エマとアルバ
アルバが目を覚ました。
ただそこは、ふかふかの大きなベッドの中だ。
カーテンから差し込む一本の柱の様な眩い光がそのベッドを横切っていて、ちょうど彼の顔を照らしていた。ただその冬の光が差し込む角度は結構高く、いまが朝ではなく昼近いことをアルバに伝えている。
「えっと…ここは…。」
アルバは、記憶を手繰り寄せながらゆっくりとベッドから起き上がる。
…少しだけ、頭が痛かった。
ふかふかのシーツを抱きかかえ、もう一方の手で後頭部をそっと抑えながら、自分が眠ってしまったその時を思い出そうと指で額をつつく。
( う〜ん、何してたんだっけかな…。 )
ーーやがて、自分はどこかの廊下みたいな場所で倒れこむ様に寝てしまったんだ…って思い出した。だけど辺りをキョロキョロと見渡したけど、ここはどう見てもお部屋。
「あら、ようやく目が覚めた様ね。」
と、聞き覚えのある声がする。アルバが驚いて声のしたドアの方へ目を向けると、そこには丸メガネとソバカスが特徴的なエマが、パンとミルクを載せた銀色のトレイを持ちながら立っていた。
「あっ…エマさん。おはようございます。」
「ふふっ、おはよう。でも、もう朝って時間じゃないんだけどね。」
エマは苦笑いを浮かべながら部屋に入ってくると、アルバの枕元にトレイをそっと置いて側に置いてあった丸椅子に腰を下ろした。そしてパンに向けて手を翳して、どうぞって彼に食事を勧める。アルバは小さく頭を下げ遠慮気味にパンに手を伸ばし、そのまま口に運んだ。お行儀は良くないが、なにせ昨日から腹ペコだ。
「あの…ここは修道院ですか?」
彼が一口パンをかじって、そう尋ねる。するとエマはご自慢のメガネをクイってあげながら、苦笑いを浮かべた。
「ええ。ここは修道院の一番西にある古い宿舎よ。まぁ、今の貴方にとっては隠れ家みたいなものね。」
「隠れ家…ですか?」
「貴方とサーシャは、今やここルンを救った英雄なの。見つかったら、もみくちゃにされちゃうわよ。だから、サーシャがここに運んできたのよ。」
そのエマの言葉にアルバは思わず目を見開いた。
「サーシャが…俺を?」
「ええ。貴方は広場から貴賓室へと続く渡り廊下で倒れていたそうよ。サーシャが見つけて、一人でおぶってここまで連れてきたの。全く…誰かに頼めばいいのにね。」
エマは苦笑いを浮かべ、肩肘をつきながら自分の頬を何度かさすった。なにせサーシャは教団の世界では、女王さまみたいなものだ。
「…起こしてくれれば良かったのに。」
アルバがパンを手にしながら驚愕する様にそう洩らすと、エマは遠い目をして彼に言葉を返した。
「彼女にも、それなりの理由があったんでしょうね。」
「理由?」
「…サーシャ、とっても心配してたのよ。今回の戦争で自分がアルバ君に無理をさせた所為で…嫌われちゃったんじゃないかって。」
それはまた呆気にとられるほどの衝撃のお言葉だ。アルバは似合わない咳払いをして思わず目を見開いた。いやいや、バカな事を言わないでほしいって思った。
「えっ?俺が…サーシャを?」
「うん。」
「いやいや、そんな事…。サーシャを嫌うなんてありえないです。」
「アルバ君さぁ…一度中庭に来てサーシャを見つけたのに、声もかけずに何処かへ行っちゃったでしょ?サーシャはその事をとても気にしていたわよ。」
アルバは、そのエマの言葉に、口に入れたパンが喉に詰まらせちゃうんじゃないかってほど驚いた。それは大きな誤解だ。
「えっと…。それ、違うんです。えっと…なんて言うのかな…。」
本当はサーシャが他の男に優しくしてたり話してたりするのが居た堪れなくなって逃げました!っていうのが正解なんだけど、そんな情けない事、言えるわけがない。
そんなこと言ったら、間違いなく子供扱いされる。
まぁ、アルバくらいの時は子供扱いされるのがもっとも嫌なお年頃だ。
するとエマさん、一度ため息をつくと、大きな黒縁メガネを取ってレンズをふきふきしながら急に厳しい声をアルバに向けた。
「貴方はサーシャの騎士なのよ。もっと、しっかりなさい。」
「は、はぁ…。」
「騎士は常に聖女の側にいるものよ。いやいや、側にいなくちゃダメなの。…なんでわざわざ離れたのよ?」
エマが追求するように顔を近づけて来た。…声もなんだか厳しい。だが、イマイチ騎士と聖女の理を理解していない彼は、その話題から逃げるように顔を背けてミルクを口に運んだ。正直、よくわからない話をされるのはごめんだった。
…だけど彼女は腰を曲げながらベッドに凭れかかり、アルバから目を離さないように必死に顔を覗き込んでくる。
そう、絶対にこの話題から逃がさないわ!って。
