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サーシャと訪れた修道院

ルン修道院。

別名は、L'inizio del monastero。

世界唯一の宗教である”教団”に仕えし修道士たちが、神の教えを学びながら一定の戒律に則った生活の場である”修道院”の一つである。

ただ、ここルン修道院は、世界中に無数にある教会や修道院の中でも、聖地にあるとされるレゴラス大聖堂を除けば、その大きさは世界最大級。そして歴史書が多く眠る美しく煌びやかな図書館で有名だった。


建設されてから500年を経ているその建造物は、周りを赤土が練りこまれた2階建て相当の土壁に囲まれていて屋根は赤茶。その中には、子供達が勉学と神の教えを学ぶ”学校”、医療施設、様々な買い物施設、そして修道士たちが普段の生活を送る宿舎も全て揃えられていて、一片が数10kmもある巨大な施設である。

そして、ここの院長は必ず女性と定められている。それは教団支配者の一族であるカスティリャ家の厳しい戒律により頑固に守られ、現在の院長はイナンナ・カスティリャという女性だ。ただ、イナンナは教団支配者であるカスティリャの人間。当然、聖地にいらっしゃって、こんな辺境の地にはくるはずもない。そのため現場は、女長セドリーヌ・テレサなる女修道士が勤めている。彼女は今年40になる黒髪でほっそりとした女性だが、その地味な見た目とは違い、頑固でクソ真面目な性格。教団の厳しい戒律をきっちりと守ることで有名だった。神の教えにも造詣が深く、若い修道士からは”歩く教典”なんてあだ名まで拝借している。

ただ、彼女は人にだけでなく自分にも厳しいので、多くの修道士たちに尊敬はされている。でないと、40という若さで修道士2,000人が暮らすここルン修道院のトップに立てるわけもないが…。


そして、そのセドリーヌ女長。

実は、今、とっても焦っていらっしゃった。

もう、朝から修道院中を飛び回り、各部門長の修道士たちに大声で的確に指示を出していたりする。


「中庭の芝生はもっと丁寧に刈るの!後、落ち葉を全て隅にまとめといて!」


「お食事は、野菜と魚料理をメインで。昨日私が書いたメモの段取りで!毒味は最後は私がします!」


「宝物庫の一番奥にある13品を全て貴賓室に!絨毯は青と金のものを!」


「商人を呼び、ルンで手に入るもので質のいい生活用品をありったけ持ってくるようにとお願いを!」


元々、神経質で何事も細かく自分で把握していないと我慢できない性格なのだけど、今日も全ての修道士たちに、声をあげながらメモを細かく書いて渡していく。

いつもは長い黒髪を後ろで一つに纏め、縁のない四角いメガネをかけながら、しずしずと歩き、落ち着いた声を話し方で指示を出すのに、今日は汗だくでグレーローブをなびかせながら文字通り走り回っていた。


なぜ、彼女がこんなになっているか。

それは、2日前にここルン修道院にもたらされたお手紙の所為だ。

差出人不明のそのお手紙は、教団の聖地からのものだった。


” ルン修道院に、サーシャ・ハトホル・カスティリャ枢機卿がお忍びでお立ち寄りになるかもしれぬ。至急、全ての準備を整えよ。 ”


なんてものだった。


「はぁぁぁっーーーー!!?」


その手紙を修道院の2階にある自分の部屋で見たとき、彼女は卒倒して倒れそうになったものだ。いやいや、現実に机の上のティーカップが倒れお茶をこぼすし、椅子の背もたれも120度は海老反りになってしまい、危うく彼女自身が天に召されるとこだった。


何しろね…

サーシャ枢機卿がここにくる…それは、ありえない事だった。


彼女は、教団の支配者であるカスティリャ神皇の一人娘で、聖地の教団関係者からは女神と称され、その存在自体を教団全体で非公開にしてきたほどの御仁だ。

500年前を生きた伝説の大司教ファティ神皇の血を引き、姿カタチも瓜二つ、慈悲深く、神に愛され、直接その神と話せると噂される女神の末裔。むしろ昨今では、彼女自身が神なのではと言い伝えられているほどだ。

