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大国フィルファの騎士と天才軍師

その男はランプに照らされた机上の手紙を、ぼんやりと眺めていた。


紅色の上等な椅子に深く腰掛け、眉間に皺を寄せながらその手紙に描かれた摩訶不思議な文字を面倒臭そうに見つめたその男は、ぶつぶつと何事がつぶやき、トントンと紫檀の机上をつつく。

少しだけ吊り上がった目、透き通った浅葱色の瞳、そして雪のように白い肌。彼の顔を初めて見たものは、その人形のように整った趣の中に、何事にも隙がない、冷淡、冷酷な奴……なんて感想を思い浮かべる者が多いかもしれない。もっと言えば、人間味などこれっぽちも感じないし、ああ、血が通ってないというのは、彼のことを指すのね!なんて納得してしまうかもしれない。

しかもだ。

彼が身につけているモノといえば、襟付きのアイボリーの着流しには金色の飾りつけれた模様や刺繍が施されているし、少しだけ開かれた胸元には濃い紅の鎧が見える。

それだけでも彼が支配層で、上流階級なのは一目瞭然。

そして手入れが行き届いた剣は勿論のこと、留め具や小物入れの細かな金具まで美しく輝いているところを見るにつけ、非常に神経質で繊細な男だとすぐに感じ取れる。

だが、それは彼のほんのすこしの一面にすぎない。

と云うか、彼と話した途端、その第一印象は吹き飛んでしまう事だろう。

とても気易い性格に、顔に似合わない高い声、そして無駄に大げさなジェスチャーに………。

呆気にとられていると、アレヨアレヨとその男の魅力に引き込まれ、いつの間にか取り込まれてしまう事になる。

その後は、もはや彼次第だ。

彼が相手を無能と判断した場合は良き駒として大事にされ、有能と見れば抱き込まれ、凄いと思わせれば友になる。

まぁいずれにせよ、相手にとって損はない。

だが、さりとて誰でも彼に会えるわけでもない。


その男の名は、ジャン・クロードといった。


世界有数の超大国フィルファの上級貴族にして、宮廷騎士。

彼の所属するフィルファ宮廷騎士団は別名”陽炎の騎士団”と呼ばれ、世界最強を自負する教団の聖騎士(テンプル騎士団)に並び立つ、由一の騎士団として世界に名を馳せていた。

さて、そんな彼は今、普段暮らす帝都ではなく、フィルファ南西の街であるダダに赴いていた。

そう、アルバとサーシャが向かっている街にいたのだ。

それには当然深い訳があるのだけど、その内容はフィルファの王近くにいる側近しか知り得ない国家機密の関わることだった。



トントン…。

そんな彼の部屋のドアがノックされた。

ジャンは、ぼうっと眺めていた手紙から視線を外しドアに目を移すと、一度首をひねった。それは彼の癖だ。


「どうぞ〜。」


やがて彼の気の無い返事が、部屋に響く。少しして、ゆっくりと木製の分厚いドアが開かれた。



「閣下。ロハンより、例の母娘が到着しました。」


部屋に一歩入り、彼にそう畏まって報告したのは、燃えるような赤い長髪の美しい女だった。ジャンの部下で名をモモという。

色素の淡い鶯色の瞳をした彼女は、細身ではあるが健康的で、どちらかと言えば今時の20代女性。見た目的には男ウケが良いエキゾチックな魅力満載のお姉さんなんだけど、まぁ、性格はその見た目と大きく違い、かなりの変わり者で有名だった。

彼女はしばらくその場で畏まっていたが、何の返事も返さないジャンに苛立ったのか、やがて睨むように顔を上げた。まぁ、気は短かそうだ…。

だが睨まれたジャンは、そんな彼女を無視するように深く目を瞑り、何かを考えているようだった。

気持ちはわかる。やって来た母娘は、敵国の要人の家族なのだから。


「夜の10時か……予定より、1時間も遅いですね。賊にでも襲われたの?」


ふと彼がそんな事を口走った。細かいことが気になる彼らしい質問だった。


「ええ、その通りです。相変わらず、勘が鋭いですね…。ちなみに3人の護衛はみんな怪我をして歩くのもやっとだったそうです。」


「あらま、それは大変でしたね〜。その5人は手厚く扱うんだよ〜。なにせ僕の親友の家族だからね」


ジャンがそう惚けると、モモはキリッと彼を睨んだ。


「聞いてもいいですか?」


「ん…なんだい?」


「あの親子の救出は、国家の命令ではないはず。なのに、なんでジャン閣下が助けるのですか?」


「…ん?変かな?」


ジャンが惚けるように頬を掻くと、彼女はダンッと机を強く叩いた。


「国の中枢にいるあんたが、国費を使って敵国の家族を私用で人助け。とっても怪しんですけど。」


そして急に彼女の言葉遣いが軽くなった。

そしてこの嫌味と皮肉が大いにこもった言い草…。実を言えばこの上司と部下の付き合いは長い。

そして2人には秘密がある。と言っても、2人が愛人とか何とかって訳ではなく、弱みを握り合っている…て、訳でもない。それは、普段は街の役場で経理をしている赤髪モモさんの本当のお仕事の事で、しかもそれは国家機密に関わる重大事項だった。