まぁ、エマはサーシャの親友。たまに冷たい態度をとることもあるけど、心の底では大きな運命を背負ったサーシャをとても心配していて、彼女を護る定めにあるこの騎士様に一言、ものを申したかったのだ。
その穏やかな見た目から想像もできないほどのエマの気迫に、やがてアルバが根負けして口を開いた。
「えっと…俺は、彼女の本当の騎士じゃないんです。」
本当は言いたくなかった。言いたくなかったからこそ、この話題から避けていたのだ。
だけどエマは腕を組んで、さらに下から顔を覗き込んでくる。
「何を血迷ったこと言ってるの?貴方が騎士じゃなきゃ、誰が彼女の騎士だって言うの?」
「えっと…彼女の本当の騎士は、”師匠さん”っていう人なんです。」
自嘲気味に笑いながら、アルバはそう洩らした。
その口どりは重く、我ながら見事に切なさがでたって思った。
だけど、それを聞いたエマは絶句しながら思わず眉間にしわを寄せた。
なんだか、妖にでも化かされたような顔で…。
そして何かを言おうと息を深く吸い込んだんだけど…彼女は何故かそこで言葉を止めた。無理やり口をつぐんだって方が近いかもしれない。
アルバはエマのその様子に違和感を覚えて見返したのだけど、やがて彼女はベッドから体を離しゆっくりと椅子に座りなおすと、手を膝の上に置いて彼の方に再び顔を向けた。
「貴方はサーシャに言ったそうね。彼女が師匠に会えるまで、守るって。」
急に声までお淑やかになった。この人、二重人格ですか!ってアルバは思わず苦笑い。
「はい、言いました。」
「そう…。でもそれなら、師匠に会ったらサーシャとお別れするの?」
「………。」
アルバは思わず顔を俯かせ自信なさげに、無言のまま小さく頷いた。
師匠さんと出会えた時点で、サーシャとお別れ…それは最初から覚悟しているのだけれど、最近はなんかそれが凄く難しい事なんじゃないかって思い始めている。
何しろ昨日、サーシャがかっこいい兵士と手を繋ぎながらずっと話していたのを見ただけで、心臓が抉られるんじゃないかってほどの苦しみが襲ってきたんだもの…。
もし師匠さんと再会したとき、サーシャが自分を振り返ることもなく、その彼の胸に飛び込んでいったら、果たして自分は2人を祝福できるかどうか自信がない。
多分…泣いちゃうんだろうなって、アルバは静かに首を振って頭を伏せた。
しばらく彼のそんな様子を黙って見ていたエマは、如何にも落ち込むアルバを慰めるように、優しく背中をさすってくれた。
「さっき、サーシャは貴方の話をいっぱい私に話してくれたよ。…貴方は、何度も彼女を助けたのでしょう?」
「えっと…はい。」
アルバは静かに頷いた。ちょっと微妙だけど、結果的にはそうだ。
「サーシャ、その事を話しているとき…とても嬉しそうだったわ。」
「………そう…でしたか。」
「私も…昨日、ロハン兵と戦っていたとき、アルバ君が来てくれて凄くホッとしたわ。きっとあの時は、修道兵のみんながそう思ったはずよ。そして、君はみんなを助け、この修道院とルンの街を守った。」
「俺は…サーシャの指示通りにしただけです。」
アルバがそう言い切ると、エマは小さく笑みを溢し、彼の背中をポンって叩いた。
「それはね、サーシャが君を信頼してる何よりの証拠よ。」
「信頼…じゃなくて過大評価されてるんです。」
「例えそうでも、彼女が今を共に生きようとしてるのは、師匠とか…昨日のイケメン兵士じゃないと思うけど?」
その言葉にアルバはぶったまげて、「はぇ?」なんて変な声を洩らしてしまった。
師匠はともかく…イケメン兵士ってとこに大きく反応する彼…。
そりゃ、昨晩の事がバレているってこと?って、目が点になりやがて頬が赤く染まる。それはサーシャのお友達である彼女に、絶対にバレたくない出来事だもの。
「ごめんなさい。あの時ね、私は偶然にも君のことを見つけて…ね。」
そう申し訳なさそうに話すエマを見て、アルバはアワアワしながら手を横に振った。
「あっ、いえ…。あれはですね。」
「フフッ。何も恥ずかしがることじゃないわ。それは人間なら誰しも持っている普通の感情だもの。」
その言葉に、アルバは小さくため息をつくと再びパンを口に運んだ。いやいや、恥ずかしいですよ!って顔を顰めながら…。だけどエマはそんなアルバを見て優しい笑みを浮かべた。
「アルバ君って本当に不思議よね…。サーシャの言う通りだわ。」
「えっ?」
「普段は呑気でボォーってしてるのに、剣を握ると別人みたいに強くなるって…彼女、言ってたの。本当にその通り。今の大人しくて控えめな君が、昨日の騎士と同一人物だなんて確かに思えないわ。」
「い、いえ。そんな…。」
