ出来ないはずだ。」
サカテはまずそう言って口を尖らせた。
「う、うん。そうなんだけどさ、偶然に偶然が重なってさ…。」
そう答えると彼女は小さく舌打ちをして腕を組み、半身をこちらに向ける。…その表情からは、予想通り全く信じていない事が伺えた。
「君は確かに精神がなってないし、武人としてはダメダメだけど……嘘をつかないところは好きだったのに…残念だ。」
「う、嘘なんかついてないよ。」
そうは言ってはみたものの、彼女が信じないのも無理はないな…って思う。
だからと言って、正直にこの話を全部しようとすると、ますます彼女の機嫌を損ねる事になりかねない。
何せ、最初にセザール将軍と戦った時はボコボコに負けて、死んだかと思ったら摩訶不思議な世界に飛ばされ、一年もの間、湖をもカチ割るジル先生に剣を習い、その後なぜか現世に戻されて、セザール将軍と再戦し、今度は勝利をおさめました!って事だから。
タイムスリップやら時空を超えたやらまで話したら、信じるものも信じなくなるだろう。つーか、サーシャにほだされすぎて、いよいよ気が違ったかと思われるかもしれない…。
「サカテさん、アルバは嘘などついていません。騎士様は、その有名な将軍と正々堂々と勝負なされて勝利した後も、ロハン数千の軍を撃退し、ルンを勝利に導いたのですから。」
と、それまで宿屋夫婦と話し込んでいたサーシャが急に口を挟んできた。思いがけない愛する女性からの援護射撃はとても嬉しかったのだけど…教団最高位司祭のその一言に、急にサカテの態度が一変する。
「お姫様、それは本当なのか?」
「はい。でなければ、私たちは貴女に再会できなくてよ。」
「……お姫様が言うんじゃ、間違いないな。しかし……そのセザールって奴、噂と違って大したことなかったんだな。」
サカテはそんな皮肉を飛ばしながらも、まじまじとこちらを見てくる。
さっき、自分が話した時には全く相手にしなかった癖に、サーシャの一言で掌を返すように信じたサカテに少々不満が募りながらも、アルバは苦笑いを浮かべて恥ずかしそうに大きく頷いた。彼女がちゃんと会話してくれた事が嬉しかったのだ。
「まぁ、奇跡だっていうのは認めるよ。もう、あんな強い人と二度と戦いたくないし…まぁ、あんな人と、もう戦う事もないと思うけど。」
何せセザールはこの地域周辺では、英雄と呼ばれていた御仁だ。そうそう英雄なんていてたまるかってアルバは思ったのだ。だが、すぐにサカテが神妙な面持ちで反論してきた。
「馬鹿言うな。ロハンのセザールと言えば、フィルファ宮廷騎士団の異端児ジャン・クロードとも勝負がつかなかったほどの剣豪だぞ?そんな奴を倒したと噂になれば、世界中の剣士が君に勝負を挑んでくるのは間違えない。」
「はぁっ!?何それ?」
アルバは口につけてた紅茶を溢しそうになるほど驚いた。そんなの、冗談ではない。只の物売り少年にしてみれば悪夢だ。だがその小さな槍使いは、尚も自分を追い込んでくる。
「名声を重視する各国の宮廷騎士、名を挙げたい傭兵、こずかい稼ぎのゴロツキまで…ありとあやゆる武道家たちが君に勝負を挑みにやってくる。…でも、いいじゃないか。君はお姫様を護る為に剣の修行を積みたいんだろ?今度の事は一石二鳥だ。」
「……どこがだよ!そんな事になったら…俺、死んじゃうよ。」
…云々、本当に死んじゃう。口を尖らせたアルバは、もうね、半べそ状態だ。
「いいか、よく聞け。僕が一石二鳥といったのは…まずサーシャ・カスティリャを護る騎士様がそれだけ強いと噂が広がれば、彼女においそれと手出しをしてくる馬鹿の数が減る…これがまず一つ。そしてもう一つは、そんな君に勝負を挑んでくるのは、腕に覚えがあり実績も器も申し分のない連中が多くなるって事だ。それは腕を上げたいと願う君にはもってこいだし、知り合う人物も大物が多くなる。名前も実績もない君にしてみれば、いろんな意味で大きなチャンスだ。まぁ、せいぜい化けの皮が剥がれないように気をつけるんだな。」
さっきまでの落ち込み様はどうしたと言わんばかりのサカテの厳しいお言葉に、今度は自分が顔を俯かせる番だった。いやいや、正直、冗談ではない。荷物をまとめて山にでも籠ろうか真剣に考えた。
ところがだ。
「まぁ…サカテさん。私の騎士様は、どんな敵が何人来ようとへっちゃらです。今回だって、あの勇猛果敢なロハンの兵士さん達が、騎士様のお姿を見ただけで逃げ惑っていたんですから。」
相も変わらずサーシャの黄色い歓声が飛ぶ。
確かに結果的にはそうなんだけど、途中経過は大きく異なる。
ロハン兵の皆様方は、勝手にアルバを教団の聖騎士だと勘違いして逃げ惑っていただけだ。ただの物売りだとバレていれば、袋叩きにあっていたのは自分の方かもしれない。
「サーシャ、だからそれは大げさだってば!」
だからそう反論したのだけど、サーシャはこの手の話題はまず引かない。
「何を言うのです。それは歴とした真実です。もう…私は本当にあの時のアルバをサカテさんにも見て貰いたかったわ。」
「つーか、俺はあの時にサカテに一緒にいて欲しかった。凄く心細かったもの。」
「ふふっ。確かにそうですね。あの時にサカテさんが共にいてくださったら、もっと早く戦争は終わってましたわね。」
「今回の事もそうだ。サカテが最初からいてくれたら、あのサシャちゃんを怖い目に合わさずに済んだかもしれないんだ。最初から堂々と戦いにいけたもの!」
アルバはそう言って破顔した。自分の強さにはさっぱり自信がないが、この黒装束の槍使いのサカテの強さと機転の良さは嫌というほど知っている。結果的にあの母娘は助けられたが、彼女がいればもっといいアイディアがあったはずだ。その事がアルバとサーシャには想像できて、思わずはしゃいでしまった。
そう、いつもの2人の平和な時間…。
アルバとサーシャはいつも通り、ただ思った事を口にしていただけなんだけど…。
やがて2人が待ち望んだ嬉しい事が起きた。
固かったサカテの表情が、少しだけ崩れたのだ。
そしてそれは苦笑いに変わり、やがてうっすらと瞳に涙がにじむ。
その雫が頬を伝うことはなかったが、やがて彼女は小さく首を振り、両手で口を押さえた。
「ハハハッ!君たちは…もう。」
サカテが…ようやく笑ってくれた。たったそれだけの事だったのに、この時はなんだかとても嬉しいことの様に思えてならなかった。
だがアルバはこの時、サカテの嬉し泣きの真実をまだ知らなかった。と云うか、全く分からなかった。ただ、彼女がワラミ村で出会った時の様な笑みを見せてくれたので心底安心し、そしてとても嬉しかったのだ。
もうね、サーシャがいなければ、嬉しさでサカテに抱きつきたかったほどだ。
なぜなら…サカテとサーシャにとってはたった数日の再会だったとしても、彼には1年と数日だったのだから。




