ナンパされる女神とアムリタ
ロフテン国は、アルバが領主を務めるロハンが支配するザグレア地方の南西に位置する大国である。人口はフィルファ国に次いで世界第二の国で、元々は大地の恵みが豊かな農業国であった。だが、ここは貴族の数が多く、貧富の差が激しい。食料はそのほとんどが貴族の元へといくか、国によって外国に売られてしまうため庶民は生きていくことで精一杯である。
奴隷制度も色濃く残っていて、こと人権に関しては世界で最も遅れた国として知られている。
気候は、乾季、雨季、暑季の3つに分かれていて一年中湿気が高く暑い日が多く民の服は、そのほとんどが薄手だ。
貧しい民が多い国は教団がすべての支えでもあるが、この国の国王バハードゥルは、先日教団の一斉追放を決めていた。王の言い分は、元々この国に無数にあった魔術師の宗教を復活させ、国自体を500年まえの豊かな国に戻すことと発表されたが、この国の貧しい民のほとんどは、熱心な教団の信者であったため、国民の反発は大きかった。
だが、ロフテンは東に国境を交えるレダル国を手を結び、その教団の女神サーシャがいるロハンへと軍を進めてしまったためもはや教団との縁はすっかり切れてしまっていた。しかもロハンとの戦争は大敗に終わり、行く末が見えない暗黒時代へと突入しようとしている。
国内では、多くの英雄と勇猛果敢な兵を抱えるロハンが、反撃にでて攻め込んでくるのではとの噂が広がり、国内情勢が一気に不安定になり始めている。当然民の謀反の噂が飛び交っていた。
カラーン。
日がくれたロフテン国のコルタカという町にある「ソンガーの宴」と呼ばれる店の扉が開いた。この店は主に庶民が食事と酒を楽しむ店だが、他の店と違うのは常にオペラを歌う歌姫がいることだ。歴史ある店内には、店の奥に壇上がありその上で毎日その歌姫が美しい歌声を披露していた。
木で作られた店内は歴史を存分に感じられるほど古く、組んだ木が重さでずれ、隙間風も入り込む。だが、年中蒸し暑いここロフテンではそれを気にする客はいない。
「いらっしゃい。」
ちょうど入ってきた客の前を通った配膳係のアムリタという女性がその客を迎えたが、一瞬とまってしまった。
(ちょっ!なにこの人!?)
それは、2人の女性客だったが、一人がこの辺りでは滅多に見ない黄金色の髪だったからだ。暑さ厳しいこの地では黒毛で褐色の肌の人種が多いが、その客の肌は透き通るほど白い。しかも、この世の者とは思えないほど美しく、そのブラウンの瞳を湛えた整った顔立ち、服装はイエローのワンピースに腰に白い布を巻いていて、一見シンプルなのだがどこか高貴さも感じられるほどスタイルが良かった。
「すいません。後で連れが2人ほどやってきます。4人が座れるテーブルは空いてますか?」
その美しい女性がそうアムリタに声をかけてくる。声までまるで天使のように優しく美しい。アムリタは、空ビンを乗せたトレーを抱えながら目をパチクリさせて、
「は、はい。ありますけど…。えっと、老婆心ながら…このお店は、貴女のようなお嬢様には…」
としどろもどろに応えた。この女性はどう見ても貴族か金持ちのお嬢様だ。ここは酒を飲みながら、歌姫の歌を楽しむ男性客が多い。客層は悪くはないが、他国の人間だとなにかと興味を惹かれる。ましてやこんな美しい女性が座っていたら必ず声を掛けられることは間違えない。
「フフッ。私はお嬢様ではありません。ただの商家の娘です。」
「はぁ…。」
ニッコリと微笑むその女性に、アムリタは苦笑いしながら仕方なく席へと案内する。(どうなってもしらないわよ…)と心で思いながら。
この店は、歌姫がいる奥の壇上を囲うように丸テーブルが並べられ、ランプが各テーブルに置かれているが燃料不足のここロフテンらしく明かりは暗い。今日は週末でもあり店内は盛況だった。暗い店内を体をうまくクネらせながら進むアムリタは、その2人の女性客を奥にあるテーブルに案内した。その美しい客に見惚れていて気づかなかったが、もう一人の女性は対照的に地味な女だ。茶色の旅人の服を着ていて、どうにも洗練されておらず農家の田舎娘のようだ。(いったいどういう関係かしら…)テーブルに2人を座れせ、客をチラチラ見ながらアムリタは思った。その美しい女は、ゆったりとした落ち着きのある動きでメニューを見ていたが、やがて顔を上げると
