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寝取りのロダンとルンの街

「サーシャ枢機卿。ここルンを治めるジェニファ・ロダン様が謁見を求めていらしゃっております。いかがいたしましょうか?」


2人の元へ修道院の西の宿舎の一室にその言付けを持ってきたのは、ルン修道院の女長であるセドリーヌだった。

「神に導かれ、天界に昇っておりました。」と大嘘をつき、朝の騒動をなんとか切り抜けたサーシャは、スパでアルバとゆったりとした時間を過ごした後、以前の約束どおりプレゼントするチョッキを作るべく、ちょうど彼の肩幅をメジャーで測っている最中だった。


「ジェニファ・ロダン殿…ですか。」


サーシャはアルバの袖の長さにメジャーを移し、あまり興味がなさそうに小声で呟く。

セドリーヌは恐れながらと前置きしながら言葉を続けた。


「はい。ジェニファ・ロダン様は元は旧ザグレアの財務担当者で、ここルンの経済を一気に立て直した功労者にございます。御年80になられますが、未だ現役のルンの執政官で実質的な領主様です。」


「ご立派ですこと。ですが、そんなお偉い御方が私に何用でしょう?」


いやいや、あなた様より偉いのは、聖地にいる神皇様だけですよ!って、セドリーヌは言いたかったが、そんな事は説明するまでもない。教団最高位司祭というのは、世界の理からすれば、王よりも官位は数段上なのだ。


「ルンの街を救った枢機卿と聖騎士アルバ様へのご機嫌伺いかと存じます。」


セドリーヌは恭しくそう話すと、サーシャは肩を竦める。


「まぁ…。私のご機嫌などとってもなんの得もございませんよ。」


「な、何を申されます。枢機卿のお姿を拝見するだけで奇跡。それを享受できるのは幸運に恵まれた一部の民のみでございます。皆が一目見ようとお集まりするのは当然です。」


「もう…私は珍獣ですか?」


サーシャはそう言って顔を顰めると、椅子に座るアルバの顔をそっと覗き込んだ。


「騎士様、いかがしますか?」


「えっ?ああ、そうですね…。」


まさか自分に振られるとは思わなかったアルバは、驚いて後ろを振り返る。本音は、こんな田舎の物売りに判断を仰がないでーって所だけど、彼女に頼られたら返事をするしかない。代理とはいえ、自分は彼女の騎士なのだから。


「相手の人はわざわざサーシャに会いにきてくれたのでしょう?それなら会ってあげないと…。」


アルバのそれは、もっともなご意見だけど、まぁお人好し丸出しだ。だけどサーシャはその意見にニッコリと微笑むと「騎士様はお優しいですね。」と彼を讃えながらセドリーヌに顔を向けた。


「セドリーヌ。騎士様がお会いになると言っております。半刻ほどお時間を頂けるかしら?」


「も、もちろんでございます。ジェニファ・ロダン殿もさぞやお喜びになるでしょう。…では、半刻ほどしたらお迎えに上がります。」


セドリーヌはその場に跪きながらそう答えると、静かに部屋から出て行った。( どうもあのお二方の関係性がわからないわ…。 ) なんて事を疑問に思いながら…。



さて、ここルン修道院にやってきたジェニファ・ロダンなる人物だが、彼は先ほどセドリーヌが話した通り、ここルンの街を支配している領主だ。

80歳という高齢で痩せてはいるのだけど長く伸ばした顎髭は立派で、窪んだ目に輝く眼光は鋭い。経済に明るく、ここルンがこれほど経済発展を遂げたのはザグレア国が滅んだ後にここルンの領主に就任した彼の功績が大きい。

ただこのおじいさん、少々変わり者で頑固。かなり偏った思考の持ち主で知られ、拝金主義を掲げる彼を忌み嫌うものも多かった。

ただ彼は自他共に認めるアイデアマン。目標達成のためにはあらゆる手段を講じ、誰も思いつかないような突拍子もない方法で物事を解決してしまう、ある意味稀有な才能の持ち主でもあった。そしてそんな老獪な彼は、この時もとっても突拍子もない提案を胸の中にたづさえて、ここへやってきたのである。









「ねぇ、サーシャ。ジェニファ・ロダンさんって、この街で一番偉い人でしょ?」


アルバはそのジェニファ・ロダンが待つ迎賓館に向かう道すがら、横を悠然と歩くサーシャに恐る恐る目を向けながら、そう尋ねた。

アルバは正装の服なんぞ持ち合わせていないので、結局神父さんから貰った銀の鎧に藍色のマントを羽織って向かうことにした。一方のサーシャは部屋着から再びカスティリャ家の血筋であることを示す白ローブと教団最高位司祭が巻く黄金色のストラを悠々と着こなしていた。その輝く白ローブを翻したお姿は、やはり神々しく清廉そのもの。こんな女性に髪や背中を流してもらっていたなんて思うと、もうね、違う意味でドン引きだ。


「一番偉いかどうかは知りませんけど、彼はここルンの領主のようですよ。」


そして自分だけに用意されたような優しく透き通るような声。彼女はどんなにくだらない質問にも優しく丁寧に答えてくれるのだが、その理由も謎だ。


「あの…領主さんっていうのは、王様とどう違うんですか?」


「領主というのは、一つの街や村を統治する責任者です。一方の王は、領主が治める街を束ねて国を司る者のことで、一般的には国の中で一番権限を持っています。」


「じゃ、領主さんより王様の方が偉いんですね。」


「そういう事です。今日の相手はたかが領主、騎士様は堂々としていれば良いのですよ。」


サーシャはそう言って彼の右腕にそっと手を添えた。

そして自分の緊張をほぐすように、優しく腕をさすってくれる…。

とは言えだ。

聞くところによると、サーシャは王様よりも官位が上らしいからいいけど、自分などただの田舎の物売り。ルンのそば近くの村に住んでいるとはいえ、領主様なんて顔すら見た事ない。…堂々としていていいものだろうか。

というか、偉い人に会ったら跪いて、挨拶?土下座?…堂々と土下座?う〜ん、分からない。

彼はそんな事に悩みながら、サーシャと2人でまるで宮殿のような修道院中枢部を進む。

金色と藍色の絨毯の上を進み、大きな葉が浮かぶ人工的な池が鎮座する中庭を抜け、屋根付きのスロープがついた壁一面が抽象画の摩訶不思議な空間をくぐると、一面が芝生の広間の中央に、歴史を感じさせる白壁と橙の屋根と窓枠が印象的な如何にもな5階建てほどの建物が目の前に聳え立っている場所に出た。

そしてその門の前には数十人ほどもいる修道士さんたちがグレーローブを綺麗に揃えながら跪いていて、女神の到着を今か今かと待っているようであった。

その変わらぬ修道院の光景に、この呑気な少年はいつも頭を捻る。サーシャは彼女たちにとって偉い人かもしれないが、自分は違う…。できれば、普通に立っていて欲しい。


「騎士様、行きましょう?」


だけど戦々恐々としているアルバを尻目に、サーシャは彼の手を優しく包むと大きな笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩き始めた。

自分の手を引きながら嬉しそうに進む彼女…。

アルバはその煌く黄金色の髪をなびかせて進む彼女の後ろ姿を見て、「綺麗…だなぁ。」って思わず感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。

本当にこの人の美しさには慣れといものが来ない。その理由の一つに髪型や化粧をコロコロ変えてるってのがあるんだけど、この時もスパでのポニーテールとは違い、髪を振りほどき…だけど一部は編んであるみたいな…そんなちょっとした変化でも彼女の新しい後ろ姿は、如何にも輝いていて華やかだ。

またね、彼女は顔を赤くした自分を何度も振り返っては溢れるような笑みを届けてくれるもんだから、本当に目のやり場に困る。…何か、さっきのスパの一件以来、彼女はやけにサービス精神旺盛だ。

途中、サーシャはかしこまっている修道士さんの前まで来ると、自分と手を繋ぎながら優しく…そして気軽に話しかけ始めた。

彼女たちの肩に優しく手を添えて、自分も屈んで目線を合わせて微笑み、名前を尋ねる。もちろん突然女神に話しかけられた修道士さんたちは面食らったように驚くのだけど、やがて徐々にサーシャと言葉を交わす。

それは短くとも、みんなに、平等に…

アルバはそんなサーシャを見るとホッとする。

皆に跪かれ、偉大な女神のような神々しい彼女も格好いいと思うのだけど、彼女の普段の態度を見るにつけ、こちらの方がサーシャの良さが出てるって思えるのだ。


「まぁ、アルバ様。」


と、そんなサーシャに見とれていたら急に名前を呼ばれた。

アルバが声のした方に顔を向けると、そこには先の戦争で戦った修道兵の一人がいた。名前までは覚えてないけど、ロハン兵を網に閉じ込める作戦の時に縦横無尽に大活躍していた赤髪の癖っ毛が特徴的な修道兵さんなので、アルバはしっかりと覚えていた。


「あっ…どうも。えっと…。」


「ふふっ。サラです。…エマの友達の!」


「ああ、そうそう!サラさんだ。」


アルバはようやく思い出して、手をポンと叩く。彼女は今回ルンを守る立役者となった修道兵の中でも槍術がずば抜けていて、味方として大層頼もしかった。


「サラさんにはいっぱい助けられました。ありがとう!貴女の槍は本当に凄かったです!」


アルバは深く頭をさげる。ジルに出会う前のへなちょこの頃は、乱戦の時、彼女が側にいなかったら危なかった場面が何度もあった。

サラはいきなり頭を下げたアルバに驚いた様子だったが、やがて自分も大きく畏って嬉しそうな声をあげた。


「聖騎士様に褒めてもらえるなんて…ちょっと自慢できます。一生の思い出です。」


「いや…そんな大層なモンじゃないんだけど…。」


「何をおっしゃるのです。あんな恐ろしげなロハン兵ですら、アルバ様のお姿を見た途端、逃げ出したではありませんか。やっぱり本物の聖騎士様はすごいなぁって思いましたもの。」


「いやいや、あれは偶然で…。」


その腰の引けた英雄を見て…やけに腰の低い聖騎士様ね!ってサラは思ったけど、なんだかそんな彼にとても愛着を感じた。聖騎士といえば一人で数万の軍を殲滅するなんて恐れられているんだけど、彼からはそんな恐怖は全く届かない。まぁ、なんども言うけど彼は聖騎士じゃないから当たり前なんだけど、そうだと信じきっているサラにはとても不思議だったのだ。


「私、アルバ様を目標にこれからも頑張ります。」


彼女はハニカミながらそう言って、アルバを見送った。





アルバとサーシャが修道士たちの列を抜けて、修道院内にある迎賓館の門をくぐり、古めかしい重厚な扉を通ると、そこはまるでどこぞのお城か宮殿みたいに巨大な空間が広がっていた。見上げれば5階まで全てが吹き抜けになっていて、アーチ状の天井には絵巻のような美しい微笑みを湛えた女神の絵が一面に描かれている。数々の鮮やかな色合いで浮き上がっているその慈悲深い女神様は、全ての人を受け入れるが如く両手を大きく掲げていて、まるで皆の安寧を優しく包み込んでいるようでもあった。

だが彼にはその素晴らしい絵の構図よりも、女神の姿そのものに興味を惹かれたようだ。


( 本当にサーシャそっくりだ…。 )


アルバは目をパチクリしながら、呟く。何せ、黄金色の髪、優しい微笑み、美しく悩ましい体つき、全てが同じなんだもの。

そしてサーシャは天井を見上げ何やら感心しているアルバに気を使ったのか、手をゆっくりと引きながらしずしずと進む。

その姿は、まるで初めて教会見学に来た子供と、引率の若い女先生のよう。

周りにいる者たちもその微笑ましい様子に思わず笑みが漏れる。特にアルバは、5,000の兵を追い返した英雄にはとても見えず、その可愛い外見は違う意味で注目の的だった。

そんな修道士たちに導かれて進む2人は、磨かれた大理石で造らた廊下を抜けると、やがて女神の横顔のレリーフがある白い扉の前で止まった。…この扉の向こうに、ルンの支配者ジェニファ・ロダンがいるのだろう。


「騎士様、よろしいですか?」


サーシャの言葉に、緊張した面持ちで小さく頷くアルバ。

やがて彼女が合図を送ると、扉のそばにいた修道士によってその白く美しい扉はゆっくりと開けられた。アルバは頭の中で畏る予習を必死に繰り返す。

( えっと…サーシャ…すうききょうの…騎士をやってます…アルバといいます。今日は会えて嬉しいです。 )

( いつもお世話になってます。ルンの街で物売りをしてましたアルバと言います? )

どういうのが…正解なんだろうか…。

悩む物売り、困る少年。

…だけど、結局のところそれは全て無駄骨だった。

なんとこの扉、壇上へと直接繋がるものだったのだ。

つまり、アルバとサーシャは最初からジェニファ・ロダンよりも上座にてその場へ赴いたってことだ。まぁサーシャは世界的権威”教団”の支配者の娘で、最高位司祭で枢機卿。ある意味当然なのだけど、そんな彼女に続く村の物売りの少年は気が気ではなかった。

