温かなマントとアルバの記憶
2人が仲良く肩を並べながら店の外に出ると、陽はどっぷりと暮れていて、辺りは先ほどの橙色の光景から藍色と燻んだ水色の美しいグラデーションの世界に変化していた。街の建物からは、黄色いランプの光が漏れ始め、時が大きく進んだ事を表していた。
「わぁ、夜空が綺麗ですね。」
サーシャはおでこに手を添えて、白い光を放ち始めた星空を嬉しそうに眺めるとそう漏らした。アルバはそんな彼女の横で、食料と日用品を詰め込んだリュックを背負いながら小さく頷く。冬の空気は澄んでいて確かに星空は綺麗に見えるが、吐く息は白く、手は冷たい。
「サーシャさん、急ぎましょう。」
鷹揚なこのお嬢様を尻目に、アルバは少々焦っていた。彼女といる時間が楽しすぎて、時間がかなり進んでしまっていたからだ。何せここからアルバの村まで3時間。寒さもそうだが、追い剥ぎや人攫いの類も気にかかる。
「はい。寒いですからね。」
「まぁ…。それもそうですけど。」
彼が苦笑いを浮かべながら、少しだけ背中を丸め歩き出す。サーシャは厚手の白ローブで膝下まで覆われているのでいいが、アルバはぺらぺらの麻のシャツとズボンしか身につけていない。まぁね、本当を言えば凄く寒くて凍えそうだ。だけれども、なるべく胸を張る。少年とはいえアルバは立派な男の子。綺麗なお姉さんの前では、少しだけでもいいトコ見せたい。
だけれども、サーシャはそんなアルバの思いを見透かしたようにクスって笑う。
やがて彼女は止まったまま、白ローブの中で腕を動かし、何やら、もぞもぞしだした。
「どうしたの?」
アルバも足を止めて振り返りその様子を不思議そうに見ていると、やがてシュルルって布が擦れる音がして、サーシャは自分のローブの中から檸檬色のマントのような物を取り出した。
「夜は…冷えます。それはどんなに素敵な勇者でも同じです。」
彼女はそう言って微笑むと、その檸檬色のマントをそっとアルバの背中にかけた。…それは間違えなく先ほどまでサーシャが身につけていたものだ。すぐに彼女の甘い香りと体の温もりが彼の背中にそっと伝わった…。
「こ、これじゃ…サーシャさんが冷えてしまうのでは…。」
「私は中に何枚も着込んでいるので大丈夫です。」
彼女はそう言いながら彼の後ろに回り込み、マントにつけられた首元の紐をキュッと結ぶ。確かに…背中が暖かい。さっきまでの何倍も暖かく心地よかった。
「サーシャさん…ありがとうございます。」
「いえいえ。さぁ、アルバくん。これで準備万端です。お家に帰りましょう。」
サーシャは後ろから彼の頭を優しく撫でると、そう言って溢れるような笑みを見せた。
2人は、辺りを深い木々に囲まれた一本道をひたすら西へと進む。
見上げれば満天の星空が広がっていて、冬の山道はひんやりとしていて静か。まるでこの不思議な組み合わせの男女を覆い隠すように包んでいるようであった。空気は冷たいが、運のいい事に風はなく、辺りは夜鳥の鳴き声が稀に聞こえるくらいだ。とても静かな夜だった。
アルバといえば、サーシャから借りたマントを内側から何度も摩ってその感触を楽しんでいた。
上等な絹と丈夫な布を合わせて作った彼女のインナーマントは、肌触りがなんとも心地いいのだ。それに彼女の残り香と温もりも中々消えなかった。いや、もしかしたら既にそれは幻想なのかもしれないが、自分の頭の中の妄想は、はっきりと彼女の残した感触を覚えている。それは赤面ものの恥ずかしい妄想なのだが、何せ心の中とマントの内側の話なので彼女に暴かれる心配はない。
だが、それよりも何よりも彼女の心の優しさが嬉しかった。
寒い夜に、自分の暖かさを犠牲にしてアルバにマントをかけてくれる…
そんなにはっきりと見える愛情のようなものを彼は誰からもされた事がなかったからだ。
それはまるで、これまでの一生分の善行のご褒美を貰った気分だった。
