先生との1日
やがてその大柄な先生は、ゆっくりと歩き出した。
アルバはすぐにでも剣の修行でも始まるのかと緊張した面持ちで彼の後について行ったら、その我儘で意地悪なポニーテール先生は、納屋の様な建物の前で足を止め、「はいよー。」なんて言いながら、そこに立てかけてあった釣竿らしきものを手渡した。
「なんですか、これ?」
アルバが怪訝そうに、その竹で作られた粗末な竿を見つめる。
それが何であるかを確認する様に手でくるくると回し観たが、これは間違いなく魚を釣る道具”釣竿”。
( よもや釣竿で剣の修行? )なんて思わず考え込んでしまいそうになったが、身長が2m近くあるポニーテール先生は白い着流しの襟元を整えながら、「それが釣竿以外のなんに見える?」なんて呆れ顔で聞いてくる。
「釣竿って事は分かります。でも…まさかこれで剣の修行を?」
アルバがぽかんと口を開けながら驚いた顔で尋ねると、又しても先生は大きな手で頭を叩いてくる。
「馬鹿か、お前!釣竿って言ったら、魚を釣るに決まってんだろ!」
「はっ?」
「今日の晩飯を獲りに行くんだよ。わかっちゃいると思うが、ここは自給自足だ。てめーの飯は、てめーで用意する。分かりやすいだろ?」
先ほど、この先生が話した内容を信じるならば、ここは魔法で閉ざされた広い牢獄。
自給自足…そりゃ、そうだろう。むしろ物売りが来た方が不気味だ。
「…それは、分かりますけど。剣を教えてくれるものとばかり…。」
思わず口を尖らせる。
「いいか?健康な体あってこその鍛錬だ。その為には、まずは飯だ。そんな事も分かんないのかよ。」
「はぁ…。」
一刻も早くサーシャの元へ戻りたいアルバは気の無い返事を返した。
1分、1秒も無駄にしたくはないっていうのが本音だ。
するとこの御仁、すぐにアルバの心を読んでしまうから恐ろしい…。
「なんだよ。またサーシャの事、考えてるのか?」
…思いっきり、ビクってなった。
「…考えてません。」
「どうせ、とっとと強くなって数日で帰ろうとか思ってるだろ?」
「………。」
図星を突かれたアルバが押し黙ると、ポニーテール先生は「おめでたい奴だ。」なんてボヤキながら、自分の釣竿を肩に引っ掛けて再び歩き出した。アルバは慌ててそのでっかい背中の後を追う。
「す、数日だなんて思ってないけど…。」
必死に横並びになってそう話すと、彼は鼻を鳴らした。
「けっ。じゃ、一週間か二週間っていう腹づもりか?」
「違うんですか?」
「さっきも言ったろ?当分、サーシャのおっぱいは拝めないってさ。」
そう言って、スタスタと湖に向かって進む先生。
アルバは思わずショックで足が止まってしまった。
おっぱい…とは言ってなかったと思うが確かに彼は先ほど、サーシャとは当分会えないとは言っていた。
その当分というのが、一体どのくらいを指すのかが分からなくて怖い。
この強そうな男が剣を教えてくれるっていうのはアルバにとって感謝でしかないけど、それにも限度がある。
よもや一週間以上もここに閉じ込められては大変だ。本当にサーシャを助けに行けなくなってしまう…。
「ほら、とっとと来い。魚がいなくなるぞ!」
だけど先生はそんな事は素知らぬ事と、止まってしまったアルバを振り返りながらそう告げたのだった。
その場所は、先ほどまでアルバがいた砂浜とは違い、湖中に水草が生い茂った場所だった。
水が緑に見える…って、思わず錯覚してしまいそうになるほど様々な濃淡をつけた青緑の細長い葉が、辺りを埋め尽くしている。
またこの場所全体が奥まった小さい湾のようになっていて、一見すると水の流れがないかのようにお見受けしてしまうほど湖面は穏やか。
ただ水は一寸の濁りがないように透明度が高く、水中に埋もれた草の緑が色鮮やかにはっきりと見て取れた。
その様子を見るにつけ、湖底から水が湧いているのだろう。
水草は緩やかにそよぎ、鶯色の長い尻尾の様な葉は軽やかに踊っている。
そしてその小さい湾の中央くらいまでは、適当に組んだと思われる頼りなげな桟橋が伸びていた。
