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イケメンの兵士


「あ、あの…サーシャを見ませんでしたか?」


ルン修道院の祈りの間で、水や薬を運んでいた修道士たちに、次々とそう声をかけている少年がいた。

その彼、肌がちょっとだけ浅黒く、とても華奢で童顔。背中に背負った大きな黒い剣が妙に目立っている。

先ほどまでルンを救うために走り回っていたアルバである。

まぁ、教団最高位司祭である彼女の名前を呼び捨てにする少年など、彼一人しかいない。

しかしだ。

彼がどんなに尋ねても、修道士たちは怪訝そうな顔するか、睨むかして、全く取り合わない。ケガ人や民のお世話に忙しいっていうのもあるんだけど、自分たちの女神であるサーシャを呼び捨てにする無礼な少年など構ってられるか!なんて事が理由だった。


( こ、困ったなぁ…。 )


自分を無視して走る回る修道士たちを見て、アルバは小さなため息を漏らしながら思わずそう呟いた。

彼はここルンを救った英雄ではあるんだけど、悲しいかなその事実を知っている者は、共に戦った修道兵の面々だけ。しかも、サーシャを含めても数人しか知り合いがいないもんだから、この16歳の呑気な少年はいよいよどうしたらいいのか、分からなくなってしまった。


とりあえず喉が渇いたな…。


こんな状態ではとてもサーシャを探せないと思った彼は、修道院の中庭にある井戸へ向かう事にした。以前、剣を振るったことのあるその場所は結構遠いのだけど、戦いの最中、数時間もぶっとうしで走り回った彼は、喉がカラカラだったのだ。

お腹も空いていたのだけど、まずは水だ!そう思い、彼はトボトボと歩き出す。その後ろ姿は戦っていた時の勇ましい姿とは違い、なんか猫背で物悲しい…。

神速なんていう稀有な能力の持ち主だというのに、動きはのんびりで自信なさげ。どうやら彼の力は主に戦っている時にしか効果が発揮されないらしい。性格は元のままで、人混みが苦手なとこも変わってない。

そう、辺りは( しかし、歩きにくいな…。 )って彼が呆れたように顔を顰めながらそう漏らすほど、修道院の中はどこも人がごった返していた。夜更けも夜更け、あと数時間で陽が昇るというのに、この辺りはまるで蟻の巣穴のようにどんな狭い通路も混雑している。

( サーシャは、ちゃんと戻ってるんだよな…。 )アルバは行き交う修道士さんやルンの民を掻き分けながら器用に中庭へと歩いていたんだけど、ふとそんな事を頭を過ぎる。

ロハンのスカラという副将軍たちと別れた後、彼はサーシャと共に逃げ遅れたロハン兵やケガ人を探して街を探索していたが、いつの間にやらサーシャとはぐれてしまっていた。

アルバは慌てて近くの修道兵たちに尋ね回ったが、聞くところによるとサーシャは先行していた別の修道兵の一団と共に修道院に戻って行ったという。

( 修道兵のみんなと一緒なら安心か… )呑気にもそう思った彼は、その付近で逃げ遅れた民を探すルンの兵士たちに混じって、ケガ人を運び出す作業を手伝う事にした。そして、その作業を一通り終えて、ここルン修道院に戻ってきたのだ。

そうしたら、修道院の中はこの騒ぎである。

まぁ戦後だし、民やケガ人を助け匿うのも教会の大事な役目なんだから当たり前なんだけど、あまりに人がごった返していて、アルバは中々サーシャに会えないもだからさすがに不安が募りだし、いつの間にやら必死に彼女を探し回っていた。

まぁ錯覚には違いないんだけど、何だか辺りが妙に暗くなり、世界が徐々に狭くなって行くような感覚の襲われる。

万一、彼女に何かあったと思うと背筋が凍るほどの戦慄が彼の心を襲ってくるのだ。それは彼自身も理解できないほどのもので、出会ってからずっとそうだが、彼女の事で不安が少しでもあると、まるで大きな鎌で体を深く抉られるような辛い感覚が身体中を駆け巡ってしまう。

