サーシャの裁定
その女神と思しき女は、後ろに2本の剣を掲げた聖騎士と思われる剣士と、20人ほどの修道兵たちを従えていた。
黄金色の長くきらめく髪に透き通るような白肌、そしてどうやったらこんなにも美しいモノが美しく並ぶのかと訝しむほど整った顔立ち。
そして純白に輝く白ローブに、黄金のストラを巻いたお姿。
そのあまりに美しい姿と光り輝くような威光は、その場にいた全ての人々の度肝を抜いた。
「教団最高位司祭であられるサーシャ・カスティリャ様の御前である。ルンの兵士たちよ、控えよ。」
やがて目を丸くして戸惑っている兵士たちに向けて、黒髪の修道兵が一歩前に出てきてそう言い放つ。ルン修道院の責任者で女長であるセドリーヌの言葉だった。
セドリーヌは、ルンの統治者であるジェニファ・ロダンとともに、今回のルン防衛会議にも修道院代表として出席した人物。ルンの隊長たちはみんなが見覚えがあった。
サーシャという名はよく知らなくても、ルン修道院の女長が畏まり奉っている女だ。彼女自身のその見た目とともに只者じゃないって事を理解したルンの兵士たちは、すぐに武器を大地に置いてそのまま跪いた。
そしてその様子を見ていたスカラも思わず唸った。
( これでは兵たちが神と間違う訳だ。教会の女神像とそっくりではないか。 )
心でそう呟いた彼も、すぐさま顔を伏せた。
世界の理によれば、教団最高位司祭なる者は各国の王よりも位が上。顔だって見てはいけないほどの御仁なのだ。
「め、女神様じゃ…。ほんまもんじゃ…。」
そしてこれには、さしものロハン老部隊長ボードワンも思わず目を丸くした。
スカラは、教団のカスティリャ家の事を知っていたので最高位司祭がなんであるかすぐに理解したが、そんな事は知らぬとばかりにボードワンはもうサーシャを神様と決め付けたようだ。
何せ自分が子供の頃から祈り、信仰し続けた女神像にそっくりな人物がそこにいるのだ。しかも神のごとき神々しい姿で。彼は、この御仁が最近噂になっている教団の女神であることにすぐに気がついた。
そしてその白馬に騎乗した女神は、跪いたルンの兵士たちの中央で、畏まっているボードワンとスカラに目を向けて、言葉をかけてきた。
「その紅の鎧…貴殿らはロハンの方達ですね?」
「は、はっ。私はロハン副将軍のスカラと申します。彼は部下のボードワンです。」
「スカラ殿にボードワン殿か。…ロハン軍は神の裁きを受け、皆が自分たちの街へ戻る決断をしたと聞く。なぜ、貴方たちは戦っているのですか?」
女神サーシャの声は、澄んでいて穏やかだった。
スカラはすかさず言葉を返そうとしたが、彼より先に老部隊長であるボードワンが声をあげた。
「女神様。恐れながら…我らは、退却していた味方を襲おうとしていたルンの軍隊と戦っておりました。」
珍しく老獪なボードワンが、しゃがれた声で素直にその事を話した。敬虔な教団の信者である彼は、例え教団が敵についたといっても、女神に嘘はつけなかったのだろう。それは、いつも思惑を張り巡らし自分たちの利を最優先にする部隊長の言葉は思えないほど素直なものだった。
だが、その言葉に当然ルンの兵士たちは反発する。
「何を言うか!我らの街を襲っておいて、今さら教団に命乞いか!恥を知れ!」
「散々俺たちの仲間を殺しておいて、その口が何を言うか!!」
「そうだ!皆殺しにされて当然だ!」
跪きながらも、身振り手振りで相手の非をあぶり出すルンの兵士たち。
まぁ、そんな彼らの言う事もごもっともで、至極まとも。戦争なのに、逃げる敵にトドメを刺しちゃいけないなんてルールなんてある訳ないし、生きたまま逃したら、また今度攻め込んで来ないとも限らない。
ルンの兵士たちは、自分たちの主張に自信満々だった。
一方のスカラとボードワンは彼らの話を無言で聞いていたが、やがて女神の方向に体を向けながらその場に畏まった。
その様子は、この場の採決を女神サーシャに委ねることにした何よりの証。
