新米騎士と女神の緩やかな時間
陽が傾きかけてきた。
水平線がくっきりと浮かぶザグレア地方特有のまっさらな草原は朱色に染まり、上空には橙色と紫色が混ざった美しい雲が、空一面に広がっていた。
季節は真冬。陽が陰れば空気は凍てつき、風が大気を揺さぶる。
背の低い草原の草木は、夕陽の光と影によりキラキラが浮かび上がり、その輝きは風により生まれては消えていった。
その幻想的な大地を縫うように伸びる一本道を、白の駿馬が駆けていた。
駿馬と名乗るに相応しいその馬は、まるで疾風が如く大地を進んでいく。
その馬の手綱を握るのは、長い黄金色の髪を靡かせ純白のローブに身を包んだ聖女で、後ろには巨大な黒い剣を背負い藍色のマントを羽織った華奢な剣士が同乗していた。
教団最高位司祭サーシャ・カスティリャと、彼女の騎士となったアルバである。
2人は大喝采を浴びたルンの街を後にし、一路お隣の軍事大国フィルファの街、ダダへと向かっていた。
そのダダという街で、つい先日にお仲間になったサカテという槍使いと落ち合う事になっているからだ。
言うなればアルバは生活圏内のルンの街から、ついに外地に出たことになる。
そう、彼にとってここから先は未知の世界。…いよいよ本当の旅が始まろうとしていた。
「アルバ。ちゃんと私を掴んでいないと馬から落ちてしまいますよ。」
馬を駆る目の前の美しき聖女、サーシャの優しい文句が聞こえた。
「あっ…はい。」緊張した声でそう返事をして、それまで後ろの小さな取手に摑まりながら懸命にバランスを取っていた僕は、おっかなびっくりで彼女の腰に手を回した。
ルンの街を出るときは、彼女の提案で僕が馬を操っていたが、現在はサーシャが前だ。理由は…いうまでもないく、自分には駆ける馬など操れないからだ。
まぁ、本当なら自分はサーシャの騎士様なのだから馬にも乗れないっていうのは、どうかと思うのだけど、こればかりは田舎の物売りの生まれなのだからどうしようもない。
「サーシャは、なんでも出来て…凄いね。」
遠慮気味に彼女の腰に手を回し、華奢な背中に顔を半分押し付けながら感心するように呟くと、サーシャは顔を半分だけ振り返らせて小さく微笑む。
「ふふっ…。急にどうしたのですか?」
「俺の聖女さんには出来ない事なんてないんじゃないのかなって。」
「まぁ…アルバったら。」
そう言って前を向きなおした彼女の声は、とても嬉しそうだった。
そして…アルバはその理由を朧げに知っている。僕が彼女のことを”自分の聖女”と呼ぶことにした為だ。
そう進言してからというもの、サーシャの機嫌がすこぶるいい。
一般的に”聖女”とは、神に仕えし女の修道士さんの事を指すのだけど、僕が彼女に言った”聖女”は少し意味合いが違う。
サーシャの言い分を聞くと、それは”騎士と聖女の理”という教団独特の小難しい解釈言葉だ。
これまで数人に聞いた話によれば、”騎士と聖女”というのは男女の関係性を示す言葉らしく、恋人よりも熱く、夫婦より深い関係…なんて語られる事があるという。
それ以上はよく知らないのだけど、とりあえずその解釈でいけば僕はサーシャの事を”自分の恋人”と言っているに等しい。
…とんでもない事実誤認だ…とは思う。
だけど、彼女の本当の騎士で恋人だと思われる”師匠”なる人物に会うまでは、僕は彼女を護る騎士になる事を心に決めた。だから彼女を聖女を呼ぶことを受け入れたのだ。
所詮ね、僕はただの庶民。なので少しのことで心がブレてしまうから、それを口にして誓いの言葉にしたかったのかもしれない。
一週間ほど前(僕的には1年と一週間だけど)…村を出るときんの僕は役に立たない護衛っていう感じで彼女とともに出発した。だが、摩訶不思議な世界に迷い込みジル先生という湖まで真っ二つにかち割る剣豪に剣を習ったことで腕に少々自信もついたし、そばにいるだけでどんどんサーシャさんに夢中になるし、もう恋人ごっこでも騎士と聖女ごっこでもやってやろうじゃないか、そう思えるまでになったのだ。
