キートン
逃げるように貴賓室から飛び出したアルバは、エマが教えてくれた通りに部屋を出てすぐ右にあった螺旋階段を降りて行った。
またこの階段も白石が少し燻んだ落ち着いた色合いで、重厚感満点。まるで蟻地獄のように下へ下へと降りていく螺旋状の形も雰囲気をより増している。
( なんか…教会って怖いな…。 )
ふとそんな事を思った。
そしてそんな気持ちをより助長させるのが、踊り場や壁のくぼみに彫り込まれた石像だ。
これがまたよく出来て居て、表情や筋肉まで丁寧に彫り込まれているので実にリアル。
そう、今にも動き出しそうな勢いである。
本当なら、師匠とサーシャの事で頭がいっぱいだというのに、何やらその精巧な人物像がやたらと気になった。まぁ、解決できない難しい事よりも目の前の興味を引く何かに惹かれるのは、世の常とうものだ。
( しかし…いくつあるんだ。ここ…。 )
って、驚愕した。なにせアルバがこれまで暮らしていたワラミ村の教会には、女神像一体しかなかったと言うのに、この修道院には至るところに、大小様々な彫刻が飾られているのだ。
そしてそのどれもが、一斉に螺旋階段を降りているアルバの方を向き、まるで値踏みでもするのように悠然と見下ろしている…。
( やっぱ…怖い! )
アルバは思わず身震いして、顔を俯かせながらトボトボと降りていく。…なにせ自分は自他共に認める臆病者。今にもこちらに襲いかかって来そうな石像たちが本当に不気味だったのだ。
…やがて、足が平坦な床に着き、1階についた。なんとなく、ホッとした。
と、彼はゆっくりと顔を上げる。
まるで何かに引き寄せられるように。というか、あまりの迫力に思わず顔が向いたのかもしれない…。
( な、なんだこれは…。 )
アルバは思わず、そう勝手に口走ってしまった。
それは、螺旋階段の踊り場の反対面にある巨大な壁画から飛び出す、棹立ちになった馬を駆る騎士の姿の巨大な石像だった。
剣を2本持っているのだが、左手の剣が異様に大きい。そして鎧など来ておらす羽織を大きく風に靡かせている。
顔も精悍で髪が長かったのか後ろで一つに纏めており、視線はまっすぐアルバを睨んでいるようにさえ見える…。本当に今でもアルバに襲いかかって来そうな勢いある石像だ。
そのあまりの迫力と精巧さに、彼はたじろいで一歩下がってしまったが、なぜか視線は外せなかった。何か一発でその彫刻に魅了されてしまったかのように…。
( これは誰の像なんだろうか…。 )
何かこの石像だけ特別扱いされている…そうすぐに分かった。
他の石像と比べても桁違いだ。寧ろ、ここの祈りの間にあった巨大な女神像と対をなすくらい大きい。
さぞや有名な御仁の像だろうと、アルバは少々気になって目を細め、キャプション的なものがないか探る。…だがどこにも書いちゃいない。
顎に人差し指を添え、顔だけをキョロキョロ動かし辺りを見渡す…誰か修道士さんでもいれば聞いてみたい…。
「これは500年前を生きた剣聖ジル・スサノオ・シアンをモデルとした像だと言われています。」
と、いきなり後ろから声がした。
もうね、あまりに突然でこんな雰囲気満点の場所だったから、アルバはそれこそ飛び上がるように驚いたもんだ。まぁ声のトーンはとっても落ち着いていて、のんびりした声だったから、自分に害をなす人物とは思えなかったけど…。
とりあえず、恐る恐る振り返る。
と、そこには一人の男が立っていた。…とっても普通の人だった。
黒髪の短髪で少しだけ鼻が大きい…だけどそれ以外は特に特徴はない。顔の感じからすると歳は30代半ばあたりか…。
中肉中背で旅人がよく着るダークブラウンのマントを羽織っていて、修道士のローブじゃないところを見るにつけ教団関係者には見えない。それがまた普通すぎて、明日にまた街とかですれ違っても絶対にわからなさそうな、エキストラみたいな普通の人だ。
「え、えっと…。」
アルバがそのとっても普通な見知らぬ男に口籠っていると、相手はニコニコ笑いながら、腕を軽く掲げて謝ってきた。
「ごめん、ごめん。驚かせてしまいましたね。私は、キートンと言います。教会で子供達の勉強を教える先生をやってましてね。」
そのキートンと名乗った男は落ち着いた声でそう話すと、左手を掲げアルバに握手を求めてきた。…ん?って思った。自分は珍しい左利きなんだけど、この人は何で知っているのか?って訝しんだのだ。だけど、いつまでも待たせるのもどうかと思いたち、とりあえず彼に握手を返して自己紹介をした。
「ア、アルバです。この近くの村で物売りをしています。」
「ほう、物売りですか。その若さで大変な事ですね。」
なんてキートンは言いながら、なぜか眩しそうに自分の顔をまっすぐに見てくる。
しっかりと目を合わせ、何かを伺うような目つきだ。しかも中々、手を離そうとしない。
「い、いえ。そんな大した事では…。」
そう顔を引きつらせていうと、その男は訝しそうにこちらを見つめ意外な言葉を口にした。
「ですが、君はここに来るとき、サーシャと共に来ましたよね?」
「えっ?あ、はい。…えっと、なぜ、その事を?」
サーシャの名が出た事に緊張が走る…。この男が、もしや師匠?って思ってしまった。
もしそうなら、自分は八つ裂きにされちゃうのかもしれない。
しかしこのキートンという男の態度が特に変わらず、大人しく声も落ち着いたままだ。