「でも、昨日の君は間違いなくサーシャの騎士だった。…もっと自信を持ったら?」
エマは、そう言って再びアルバの顔を覗き込んできた。
目の前に迫ってきたそのメガネも心なしかキラリンって光っているようにも見える…。恐らく彼女が言っているのはサーシャに対してって事だと思うけど、流石にそれだけは自信なんて持てようがない。思った通り、サーシャの身分は高いし…むしろ神様って線も消えてないし、あの美貌だし、挙句恋人か許嫁らしき師匠さんなんて人もいる。
「えっと…なんて言ったらいいのかな…。」
アルバが困ったように頬を掻く。なんか、この事は説明しにくい。だけどこのメガネの修道士さん、バッサリ聞いてくる。
「アルバ君はサーシャの事が好きなんでしょう?」
「あっ…いえ…そんな事は…。」
「フフッ、顔が真っ赤よ。でもそれこそ恥ずかしがらなくてもいいわ。」
エマはやがてベッドに盾肘をつきながらニッコリと微笑むと、そのまま話を続けた。
「サーシャ、綺麗だもんね。優しいし、可愛いし。」
「そうですね…。」
そこに異論なんてある筈もない…。
「おまけにスキンシップ多いし、笑顔も絶やさない。男の人は…誤解しちゃうよね。」
「ハハッ…。」 まさに自分の事だと自嘲気味に笑みが洩れる。
「だから、みんなサーシャを好きになっちゃう。寧ろアルバ君が抱く感情は、普通なのよ。」
「…ですけど、彼女が想っているのは…1人だけです。」
「フフッ。誰でもそうよ。君もそうでしょ?」
エマがそう言って小さい笑みを浮かべると、アルバは彼女から視線を外して、遠い目をしながら窓の外へと目をやった。
「あの…エマさんは師匠さんを知っているんですか?」
そして思わずそんな言葉が口から飛び出した。
師匠…それは現在行方不明となっているサーシャの本当の騎士の名だ。
するとこのエマさん、その言葉を聞いて又してもキョトンとした表情をしたかと思うと、なんだか納得したように何度も頷いた。そしてしみじみと彼の問いに答えた。
「…会ったことはないわ。だけど、話には聞いてる。勿論サーシャからだけどね。」
「えっと…どんな人なのかって聞いてます?」
「もちろん。一応これでも私はサーシャの親友だから。」
そう答えたエマに、アルバは素早く顔を向けた。
今度はアルバが彼女の顔を覗き込む番だった。16歳の少年は何やら物欲しそうに、そのエマを仰ぎ見て、とにかくすがるように身を寄せる。
今度こそ師匠の事を詳しく知れるのではなかろうか…って。
何しろこれまで出会った師匠を知っている人物、まぁ誰もろくに話してくれなかった。まるで彼の情報を隠しているようにすら感じたものだ。
だけどこのメガネの修道士さんは、とてもおしゃべりが好きそう…もしかしてってアルバは期待した。
するとその丸顔の可愛らしい彼女、顔がとっても意地悪な表情になりメガネを妖しく光らせながら、こちらを見返してくる…ちょっと怖い。
「サーシャから師匠さんの話を初めて聞いたのは…私が聖地に赴任して2年目だったかな。彼女ね…ほら、いつもあなたが背負っているあの黒い大きな剣をとても大事そうにしてて、夜は必ずその剣を抱いて寝てたの。前々から変だなぁって思ってはいたけど…ある日ね、思い切って尋ねると彼女はようやく話してくれた。これは…師匠の剣だって。」
アルバは思わず苦笑いを浮かべた。その大剣は、今はベッド横に立てかけてある。
「師匠はね…その剣でいつもサーシャを守ってくれていたそうよ。彼女…いつも彼の武勇伝をとても自慢げに、嬉しそうに話してくれたな…。」
「武勇伝…ですか。」
「ええ。どれもこれも凄かったわよ。やっぱり女神様の騎士ともなると、それくらい強くないとダメなんだなぁって朧げに思ったの覚えてるもの。」
それはとても耳が痛い…。
「それと…彼はいつも側にいてくれて、サーシャをとても大事にしてくれたって嬉しそうに話してたなぁ…。そして彼女もそんな師匠の後ろをずっとついて回ってたんだって。」
「な、なるほど…。」 思わず手が震えた。
「師匠ね、サーシャの膝枕が大好きだったそうよ。いつも格好良くて、頼りになって、凄く強いのに、2人きりになるとすぐにせがんで来るんだって。それが彼女にとって凄くツボだって言ってたなぁ…その時の師匠の嬉しそうな顔が大好きだったって。」
知っていたよ。ええ、ええ、知っていましたとも。
だけど改めてはっきりとそのことを聞いたアルバは、頭の中が真っ白になり、やがて彼の自我を支えていたもやしの堤防は軽々と決壊した。
それからもエマはずっと師匠の話をしていたのだけど、残念ながら彼の心は既に崩壊してしまっていて、そこからは全く耳に入ってこなかった。