ポニーテール先生は、その水草にすっかり囲まれた桟橋をゆっくりと歩き、湖の奥へ奥へと進んで行く。
だけれども歩くたびにギィギィと音を立てる粗末な桟橋にアルバは戦々恐々。恐る恐る忍び足で、板を一枚一枚確認しながら進む。
「臆病な奴だ。そんな簡単に橋が抜けてたまるか!」
口の悪いポニーテール先生は腰の引けたアルバを見て、そう言いながらその場にドカって腰を下ろした。
若干、桟橋が揺れて湖上に緩やかな波紋が広がる。
「臆病なのは、生まれつきです。」
アルバがそう口を尖らせて文句を言うと、その先生はポイッて釣竿を振って針を湖に落とす。
「まぁ、臆病ってのは、剣士にとって悪い事じゃないけどな。」
「…得した事もないですけどね。」
そう言って一度肩を竦めると、アルバは桟橋の上でゆっくりと腰を下ろした。
陽がずっとあたっていたからだろうか。その乾いた木の感触は、どこかほんのり温かい。
やがて彼はその橋から足を投げ出し、そっと湖面へと足を伸ばす。
この綺麗な水に足をつけてみたかったのだ。
ただ思ったより、その粗末な桟橋は高さがあって、端から足を投げ出しても水面には届かない。
半分くらい腰をせり出し、マッチ棒のような細足を必死に伸ばすがダメだった。
仕方なくアルバは湖面を覆う緑を見つめて、目で楽しむっていう古典的な方法に切り替えた。
( でもまぁ、魚は沢山いそうだな…。 )
桟橋から湖を覗き込み、ふとそう洩らす。
確かに普通に考えれば、この豊かな水草を住処にしている魚は多い事だろう。釣りにあまりいい思い出はないが、この場所ならいけそうだ。アルバは顔をパンパンと両手で叩き、気合をいれる。何せ今日の晩飯がかかっている。
とりあえず、糸の先に適当に括り付けてあり針を指で確認し、静かに投げ入れた。
…2時間ほど経っただろうか。
アルバは段々と前傾姿勢になっていき、今では目を皿のように丸くして湖面をキョロキョロと見つめていた。魚影はちらほらと見えるのだけど、横に置かれたタライには2時間前と同じで水しか入っていないし、糸の長さも変わっちゃいない、
云々、結論からいうと全く持って手応えがなかった。全然、お魚さんたちは糸を引いてくれない…。
もうね、いくら呑気な自分でも晩飯がなくなるのではと少々焦ってきた。
それなのに…。
「お〜、12匹目だ〜。」
横では、同じ場所で同じ道具を使って釣りをしているポニーテール先生が、次々と景気のいい声を上げている。しかも、まぁどれも見事なお魚ばかり。
( う〜ん…なんでだろう…。 ) アルバは、自慢げに魚の大きさを測る嫌味な先生を見ながら首を傾げた。先ほどからずっと彼を見ているのだけど、自分と違うとこなど見当たらない。ただ、糸を垂らして静かに待っているだけとお見受けするのだが…。
( それとも…やっぱり先生のは、釣竿が特別仕様なのかな…。 )
自分の釣竿を、あちらこちらと確認し、先生の釣竿と見比べた。
…一緒だね。
…まぁ、強いて言えば掴む箇所が少し太いくらいか。するとその大柄な先生、自分の視線に気がついたのかニカって笑ってこちらを振り向いた。
「なんだ、アルバ。釣れないのは、釣竿の所為だと思ったのか?」
「…いえ。そんな事は…。」
「交換するか?」
「はぁ…。」
お言葉に甘えて、とりあえず交換。
アルバはしばしの間、渡された釣竿を観察したが、やっぱり変わったところなど見当たらない。
少し柄の部分が太くて持ちやすいのだけど、それ以外は長さも重さも付いているものも一緒だ。
( これで釣れなきゃ、俺が下手くそってことか…。 )
アルバは顔を顰める。もしこのまま魚が釣れなければ、この意地悪な先生に何を言われるか分かったもんじゃない。( よしっ! )って気合を入れて、針に願いを込める。まるで神に祈るように、額の前に掲げて目を瞑ったりして見た。
「いきなりの神頼みかよ!」
その様子を見た先生の呆れた声が届く。当然アルバはブー垂れた。
「仕方ないでしょう。釣れないんだから。」
「あのさぁ…闇雲に神さんに祈る前に、自分で考えろよ。」
「へ?」