如何にこの世界の教団の影響力が大きく、その存在意義を示すような一幕だった。
馬上の女神はその様子をしばし眺めていたが、やがて静かに口を開く。
「ロハンの方々。貴方たちは、2人だけなのですか?」
「はい。そのほとんどはロハンに退却させました。…ですが、逃げ遅れた兵は街のどこかに隠れているかも知れません。」
スカラが女神に素直に答えると彼女は小さく頷き、「そうですか。皆が無事でいると良いですね。」と、予想外の言葉をかけてきた。それは如何にも慈悲深い教団の司祭らしい言葉だった。
その言葉を聞いて、スカラはある事に気付く。
…彼女や教団がそのままロハンの”敵”ではない事に。
彼女たちが敵視しているのは、正当な理由もなく弱き民を殺したり、困らせたりする者たちだけだと。
そういう意味では、逃げ惑っている現在のロハン兵は教団の敵ではないのかも知れない…。
スカラはそう思い立つと、慌てて大きく頭を下げ、願い事を口にした。実を言えばそれは、彼女の慈悲深さにつけこむような”賭け”だった。
「司祭様…お願いがございます。」
「なんでしょう?」
「…どうか、無抵抗な兵たちはお助け願えないでしょうか?」
とても虫のいい願い事だという事は、言った本人も分かっていた。
勝手に攻め込んできて敗れたら、慈悲を乞う。とても潔くないし、男らしくもない。だが、この時の副将軍はそんなプライドめいたものに拘っている事など出来なかった。自分たちの将軍セザールが育てた兵士たちを一人でも救いたかったからだ。
だからこそ、彼はこの教団の女神にかけたのだ。
何せこの女神が首を縦に振理さえすれば、例えルンといえど無下には出来ない。
ーーしばらく、無言の時があり、ルンとロハンの両者とも固唾を飲んで彼女の答えを待つ。
…やがて、サーシャは小さく頷いた。
「分かりました。抵抗なき者は、修道院で一度保護します。後日、ロハンへ戻しましょう。」
その女神の言葉に、スカラは大きく安堵した。
これで隠れていたり、逃げたロハン兵は、ルンの正規軍に追い立てられる事もない。
だが当然のように、ルンの兵士たちは不平の声が漏れる。
やがて彼らの部隊長と思わしき人物がいきなり立ち上がって文句を言った。
「きょ、教団の方々!待たれよ!そのような事、勝手に決められては困る!」
攻め込まれたルンにとってみれば、それは至極真っ当なご意見だ。ロハンの兵など、皆捉えて、袋叩きにしたいというのが本音だ。
だが、それにはルン修道院の修道士で彼女の親友であるエマがすぐに反応した。
「無礼者!!教団最高位司祭であられるサーシャ様の御前で許しもなく言上するとは何事か!!ましてや我らが女神様のお言葉に反を唱えるなど、許されると思うてか!」
ものすごい剣幕で言い放つエマに、その部隊長は思わず腰が引けた。
まぁそれは彼女が教団の聖地でよく聞かされた文言のパクリだ。唐突なご意見だとは思うが、権威やら権力が絶対であるこの世界では効果抜群だった。
「い、いや…それは…。」
思った通りルンの部隊長は思わず声が上ずる。だがエマは厳しい言葉を緩めなかった。
「それでなくともここルンを救ったのが、我らが女神様とその騎士であられるアルバ様である事は明白。つまり我ら教団が街を勝利に導いたのだ。道理を通すは、我ら教団である事に誰も口を挟むことなど出来まい。それとも、女神様から受けたその御恩を仇で返すとあらば、それは教団全修道士1,000万を敵に回すと同じ事。…その御覚悟がおありか!?」
「と、とんでもございません。決して、そのような…。」
「ならば、サーシャ様のお言葉に素直に従うのだな?」
「も、もちろんにございまする。」
エマの激しい物言いに、そのルン部隊長は振り上げた拳を下ろすように、そのまま小さくなって畏まった。この世界では、教団を敵に回したらどんな国でも生きていくのは難しい事を彼は知っていたからだ。何せこの世界に暮らす民のほとんどが信者なんだから。だからこそ今回のロハンの蛮行は、とても信じられなかったのだけど。