「ロフテンは初めてなんです。オススメのお料理とかお酒はありますか?」
と尋ねてきた。旅人など滅多に訪れないこの店でその質問に面食らったアムリタだったが、この店は地方を代表するおすすめ料理なら数多く揃っている。
「そうですね。ロフテンは香辛料を使った料理が多いです。ミールスっていう料理が一般的ですね。辛いのは大丈夫?」
「はい。大丈夫です。ミールスってどんなお料理なんですか?」
「えっとですね…。プーリっていうパンみたいな物と、香辛料を沢山使った辛い何種類かのスープみたいなものがついてきます。その辛いスープに、プーリをつけて食べるのよ。」
アムリタがそう説明すると、その美しい女は一緒にきた女と少し相談する。連れの地味な女は大分恐縮していて、まるでお嬢様とお付きの召使のようだった。
「では、それをとりあえず2つお願いしますね。」
やがて顔を上げた美しい女性が笑顔でそう話すと、すっとチップを差し出した。それは旅で訪れた客が、親切にしてくれた店員などに感謝を込めて渡すお金なのだが、滅多にそんな客が来ないこの店では珍しい光景だった。アムリタは感激して申し訳なさそうにその金を受け取った。
「あ、ありがとう。お酒は何にしますか?最初はこのあたりのビールがオススメですよ。」
「フフッ。では、それをいただきます。…失礼ですけど、店員さん、お名前は?」
「あ、はい。アムリタといいます。」
突然、自分の名前を聞かれて彼女は反射的にそう応えた。店で名前を聞かれることなどまずない。アムリタが不思議そうにその女を見つめていると
「変なこと聞いてごめんなさい。貴女に似た人が仲間にいるので…他人とは思えなくて。」
と、彼女は申し訳なさそうにそう応えた。アムリタはこの地方の出身なので、黒髪で褐色の肌だ。そして少し垂れ目だった。その美しい黄金色の髪の女は優しく微笑むと話を続けた。
「その人もとっても魅力的なのよ。貴女のようにとっても美人だし。」
「ありがとう。でも美人だなんて…お客さんだけには、言われたくありませんわ。」
アムリタは少し苦笑いを浮かべながらそうかえした。流石にこのあまりにも眩しい女性から「綺麗」と褒められるのはこそばゆい。だが彼女はなぜか心がウキウキするのを感じた。そして初めてあった余所者なのに何故かとても身近に感じられてならない。アムリタはそっとそのお客に顔を近づけて小声で
「このお店、男が多いからいっぱい声かけられると思うけど…あんまり煩かったら、私に言ってね!」
と告げた。その美しい客は目を丸くして、小さく頷く。
「では、少々お待ち下さい。」
アムリタは上機嫌に大きな声でそう言うと、笑顔で手をふってそのまま厨房へと向かった。
アムリタは厨房に戻ると早速店長に注文を伝えた。太った陽気な店長は、まるでダンスを踊るように厨房で料理を作りながら「あいよー」とノリノリで返事を返してくる。そのイマイチ付いていけないノリにアムリタは呆れながらも、大きな声で先ほどの客の事を話した。
「店長〜、なんかね。旅の人がきてるんだけど。すごく綺麗な人でさぁ〜。店の用心棒さん呼んだ方がいいかなって。」
「あ?どこどこ?」
店長のパルマは、厨房の隙間から顔をのぞかせる。店は暗かったが彼はすぐに金髪の女に視線をくれると目を丸くした。
「あらま。ありゃ、またファンキーな姉ちゃんだな!綺麗そうだ!」
「店長は後姿だけでわかるの?綺麗なんてもんじゃないわよ、あの人!」
「ハハッ〜!俺は神の目を持ってんだ!…う〜ん、別に大丈夫じゃないか?」
「はぁ?どうしてわかるのよ!」
呑気な店長の答えに、アムリタは口を尖らせて文句を言うと、店長のパルマは料理の手を止めて、彼女を見返す。
「あんなべっぴんさんが、こんな所まで無事に来られるってことはだよ!すげー腕利きの用心棒がいるか、化け物みたいに強い彼氏がいるのさ!」
「ああ、なるほどね。確かに!そういえば、連れがあと2人くるって言ってたしね。」