アルバが気の抜けた声でそう洩らすと、その先生は神妙な面持ちで釣竿を桟橋の上にそっと置いた。
「同じ場所、同じ道具。なのに、俺は大漁でお前はさっぱり!俺が魚にとって絶世の美女ってんならともかく、俺もお前もむさ苦しい人間の男だ。」
「…まぁ、そうですよね。」
変な理屈に思わず苦笑いが浮かぶ。
「魚の気持ちになってみろよ。こいつらは腹が減ってるんだ。だから、無理してでも必死こいて餌に食らいつくんだろ?」
アルバはその言葉に苦笑いを浮かべた。
魚の気持ちって…。
たかが釣りをそんな理論立てて考えた事などない。
するとその先生、ゆっくりとアルバの目の前に自分の針先を見せた。
…針金がグニュって曲げられていて、小さい小さい細長い葉が糸でくくりつけてる。
云々、逆光で見れば小魚に見えなくもない。
「すごい…ちゃんと魚に見えます。」
思わず声が上ずった。こんな物を作れるなんて、この先生…見た目によらず手先が器用なようだ。
「だろ?だから同じ釣り針でも、より餌に見える俺の方に食いつく。簡単だろ?」
「そりゃそうですけど…狡くないですか?」
魚釣りに慣れていない自分には、その情報は大きい。教えてくれればいいのにって思った。だけどこの御仁、ドヤ顔で否定する。
「狡い?違うな。俺がモノを知っていて、お前が知らなかっただけだ。」
「…知らなかった俺が悪いって事ですか。」
アルバが不服そうに唇を尖らせると、彼は湖の先を見据え言葉を続ける。
また急に真面目な言葉で、声に威厳すら漂うからこの御仁は本当に不思議だ。
「自分で物事を考える事。そしてモノを知る事。剣を学ぶ上でお前がやらなきゃいかん事だ。」
…突然、剣の話ですか!ってアルバは思ったけど、口には出さず平常心で答える。
「剣士も…頭も良くないといけないのですか?」
「剣士だろうが何だろうが頭がいいに越した事はない。それにお前は、サーシャの騎士だ。あの女を絶対に守らなくてはいけない。違うか?」
さすがにサーシャの名を出されては、アルバも神妙にならざるを得ない。
「はい…。」
「例えば、何者かがサーシャに襲い掛かったとしよう。そいつは、これまで見たこともない異国の武器を持ってる。お前は、さっきの釣竿のように、『そんな武器知らないから、卑怯だ!剣か槍にしてくれ!』なんて相手に言うのか?」
「………。」
「お前がモノを知っていれば相手の武器や風体で戦い方が分かる。そして、自分で物事を瞬時に考え予想できるようになれば、見たことのない武器を扱う戦士が来ても恐れることもない。それは結局、あの女を守れる事に繋がる。違うか?」
少々強引な理屈なんだけど、言いたい事は分かる。アルバは彼の横顔をまじまじと見ながら、ゆっくりと頷いた。
すると先生、釣竿を持ちながらスクって立ち上がった。
アルバが何気に見上げると、先生の陽の光で彼の白い着流しが透けていて男らしい細マッチョの見事な体が浮かび上がる。いやはや、男から見てもカッコいい…。
「お前は、パッと見て俺に剣で勝てると思うか?」
彼はこちらを見おろして、いきなりそんな事を尋ねてきた。
「む、無理だと思います。」
即答する。どう見たって勝てっこない。
「なぜ、そう思った?」
「なぜって…。体格差もあるし、経験も違う…でしょ?第一、あなたは師匠さんに剣を教えていたほどの剣の達人かなんかでしょ?」
アルバおどおどしながら、そう答える。
この先生が強いかどうかなんて本当の所は分かるはずもないんだけど、何となく喧嘩を売っちゃいけない相手だって事は本能的に分かる。
それにこの人、サーシャの本当の騎士である師匠さんとやらの先生だし、思い込みもあるかもしれないが、彼からはどうにも恐ろしげな何かを感じるのだ。
「なるほど。つまり、お前は理屈で俺が強いと踏んだわけだ。」
先生はそう話しながら目配せすると、いきなりアルバに背を向けて巨大な湖に体を向けた。
…急に風が吹いて、彼の純白の着流しが靡く。
…一拍置いて青眼の構えをとった彼は、いきなりその釣竿を剣のように振るった。
そう、タンって思い切り踏み込んだ。
…その時だった。
クゥーーーン!!!!!!