ーー自然と歩くスピードが速くなった。

途中、共に戦った修道士たちに賞賛の声をかけられたりしたが、彼は愛想笑いを返すだけでスタスタと進む。いつもの呑気な彼とは大違いだ。

水を飲みにいくーーーその理由がいつの間にか、サーシャを探すついでに水を飲みにいく…に変わってしまっていた。

その事実に、彼は毎度のことながら( 俺はどれだけ彼女を好きなんだよ! )なんて自嘲気味に笑うしかなかった。

そんなわけで最近は明けても暮れても頭の中がサーシャでいっぱいのアルバは、余分な事を全く考えなかったので、意外と中庭には早くついたように感じられた。

夢中な事があったりすると、時というのはそんなものなのかもしれない。

だがそこには予想外のことが待っていた。アルバがその場所に足を踏み入れた途端、冷たい冬の夜風がサァーって抜けて、辺りが急にざわめきだす。なんと静かなはずの中庭からは、不安と緊張が入り混じったようなざわめきが、その場を押し包んでいたのだ。

( ん? )彼が怪訝そうに目を細めると、やがてとんでもない光景が目に飛び込んできた。

銀色の満月と幾つもランプの光がその場所を煌々と照らしていたが、広大な公園ほどの広さがある修道院の中庭も、治療を受けているケガ人や病人で埋め尽くされていたのだ。


( ここもか…。 )


アルバは驚愕して不謹慎とは思いつつも、ついそんな事を洩らしてしまった。

しかも季節は真冬。

治療する修道兵、癒される兵士や住民たちの皆が、体を縮こませ震えてるのがよく分かる。

いくら毛布が配られているとはいえ、この寒さの下でじっとしているのは、さぞや骨身に堪えるだろう…。野戦病院と化したその光景を見て彼はそう思わざるを得なかった。

ただ…

驚くのはそれだけじゃなかったようだ。


「あっ…。」


ふと声が漏れた。

彼の目が、ある女性を捉えたからだ。

黄金色の髪に、白ローブ。

どんなに遠くから見ても、見間違える事などあろうはずもない、それは彼が一目惚れしてしまった聖女サーシャ・カスティリャだった。

そうでなくとも彼女には、例えこの場所に何百人の人々があふれ動き回っていたとしても、視界に入れれば必ず捉えてしまうほどの存在感がある。

( 良かった…。本当によかった…。 )アルバは彼女の元気そうな姿を見て、ようやく胸を撫で下ろし思わず安堵の笑みを浮かべたものだ。

その愛しい愛しいサーシャは、怪我や病に倒れた全ての病人たちに一人づつ声をかけているようだった。

すぐに彼女の元へ駆け出そうと、自然に足が出る。

だが、一歩踏み出そうとした時、彼はふとその足を止めた。

本当ならすぐにでも彼女の元へ行きたかったのだけど、何故かそれ以上、足は前に出なかったのだ。

少し離れた場所にいて、自分に気づいていないサーシャ…。

こんな場所からでも分かる女神に相応しい美しさ、そしてそれは一見すべての人の心の弱い部分を奪ってしまうほどの艶やかな魅力もあるのだけど、それを上回る清廉さが彼女を包んでいて、より一層彼女の魅力を高めている。

遠くから覗き見る彼女をこのままずっと見ていたいな…アルバはふとそう思ったのだ。

サーシャはいつも自分の側にいてくれたけど、今はとても距離が離れている。

初めて彼女を遠くから見ることができる…それはある意味、落ち着いて彼女を見るいい機会なのではと思ったからだ。

何せ、彼女は未だに彼にとってみれば謎多き人物。女性としての興味は尽きないが、人間としても大いに知っておきたいっていう御仁だ。まぁ、今となっては人間かどうかも怪しいけれど。

そんな訳で彼は、この場所に立ち尽くし彼女を見る事にしたのだ。


「でも…サーシャらしいな。」


アルバは頬を掻きながらふとそう洩らした。

サーシャはルンの民は勿論、ここに逃げ込んできたロハンの兵士たちにも声をかけ、それぞれの怪我の具合を丁寧に確かめていた。

その横顔に浮かぶ優しくも温かい微笑みは、これまでと変わる事なく慈愛に満ちていて、そして心なしか身体が白く輝いているようにすら見える。

彼女の横に付き添っている修道士が、サーシャのことを紹介しているからだろうか。

彼女が前に来るとみんなが驚いていて、歓喜の声を上げる者やひれ伏す者までいた。アルバには未だによく分からないが、昨日から繰り返されるその光景に、教団の司祭というのはそれほどありがたいものなのだろうって漠然と思ったものだ。

だが、それをしているのは何も彼女ばかりではない。

碁盤の目のように等間隔に並べられた簡易ベッドの周りを修道士たちが必死に走り、治療し、懸命に励ましている様子が見て取れる。そして治療される多くの人々も、申し訳なさそうに頭を下げて、必死に感謝の意を伝えているようだ。その光景は、教会の壁に描かれた絵画のように実に微笑ましいものだった。