アムリタは手を叩いて、店長の言葉に同意した。すると店長は得意そうに目配せして
「寧ろ、周りの客に言っておいたほうがいいな。声かけるときは、命を懸けて声かけろってさ!」
と言うと大笑いした。だがその陽気な2人の心配をよそに、さっそく声をかけている男が目に入ってきた。というか、彼女たちの周りの席にいた男たちが一斉にその美しい女のいる方を向いたと言った方が正しいのかもしれない。
「ロフテンは初めてかい?」
「どこから来たの?」
「こっちで一緒に飲もうよ!」
国が閉鎖的になって、外の情報が全く入ってこなくなったこの国の人々は、その女の美しさにも誘われて口々に声をかけ始めた。アムリタはその節操のなさに呆れ返って、店主のパルマとともに苦笑いを浮かべた。
「男の人って怖いわ〜」アムリタは、肘をつきながら周りの必死な男たちを見るとそう呟いた。確かに異国の女は珍しく、その上あんだけ美しいなら仕方がないのかもしれない。また、その女もよせばいいのに、丁寧に言葉を返している。(その優しさは、余分だわ)アムリタは呆れながらその様子を見ていた。
「かかかっ!こりゃ、ここいらで王子様に登場いただかないと、あの綺麗な姉ちゃん襲われるな!」
「ほんとよ〜!周りが狼になってるわ!」
厨房の隙間からこっそり覗く2人は、楽しそうにそう冗談を言い合う。流石にそこまでこの店に来る客層は悪くない。前のめりになっていることは否めないが、店長のパルマとアムリタはそれほど心配はしていなかった。
「おお!あの引きこもりのメガネが大騒ぎじゃ!」
「みんな負けたくないのね〜。」
「つーかあの姉ちゃん、綺麗すぎだろ!」
「でしょ?あんな顔に生まれたらさぞや人生楽しいでしょうね〜」
「がははっ。あの親父、姉ちゃんの横に座ろうと必死じゃ。どうじゃ、アムリタ!誰があの姉ちゃんを落とすか賭けてみんか?」
「うふふ。いいわよ〜。私はあのおかっぱ頭のポテトくんにするわ。あの奥手があんだけ頑張ってるの見ちゃうと応援したくなるし。」
「う〜む。おまえいいとこ突くの!ならば、俺はあの姉ちゃんが年上好きだと信じて、あのヒゲ親父にかけよう!」
2人はまるで実況見分しているように、料理そっちのけでその不思議に盛り上がる空間を楽しんでいた。どうやらあの綺麗な女は、アムリタが応援するおかっぱ頭のポテトが気に入ったようで、必死に話しかけるその少年の方に体を向けて、楽しそうに話していた。
「へへ〜。どうやら、私の勝ちのようね!」
「アホ!女が落ちる方だと言ったろ!?あれは、まだ落としてない!」
「店長さぁ…。それ言ったらあんな綺麗な女の人、この店の客じゃ落ちないってば!」
「わからんぞ!よし、あの姉ちゃんとチュウしたら認めよう!」
「あんなお嬢様が人前でキスなんかするわけないでしょ!」
「いや意外にああいう女は…ほら、ポテトの頭を撫でとるぞ!」
「え〜!?」
パルマの言葉に、アムリタは背を伸ばして見ようとしたが彼女の周りにはいよいよ人が集まりだして彼女の所からは、見えなくなった。店長は体を伸ばし、厨房の上の窓から必死に覗いている。アムリタは気になって店長の服をぐいぐいと引っ張りながら必死に尋ねる。
「ちょっと〜店長〜、状況どうなの?」
「う〜む。おっ!おっ〜!おっ〜!?」
「ちょっと!教えてよ〜!店長!」
「うわぁ〜、そんな事までさせて…こりゃ子供が見ちゃいかん、あの姉ちゃんやるの〜!大胆だわ〜」
「なに!?なに?ほんとにキスしたの〜!?」
「おっ〜!ポテトが羨ましい!!」
「もう!!どいて!」
いつまでも状況を言わない店長に業を煮やして、アムリタは力技でパルマをどかし、木の箱によじ登って店の中を覗く。だが、いつの間にか彼女の周りから人だかりがいなくなって、ある一人の男が、周りの男どもを退かすように、その女と向かい合っていた。
「もう!!店長の嘘つき!…でもまた厄介な男に見初められたわね…。」
「勝手な想像したお前が悪い!…じゃが、そうじゃの。あの傭兵くずれが相手じゃ大変だ…」
いろいろと楽しんでいた2人の声のトーンが一気に落ちた。
その男は、コプラという名の傭兵だった。