なんて、聞いた事もないような大気を大きく振動させる巨大な爆裂音と漆黒の炎がその釣竿から巻き起こる。とともに、竿を振るった湖に向けて膨大な漆黒のエネルギーが解放された。
アルバはあまりの突然のことに驚き、目を見開く事しかできない。
やがて先生が放ったその剣の残像のようなものは、湖を激しく揺らす。
それまで静謐だった湖は突如荒れ狂う津波と化し、白く荒々しい巨大な波を起こし、その太刀筋が通った後に、なんと道ができてしまった。
そう、まるで湖を真っ二つにぶった切るように水は左右に別れ、剣が通った道筋はなんと土の部分の湖底が見えてしまっている。
水が左右に高い高い壁を作り、人が歩ける程度の道幅が出来上がってしまったのだ。
「な、何だこれ…。」
さすがに呑気なアルバも、その様子を桟橋に座り驚愕しながら見据えてしまった。
本当なら飛び上がるほど驚いて逃げ出したい気分なんだけど、もうね現実離れしすぎていて上手く飲み込めないっていうのが本当の所だ。
そんな驚き慄いているアルバに、その先生は悠然とこちらを見おろしながら静かに微笑んだ。
「アルバ、どうだ?」
「い、いや…どうだと言われても。凄すぎるって言うか…信じられないって言うか…。」
アルバは目を泳がせながらそう洩らすので精一杯。いやはや、それ以外に出る言葉がないほどのとんでもない事態だ。だって、湖が真っ二つなんだもの。
するとその先生、ゆっくりとこちらに顔を向けて来て、またしてもとんでもない事を言う。
「何を感心しているんだ?お前が目指している師匠は、こんな事は朝飯前だぞ?」
「ハァッ!!?」
もうね…その言葉を聞いた時、臨時とはいえサーシャの騎士を丁重にお断りしようかと本気で思ったものだ。
その夜、無限に広がる美しい夜空の下、2人は窓明りに照らされた中庭にいた。
( わぁ、綺麗だな…。 )
アルバは思わず天を仰ぎ見て呟く。
不思議なのだが、この地はすごく天空が近く感じられる。
何せその満天の星空は、手を伸ばせば本当に届きそうなくらいだった。
「よし、アルバ。今日のメインイベントの準備だ!」
やがて先生のそんな声が聞こえ、その雰囲気満点の星空の下、2人の男は食事の準備を始めた。
そう、メインイベントとは今日の夕食。彼的には、アルバの歓迎会も兼ねているらしい。
芝生広がる庭の中央部分に石を組んで小さな石窯を作って火を起こし、お手製のコンロに網を引いてその上で焼く。云々、お外で食事するバーベキュースタイルだ。
この先生は流石に手馴れていて、ビールジョッキを抱えたまま準備や調理をサクサクこなす。
驚いたことに、こんな辺鄙な場所だというのに調理用品も調味料も困らないほど一式揃っていた。
( このおっさん、本当に何者なんだろう…。 )
アルバは野菜を切ったり魚に串を刺したりして手伝いながらも、彼の様子を密かに伺っていた。
何しろこの人はさっき、”野菜”じゃなくて、”湖”を叩き切ったんだもの。
どこの世界にそんな阿保なことがあると言うのか…。
いやはや、もはや言葉にしてもおかしい、その衝撃の事実にアルバはただただ感心し驚いていた。
確かにこの人に剣を教われば、強くなれそうな気はする。
だけどその前に、そもそもこの人は一体どこの誰で、いつからここに住み、そして何の目的で自分に剣を教えてくれるのか…さっぱり分からない。
「アルバ、酒が飲みたいのか?」
と、アルバに興味津々で見つめられた先生は、そう誤解して尋ねてきた。
「い、いえ。」
「ハハッ。今日は飲め。どうせ、寝られんのだから。」
「え?一晩中、修行するのですか?」
アルバが目を丸くする。できれば今日はいろんな事がありすぎたので、早く寝たい…。
と言うか、頭を整理したいので一人になりたかったのかもしれない。
するとポニーテール先生は、首を静かに揺らし否定する。
「そうじゃない。今日はサーシャの事で頭がいっぱいで寝られないって言ってるんだ。」
「あっ…。」