セドリーヌは大慌てで部屋を飛び出し、祈りの間に鎮座する巨大な女神像をボーって見上げながら考えた。

云々、この女神像の本物がいらっしゃるのだ。

だがいつまで見ても実感が湧かない。

…しばらく考え、( きっと…たちの悪い悪戯だわ。 )なんて結論付けた。ありえない……馬鹿馬鹿しい……アホか!っと。

…云々、本当にね、馬鹿馬鹿しいとは思ったのだけど、全く信じてなかったのだけど…一応ね、心配だった彼女は、金のかからない掃除からこっそり手をつけた。まぁ、修道院の掃除は神に仕える修道士の立派な務め、普段からしっかりやってらっしゃるけど…念入りにね!なんて思っていたら、その手紙の数時間後、なんと聖地から莫大な大金と食料が修道院にもたらされたのだ。


女長の部屋の1/3を多い尽くした金貨が詰められた豪華な箱をみて、彼女はようやく悟った。


( き、きますね。これは…。 ) って。


そこからは、修道院の皆様は不眠不休となった。

お部屋の準備、お召し物の手配、お食事の段取り、祈りの舞台の作成…。

だからって、それを嘆く者なんて一人もいない。だって、世界中の修道士が憧れ、心を常に共にし、彼らの全ての指針である女神像の本物が来るんだもの…。

話すどころか見ることさえも奇跡…それがサーシャ・カスティリャという御仁だ。

何しろ、彼女がいらっしゃる聖地は地上ではないのだから。





「エマをお連れしました。」


その日の朝早く、部屋で各箇所の最終確認をしていたセドリーヌの元に、とある女修道士の来訪が告げられた。彼女は何かに弾かれたように机をバンって叩きながら叩き立ち上がると、目の前に大きな丸メガネとソバカスがとっても特徴的で可愛らしい修道士さんが、落ち着いた面持ちで立っていた。


「エマです。セドリーヌ様、お呼びでございますか?」


ゆったりとした口調のエマは、そう話すと手をおへその前で揃えて丁寧に頭を下げた。「間に合ってよかった…。」セドリーヌは、彼女を見て安堵のため息を漏らすと、ゆっくりと近づき、そっと彼女の手を握った。


「お忙しいところ、ごめんなさいね。…東の教会の件は上手くいきましたか?」


「はい。無事に神父様にもご納得いただけました。」


「さすがはエマ。頼りになります。」


セドリーヌはそう言って、にっこりと微笑む。

この栗色のセミショートが似合うエマは、歳の頃は20と若いがとてもしっかり者で優秀、教典を独自の解釈で主に子供達にわかりやすく伝える事に尽力している修道士さんだ。ここ最近は、彼女の教育方法を頑固な事で有名なルン東方教会の神父に認めさせるために、ここルン修道院から派遣されていた。


「さて、エマ。貴女をお呼びしたのは他でもありません。…実は先日、聖地より連絡が入り、最高位司祭であられるサーシャ枢機卿が、我らの修道院にお立ち寄りになるという知らせが届きました。」


「まぁ…。」


エマは目を丸くして、手を口に添えた。


「貴女は、確か3年ほど聖地に赴任していたと聞いています。…その、サーシャ枢機卿ともお言葉を交わした事もあったとか。」


「はい。恐れ多い事でございますが…。」


エマは思わず顔が引きつってしまった。実を言えば、お言葉を交わしたなんてレベルじゃない。ぶっちゃけ、同居していたのだから。ただその事は聖地の司教たちに厳しく口止めされていて、誰にも話したことなどなかったが。


「伝え聞くところによると、聖地では許しもなく枢機卿のお顔を拝見しただけで斬首だとか。」


セドリーヌが心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。


「ええ。しかも司教か聖騎士伝いでないと、お話する事すら適いません。許しもなく話しかけても極刑です。」


「な、なんと!それでは急いでその旨を、全修道士たちに伝えなくては…。」


セドリーヌは顔を真っ青にして震え上がった。


「ですがセドリーヌ様。それを言い出したら、枢機卿をお迎えする儀礼などそれこそ無数にございます。畏る位置、歩く速さ、枢機卿との距離…。祈りの儀式で使う神器も聖地とここ大地ではまるで違います。」


