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騎士を待つサーシャ



いつの間にか、ルン修道院にあかきいろの夕日が差し込んでいた。


その”時”を知らせる光に、円形の窓際にいたサーシャは切なそうな表情を醸し出しながら、そっと顔を向けた。じんわりと彼女の白肌が紅に染まり、強い影も浮かび上がる。くっきりと色が分かれた彼女の美しい横顔のシルエットはまるで人形のように幻想的だ。

彼女は大地にゆっくりと吸い込まれていく夕陽を見定めながら、やがて静かに顔を俯かせた。黄金色のふわっとした髪が揺れ、美しいブラウンの瞳にじわじわと涙が溢れてくる。理由はいたって単純。…自分の側にいなければならない人物がいないからだ。


昔話に華を咲かせていたエマが仕事に戻り、その涙の意味を知る人間がいなくなるとサーシャの心は更にズドンと墜ちた。

するとどうだろう…黄金と藍色、それに白木に彩られた風光明媚なこの貴賓室も、だだっ広い牢獄に変わり果てたようにすら感じられる。

必然的にそれは、彼女の脳裏に焼き付いている地獄のような10年間を思い出させてしまっていた。あの頃は、この二つの目に映る全てが色あせた青灰色に染まっていて、アルバに託した黒い大剣と今も首に巻かれているネックレスだけが彼女の生きる希望だった。


( 師匠…。 ) 彼女は夕日の光を感じながら、脳裏から離れる事のないその名を口ずさんだ。



トントン…。

そんな時、この貴賓室の扉をノックする音が聞こえた。

彼女は慌てて指で涙を拭うと、「どうぞ。」と返事をして体を扉の方へと向ける。

…でも、返事がない。

顔を擡げ、怪訝そうに扉を眺めていると、やがて蚊の鳴くように細やかな声がした。


「ご、ごめんね…。」なんて弱気な小さい声…。


白木の厚い扉がゆっくりと開く。

少し時があいて、まだあどけなさの残る黒髪の華奢な少年がコソコソ入って来た。…とっても申し訳なさそうに。


…そんな彼を見た途端、本当なら「遅いですっ!どこ行ってたんですか!?」って叫んで、机を大げさにドンッ!と叩いて…やりたかった。


だけど私は 胸の前で手を組むと笑顔で「おかえりなさい、アルバ。」って告げる。

なるべく優しい表情で、何もなかったかのように。

そうしないと彼が何処かへ行ってしまうような気がするからだ。


「夢中で剣を振っていたら、こんな時間になってしまって…。」


…頭を掻いて照れ臭そうに笑う彼の顔が、なぜだかとても懐かしく感じる。

そして…子供みたいな言い訳。とはいえ、彼は確かにまだ16歳なんだから子供といえば子供だ。私は小さく息を落とし、水差しを掲げるとなるべく優しい笑みで話しかけた。


「お疲れ様でございました。冷たいお水をご用意してあります。お飲みになりますか?」


「は、はい!実は喉がカラカラで…。」


アルバはそう言って破顔する。彼は自分の事を姉のように慕ってくれるのだけど、どこか緊張気味で…そして遠慮気味だ。

それが、どうにも可愛い。

…そして、少しだけ憎たらしい。

ここまで、自分が心を開いているのに、彼は全然心を開いてくれなければ、敬語だって消えない。サカテという女には、すぐに敬語を使わなくなったというのに…。

挙句、ほっておくと、いつの間にか私の事を”さん”付けで呼んだりする。

…それを聞くと自分の力の未熟さに、頭を叩きたくなる。


「フフッ…。こちらにいらして。」


サーシャはいろんな想いを胸に秘めながら、そう手招きした。アルバとの事はまだまだ先が長い…それはすごく寂しい事にも思えるけど、彼の心が自分に向いて入ればこの先もなんとでもなる。

