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緊迫

そんな時だった。


「サ、サーシャ枢機卿。」


何やら慌てた声が扉の向こう側から聞こえてきた。…聞き覚えのない声だ。

しかしそのただならぬ口調に、サーシャはアルバの手を強く掴みながら扉に顔を向ける。


「どうしたのです?」


「はい。実は……その……。」


相手は緊張しているのか、段々と声が小さくなっていく。


「よく聞き取れません。構いませんので、部屋にお入りなさい。」


「し、失礼いたします…。」


やがて扉が静かに開く。するとそこには一人の修道士が跪いていた。四角いメガネをかけた黒髪の女性だった。だが彼女は部屋に一歩入ると、こちらの顔を見ようともせず、深く深く跪いている。

緊張してるのだろう…だがそれは自分の血を考えれば致し方のない事だ。

サーシャはその事に気がつくと、アルバを伴いながら彼女の元へと近づいた。


「貴女は?」


跪いているその修道士の前に立つと、サーシャはそう問いかけた。


「はい。ここルン修道院の女長を務めさせていただいておりますセドリーヌと申します。ご挨拶が遅れ、大変申し訳ございません。」


「初めまして、セドリーヌ。私に挨拶など無用です。それで…如何したのです?」


「…実は、今しがた知らせが入り…このルンの街に軍勢が迫っているとのこと。」


「まぁ…。」


サーシャは思わず口に手を添えて驚いた。

軍勢が迫っている…それはにわかに信じがたい事だったからだ。

確かに世界各地で部族や集落同士の小さな争いは頻繁に起こってはいるが、国同士はもちろん、こんな大きな街であるルンを巻き込むような戦闘など、ここ10年ほどはほとんどない筈だ。その事は世界をある意味で牛耳っている教団はよくわかっている。

だが、彼女の慌てようから言って嘘とも思えない…。

やがてセドリーヌと名乗ったその女修道士は、額の前でゆっくりと手を組み、祈りの仕草を見せて宣言するようにサーシャに言上する。


「これより修道院は、女子供…それに老人を迎い入れ、守りを固めます。敵は北西にあるロハンとのこと。よもや、教団に牙を向くとは考えられませんが万一という事もございます。馬をご用意しました。…枢機卿は南より逃れてください。知らせでは敵は、南までは周りこんでいない様子。今からならまだ間に合いましょう。」


セドリーヌという修道士は、要点だけをまとめそう告げてきた。

彼女の言葉は、こんな非常事態にも拘らず正論で簡潔。さすが2,000人の修道士を纏める女長だけのことはある。


「セドリーヌ。弱き民をこの修道院で匿うは当然として…あなた方はどうするのですか?」


サーシャは跪いている彼女の肩にそっと手を添えて尋ねる。


「ここルン修道院は、かのファティ大司祭が初めて民に教えを説いた土地。できる限りの弱き民を迎いれた後は、ルン正規軍とともに街を守るために戦います。こんな日の為に我らは槍術の鍛錬を一日足りとも欠かしていません。」


そのセドリーヌの言葉に、サーシャは感心したようにしばし彼女を見下ろしていた。

アルバはイマイチ状況が飲み込めていないのか、顔を傾げっぱなしだ。何せ、ずっと山奥で自由に暮らしてきたのだから、戦争などと言っても実感が湧かない。

やがて白ローブを羽織ったその美しい女神は静かに、セドリーヌに語りかけた。


「あなたがたの覚悟は分かりました。ですが…状況はどうなのです?ルンに備えはあるのですか?」


「…いえ。ルンは長く平和が続いた街。経験のある将軍や兵士はいません。ここの統治者であるジェニファー・ロダン様は、何かを予見していたのか傭兵を集めていたようですが、数が足りないとのこと。…一時、世界的に有名なコルドバなる剣士もここに呼び寄せていたようですが…。」


「コルドバなら私も一度会った事があります。聖騎士と同等の力を持つ、かの御仁がいれば心配無用ではないのですか?」


「ですが…残念ながら最後に交渉が失敗したようにございます。」


セドリーヌは無念とばかりに深く頭を下げた。

そんな彼女を静かに見据えていたサーシャは、やがて目を閉じて何かを考え始める。

( これから、どうなるんだろう…。 )

アルバは、2人の緊迫した様子を見ながらそう思った。

先ほどから変わらず、実感は湧かない。戦争…多くの兵士たちが剣を交えながら果敢に戦うなんていう光景が浮かぶ。…そんな勇者たちの姿は想像するだけで格好いいが、盗賊ごときからも逃げ回るので精一杯の自分には、関係のある事とは思えない。

そう、戦争なんてもんは、さっき話に出ていたコルドバみたいな英雄たちが、覇を競って行うもんだと漠然と思っていた。

ただね…ちょっと気になることもあったりする。

一つは、先ほどサーシャの口から出た”聖騎士”なんて言葉だ。

勿論アルバは、そんなもんを見たことも聞いた事もない。

ただ言葉じりから察するに、聖なる騎士なんだから教団に関係するって事は間違いないんだろうけど、騎士っていうワードがどうにも引っかかる。

…一応、自分も臨時だけどサーシャの騎士だし。

もう一つは、先ほどキートンが言い残した『今晩の君の活躍を祈ってますよ』ってやつだ。信じたくないけど、彼はこの戦争を予見してそう言ったんじゃないか…そう勘ぐってしまうほどタイミングがいい…。