何しろ自分は、権力とは無縁の場所で慎ましく暮らしてきた只の田舎者。こんな場所が得意なわけがない。だが、目の前の現実は覆らないし、そもそも彼の仕事は教団のお偉いさんであるサーシャの護衛なんだから、「しょうがないのね…」って無理やり納得するしかなかった。まぁ、最悪自分だけ壇上から降りればいいかって…って呑気に思ったものだ。

やがてサーシャとともに鶯色を宿した美しい大理石で覆われた空間に出ると、そこには教団のシンボルマーク”宇宙の真理”と”女神の横顔”を冠した見事な椅子が2つ置かれていた。

ーーそれはまるで玉座のようだ。

( まさか…。 )

それを見たアルバはとっても嫌な予感がして後ずさる。


「騎士様はこちらへ。」


やがてサーシャの透き通るような声がして、彼女の右に位置するたいそうご立派な椅子を勧められた。

本当はこんな固そうで偉そうな椅子に座るなんて冗談じゃないんだけど、こんな場所では彼は借りて来た猫、陸にあがった河童だ。

おっかなびっくりで足がつりそうになりながらもストンって座った。椅子まで大理石なのかお尻が冷たい…。しかも腰に帯びた聖剣ガリネウスが引っかかり、その所為で変な座り方になって必死に剣の位置を調整する始末。

アルバがバツが悪そうにふと横に目を向ければ、サーシャが白ローブをお上品に翻し格好よく、スマートに腰をおろしている。( 格好イイな〜 )ってちょっと尊敬。やっぱりこんな豪華な椅子には彼女みたいな生まれながらに王族!みたいな人じゃないと似合わないって改めて思ったものだ。

アルバが聖剣を肘掛の上を通すことに成功し、あたふたしながらもようやく前を見ると、そこは細長く奥行きが50mはあろうかという大理石と白石で組まれた厳かなお部屋だった。

( また、すごい場所だな…。 )

おっかなびっくりで辺りを見渡す物売り。

壁の所々に金色に輝くランプがあって、床には細長い藍色の絨毯が一直線にひかれ、その中央に藍のプールポアンと呼ばれるジャケットのようなものの上に白銀の見事なマントを羽織った長い白髪の老人が畏まっていた。そしてその老人の横にはここルン修道院女長のセドリーヌとサーシャの親友エマが同じく畏まっていて、アルバとサーシャが座る壇上のすぐ下には、槍を構えた修道兵が堂々と鎮座している。

( なんだか…偉い人になったみたいだ…。 )って、アルバは思わず苦笑い。

もの珍しそうに暫くキョロキョロしていると、まずは女神のよく通る声がその空間に響いた。


「サーシャ・カスティリャです。ルンが領主ジェニファ・ロダン、言上を許します。」


なんか、声がいつもよりも厳しくて怖い…アルバは驚いて彼女の方へ目をやったが、サーシャは眼下で畏るその老人を厳しい目つきで見おろしていて、その横顔は先ほどまで修道士たちに温かいお言葉をかけていた彼女とは別人のようであった。


「教団最高位司祭サーシャ・カスティリャ枢機卿、教団テンプル騎士団アルバ閣下。ここルンの領主ジェニファ・ロダンにございます。本日は謁見の機会を賜りましたこと、誠にうれしき限り。まずは厚く御礼申し上げます。」


その老人ジェニファ・ロダンは、酷くしゃがれた声で床に頭をつけたまま丁寧に挨拶を述べた。だけどサーシャの返事は、それはそれは吊れない…。


「ご用件は?」


その声はこれまで聞いた中でもかなりの冷たさだった。…もう、氷点下だ。

これには呑気な自分も驚愕した。

いやはや、サーシャはこのルンの領主のことを嫌いなんだろうかって訝しんだものだ。

万一自分が彼女にこんな態度を取られたら、一生立ち直れないだろう…。だが、この老人はそんな事を一切気にせず、寧ろ…いけシャーシャーと想定外の言葉を返して来る。


「死ぬ前に…絶世の美女と謳われる女神様の微笑みをぜひ拝みたくなりましてな…。老体に鞭打って参上した次第にございます。」


「…それはつまるところ、私の顔を見に来たという事ですか?」


「はい。その通りでございます。」


ジェニファ・ロダンはそう言って大げさに、ははっーって畏る。…すごく態とらしく、嘘くさい…。すると予想通りすぐに何事にもお堅いセドリーヌの注意が飛んで来た。


「ジェニファ・ロダン殿、お控えくだされ。そのお言葉は枢機卿に対して無礼にございます。」 


こちらも結構きつい言い方だったけど、このおじいさんは中々引き下がらない。

小さく舌打ちをしながら顔だけをセドリーヌに向け、わざと小声で言い返していた。まぁ、その声は壇上までも丸聞こえだったけど…。


「いやいや、セドリーヌ殿。儂の今の言葉は、すべての信者や民の声じゃ。皆の声を素直に枢機卿に届けるのも、街を統べる者の役目かと思いましてな。」


「…とはいえです。」


「それに美しい女人を見たいというのは男の性というものじゃろ?」


「す、枢機卿の御前でなんという事を…。悪ふざけが過ぎます!」


セドリーヌは癇癪を起こすように憤慨していた。だが一方のジェニファ・ロダンは飄々と返事を返す。


「どんなに綺麗事を述べても、真実はひとつだと思うがのぉ…。男が美しい女に群がり、見惚れて、口説き落としてベッドに押し倒さねば人類は滅ぶ。違いますかな?」


「と、時と場所を弁えろと言っておるのです!全くあなたはいつも…。」


「ハハッ。セドリーヌ殿はあいも変わらずお堅いのぉ…。まぁ我ら俗物に染まる者は、皆様のような心美しくお上品な方々とは違い、事実と結果が大事ゆえ。絶世の美女と謳われたサーシャ枢機卿の顔を見たいというのは心情。ある意味、素直で清々しいと思うがの。だいたい教団は嘘は禁止でございましょう?」


「す、枢機卿は見世物ではございません!なんと無礼な!!」


意外と普段から仲がよろしいのか、セドリーヌとジェニファ・ロダンはその女神の御前で言い合いを始めてしまった。

アルバは最初、呆れたように顔をひきつらせたが、サーシャはやがて口に手を添えて笑みを溢した。


「フフッ…。面白い御方ですこと。私は別に構いませんよ。」


彼女がそう漏らすと、ジェニファ・ロダンはニヤッとすぐにサーシャの方へ体を向き直す。


「さすがは枢機卿、話が早い。ありがとうございます。では…。」


彼はそう言いながら、ゆっくりと顔を擡げた。

アルバも自然とその男に顔を向ける。

まぁ、顔は整ってはいたけど…80のおじいさんにふさわしい顔といえば顔だった。

喋り方や声は若く感じられたが、深く刻まれたシワを見るにつけ見た目は年相応。

ただ、一度見たら忘れぬ個性と力強さは顔から滲み出ていて、長い顎髭も勿論のこと特徴的だったが、やはり眼光の鋭さに目がいく。

その生気に溢れた表情は、如何にもな権力者の顔だった。

だがさすがの老獪なジェニファ・ロダンも噂に違わぬサーシャの美しさには思いっきり面食らったようで、そのぎょろりとした目は、驚きで思春期の少年のように小刻みに揺れていた。


「ご満足いただけましたかしら?」


サーシャのその問いと微笑みに、その領主は小さく息を吐いた。


「いやいや、これは驚きました。これほどまでにお美しいとは…。」


「世辞は結構でございます。」


「フフッ。儂は世辞など決して申しませぬ。いやはや半世紀ぶりに夜這いをしたくなり申した。閨の場所を教えていただけますかな?」


その突拍子もない爆弾発言には一同が絶句した。ただサーシャだけは笑みを絶やさず、鷹揚に言葉を続ける。


「ふふっ、いつでもいらしてください。聖騎士アルバ様が剣を抜いてお待ちもうしておりますわ。」


「なんと!?命を賭けねばいけませぬか?」


「もちろんです。このサーシャ・カスティリャが欲しければ。」


サーシャが微笑みを湛えながらそう話すと、その老人は一度姿勢をただすといきなり大きな笑い声をあげた。


「ガハハッ、さすがは女神さまじゃ。枢機卿の男になるには、世界で一番強くなくてはダメという事ですな?」


「強さだけでは駄目ですよ?全てが一番でないと、私の横は歩けないとご理解ください。」


…もう、サーシャの横を歩くのをやめよう…僕はそう思った。だが一方のおじいさんは彼女のその言葉にえらく感心したようだった。


「いやはや、サーシャ様は実に素晴らしい!あなた様にお会いできた事、このジェニファ・ロダン、一生の思い出となりましょう。これまでの非礼、深くお詫び申します。スケベじじいの戯言とお流しくだされ。」


そう声をあげながら、ジェニファ・ロダンは再び顔を下げ深く畏まった。何かの演劇のようにも取れるその態とらしい振る舞いに周りの人間は呆気にとられたが、相変わらずサーシャだけはクスクスと笑っていた。


「大袈裟ですこと…。ですがこれで貴殿の御用はおしまいかしら?」


「はい、以上でございます。」


またはっきりと言い放ったその意外な答えに、アルバばかりか周囲のものまで再び面食らった。

いやはやこの御仁は、本当にただ女神の顔を拝みに来たミーハー爺さんなのかと…。

もう突拍子もない言葉のオンパレードだ。

だが変わらずサーシャだけは、興味深そうに目の前に畏るこの執政官を静かに見定めていた。何しろ彼女は最高位司祭、彼のような権力者のやり口など腐るほど見ている。その教科書通りの態度に( 腹に何やら逸物を隠していますね…。 )って、むしろほくそ笑んだ。その証拠に、目の前のおじいさんは「以上です。」と言いながら、一向に動こうとしない。


( なるほど…。 )


彼女は彼の考えが読めて、ふとそう洩らした。

このまま下がれといえば、ジェニファ・ロダンは自分の事を” 政治や金など現実社会に興味がない教団の象徴的な人物 ”と判断するだろう。

もし、ルン政府の今後やロハンの戦争責任を話せば、教団の聖地が今回の戦争の件について深く介入してくると考え、予め予防線を張るつもりなのだろう。

見た目通り、老獪で人間くさい御仁のようだ。

だからサーシャは思い切り直球を投げ込んでみることにした。


「時に、ジェニファ・ロダン。」


「…なんでございましょう?」


彼は待ってましたとばかりに顔を上げた。


「ルンの自治政府は、今後に街を自力で守れる力はあるのですか?」


彼女のその聞き方は、何やら思惑がありそうな物言いだった。

するとそのおじいさん、跪いたまま顔だけをサーシャに向け、大声で一言だけ言い放つ。


「無理でございますな。」


あまりに堂々と悪ぶれもなく。…それには皆が目を丸くする。


「…それは困ったこと。貴殿にはここルンの民の命と財産を預かる責任があるはず。どうするのですか?」


「サーシャ枢機卿。恥ずかしながら我がルンは何事も経済を優先して来た街。ゆえに戦争の備えなどありませね。」


「その言葉は領主でありながら国防というこの時勢には外せない大事な事柄を疎かにしてきた貴殿の責任を問われますよ?」


「疎かにしてきた訳ではござりませんのじゃ。我らはそれを今回攻め込んできたロハンに依存していたのです。さてはて、こんな事態は想定しておらず困り果てておりまたが…実は先ほど妙案が浮かびましてな。」


ジェニファ・ロダンは、そう話すと視線をゆっくりとアルバに向けた。

アルバはいきなりこっちに話が振られたのかと目を丸くする。だがその老人は何も気にせず言葉を続けた。


「アルバ閣下は、一人で5,000の兵を下がらせたほどの豪傑。そしてその閣下とともにここルンを守ったのは枢機卿に率いられた修道兵たち。その名は伝説として周辺諸国に知れ渡りましょう。何しろ追い返したのがあの勇猛果敢なロハン兵なのですから。」


「そのことに異論はありません。ですが、それはそれとして貴殿の妙案とは?」


サーシャが静かに尋ねる。するとジェニファ・ロダンはニヤッと笑みを浮かべ、ぎょろりと彼女に目をくれた。


「この街をごっそりサーシャ枢機卿とアルバ閣下にお譲り申したい。」


「な、なんと!?」


これには、サーシャよりルン修道院女長セドリーヌが悲鳴にも似た大きな声をあげた。


「ジェニファ・ロダン様!枢機卿の御前で戯れがすぎます!お控えください!」


「戯れなどめっそうもない。今すぐルンの安全保障を担保しようとするならば、それしか道がございませぬ。」


その男はそう話すと、一度大きな咳払いをして言葉を続けた。


「人の口に戸を建てらぬゆえ、この戦争の噂はすぐに近隣諸国に広まる。体裁はルンがあの勇猛果敢なロハン軍を撃退した事となるが、その実は教団とそれを率いたサーシャ枢機卿と聖騎士殿が街を守ったととすぐに明るみに出る。もし枢機卿とアルバ閣下が街を出れば、周辺の敵や無法者が群がるようにここルンに襲いかかってくるでしょう。何せ、街を守る正門は破壊され、街中もしばらくは安定しないのは事実なのですからな。」