「まぁ…。私は、どうしたら…。」


「セドリーヌ様。どうか落ち着いてください。」


常に毅然としているセドリーヌの慌てっぷりを見たエマは、彼女の手を握り返して目をまっすぐに見た。そして自分の知っている枢機卿の本当の姿を説明しだす。


「枢機卿は、とてもお優しく慈悲深いお方、教団の女神に相応しい偉大な司祭であられます。周りの方達はともかく、枢機卿本人が細かい事に目くじらを立てることなどありません…それにこんなに急な便りという事は公式ではなく、お忍びのはず。御付きのお方も最小人数。正式な儀礼にのっとらなくても大丈夫でございます。」


「…確かにそう書かれていました。」


「それならば、心配は要りません。我らは、いつも通り礼節を持って堂々と枢機卿をお迎えすれば良いのです。」


エマがそう言い切ると、セドリーヌは怪訝そうに顔を傾けて、メガネをクイッとあげた。


「貴女は…どうしてそのような事を?枢機卿とかなり親しかったのですか?」


「あっ…、いえ。人伝いに聞いた事があるだけでございます。と、とりあえず、祈りの間までのお迎えとご紹介は私が承ります。その時の修道士たちの決まり事も私が皆に伝えてまいります。その後は貴賓室にご案内しますので、そこからはセドリーヌ様にお任せしなければなりませんが…。」


そう話すエマを見て、セドリーヌは目を丸くした。だが如何な経験豊かなこの女長でも、カスティリャ家の人間をお迎えしたことなどない。少しでも枢機卿と聖地を知る彼女に任せるしかないのだ。


「エマがそこまでしてくれるなら安心というものです。頼って申し訳無いのですが…。」


「何をいうのです。私のことなど些細なことです。ここルン修道院の皆は、セドリーヌ様に厳しくも愛のある教えを受けた立派な修道士ばかり。何も心配はいりません。」


エマはそう言いながら、頬を掻いた。

( 全く…来るなら来るで、手紙の一つでもよこしなさいよ! )なんて、心で悪態をつきながら。






そんな巨大な修道院をてんやわんやにさせている当のご本人サーシャ・カスティリャは、叔母に金を持ち逃げされすっかり沈んでいるアルバの肩を抱きながら、ゆっくりとその修道院へ向かっていた。

アルバは、自分を慰め続けてくれる彼女に本当に頭が上がらなかった。

何せこのお美しい女神さんは、男のくせにくよくよばかりしている自分ばかりでなく、お金を持ち逃げした叔母の事すら批判しない。…むしろ、「何か事情がおありだったのです。必ずまたお会いできます。」なんて優しい言葉をかけてくれる。そんな彼女の言葉が、すっかり沈んだ自分の体にちょっとだけ元気をくれる。そしてその事がとても嬉しく感じられてならなかった。この人は、自分が言って欲しい事を口にしてくれるのだ…と。

とはいえだ。

唯一の肉親がいなくなってしまった事でアルバは一度に2つのものを無くした。

一つは勿論、ダニエロだ。

叔母は素直ではなく優しさが表に出る事はまずなかったが、結局は自分の味方でいてくれた。口がどんなに悪くてお金にがめつくても、最後はいつも助けてくれていた。

いなくなった事で分かるこの虚脱感は、如何に自分が叔母であるダニエロを心の支えにしていたかが分かる。

もう一つは、叔母に預けていた大金だ。

それは元々サーシャに石を売った事で手にしたものだったが、叔母がその金を持ち逃げした以上、アルバは無一文。せっかくの旅のスタートなのに、自分はパン一つ買えない。これでは、これからどうやって生きて行こうか、途方にくれるというものだ。

勿論、あのお金があってもいつかは尽きる。だが、それまでに成長し彼女を守れるようになれば、そこからはどうとでもなる気がしていた。

だがそれすらも夢破れて、もはや笑うしかない。


何と言ってもアルバは呑気者だが、いっちょまえに自立心は高い。


「サーシャ…。ごめんね。」


アルバは声を押し殺してそう漏らした。


「何がですか?」


「実は俺…あのお金を旅の路銀にしようかと思っていて…。これで文無しになってしまいました…。」


「はぁ…。」


…正直に告白したのに、彼女からの反応は薄い。アルバは、歩くのやめて彼女の方へと体を向けた。ここは捨てられない為にも、はっきりと自分の意思を伝えておかないといけない。するとサーシャも同じように、足を止めこちらに目をやった。