「……僕はこれでも色々と考えているんだよ。」


やがてジャンは、惚けるような声をあげると、ゆっくりと深くかけていた椅子から立ち上がった。

彼は特に身長が高いわけでも、筋肉質ってわけでもない、中肉中背。

だが、訳あって世界中を飛び回っているモモでも、彼より強い男を見たことがなかった。

そう、この見た目は冷たそうなのにすっとぼけた優男は、世界に名を馳せた剣士の一人だ。

だが幸か不幸か、彼にはその威厳も面影もさっぱりない。

だからこそ、いろんな人間がホイホイ彼に近づいてきてしまうのだが、この人ったらしの人間ホイホイ男は、その異名に恥じない怠けたような声で「はぁ〜あ。」と一度大きな伸びをしてから、再び彼女に目を向けた。


「それで?その2人は護衛をやられたのに、どうしてここまでたどり着けたんだい?」


ジャンの質問に、モモは赤く長い髪をかきあげてから目を光らせた。


「私たちが1年前から追っている金髪の彼女と…例の坊やがお節介を焼いてくれたらしいわ。」


「坊や?…ああ、君がルンで出会った彼女の護衛の少年か。」


ジャンは顎に指を添えながら、納得したように何度も頷き言葉を続けた。

だが眉間にシワは寄せたままだ。どうやら彼は女神とともに、その少年にも興味が湧いているようだった。


「そう…例の坊やよ。」


モモがそう答えると、彼は大きなため息を落とす。


「しかし女神さまはともかく、彼女と行動を共にする彼は謎だねぇ…。で?少しでもあの坊やの正体はわかったのかい?」


「いいえ。ルンで、坊やが聖騎士っていう噂があったから、教会の聖騎士名簿で確認したけど…そこにはアルバっていう名前は無かった。ただ、一緒にいるのが女神様だから教団関係者である事は間違えないと思うの。となると、あの坊やは女神様お気に入りの修道兵か何かと考えるのが普通だけど…彼がロハンのセザール将軍との一騎打ちで勝利したっていうのを聞いてね。ますます彼に興味が湧いたわ。」


モモがそう説明すると、ジャンは大きく唸った。ロハンのセザールといえば、この地方に名が通った英雄さんだ。素人に毛が生えた程度の修道兵では、万に一つも勝つ見込みなんてない。だから彼女のその感想も実に的を得ていた。


「……その情報は僕も聞いた。正直、信じられないね〜。」


「でもその情報は間違いないわ。私の部下が直接確認しているからね。」


モモが肩をすくめると、彼は首を何度も傾けた。

コキコキと骨がなる。その呑気な様子に顔を顰めた彼女は、苛立つように膝を揺らしたのだけど、この適当男はまるで意に返さずやがて大きなため息を落とした。


「今はその少年が偶発的に将軍を倒した…そうしておこう。」


ジャンはまるで自分に言い聞かせるように何度も頷いた。


「はっ!?どういうこと?私の部下の報告を信用しないってこと?」


「ハハッ、そうじゃないさ。」


ジャンはそう言って、わざとらしく大きく両手を広げなら首を振った。


「セザール将軍はロハンの英雄で”意志の力”を宿す化け物だ。そんな男に勝ったとなると、サイのムカサ師範、狂戦士ベルトラン、最強の傭兵コルドバ、そして僕。聖騎士以外で、世界に名を轟かせる人物の名が久しぶりに登場した事になる。そんな事が世間に知れたらどうなると思う?」


「その少年を巡って、無駄な血が流れ、争奪戦が始まる…って、とこかしら?」


「そういうことだね。だから世界中に散っている我々の諜報員を総動員してでも、彼の噂話をかき消さないといけない。」


彼はそう言って、窓から見えるダダの夜景に目を向けた。

その些細な行動に、モモは彼の考えが一つ読めた。もしやジャンは、青田買いをしようとしているのかもしれない…と。要は他の国や教団の中枢に知られる前に彼を抱き込もうとしているのではないかって思ったのだ。