ジェニファ・ロダンの言葉は実に的を得てるモノであった。彼の言葉には皆が一様に「それは確かに…。」と頷くしかない。その様子を見た彼は、得意げに話を続けた。


「ですが、ここルンが世界的権威”教団”の直轄地となればどうか。例え、枢機卿とアルバ閣下がこの地にいようがいまいが誰も手が出せませぬ。何しろ今回の戦いで教団と聖騎士殿の強さは皆が知るところになったのだから。これほどの抑止力が他にありますでしょうか?」


その言葉に、すかさずセドリーヌが口を挟んだ。


「ですが…サーシャ様のご一族カスティリャ家が率いる教団は、そもそも政治に介入する事はございません。直轄地も聖地だけと決まりがございます。それはこの世の理、あなた様とてご存知でしょう?」


「建前はそうですが、実情は違う。教団は世界各国の国々に恐ろしいほどの影響力を持っている。この世界の人々の9割以上が信者で、修道士の数も1,000万を超えている。そして”聖騎士”という最強の軍事力もお持ちだ。例え政治に介入してないと申しても、各国の王が影響を受けない筈がない。それにここルンは、サーシャ様の祖先であられるファティ大司祭が初めて布教活動を始めた地。元は直轄地だったという土地柄を考えれば、世が乱れたこの時に再び直轄地に戻ってもおかしくはない…そうは思いませぬか?」


知識に基づいたごもっともな意見に誰も言葉を返さなかった。

だがサーシャは一人、( 本当によくご存知だこと…。 )なんて呆れながら頷くと、やがてゆっくりと口を開く。


「ジェニファ・ロダン、話はよく分かりました。」


その声は何かを決断したような声に聞こえ、皆が彼女の方に一斉に目を向ける。

と、サーシャはゆっくりと大理石の椅子から立ち上がり、畏るジェニファ・ロダンの問いに静かに答えはじめた。


「貴殿の話はごもっともなれど、セドリーヌが申した通り、教団は政治介入はいたしません。例え実情が伴っていなくとも、それはファティ大司祭が創りし理ゆえです。それに教団に街の安全保障を担保しようなどと虫が良すぎるというもの。我ら教団は弱き民のためなら動きますが、国や街を治める権力者の為には動きません。」


「…ですが枢機卿。戦争になれば一番苦しむのは弱きルンの民ではございませぬか?」


ジェニファ・ロダンがニヤリとして尋ねると彼女は静かに手を掲げ、壇上に飾られた大きな教団旗を指差した。


「この旗と聖騎士の紋章を正門に掲げる許可を出します。それで当分の間は凌げるはずです。その間に、貴殿は国防とはなんたるかを考え直すのです。」


それはこの街に、教団の司祭以上の者と聖騎士が滞在している事を示す旗だ。確かにこれを掲げてあれば、おいそれと攻めてくる馬鹿はほぼいなくなる。

だがジェニファ・ロダンは、思惑を残したような声で「ありがとうございます。」と、うやうやしく畏まりながらも更に言葉を続けた。


「されど、教団が駄目というなら、アルバ閣下に治めていただくというのはどうでしょう?確かお隣のサイの国では、聖騎士が治める土地があると聞き及んでおりまする。」


「…よくもまぁ、そのような事までご存知ですね。」


サーシャは呆れたように洩らした。確かに、とある事情でサイ国には聖騎士が支配する土地がある。

だがサーシャはその事よりも、なぜこれほどまでにジェニファ・ロダンが自分たちに支配権を譲渡したがるかが気にかかった。損得勘定からすれば大損もいいとこだ。

彼女がジェニファ・ロダンの意図を探るように見定めていると、その男は生気あふれる目で見返しながら、静かに話を続ける。


「これでも商売のルートは世界中に張り巡らせてあるゆえ、情報はそれなりに持っております。…どうでしょう?ここルンは世界でも有数の経済の街。アルバ閣下にとられましても悪い話ではないと思いますが。」


「貴殿の話を伺っていると、無理やりにでもルンの支配権を捨てようとしているように聞こえますね…。」


「ふふっ…サーシャ枢機卿は、この爺の言葉に何か裏があるとでもお考えですかな?」


ジェニファ・ロダンがそう苦笑いを浮かべサーシャを見上げると、彼女は頭を擡げ目を瞑った。そしてしばしの間、瞑想するように動かない。

…その姿、本当に女神像そっくりだ。

そしてその様子はこの神のごとき御仁が必死に何かを考えているように見受けられた。

アルバはそれを見て、彼女が神ではないことを再確認する。…神ならばどんな難問にもすぐに答えが出せるはずだから。それがなんだか嬉しかった。

皆が一様に女神の言葉を待っていると、やがて彼女は静かに目を開き、ブラウンの大きな瞳でジェニファ・ロダンを見つめながらゆっくりと口を開く。


「ジェニファ・ロダン、我が騎士様を軽くみられては困ります。」


彼女は毅然とした態度でそう言い放った。

これには、アルバが目を丸くする。むしろ、逆です!と言いたかった。田舎の物売りが領主になるなんて悪い冗談だと思ったのに、サーシャはそれでも不服と言わんばかりだったからだ。このお姉さんの自分への買いかぶりは異常だって思った。

そしてジェニファ・ロダンもサーシャの言葉に同じく目を丸くしたようだ。


「…それは、アルバ閣下ほどの聖騎士になると、ルンだけでは不服だと?」


「どうとって貰っても構いません。」


「ふむ…。困ったのぉ…。」


そのお爺さん、長い顎髭をさすりながら思いっきり顔を顰めた。とはいえ、あいも変わらずどこか大袈裟げで演技っぽい…アルバにはそれが年末にやってくる芝居ものの役者のようにさえ思えてきた。

そしてそのお爺さんのわざとらしいお芝居はいよいよ佳境に入ったようだ。

やがて、彼は何かを思いついたように手をポンって叩く。


「では、ご一緒にロハンも手に入れてしまえばいかがでしょう?」


もうアルバは開いた口が塞がらなかった。

もちろん皆も驚愕していたが、その暴言ともとれる物言いに一人サーシャだけは、「ロハン…ですか。」と静かに溢しただけだった。

セドリーヌもアルバも先ほどからの事を鑑みて、( この二人だけは同レベルで話している。 )って、この時に初めて気づいたものだ。

そしてサーシャのその意外な態度…皆はよくわからなかったが彼女にとって理由は簡単だ。先日そのロハン将軍セザールという男も「ロハンを頼む」とアルバに託していたからだ。…何か、偶然には思えない。まるで何かに導かれるように、その”ロハン”と云う名がやけに出てくる。今思えば副将軍のスカラもセザールと同じ思いのように感じた。

すると考え込んだサーシャを見て、ジェニファ・ロダンは少し声を大きくしてその必要性を説いた。


「ロハンは砂漠の街なれど、地理的に全ての道が通ずる重要な物流の拠点です。しかも兵士は屈強で忠誠心も高く、民は忍耐強く技術力もずば抜けている。そこに経済力と資源豊かなルンを一つにすれば、サーシャ枢機卿の故郷エディアや大国フィルファにも劣らぬ一大拠点となると思いますがな…。さすれば滅んだザグレア復活の糸口にもなるのではないかと。」


その言葉には、すっかり呆れていたセドリーヌが最もな異を唱えた。


「ジェニファ・ロダン様…それは流石に夢物語です…だいたい教団は無益な戦いはいたしません。それに我々教団がロハンに攻め込む理由がありません。」


「何を言われる。被害が少なかったとはいえ、ロハンはここルンに攻め込み、街を破壊し、人命を奪った事は事実。教団は対外的に国同士の戦争を禁止している。まぁ、今回は街どうしとはいえ、騒ぎを起こしたロハンに罰を与えるという理屈なら誰も口を挟まないと思いますがの。だいたい、ロハンはここルン修道院も狙ったのですから。それにロハンは今は敗戦で戦どころではありますまい。攻め時でございまする。」


彼がその言葉を口にした時、サーシャはクスって笑うと、やがて静かに椅子に腰を下ろし、口を開く。このお爺さんの魂胆がようやく読み取れたからだ。


「貴殿の話は、よもや話としては中々面白かったですわ。」


そう相手の出方を誘うような言葉を続けた。


「枢機卿は、儂の話をよもや話と言わっしゃるか?」


「…違うのですか?」


今度は彼女が態とらしく肩を竦めてそう問うと、そのお爺さんは小さく微笑む。


「サーシャ枢機卿。では…賭けますかな?」


「賭ける…とは?」


「アルバ様がロハンの領主になるか…否か。で、ございます。」


ジェニファ・ロダンは目を妖しく光らせてサーシャを見上げた。


「面白いですね…良いでしょう。で、何を賭けるのです?」


「もし、サーシャ枢機卿が勝ったなら、儂は修道士になってこの修道院を一生掃除いたしまする。」


「ふふっ、なるほど。…で?貴殿が勝ったら?」


「サーシャ枢機卿のお時間を1時間だけいただきたい。」


なんだか急に彼の顔が温和になったのだけど、これにはアルバが飛び上がった。とっても凄く嫌な予感がしたからだ。( 彼女はなんて応えるのだろう…。 )なんて恐る恐る横に座るサーシャを見たのだけど、彼女は特に驚きもせず澄ました横顔で静かに答える。


「まぁ…。それで宜しいのですか?貴殿にかなり損な賭けとお見受けしますが?」


「損などと、とんでもない。何しろサーシャ枢機卿を1時間も口説けるのですからな。」


「ふふっ、なるほど。そう云う魂胆でしたか。…では、その賭けとやらは心に留めておきましょう。」


サーシャはそう応えると、白ローブの裾をちょこんと持ちながらゆっくりと立ち上がった。皆が一斉に頭深く畏る。


「ジェニファ・ロダン、中々に楽しいお時間でしたわ。御機嫌よう。…騎士様、お部屋に戻りましょう。」


「は、はい。」


アルバは大慌てでそんなサーシャに続くように静かに立ち上がったものだ。





アルバがサーシャとともに修道院の西にある旧宿舎に用意された彼の部屋に戻ると、すぐにセドリーヌが部屋に飛び込んできた。


「サーシャ様。ここルン領主の先ほどのご無礼、何卒お許しくださいませ。」


女長は長い黒髪を揺らし、そう言って2人の前で畏まった。

アルバは何故、あのジェニファ・ロダンの代わりにセドリーヌが頭を下げにきたのか理解できなかったが、後に聞いた話によると、セドリーヌのような大きな教会の責任者は、街単位や国単位でそこの支配者である領主や王を監視・監督する役目があると云う。

ちなみに国単位で王を監視する役目は”司祭”と呼ばれる教団の支配層がその役目を担っていて、赤いローブを羽織った彼らは大地に13人しかいない。ちなみにサーシャは、最高位司祭なのでその赤ローブの司祭とは別格らしいけど…。


「セドリーヌ、構いませんよ。面白い御仁だったではありませんか。」


そのサーシャが微笑みながらそう応えると、セドリーヌは「ありがとうございます。」と深く頭を下げて、今後の事について話し始める。


「サーシャ様。教団と聖騎士様の旗は街に貸し出すとして…今後はどのようにジェニファ・ロダン様に対応いたしましょうか?」


「そうですね。あの御仁はとても頭が良く油断ならぬ所もありますが…今の所は私たちにどうこうはないと思います。しばし静観していましょう。」


サーシャがそう話すとその女長は小さくため息を洩らした。


「承知いたしました。…しかし、ルンを譲るとか、ロハンへ攻め込むとかの話をふってきた時は、正直驚きました…。前からそうなのですがあの御方はいつも突拍子もないことを口にされるのです。」


よほどいろんな事があったのだろう。四角いメガネの縁をせかせかとあげて、口を尖らせているその様子からは、半分はこれまで積み上がっていた彼女の愚痴だという事が伺える。だがサーシャは嫌な顔ひとつしないで彼女の言葉に笑みを洩らした。


「ふふっ。ジェニファ・ロダンは思いつきであのような事を言ったのではありませんよ。彼は彼なりに、ここルンを守る方法を考え、未来の道筋も立てておいでだったのでしょう。」


「…それはどのような事なのですか?」


「あの御仁は、元は国の財務を管理していた責任者。当然、商売に明るく街を潤す事には長けています。ですが、ここ旧ザグレアの不安定な土地を安定に導く”力”はありません。」


「それは…治安を良くする…という様な意味合いでしょうか?」


「そればかりではありませんが…彼はきっとこの地域にどっしりと構える重りのような者が必要だとお考えなのでしょう。普通はそのお役目は”王”なのですが、ここザグレアは50年前に王の一族を失っております。」


