サーシャのお願いごと
大金を摑まされ、どんな無茶な事をお願いされるのかと戦々恐々していたアルバだったが、サーシャという女性の願いは意外と簡単だった。
「この石を見つけた場所に連れて行ってほしいんです。」
彼女はなぜか執拗に…まるでその事を訴えるように、くどいほど自分に言ってきた。
…そんな必死な彼女には申し訳無いのだけど、それは本当に容易い。
寧ろ、そのあまりに簡単な条件にアルバは訝しんだほどだ。何しろこの麗しき女性がくれた金は途方もない額で、アルバの生活レベルならそれこそ数年も遊んで暮らせるほどだ。
( サーシャが何者かは知らないが、たかが鉱山に案内するだけであんな大金を大盤振る舞いする御仁がいる訳がない。絶対に何か魂胆があるはずだ… ) なんて疑ってみたものの、大金を握りしめ、はしゃぎまくっている叔母のダニエロを見たら、今更断れる訳もなく、アルバは仕方なくサーシャの頼みを聞くことにした。
「そんな事ならお安い御用です。」
「わぁっ!ありがとうございます。宜しくお願いいたします。」
彼女は黄金色の髪を揺らしながら、嬉しそうに頭を下げ、お礼を言った。
そんな天使のように可憐なサーシャの姿を見ていると…もうね、怪しいんだけど…ものすごく怪しんだけど…心を許してしまいそうになる…寧ろ、騙されてもいいか!なんて思ってしまう…。
「い、いや、そんな畏まらないでください。ですが…鉱山は昼間は掘削作業をしているから危ないんです。明朝、朝早くになってしまうけど…いいですか?」
アルバは頭を掻きながらそう尋ねる。本当は無許可で忍び込んでいるから早朝しか行けないのだけど、彼女はその提案にも嫌な顔ひとつせず満面の笑みを浮かべてすぐに同意してくれた。
「もちろんです。私の方は、どんな時間でも構いません。」
「そう…なんだ。分かりました。あ、出店の片付けをするから少し待っててくれますか?鉱山での注意点を説明したいので。」
「ええ、いつまでもお待ちしますわ。」
彼女が胸の前で祈るように両手を添えながら、また優しい微笑みを見せた。
若干、彼女の言葉が心に留まる…。
( いつまでもお待ちするって…。 ) こんなお姫様みたいな女性にそんな事を言われたら思わず赤面してしまうというものだ。
しかもだ…彼女の祈るような「お願いポーズ」も、とにかく可愛い…。もうそれだけで、心の奥底を鷲掴みにされたように、胸がぎゅっとして赤面してしまう。
色鮮やかな大輪の花のような華やかさも、凛とした純白の清廉さも、甘ったるい少女のような可愛らしさも、たったこれだけの短い時間の中でも彼女は自分に余すところなく見せつけてくる。…本当にこの人は何者なんだろうって頭を過ぎったものだ…。
それに…、彼女の溢れるような微笑みを見ていると、何やら心がざわつく…。なぜなんだろうって考えに耽った。…どこかでこの笑みを見たことがあるように思えてならない。
だが、自分にはこんな天使のような女性どころか、女の知り合いさえいないのだから、やはり気のせいなのだろうが…。
「…急いで片付けますから。」
結局アルバはサーシャの事を何一つ分からないまま、そう答えて片付けを急いだ。
出店の屋根をたたみ、売れ残ったアクセアリー類を箱に詰め、屋台の下の隠し引き出しに仕舞いこみ南京錠をかけると、アルバの店じまいは終わる。
ガチャって鍵を下ろす音が響くと、アルバは中腰のまま ( ふう…。 )って、一息ついた。そして徐ろに額の汗を拭いながら空を見上げる。
と、先ほどまでバケツをひっくり返したように空から降り注いでいた大雨がすっかり上がっていた。
( なんだったんだ…さっきの大雨は…。 )
アルバは恨めしそうに、空を睨みながらそう漏らす。何しろ、その豪雨の所為で髪も服もびしょびしょだ。
( もう! ) なんて悪態をつきながら顔を激しく横に振って髪についた水を振り落とし、べっとりと肌に絡みつく服を乾かそうとパタパタさせてみるが、まぁそんなに効果はない。するとその様子を心配そうに見ていたサーシャが、すっと自分の側に寄ってきた。