そんな事を全く知らない彼は、顔を赤らめて緊張気味に小走りでやって来た。

私は彼にちょこんと肩を充てて、棚の上に置いてあった水差しを手に取り、ワザとさっきまで自分が口をつけていた長細い銅のコップを彼に手渡す。

…狡い卑怯なやり方だとは分かってはいるが、仕方がない。


「さぁ、どうぞ。」


「ありがとうございます。」


なんて言って、無邪気な少年のような表情を浮かべ両手でコップを受け取るアルバ。

私は笑みを浮かべたままその手に包まれた銅のコップに水を注ぐ。

すると、彼は興味深そうにこぼれ落ちていく水をじっと見ていた。

最初に出会った頃から変わらないその様子に、サーシャは思わず笑みがこぼれた。

彼はなんでも新しい事を吸収していく。彼の生活には無かった銅製のカップに水が落ちる音、様子…そんな事にさえ声をあげ、目を輝かせている…。

そして…よほど喉が渇いていたのだろう。コップに水がいっぱいに満たされると、彼はすぐに口をつけ美味しそうに一気に飲み干してしまった。

「フフッ…。」まるで子供みたいな彼のあまりの可愛さにサーシャは勝手に笑みがこぼれる。

そして、フゥ〜って息をしてこちらを見た彼は、とっても満足そうだった。


「冷たくて美味しい!」


「あはっ、良かったです。ちゃんと冷やしていた甲斐があったというものです。…もう一杯、いかがですか?」


「いただきます!!」


元気に返事を返して来た彼に、私は大きな笑みを浮かべながらグラスにもう一杯の水を注ぐ。すると今度は彼の顔が自分を向き、とっても意外な人物の名を口にした。


「サーシャ…。あの、キートンさんっていう男の人…知ってますか?」


「えっ?」


私は、目を見開いた。


「えっと…知ってるんですか?」


「…はい。キートンさんは、私の歴史の先生です…。」


「や、やっぱり。」


て、アルバが答えた瞬間、私はハタとある事に気付き、思わず目を見開いて彼を見直す。

( ま、まさかっ!!? )

って、ちょっと仰け反り、どうにも空いた口が塞がらなかった。

とにかく、その事は心臓が止まるかと思ったくらい驚く事だったのだ。

胸を手で抑え、なんとか平静を装うことが出来たのだけど、なかなか胸の高鳴りがおさまらない…。

しばらくすると私は、目を見開いて彼の顔を凝視する。…正直、泣きそうだった。

…だけど、アルバは昨日と変わらずチラチラと自分を恥ずかしそうに見返し、ドギマギしているだけ…それは私の予想が外れた事をしっかりと…そして残酷に示していた。

だけど、それは決して彼の所為ではない…。

やがて私は気を取り直して、彼に話しかけた。


「どうして先生のお名前をご存知なんですか?」


「はい。…実はさっき、中庭に行く途中で彼に話しかけられたんです。この建物の下に降りたとき…ですけど。」


「まぁ…キートン先生がこの修道院に来てたのですか?」


思わず口を大きく開けてしまった。何故なら彼は現在、いるべき場所からは離れられないはずだったから。


「ええ。そうしたら、『君はサーシャと一緒にここを来ただろう?』って言われて…。色々とサーシャの事を話してくれたものですから、俺も貴女と旅をする事とか、話してしまって…よかったですかね?」


「それは全然構いませんけど…。それで、先生からはどんなお話を?」


私が首を傾げそう尋ねると、彼の表情が曇った。


「あっ…。あの…師匠さんに会ったら、いるべき場所へ戻って来いと伝えて欲しいって。」


「まぁ…。」


その言葉に、サーシャは驚いた。まさか、あの先生がそんな事を言うなんて予想外もいいとこだ。

だけど、そんな自分の顔を見たアルバは、表情がますます曇り、元気が無くなっていく。…再び顔を俯かせ、今にも泣き出しそうだ。


「どうかしたのですか?」


サーシャは銅のカップを持って何やらしょんぼりと俯いている彼の顔を覗き込む。

昨日からそうなのだけど、彼は稀にすごく寂しそうな表情を浮かべる。アルバは笑っている事が多いから、たまに見せるその顔にすごく心配になるのだ。


「い、いえ。なんでもないです。」


目をパチクリさせ、誤魔化すように視線をはずす彼。

…だけど、こういう時…何にもない訳がない。

私の心は大慌てだ。

すぐに彼の細腕を優しく包むように、自分の手を添える。

断じて色仕掛けをしている訳じゃない。…全くそうじゃないとは言い切れないけど、むしろ彼を逃さないように捕まえている…という方が近い。

だけど…これは実に効果的だ。

すごく照れくさそうに…そして恥ずかしそうな顔をして機嫌が治る。

この時も彼は一度驚いたように自分の顔を見て…その後恥ずかしそうに顔を背けてから頭を掻き、やがてボソって漏らした。


「あ、あと…。キートンさんからサーシャだけを信じろって言われた。」


それはまた嬉しい言葉だった。

だけど…それもまた、キートンらしくない物言いだ。

ただ、今の自分にとってはとっても都合がいい…。アルバがその事をどう捉えているかは謎だったが、とにかく今は怪しさ満点の自分を信じてもらう他ない。そんな時の第三者からの助言は大きい。

私はちょっとだけ笑みを浮かべ大きく頷くと彼の二の腕を優しく撫り、話しかけた。


「晩御飯…何か食べたいものはございますか?」


すると途端に彼の顔に笑顔が浮かぶ。

私が大好きなそれは、まるで辺りが明るくなり軽快な音楽が鳴り響くように感じる。

思いっきり話を変えてしまったのだけど、食べ盛りの彼は、とにかくご飯の話をすると機嫌が良くなる。

こんな手法がいつまで彼に効果があるのか分からないけど…。

ゆっくりと、ゆっくりと紡いでいくしかない…。

ただその道は私には掛け替えのないものでも、彼にとっては地獄かもしれない…。

でも、もう後戻りはできないし、するつもりもない。


「サーシャ…が作ってくれるなら、なんでも!」


結局、彼はそう言って破顔し、水を再び口にしたのだった。

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