( みんな、偉いな…。 )アルバはそう思いながら、目を細めた。

だだっ広いこの寒空の下に広がる中庭。

なのに、その光景はとても温かいものに感じられて、アルバはおぼろげに教会の存在意義なるものを見た気がした。なぜ世界中に教会が建てられているのか、どうして裕福な者は勿論、どんな貧しい民でもできる範囲で率先的に寄付をしたり、自分のように奉仕で貢献しているのか、なんとなくその心の内も分かるというものだ。

そしてそんな教団の世界の中で、自分の片思いのお相手サーシャさんは、とってもお偉い人なのは間違いがない。この巨大なルン修道院の女長であるセドリーヌという修道士さえも、彼女には深く頭を下げていた。そしてその他の修道士たちも、彼女の事を神様や女神様だと連呼しているのだ。

教団最高位司祭…。改めて、彼女の肩書きにアルバは頭を巡らせた。

いやぁ…最初に出会った時からね、只者じゃないってのはなんとなく分かったよ。そのありえないほどの美しい見た目も、何事にも動じない凛とした趣や優しさ溢れる大きな心にも、そしてその美しさからは想像もできない行動力や冒険心も…。

あの摩訶不思議な世界で出会った、彼の剣の師匠であるジルの言葉を思い出す。

サーシャは世界の頂点に立つ女だと…言っていた。そしてそんな彼女を守ることは並大抵のことではないと。

ーー今なら、少しだけ彼の言葉がわかる気がした。

でも、幸か不幸か自分はそんな彼女を守れる力は、まるで持っていない。

だからだろうか。肩の力を抜いて、自分なりにやっていこうって思った。

彼女が本物の騎士である”師匠”なる人物に会えるまで…。


だが、彼がそんなことに思いにふけっている時だった。

突然…予期せぬ事態がアルバを襲った。

いやね、彼も最初は色々思いを馳せながらニンマリと彼女の様子を黙って眺めていたのだけど、サーシャがある兵士に声をかけたとき、思わず目を丸くしながら体が硬直してしまったのだ。

彼女は最初、座って腕に包帯を巻いたその兵士に普通に話していたんだけど、やがて彼女はその男の手を掴み、あろうことか笑顔でその手を両手で包んでしまったのだ。

その様子にね、アルバの心の奥が一瞬でえぐられ、ざわめき始めてしまう。

なんかこう、体の奥が得体の知れないものに支配されてしまったかのようにグルグルして、イライラする…。

( なんだあれ…。 ) 顔を俯かせ彼女から視線を外し、胸を押さえる。それは、この呑気者が初めて経験する感覚で、奥歯がを軋むほど噛んでしまって、膝までガタガタと震えた。

やがて、ドンッ!ドンッ!って激しく心臓をうつ感覚に襲われ、ハァハァって必死に空気を吸い込もうとするほどに胸が苦しくなる。

アルバは何とか心を落ち着かせようと、大きく深呼吸して胸を何度も叩いた。

だけど、心のドロドロしたものは中々収まらない。困ったように頭を掻きながら、顔を上げたのだけど、サーシャとその兵士はまだ楽しそうに話していて、寧ろ談笑しているようにすら見えた。

ーー手を繋いだまま。

いやいや、本当はサーシャがその兵士の手を包んでいて、何やら元気付けようとしているだけなんだけど、彼の頭の中は全く別の事を考えてしまっていた。しかもまた彼にとって不幸な事にその兵士さん、20代前半の逞しく格好いい青年兵士。

思わず口がぽっかり開いて、閉じなくなった。

そしてその2人を見ている時間が永遠のように長く感じられる。

( 俺、どうしちゃったんだろう…。 ) あらゆる事に呑気者のアルバの心臓が激しく波打ち、なんだか心がやけに焦っている。

云々、それは嫉妬心というやつだ。いやむしろこの場合は、状況的に見てもただの焼き餅。意味のない方の嫉妬だ。いうなれば、彼女は修道士のお仕事してるだけだもの。

だけどアルバは、思わず後ずさった。

彼の体と剣技は飛躍的に鍛えられたんだけど、心はどうやら”もやし”のまま。

思わず、顔を俯いて自分の両手を一度強く握った。

そしてゆっくりと手を開き、掌にゆっくりと目をやる。

( この手の中に、昨日までサーシャの手があったのに…。 )って、唖然としながら呟いた。

だけどそれはとっても飛躍しすぎで悲観的。ここにね、もしサカテさんなんかがいたとしたら、頭を叩かれて「お前はアホか!」って突っ込まれるほどの情けない考えなのだけど、彼は一気に気持ちが落ちていくのを感じた。