「アルバくん、びしょ濡れですよ。これでは風邪をひいてしまいます。」
彼女は優しくそう言い、白いローブの胸ポケットから綺麗なハンカチを取り出す。そして優しい笑みを浮かべながら中腰で屈んでいたアルバの頭の上にそっとのせた。
( えっ? )と、いきなりの事に彼が驚いて見上げると、サーシャは自分の髪をそのハンカチで優しく丁寧に拭いてくれている。それはもう…とても、気持ちがいい。
( なんて優しい人なのだろう…。それとも、女の人ってみんなこうなのかな…。 )
アルバはふとそんな事を頭に思い浮かべながらチラッて彼女を仰ぎ見た。
本当に不思議な人だ…って思う。大金を持っていたとか、怪しいとかは抜きにしても、彼女はとても優しくて温かい。彼女に触れられていると、とても心が落ち着くしホッとする…なぜなんだろう…って、思わず首を傾げてしまう。
そんな思いを知ってか知らずかサーシャは優しい笑みを湛えながら、嬉しそうに自分の頭を拭いてくれている…家族も友達もいない彼には、そんなちょっとした事がなんとも嬉しい…。
だけど暫くして、その事がとてつもなく恥ずかしい事に気付く。何しろ彼女の美しい指先もあたるし、甘くいい香りもしっかりと感じられてしまうのだから。
「だ、大丈夫です!」
何かとても申し訳ないような気がしてしまって、アルバは慌てて彼女の手を避けるように立ち上がった。
「あん、まだ拭き終わっていませんよ?」
サーシャはキョトンとしてそう漏らすが、僕は首を大きく振って作り笑いを浮かべる。
「いいんです。こんなの自然に乾きます。」
「駄目です…本当に、風邪をひいてしまいます。」
彼女はそれこそ泣きそうなくらい目を潤ませてそう訴えた。…その引き込まれそうなブラウンの瞳に、思わず甘えてしまいそうになるのだけど、こんなお姫様みたいな女性にそんな事をさせるのは、なんともバツが悪い。
「サーシャさん、とりあえず宿まで送ります。その道すがら、鉱山のことをお話ししますから。」
アルバは恥ずかしそうに彼女から視線を外すと、そう言って濡れた頭を掻いた。
2人はダニエロの店を後にすると、中央通りを北に向かってゆっくりと歩き出した。
雨がすっかり止んで、それまで建物に逃げ込んでいた人々が、一斉にその大通りに溢れでてくる。そこに荷物をたくさん積んだ馬車やら兵士の一団やらも加わってしまい、ルンの街ご自慢の石畳の道はすっかり人混みと喧騒の渦に飲み込まれてしまった。
アルバはサーシャの少し前を歩きながら、その喧騒の中を早足で進む。
それは勿論この人混みの中で、彼女をうまく誘導するためだが、もう一つ言えばこのお姫様のような彼女と横並びで歩きたくなかった…なんて理由もあったりする。
何しろこのサーシャの美しさたるや常軌を逸している。
店で話していた時は、その整った美しい顔に見とれていて気づかなかったが、共に歩いてみると彼女の美貌がそれだけでない事に驚いたものだ。
白いローブから時折覗く細く長い手足を見るにつけ、上流階級を思わせる華奢な体つきであることは間違いないが、胸は豊かでツンと上向き、女性らしい丸みを帯びた部分だってしっかり主張している。声は澄んでいて喋り方だって穏やか、仕草だって上品で可愛らしい…。
もうね、周りから見たら、こんなキラキラした女性の横を歩く貧相な自分は、間違いなく小間使いか奴隷にしか見えないだろう…なんて思ってしまうのだ。
だけれども、とうのサーシャは必死にアルバの横に並ぼうと小走りで付いてくる。
彼も逃げるように歩を早めたが、このお嬢様みたいな彼女も一歩も引かなかった。意外と根性はあるようで、しかも…もしかしたら負けず嫌いなのかもしれない。
やがて、どこまでもついてくるサーシャに、アルバは結局根負けした。
( まいったなぁ…。 )
って、頭を掻き、諦めたように歩くスピードを緩めると、彼女はすぐに真横に寄ってきた。