「ま、まさかジェニファ・ロダン殿はアルバ様を王になさりたいのですか?」


「ふふっ。流石にあのおじいさんも、そこまではまだ考えていないと思いますよ。ただ、この地域をいち早く安定させるには、稀有な力を宿した私の騎士様がいいと思ったのでしょう。直接的な”力”と云うのは、一番わかりやすいものですからね。」


サーシャがチラッとアルバを見ながら、そんな事を口にした。もちろん彼は首を小刻みに振って全力でその事を否定する。

するとセドリーヌもアルバに静かに目をやって、やがて大きなため息を落とした。


「なるほど…そう云う事でございましたか…。」


そこまで読んだサーシャに、彼女は心底感心した様子だった。


「あのお爺さんはお爺さんなりに、この地域に住む民のことをお考えなのです。私たち教団にロハンへ攻め込めと話したのもその一つ。かの地は戦争好きで知られる領主が治めています。おじいさんはこのままロハンを放っておけば再びここルンに攻め込んでくると思ったのかもしれません。…ですから先に教団に攻め込んでもらい、後顧の憂いを絶って起きたかったのでしょう。」


「…私は何も見えていなかったのですね。ただの破廉恥な老人が世迷言を申しているだけかと…自分の無知が恥ずかしく思えます。」


「ふふっ、セドリーヌの心はまっすぐ。それで良いのです。ですが確かに破廉恥なお爺さんでしたね。」


サーシャが口に手を添えて笑うと、セドリーヌはそれこそ目を見開いて言葉に怒りを込めた。


「まったくでございます。我らがサーシャ枢機卿に向かって、夜這いをするとか口説くとか…失礼にもほどがあります。断じて許す事ができません!明日にでも執政官宿舎に抗議文を叩きつけてやります!」


「セドリーヌは真面目ですね。そのような事はしなくても大丈夫ですよ。」


「しかし…。」


セドリーヌは畏まりながらも上半身を前のめりで訴える。教団の女神と称されるサーシャを侮辱された事だけは相当頭に来ていたようだ。だがサーシャ本人はあのお爺さんの魂胆が分かっていたのか、嗜めるように彼女に語りかけた。


「あのお爺さんが、夜這いなどと云う暴言を吐いたのは、私に名前を覚えて貰う為の狂言です。流石の私でも、目の前で夜這いしたいとはっきり言われたのは初めてですので、忘れたくても忘れませんわ。それに彼が私を口説くと言ったのは、私個人ではなく教団と誼を結びたいが為の時間をくれと言ってきたのです。恐らく私と顔を合わせ、知り合えたこの機会に教団との結びつきを強くしたかったのでしょう。だから彼は1時間と時間を明言されたのです。もし私を口説きベッドに押し倒したいのではあれば、とてもそんな時間では無理ですわ。ね、本当に食えぬ御仁でございましょう?」


「そ、そんな…。」


セドリーヌは又しても目を丸くして驚く。ますます自分の浅はかさが嫌になった。


「ふふっ…だいたい本当に私の寝所に忍び込む気なら、自分からは絶対に口に出しませんでしょ?それに私はいつでも騎士様に守られています。あのお爺さんはその事全てを知った上で、あのような事を言ったのです。」


「…サーシャ様にも、ジェニファ・ロダン様にも頭が上がりません。」


もうね、セドリーヌは全てことに脱力して、自分の交渉力と政治力の無さに呆れ、深く頭を下げるしかなかった。









「騎士様、毛糸を買いに行きたいのですがお付き合い願えますか?」


サーシャがそう問いかけてきたのは、ジェニファ・ロダンとの謁見なるものが終わった数時間後だった。2人は部屋に戻り、サーシャは彼のカーディガンを作る準備をしていて、アルバは旅支度をしている最中だった。


「は、はい。ですが、夜になる前にここを出ないといけませんけど…間に合いますかね?」


アルバがチラッと窓の外を見ながら心配そうにそう尋ねる。

何しろ2人は今日中にお隣の国フィルファのダダという街で、サカテという槍使いと落ち合う約束がある。この街から徒歩で向かうと結構な時間がかかるのだ。


「ふふっ、馬で行けばダダならここから数時間でつきますわ。それにサカテさんとは宿で落ち合うのです。極論すれば、明日の朝までに宿に入っていれば大丈夫です。」


「そうでした。馬で行くんでしたね…。」


アルバがその事を思い出しながらバツが悪そうに頭を掻くと、サーシャは何度か頷きながら足元に置いてあった大きな布袋の中から、いくつかの服を取り出した。


「エマに用意してもらいました。これを着て行きましょう。」


サーシャはそう言いながらソファの上に、白いシャツにセーターそして茶色のジーンズとカーキの厚手のマントを手際よく広げていく。云々、それはルンで裕福な方達がよく着ていらっしゃるお洋服だ。


「えっ?これを着るのですか?俺が?」


もうね、おっかなびっくりで、その服を見た。


「はい。ここルンで若者に人気の服らしいですよ。私も今日は髪を帽子に隠して、白いコートで行きますから。」


何やらサーシャはとても楽しそうだったけど、アルバは思い切り腰が引けた。貧乏暇なし物売り稼業が長い自分には、こんなご大層な服はどう見ても身分不相応だ。


「こ、こんな立派な服…俺に似合いますかね…。いつもの格好の方が…。」


「とてもお似合いになると思いますよ。それに貴方はもうここルンでは英雄です。今朝の新聞ではアルバの姿を絵に描いたものが出回っているらしいですから、銀の鎧に黒い大剣を背負ってお出かけになられたら、民にもみくちゃにされてしまいます。」


「…そ、そうなんですか?」 それはまた大ごとだ…。


「はい。ですから着替えましょう。お手伝いしますわ。」


サーシャはそう言いながらにっこり微笑むと、アルバの背中に回りこみ銀鎧の金具を優しく外す。この鎧は頑丈なのに凄く軽いから細腕の彼女でも悠々と持てるのだけど、彼女ははな歌を口ずさみながら鎧を脱がせてくれただけでなく、シャツまで羽織らせてくれ挙句ボタンまで留めてくれる。…なんだか子供のようにお世話して貰っているようで心がこそばゆい。


「あ、あの…サーシャ。自分で出来るから…。」


「ふふっ。これは私のお役目なのです。気になさらないで。」


サーシャはそう言いながら、シャツのシワを丁寧に手で優しく伸ばしてくれる。

…いくら呑気な自分でもね、さすがにそんな彼女を見れば頭が少し混乱するってものだ。

( お役目って…なんだよ…。 )って驚愕。

何せ彼女はここ大都市ルンの領主様でさえ、跪くほどのお偉い人。というか、そのルンの領主様は、彼女と話せる僅かな時間を賭けに使うほどありがたがっていた。

そんな彼女が田舎の物売りである自分の着替えを手伝うのがお役目?…いやいや、ないでしょうって首を振った。

だけど彼女はとても嬉しそうな笑みを浮かべながら、アルバの肩の上にマントを羽織らせ、カーキ色をしたマントの留め具の具合を確かめている。

楽しそうに微笑むサーシャ…そんな彼女を見てふと思った。

彼女はこれまでに、どれほど自分に心を砕いてくれたのかと…。

そして、自分は彼女の貴重な時間をかなり独り占めしているっつう事に気付く。


いいんだろうか…


って、流石にとっても申し訳ない気分になった。

何しろこの修道院に来てからというもの、みんなサーシャを見れるだけで喜んでいて、話せるとなると感動して涙を流す者もいた。

そして彼女に畏る人々を見て、サーシャが本物の偉い人だって実感できてしまうし…。

そう、ここ修道院に来てからというもの、アルバはサーシャの存在そのものの凄さを目の当たりにしてしまったのだ。

とはいえ、彼女と一緒にいる時間は楽しい。それに大好きな気持ちはこれっぽっちも変わらない。

…離れたくはない。

だから、自分は何も口を開かず、静かに彼女に従って甘えていた。

本当はここは自分がいるべき場所じゃないって分かっている。

きっと…ここにいるべき人は、彼女の本物の騎士である師匠さんだ。

だけど思う。


彼女が自分に優しくしてくれる理由。

師匠さんのこと。


…それらを明らかにしたら、自分はサーシャの側にいられなくなるんじゃないかって…漠然と思った。そしてそこにはとんでもない秘密が隠されていて…もしかしたら自分がえらく酷い目にあうのではないか…って。

何しろ彼女だって相当な権力者だ。自分なんて簡単に踏み潰せちゃうほどの…。

だけどそれでは、彼女を信じないって事になる。

それは…嫌だって思った。

だからズルイな…って、自分で自分に言い聞かせながらも、この幸せな日々を失いたくなかったから、口を必死に噤んでいたのだ。

だけどね…


「ふふっ、今日はアルバと初めてのデートです。楽しみですね。」


思い悩む自分に彼女はとんでもない爆弾発言をかまして、優しく微笑んだのだった。







白いニット帽を被って、淡いピンクのマフラーを巻き、白いポンチョのようなコートを着たサーシャ。

その姿は、先ほどアルバが思い描いた悪しき疑念が一瞬で吹き飛ぶほど可愛らしく、無垢で、可憐だった。

( …もう、この人は…。 )

顔を林檎のように真っ赤に染めながらその横顔をチラ見すると、彼女は白い吐息を漏らしながら地図に見入っている。

季節は真冬、戦争が終わったばかりという事もあってルンはどこか色が褪せていてどんよりした空気が淀んでいるようなんだけど、彼女の天使のようなそのお姿はひときわ輝いていて、まさに注目の的。普通ね、こんな時勢にそんな格好で出歩いたら、勘違いしてるイタい子になっちゃうんだけど、サーシャはそれを微塵も感じさせないほどの美しく清廉な光が本人から眩いほどのあふれてしまっている。


「この先の角を曲がって少し行けば、生糸屋さんがあるみたいです。」


サーシャはエマに用意してもらった地図を片手に、そう言って笑みを浮かべる。

輪をかけるようなその溢れる笑みは、僕にとっては本当に反則で、ただひたすら目を動かさないでじっーって凝視してしまう他なかった。

しかも彼女のもう一方の手は僕の右腕に添えられていて、もうね、嬉しいのだけど恥ずかしくて、照れ臭くて気が気じゃなかった。

何しろ、白ローブを着ていなくても、黄金色の髪をニットに隠していても、彼女の美しさはダダ漏れ。

今、2人が歩いているのは午後の明るい日差しに照らされた人通りの多い中央街の道。

兵たちによる街道整備や破壊された建物の修繕が行われていて、そして商売人たちは棚の整理や店の建て直しをしながらもこんな時を商機と捉え、店を構える者も多く、掘っ建て小屋のような臨時店舗を所狭しと出店させ、そしてそれに群がるように食料品や日用品を競って買い求める一般の民でごった返していた。

ところが普通なら自分のことで精一杯である筈の彼らも、サーシャと僕が通りかかると一斉に視線を向けてくる。

つーか、サーシャ1人にだけど…。

だけど、サーシャはまるで恋人と歩いているようにニコニコと自分に話しかけ、腕まで組んでくる。だから自然とアルバにも視線が向けられる。しかも結構、鋭いやつ…。


なんで、あんな貧相なガキが…


もちろんそんな声など飛んでこないのだけど、臆病なアルバは周りからそう見られているって思い込んだ。云々、自分が逆の立場なら、そう思うもの。

いくら立派な服を着ていても、腰に聖剣ガリネウスを帯びていても、体から滲み出ている自信の無さは見えてしまうもの。顔は俯きで姿勢は猫背。挙句あからさまにサーシャに気後れしている態度の数々…。


( 変なのに、絡まれたくないなぁ…。 )


苦笑いを浮かべながらそう思った。

湖まで真っ二つにしちゃうジル先生との修行のお陰で、今や有名な将軍様にも一騎打ちで勝利しちゃうほど腕をあげたけど、平和主義で何事も丸く納めたがる呑気な性格は変わらない。平たくいうと、人と争いたくないのだ。


「あっ!アルバ!ありましたよ!」


やがてサーシャがお目当のお店を見つけようで、遠くに見える赤い看板を指差しながら、興奮気味にそう叫んだのだった。


エマに紹介されたお店は、明るい木々で組まれた小さな生糸や毛糸の専門ショップだった。店舗自体は戦争の被害を受けなかったのかで無傷で、道までせり出した商品棚には色とりどりの糸が碁盤の目のように仕切られた四角いスペースに、種類別に整頓され並べられていた。


「まぁ…これだけ種類があると迷いますね…。」


サーシャは前屈みになりながら、ぷるっとした唇に人差し指を添えて、棚に並べられた毛糸の玉を真剣な眼差しで見定めた。確かに棚には青色の糸だけでも微妙な色合いの違いや質感の良さなどで10種類くらいはゆうにある。