それはさておき、ルンの兵士たちが黙った事を確認すると、サーシャは一度エマに目配せして礼を言い、そのままスカラとボードワンに目を向けて微笑んだ。
「スカラ殿、これで宜しいですか?」
すると馬上のサーシャを見上げたスカラは、無礼とは思ったが言葉を返した。
「女神様のお言葉に異論などあろうはずもございません。…ですが、一つお尋ねしたい事がございます。」
「…なんでしょう?」
「前線より逃げてきた兵士たちから、我らが将軍セザール・モイサが聖騎士のアルバ殿と申す方に一騎打ちで敗れ、命を落としたと聞きました。…それは、まことの話なのでしょうか?」
それはスカラとボードワンが最も知りたかった事だ。すると、サーシャは一度、後ろにいた騎士と思われる御仁に目をやり、大きく頷いた。
「それは本当の事です。そのセザール殿は、修道院に火を放とうとしていました。修道院には、修道士はもちろんルンの女子供など弱き民がいたのです。その為、私の騎士であるアルバ様が、正々堂々一騎打ちで討ち取られました。」
サーシャがそう丁寧に説明すると、彼女の後ろに騎乗していたアルバがゆっくりと下馬した。
その男を見て、スカラもボードワンも驚く。
青年…というよりは、少年だった。
真っ黒な大きな瞳は力強く生気に溢れてはいるが、体つきは華奢。とてもセザールを破った御仁とは思えなかったが、巨大な黒い剣を背負ったその少年の手には、確かに将軍の愛剣である銀剣が握られている。
「き、貴殿がアルバ殿か…。」
スカラがそう洩らすと、その少年はゆっくりと彼らに近づいていく。
華奢なことは間違えないんだけど、その規則正しく背筋をピンと伸ばした歩き方は、その見た目に反して体は鋼にように鍛えられ、体幹もしっかりとしている事を伝えていた。
まぁ、それはアルバに言わせれば、彼自身というより不思議な世界で出会ったジルという男のお陰なんだけど。
アルバは、そのまま跪いているスカラとボードワンの前に立つと、そのまま腰を下ろし、彼らと目線を合わせながら、「…これ、お返しします。」と2人の前に銀剣をゆっくりと丁寧に差し出した。
「セザール将軍は、とても強い人でした。そして…とても優しい方でした。」
驚いている2人をまっすぐに見据えながらアルバはそう言って、少し悲しそうな顔を見せた。
まぁ、最初に戦った時には、アルバはセザールにけちょんけちょんにされた。それほどに彼は、桁違いに強かった。自分が勝ったのはある意味奇跡だ。むしろ、ジルに勝たせてもらったとも言えるもので、アルバは今でも自分の実力で彼に勝ったとは、露ほども思っていなかった。だがそのアルバの言葉を不思議に思ったのか、スカラは彼にゆっくりと尋ねた。
「それは…どういう事でしょうか?」
「…あの人は最初、弱かった俺を殺さず、逃がそうとしてくれました。…最後は、いろんな奇跡と偶然のお陰で俺が勝ちましたけど…本当なら手も足も出ないほどの剣士でした。」
それはアルバにしか分からない本音だったが、当然のようにスカラもボードワンも怪訝そうな表情を浮かべた。…この坊主、何を言ってるんだって。さっぱり意味が分からないぞって。
まぁね、現実はこうだ。
修道院に放火しようとしていたセザールを、アルバは止めた。そしてそこから一騎打ちしたんだけど、まぁ将軍と物売りじゃ実力差は大きい。その事を悟ったセザールは、最初アルバを見逃してくれようとしたんだけど、彼は彼とてサーシャの手前引けない。結局セザールとの一騎打ちを選択するもアルバは敗れ、死ぬはずだったのに、なぜか不思議な世界に迷い込み、巨大な湖を真っ二つにするほどの剣豪ジルの元で修行。1年もの間その男に剣を学び、ありえないほどの力を授けられたアルバは、不思議なことに一年前の一騎打ちの場面に戻ってしまった。そして、そのジルの力でセザールとの再戦に勝利したのだった。
「は、はぁ…。」