敵の有名な将軍を一騎打ちで倒し、5,000の兵を追い返した英雄さん…のはずなんだけど、アルバのベースは所詮田舎出身の16歳の少年。しかもどちらかというと、静かに平穏な暮らしを望む呑気者で平民中の平民だ。

( そうか…。サーシャは誰にでも優しいから、誰とでも手を繋ぐんだな。誤解…してたって事か…。 )

なんて、一気に後ろ向きな思いが顔を覗かせる。

そして、そう考えればこれまでの出来事のいろんな事が納得できる。彼女が自分にしてくれた愛情にも感じられてしまった数々の事…それらは彼女が心優しい修道士ゆえの事だと。

サーシャはきっと、弱き民には誰にでも優しく話しかけ、手を繋いで励ましてくれ、抱きしめて慰めてくれるんだって、この時ハタと思ったのだ。

だから彼女は”師匠”なる人物を愛していても、自分に優しくしてくれたんだって。

教団の女神としてのサーシャ…。

それを遠くから眺めてしまったが故に思い知ってしまったアルバは、やがて水を飲むこともやめて、ゆっくりとその場を後にした。


何だろう、この虚脱感は…。

アルバはそんな事を口にしながら、まるで魂の抜けた亡霊のように巨大な修道院の中を宛てもなく彷徨った。心にぽっかり穴が空いたようなこの感覚は、これまで感じた事がないほど心が切なくて、胸が痛かった。

どんなにポジティブな事を考えようとしても、浮かぶのは嫌な幻想ばかり。頭では心やさしき彼女が弱った兵士を励ましていただけだってのは分かるんだけど、心がどうにも釈然としない。またね、その相手が自分よりも遥かに逞しくかっこいい青年だったもんだから、彼の弱いもやしのような心は一斉に音もなく倒れこんだ。

そして小さな小さな彼のプライドを守っていたそのもやしの壁が倒れると、襲ってくるのはネガティブな津波。


「僕が女神様を守ります。怪我が治ったら共に行きましょう。」


「まぁ、あなたのような強そうな殿方が共にきてくれるなら安心だわ。」


「僕が、なんびとたりとも女神様に指一本触れさせません。」


「素敵ですわ。ねぇ、私の騎士になってくださいませんか?」


「もちろん、そのつもりです。」


「ありがとう。あっ、今宵は私の手料理を食べていってくださいね。」


思わず叫びたくなる妄想…。おいおい、師匠はどうしたと思ってしまうんだけど、大して人生経験のない彼ではそこまで頭が回らない。

これでは頭がおかしくなってしまう…そう思った彼は必死にサーシャを忘れようと、違う事を頭に浮かべた。

それなのにだ。

ここルン修道院には、まぁ親の仇みたいに女神の肖像画、宗教画、彫刻に溢れていて、彼の心は歩くたびにあんにゅい気分になっていく。実をいえばそれはサーシャの祖先で、ファティ大司祭という御方らしいのだけど、まぁ見た目が瓜二つなんだから今のアルバにはそんな事実は何の慰めにもならなかった。

( どこかで休もう…。 )

さすがに心身共々疲れたアルバは、とりあえず身体が横になれる場所を探す事にした。

突然の戦争参加、有名な将軍さまとの一騎打ち、そして五千の兵を追い返したついでに、サーシャへの嫉妬…。

云々、これではいくら若いといっても、身体が悲鳴をあげてもおかしくない。

だが、今や修道院はどこもケガ人や病人、そしてルンの民でいっぱい。横になれるような空いているスペースさえもない。何せ、今歩いている狭い廊下の隅にも人が座って休んでいて、歩きにくいったらありゃしないってくらいだもの。

( こりゃ、修道院の外に出るしかないな…。 )

アルバは、頬を掻きながらそう思い立った。疲れがピークに達していていろんな事が面倒になったてのもあるけど、何だかサーシャから逃げたくなったのだ。

遠くに行けば、さっきみたいなものを見ないで済むなって、ちょっと冗談ぽく思った。まぁ、本気で離れたいって思っているわけじゃないから、それは本当に自分自身についた嘘なんだけど。

だが、よくよく考えれば行くあてなどない。唯一、血が繋がっていた叔母は、金とともに行方知れず。かといって、彼の自宅があるワラミ村に戻ろうとすれば、片道3時間…それこそ行き倒れて凍死しちゃうだろう。

( う〜ん…どうしようかな。 )