「アルバは、どの色がお好きですか?」


ふとサーシャがこちらに顔を向け、尋ねてきた。


「えっ?ああ…どちらかといえば地味な色の方が…。」


「ふふっ…、では、この深みのある藍色なんていかがかしら?」


彼女は濃紺の毛糸を指差す。確かにこの色なら地味だし目立たない…アルバは大きく頷いた。


「そ、そうですね。そのくらいの色なら…。」


「アハッ、わかりました。」


サーシャはにっこりと微笑むと、その濃紺の毛糸玉を手に取った。


「在庫がどれほどあるか聞いてまいります。アルバは、外のベンチで待っていてくださいね。」


「う、うん。」


そう小さく返事を返すと、彼女は小走りで店の奥へと進んでいった。

間口は狭いが奥行きは結構ある店の通路をゆくサーシャの後ろ姿を暫く見ていたが、やがて僕はゆっくりと出口に向かい、店の前に置いてあった小さなベンチに腰掛けた。

その厚手のベニアで組まれたベンチは、座るとミシミシと音をあげるほど頼りないんだけど、なぜかホッとして( ふう…。 )って、一度深いため息を落とし心を落ち着かせる。…やはり明るいうちからサーシャと二人で出歩くのはいろんな意味で緊張する…なんて思っている時だった。ふとそのベンチの反対側の端に人の気配がした。


「こんにちは。今日も寒いですね。」


落ち着いた、静かな声だった。

僕が驚いて顔を向けると、赤茶の髪を綺麗に後ろに流したオールバックが印象的な男が、背筋をピンと伸ばした堅苦しい出で立ちでこちらを無表情に見ている。

グレーのコートを上品に着込み、大きな鳥の羽で作られた団扇のようなものをゆらゆらと揺らしているその趣は、線は細いがアルバとは真逆の賢そうなお兄さんだった。


「ど、どうも…。」


返事だけを返して視線を外す。…どう見ても自分と話が合いそうもないからなんだけど、その賢そうな男はそんな事をまるで気にせず、そのまま自分に話しかけてきた。


「先ほどのお美しい女性に、お洋服…むしろチョッキでもお作りいただく所存かな?」


「はっ?」


僕は訝しんで思わず顔を向けた。いやいや正解なんだけど、なんでこのお兄さんはそんな事まで分かったんだろうか…って驚いたのだ。するとそのオールバックのお兄さん、僕が自分の話に興味を向けたことが分かったのか、「正解ですかな?」って、若干上目線で聞いてくる。目を細め、少し訝しむような顔のまま頷くと、その男は畳み掛けるように話を続けた。


「彼女の服装やアクセサリーを見るにつけ、裕福な生まれである事は必然。しかもあの趣に佇まい、身のこなしを見てもかなりの上流階級であることが窺い知れる。特に白く輝くような靴に上等な絹で作られたスカーフなど服飾品も見事。目につく洋服や帽子だけでなく服飾品までに気を使えるのは真の金持ちだけです。だが、そんな彼女がわざわざ生糸を扱う店に足を運び、君に色を選ばせ、在庫を確認している。一方の君は、腰に見事な聖剣を帯びていて、一見頼りなさげだが体幹は鍛えられ、隙がない。普段の君は彼女の護衛や用心棒の類かと思われるが、彼女は君に相当に特別な感情を抱いていて、数個ある毛糸の球があるのに在庫を確認しに言ったということは、マフラーなどの小物ではなく恐らく君が普段着ている鎧か何かの下に着込むチョッキやセーターの類を作り、プレゼントしようとしている…なんて思ったものですから。」


「は、はぁ…。」


呆気にとられた僕は、目を丸くして小さく頷くしかなかった。

特別な感情とか…いくつか修正箇所はあるとはいえ、大筋はほぼあっている。


「あんなに美しく清廉な女性に愛されているとは、羨ましい限りです。ですがお二人は知り合って時があまり経っていないようですね。」


男は羽で作られた団扇のようなものをヒラヒラさせながらニンマリと笑顔を見せた。


「愛されているかどうかは別にして、確かにまだ1週間くらい…です。」


「それは、それは…。物事は全て最初が肝心です。今が気張りどこですね。」


「は、はぁ…。」


僕は師匠やら彼女の正体やらを説明するのが面倒になって、とりあえずそう洩らした。するとその男は自分から視線を外し、ゆっくりと腕を組んで空を見上げた。


「今日はいいお天気です。昨日ここで戦争が行われていたなんて思えないほど、長閑ですね。」


「…そうですね。」


「ところで君は、この街を救ったとされるアルバという聖騎士の事をご存知ですかな?」


心の臓が飛び上がった。

そしてますます相手を訝しむ。

それは僭越ながら自分の事に間違いがないんだけど、この男の魂胆や正体が分からない以上、素直にそれは自分です!と白状することは憚られる。

この男が聡い事はこれまでの話の内容で間違いないのだから、こんな話を振って来た以上、何か魂胆があるのではと疑わざるを得ない。

寧ろこの人、俺がアルバだって知っていて話しかけてきたんじゃ…。

と、なるとなんだか嫌な予感はするし、面倒なことに巻き込まれるんじゃって想像してしまうと言うものだ。

それにね。

そもそも自分は聖騎士なんていう立派なもんじゃない…そう思った僕は、すっとぼける道を選んだ。


「噂くらいは…一応。」


「ハハッ。さすがに知ってますよね。何しろ今朝の新聞にも載ってましたから、その事をここルンの街で知らぬは童くらいのものです。…ところで、その新聞によるとその聖騎士さん、ルンの領主であるジェニファ・ロダンから街の支配権を譲渡すると言われたのに、断ったとか。」


「み、みたいですね…。」


そう応えると、その男は一度小さく笑みを浮かべて、視線を向けてきた。


「ここルンは、資源が豊富で世界的にも裕福な街。アルバという聖騎士は、なぜ断ったのでしょうかね…。」


まぁ断ったのは自分ではなくサーシャだったけど、万一自分に話が振られたって、絶対に断っていた。昨日まで田舎の物売りだった男が、急に世界的に有名な街の領主になるなんて、あまりに浮世離れしていてありえないって思いもあるけど、自分にはもう一つ確固とした理由がある。


「聞いた話によると、その聖騎士さんは、女神様を守るのに精一杯らしいですよ。とても他の事にまで気が回らないみたいで。」


その男に対抗するように、にっこりと微笑んでそう言い切ってみた。

まぁそれは本心で、彼女以上の厄介ごとを背負いたくないって思いも自分の中で見え隠れしているのも本当だ。するとそのオールバックの男は、大きく頷いて手を叩く。


「おおっ、そういえばその聖騎士は教団の女神サーシャ枢機卿の騎士だと新聞に書いてありました。」


「ですから、街の領主になる事は諦めたんじゃないですか?ほら、そんな立派な女神さんを守っているのだから、無理したくなくて。」


「なるほど…。ですが、そうするとおかしいですね…。確か枢機卿は、自らの騎士にルン修道院を守ってとお願いし、現実そうなった。」


「…まぁ、その…その事だけは、サーシャすうききょうって人に、強くお願いされたからじゃないですか?」


僕が口ごもりながらそう話すと、その男は鼻筋に指を添えて鋭い視線を向けてきた。


「と言う事は、その聖騎士はサーシャ枢機卿に『ルンの街を守って。』とお願いされたら、守れるのではないですか?そして領主になる事も了承するのでは?」


「えっ?あ、いえ…。む、無理です…いや、無理だと思います。」


大きく首を振りながら、しどろもどろに答えると、その男は急にクスクスと笑いだし、体を大きく屈めてしまった。…賢そうな男が、必死に笑いを堪えているその様子は、とっても滑稽で…不気味だ。

ジルもそうだったのだけど、こういう頭の良さそうな知識人に自分はいつも笑われるような気がする。

この” 自分はなんでも知ってまーす! ”って態度は鼻につくけど、意外にもこの男からはそれほど嫌なイメージは浮かばなかった。

ただ、嘘はつき通さないと意味がない。とりあえず頭を掻きながら、相手の心の中を伺うようにその男の顔を覗き込んだ。


「あ、あの…。なんか俺…変でしたか?」


「いや…ハハッ…失礼した。君のような男に久しぶりに会ったので、つい懐かしくてね。」


その男はそう話すと、笑みを漏らしながらも再び姿勢を正し、視線をゆっくりとこちらに向き直した。


「偶には人の言う事を聞いて、違う街に来てみるものですね。いやぁ、いい機会を得ました。感謝しますよ、アルバくん。」


いきなり名前を言われ、「げっ!?」 って、思わず声が漏れた。先ほどからの言動により薄々は感じていたけど、やはりこの男は最初から自分の事を知っていたようだ。

だが、そのオールバックのお兄さんは特にその事について怒ったり弾弓する事もなく、全く違う話題で自分を驚かしてきた。


「ところで話は変わりますが…君とあの綺麗な彼女さん、ずっと後をつけられている事はお分かりですか?」


「えっ?そうなのですか?」


それは驚きだった。なぜなら、ジルとの修行の成果で自分に向けられた殺気はすぐに分かる。どういうことだろうか…。


「まぁ、君の彼女さんはあの美貌ですから、この街の人々から様々な欲望を向けられるのは致し方ないと思います。ですが中央通りを過ぎたあたりから数人が君たちのあとをずっとつけてましてね。」


「そうなんですか…。」


「ん?あまり驚かれないんですね…。」


「いえ…またか…と思ったので。」


「また…とは?」


「前に彼女を狙った盗賊に絡まれたことがあったんです。その後もいろんな事に巻き込まれ何度死にかけた事が…どうもあの人の近くにいると絡まれる事が多くて困ります。」


「ほう…そんな事が。ですがそうは言いながらも、彼女のそばにいる事を嫌がっているようには見えませんね。」


「ハハッ…。」


笑ってごまかす事にした。勿論その男の言うことは当たってはいるが、その細かい理由はとてもではないが一言では言い表せない。

するとその賢そうな男は、再び彼の頭の中で自分勝手な結論を出したようで、ニコニコしながら何度も頷いている。

勘違いされたな…。

その含みのある笑いを見て、そう直感した。


「言っておきますけど…彼女は俺の恋人とかではないんですよ。」


だからそう予防線を張った。だが、その男の返事は意外だった。


「…出会って一週間なら、普通はそうでしょうな。」


…なんだかその言葉は、ストンと心に落ちた。

そうだ、いや、そうじゃん!って、妙に納得する。相手の女性がすご過ぎて、俗に言う” 普通 ”を忘れていたかもしれない。確かに見ず知らずの男女が知り合って一週間で恋人になるなんて、一目惚れ同士の両思いしかありえない。と、なれば自分が悩んでいるのはなんとも可笑しい事なのかもしれない。まぁ、この際、師匠さんの事は置いておいて。

だけど…だからって、こんな初対面の男に少年の淡い恋心など知られたくはないが。


「こ、この先もないです。」


心が見えないようにきっぱりと言い切った。自分の素直な気持ちとは違うのだけど、そう言えばとりあえずこの時の僕が恥をかく事はない。だが、その聡い男はアルバの気持ちが見えたのか、はたまた最初からお見通しだったのか疑いの眼差しを向けた。


「そうでしょうか?少なくとも私には相思相愛に見えましたよ?」


「馬鹿を言わないでください。…彼女と俺では、どう見てもお姫様と世話係。良くて護衛です。」


「世話係や護衛と腕を組むお姫様がいるとは思えませんが…。」


その男はそうブツブツ言いながら、ゆっくりとベンチから立ち上がった。そして大げさに体を反らすと人差し指を立てて話を続ける。


「さて…人はやっかみや嫉妬を持ち合わせているのが普通です。特に君の場合は、どんなに着飾っていても、パッと見は普通の少年。なのに、世界一の女を従えて歩いているのですから、厄介者の嫉妬を受け、日頃の鬱憤を晴らす捌け口にされるのはある意味仕方がない事です。」


「…貴方は彼女の正体も知っているんですね?」


呆れ気味に顔をしかめ、尋ねる。何せ、世界一の彼女とか言いましたもんね…。

まぁ、この男は自分の事を知っているんだから、本物の有名人であるサーシャを知っているのは至極当然なんだけど、一応そう尋ねてみた。

だけど彼はその質問には答えずそのまま話を前に進めてしまった。


「相手は君が剣を持っている事を考慮して、武器を用意して数人で事に及ぶようです。ですから、今の君たちをつけているのは見張りの一人だけ。さて…君はどうするのですか?」