「アルバ、どうしたのですか?」


顔を傾げそう尋ねてくる。


「サーシャ…俺さ、旅には出たいんだ。金もないのに、我儘を言っているのは分かっているんですけど…どんなお手伝いでも、荷物持ちでも何でもやりますから。」


そのアルバの言葉を聞いた彼女は、黄金色の美しい髪をちょっと揺らし、「ん?」てなって、眉間にしわを寄せキョトンとしていた。


「あ、あの…。おっしゃっている意味がよく分かりません…。」


「ですから…一緒に旅には行きたいんです。金は持ってないけど…お願いします!」


アルバはそう懇願するように一度大きく頭を下げた。村長や神父さまにも、大きな事を言って出てきた手前、今更村に帰るわけにも行かない。そもそも叔母がいなくなった今となっては、ここにいてもどちらにせよ生活なんてできないし。

するとサーシャは何かに気づいたように「ああ。」って漏らすと、頭を下げていた彼の両肩にそっと手をのせて、「騎士様、頭をお上げください。」と声をかけた。

自分が恐る恐る顔を上げると、サーシャはやんわりと顔を膨らませていた。


「馬鹿ですね、アルバは。」


彼女はそう言って、アルバの頬を優しく撫でた。


「…まぁ確かに頭は良くないけど…。」


「そうではなくてですね。…貴方は大きく誤解しています。」


「誤解…ですか?」


「そもそもこの旅は、私が貴方に頭を下げて共に来てくださいとお願いをしているものなのです。旅の路銀など心配する必要はありません。」


「それは、サーシャが俺を護衛として雇っている…という事ですか?」


アルバがそう尋ねると、彼女の顔はますます膨らんだ。


「護衛?雇う?」


「あ、すいません。勿論、今の俺では、とても護衛なんて大きい事は言えません。ちょっと、調子に乗りました…。ですが、何に役にも立たないのにお金だけもらって平々凡々と旅するなんて…できません。」


そう頭を掻くて言い切ったアルバ。まぁ、これは性分なのでどうしようもない。

と、サーシャは一度小さくため息を漏らすと彼の目をまっすぐに見る。


「貴方は私の騎士様。それがすべての理由です。」


そう力強い声で伝えてきた。

…だけど、自分は彼女の本当の騎士ではない。臨時日雇いみたいなものだ。だが、それを言うと彼女は、「騎士様は貴方だけです!」と意味不明な事を言い出し、言いくるめられる。だから何も言えずに口を噤んでいると、やがて巨大な赤土の建造物が目に飛び込んで来た。


ーー500年以上前に建てられた歴史的建造物、ルン修道院だ。


アルバも勿論、その壮大な外見は毎日のように見ていたが、さすがにこの厳かな建物内に中に入った事はない。

正面の入口の修道士や信者を迎え入れる正門は三階建のレンガ作りで、見上げればてっぺんには、白石で作られた教団のシンボルマーク”宇宙の真理”と女神の横顔を型どった彫刻が並ぶ。


「アルバ、そのお話はまた後ほど。修道院につきました。叔母様の無事をお祈りして、旅の準備をいたしましょう。」


サーシャはそう言うと、いつもの安らかな笑みを取り戻し、彼の手を引いてその歴史ある巨大な修道院に足を向けたのだった。

彼は「う、うん…。」なんて頷き、彼女の後を追う。

だがこの後、彼はとんでもないものを見る羽目になり、そして何でお金がなくても旅ができるのか知ることになる…。





ルン修道院は、その正門前には巨大な白い石畳が敷き詰められた広場があり、その中心には人工的な丸池がある。そこを抜けて3階建の赤煉瓦の正門に行くのだが、アルバとサーシャが肩を並べながらゆっくりと近づくと、その正門前にはグレーローブを着た100人ほどの修道士たちが、人の道を作り、その石畳に全員が畏まっていた。

左右に長い壁を作った修道士たちはまったく動かず、まるで作られた彫刻のようだ。

アルバは思わず、足を止めて目を丸くした。


「な、何だ、あれ。」


アルバがその異常な光景を見て思わず漏らすと、サーシャは小さく息をついた。


「まったくです。何でバレたのかしら…。」


「はっ?バレたって?」


「…とりあえず、行きましょう。アルバは、何も言わず堂々としていてくださいね。」


サーシャはそう言って目配せをすると、すっと彼の左腕の中に自分の細腕を潜り込ませ、腕を組む。アルバは( へっ? ) なんて変な声が漏れるが、あまりに突然のことで、結局は彼女のなすがまま。