「いやぁ、偶然にも修道院の入口で君たちがここに入るのを見かけてね。」
「なるほど…。あの、キートンさんはサーシャ…さんをご存知なんですか?」
って、アルバは思わず聞いてしまった。
最初からちょっと気になってはいたが、何せ彼女を呼び捨てにする人物は珍しいし、もしかしたら、兄とか叔父とか彼女に近い人物かもって思ったからだ。すると彼は得意げに人差し指を立てて答えてくれた。
「ええ。勿論です。僕は、サーシャがまだ小さい時からの知り合いですからね。歴史のお勉強も教えていたんです。」
「先生…だったんですね…。」
アルバは妙に納得し頷きながら、彼の目をまっすぐに見た。
確かに、声や喋り方が先生っぽい。
だけど何か…とても不思議な感覚だった。とっても温和そうなお人柄なのに、その体から滲み出るオーラみたいなもんに違和感を感じる。悪人には見えないけど、何かえらいもんを背負い込んでる人のような気がしてならない。
つまり…アルバ的には、この普通のおじさんが何か大物に見えてしまったのだ。
しかも、サーシャを知っているなら聞きたいことが山ほどある。
だけど( サーシャのこと…話してもいいのかな…。 )って、ちょっと迷った。何しろ彼女の事を知っているといっても、敵か味方かは分からない。
結局、とっても迷ったが、キートンの屈託のない笑顔を見るにつけ嘘は言っていない気がして、アルバはサーシャとのこれからの事を彼に話す事にした。
「実は、彼女の護衛のみたいなのをする事になって…。共に旅立つ事にしたのです。」
「ほう、護衛ですか。それはまた……はっはっ。」
キートンは、そう言うと一度大きく笑った。
それも、結構な大笑いだ。
…やはり、こんな弱っちく見える自分が護衛などと言うことはおかしいのだろうか…。
やがてアルバは恥ずかしくなって顔を真っ赤にしながら両手を振る。何しろ彼女の護衛にふさわしくないことくらい、自分が一番分かっているからだ。
「か、勘違いしないでください。彼女には、”師匠”って言う本物の強い騎士様がいらっしゃるのです。俺は、それまでのつなぎです…。」
「…師匠ですか。それはまた懐かしいお名前を出して来ましたね。」
「あ、貴方は、師匠さんを知っているんですか!?」
アルバは頭に冷水を注がれたかのように驚き、思わず叫んでしまった。だが、キートンは特に表情を変えることなく、大きく頷いただけだった。
「勿論です。…ですが、”つなぎ”とはどういう事なのですか?」
「彼女が、師匠と再会できる日まで、俺が護衛をする事になってしまって。」
「なるほど。そういう事ですか。」
キートンは言葉少なにそう漏らした。だが、アルバの知りたいことは”師匠”なる人物のことだ。もうね、ヤケクソで食らいついてみた。
「あ、あの…。師匠さんっていうのは、どういう人なのですか?」
アルバがその問いをすると、これまであまり表情を変えなかったキートンの眉が少し動いた気がした。
「…君は、サーシャから聞いてないのかい?」
「はい。聞いていません。怖くて、聞けないし…。」
アルバが顔を俯かせ、自嘲気味に微笑む。
するとキートンは、その事がかなりの驚きだったらしく「はっ?。」って、結構な大声で漏らした。…相当予想外だったようだ。
だが、しばらくして何かを悟ったような笑みを浮かべると、アルバの顔を覗き込んで来た。
「それは、いつか君自身が見つけなさい。どうせ、君はいつかその”師匠”と向き合わなくてはならない時がくる。」
また、意味不明な言葉を言ってくる。サーシャもそうだが、師匠のことを尋ねると誰もが、意味深に意味深を重ねるような事を言う。
アルバがその事を考え込むように顔を顰めていると、やがてキートンは自分の肩にゆっくりと手をのせて来た。
「もし、師匠に会えたら伝えておいてください。一刻も早く、いるべき場所へ帰ってこいと。」
「…は、はい。」
小さく自信なさげな声で、頷く。
まぁ、正直意味はわからない。わからないんだけど…深読みすればそれは、サーシャの横に帰ってこい…という師匠にへ向けたメッセージ的な意味に聞こえてしまう。全く師匠に帰って来て欲しくない自分としては、ますます心が沈んでいってしまうというものだ。すると彼は自分の肩に手を乗せたまま、ゆっくりと顔を覗き込んで来た。
「これから君は、あらゆる事を体験する。それこそ死ぬような目にだって、何回もあう事だろう。だけど、君はサーシャだけを信じるんだ。決して他の人の言葉に惑わされちゃダメだ。そうすれば君は、君の行きたい場所へ行けるようになる。」
アルバの目をまっすぐに見つめ、真剣な顔で訴えてくるキートン。
もうね、意味深に意味深を重ねてそれをさらに意味深でくくるのはやめてほしいって正直思った。
正直、意味がさっぱり分からない。
「あ、あの…。」
なんて、しどろもどろに言葉を発すると、キートンは又してもニンマリと笑みを浮かべて、ゆっくりとアルバから離れるた。そしてカツカツと靴を鳴らし歩き、やがて壁一面に浮き上がっている巨大な剣聖ジルの像を見直した。
「この剣聖ジルでさえ、女神を守りきれなかったと伝承は伝えています。…とりあえず、今晩の君の活躍を祈っていますよ。」
最初から最後まで、意味のわからない事を言いつづけたこのキートンなる御仁は、結局その言葉を残してアルバの前から姿を消したのだった。