「どう…とは?」


「今なら彼女と2人で走れば、危険な目に合わず修道院に帰れますって言っているのです。」


彼の提案はごもっともだった。

前だったら簡単にそのご提案を採用し、修道院に駆けている事だろう。

だけどここでふと、ジル先生やセザール将軍の言葉を思い出す。彼らは口を揃えるように、サーシャと共にいるのは修羅の道だとか、化け物が待っているとか言っていた。

そしてどんなに避けようとしても、その運命から決して逃れられないとも…。

つまりだ。

いよいよ逃げないと命が危ないって時でもない限り、この現実から逃れようとしても、争いもいざござも向こうから、どんどん大手を振ってやってくるって事だ。


「…いえ、逃げません。」


声を振り絞ってそう洩す。

いろんな感情がこもった重い言葉になってしまったけど…これはいわゆる窮鼠猫を噛むというやつだ。どうせ逃げられないなら往生際悪くても生き延びるしかない。


「ほう…逃げないんですか。それは自分の腕に相当に自信があるからですかな?」


「冗談はやめてください。俺は、ついこの間まで物売りだったんです。」


「そうは見えませんが?」


「例えそう見えなくても、それが真実なんです。そして彼女と一緒にいるって事も現実で、その事であらゆるトラブルに巻き込まれるのも本当のことです。」


「ハハッ、さすがに彼女の側にいるだけあって真実を捉えていますね。…だが、もし君が本当にただの物売りだというなら、すぐに逃げることを勧めますよ。相手は複数で武器を持っているのですから。…なのに、君は逃げないというのですか?」


「逃げたいです。本当なら…。」


「そうなさい。英雄ぶって、勝てぬ戦いに挑む事は勇気でなく無謀。愚か者のする事です。」


その男がまるで諭すように、話してきた。それは確かにその通りで、特に異論はないのだけど、こちらにもこちらの事情がある。アルバは大きなため息をつくと、仕方なく憎っくきあの男の話をする事にした。


「さっきの彼女、実は恋人がいるんです。多分ですけど…。」


「君ではなくて…ですか?」


「はい。そのお相手…師匠さんっていうんですけど、めちゃくちゃ格好良くて、すごくすごく強いんです。」


「ふむ…。では何故その師匠さんではなく、君が彼女を守っているんですか?」


「その師匠さんは…理由は知らないんですけど、彼女と離れ離れになってしまった様なんです。ですから彼女が師匠さんと逢える日まで、俺が彼女の警護を。」


「ただの物売りである君が、そのお強い師匠さんとやらの代わりをしているという事ですか?なら、それこそ危険を避けて避けて、その男に届けた方がいいのでは?何しろ君にはなんの得もないのですから。」


「時に逃げるのもアリだと思いますが、全ての事から逃げていたら、いつか彼女を守れなくなる…そんな気がしてるんです。」


「ほう…それは、それは。」


何故かそのアルバの答えに、男は満足そうに目を細める。と、急に自分の後ろに迫り来る気配を感じた。慌てて振り向くと、もうね、そこだけなんだかキラキラと輝いている。


「アルバ〜。」


いつもより甘ったるい声。ゆっくりと見上げると、濃紺の毛糸を山の様に抱えたサーシャが嬉しそうに立っていた。どの位かって、腰の辺りから抱えたそれは、頭の先までまるでピラミッドの様に三角に積まれていて、彼女はその先端の横からちょこんと美しい顔を覗かせていたくらいだ。


「こ、こんなに買ったんですか?」


「はい。だって騎士様がお好きな色なのですよ。チョッキの他にも色々と作って差し上げようと思って。」


僕は慌てて立ち上がり、畳んで持ってきた大きな布袋を広げると、彼女が抱えた毛糸をひと玉づつ入れ込み始めた。


「もうすぐ旅に出るのですよ。こんなに持っていくんですか?」


「ふふっ…言われてみれば確かにそうですね。気がつきませんでしたわ。」


困った顔で嬉しそうに微笑むサーシャ…本当に彼女は呑気だ。


「とりあえずは旅の時も俺が持ちます。」


「アハッ、ありがとうございます。でもそれではアルバが大変です。…必要な分だけ持って行き、後は修道院に置かせてもらいます。帰ってきたらすぐに作れる様に。」


彼女がちょこんと首を掲げ、いつもの女神の微笑みを浮かべる。

その反則技にそろそろ慣れてもいい頃なんだけど、困った事に今のところはそうなる予感すらしない。だからその空間から逃れる様に、先ほどの謎のオールバック男へと顔を向けた。サーシャにその男を紹介しようとしたのだ。

だが驚いたことにベンチの反対側は既にもぬけの殻だった。

( はっ!?なんでいないんだ? )

目を丸くしながら少しだけ近くを見渡したのだけど、やっぱり居ない…。

そう、彼はいつの間にやら忽然と姿を消していたのだ。唖然としながら遠くを見渡していると、当然、僕の不思議な行動に興味を示した彼女が顔を覗き込んでくる。


「アルバ、どうしたの?」


「い、いや…。さっきまでベンチで一緒に話していた人が居たんだけど…。」


「まぁ…そうだったのですね。」


「サーシャのことも知ってるみたいだったから紹介しようって思っていたのに…どこに行っちゃったのかな。」


もう一度キョロキョロ見渡したのだけど、やっぱり姿は見えなかった。彼女も僕の真似をする様に辺りを伺って居たのだけど、やがて何か興味を引く物が別に現れたようで、建物と建物の間を通る細い通路を指差しながら、予想外な事を口にした。


「アルバ、あの白い建物の横に修道院の三角屋根が見えますわ。こちらの細い道を行けば大通りを行くより修道院に早く帰れそうですよ。」


「あっ…本当ですね。」


「本来なら何処かでお茶をいただきたいところですが、さすがに戦後だけあってどこのお店も混んでいます。とりあえず一旦は修道院に戻りましょうか?」


彼女にとって謎のオールバック男の事はよほど興味がなかったのか早速話題を変えられ面食らったけど、僕はその提案をのむ事にした。

何しろ、こんなお美しい女性と茶屋に入って、周りの客に数奇な目で見られるのは少々面倒臭い。いつもの様に彼女が教団のローブを羽織り、僕が銀の鎧を着て黒剣を背負っていれば聖者と護衛だなって思われるが、今の2人は私服だ。

なんでこんな小僧が…。

そう思われるのは現実と違いすぎて、とても心外。こういう時だけは彼女と2人きりで行動することがおっくうになる。まぁ、それは偏に僕が彼女と釣り合っていない事が原因だけど。


「ふふっ…こんな細道を行くと、二人で秘密の場所に行くみたいでワクワクしますね。」


自分の横を行くキラキラ輝くような彼女のその言葉は、今の僕にはとっても心が痛かった。




サーシャと入り込んだ裏道は、袋小路の様に複雑だった。

2人が横並びでいっぱいいっぱいの路地は、高い壁に囲まれ先が見えないうえ、T字路や四つ角は無数にあり、現在地の把握が難しい。

確かに何処からでも修道院の屋根は大きく見えるのだけど、もう少しってところで道を形作っている高い壁に邪魔される。

あたりから響き渡るカンカンと金属を打ち付ける音や木を削る鈍いなどから、ここはどうやら職人の工場が集まる地域らしい。鉱山がある場所柄を考えればその複雑な道のつくりは太古の昔から同じなのだろう。

しかもだ。

「あちゃ、この大きな木はさっき見ましたね…。」やら「赤い屋根と煙突もさっきありました!」なんて呑気に言い合う2人は、同じところをぐるぐる回り続け、全く先に進めなかった。時間の無駄も無駄なのだけど、こういう時、呑気と鷹揚が揃うと目的達成が大幅に遅れてしまうって事を認識できた事が唯一の収穫みたいなもんだ。


「アハッ、これでは大通りを行った方が早かったですわね。」


やがてサーシャはクスクス笑って、そんな事を言った。


「急がば回れ…というやつですかね。」


「ちょっと意味が違うと思いますよ。」


そう言って肩をすくめる彼女。

不思議な事に彼女はこれだけ無駄で面倒な想いをしているというのに、一切不機嫌な顔を見せないもんだから、それに甘える形で呑気な僕はこの時間を楽しんだ。

何しろ、ここは人気のない場所。別に彼女によからぬ事をしようとかいう気持ちはないのだけど、やっぱりね、憧れている女性と2人きりというのはなんとも嬉しいし、彼女が誰の目にも晒されないから安心なんて事も理由かもしれない。


「しかし、ここで大通りに戻るのは、悔しいというものです。騎士様はそうは思いませんか?」


「確かに。何か…負けた感じがしますよね。」


「でしょう?ここはひとつ何としても修道院への裏道を発見いたしましょう。」


そんな彼女の気合の入った言葉に、大きく頷く。

色々と違う事だらけの2人だけど、頑固で意外と負けず嫌いなところは似ている様だ。彼女とひとつでも共通点があるのは嬉しいのだけど、そんな2人の性格はゆくゆくの事を考えれば先が思いやられると言えなくもない。

今だって冬だと言うのに彼女の白い肌はほのかに桜色で、ほっぺにはうっすらと汗も見える。きっと、負けず嫌いだから「疲れた」とか「戻ろう」とか言えないのだろう。初めて彼女を見た目以外で可愛いなぁって、素直に思えた。


「なんかいっぱい歩かせちゃって、ごめんね。」


だからとりあえず、そう謝った。すると彼女は、ひらひらと美しい手を揺らす。


「いえいえ、私がこの道へお誘いしたんです。アルバは悪くありません。なんで謝るんですか?」


「きっとね、頼れる男っていうのはこういう時、サクッと道案内できるのかなぁって。そういうのが、男らしいっていうのかなって。」


素直な思いを口にすると、予想どおりサーシャは口に指を添えてクスクス笑った。


「うふっ…。アルバの ” 男らしい “ の定義は面白いわ。」


「じゃ、サーシャの思う…男らしいの定義ってなんですか?」


「えっ…?」


サーシャは目を丸くして、こちらに顔を向けた。やがて…ちょっと意地悪な顔になった。


「それは、私の好きな殿方のタイプをお知りになりたいという事ですか?」


「い、いえ。違いますよ!サーシャみたいな人って、どういう時に男の人を格好いいなぁって思うのかって事です。」


「あはっ。同じ事だと思いますけど…。」


彼女はそう言って笑うと、薄水色の寒空を見渡す様にゆっくりと顔を擡げた。僕が不思議そうに彼女に目を向けると、サーシャは黄金色の髪を隠しているニット帽に左手を添えながら、もう一方の手で僕の左腕を強く抱えて体を寄せ、魅力的なブラウンの瞳で顔を覗き込んできた。


「私の事を、いつもただの女の子にしてくれる人…ですかね。」


…意味が分からなかった。いや、彼女の生まれや生い立ちを想像するに漠然と想像はつくのだけど、自分の質問の問いとしては的外れだし言葉も何故か重く感じられた。

そして頭に浮かぶ嫌なこと…。

それって、師匠さんがそうさせてくれたってこと?

頭の中がうわぁってして、大きなため息が漏れて、顔は下向き、目の前が変な色に微睡む。

しばらくすると彼女は、めまぐるしく表情が変わる僕を見て何かを察したのか、「ふふっ…。」て軽く微笑むと、両腕を僕の左腕に巻きつけて半身で抱きついてくる。そう、いつもの反則技だ。これを20歳の美しすぎるお姉さんにやられると、16歳でほとんどの記憶がぶっ飛んでいる僕では対抗する術を持っていない。そして彼女が神様とか最高位なんちゃらとか、すうききょうとか関係なくなる。


「では、アルバが先ほど聞きたがった私の好きなタイプをお話ししましょうか?」


耳元で囁く彼女の甘い声が吐息とともにくすぐったかった。


「えっ?あ、うん…。」


「ふふっ、私の好きなタイプは、黒髪で、とってもスマートで、すごく優しくて、焼き餅焼きで、すごく強いのに自信無さげで、とても奥手なのに甘えん坊…な人です。」


リップサービスかなんなのか分からないけど、それはどう聞いても今の僕だ。

その言葉を聞いた僕は、空を見上げながら絶対に彼女の方を振り向かないぞって自分に言い聞かせた。彼女は絶対に意地悪な顔をしているもの…。

そして、あからさまなその言葉は、嬉しさとともに小さな疑念を抱かせるには十分だった。それは出会った当初からずっと心の奥底に苦虫の様に引っかかっていること…そう、彼女が僕に優しくし、気を持たせるのには、深い思惑があるのではないかって。前は彼女が実は悪魔で、僕はいつか食べられてしまうのではないかと思っていたこともあるけど、今は彼女が寧ろ神様でとんでもない権力者である事を知ってしまった。


「もう…聞いておいて無視ですか?」


やがて彼女は頬を膨らませながら考え込んでしまった僕の頬に手を添えると、強制的に自分の方へと顔を向かせた。そして彼女の一対の瞳がまた僕を無言にさせる。

彼女の透明感あるブラウンの瞳の奥…そこには何があるのだろうと、考えてしまうのだ。


「…アルバ?」


と、心配そうに問いかけてきた彼女の声色で、ようやく僕は我に返った。


「あっ…はい。ごめんなさい。」


「ぼうってして…。熱でもあるのですか?」


「い、いえ、大丈夫です。」


「ちょっと…じっとしていてください。」


そう言った彼女は、抱きしめていた僕の左腕から体を離し、今度はその何よりも心地いい両腕を僕の首に巻きつけてくる。すぐに彼女が熱を測るという目的で、おでこを合わせてくるって分かった。


