表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/519

ジル先生との別れ

霜が降りていた。

それを見つけたのは、アルバが森の中にある小川に水を汲みに行った時…。

木の幹から一つだけ寂しげに出ていた葉っぱ…その葉の先が白かったのだ。

( あらま…。 )

アルバは桶を持ちながら腰を曲げ、くたびれた葉に光るそれを見つめながら思わずそう洩らした。思えばここ最近は陽射しがますます柔らかくなり、森の色合いも淡く、そしてどこか灰色を多分に含んだように沈んでいる。

冬である。

確かここに流れ着いた時も冬だった。つまりそれはアルバがサーシャと離れ離れになって1年が経ったという事だ。

時が経つのは早い…。

彼はつくづくそう思いながら苦笑いを浮かべると、サーシャから授かった黒剣の柄に手を添えながら、小さくため息を落とした。

彼の脳裏から彼女の微笑みが消えたことは一片足りとも無かったが、恐らくサーシャは自分の事などほとんで覚えていないだろう。

何せ、一緒にいたのは僅か4日間。

彼女にとって大切な人物である”師匠さん”を探す旅は再開され、当時のアルバの役割であった臨時の騎士様も他の人で決まっている事だろう。

アルバは、もうその事については半分諦めている。

寧ろ、彼女が無事に師匠さんと再会できていて、幸せに暮らしていればいいな…なんて思っていた。まぁ、彼がこう思った理由はのちに判明する事になるのだが、この時、確かにアルバはそう思っていたのだ。

勿論、サーシャの微笑みを自分ではない誰かが近くで見ているのは何とも悔しい限りだが、彼女から離れてしまう原因を作ったのは、弱く未熟だった過去の自分自身。仕方がない。


彼は、その場で水が並々と注がれた桶をそっと置くと、無心で腰に帯びていた聖剣を抜き、空を斬った。

もはや彼の動きは、まるで音がしない、いつ踏み込んだかも分からぬほどの速さだ。

そして、ジル先生から教えられた”型”をなぞるように、振り続ける。

それは、見ているものを魅了するほどの美しく柔らかい”型”で、一切の無駄を削ぎ落とした見事な剣捌きだった。

灰色の落ち着いた森に、彼の「はっ!」と云う息遣いと、大気を切り裂く心地良い音だけが木霊する。

それは彼にとって、サーシャを思い出すとやってしまう癖のようなものだ。

霜の微かに残る白さが、彼女の清廉さを思い出させてしまったのかもしれない。ここまでくると女々しい限りだが、恋心を操れるなど仙人じゃあるまいし…と、その事に関して彼は半ば諦めている。寧ろ、それほど一途にサーシャの事を思えるなど格好いいのではないか…なんて呑気に笑っていたりする。

と、半時ほど経った時だろうか。

やがて、彼は動きを止めて、剣を天に掲げながら一礼した。

陽の光に照らされたガリネウスと名付けられた聖剣は、森に届けられる微かな一筋の光を浴びて、キランって光が磨かれた刃を走っていく。

「ふう…。」 アルバが清々しい額の汗を感じながらゆっくりと息を整えた。

と、次の瞬間、アルバは左手で背負った”黒剣”を瞬時に抜き去る。

右手に聖剣、左に暗剣…二刀流である。

今度は腰を落として、ゆっくりとすり足で動く。先生から二刀流の第一歩として学んだ聖剣を囮にした暗剣の攻めをカタチにしていく。元来左利きのアルバだが、これを始めてから左右の違和感はほとんど消えた。


「騎士の条件。それは、聖剣と暗剣を同時に操れる事だ。」


ジル先生はそう教えてくれた。そして勿論、師匠さんもそうだった事も…。

アルバは剣を上下、または十文字に構え、休まず攻めと受けを繰り返す。

臨時とはいえ、サーシャの騎士に戻れるなど夢にも思っていないが、彼は騎士の条件である二刀流のそれをやめなかった。

森に宿る木の言霊に合わせ、息を吐き、剣を降ろす。

精霊の声がはっきりと聞こえ、感じる事が出来るようになると万物の理までもが朧げに見えてくる。その全てを見通すには目が眩むような長い時が必要だが、彼にしてみればその入口に立てた事だけでもめっけもんだ。

何しろ、夏の湖上で散々な目に遭わされ、コテンパンにやられた3体の水の精霊たちも、今や10体が束になってかかってきても、アルバの体を掠める事さえ出来なくなっていた。

