エマとサラ
ーーロハンが、ルンに攻め込んでくる。
それを予見していたのは、ここルンの統治者であるジェニファ・ロダンとその取り巻きの数人だけだった。
戦争なんていう物騒なもんなのだから、もうちょっと早く気がついたり、情報が入っても良さそうなもんだけど、そうならなかったのにはちゃんと理由がある。
そもそもルンは、資源豊かで交通の弁が良い街で、とても豊かなお土地柄。ほとんど戦乱に巻き込まれた事などなく、街を守る兵士の数も質も最低ランク。お金持ちが多いので、治安維持のための官兵は充実していたが、こと戦争のための兵士は、ほとんどいない。
そんな訳だから、普通ならどこかに攻め込まれてもおかしくないのだけど、実は彼らには大きな後ろ盾がいた。
それが何を隠そう、皮肉にも勇猛果敢な兵が多いことで有名なロハンの街である。
そう、ルンの街は長らくこれから攻め込んでこようとして入るロハンに、治安を委託していたのだ。2つの街は同盟という形でお互いの足りないところを支え合っていたのだが、どうやらロハンの方が事情が変わってしまったらしい。
まぁ、その事情という奴は如何にも力が持っている者が持ってない者へ向ける横暴なモノだったが、兎にも角にも街を守って貰っていた相手から攻め込まれるというのは、よもや誰も信じていなかったというのが、ルンがこの戦争に気づくのが遅かったという本当の理由だ。
ちなみにロハンとは、ルンの北西に位置する砂漠の街である。
ルンと同じ旧ザグレア帝国の統治下にあったが、その地域性から北東に位置する軍事大国フィルファと常に小競り合いを続けてきた街である。
その為、兵は鍛えられ、戦術理解度も高く、武器等の技術力もずば抜けている。
当たり前だ。一つのただの街ながら、長いこと強大な軍事大国と渡り歩いてきたのだから。
彼らはザグレア帝国時代の青い鎧を捨て、真っ赤に燃え上がる炎を模した紅色の鎧で統一しており、結束も硬く独立性も強い。特に偉大な将軍セザール・モイザが率いる”苛烈の炎”と名付けられた1,000人のエリート部隊は、周辺の街や国々に恐れられ、その名は大陸の国々に轟いていた。余談だが、この”苛烈の炎”のエリート部隊は、後に”ロハン第一近衛特殊兵団と名を変え、アタナトという天才騎士が率いる事になる。
まぁ、そんなロハンが攻めてきた。
その事をルンの住民全てが知ったのは、ロハン軍8,000が街の正門前に布陣し終わったあとだったという。
どんな理由があろうとも、それはルンが戦闘前の情報戦でも大敗していたという事を示していた。
「皆さん、落ち着いて行動してください。修道院にはまだまだ多くの民を迎え入れる場所があります。ゆっくりと…ゆっくりと順番を守って奥へとお進みください。」
戦争が現実味を帯びてきたその日の夜、ルン修道院の正門前には多くの女子供が押し寄せてくることとなった。
修道院の入口前には石畳が埋められた広大な広間があるのだが、夜の7時を迎える頃には噂を聞きつけた民で覆い尽くされていた。何せ、世界的権威である教団の教会は、民たちの最後の砦。世界でも様々な戦いはあるけれど、ここ教会を襲ったなんていう罪深い軍勢はこれまでほとんど例がないからだ。
金も食料も豪華な装飾品だって数多くある教会を、なぜ戦争を起こすような無体な連中でも手を出さないのか…。
それには、大きく分けて2つの理由がある。
一つは、この世界には宗教が1つしかないからだ。そう、それが”教団”である。
つまり世界中のほとんどの民は教団の信者。いくら王や将軍の命令があっても、おいそれと自分たちが信じる神の家に手を出せるわけがない。
それに命令する方だって、とっても気を使う。何しろ、一つ言葉を間違えれば、敬虔な信者の兵士たちは相手に寝返ってしまう。