そんな事を露ほども知らないスカラは中途半端な返答をしながら、とりあえず彼の手から将軍の銀剣を受け取った。それはスカラにしては馴染み深い、ズシリと重みのある見事な剣だ。その重みを噛み締めながら、彼はアルバに再び尋ねる。
まぁ…このままでは、さっぱり意味が分からないからだ。
「アルバ殿。…その、将軍の最後はどのようなものだったのでしょうか?」
「紙一重との勝負でした。どちらが敗れてもおかしくなかったです。そしてセザール将軍は、最後までロハンの事を心配されてました。」
「そうでしたか。」
それは、如何にも将軍セザールらしい言葉だった。自分の事よりも、ロハンの街や部下の事を心配する変わった将軍だったと、スカラは改めて思ったものだ。
すると馬上にいたサーシャが静かに口を開く。
「セザール殿は、修道院破壊という作戦に、最後まで思い悩んでいたようでした。それを指し示すように、アルバに破れた時…とても安らかな表情をなされていたのです。…そして、あの御方は死ぬ間際にアルバ様に言ったそうです。ロハンを頼むと。」
「ア、アルバ殿にですか?」
スカラとボードワンは思わず声をあげ、アルバに目をやった。だけど、アルバ本人は思わず体を仰け反らせて、手を振りながら首も振る。
「い、いえ。それは、セザール将軍が俺を買いかぶりすぎただけです。」
それは本音だった。だが、スカラは眉をひそめ、こちらもこちらで首を振る。
「ですが…我らの将軍セザールは口から出まかせを言うような御仁ではありません。」
「あ、いえ…。ですから将軍は、大きな誤解をされていただけです。」
「あの御方は、人を見る目は確かです。…その他に、何か言い残しませんでしたか?」
スカラは、一切譲らないで彼にそう尋ねると、彼に畏るかのように大きな手を大地につけた。
その様子を見たアルバは、困ったように頬を掻きながら、何かを思い出すかようにチラッて夜空を見上げる。と、やがてセザールが言い残したある人物の名前を思い出した。
「えっ?えっと…なんだっけかな…。あっ、なんかロイスさんって人を頼れって言われた気がします。名前が合っているか自信はないけど。」
「なんと…将軍はロイス殿のお名前を出されましたか。」
その名を聞いたスカラは、ますます目を丸くした。若干、固まってしまった2人を見て、サーシャが再び口を挟む。
「そのロイスさんと云う方は、どんな御方なのですか?」
「は、はい、女神様。ロイスと云うのは、政治、経済、外交においてとても優れた人物で、我がロハンでも勿体ないほどの傑物でございます。」
スカラがすぐにサーシャの方に体を向け、跪きながら答える。
「それほどの人物なのですか…。」
「はい。ですが、あまりに先を行き過ぎていて、伝統を重んじる我らのロハン領主であるトンプソン公とは、折り合いが悪うございます。ですから、彼の先見の明を読めぬものは、口を揃えて彼の事を変人と呼ぶのです。」
サーシャは彼のその言葉を聞いて、すぐにこのスカラという男もロハン領主と折り合いが合わない事を見破った。だが、そうはいっても自分とアルバがロハンに関わるというのは、現在のところありそうもない。
「スカラ殿、ボードワン殿。セザール将軍の読みは当たっているかどうかは、これからの歴史が証明してくれる筈です。…さぁ、貴方たちもそろそろお行きなさい。今後の事は、ルンとロハンが平和的に会議で決めるのです。教団も中立の立場で参加いたしますゆえ。」
「は、はい。承知致しました。我らが領主トンプソンに間違えなくお伝えします。」
スカラがそう言って深く頭をさげると、サーシャは彼らの周りにいたルンの兵士たちにも言葉をかけた。
「ルンの兵士たちも私怨を捨て、よくぞ耐えてくださいました。流石は、ファティ大司祭が最初に教えを広めた街の住人たちの末裔です。これからは、武器を捨て言葉で共に繁栄していく道を探していきましょう。」
女神のその言葉に、反論するものは皆無だった。




