湖のほとり
( 全く…あんなに笑わなくてもいいのに…。 )
アルバはムッとなった気持ちを落ち着かせるように歩きながら深呼吸をした。
師匠に剣を教えたのは俺だ!なんて偉そうな事を言ったあの男は、結局のところ師匠の事を何も話さないばかりか、挙句自分の小っ恥ずかしいお話を大層長いこと笑いやがった…。
…だけどまぁ、それはいい。
アルバ的にも賭けみたいなもんだったし。
ただ、又しても師匠の事が聞けなかったことは悔しかった。
首をひねりながら、納得していない表情で顔を上げる…。
外は、美しかった。
奥に微かに見える湖畔も、それを囲った山々の緑も全てが心地いい…。
アルバは行くあてもないまま小屋の辺りをフラフラ彷徨いていたが、やがて白い木で組まれた階段を見つけた。
( 何だろう…。湖に出れるのかな…。 )
そう思い立ち、その短い階段をトントン降りて、砂地の小道を囲むブナの木と背の高い草原を抜ける。
やがて一気に目の前が開け、その壮大な湖はアルバの前に全貌を見せてくれた。
「うわぁ…。」
思わず感嘆の声をあげた。
まるで精巧な油絵のように色彩が鮮やかでそして奥深い。
空は快晴。
真っ青な空の色が綺麗に水面に映し出されている。
季節は冬だというのに、この場所は暖かく、髪を微かに揺らすそよ風が心地いい。
藍と瑠璃色の水面は、風で微かにさざ波を映し出していて、その深く美しい色合いは神秘性さえ感じられる。そして、その巨大な湖の周りは背が高い樹木が幾重にも山を覆っていて、全てを深い翠で埋め尽くしていた。
アルバはサクサクと砂浜特有の音を立てながらゆっくりと進むと、波打ち際の側で足を止めた。
「…すげー。大きいなぁ…。」
思わずまた声をあげてしまった。
それほど雄大な風景が広がっていたのだ。
そしてそれは彼のクサクサした心を落ち着かせるのは十分なほど美しかった。
信じられない事が次々に起きて、周りに知らない人が急に溢れだし、どこか窮屈な想いをしていた彼は、その気持ちのいい景色を眺めながら両手を思いっきり伸ばして反り返った。
自由を、感じた…。
そう、わずか数日前までは無限にあった自由だ。
深い森に、大きな湖。
その光景は、知らず知らずの内にワラミ村を囲んでいた奥深い山々を思い出させてしまったのかもしれない。
( 戦争してたなんて…夢みたいだ。 )
やがてアルバは、澄んだ空気を思いっきり吸い込み、少し笑みを浮かべながらそう漏らした。
盗賊たちとの戦いも、ルンとロハンの戦争も、遠い昔の事のように感じる…。
ただの物売りである自分が似合わない剣を振るい、あんな恐ろしげなおじさん達と戦っていたなど、思い返しただけでも足が竦む。よくやれたもんだと初めて自分を褒めたくなった。
(生きてただけでもめっけもんだ! )
そんな事を思い浮かべながら、彼は砂浜に腰を下ろし足を投げ出すと、静かに目を閉じた。
心が…落ち着いた。
静かで美しい場所にいるのだ。平穏な生活を思い出す…かと思われた。
( サーシャは今頃、どうしてるのかな。 )
でも…真っ先に浮かんだのは彼女の事…。
そう、アルバを散々いろんな事に巻き込み、すっかり生活リズムを乱された挙句、死ぬような目にも合わせてくれたサーシャさん。
住み慣れたイワミ山やワラミの村の風景、散々お世話になった村長さんや神父さまなんてものを思い出しそうなものだけど、わずか数日間しか一緒にいなかったサーシャを真っ先に思い出すなんて、本当に困ったものだ…。ある意味、病気だ。
だけど…彼女の事は、どうにも気にかかる。
今だってようやく心が落ち着いたというのに、顔を思い出すだけで心を掻き毟られるように胸が痛い。
ポニーテール先生は彼女の安否は大丈夫だと言っていたが、この目で確かめた訳じゃない。
普通に考えれば、セザールという将軍様に自分が敗れたとなると、次に狙われるのは間違いなくサーシャ自身だ。だってあの場所にはその3人しかいなかったもの。
それなのに、彼女が無事だなんて事があるのだろうか…。
…助けに行かなくてはって純粋にそう思った。
自分が行ってもロクに戦力になるとも思えないけど、生きている以上はサーシャのそばで必死に守るべきだって思う。
そして、会いたい…。
云々、どう理由をつけてもやはり会いたいと言う気持ちを上回る事などなかった。
( ここは本当にどこなのだろう…。 )
アルバは急に不安になり、あたりをキョロキョロ見回す。
…だけど湖の周りは、深い山々に囲まれ先など何も見えない。
風がほとんどないのか、音もしないし、生き物達の嗎も聞こえない…。