「あんたさぁ…あの坊やをフィルファに迎え入れようとしてるんでしょ?」


「勿論、それだって選択肢の一つです。教団の聖騎士の所為で、我ら大国フィルファといえど、実力のある剣士が不足しているのは事実なんですから。」


「青田買いは、聖騎士たちの十八番。何しろ奴らは10歳の子供までスカウトに来るっていうしね。ただ…真似をするのはいいけど、坊やは教団の女神様と共にいるのよ。こちらに引き込むのは無理じゃない?」


モモが半笑いで彼に詰め寄るとジャンは急にこちらを振り返って、人差し指を向けてきた。


「そこです。さて、モモ。ここで一度、我々が集めた情報をおさらいしましょう。女神は一年前に急に聖地を飛び出し、大地に降りてきた。そして教団はその情報を、各国の王族だけでなく全世界の修道士たちにすら公表せず、聖地に箝口令を引いてまでクローズしようとした。しかも大地に降り立った女神の側には、聖騎士どころか護衛の影すら見えない。…天才モモは、ここから何を読み解くかな?」


そのジャンの言葉に、モモは右手の人差し指をおでこに沿えた。彼女が考える時の癖の様なものだ。


「教団の女神サーシャは、500年ぶりに誕生した女系のカスティリャの長。教団がその存在自体を、一部王族と教団支配層、天空の国エディアの民にしか公表しなかった経緯を考えても、間違いなく彼女は教団の宝で、寧ろ教団の切り札。だけど、そんな彼女がたった一人で大地に降りたのに、聖地は表向きには女神に一切の接触を図っていない。教団始まって以来の非常事態の筈なのに…。」


「そうだね。だけど、それは歴然たる事実だ。」


「そこから読み取れるのは…そうね、ひとつは女神が聖地でなんらかの権力争いに破れて、追い出された…って事かしら。」


モモはそう言って、顔を傾げた。だが自分で言っておいて何だか、その可能性はかなり低い。そしてやはりジャンも同じ見解だった。


「ふむ。それは、誰もが最初に思い浮かべる真っ当なご意見だね。教団は世界的権威で、その頂点に君臨するカスティリャ家なんていうのは、もう影の世界支配者に近い。そこに集まる権力と富は常人には計り知れないはずだから、争いが起こるのは必然で当たり前だ。…だけど、今回に限って言えば、それはない。何故なら教団は女神誕生を機に、500年前の教団誕生の頃の再来を狙っているのは紛れもない事実だ。そう、女神を使って全盛期の頃の影響力を再び取り戻そうとしているんだ。」


それは王の側近くに仕えるジャンだからこその情報だった。教団中枢部の情報など、極端な事を言えば、世界に国を構える13人の王しか知りえない代物だからだ。

モモはその情報を知っていた上司に感心しながらも、口を尖らせて異論を唱えた。


「でもさ、今でも教団の影響力はすごいわよ?世界に暮らす人々の9割以上が信者で、修道士の数は1,000万人を超えているし。聖地に届くお布施の額は、世界の国家予算を全て足しても桁が違うと言われているのよ。」


「君のいう通り、今でも教団の力は絶大だ。だが一度でも教団の歴史書や各国に眠る伝書を研究した人物なら、500年前の教団の支配力が尋常ではなかったと気づく。何しろ、500年前の世界では教団の教えこそが正しいと信じられていて、全ての理を教団が決めていたとある。要は完全なる教団支配がまかり通っていたって事だ。だけどそれは凄く偏った支配だったとも読み取れる。教団に従う者には光と富を、逆らう者には闇と血の制裁を書かれているからね。素直に読み取れば、教団に逆らったら皆殺しってことだろう。」


「何それ?ファシズムじゃない。つーか、500年前って、本当に世界はそんなだったの?」


「ハハッ、そればかりはタイムスリップでもしない限りは分からないだろうね。だけど、世界各国に残されてる歴史書にはそう書かれているものが多い。一国の偏った情報ではないから、多かれ少なかれ当たっていると思うよ。」


「だけどさ。そんな身勝手な支配なんて、すぐに反乱が起こるんじゃない?」


「今ならそうだろうね。だが、当時は起こらなかった。なぜか?それを可能にしていたのが、当時の教団の支配者ファティ大司祭の存在だ。」


ジャンの言葉に、モモは静かに頷いた。ファティ大司祭は500年前を生きた伝説の女神で、世界中に存在する女神像のモデルだと言われている。ちなみにサーシャは彼女の正当な子孫だ。