そして今も、森の精霊たちとじゃれあうような模擬戦をやった彼は、いい汗をかきながらゆっくりと山を降りて行ったのだった。


小屋の南に広がる巨大な湖は、冬の燻んだ曇り空を映し、淡い水色と灰の色で覆われていた。

アルバはいつものように水を汲んだ桶を抱えながら、台所へと急ぐ。

ジル先生が起きる前に火を起こし、珈琲を入れなくてはいけないからだ。

だが、今日は何やら様子がおかしかった。

庭先や玄関が綺麗に片付けられている…。

アルバが不審そうに玄関をくぐり大きな部屋に入ると、囲炉裏の向こう側でジル先生がでんと座っていた。


「先生。おはようございます。今日は早いですね。」


アルバが桶を抱えながらそう笑うと、ジル先生は「おはよう。」と一言だけ返してきて、目で座るように促した。


「珈琲は、どうしますか?」


そう尋ねると、彼は珍しく神妙な面持ちで首を横に振った。


「うむ、今日は大丈夫だ。とりあえず桶を置いて座ってくれ。」


「はぁ…。」


そう洩らしながら、桶を床に置いてすっと先生の前に腰を下ろした。すると先生、じっとこちらを見ながら、やがて小さく息を吐くとニカって笑う。

そして後ろに纏めた髪をなぞりながら、ゆっくりとした口調でとんでもない事を口にした。


「アルバ。今日で俺との修行は終わりだ。」


「は、はい?」


あまりに突然なことに、アルバは目を丸くした。

いやはや、先生に教えて貰わなければならない事だって山のようにある気がする。

すると先生、腕を組みながら前のめりになって悪戯っぽくニンマリとした表情を浮かべる。


「お前がここにやってきてから、今日でちょうど1年。全てを教える事は適わなかったが、最低限のものは伝えられた。後は自分で何とかするんだな。」


その突き放した様な言い方は如何にもジル先生っぽいが、目に少しだけ寂しさが宿っているとアルバは感じた。この御仁の言葉は軽い時が多いが、稀に素直じゃなくなる。


「…それでは、今日で先生とはお別れって事ですか?」


「そういう事だ。やれやれ、これでようやく俺も女のとこへ戻れる。」


彼はそう言うと、両手を上に伸ばして大きく伸びをした。

呑気なアルバは、この突拍子もない事態に頭が追っつかない。ただキョトンとして首をかしげる事しかできなかった。

すると先生、呆れたように顔を顰める。


「そんな狐につままれたような顔をするな。情けない。」


「えっと…。いきなりそんな事言われても。二刀流なんて…さわりしか教えて貰えてないんですけど…。」


すかさず文句を言う。それこそまだ1週間も経っていない。


「馬鹿。お前の物覚えが悪いんで追いつかなかったんだよ!」


そしてバッサリ…。だけど先生は、呆気にとられた自分を気にも留めないで、これまでの修行の成果を総括する様にベラベラと話しを続けた。


「だが、剣の”型”は教えられた。それは、これからのすべての土台となる。そこがブレなければお前の剣が揺らぐことがない。」


「土台…ですか?」


「そうだ。剣は戦う相手、出会う師、友…その影響を受けて徐々に変化していく。だが、根底にあるその軸がブレなければお前の剣の質は落ちない。その為の基礎を叩き込んだつもりだ。心、技、そして意志をな。」


「心と技はわかりますけど…意志というのは?」


「意志はお前が様々なものを乗り越える上での指針となるもの。お前は、今や湖の上を歩けて、音より速く動ける。それは心と体をどんなに鍛えても到達できない限界の突破だ。そんな尋常でない力を持てたお前の意志とは何だ?なぜ、そんな事が出来たと思う?」


アルバは顎に手を当て、しばし目を閉じたが、やがてその答えはすぐに浮かんだ。


「サーシャ…。彼女を守りたいって思ったからかも…。」


目を大きく見開いて、そう答える。


「そうだ。それがお前の意志だ。つまりお前が強くなる源はそこにあるという事だ。」


「なるほど。ですけど…それでは彼女を守りたいって思ってる人は、皆がそんな力を持てるという事ですか?」


アルバが素朴な疑問を返すと、ジル先生は鼻で笑う。


「ハハッ。そんな事がないのはお前が一番知っている筈だ。…剣の初心者であるお前が、盗賊たちに襲われたときも、戦争で戦っていた時もこう思っていたのではないか?サーシャを守れるのは自分だけだと。」


「……確かに、そんな風に自惚れてた事を思ってました。」


思わず頭を掻きながら自嘲気味に笑みを浮かべると、先生は小さく息を吐いた。


「お前は確かに呑気で人もいいが、普通ならそこまでは思わん筈だ。なぜなら、あの女は世界の支配者の娘だからだ。彼女を守る役目を負っている人間など、それこそ掃いて捨てるほどいる。」