思わず深く納得した。確かにそれはあり得る。
一人になったら恐らくずっとサーシャの事を考えてしまうのは明白だ。
アルバが納得するように大きく頷くと、先生は小さく笑って魚と野菜が焼かれた網を指差した。
「魚が丁度いい頃合いだ。食べようぜ。」
「は、はい。」
彼に誘われてゆっくりと網のそばまで行くと、風にそよぐ白い煙がフワッ〜と漂っていて、ジュ〜なんて野菜と魚が焼けるいい音と食欲をそそる薫りが食欲を刺激した。
体長20cmほどの川魚の銀色の肌にも、カットされた玉ねぎの膨らみにもジワって美味そうな焦げ目がついている。
「おおっ、いただきます!」
アルバは大喜びで横に置かれたトングで魚を掴むと、いきなりそのお魚さんの腹のあたりからガブリと噛み付いた。
云々、川魚ゆえ臭みも多少あるが、脂も乗っていてとっても美味しく骨までいける。
「美味しい!」
「ハハッ、そりゃ良かったな!」
彼は、はしゃぐ自分に苦笑いを浮かべながらそう言うと、こんがり焼き目のついた玉ねぎに手を伸ばした。
そして一口でそれを平らげると、すぐにビールを口に運ぶ。
グビグビと喉を鳴らし、口の周りに白い泡をつけ、飲み終わるとゲップする。
見た目はかっこいいのに、その仕草や動きはただの不良オヤジ。とても湖を真っ二つに切り裂いた化け物には見えない。
「あの…先生。」
アルバは恐る恐る声を上げる。
「ん?何だ?」
「さっきの湖の…何だけど、あれはどうやってやったんですか?魔法…ですか?」
アルバは彼がビールを飲み終わるのを待ってそう尋ねた。本当なら、この場所の事やサーシャとの関係など聞きたいことは山とあるが、それはこの先生自身が絶対に答えないと明言しているので、とりあえずの質問だった。
「ああ、湖を斬ったやつね。魔法…ではないな。」
「魔法じゃなければ、あれは何ですか?」
「ふむ。まぁ、いずれ分かると思うが…こればかりは口で説明しても分からん。あえて言えば、俺が斬れると信じたから斬れた…と、いう事になるかな。」
…また意味不明なお言葉だ。彼の表情もどこか困っているように見える。
「そ、それはどういう事…何ですか?」
「説明しても分からん…って、言ったろ?」
若干、この先生の声が荒くなった。そうそう、このおっさんは面倒くさいことが嫌いだったとアルバは思い出した。彼が言った言葉をちゃんと覚えてないと、若干声が怖くなる。
アルバが頭を掻いて苦笑いを浮かべると、アルバが小生意気にも気を使っている事を悟った先生は、大きなため息を落とし、話を続けた。
「まぁ、それを理解する前に、お前はまず人を信じることから始めないとな。」
「信じる…ですか?」 またそれは意外なお言葉だ。
「そうだ。それは総じて言えば、サーシャの事にも繋がる。」
彼はそう言って、ビールを煽った。
当然、アルバは「え?」ってなった。
サーシャは信じてる!!ってすぐに頭に浮かぶ。口にもすぐに出そうになった。
だけど…よくよく考えれば…信じてるのか?と、ちょっと悩む。
好きな事には変わりはないが、全てにおいて信じているかと聞かれれば、それは甚だ疑問だ。何せ正体がやっとわかったくらいで彼女の目的とか過去とか何にも知らないもの。
するとその驚いた顔を見た先生は、ニカって笑ってビールジョッキを握りしめながら腕を組む。
「疑り深い事を悪いとは言わないが…好きな相手くらい信じてあげればどうだ?」
「え、えっと…。信じていると言えば信じてるけど…。」
「いや、お前は天使のような顔をしながら、常に相手を疑ってかかる…ある意味で策士だ。嘘がつけないので、すぐに顔に出るのがたまに傷だが。」
「そ、そんな…。ち、違いますよ!」
ちょっと赤面しながら、慌てて否定する。まぁ、叔母に金を持ち逃げされたばかりだから、今はそうなのかもしれないが、アルバは自分の事をそれほど悪人とは思っていない。
だけどこの先生、どんどん言葉で迫ってくる。