まぁ彼女はそのまま歩き出し、その修道士の中へと向かってしまったので、どうしようもなかったが。

やがて、その修道士さんたちの列に入ろうとすると、1人の修道士が畏まりながらサーシャに話掛けてきた。…大きな丸い眼鏡を掛けた女性だった。


「ようこそ、ルン修道院へお越しくださいました。最高位司祭サーシャ・ハトホル・カスティリャ枢機卿。ルン修道院一同、お待ち申し上げておりました。」


「…ご苦労なことでございます。…貴女、御名は何と言うのですか?」


…サーシャの声色が変わった。とりあえずアルバには、そう感じられた。何か仰々しく威圧感すら受ける。


「はい。エマと申します。ここルン修道院にお仕えしております。」


「神の子、エマ。では、一つ、ある。」


「何なりと。」


「なぜ、私がここに来るのが分かった?」


「聖地から連絡があったと伺っております。」


エマは一切、顔を上げないで話し続ける。まぁ、相手は許しもなく顔を見れば斬首っていう御仁だ。とはいえ、彼女がそんな無体をするところなぞエマは見たことがないが。


「…そうですか。それは不思議な事ですこと。」


サーシャはそう言って、口に手を添えると小さく微笑んだ。そして彼女はアルバの腕から身体を離すと、エマという修道士の肩にそっと手を添えた。


「エマ、いくつかお願いがございます。お部屋をご用意いただけるかしら?」


「勿論でございます。とりあえず、貴賓室へご案内いたします。」


「ありがとう。」


サーシャがそう言って、彼女から手を離すとエマは尚も畏まったまま言葉を続けた。


「サーシャ枢機卿。一つこちらからもお願いがございます。」


「何でしょう?」


「ここルン修道院は、敬虔で真面目な修道士ばかりでございます。一目でいいので敬愛するサーシャ様のお姿を皆が見たいと申しております。お許しいただけますか?」


「ここは、神への造詣が深く規律が行き届いた立派な修道院と聞いております。…あとで共に祈りを捧げましょうとお伝えください。…貴女も顔を上げて頂いて結構です。」


「ありがとうございます。」


エマはそのサーシャの言葉に素直に従い、顔を上げた。

すると、その大きなメガネの彼女、アルバをじっと見て来る。まぁ、サーシャの横に畏まらず立っているお前は何者?っていう顔だ。アルバは思わず、目線を外し俯く。サーシャには堂々となんて言われたけど、庶民の自分には土台無理な相談だ。


「サーシャ枢機卿。こちらの殿方は、どちら様でございましょうか?」


エマが目を丸くして尋ねてくる。サーシャは、そっと彼の腕に自分の手を添えた。


「こちらは我が騎士であられるアルバです。」


「騎士…。聖騎士様でいらっしゃるのですか?」


「ええ。私の騎士であるがゆえ。ただ、アルバ様は、ただの聖騎士ではありません。私の騎士です。」


「これは失礼をいたしました。では皆に、そのように申し伝えます。」


「よしなに。」


サーシャがそう答えると、そのエマとい女性はゆっくりと立ち上がり修道士のグレーリーブを靡かせながら2人の少し前を歩き始めたのだった。

すぐに( 騎士様、行きますよ。 )なんて、サーシャの優しい声が届く。


…聖騎士って、何だ?


だがアルバは新たにそんな疑問を持ってしまい、彼女には思わず空返事を返してしまった。

そして何より気になったのは、サーシャと自分に跪く多くの修道士たち…正直、意味が分からない。修道士は神に従事する心強き、凛とした人々っていうのが印象だったから、ここまでへりくだる彼女たちを見たのは初めてだった。

そして彼らは、サーシャを見ながら祈るように手を合わせ、何事か呟いている。これでは本当に神様扱いだ。

( サーシャが偉いってのはわかるけど…。 )アルバは、そこに大きな違和感を持ったものだ。だが、それは彼がまだ修道士たちの想いを理解できなかった故で、そのことを彼が知るのはもう少し先の話である。