「良かった…。はぐれるかと思ってしまいました。」
サーシャは、一度ホッとしたような表情を見せ、胸元にそっと手を添えた。
「ごめんなさい。ちょっと歩くのが早すぎましたね…。」
ワザとらしくそう言ってみたが、アルバは少し息は上がってしまっていた。
「いえいえ。私はずっと旅をしているので体力はあるのです。ですが、慣れない街を歩くのは中々に大変ですね。」
サーシャはそう言って、恥ずかしそうに微笑んだ。アルバはもう一度頭を下げて謝ると、今度はゆっくりと歩き出す。恥ずかしいのを我慢して、彼女と肩を並べながら…。
「旅か…。いいですね、羨ましいです。」
しみじみと言ってみた。庶民にとって旅など夢物語だ。
「アルバくんは旅をした事はないのですか?」
「あははっ、先立つものがないですからね。旅なんかに出たら、すぐに餓死してしまいます。」
「まぁ…。それは大変ですね。」
サーシャはぷるっとした唇に、美しい指を添えて微笑んだ。
いちいち、仕草がどうにも悩ましい…って思った。これまで同年代の女性と話す機会などほとんどなかった自分には、そういう事すら気にかかってしまう。
( でも…。 )と、アルバはチラッと横目で見ながら、素朴な疑問が頭に浮かぶ。…この美女は一体誰と旅しているのだろうか…と。今は一人だけど、こんな絶世の美女がこの乱世に一人旅することなど出来る訳がない。沢山の護衛や共の者に囲まれているのか、はたまた午前中に見たコルドバのような強い彼氏に守られながら旅しているのか…。なにせ今は世が乱れている。ルンは比較的治安はいいが、だからと言ってこんな美しい女性が一人でウロウロしていたら、やはりいろんな騒動に巻き込まれることはうけあいだ。アルバが恐る恐る「旅のお仲間は何人いるの?」なんて事を尋ねると、驚いた事に彼女は小さく首を振った。
「いえいえ、私は一人で旅しています。」
「ひ、一人…ですか?」
「はい。」
彼女はそう言って寂しそうな表情を見せた。
だけれども、こちらはもう目が点になる。はい?こんな世にもお美しいお姫様のような御仁が一人旅?…いやいや、ありえない。つーか無理でしょう…って、空いた口が塞がらなかった。ルンのあるザグレア地方は、王朝が滅びて数十年、治安がすこぶる悪い。お隣の軍事大国フィルファならいざ知らず、こんな美女が外を一人でのこのこ歩いていたら十中八九攫われてしまう。
( どういう事なんだろう…。 ) アルバがそう訝しんでいると、ふと彼女が背負っている黒い大剣が目についた。まさか、このお姫様は実は剣の達人かなんかで、とってもお強いとか?…いやいや、無い、それは無い。おとぎ話じゃないんだから…。
そもそもこの大剣は華奢でお姫様のようなサーシャにはとても似合わない逸品だし、こんな大きな剣を彼女が扱えるとは思えない。…となると、実は彼女は悪魔か物の怪で、美しいこの姿にフラフラ寄ってくるバカな男たちを、夜な夜な襲って血をすすっているとか…それは身の毛もよだつ恐ろしげなお話だが、なんかそれはそれでありそうで怖い。そのくらい彼女の美しさはこの世のものとは思えなかったのだもの…。
アルバが恐怖におののきながら、じっとその剣を見つめていると、彼女は何かを察したのか、大剣に手を添えてそっと微笑んだ。
「これは私のものではありませんよ。…私の師匠の剣なんです。」
「師匠…ですか?」
「はい。」
サーシャはそう答えると、何やら切なそうな表情を浮かべた。
師匠……か。
いったい何者なのだろうって漠然と思った。まぁ、こんな大きな剣を扱えるのだ。さぞや強い剣士なんだろうなってことは想像がつくが…。
だけれどもこれ以上、あれこれ詮索するのはヨロシクない…。何しろ、彼女はお金を出してくれたお客様。自分はただの案内人で、友達ですらない。そもそも、最下層の物売りの自分がこんな高貴な女性と話している事自体がおかしいのだから…。
と、アルバはここである事に気づく。そう言えば大事な事を聞いていない…。