「アルバくんは、年はいくつなんですか?」
やがて横を歩くサーシャが、こちらに顔を向けながら話しかけてきた。
「あ、はい。16になります。」
「まぁ…そうなんですね。」
彼女はとっても意外そうな顔をした。むしろ驚いているような表情にも見て取れた。
「私は、20歳なんです。アルバくんより少しお姉さんですね。」
「…そうですか。でもサーシャさんは、もう少し若く見えます。」
アルバはとりあえずそう答える。勿論、嘘ではないのだけど、彼には女性が喜ぶ話など思いつかない…ただ、女性は年が若く見えるというのは嬉しい事だと叔母のダニエロから聞いた事があったから、試しに言ってみたのだ。
「あら、お上手ですね。」
だけどサーシャは苦笑いを浮かべる。…あれ?外したんだろうか…って、アルバは少し焦る。だけれども彼女はそのまま特に気にすることなく話を続けた。
「でも16歳なら、まだ教会でお勉強する年でしょう?もう働いているなんて偉いわ。」
この世界では子供の勉学は全て教会で行うのが常識なのだが、それはアルバのような貧乏人にとっては絵に描いた餅だ。
「ハハッ。俺は一人で暮らしているから、教会で勉強してたらご飯が食べれません。」
「でも、教会の授業は貧しい民は無料ですし、食事やお洋服も配られるでしょう?」
「そうですけど…。何もしていないのに、そうやって誰かの世話になるのは嫌なんです。」
「まぁ…ご立派ですね。」
「立派というか…。何もできない子供や体が動かせない老人ならいざ知らず、俺は働けますからね。」
アルバはそう言って照れ臭そうに頭を掻くと、サーシャは大きなブラウンの瞳をパチクリさせながら、こちらの顔を覗き込んできた。彼女はこういう時、やけに顔を近づけてくるのでドキってする…逆に心臓に悪いというものだ。
「ううん。アルバくんの考え方って素敵です。人間は楽な方に行きたがるのに…。」
「そう…ですかね?」
「そうですよ。ある意味、変わっていると思います。」
サーシャはそう言って、黄金色の髪の毛先をゆっくり摩る。彼女の髪はとてもふわっとしていて柔らかそうだ。ちょっと触ってみたいけど、流石にそんなことは頼めない。アルバはその美しい髪を凝視しながら、唇をほころばせた。
「それを言うなら、サーシャさんの方が変わっていると思いますよ。」
「あら、そうかしら?」
「若い女性の一人旅で、荷物もほとんどない。怪しさ満点です。」
「ふふっ。怪しいですか?」
「ええ、最初は美女に化けた物の怪、悪魔の類かと思いましたから。」
「ウフッ。じゃ、食べて差し上げましょうか?」
彼女は破顔して、舌をちょこんと出した。それは、胸がざわつくほど可愛らしい仕草なんだけど、こんな美女がそれをすると、そのギャップに余計萌えるというものだ。そして彼女は巫山戯ながら、肩までちょこんと当ててくる。もうね、楽しい。すごく楽しい…。
楽しいのだけど…心が沸き立つほど嬉しいのだけど…でもなぁって、アルバは思わず首を傾げた。
サーシャは見た目と違って、とっても気さくで話しやすい。だけど普通ならありえないことだ。まぁ彼女は最初から優しかったけれど、ここまでの貧富の格差…何と言っても金貨を何枚もサクって出せる御仁なのだから、普通ならもっと冷たくあしらわれても仕方がないのにって思ってしまう。そうなると、いよいよ彼女の素性や旅の目的が気になるというものだ。そこに自分にこれだけ優しくしてくれるヒントのようなものがあるようでならなかった。
「でも、サーシャさんって本当はなんで旅をしているんですか?」
アルバは思わずそう口にした。詮索してるってことがバレないように、彼にしてはとても軽いノリで聞いてみた。
「う〜ん、それは中々難しい問いかけですね…。」
「…目的とかはあるんですか?」
「勿論ありますよ。何もなくて世界を彷徨っていたら、それこそ物の怪でしょう?」