ルン修道院は、中も凄かった。

外は歴史を感じさせ、その重みを十分に感じられるが、中は最新の建築様式らしく、新築のように美しかった。外観は赤土の漆喰で造られているが、意外にも内装は床も壁も主に白石。窓は巨大なバラ窓、上が三角に縮こまったステンドグラスなど様々なものがあり、天井には天井画と呼ばれる漆喰で描かれた様々な神の絵が飾られている。そして様々な偉人の石像もそこらかしこにあり、この修道院自体が世界の歴史を伝える書物みたいなものだった。

( な、何だ、これ…。 )アルバは、サーシャに腕を引かれながらキョロキョロしっ放しで、そのおもちゃ箱みたいにキラキラした空間を進んでいく。


エマと名乗った女性は、あの後一言も話さずにゆったりとした歩みで、修道院の奥へ奥へと進んでいく。

出会う修道士さんたちは、相変わらずサーシャを見ては老若男女問わず床に大きく平服し、必死に祈っている。しかもすごく遠くで…。だが、だからと言ってサーシャも彼らに話しかけもしないし、会釈もしない。

常に礼儀正しく、優しいサーシャにしては意外だなぁ…って、アルバは思ったものだ。


やがて緩やかでシックな螺旋階段を登りきると、その空間の向こう側に、またやけに大きな白扉があった。


「サーシャ枢機卿、あちらでございます。」


エマがそちらに目をやり、うやうやしく頭を下げながら2人を案内する。

( アルバ、お疲れ様でした。これで少し休憩できますね。 )って、彼女は耳元で囁く。だけども彼は、いろんな事に圧倒されてしまっていて頷くので精一杯だった。

やがて、その大きな白扉の左右に立つ2人の修道兵とみられる槍を持った屈強な女性が、ゆっくりと扉を開けてくれた。


( うわぁつ…。 ) って、又してもアルバは感嘆の声をあげた。

そこは恐らくアルバのボロ屋や20個ほどまとめて入ってしまうような大きな部屋で、藍色と黄金色でデザインされたふかふかの絨毯、明るい木で統一された調度品の数々、そして部屋の中央には、女神の絵が刺繍された大きなソファと、濃茶の木で造られた机が鎮座していた。

そしてこの部屋にも、修道士の方々が10人ほどいらして跪きながら、何かの指示を待っているようだった。給仕とかする人たちだろうか…。


「サーシャ枢機卿、アルバ様。こちらに。」


エマは、巨大な円形の窓から陽の光が優しく届く大きなソファに2人を案内する。

アルバはサーシャの後に続き、恐る恐る部屋の様子を伺いながら、案内されたソファに腰を下ろした。…もう、ふかふかなんてモンじゃない。


「騎士様。お茶を飲まれますか?」


サーシャが純白のローブの袖を掴みながら上品に座ると、そう尋ねてきた。


「あ、は、はい。」


「ふふっ。最初は、教団ご推薦のお茶を飲まれますか?」


「も、もう、何でも!」


アルバは借りて来た猫のように落ち着かない。するとサーシャは顔を上げて、凛とした声で部屋にいた修道士さんたちに話しかける。


「後は、私たちでやりますので、皆は退出なさって結構です。用がある時は、こちらから鈴の音で呼びます。…エマ、あなたは少し残ってなさい。お話があります。」


その言葉に10人ほどの修道士たちは、一斉に立ち上がると機械仕掛けの人形のように大きく3回も頭を下げ、やがて指示通り速やかに一列になって退出していった。その様子は、さながら訓練された軍のようだ。

アルバは最後の一人が出るまで興味深そうにボーってその様子を眺めていたが、静かにドアが閉められた様子を見て、何やら感心するようにふぅーって大きなため息を漏らす。まぁ、とにかくここルン修道院に足を踏み入れてからというもの、間違いなく別世界で、しかもその原因はどう見てもこの麗しき女神、サーシャにある。

( あれ?サカテは何ていってたっけ…。 ) アルバは、昨日の夜にサカテが教えてくれたサーシャの肩書きを思い出そうと必死だ。だが、思い出したところで、その単語を知らないのだから意味はないが。

と、豪華なソファの横に座っていたサーシャが、「ねぇ、アルバ。」って声をかけてきた。アルバがそっと顔を彼女に向けると、サーシャは急に自分に顔を近づけてきて優しい笑みを浮かべる。( サーシャって、目が悪いのかな…。 )って心配になる程、毎回近づいてくるので、その度にアルバの心臓は飛び出そうになる。