ただ、それにつけてもどうにも分からない事がある。
そしてそれは彼女と出会ってから、今の今までずっと変わらない疑問だった。
……なんでこの教団最高位司祭なんていうとんでもない肩書きを持った世にもお美しいサーシャさんが、僕に聖女と呼ばれて喜ぶのかって事だ。
だって彼女は”師匠”さんという馬鹿みたいに強くてかっこいい人の聖女だもの。
それに比べて僕は臨時で日雇いのような弱々しく曖昧な騎士なのだ。
だけど目の前の彼女は、僕の心を毎日のように掻きむしってくれる。
いつも天使のような笑みを見せてきちゃうし、とつぜん手を繋いできたり、おでことおでこを合わせてきたりと、驚愕しちゃう突拍子も無い行動で僕の心を乱しているのだ。
特にルン修道院で僕が子供じみた焼きもちを焼いてからというもの、彼女はさらに優しくなり、挙句、べったりになった。
依怙贔屓されている…周りにそう思われても誤魔化しようがないほどに。
ただ…。
その理由は分からない。
分からないからちょっと怖くなる。
彼女がもっと地味で、自分と同じような生活を送ってきた女の子なら、きっともっと素直に信じられる。だけど、彼女は世界的権威”教団”のとってもお偉い人の一人娘。王様だって頭を下げちゃうっていう御仁だ。そんな彼女がまるで恋人の様に接して来るのだから、普通に考えれば怪しい事この上ないし、生贄とか陰謀とかに使われちゃうって思う方が自然だ。
だけどそんな彼女の疑念を確定する前に、僕は心の一番弱い部分をがっつり掴まれてしまった。
…もう、逃げられない。
どんな疑っても怪しいと思っても彼女から一寸たりとも離れたくないだもの。
云々、もし彼女が詐欺師ならまるっと騙されてしまっている状態なのだ。
そして気持ちは徐々に揺れ動く。
これまでなら、もしサーシャから離れるとすれば、それは師匠さんと再会した時だけだ!…そう思っていたのだけど、ここ数日、そのことを考えると辛くて仕方がない。
そしてなんだか寂しい…。
ふと甘えるように僕は彼女の背中に強く顔を押し付けた。
嫌がるだろうか…って不安だったけど、ここは狡くて本当に申し訳ないんだけど…彼女の4つ年下っていう特権を使った。僕には甘えるしか彼女に近づく武器がない。
師匠なる人物はきっと彼女より年上だろうから、勝てるとしたらそんな事くらいしかないって考えた。まぁ、歳なんては勝ち負けじゃないけど。
サーシャの体温が白ローブ越しにじんわりと伝わった。
心の臓の鼓動も、ちゃんと聞こえた。
風に靡く彼女の黄金色の髪が、たまに僕の頬を撫り、優しい香りに包まれる。
彼女の全てが尊いものに感じられた。
ここから離れたくないと素直に想った。
みんなが彼女の事を神様だというけれど、僕に言わせればサーシャはどう見ても人間だ。自分より食いしん坊だし、旅前に毛糸を買い占めちゃうようなおっちょこちょいだし、夜更けに壁をよじ登って僕の部屋に来るほど行動がめちゃくちゃだ。
そう、間違いなくサーシャは神様じゃない。
だが、それは彼女もいつか”死ぬ”ってことだ。
いや、それ以前に、彼女がいつかは僕の前から消えるって事は、当たり前で必然だった。そもそも同じ時を過ごしている、この時間の方がおかしいのだから。
だけど、サーシャと出会う前は普通だった”彼女がいない世界”っていうのを想像してしまうと、本当に恐ろしいし、そして…なんだか切ない。
そんな事を考えていたからだろうか。
目の前に……自分の腕の中に、サーシャはいるのに、今すぐにでも消えて無くなるのではないかって不安になる。
だから、この運命に抗うように、僕はいつの間にか腕に力を込めていた。
当然、そんな僕を不思議がった彼女が再びこちらを静かに振り向く。
馬を駆っているのだからその行為は結構危ないのだけど、僕が彼女を仰ぎ見ると、顔半分だけ自分に向けたその横顔の表情がとっても柔らかくて嬉しそうで、僕はますます混乱した。