ジャンは納得にした彼女の表情を見て、満足げに言葉を続けた。


「伝承では彼女は全知全能の神そのものだったと伝えている。それが本当なら、当時の教団の力はさぞや凄かったと思うよ〜。何せ、神様が目の前でそのまま言葉をくれるんだから、誰も逆らえない。教会にある女神の宗教画さながらの光景だったろうね…さて、そこで現代の話に戻ろう。現代の女神サーシャ・カスティリャは、その見た目の美しさ、備えているカリスマ性、そして神の力と云われる”魔法”を宿していると謂われている。誰が見てもファティ大司祭の生まれ変わりだって信じて疑わないほどに。そんな重要な駒を教団支配者がみすみす手放すと思うかい?」


「そりゃ、まぁ確かに…。そうすると、彼女は自らの意思で聖地を飛び出した…って事になるわね。」


「そう、それしか考えられない。しかも彼女は、自らの20歳の誕生祭の時に聖地を逃げ出してる。まぁ、僕ら凡人が女神さまの御心をはかる事ができないけど…先ほど言った通り、聖地が表向き彼女に手を貸していないとこを見るにつけ、昨年の逃走劇はやはり女神の個人的な理由によるものだと推察できる。」


「…なるほど、理にかなっているわ。」


「となると、その女神の個人的な理由とは何か…それが気になるところだね〜。まぁ、それはさておき、その女神が教団とは離れた場所であの少年と接触した。という事は、彼はまだ教団に取り込まれていないかもしれない。つまりアルバという少年の立場はフリーの可能性があるって事〜。だから、気になるんだ。」


彼の立てた道筋は、実にわかりやすく的を得たものに聞こえた。だが、だからと言って実力や人となり、素性が不透明なあの少年を国に迎え入れるのはどうにもリスクがあるように感じてならない。だからモモはそのことに言及した。


「なるほどね。だけど、うちの宮廷騎士様たちは、あんな坊やをスカウトしなければならないほど、台所事情が苦しいの?」


「ハハッ。その意見には2つ異論がある。一つは、その少年のもつチカラだ。さっきも言ったけど彼が倒したセザール将軍は、”意思の力”を宿していた。普通なら、何万何千の兵士が寄ってたかって彼を襲っても、かすり傷一つつけることさえ適わないバケモノだ。そんな将軍を一刀両断したのだから、その少年の力はある意味、僕と同じくらいかもしれない。」


その言葉にモモは思わず声を荒げた。いやいやこの人ったらし適当男は、実はとんでもない力の持ち主。フィルファでも随一の英雄様だ。


「はぁっ!?あの子供が、あんたと同じチカラを持っいるというの?」


「ああ、それはどんなに取り繕っても誤魔化しきれない歴然たる事実だ。言い方を変えれば彼を手にした国は、その立ち位置すら変わる。彼一人で、国同士の関係性や優劣まで変わってしまうんだ。…そして、もう一つ。我らフィルファは超大国のこと。言っておくが我が国に対してこの大地に肩を並べる国などいないし、我が宮廷騎士団は最強。……但し、教団と聖騎士を除いてだけどね。」


「………。」


モモは思わず口を噤んだ。ジャン・クロードは、このフィルファで王の側近くに仕える宮廷騎士で、彼の血筋であるクロード家は、政治と経済を国の中枢で支えてきた由緒ある血筋。フィルファ王への忠誠は誰よりも厚いし、国を愛する心は誰よりも深いだろう。その彼がはっきり自分の国より教団が上と言い張るのだから、その差は歴然としていることが窺い知れるというものだ。

あっけにとられている彼女を見たジャンは、やがて小さく息を吐き、表情を崩した。


「まぁ、そんな訳で我が国王のルーク殿下は、教団に一泡吹かせる為にある秘策を進めている事は知っているだろう?」


そう言ったジャンがおもむろに腕を組む。付き合いの長いモモは彼の言いたい事がすぐに分かった。


「……去年あたりから耳にする”新世界秩序”という奴か!」


「ご名答!」


彼はニンマリとしながらそう洩らした。

だけど、モモはあからさまに不満そうな表情で彼を見返した。そして手をひらひらさせながら「でも私のような下っ端には、その陛下が目指す”新世界秩序”っていうのがよく分からないのよね〜。」なんて口を尖らせた。国家戦略にあたる事項が下々におりてこないのは仕方がない事とはいえ、何事にも真実を求めたがる彼女にしてみれば、それは少々悔しいことではあった。