「サ、サーシャ。ここは公衆の面前だよ?」


「周りには誰もいません。いえ、別にいても私は構いませんわ。熱を測るだけですから、やましいことなど何もないでしょう?」


「でも周りからは、誤解されます。」


「あはっ、何と誤解されると思ったのですか?」


「えっと…うんと…。」


思わず口ごもった。それは勿論、キスというやつだけど流石にそれをこの清廉なサーシャに言うのはどうにも憚られる。すると彼女は僕の首に回した細く心地よい腕を揺らしながら、悩ましい唇を開く。


「私は誤解されても構いませんよ。」


「えっ?」


「いっそ、しちゃいますか?」


好奇心がいっぱいつまったような彼女の瞳と潤った唇。

そんなものを目の前に晒された状態で放たれた彼女のその暴言に、目が点になる。

見れば彼女の透き通るような白肌はますます桜色に染まっていて、僕はそれが本気なのか冗談なのか判断に迷った。

だけど、その時にできた変な” 間 ”は、すぐに終わりを告げた。

サーシャが「アルバって本当に面白いわ。」なんて意味不明なことを言いながらクスクスと笑い出してしまったからだ。

やがて、僕もつられた。


「あははっ。」


「うふふっ。」


ここが公衆の面前ということも、時間が押し迫っていることも、友との約束も忘れて、2人はただただ笑っていた。

幸せな時間だった。少なくとも僕にとっては。

だけど、これを外野で見ていた人がいるとすれば、かなりイラってくるだろうなとも思った。

嫌な予感がしたーーーー

そして僕の悪い方の予感はよく当たる。

やがてね、いきなりバラバラと足音が聞こえ、4人のやんちゃそうな若い男たちが、まるで立ちはだかる様に2人の前を塞いだのだ。

しかも、とっても柄が悪そうな若者たち。

( そうだった…。 )

思わず自分の物覚えの悪さと軽率さを呪った。謎のオールバック男に、君たちは悪党に後をつけられてると言われたばかりなのに…。勿論、あの男には逃げないと言い切ったが、それはあくまで向こうからやってきた場合のことで、狙われている事を知っているのにわざわざ知らぬ道に迷い込み、挙句迷子になって敵に時間をあげて、こんなお命ちょうだいの場面に出くわすなんて本当に間抜けだ。


「あら、悪人顔が揃いも揃って…私たちに何か御用かしら?」


そして予想された通りのサーシャが不遜なお言葉がその男たちを突き刺した。

彼女は普通の民や敬虔な修道士さんには優しい言葉と女神の微笑みを届けるが、相手が武器を持ち、暴力で物事を解決する輩と見ると、一気に態度を硬化させる。

やがて、雄のニワトリの様にトサカを立て、どうやって付けたのか不思議に思えるほど顔中にピアスをつけた背の高い男が一歩前に出てきた。


「てめえらみたいの、ムカつくんだよね〜」


長い槍を自分の肩にトントンさせながらせせら笑うニワトリ男は、そう言いながら体を変に揺らしていた。云々、分かるよ。こんな公衆の面前でイチャコラして、チュウの話をしてるカップルなんて確かにムカつく。

ただね、それでわざわざ文句を言ってくるなんてどれだけお節介なんだと逆に心配になった。

それにね、その歪んだ若者特有の理由になっていない因縁と、如何にもだらしない格好をイケてると思っているその若者を見ると、ただただ呆気に取られるばかりだった。おそらく年は僕と変わらないか少し上なのだろうけど、こういう人を見るとまだ「サーシャを売り飛ばして金にしたい」とか「サーシャと一発やりたい」と言い切った陽気で呑気な盗賊さんたちの方が数倍マシだと思えてくる。だって彼らには歪んでいてもちゃんと理由があるもの。


「俺たちにも幸せを分けてくれよ。え〜、綺麗な姉ちゃんよ〜。」


「人にものを頼む態度にしては横柄ですこと。」


「力づくでも、こっちは構わないんだけどな。」


「あら…半人前の坊やたちが力づく?笑わせないでほしいわ。」


さっきまでの甘い声は何処へ?と驚愕するようなサーシャの皮肉と冷たい声が、彼らのプライドを切り裂く。ただ、話し合いで解決したい僕としては本当にやめてほしい…。


「ああっ!!?テメェ、なめてんのか!?」


「あはっ、お生憎様。私は騎士様以外の男を舐める趣味はないわよ?」


相変わらず相手の心を逆なでするサーシャのちょっと赤裸々な言葉…。

本当は喧嘩で解決しなければならなくなるその物言いはご勘弁なんだけど、普通に見ればこんな時の彼女はとっても眩しくて格好良くて、僕としては憧れてしまう。こんな怖そうなお兄さんに向かって、そんな風に堂々と啖呵を切れる勇気を僕は持ち合わせていない。だが、当然だけどニワトリ男は怒り狂う様に彼女に罵倒を浴びせる。


「てめぇ…ぶっ殺されてぇのか!!」


「あら…勢いだけの坊やに私が殺せるかしら?」


「言うねぇ…姉ちゃん…。その横の男がいるから強気なのかい?だったら、後悔するぜ?」


「後悔するのはどちらかしら?」


「そんなヒョロヒョロの小僧が俺らに勝てると本気で思っているのか?」


「先にお伝えしておきますけど、私の騎士様を侮ると大変な目に合うわよ?」


サーシャのその言葉を聞いて、もう…駄目だねこりゃって思った。

案の定、そのニワトリ男はサーシャを叩き潰そうと槍を天高く掲げ、走り寄ってくる。まぁむしろ標的は僕かもしれないけど…。


「もう…忠告したのに。お可哀想な人…。」


彼女が呆れ顔でそう洩らした次の瞬間、僕の足が勝手に前へと進んだ。

その目が血走った喧嘩上等のお兄さんなんて顔を見るだけでも怖いのに、ジル先生から授かった神速により一瞬でサーシャの前に出て立ちはだかってしまっていた。もうね、それは彼女を守ろうとする本能の様なもんだ。

「ひっ!?」 ニワトリ男はいきなり目の前に現れた僕に驚き、腰が引けたのだけど、もう遅い。

僕は瞬時に腰に帯びた聖剣を抜くと、槍を持っていたニワトリ男の右手を剣の側面で砕き、そのまま右足で回し蹴りを見舞って相手を文字通り弾き飛ばした。

「ぐわぁっ!!」って、ニワトリ男の苦悶の声がして、やがでドサッーー!と地面に倒れながら滑る音がした。見れば賊の仲間は倒れ込んだ男の周りで立ち尽くし、顔は恐怖で覆われていた。


「俺の聖女に、なんかご用ですか?」


そして、気がつけば僕はそんな言葉が口をついた。

頭からではなく心から出たような言葉で、自分自身には意識すらない。

そのこと自体はちょっと不気味だけど、騎士としては決まった!

おお、なんて格好いいこと言ったんだってちょっと胸を張ったのだけど、すぐに小っ恥ずかしくなる。こういうの、本当なら強い男が言うから似合うんだって、と。

しかも僕は聖女って言葉の意味すらよく知らないのに…。

だけどそんな僕とは対照的に、やがて後ろから大きな笑みを浮かべたサーシャがスッ〜とそばに寄ってきて、右腕をそっと掴んでくる。


「お前らごとき人の道を踏み外した外道が、我が騎士様に闘いを挑むなど笑止。早々に立ち去れ。」


サーシャが放った女神を思わせる凜とした言葉に、呆気にとられるニワトリ男と3人の仲間たち。

だけど、ここで予想外のことが起きた。


「お、お願いがあります!!」


なんとね、そのとっても強面で背の高いニワトリ男が、アルバに砕かれた手をもう一方の手で蹲りながらその場で土下座し始めたのだ。しかも、仲間も一緒の4名の土下座。

彼や仲間の顔を見るにつけ本気のやつだ。

彼らの突然の変わりように、僕はサーシャと目を合わせながら、首を傾げるしかなかった。



罪を犯すにしても、だいたいどんな御方にもそれぞれ理由というものがある。

それには同情を誘うものから、シャレにならんもの、怒りが湧くものと千差万別ではあるけれど、このニワトリ男さんたちが2人の前に立ちはだかった理由というのは実に理解し難く摩訶不思議なものだった。


「えっと…もう一度言ってもらえますか?」


僕もサーシャも声をハモらせて思わず聞き返しちゃったもの。

そして彼らが再び説明を始めた内容を要約するとこうだ。

このニワトリ男さん、本名をカブリエルといい、なんと職業は洋菓子職人。いわゆるパティシエだ。当然ケーキを作る材料として砂糖がいるんだけど、南部地方からやってくるサトウキビの値段が不作でもないというのに跳ね上がり、これでは商売ができないとフィルファのダダという街にある問屋に文句を言いに言ったカブリエルの父である親方が、その問屋の用心棒風情に問答無用でボコボコにされてしまった。それを知ったカブリエルは仲間を募って仕返しに行こうと思ったのだけど、戦後のこの街では碌な仲間が集まらない。困り果てて街をうろうろしていたら、見事な剣を帯びたアルバを見つけ、仲間に誘おうと後をつけていたらちょうど人気のない路地に入った。

( よし、この男の力を試してやろう。 )そう思って回り込んだら、急にアルバとサーシャがイチャコラしたもんだから、自分らが大変な時にこのカップルは何をやってんだと腹が立ち、そのまま悪党のフリをして姿を見せた。

そしたらサーシャの可愛いこと、可愛いこと…。

鼻の下を伸ばしていたら、そのお美しいサーシャにケチョンケチョンに言われたもので若さゆえに思わず激昂し、切り掛かり、アルバに返り討ちにあって現在に至る…というものだった。

まぁ、途中までは同情の余地があるけれど結果的にはとっても自分勝手。

ただ僕はそれで彼らに尾行されていたのに気がつかなかった理由が分かった。そもそも僕を殺したいわけじゃなく仲間にしたいという理由じゃ殺気なんて出してないだろうし、サーシャになんかしようと思ってたわけじゃないからいつもの黒い霧も出なかったのだろう。


「もう、貴方たちは…。騎士様を仲間に誘うにも、もう少しやり方があったでしょう?」


サーシャは頬を膨らませながら、アルバに手を砕かれたカブリエルの手当をしてくれていた。彼女が ” おまじない “ と呼ぶ祈りを捧げ、自らの白いハンカチをちぎり包帯がわりにして固定するとその男の顔から苦悶の表情が徐々に消えていく。相変わらず見事な手際の良さだ。 彼女が最後に包帯がわりのハンカチを固結びで止め、「はい。これでもう大丈夫です。」と笑顔で告げると、カブリエルは大きく頭を下げた。


「い、いや…。本当にすいません…。あの、アルバ君も御免なさい。」


「こ、こちらこそ。…手、大丈夫ですか?」


「は、はい。こちらの…サーシャさんのお陰で、なんとか。」


先ほどの喧嘩上等こわ〜いお兄さんはどうした!?と言いたかったけど、僕より一つ年上だという彼は意外と礼儀正しかった。ニワトリのトサカのような個性的な髪型も、慣れればそれほど変ではない。聞けば普段は髪を下ろしているんだけど、ちょっと意気がりたくてこんな髪型にしたんだそうだ。

サーシャはそんな彼のトサカを興味なさそうに見ながら、諭すように言葉を続けた。


「職人が慣れぬ武器を振り回し、手を怪我してどうするのですか?貴方の作ったケーキを楽しみにしている子供たちがお可哀想です。」


「ぐうの音も出ません…。もう二度としません。」


「約束ですよ。ほら、小指を出してください。」


サーシャはそう言いながら、ガブリエルの顔の前にそっと右手を掲げ、小指だけを立てた。彼が恐る恐る言われた通りに指を出すと、彼女はスッと小指をかけた。俗にいう指切りげんまんだ。


「どんな理由があっても二度と善良な民を脅したり、殴りかかったりしないこと。そして手が治ったら、私とアルバにお茶とケーキをご馳走すること。よろしいかしら?」


「は、はい。」


「約束をお守りいただければ今回の事は不問とします。ただし破れば、神の名において、いかづちを落としますからね。これ、脅しじゃないですよ。私はこう見えても教団の司祭なんですから。」


サーシャはそう口を尖らせると、素早く指切りを済ませた。

申し訳なさそうに何度も大きく頷いたガブリエルを見た彼女は、とても満足げだったけど、しかしそのガブリエルの顔は見事なまでに真っ赤だった。まぁ、理由はわかる。云々、僕とすっかり同士だ。

やがて僕は苦笑いを浮かべながら頬を赤らめていたガブリエルに目を向けると、先ほどのことを尋ねることにした。


「ところでガブリエルさん。貴方のお父さんのことなんですけど、怪我はもう大丈夫なのですか?」


「は、はい、今はもう…。ただ先月に戻ってきたときは…致命傷というのはなかったんだけど、全身をあざだらけにされて3日間も高熱が引かなかったんだ…。砂糖の値段交渉に行っただけだというのに。許せなくてよ!」