だって僕は今、どさくさに紛れてサーシャを後ろから抱きしめているのだ。
普通ならキャーと悲鳴をあげられ、馬から蹴落とされても文句を言えない。
だけど彼女はそんな僕を満足そうに見つめながら小さく頷くと、再び前を向いてしまった。
いつもならここで彼女を疑ったり、後ろ向きな考えが頭をよぎるのだけど、今日はせっかくの旅立ちの日。
くよくよ考えるのは、どうにも縁起悪いし、男らしくない。
少し調子に乗って、こう考えてみる事にした。
きっと師匠さんと僕は、顔か何かが似ていて…僕といると、まるで師匠さんと一緒にいるように思えるんじゃないかって。
それならこの高貴な麗しき女性が自分に依怙贔屓する訳も分かるというものだ。
…幾らか、気が楽になった気がした。
「ねぇ、アルバ。お腹空きませんか?」
ふと馬の速度を緩めた彼女がそう尋ねてきた。
正直、絶句。
ルン修道院を出るときに用意された沢山の茶菓子。彼女はそれを全て平らげてからまだ2時間も経っていないというのに…。
「サーシャは本当に食いしん坊だね。」
まぁ、薄々知っていたけど、呆れ顔で言い返す。だけど彼女は楽しそうにチラチラと僕の方へと顔を振り返りながら唇に指を添えた。
「ふふっ、それはお互い様でしょう?」
「…違いますよ。僕は、これまで質素に生きてきたのですから。」
「では、その分も含めてこれからは沢山食べなくてはいけませんね。アルバはちょっと細すぎです。」
「それを言うならサーシャだって、そうじゃないですか。」
「いえいえ、私は良いのです。それより、今日はサンドイッチがとても美味しくできたのですよ。食べましょう?」
「…わかりました。騎士は聖女のしたい事を邪魔しないらしいですから。」
僕はわざと頬を膨らませながら、意地悪い声で答えた。本当は聖女の行く道を阻む者を許さないのが騎士…らしいけど。
だけど彼女はそういう細かいことは、どうでもいいみたいだった。
「アハッ。ではアルバは私の我儘を全部聞いてくれるのですね。嬉しいわ。」
そう言ってサーシャは破顔した。僕は苦笑い…。
ただこの時は、清廉で優しい彼女の我儘なんて可愛いもんだろうと思い、特に気にも止めなかった。
彼女は戦いになると自分に対する要求度がとってもお高いが、普段の生活だと甘々だからだ。
だがそれは結果的に巨大な間違いだったのだけど…。
やがて彼女は少しだけ腰を浮かせて、馬上から薄暗くなってきた草原を見渡す。恐らく、サンドイッチをほうばる場所を探しているのだろう。
「アルバ!あの大きな木の下はどうですか?」
彼女は嬉しそうに、陽が沈む方角にあった大きなブナの木を指差した。
そのブナの木は、大きかった。
またご丁寧に近くに小川まである。
僕は修道院から借りて来た白馬にその小川で水を飲ませつつ、大木の根もとに潜る。
その場所に来ると、何か…ホッとした。自然と、その大木を見上げた。
万華鏡を覗いた時のように対称に広がる大きな木の幹は、葉がほとんどない季節にもかかわらず、よほど木の幹が密集しているのか、どれだけ目を凝らしても夕日が沈んだばかりのどんよりした群青色の空がまるで見えなかった。それは、太枝が幾重にも入り組み、年輪を多く重ねた立派な木だということを証明していた。
「とりあえず火を起こしましょうか。」
視線を下ろし僕がそう提案すると、彼女は嬉しそうに頷いた。
季節は冬。短い休憩だとしても、屋外では火は欠かせない。
そして石を積んだだけの簡易的な石釜を作り、近くに落ちていた小枝と少々の枯葉を2人して中に入れ込む。
僕は素早く石を弾いて種火を作り、そのまま枯葉を燃やした。
「さすがは騎士様ね。手際が凄くいいわ。」
そう破顔した彼女。
僕は自慢げに小川の水を流し込んだ鍋をテキパキと火にかける。こんな事、大自然の山の中に忍び込み、石を拝借しまくっていた僕にとっては日常茶飯事、お茶の子さいさいだ。
なんて得意げにしてたんだけど、それは旅慣れたサーシャも同じ。