アルバは見事な大理石に敷かれた藍色の絨毯の上をフラフラと歩きながら途方に暮れる。こういう時、本当に頼れる人がいないというのは何とも辛かった。叔母がいなくなり、彼にはいよいよ家族どころか友達もいない。

何でだろう…。

彼は思わず我に返った。

これまであれだけ一人だったのに、孤独が苦しいと思ったことはなかった。むしろ気楽でいいなとすら呑気に思っていた。

それが、今は苦しい。何とも寂しい。

妄想と寂しさと虚しさ。彼は頭の中でそれらをぐるぐるさせて歩き回った。

時間も距離も感じられず、ただただ進んでいく…。

やがて意識が飛んだように足だけが一歩一歩、不安定に前に進む。足取りはフラフラで、美しい修道院の回廊はゆっくりと渦を巻くように回っているようにさえ見えた。

だけど歩いても歩いても、追いかけてくるサーシャの亡霊。

しかもそれはワラミ村にいた時の彼女…。自分の名だけをいっぱい口にしてくれ、自分だけに微笑んでくれていたサーシャだ。

温泉や干し草のベッドの上、彼女はまるで自分に好意があるんじゃないかって誤解するほど優しく、そして美しい姿をずっと見せつけてきた。

だけど今、そんな彼女の笑みを見ているのは自分ではなく、違う男だ。そこがどうにも釈然としない。

云々、これは誰が見てもかの有名な独占欲というものだ。

だが、彼は学もない田舎の少年。当然そんな言葉を知っている筈もなく、ただただ不安に襲われ、胸が痛み、足が震える…。

と、いつの間にやらアルバの周りから人の気配が消えた。

ようやく我に返った彼が何気にあたりを伺うと、そこはアーチ状になった窓に藍と黄金色に彩られた壁と調度品が美しい長細い空間…どこかの渡り廊下のようだった。

どうやってここまで来たのかも分からないけど、この場所は落ち着いていて、静かで、なぜか温かった。

( ここなら落ち着いて寝れそうだ…。 )

そう思ったアルバは、まるでベッドに倒れこむようにその場所に背中から倒れこんだ。

ダンッ!って大きな音が響いたが、それほど痛くはなかった。藍色のふかふかの絨毯が身体を優しく受け止めたくれたからだ。

やっと大きく横になれたアルバは、「あーあー!!」って雄叫びをあげながら、思いっきり伸びをした。戦いの時は周りにあれだけ人が溢れていたのに、ゆっくりできるこの今は、一人。それが良い事なのか悪い事なのか分からないけど、一抹の寂しさはあった。

( 頑張ったんだけどな…。 ) そう洩らしながら、額に腕を乗せて静かに天井を見上げた。

床に寝っ転がり、見えてきたその天井にはやっぱり女神の絵があった。

ただ、その絵はこれまでと違い、女神だけでなくその横に精悍な剣士の姿が描かれている。まるで女神を守るように立ちはだかる精悍なその剣士、そして寄り添う女神はその剣士を満面の笑みで見つめている。

その天井画を見た時、彼はこの虚しさの正体が分かった気がした。

最初に盗賊から彼女を守って村に一緒に走った後も、攫われた彼女を助け出した時も、サカテに勝った時も、サーシャは自分をいっぱい褒めてくれた。

そしていつも側にいてくれた。

抱きしめてくれたり、手を繋いでくれたり、ご飯を作ってくれたり…だけど、今回はそんなご褒美もないばかりか離れ離れ、あろう事か他の男とイチャイチャしていたんだって。

はぐれてしまった自分が悪いって事も、彼女が修道士としての正しい行いをしてるって事も、挙句あの場所から逃げ出したのは自分自身だった事も忘れて…。

はっきり言うと、アルバは幼子のように拗ねてしまったのだ。

この学も人生経験も…そればかりかロクに記憶もない16歳の少年は、まるで憧れていたお姉さんを、誰かに取られちゃった気分だった。

だけどね、落ち着いて考えると彼女には最初から”師匠さん”なる人物のもの。

そもそもあんたのもんじゃない。

( はぁ…。 )彼は大きなため息をついた。虚しさの上に嫉妬心と悔しさをデコレーションした大きなケーキを頭の中で作り上げていた。とともに、お腹がぐーって鳴る。

( お腹…空いたな…。 )

アルバはその嫉妬のケーキを消し消ししながら、サーシャが戦いの後に作ってくれると約束してくれたスープを想像し、ちょっとだけ笑みを浮かべながらぐったりすると、そのまま深い眠りについてしまったのだった。

所詮ね、呑気者の嫉妬心など、この程度だ。



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