そうするとだ。

自分はこの戦いに参加して、活躍しなきゃいけないってことになる。

( いやいや、無理無理。キートンさんは一体、何を勘違いしているのやら。 )

なんてアルバが呑気にそんな事を思っていると、そのお気楽な彼の性根を吹き飛ばすようなとんでもない暴言をサーシャがさらっと口にだした。


「セドリーヌ。私は、カスティリャの血を引く教団の責任者です。あなたがたに責を押し付け逃げれる筈もございません。」


「お、お待ちください!サーシャ様は、全世界の修道士や信者にとって全ての希望なのです。あなた様の御身を危険に晒すわけには参りません!」


その生きる女神のお言葉に驚いたセドリーヌは、当然強い口調で反対した。…思わず、サーシャを見上げてしまうほどに。

そう、許しもなく顔を見ただけで首を取られちゃうって噂の御仁を思わず見てしまったのだ。

だがサーシャはそんな彼女を叱責もしないばかりか、にっこりと大きな笑みを浮かべだけで、特にセドリーヌの首に異変はない。

…そう、毎日彼女たちが祈っている女神像のような微笑みを浮かべ、元気な声をあげたのだ。


「フフッ、大丈夫です。私には騎士様がついておられます。どんな敵が来ようが、私に指一本触れられませんわ。」


その言葉にセドリーヌは目を丸くしてアルバを見る。

そしてアルバは、もっと目を丸くした。

いやはや又してもこのサーシャさんを何を馬鹿な事をおっしゃってるんですか?って、彼は正直思ったのだ。


「も、もしや、貴方様は聖騎士であられるのですか?」


だけどもサーシャばかりでなく、そう尋ねてきたセドリーヌの顔も驚きとも喜びとも取れる微妙な表情。

そんな期待満載の顔でこちらを見ているセドリーヌに、アルバは当然のように思いっきり腰が引ける。


「ちょ、ちょっと、待ってください…。」


懸命に手を振って、それ以上、話が間違った方向に行かないように全否定する。

云々、そもそも”聖騎士”が何であるかすら知らない自分が、聖騎士であろうはずがない。

ところが、彼の心をいつも夢中にさせたり掻きむしったりする黄金色の髪の女神様は、今回もとんでもない暴言を、自信漲る声でセドリーヌに言葉を返してしまった…。


「このお方は、私のたった一人の騎士様で、御名をアルバ様と云います。」


「な、何とっ!枢機卿の騎士様となれば、それは聖騎士の…。」


セドリーヌはますます驚き、ご自慢の四角いメガネがずり落ちる。


「そういう事です。ですから皆に安心して事に当たるように伝えるのです。アルバ様と私が皆を導くと。」


そう宣言するように話すサーシャの顔は、とても威厳に満ち溢れ、まさに女神。

もともと、修道士たちはサーシャ・カスティリャの事を本当の神様だと思っている。そんな彼女が、安心するようにと仰ってくれたのだ。

セドリーヌは、そのお言葉にすっかり落ち着きを取り戻すと、眼鏡を指であげ、「で、では皆に伝えます。これでルンは救われたも同然でございます。サーシャ枢機卿、アルバ様。心より感謝いたします。」なんてお礼を言いながら喜び勇んで部屋を出て行ってしまったのだった。


…もうね、アルバの冷や汗は、この貴賓室に水たまりを作っちゃうんじゃないかってほど、身体中から溢れ出ているみたいだ。

なんて馬鹿な事を自分に託すんだって思った。そもそも、彼女が嘘をついた事は明白だ。自分は戦争経験どころか、剣士も昨日デビューしたばかり。つまりそんな嘘で、修道士の皆さんをぬか喜びさせたばかりか、この街を危機に陥れるかもしれないのだ。

今度ばかりは、サーシャに文句を言ってやろうかと思った。

確かに貴女本人は守ると約束したが、80万人を数えるルンの街の運命を背負えなんて言われてない。

アルバは奥歯を噛み締め、ゆっくりとサーシャに目を向ける。

すると自分より少しだけ背の高い美しき女神もこちらを向いた。


彼女は…いつもと変わらぬ奥ゆかしい微笑みを浮かべていた。


「騎士様。急ではございますが、私はこの修道院とルンの街を救わねばなりません。」


「…はい。」


アルバは小さく頷く。…確かに、彼女は教団の偉い人。そりゃ、こういう時は責任を取らなくちゃいけない。リーダーとはそういうもんだ。カナイの村長や神父さんだって、村に何かあれば、前に出張ってきて民を守ったものだ…。


「アルバ。私に力を貸してください。この通りです。」


そう言いながら、アルバの腕を優しく掴み、頭を下げるサーシャ。

黄金色の髪がふわって揺れて、甘い香りがした。

彼女の長い睫毛がはっきりと見えるほど、近い距離…。

彼女がそれをわざとやっているかわからないけど、狡いな…って思った。

…心を奪われている女性にこれをされたら、断れるわけもない。


「サーシャ…。俺は、何をすればいいの?」


いつの間にか、アルバはそう答えていた。



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