「違わないよ。…お前の心の中を言い当ててやろうか?師匠がどうとか、本物の騎士がどうとか…自分が彼女に捨てられた時の言い訳をつけて、結局サーシャにいいように使われてる可哀想な新米剣士って思ってるんだろ?そしてあいつが師匠に思いを馳せながら、可哀想な自分に少しだけ心を砕いていてくれているって感じている…そんなとこか?」
「………。」 言い返せない。まぁ、ほぼほぼ正解だ。
「これは余計な御世話かもしれないが、彼女がお前に話す言葉だけは信じてやったらどうだ?」
その言葉を聞いて、アルバは何だか足がワナワナしてきた。
いやね、先生の話はマトを得てるし、云々確かにそう感じている時も考えている時もある。
だけど、彼女に対する根底の思いは違う。
なんていうのかな…
どう言えば、伝わるかな…。
しばし考えたが、この気持ちをうまく言葉にする事が出来ないのだ。
アルバは思わず先生にツカツカ近づくと、いきなり「失礼!もらいます!」なんて言って、彼の手に握られていたビールジョッキを奪った。「お、おい…。」なんて、先生のちょっと慌てた声がしたが、アルバは構わずグラスの半分くらいまで入っていたビールを一気に煽った。
ゴクゴクと初めての黄色い液体が、口と喉をぬけていく。
暫くしてすぐに口の中に嫌な香りと味が充満する…。
苦い…いやはや、とても苦い。
そして鼻を抜ける麦とアルコールの香りがどうにも気持ち悪い。
「ゴホッ!ゴホッ!」と、思わず噎せかえった。
やがて心臓が急にドキドキして、一気に血が巡理、頭もフラフラしだす。
云々、こりゃアルコールのせいだね、きっと…ってちょっと後悔したが、必死に彼を睨む。
そして、一気に心の内を叫んだのだ。
「信じるも何も、俺は彼女のことを何も知らない!!でも…それでも!俺はずっとサーシャの側にいたいんだ!」
生まれて初めてアルコールの力を借りたその宣言は、サーシャ本人より先にこの先生に自分の気持ちをはっきりと伝えることになってしまった。
まぁ、何とも気持ちは複雑なんだけど、この言葉に嘘偽りはない。
だけどその先生、そのアルバの叫びに一度目を丸くしたが、やがて満面の笑みを浮かべ大きく笑った。
「何だ。わかってるじゃないか。それでいいんだ。」
彼はそう言って思い切り高笑いをしながら、おかわりのビールをアルバに手渡したのだった。
それから食事を終えた2人は、庭の芝生に座り込みビールジョッキを抱えたままで、ずっと話をした。
話といっても、アルバはずっとサーシャの話ばかり。
先生はというと、アルバが先ほどの宣言をしてからというもの急に優しくなって、ちゃんと話を聞いてくれるようになった。
アルバにとっては、まるで兄ができたよう。しかも一通りアルバの話を聞いた彼は、まるで友達のように応援までしてくれた。
「お前さぁ、剣はともかく…もうちょっとサーシャの事に自信持ったら?」
彼はいきなりそう切り出してきた。
「いやいや…自信なんか持てる訳ないでしょ。俺はこの通り、強くもないしお金だってまるで持ってない。それにサーシャと師匠さんは、聖女と騎士なんだよ。」
アルバはそこは力説した。恋人より熱く、夫婦より深いっていうのが騎士と聖女の関係性だ。
「まぁ…そうだけどさ。」
彼は何やら呆れたように頭をポリポリ掻きながら、話を続ける。
「一旦、師匠の事は置いておこう。ややこしくなるからさ。」
「…はぁ。」
それが一番確信をついた事だと思うけど…とりあえずアルバは頷いた。
すると先生、いきなりアルバの頭を優しく撫でて顔を覗き込んでくる。
「ここ数日、彼女がお前にしてくれた事を思い出してみろよ。」
「してくれた…事?」
「そうだ。人の心の中を推し量るのは難しいが、行動で示した事は確固たる真実だ。そこには本当の想いが隠されているもの。」
「確かに…。」
「いきなり大金で、その石とやらを買ってくれて、高級宿にも教会にも泊まれるのに、わざわざお前の家に泊まりたいと懇願してきた。すごく身分の高い女なのに心を尽くした食事を用意してくれ、あれだけ金を持っているのに、手作りでお前の服まで作ってくれるという。」