「確かにそうですね…。」


アルバは小さく頷く。


「それなのに、ただの物売りで戦いの”ど素人”であるお前がそう思い、そして彼女の為に実際に戦った。…それは何故だと思う?」


「何故と言われても…。」


首を傾げなら、そう洩らす。明確な理由などなかったからだ。何しろ当時は、気がつくと彼女を守る為に必死に剣を振っていた。

するとそんな微妙な表情を浮かべた自分に、ジル先生は力強い目を向けた。


「これからのお前は、それを探求する旅に出るんだ。そしてそれを知れば、お前はもっと限界を超えていける。」


「旅ですか…。」


「そうだ。お前はこれから世界中を巡る。その理由だけを探しにな。それはお前がどれだけ成長しても変わる事のない大きな幹となり、生きる理となる。」


ジル先生はそう言い放つと、ゆっくりと立ち上がった。アルバが静かに顔を擡げ、彼を見上げると、その先生、実に晴れやかな顔をしていた。


「アルバ、お別れの時が来たようだ。」


「はい。」


アルバは静かに返事を返した。

本当はもっと話したいこともあったし、もっと教えてもらいたいこともあった。

アルバにとってこの先生は、一年間も寝起きを共にした初めての人でもある。最初は横暴で変なおっさんだと訝しんでいたが、今では尊敬し畏怖すらしている。

できれば昨晩に別れを言っていただき、夜を徹して話したかった。つーか突然すぎだ。

つまるところ凄く寂しかったのだが、この先生は面倒な事とシツコい事、女々しい事が大嫌い。


「いつも突然で悪いが…これが俺の性分でね。」


やがて先生はそう言って笑うと、ゆっくりと手を差し出し握手を求めてきた。アルバもスッと立ち上がり、先生に手を添える。


「ハハッ、嫌というほど知っています。」


「…そうだな。」


先生はそう洩らすと、やがて静かにアルバに尋ねてきた。


「最後に何か聞きたい事はあるか?一つだけなら、答えてやるぞ。」


「一つだけ?相変わらず、せこいですね。」


「ハハッ、俺は面倒なのは嫌いなんだ。知ってるだろ?」


そう戯ける先生に、アルバは思わず苦笑した。

聞きたい事…そんなものは山ほどあるが、今しか聞けないことが大事だと思った。

それは、これからのこと。

師匠とか、サーシャの過去とかは、聞いたところでどうにもならない。

大事なのは…これからの未来だ。


「先生、俺は強くなったのですか?」


本当はサーシャを守れるほど強くなったのか聞きたかったけど、それは勇気がなかった。

すると先生、一度大きく目を丸くしたが、やがて大きな声で笑い始めた。

そう最初に出会った時のような大笑い…。

アルバも自然と笑顔になる。

この破天荒な御仁には面食らうことも多かったが、今になって思えばこれほど格好いいと思えた男もいなかった。

どんなに無茶を言ってもいつも気にかけてくれ、悪態をつきながらいっぱい面倒も見てくれる。面倒臭いと言いながら、サーシャとの話も真剣に聞いてくれ、相談にも乗ってくれた。

そして何よりも彼の大きな笑顔は、本当に安心する。

全てのことが、心配ない、なんとかなる…って、心の重みを取り除き、包んでくれるような笑顔。それを見ていると、心の底から安心するのだ。

サーシャといきなり離れ離れになっても、心が落ち着いて入られたのは、このジル先生がそばにいてくれたからだって、この時…初めて気がついた。

肉親のいないアルバにとって、先生は父親や兄代わりだったのかもしれない。


この人に様に、なりたい。


笑い転げるジル先生を見て、アルバは初めてそう思った。


「ハハハッ!!アルバ!その答えは、お前自身が推し量ってこい!」


やがて先生の問答のような答えが届く。


「えっ〜!質問に答えてくれてないじゃないですか!」


「ハハッ!世界の化け物たちとサーシャがお前を待ってる。暴れてこい!」


「え?サーシャも待っててくれるのですか!?」


アルバが驚いた声をあげると、ジル先生は手を離し自分に掌を掲げた。

いやいや、化け物とかは本当に御免こうむりたいのだけど、サーシャは別だ。

だけどやっぱり、先生は答えてくれそうもない。なにせ彼の口はとてつもなく固い。

…やがて掲げた先生の手から、白く儚い霧がアルバの視界を覆い始める。


「当たり前だろ、お前は彼女の騎士なのだから。」


薄れいく視界の先で、先生のそんな声が聞こえた。だがそれを言われると当然、あの男の事が急に気になりだした。


「ちょっ!し、師匠さんは!?彼がサーシャの本当の騎士なんでしょう!?」


「ハハッ!質問には一つしか答えないと言ったろ?それもお前自身が探してこい!」


なんという意地の悪さ…。それはこれからも苦しめと言われている様なもんだ。

アルバは思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。

だけど先生は最後にこう叫んだ。それが一番言いたかった事なのかもしれない…。


「人の言う事なんかアテにするな!お前の二つの目に映ったもの…それが全ての真実だ。」


もう彼の姿はほとんど見えなかったが、やがてアルバの体はいきなり急降下を始めた。

もうね、果てしなく続く落とし穴に落ちていくようだった。


「ジル先生!ありがとうございました!!」


アルバは落ちゆく自分を感じながら顔を擡げ、最後にそう叫んだのだった。

これからどうなるのか。

そもそも、落ちてどこにたどり着くかすら分からない。

だけど、彼は心配などしていなかった。

呑気…も、そうだけど、今の自分には生きていく上での土台のようなものが出来た気がしたからだ。

それは勿論、彼のおかげだったのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