何か、不思議で、変わった場所…どこか現実味がない場所だった。
ただ大きな陽の光は強く、流れる雲さえもいつもより近く感じられる。標高は相当高いって事だけは分かる。
それを見るにつけ、人がおいそれと入れ込めないほどの大自然の中なんだろう。
ただ、ここが何処かなんてワラミ村とルンしか知らない自分では見当もつかなかった。
「こんなところにいたのか…。」
やがて、偉そうでぶっきらぼうな先生の声がした。
アルバは答えることも振り向くこともせず、そのままボーって湖を見ていた。
散々笑われた後だ。ちょっと意固地してみた。
するとその先生、「よいしょ…。」なんて漏らしながら、ゆっくりとアルバの横に腰を降ろした。見た目は30代くらいだけど、その様子を見るにつけ結構おじさんかもしれない。
「この湖、綺麗だろ?」
彼は首をぐるぐる回しながら、突然そう尋ねてきた。
「そうですね…。」
人のいいアルバが答えると、彼は一度息を漏らして話を続ける。
「この湖はな、ウユーニという。別名、聖女が待つ湖。」
「聖女…ですか…。」
アルバは聞き覚えのあるその言葉に、彼にそっと顔を向ける。
「お前は聖女の意味を、知っているのか?」
「…はい。少しですけど…。」
それは、さわりだけだがサカテに教えて貰っていた。
聖女…そして、騎士。
騎士と聖女の理…それは恋人、夫婦と同じ男女の関係性を示す言葉。
騎士と聖女は、恋人より熱く、夫婦より深い…そんな事をサカテは言っていた。
だけどその先生、アルバが聖女を知っていた事がよほど意外だったのか一度目を丸くしたのだが、やがて「ふっ。」って笑うとそのまま砂浜に体を横たわらせた。
「お前は、ろくに世間を知らない癖に、そんな事は知っているんだな。」
「いえ。実を言えばこの前、友達に教えて貰ったんです。」
「ハハッ、そりゃまたマイナーなお友達だな。もっと他のことを教えりゃいいのに。」
「そうですね…。ですけど、記憶を失った俺にはどんな事も驚きの連続です。」
そう言った自分に彼は目を丸くした。
「なんだ?お前は記憶喪失かよ?」
「ええ。ですから一年以上前の事は曖昧なんです。」
「ハハッ。そりゃまたえらい事だな!」
ーー破顔する先生。
( げっ、またかよ…。 )アルバは、再び笑い出してしまったこの男がいつまで笑い続けるのかちょっと心配だったが、意外にも彼はすぐに笑うをのをやめ、ゆっくりと気持ちよさそうに空を見上げた。
雲が風で動き、まばゆい光が彼を照らすと彫りの深い彼の顔にくっきりと陰影をつける。
「アルバ。いいじゃないか。」
先生は目を細めながら、ふとそう告げた。
「えっ?何がですか?」
「記憶をなくしたお前には、全てが新しい出来事だろ?」
「はぁ…。」
「出会う人も、起こりうる様々な出来事も、口に入れる食べ物も全部が初体験だ。だから何がいいのか、どれが一番なのか…分からないだろ?」
「…そうかもしれませんね。」
「だったら、これからいっぱい経験して知ればいい。今は無知だって恥ずかしくない。」
その言葉にアルバは笑みを浮かべて、その先生を見つめ返した。
「ハハッ、16にもなって物を知らないのはやはり恥ずかしいけど。」
「いいじゃないか。田舎者なんで教えてくれ!って言えば、大抵の人は親切に教えてくれる。」
「なるほど〜。確かに!」
アルバが感心したようのそ漏らすと、先生は腕を組んでニカって笑って話を続けた。
「サーシャの事だって、そうだ。あいつはお前が初めて好きになった女だろ?」
「…そうですね。」
「だったら、あいつが一番いいだなんて分からないだろ?比べるものがないんだからさ。」
「…確かに。」
静かに頷いた。少々暴言ではあるが、的は得ている気はする。
「だったら、気楽にいけよ。例えサーシャが師匠を好きだとしても、今は側にいるのはお前だ。その間にいろんな女と知り合いになって、彼女と比べりゃいい。」
「…それって、失礼じゃありませんか?」
「馬鹿だなぁ〜。サーシャはその師匠が好きなんだろ?それなのにお前を側近くに置いて、こき使ってんだ。それ位、まけてもらえ!」
「なるほど。そういう考え方もできますね。」
「だろ?」
大きく頷いた自分を見て、彼はとっても得意げだった。
そしてその顔のまま、足についた砂を払いながらゆっくりと立ち上がる。
「さぁ、アルバ。とっととサーシャの元へ戻りたいなら、早く強くなれ。お前がこの森にかけられた魔法と呪いを解くほど強くなれば、サーシャと会える。」
先生はそう言うと指をクイックイッとさせて、アルバに手招きをした。