そう綺麗に並べ立てられると、全ての事に彼女の優しさがにじみ出ている。
「しかもあれだけの女がだよ?初めて会った日だというのに、抱きしめてきたり、手を繋ぎたがったり、温泉に一緒に入ろうって言うは、挙句には同じベッドで寝ようと言う。」
思わず笑みがこぼれる。…確かに彼女の突拍子もない行動や言動は、驚きの連続だった。
「…俺ならこう思うね。サーシャは天才詐欺師か…はたまた自分にベタ惚れしている淫乱女か。…または、世界でたった一人の自分だけの聖女か。」
「ハハッ…淫乱女はないです。でも俺は彼女が師匠さんを一途に愛してると信じてます。」
「…アルバは彼女が天才詐欺師だと思うんだな?」
先生はそう言いながら顔を顰める。まぁ、あの盗賊ドリさんを手玉に取った手腕は、確かに詐欺師と呼ぶに相応しいのかもしれないけど、アルバの考えはちょっと異なっている。
「いえいえ、彼女は必死に生きているだけだと思うんです。…先生、俺は貴方が湖で言ってくれた通り、物事を良く知りません。人の心も読めないし…だから最初に人を疑ってみる癖があるのかもしれません。」
「………。」
「”師匠”や”騎士様”と彼女が口にする時…とても嬉しそうなんだけど、同時に悲しみも見て取れるんです。そんな彼女の顔を見てると、自分が守らなきゃって思うんです。ほんと、自惚れててお門違いなのは分かっているんですけど…。」
「ほう…。」
「いいじゃないですか。サーシャは、どういう訳か知らないけど俺と一緒にいたいと思ってくれている。これ以上の幸せってあると思います?」
アルバが満面の笑みでそう言うと、その先生も破顔した。…なんか一瞬、その顔が自分に似てるなって変な事を思ったものだ。そして、その先生はわさわさとアルバの髪をくしゃくしゃにしだした。
まぁ、気を使ってくれてるんだろうけど、若干痛い…。
「そかそか。」
「そうですよ。その先の事は、彼女が師匠と再会した時に考えればいいかなって。」
「なるほどな。だけどさ、それならワザと彼女と師匠と出会わせなければいいんじゃないか?そうしたらサーシャはずっとお前と居てくれるかもしれないぞ?」
「う〜ん。それじゃダメなんです。彼女が師匠さんを愛してるかどうかを別にしても、サーシャが師匠さんと逢いたがっているのは間違いないんです。絶対に会わせてあげようって思ってます。」
「…お前さぁ、人が良すぎねぇか?」
「そんな事もないですよ。だって俺は最後には、師匠さんじゃなくて自分を選んでほしいと思っている身の程知らずの人間なんです。笑っちゃうでしょ?こんなに弱くて何にも持ってない自分が、勇者である師匠さんから彼女を奪おうって思ってるんだから。」
「馬鹿だな。それでいいんだよ。どんな無茶な目標でも、挑みかかるのが男ってもんだ。」
「ははっ。サーシャには、師匠さんの元へちゃんと送り届ける…なんて言いながら、心の底では彼女の笑顔を誰にも渡したくないって思っている不届きものなんです。どちらかと言えば…俺が詐欺師ですね。」
「そんな詐欺師ならいいんじゃないか。だけど遅かれ早かれ奪うつもりなら…そんな遠慮してないで、今のうちに奪っちゃえば?彼女、お前の寝床にまで来たんだろ?」
「いやいや…先生だって彼女に会った事あるでしょう?あんな綺麗でいい人に酷いことなんて出来ないし。大体、師匠さんに対しても卑怯でしょ。彼が居ない時に彼女を奪っちゃうなんて。」
「お前さぁ…変なとこ生真面目だよな。」
「…そういう性格なんです。」
「じゃさぁ、彼女が迫って来たらどうすんだよ?」
「はぁ?ありえないでしょ?」
「なんでだよ?」
「あんな清廉を絵に描いたような人が、そんな事すると思います?」
「…お前は女も学ばないと駄目だな。この先が心配だ。」
「それはサーシャから教えてもらうので大丈夫です。」