というか、例え兵たちの説得に成功し教会に攻め込んでも、その奥で鎮座している女神像の微笑みを見たら、ほとんどの兵士が剣を捨てて跪いてしまうのは分かりきっている。何せこの世界の民の心には、その女神様のお陰で生きていく事ができるのだと500年前の祖先の代からの信仰が刻み続けられているんだもの。
そしてもう一つの理由は、聖騎士という教団のテンプル騎士団の存在だ。
そう、アルバくんもその名を聞いて悩んでらした聖騎士さん。
この騎士団、実を言えば世界最強を謳うとんでもない連中で、現在世界に26名が名を連ねている。それを聞くと、たった26人で何ができるの?なんて思うのだけど、彼らは教団の騎士らしく神の力を宿していると言われ、教団の意に反して戦争を起こした王族や領主の元へ問答無用でやってくる。
そして、王宮に土足で上がりこみ「てめぇ、うちの許可も取らず、なに勝手に戦争してんの?」っていう言葉で弾糾し、王たちを散々罵倒して彼らが戦争をしないと誓わせて帰って行くのだ。
おいおい、王を守る近衛兵や宮廷騎士は何してるの?なんて思うけど、彼らに力で歯向かったら、もっと大ごとになる。
世界の西に位置するパンドラ王国は数年前にそれをやって、兵士3,000人、近衛兵1,000人、宮廷騎士50人を一瞬で失った。
それもたった一人の聖騎士にだ。
情報がクローズされている為、その聖騎士がどうやってそんな芸当ができたか…またはそんな事が本当にあったのかという事は明らかにされていないのだけど、そんなお話は世界中に昔から腐る程ある。
つまり、教会に手を出したら、そんな輩がやってくる…そんな噂がまことしやかに流れていたっていうのが、教会が襲われないっていう理由だ。
ちなみにアルバが聖騎士だと聞いたセドリーヌが、大きく胸を撫で下ろし大手を振って部屋を出て行ったのはそんな理由からだ。まぁ、それは大いなる誤報だが…。
「食料も水も十分に蓄えがあります!落ち着いて中へお進みください!」
さて、その教団様のインフラである教会の一つ”ルン修道院”の正門で、ルンの民を誘導していた修道士のサラは、仲間たちとともに必死に声を張り上げて、ごった返す人々を建物内へ迎え入れていた。
サラは丸顔で赤い癖っ毛がチャームポイントのとっても素朴な20歳の女の子。
どこか田舎っぽくイマイチ垢抜けていないのだけど、実は彼女は2,000人が暮らすここルン修道院の中でも、槍術はいつもトップクラス。女だてらに、そこらへんでフラフラしている官兵なんかよりずっと強い。
( いよいよ…だ。 )
不安そうに荷物を抱え、トボトボと下を向きながら修道院へと入っていく民を見ながら、サラはそう意気込んだ。
戦争なんていう不毛なもんは本当を言えば御免こうむりたい所だが、お相手はこちらの都合などガン無視してやってくる。まぁ、それが戦争というものだ。
となれば、自分がこれまで鍛え上げていた槍術でこの目の前を行く弱き民を守る為に活かさなくてはいかない。修道士は民たちの施しで生きているのだから、彼女にとってそれは当たり前の事だった。
彼女がそんな恩義のある民の流れを、拳を握りしめながら見つめていると急に上役から名を呼ばれた。
「サラ!ここにいたのね!」
そう話しかけてきたのは、ここの女長であるセドリーヌの信頼厚いエマという修道士だった。彼女は自分より一つ上役だが、同い年でお友達でもある。
その大きな丸メガネが特徴の彼女を笑顔で見返したサラは、一度手を掲げ声をあげた。
「うん!誘導係が足りないと聞いたから!」
「ふふっ、お節介のサラらしいわね。」
エマはそう言って微笑むとゆっくりと彼女に近づく。何しろ、逃げてきた民と行き交う修道士が溢れているこの場所では、おいそれとまっすぐに進むことさえできない。
特に避難してくる民の数は増え続けており、もはや広場にも入りきらない有様だった。