サーシャはクスって笑う。確かにそりゃそうだ。「ハハハッ。」なんて、アルバも大きく笑った。
だがそこからサーシャは、しばらく思いにふけるように口を噤んでしまった。
…それ以上言わないって事は、言いたくないのかな…って漠然と思った。この質問をしてから、やけに彼女の口が重くなっているとも感じるし…。
だけど予想に反して彼女は顔を俯かせると、やがてゆっくりと口をひらき旅の目的を口にした。
「…とっても、大切な…。命よりも大切なものを探す旅…なんです。」
それはまるで、何かを噛みしめるように…しみじみとした口調だと感じた。
しばらく声を出せなかった。それ以上はとてもではないけど聞けなかった。
アルバの目に飛び込んできたもの…それは大きな目を涙で潤ませた天使の横顔だったのだから。
だけれども、思った。彼女は、もの と言ったけど、それは 人 じゃないかって。
じゃないと…こんな悲しげな表情を浮かべるのは、どうにもおかしい。
「み、見つかるといいですね。」
結局、アルバはそう漏らすので精一杯だった。
2人はそれから暫く無言だったが、半刻ほど時間が過ぎた頃、再び話し出した。
話し出した…というか、サーシャが急に堰を切ったようにアルバを質問攻めにしてきたのだ。
アルバの普段の生活、行く場所、読む本、趣味、休みの日の過ごし方…。
理由はわからなかっけど、彼女が自分の事を知ろうってしてくれている事は素直に嬉しかった。話すたびに、彼女の美しい顔に喜怒哀楽の表情が浮かんでは消えて行く…。
彼女の顔を見ていると、何とも照れ臭くて、恥ずかしくって、長い時は見ていられないのだけど、チラチラとみる度に発見があったりする。それは、あ、こんな表情するんだって微かなものだ。
いろんな話をした。
だけど、彼女の表情が一番大きく変化したのは、アルバが昔の記憶を失っているという事だった。これは本当の事で、彼には1年以上前の事はほとんど記憶にない。多分、普通ならたいそう落ち込むこ事なのかも知れないけど、全く綺麗さっぱり記憶が消されているので、大事な人や大切なもの、それらが全く分からないので、むしろ悩みようがない。
「じゃ、アルバくんは数年前より昔の記憶がないのですか?」
サーシャは何故かその事には、やけに食いついてきた。
「はい。はっきりとはしないのですけど、1年ちょっと前あたりから、ぼやけてますね。」
「では、10年前なんて全く覚えてないですよね?」
「勿論です。」
彼女はそれを聞くと、何かを考え込むように頬に手を添えた。そして、小声で何事か呟いている…何度も何度も、確認するように…。
「覚えていないという事は、辛い事ですね…。」
やがてサーシャはそう漏らす。
「そうですね…。両親の記憶もありませんし。」
「本当に?本当に、昔のことは何も?」…何やら、サーシャは必死に聞いてくる…。
「はい…。せめて、両親とか大切な人の顔くらいは思い出したいんですけど…。」
アルバはそう話すと、彼はずり落ちそうになっていた背負ったリュックをクイってあげた。
「もし、昔に…俺にとって大切な人がいたなら…。記憶を無くした俺よりも辛い思いをしている人がいるかも知れません…。」
「………。」
「もし、お母さんがまだ生きているなら…そう思ってくれてると信じています。」
「…では、アルバさんのお母様の為にも記憶を取り戻さなくてはいけませんね。」
サーシャは、そう言うと天に向かって手を掲げ、思いっきり伸びをした。
そして、ふうって、大きなため息を漏らす。
アルバが苦笑いを浮かべながら彼女を見ると、サーシャは大きくニコって笑った。
「ですが、その前にここから生き延びなければなりませんね。」
彼女はいきなり意味不明な事を言う…。
「えっ?…どういう事ですか?」
「えっと…私たちは、賊と思しき数名にすっかり囲まれているんです。」
その美しき女神のような女性は、そう言って肩を竦めたものだ。