彼は少し遠慮気味だったけど、かなり憤慨している様子だった。父親の記憶のない僕には、彼の本当の気持ちはとても推し量れないけれど、理屈としては悔しいって気持ちはとてもよく分かる。ただ、自分のような臆病な男に言わせれば、彼はかなり無謀だ。


「ただ…その問屋の用心棒さんでしたっけ?その人の事を碌に調べずに仇討ちに行くのはやめといた方がいいんじゃないかな…。ガブリエルさんまで怪我したらお店が大変でしょ?」


「ああ…。さっき、アルバ君に返り討ちにあって身にしみた。ケーキ屋が武器を振り回すもんじゃないって…ただ、その問屋はお隣の軍事大国フィルファにあるからよ。ルンの官兵に訴えてもどうにもならねぇ。泣き寝入りするしかねぇのかな…このままじゃケーキを値上げしなきゃなんねぇし…。くそっ!」


「う〜ん。気持ちはわかるけど、敵討ちというのは穏やかじゃないし…お父さんの怪我が治って、砂糖の仕入れ先を変えて済むなら、ここは大人しくしているのも今後の為にはいいと思います。それにそんな悪事を働いた問屋さんたちには、きっと神様から罰を受けると思いますし。」


僕は庶民らしい、もっともなご意見を言った。ここで無理して、お父さんの仇討ちに出かけ、彼に万一のことがあれば一番悲しむのは彼が大切に思っている父親だ。


「…アルバ君は、あんなに強いのに平和主義なんだな…。理屈はわかるけどよ、俺はやっぱり問屋どもを許せねぇ。」


彼は悔しさをにじませながら、耐えるように唇を噛んだ。

するとだ。

しばらく口を開かなかったサーシャがふと話し始めた。


「あはっ、ガブリエルさん。貴方にはアルバの心のうちがお分かりになりませんか?」


「えっ?それはどういう?」


目を丸くして、彼女の方を向いたガブリエル。…なんだか彼女のその物の言い方に、とっても嫌な予感がした。


「アルバは、貴方にここでケーキを作り続けて欲しいのです。そしてお父様にこれ以上心配をかけるなと。…その代わり、その問屋と用心棒の件は俺に任せておけ!って言っているのですよ。」


「そ、そうなんすか!?アルバ君!?」


驚きと期待が混じった表情のガブリエルの顔が再びこちらに向けられる。

僕はその視線に耐えられなくて、代わりにサーシャに批判の目を向けた。

なんてこと、言うんだって…。

もしその問屋の用心棒とやらが鬼のように強かったらどうするんだって。約束守れないじゃん!って。

ただね、彼女が僕に見せているのは、いつもの女神の微笑みだ。

言いたいことは山ほどある。だけどサーシャは口が達者。挙句彼女に恋をしてしまっている僕にはどうせ彼女の言葉に抗うことなどできない。

言い合いしても不毛な時間が過ぎるだけって事もワラミ村で体験済みだ。

…僕は仕方なく、ガブリエルの顔を向き直し頷く他なかった。


「う、うん。俺なんかでよければ力になります…。」


「ありがとう!ありがとう!恩にきる!」


僕の掌を、痛めている手で必死に掴みながらガブリエルは大きな笑みを浮かべ、何度もなんども頭を下げた。








僕は、あれから無口になった。

どのくらい無口だったかと言うと、なぜ襲ってきたのか未だによく分からないガブリエルたちと別れ、修道院までの裏道を見つけ、サーシャとともに旅の荷物のまとめをしている今現在に至るまで、彼女と会話らしい会話をしなかった。

それは勿論、先ほどの連中の願いを聞き、仇討ちなんていう物騒なもんを安請け合いしたサーシャに対する抗議なんだけど、あれから彼女は僕の心と反比例してすこぶる機嫌が良く、ずっと一人で喋っていた。さらに、修道院についてから始めた旅の荷物のまとめも、旅支度はそれぞれで行う。その為、あまり互いに話す機会もなくて、僕のささやかな抗議はこれまで不発に終わっている。

思えば出会ってからこれまで、僕は彼女に一切逆らわないで願いや頼みを聞いてきた。それには様々な事情や理由があるのだけど、まぁ突き詰めれば僕はサーシャに首根っこを掴まれていて、彼女の頼みを断り辛いって事に起因している。

叔母にお金を持ち逃げされ現在の僕は一文無し。挙句、故郷であるワラミ村の村長や神父さんにも多分な選別を頂き、大きな事を言って村を飛び出したのだから、今さら元の生活に戻れもしない。

つまり色々な面で自分のお世話をしてくれるサーシャについていくしか生きる道がないのだ。そう聞けば、まるでお金持ちのお嬢に寄生するヒモのように思えるけど、彼女と過ごす日々は実に刺激的で、こののんびりで呑気な自分に次々と試練を与えてくる。

もうね、護衛や戦いは良しとしよう。摩訶不思議な世界で出会ったジル先生のお陰で、人並みに剣の腕も上がったし、今のところ生きてるし。

だけど、数人の知り合いと慎まやかに生きてきた僕としては、全ての正しき人々に心の門戸を開きっぱなしにする彼女に少々面食らっていた。

そして先ほどのことで分かったのだけど、サーシャはそのオープンな性格を僕も同じだって思っている節がある。

それは、とんだお門違いだ。

そういうのは、人生が薔薇色で、未来に幸せしか見えない、夢を描けば必ず叶うという所謂特権階級の人々だけのものだ。

この時の僕は、彼女が自分を師匠さんの代わりの騎士として、そういうものまで押し付けてるって思ってしまっていた。

初めてさーしゃんイラってきたのかもしれない。

だけどそれは僕の年代にありがちな、あれだ。そう、反抗期。

それにね、彼女のいう事を聞いている最大の理由は、首根っこを掴まれてるとか、ヒモとかではない。もっと単縦なことだ…。


彼女が旅支度を終えて僕の部屋にやってきたのは、そんなことを考えている最中だった。ちょうどその時、僕は紺色の毛糸が変形しないように最後にちょこんと載せて、大きなリュックに全てを荷物を詰め終わり、昨晩サーシャと共に寝た小さいベッドの上に座っていた。共に寝た…と言っても天地神明にかけて僕と彼女の間には何もない。例えサーシャという美しき女性が、僕の密かに憧れるお姉さんであっても、好きな殿方のいる女性に手を出すほど野暮ではないし、そもそも女性にそんな事をする勇気なんて持ち合わせていない。

ノックをして入ってきた彼女は、いつもの白ローブに上品なアイボリーのポンチョを羽織ったシンプルな格好だった。


「アルバ、準備はよろしいですか?」


「う、うん。」


「良かったわ。今から出れば、深夜になる前にダダにつきますし。」


「そうですね…。」


「小さなお弁当も用意しました。旅の途中でお腹が空いたら食べましょう。」


「…ありがとう。」


自分が嫌になる程、拗ねている。

そしてそれがダダ漏れなところも、子供っぽくて嫌だった。

今考えれば、問屋の用心棒にお仕置きする事なんてロハンの将軍セザールとの一騎打ちに比べれば赤子の手をひねるが如く容易い事だろう。自分は湖を真っ二つに切り裂くジル先生に、剣技と不思議な能力を与えられているからだ。それに、その問屋たちがいる街は、ダダ。そう、今から僕たちが向かう街と一緒だ。お節介であることは否めないけど、教団の司祭さまとしてのサーシャは、ガブリエルの様に困っている人を見捨てられなかったのだろう。ある意味、優しいサーシャらしい行動だ。

そう考えるとサーシャに何かモヤモヤしている自分がとっても小さく見えた。さっきのそっけない態度も本当に申し訳なく思う。だけど今だけは自分からはサーシャに話しかけたくはなかった。それはなんだか、負けを意味してるって思えたからだ。

ところがである。


「うわぁっ!」


と、僕は思わず大きな声を上げてしまった。

ボーってしてたら、目の前すれすれに彼女の顔が現れたからだ。

お上品に輝く黄金色の髪がおでこに触れ、微かに香る甘い匂い…それとともに現れた相手の心をいとも簡単に射抜くブラウンの大きな瞳は、まるで何かを訴える様に揺れていた。


「な、なに?」


「ううん。なんでもないです。」


彼女はそう言いながらも、くびれた腰を曲げ、座っている僕の顔の真ん前にそのお美しい顔を向ける事をやめなかった。


「えっと…もう出発するんですよね?」


彼女の得も言われぬ迫力に、僕は結局たじろきながらそう尋ねるしかなかった。彼女の目には、自分からは話しかけるもんか!なんて拗ねた自分の幼稚な考えを一瞬で粉々にするような力がある。ただそれは決して脅しとか無理強いとかを強いる迫力ではなくて、彼女らしい修道士独特の”目”だ。そう、一人で思い悩んではいけません、相談なさい…と、いうやつだ。


「はい。ですが、このままでは行けそうにありませんわ。」


サーシャの声は少しだけ語尾が強かった。


「な、なぜですか?」


「アルバが私にあまりに遠慮しているからです。」


「えっ?遠慮…ですか?」


「はい。本当は私に言いたいことがあるのに我慢なさってます。」


なんでバレるのだろう…驚きで言葉を返せなかった。するとサーシャは尚も顔を近づけくる。前から思っていたけど、この人、目が悪いんじゃないかって疑うくらい、いつも接近してくるんだけど、この時はなんと僕の鼻先に彼女のはなが触れた。


「貴方は私の騎士なのです。その事を忘れないでください。」


「は、はぁ…。」


頷きながらも思った。代理でーすって。


「騎士が自分の聖女に遠慮してどうするのです。なんでもおっしゃってください。私は貴方のいう事ならなんでも聞きますし、望む事あらば何でもいたします。」


「そ、そんな事…とてもできません。」


「なぜですか?」


「なぜって…」


僕は口をつぐんだ。

理由はとっても簡単で、そんな事をしたら自分が彼女に誓った目標が達成できなくなるからだ。

彼女が師匠さんに逢えるまで、彼女を護衛をする…

それが僕が彼女の側にいるための条件。そしてそれは僕が初めて彼女と交わした約束なのだ。

そんな師匠の事を抜きにして、一目惚れしたサーシャさんに好きなこと言って、したいことしてたら一瞬で少年の理性は崩壊する。なんせこの16歳ってお年頃は、女性の身体への好奇心満点なんてもんじゃない。

今のところ、首の皮一枚我慢できているんだけど、もちろんそれには深い事情がある。

それは彼女が身を危険にさらしてまで探し求める師匠を裏切ることになるし、師匠を愛しているサーシャの心も踏みにじる事になってしまうって僕は思うのだ。

やがて口を真一文字につぐんだ僕の顔を見て、彼女は、はなをつけたまま小さなため息を漏らした。


「…騎士様は本当に頑固ね。ここまでとは思わなかったわ。」


意味不明な言葉を残した彼女は、僕の鼻先からゆっくりと顔を離した。


「ハハッ。でも頑固はお互い様です。」


「まぁ…、私は違いますでしょう?アルバの前では良い子にしてますもの。」


「普段は違うのですか?」


「それは秘密というものです。」


彼女はそう言ってクスクスと笑った。すぐに僕も苦笑い。

2人して、ひとしきり笑ったら、結局いつもの2人に戻った。


「サーシャ、そろそろ行こうか。」


「はい。サカテさんに怒られてしまいますものね。」


サーシャは僕の手を握り、嬉しそうに立ち上がらせてくれた。

その時の彼女の笑顔は本当に幸せそうで、嬉しそうで…こっちまで楽しい気分になってしまう。そして彼女は今日もずっと僕の手を掴んだまま離さない。

…だから久しぶりに、調子に乗ってみようって思った。


「…サーシャ。」


「はい。どうされました?」


「サーシャを誰かに紹介するときなんだけど…俺の聖女ですって言ってもいい?」


彼女はキョトンとした。僕はすぐに弁明する。


「あ、もちろん師匠さんと再会できるまで…だけど。」


するとサーシャは、僕を掴んでいた手を引っ張りながら珍しくケタケタと思い切り笑い出してしまった。


「あ、あの…俺また変な事言ったかな?」


「あははっ…。もう、アルバったら師匠のことばかり気にして…。」


「……だってさぁ。」


「言ったでしょう?師匠のことは時が来たら必ずお話ししますと。それまでは…その名前を口に出すのも禁止にします。」


サーシャはそう言った。僕にとってそれはオアズケを食らったようなもんだけど、何だが嬉しい気もして再び彼女と共に笑ったのだった。



2人がルン修道院を後にしたのは、それから半刻ほどしてからだった。

噂を聞きつけたルンの民は総出で、この街を救った英雄を見送った。その列は何と、ルン修道院から街の正門までの中央通りすべてを埋め尽くしたという。

ちなみに黄金色の髪をなびかせた美しき女神は、騎乗した騎士の背中にもたれかかりながら、見送った全ての民にずっと手を振っていたと伝承の書は伝えている。



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