小さな石窯の中に、器用に枯葉や小枝を追加してはふうふうする。そのタイミングがまた見事で火はどんどん勢いを増していく。
やがてサーシャは、お湯がいい頃合いになると馬の横に下げていたバッグから小さなコップを取り出し、お茶をすりつぶした粉を入れた。
僕はといえば、そんな彼女をこっそり見ながら胡座をかいて火をふうふうしていたんだけど、やがてサーシャはそのすぐ隣にちょこんと座り、鍋を覗き込んだ。
鍋の中のお湯は、すっかり煮えていた。
「アルバ、もういい頃合いですね。」
その言葉と同時に彼女の肩が触れて、いつものように僕の体に痺れが走った。
そっと、彼女に目をやった。
サーシャの横顔は炎に照らされ、とても幻想的だった。
いつも思う。彼女の姿を見れば見るほど、常に新しい発見があるって…。
ただ、僕のことを男と思っていないのか、はたまた民に優しい修道士ゆえかは知らないけれど、同じ時を過ごす時間が増えれば増えるほど、この人はどんどん気安くなり、そして隙も増えて行く。
それは自分としては嬉しいような照れくさいような…まぁ悪い気分じゃないのだけど、これ以上彼女に溺れて行く怖さっていうのもあって、気分は複雑だった。
やがて彼女は不意に僕と目を合わせると無言で頷き、厚手の布を器用に使いながらコップにお湯を注いだ。
冬の冷たい大気に湯気が立ち上り、お茶のいい香りが漂った。
僕とサーシャは、熱いコップを遠慮気味に持って、同時にふうふうとお茶を吹く。
出会った頃からそうなんだけど…共同作業をしている時の2人の息はなぜだかぴったりだった。
「体が温まりますね。」
彼女は一口お茶を飲むと、僕の肩に体を寄せたままそう言って小さく息を吐いた。
「ほ、本当ですね…。」
それがお茶の事なのか、体を寄せ合っている事なのか分からず、とりあえずそう答えた。彼女は、もう一度コップに口をつけると、そのまま石の上に置いて、小さな包み紙をバッグから取り出した。
それは勿論、彼女が作ってくれたサンドイッチだ。
「ねぇ、見て。美味しそうでしょ?」
サーシャは包み紙を解いて、三角の形をしたサンドイッチを掲げた。野菜、卵、鶏肉が挟んであるそれは、軽食とはいえ貧乏人の僕からすればとんでもないご馳走だった。ゴクリと喉を鳴らしながら、恐る恐る受け取ってまじまじとそれを見遣った。…彼女が作ったのだ。きっとめちゃくちゃ美味しいんだろう。恥ずかしながらすぐに腹の虫がなった。
「いただきます。」と言って、サンドイッチに口をつけようとした時、それより先に彼女の指が、僕の口を塞いだ。
「アルバ。お食事は、お祈りが終わってからですよ。」
「あっ…そうでした。ごめん…。」
思わず頭を下げる。僕はこの美しすぎる教団の女神様の騎士になったのだ。食事の前は感謝の祈り…これからは教団の決まりごとはしっかりと守らなければいけない。
「謝ることはありません。徐々に慣れていきましょう。」
優しくそう言ってくれた彼女は、僕に凭れかかるくらい身体を寄せて来る。
そしてまたもや嬉しそうな笑みを浮かべ、ちょんと肩を合わせながらつつく。
僕は自分で自分の顔が赤面しているのが分かるほど、頬が火照っていた。
「アルバ。私の真似をするんですよ。」
そう言ってはにかむサーシャ。
そっと目を向ければ、彼女はゆっくりと指を結んで祈りを捧げ始めた。サーシャの指の組み方は独特で、発する言葉も聞いた事のない言語で理解はできないけど、僕は言われた通り、必死に真似をした。
思えばこの祈りを捧げているサーシャの姿も、僕は好きだった。
祈りの最中、彼女は目を瞑っているから長い睫毛がとても目立つ。そして潤った唇から発せられる透き通るような美しい声…それが耳に心地よくて、ずっと聞いていたくなるのだ。
やがて祈りを終えたサーシャと見つめ合い、もう一度同時に頷くと、そのままサンドイッチに同時にかぶりついた。そしてコップに手をやり、又しても一緒にお茶を口にして、同じタイミングでコップを大地に置いた。偶然なんだけど、全部タイミングが一緒だ。