「サーシャから?お前は彼女から、夜伽まで教えてもらうつもりか?」
「ば、馬鹿言わないでください。先生の話は全部が極端です。どうしてそっち方面に話を持っていくんですか?」
「馬鹿はお前だ。好き合った男女がたどり着くところは、つまる所はベッドの中だ。違うか?」
「………。」
「まぁ、いいじゃねぇか。あんな綺麗な姉ちゃんに、手取り足とり教えて貰うのも悪くないだろ?」
「………。」
「あ〜。アルバ、顔が赤いぞ?想像しちゃった?」
「…いえ、呆れただけです。」
「ハハッ。そんな恥ずかしがるなって!それは男なら普通の事だ。いいじゃねか、これで新たに目標ができた様なもんだ。」
「…目標ですか?」
「そうだ。彼女を守りきり、お前自身も死ななければ、ベッドの中で一糸まとわぬ彼女が、耳元で優しく、あの声でエッチを教えてくれるかも知れないんだぞ?世界を救うとか、誰かを助けるとか…そんな事よりもやる気が出るとは思わないか?」
もうね、呆れたを通り越して、このお気楽さは賞賛に値するって本気で思った。
だけど、いつもこの人は話を曲げて、いいお話にしてしまう。…この時もそうだった。
「彼女を愛して護ることは、ひいては彼女を大切に思っている世界中の信者や修道士を救うことになる。動機なんてなんでもいいんだ。お前がこれから何をして、どんな事を成し遂げられるかが大事なんだ。」
まさか、サーシャとの色艶ある妄想から世界平和に話が繋がるとは思わなかった。
「ハハッ。それは責任重大っすね。」
なんて言いながら、アルバはビールジョッキを抱えゆっくりと立ち上がると、思いっきり伸びをして満天の星空を見渡した。
雲ひとつないそれは、無限に広がる宇宙の宝石箱の様なものだった。
「俺は、彼女だけを守リます!今は、それだけで精一杯だもの!でも、いつか彼女が守りたいものも一緒に守れればって思ってます!だって、それが出来る様になれば、俺は大好きなサーシャの側にずっと居られる!!」
夜空に向かって叫んだそれは、アルバにとって誓いの様なものだった。
だから先生の顔を見ないで、天に向かって叫んだ。
そこに16歳の彼の全ての想いが込められている様な叫びだった。本当ならサーシャに言わなきゃいけないのだけど、さすがに彼女の目の前ではこっぱずかしくてとても口にできない。
するとその先生、苦笑いを浮かべながらゆっくりと立ち上がり、アルバと向かい合った。
そして、そっと大きな手を差し出す。とっても意外だったんだけど薬指に、見事なプラチナの指輪があった。
「俺の名は、ジルという。」
「ジル…さん。」
いきなりの自己紹介にアルバはおったまげた。
またね…どこかで聞いたお名前なんだけど、物覚えが悪いアルバはすぐには思い出せない…。
云々、確かに聞いたことがある。あるんだけど…。
とりあえず恐る恐る手を差し出すと、そのジルと名乗った男は自分の手を強く握ってきた。相変わらず馬鹿力…指が砕けそうに痛い…。
「そうだ…そして俺は、サーシャの兄だ。彼女はまだその事を知らないけどな。」
「お、お兄さん!?」
またしても爆弾発言が続く。
「ああ。安心しろ、俺がお前を師匠より強くしてやる。時が来たら、大手を振ってサーシャに会いに行けるようにしてやる。」
「師匠さんだって、先生の弟子でしょ?いいんですか、俺の肩を持って。」
「いいんだよ。そこらへんは複雑でね。」
彼は苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと手を離した。
そして腕を組みながら、静かに夜空を見上げる。
「師匠は、熱い男だった。持っていた全てをサーシャに捧げた本物の騎士だ。」
それは…初めてアルバが師匠に触れた瞬間だった。
「…彼女の様子を見ていれば…なんとなく、分かります。」
「負けるなよ、アルバ。」
「はい、負けません。」
アルバが腕を掲げてそう言い切るとジルは満足そうな笑みを浮かべたのだった。