そんな中を窮屈そうに体の向きを変えてやってきたエマは、すぐにサラの手を取り言付けを伝える。
「セドリーヌ様からのご命令よ。修道兵は、至急大聖堂に集合してって。」
「う、うん!分かった!」
サラはエマの手を握り返して、大きく頷く。ここルン修道院は、女性しか在籍していない世界でも珍しい修道院だ。その為、戦闘をするものは修道兵として他の修道士たちとは区分され、特に厳しい鍛錬を積んでいる。事が起こったとき、真っ先に前線へ向かうのはこの勇敢な修道兵たちだ。
「ねぇ、エマ。状況はどこまで分かっているの?」
ふと、サラが歩きながら尋ねた。
エマは彼女をチラッと見ながら、顎に人差し指を添えると苦笑いを浮かべた。
「敵の数は8,000ほどで、街の正門前で陣立てをした…そんな事くらいしかまだ分かっていないの。」
「…8,000か。それはまた大軍ね…。」
ここルンには、正規軍が数百しかいない。治安維持を目的とした官兵と合わせても1,000だ。エマは顔を顰めて話を続ける。
「ルンの統治者であるジェニファー・ロダン様からの発表では、臨時で雇った傭兵は約3,000人。合計で味方は4,000人ってとこね。」
「それに私たち修道兵が200人…。兵力差はほぼ倍ね。」
サラはそう言って肩を竦める。敵は勇猛果敢で知られ、百戦錬磨のロハン正規軍8,000
。対してこちらは寄せ集めの烏合の衆ともいうべき4,200。まぁ、勝機は薄い。
そんな悪夢のような状況に、少しだけ暗い表情を浮かべたサラ。まぁ、普通はそうなるだろう…。だけどそんな彼女を勇気付けるように、エマは笑顔でポンって背中を叩いた。
「そんな気落ちしないで。大丈夫、どんな事にも必ず希望はあるわ。」
「…そうね。ごめん。」
「ふふっ。それに今はサーシャ枢機卿もいらっしゃいますしね。」
エマがその名を出すと、サラは驚いた様子で慌ててこちらに顔を向けた。
「えっ?枢機卿はもう、お逃げになられたのではないの?」
「サラは枢機卿のお人柄を知らないからね。…あの御方は修道士のみんなを自分の子供だと思ってくださっているの。セドリーヌ様が逃げるように言上したんだけど、『子供が戦うというのに、親が逃げれる訳がないでしょう!』ってお断りになられたそうよ。」
「はぁ〜!?」 サラは耳を疑った。
「そういう訳だから、修道院にはサーシャ枢機卿がでんて控えてる。意外と心配ないかもよ。」
「ちょっ、ちょっと!エマは偉いんだから、枢機卿に諫言してきてよ!あの御方は全世界の修道士が待ち望んだ希望の光、女神様よ。万一の事があったら、どうするのよ!」
サラは、それこそエマの肩を揺らしながら、大声で叫ぶ。
彼女が言った通り、サーシャ・カスティリャは大地の修道士たちにとって神そのもの。サラが慌てるのも無理がなかった。だがユラは落ち着いてその問いに答えた。
「ふふっ。枢機卿は頑固でも有名なんです。一度口にされた事は、決して変えないわ。それに…。」
「それに?」
「面白い騎士様をお連れなされてるの。」
エマがそう話すと、サラは彼女の顔を覗き込んできた。教団の支配者であるサーシャが連れてきた騎士…となれば、あの名前が浮かぶ。
「ま、まさか、聖騎士かい?」
「う〜ん。そうは見えなかったけど…でも、なんか気になるのよね、彼。」
「気になる?」
サラが一度腕を組んで尋ねると、エマは大きな笑みを浮かべた。
「うん。あれは、何かやってくれそうな顔をしてるの。…私の勘はよく当たるでしょう?」
「…確かにエマの勘は鋭いけどさ。まぁ、今回も外れないことを祈っているよ。」
サラはそう言いながらフって笑うと、白石で作られたアーチ状の入口が目につく。
「エマ、頑張ろうね。」
「ええ。」
彼女たちはそう言い合いながら、いよいよそのアーチ状の門をくぐり、修道兵が集まる大聖堂へと足を踏み入れたのだった。