2人して笑みが溢れた。
「アルバ。そんな全部を真似しなくてもいいのですよ。」
そう言って、意地悪な顔をするサーシャ。僕は否定しようと慌てて彼女の方へ体を向けると、肩だけでなく膝までもちょこっと触れてしまった。
思わず身体が固まった。
先ほどまで馬の上で後ろから彼女に抱きついていたのに…全然慣れない。たったそれだけのことなのに、彼女に体が触れるのは本当に緊張してしまうのだ。
僕は驚いて一度「ご、ごめん。」と漏らし、彼女から逃げるように少し体をずらす。
「ま、真似なんて…そんな事しません。」
そう返すのがやっとだった。
「そうかしら?」
「う、うん。」
そう頷くと、いつもは上品な彼女が珍しくケタケタと声を出して笑った。
僕は笑われた意味が分からなくて、思わず顔を顰めた。
「なんで笑うんですか?」
「あははっ。だって面白いんだもの。」
「どこがですか?」
「う〜ん…それは秘密というものです。」
「またそれですか。もう…サーシャは秘密ばかりです。」
僕が子供のように口を尖らせると、彼女はすぐに黄金色の髪を揺らしながらこちらを覗き込んできて、そっと笑みを浮かべた。
「少しくらい秘密があった方が、いいではありませんか。」
「いやいや、サーシャは多すぎだと思います。」
「あら、そうなのですか?それは存じ上げませんでしたわ。」
再びクスクス笑う彼女。
…ふと思った。
今日はなんだか、サーシャがよく笑う。
「…何かいい事でもあったのですか?」
だからそんなことを尋ねた。すると彼女は口に手を添えて笑ったままだ。
「アハッ…どうしてですか?」
「なんかご機嫌だなぁって思ったから…。」
「ふふっ、バレましたか?」
「顔に書いてあります…それで、いい事ってなんです?」
「えっと…それも内緒です。」
「もう!少しくらい、教えてくださいよ。」
彼女の可愛い意地悪にちょっと声が大きくなってしまった。
すると彼女は手にしていた食べかけのサンドイッチを包みに戻し、ゆっくりとこちらに身体を向けた。
そして黄金色の髪を微かに揺らし、美しい顔を静かに傾ける。
「では、秘密は小出しにいたします。」
「えっ〜。できれば、全部教えて欲しいんですけど。」
そう惚けると、サーシャは小刻みに首を横に振った。
…なんだか幼子のような仕草だった。
「ううん、嫌です。」
「どうして?」
「だって…秘密を全部知ってしまったら、アルバは私を置いて何処かへ行ってしまうのでしょう?」
突然、彼女は真顔になり、そう漏らした。
一瞬、思考が止まった。
…いつも鷹揚でおっとりした彼女のその意味深なお言葉に違和感を感じたのだ。
目を向ければ、彼女の大きなブラウンの瞳はなんだか潤んでいるし、唇も小刻みに震えている。
だけど…僕がサーシャを置き去りにして何処かへ行く?…考えたこともなかった。
むしろ師匠さんに再会したら、僕はサーシャに捨てられるって思っていたもの。いや、サーシャはお金持ちで優しいから、それまでの護衛のお礼としてお家やお金や食べ物一年ぶんくらいはくれると思うけど…なんて頭の中で巫山戯ていたら、また彼の事が頭に浮かんだ。
そう、彼女の本物の騎士様、師匠様の事だ。
…彼女の今の言葉は、もしや師匠さんの事を言っているんじゃないかって…。それなら、僕的には辻褄が合う…。
だから、なるべく明るい声でこう言い切った。
「師匠さんはサーシャを置いて何処かへ行ってしまったかもしれないけど…俺はどこにもいきません。」
ちょっと格好つけた言い方になってしまった。
ただ、世間知らずで金も家族も帰る家もない自分は、サーシャから離れたらすぐに餓死しちゃう…つまり離れられないからって意味だったんだけど…ここで予想だにしない事が起きた。
サーシャが目を見開き、口を手で押さ、小刻みに身体を震わせた。
…そして、頬に雫がつたう。
そう、いつの間にか溢れ出した沢山の美しい雫は、彼女の2つの瞳からポロポロと溢れ出していたんだ。