するとジャンは、苦笑いを浮かべながら「へいへい。」と惚けると、やがて腕を組んでモモを静かに見据えた。


「君は、今春に司令官への昇進が決まっている。多少フライングしてもいいかな…。」


彼が洩らしたその突然の辞令に、モモは声を張り上げた。


「へっ!?なにそれ?本当に!?」


「本当だ。君は、組織で一番最初に女神降臨の事実を捉えた部隊長だ。当たり前でしょ?」


「お給料あがるの!?おやすみは減るの?」


「いや…まぁ、それは応相談で。」


やけにテンションを上げたモモを宥めるように、ジャンは静かに手を掲げた。

だが当然のように彼女の興奮は収まらない。なにせ彼女の25って年齢で司令官なんて前代未聞だ。

だけど狂喜乱舞している彼女を尻目に、彼はゆっくりと話を続けた。


「だけど、君の昇進とその”新世界秩序”を話す前に、目の前のことを片付けないとね。」


彼はしみじみとそう洩らす。するとすぐにモモも神妙な顔つきになった。仕事のできる奴というのは、とにかく切り替えが早い。


「…そうね。その話は、たか〜いエディア料理をご馳走されながら聞くわ。それで?私はなにをすればいいの?」


モモが目を細めて不気味な笑みを浮かべた。だけどそれは彼女がやる気になっている証拠だ。

ジャンは満足そうに笑みを浮かべて、彼女にがこれから為すべきことを伝えた。


「その少年の正体の解明と分析を急いでおくれ。我がフィルファにとって害をなす人物なら、本物の化け物になる前に消えてもらわないといけない。何より女神との関係も気になる。突如一人旅を始めた教団最高位司祭がその少年と出会ってから動きが変わった。それまでは何かに背中を押されるようにザグレア中をかけずり回るように旅していたのに、少年と出会ってから妙に動きがのんびりだ。」


「そうね。女神のいきなりの一人旅と、その目的…鍵は間違いなくあの少年が握っている。でも、彼の素性を探るのはとても骨が折れるわ。少し調べたけど…彼自身が、記憶を失っているらしいし、何より私たちの情報網でも出身地がさっぱりわからないの。表向きはルンの西にあるワラミ村の出身って事になっているけど、戸籍確認をしたら偽造されたものだった。」


「…へぇ、偽造ね。」


ジャンは興味深そうに、小さく唸った。


「その戸籍票ね、紙の質が最近のものだったのよ。彼が生まれたとされる16年前には、その紙を作る技術は世界中のどこにもなかった。だから、偽物と断定したんだけどね…。でもだからと言って、それ以上に調べようにも、彼の出身と思われるザグレアは国が滅んで正確な戸籍なんて存在しない。まるで誰かが意図的に仕組んだように……お手上げだわ。」


「くくっ。世界に誇るフィルファ諜報部隊”幻影騎士団”の司令官らしからぬ弱気な言葉だねぇ。…まぁ、いいさ。僕は僕で彼らに接触を図ってみるよ。なにせ、その2人はこのダダにいるんだからさ。」


「そうね…。ここまでくれば正攻法で行くのも悪くないわね。」


「だろ?それに、一人の男とすればこんなチャンス二度とないし。」


「はっ?何のチャンスよ?」


モモが怪訝そうな顔で尋ねると、彼は急に目を輝かせた。


「えっ〜、分からないのかい?女神さんを押し倒すチャンスに決まってるだろ?いつもは天空の国にある聖地の奥深くで聖騎士に守られている女神さんが、のこのこ地上まで来てくれたんだぞ。この機会を逃したら男じゃないじゃない。」


「……あんたさぁ、本当に罰当たりね!神様を押し倒す気?」


自分の上司を”あんた”呼ばわりしたモモは、呆れ顔でそう文句を言った。


「いやぁ…実は彼女が降臨した1年前からルーク王と賭けをしてるんだ。僕が彼女を口説き落とせるか否か。」


ジャンが本気とも冗談とも取れぬ言葉で惚ける。

だけどモモは、彼の言葉が冗談であることが最初から分かっているように、苦笑いを浮かべながら小さく首を振った。

そして、彼の左腕にあるブレスレットに静かに目をやる。…そこには、彼らしからぬ手作りのミサンガが今日もはめられていた。


「……今頃、パオラはどうしているのかしらね。」


彼女は肩をすくめながらふとそう洩らしたが、ジャンはその問いに答えることはなかった。

…そのミサンガには2人だけが知る、とても切ない物語があるからだが、モモは彼の無表情な顔を見て、何かを悟ったように小さく首を振った。


「……変なこと話して御免なさい。母娘と護衛たちを部屋に案内して来るわ。」


モモはそう言い残して、部屋から出ていった。




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