「あの…サーシャさんの宿はこちらの方向で大丈夫ですか?」
アルバは思い出したようにそう尋ねた。宿まで送ると言いながら、場所を聞くのを忘れ、勝手に歩き始めてしまっていたのだ。
「あっ…、はい。…実を言えば宿はまだとっていないんです。」
サーシャは困ったような表情でそう答えた。
「えっ?そうなんですか?」
アルバは驚いて足を止めた。
宿をとっていない…それはまた意外な答えだ。つーか、いろんな意味でありえないって思った。だいたい、本当に一人旅だとしても、いくら何でも荷物が少なすぎる。何しろ彼女は、手にバックすら持っていないのだ。すでに宿がとってあって荷物を預けてあるのなら分るのだけど…こんな美しい女性が着替えや日常品なんかを持っていないのは、どうにもおかしいというものだ。
アルバは目を丸くして訝しんでいたが…だが兎にも角にも、彼女の今日の宿探しが先決だ。
「えっと…、じゃ先に宿をとりましょうか。」
「ええ、そうですね。鉱山の近くに宿はありますか?」
サーシャは不安そうに尋ねてくる。
「そうだなぁ…。」
アルバは顎に手を当てて考え込む。鉱山近くとなると、自分が暮らす村しかないのだが、あんな小さい村には宿などというものはない。村へと続く道の途中にロッジみたいなものはあるが、そこは山で働く男やチンピラが泊まる安宿だ。そんな場所にこんな絶世の美女が一人で、のこのこ泊まったらタダで済むはずがない。
「いや、鉱山の近くに宿はありません。それに治安も悪いんです。」
「そうなんですか…。」
「はい。ですから、ここら辺の中央街で宿を探した方が安全です。」
アルバがそう言い切ると、彼女は首を傾げながら彼を覗き込んできた。
「ですが…それですと、アルバくんが明日の朝は大変になるのではありませんか?」
「えっ?ああ、でも少し早起きするだけですから。」
「…ここから、アルバくんの家までどのくらいかかるんですか?」
「…3時間くらい…かな。」
「…それは駄目です。アルバくんに負担が多すぎます。」
サーシャは目を丸くしながら手を振り、その提案を拒んだ。
それは如何にも優しい彼女らしい言葉だけど、その解決策は中々難儀だ…。
アルバが「えっと…じゃ、どうしようかな…。」なんて言いながら困った表情を浮かべていると、彼女は急に何かを思いついたように、一度手をぽんって打つ。
そして白ローブを翻しながら、自分の前を塞ぎ「では、こういうのはどうですか?」なんて可愛い顔で微笑んだ。それだけでアルバは顔を真っ赤にしてしまったのだけど、彼女は尚も目を爛々とさせてとんでもない提案をしてきた。
「私がアルバくんのお家に泊めてもらうっていうのは…どうですか?」
…正直、頭の上に???が浮かぶ。
…もうね、時が止まった。いや、それを言われた瞬間は、本当に自分の心臓は止まってたって思う。呆気にとられすぎて言葉も出ないし、その言葉の真偽を疑うように目をパチクリさせてしまう。つーか、親兄弟がいなくて一人暮らしだって言いましたよね?って確認したくなった。
「い、いや…。俺の家は狭いし…。」
やっと絞り出した言葉がそれだった。だが、彼女は全然引き下がらない。
「そういうの全然平気です。野宿した事だって何度もあるんですよ。」
「で、でもベッドだって、一つしかないし…。」
「私は床でも、台所でもどこでも寝れます。」
「えっと…。」
「あの…ダメですか?」
サーシャはついにアルバの腕を掴んできた。そして目を潤ませながら顔を傾げ、見つめてくる…。これは…ずるい。彼女がそれをするのは、誰が何と言おうと反則だ。
「ダメじゃないですけど…。」
「わぁ、良かったです!ありがとうございます!」
サーシャはアルバに有無を言わせないように言葉をかぶせ、破顔して嬉しそうな声をあげた。…この強引に話を進め、勝手に物事を決めてしまうのは完全に支配層のやる手法だ。
暫くして、バリバリの庶民である彼が、彼女の提案に静かに頷いたのは仕方のない事であった。