「私の親友を紹介します。エマよ。同い年なの。」


サーシャの声色が戻っている…。そして、さっきまで確かに畏まっていた大きなメガネとソバカスが特徴のエマは、いつの間にやらアルバの斜め前に立っていて腰を曲げて握手を求めてきた。


「初めまして。先ほどは失礼しました。エマです。」


「アルバです。」


アルバはちょこんと頭を下げた。

エマは、何やら先ほどまでの固い感じがなくて、とても自然な笑みを浮かべている。


「ふふ、可愛いお顔ね。この、こわ〜いお姉さんに我儘いっぱい言われなかった?」


「こ、怖いんですか?」


アルバが恐る恐る彼女の握手に答えると、すぐにサーシャが口を挟んできた。


「ちょっと、エマったら。人聞きが悪いこと言わない。」


「ふふっ。だってそうでしょう?」


エマはそうクスって笑うと、今度はアルバの横に座るサーシャに握手を求めた。


「サーシャ、久しぶりね。会いたかったわ。」


「それはこちらの台詞です。エマ…元気そうで何より。」


サーシャは差し出された彼女の右手を、両手で包み込むようにして上下に嬉しそうに振った。その様子は、如何にも親友っぽいのだけど、先ほどとのギャップがありすぎて、アルバは少々頭が混乱してしまう。これが大人の世界という奴なんだろうか…。2人きりの時はいいが、皆の前ではダメなのだろう。


「ていうか、サーシャ。こんな所まで…本当は何しに来たの?」


エマはサーシャの肩に手を添えたり、髪を触ったりして尋ねる。よほど仲がいいのだろう。ちょっぴり彼女が羨ましい。


「ふふっ。エマは察しがついているでしょう?」


「あっ、そうか!師匠か。…サーシャも20歳になったもんね。」


…師匠。

その言葉がエマの口から飛び出した時、アルバは全身の血がスーッって地底へ落ちていくような感覚に襲われた。云々、それはある意味、恋敵の名前。いやいや、そもそも恋敵にもなっていなくて勝負は見えているのだけど…。

しかもだ。

その名が会話に登場した途端、サーシャの顔がパッって明るくなった気がした。そして、「ふふっ、それでね…。」なんてサーシャは急に小声になり、彼女に耳打ちしだしてしまった。しかも2人は段々とアルバから遠くなっていっている。

…その様子を見て、漠然とあんまり、聞かれたくないんだろうなって思った。

あっ、寂しいな!って感じた。

まぁ、自分が進むと決めた道は、この”寂しい”の究極版だからいいのだけど。

だけど、小声で話し込む2人を見て、なんかここにいるのが邪魔なような気がして来た。


「あ、あの。エマさん。この修道院で、剣を触れる場所はありますか?」


アルバは不意にそう口をした。

何か気が紛れる事をしたいって思ったからだ。それに師匠がどうだろうが、とりあえずは自分が強くならなくては何も前へ進まない。


「そうですね…。ここからなら、修道院の中央にある中庭がいいわ。この時間なら、人もいないし。」


エマは顔をこちらに向けて、そう教えてくれた。


「近くにあります?迷子になりそうで…。」


「ええ。ここを出て右の階段を降りて、左の扉を出れば中庭です。」


彼女のその丁寧な説明をを聞くや否や、アルバは「ありがとうございます。」って言って、ふかふかのソファからゆっくりと立ち上がった。


「アルバ。気を使ってませんか?ここにいていいのですよ?」


サーシャがいつも通り優しい言葉をかけてくれる。だが、どちらかというとここに居て、師匠の話を聞くのは正直ごめんだと思ってしまった。まぁ…人間が小さいからね。


「そうではないです。本当に体を動かしたいのです。サーシャさん、エマさん、ごゆっくり。」


アルバはそう言い残すと、そそくさと部屋を出て行った。キョトンとしたサーシャとエマを残して。


「大丈夫?…なんか、アルバ君、怒ってなかった?」


「大丈夫です。怒らせてしまったのなら、私は必死に謝って許してもらいますから。」


サーシャはそう言って、心配そうなエマをよそに、とっても幸せそうな笑みを浮かべたのだった。



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