つい2ヶ月ほどまでは、きちんと職についていたが、残念ながらこの国が教団追放を決めたため働き口を失っていた。彼は、街にある大きな教会の門番を長らく勤めていた傭兵だったのだ。歳は31で、傭兵らしく逞しい体つきだったが背は低い。パーマのかかった短髪の黒髪で、この地域の人間らしく肌は褐色だった。
その男が来てから周りが静かになり、ざわついた店内は再び、歌姫の声が響き渡る本来の店のスタイルに戻っていた。
その美しい女は周りが静かになったので、壇上で歌う歌姫に見惚れている。
コプラは周りの男たちを威圧して追い払うと、歌に聞きほれるその美しい女の横顔に見入っていた。吸い込まれそうなブラウンの瞳に見惚れていたが、別にそれだけが彼女を見ていた理由ではない。この女には、ある特有の匂いがあったからだ。
「いい歌だな。なかなか泣けてくる。」
コプラはまずそう言って、その女に声をかけた。独り言とも取れるその物言いは、相手にされなくても恥ずかしくない。だが予想に反して、その女は黄金色の髪を少し揺らしながら、ゆっくりとコプラに目をやった。
「本当ですね。とても声がいいし、ここまでの歌い手はなかなかいないと思います。」
「彼女は、バイシャリという歌手だ。」
コプラは彼女がすぐに言葉を返してきた事に、ニンマリとしてそう答える。するとその女は感心したようにその歌うバイシャリに目を向けて話を続けた。
「このお店には失礼ですけど…。あの歌声なら単独でコンサートを開いてもいいくらいです。」
「前はそうだった。だが、彼女は熱心な教団の信者でね。歌も教典がらみのものが多い。…この国じゃそれが命取りになるのさ。」
「まぁ…。それはもったいない事です。」
「そう言うあんたも、教団がらみの人間だろ?」
コプラは急に目を光らせながら、その女に迫るように話す。彼が先ほど感じたのは、この女が放つ修道士が持つ独特の匂いだった。本当に香りがあるわけではないが、長らく教団で門番をやっていたコプラには、雰囲気でそれを感じてしまうのだ。だが、その女は特に反応を示さず、黙ってバイシャリの歌に聴き惚れている。なにも答えないその女に、コプラは手を差し出した。
「俺は、傭兵でコプラ。まぁ、今は休職中だが。」
「私は、サーシャと言います。彼女は、ユラよ。」
そのサーシャと応えた女は、コプラが差し出した手には無関心を決め込み、横に座る地味な女に目を向けながら笑顔でそう返した。「冷てぇなぁ…」コプラは彼女が手を差し出さなかった事に苦笑いしながら、そう呟くと話を続ける。
「どこかで聞いたような名前だが…まぁいいか。ちょいと相談がある。…横に座ってもいいかい?」
「フフッ。横に来なくても話はできます。」
「まぁ、そう言うなよ。」
コプラは、そう言いながらサーシャの横の椅子に手をかけると、いきなり彼女の横に座っていたユラと呼ばれた女がコプラの手を叩いた。「いてっ!」彼は思わず声をあげると、その地味な三つ編みの女が口を開いた。
「サーシャ様はわが主の大切な方です。それ以上近づかないで。」
「いてーな!何すんだよ、召使いさんよ!」
コプラが立ち上がってそう悪態をつくと、サーシャは静かに彼を見上げた。
「ユラは召使いではありません。私の大事なお友達よ。」
「けっ!そんな訳ねーだろ!こんな地味…」
「あなた…。ユラを馬鹿にするととんでもない目に合うわよ。死にたいのなら止めませんけど?」
サーシャのその言葉を聞いて、コプラは急に動きを止めた。そしてギョロリとユラに目をやる。(どういうこったい…)彼はじっとその地味な女を見たが、確かに隙がない。しばらくそのまま女を見ていたが、やがてその正体不明の2人にムキになった事がバカバカしくなって、自分の席にドカッと座った。
「わかった、わかった。いや、相談というのはな、仕事の話だ。…その…俺を雇わないか?用心棒としてだ。」
「用心棒?あなたが…ですか?」
「ああ。あんた…見た所、修道士じゃないのか?何処から来たのか知らねぇが、この国じゃ…そりゃとても危険だぜ?」
コプラはそう言って、不気味な笑いを浮かべた。この国は教団追放を王自ら宣言している。修道士ばかりか信者ということがバレただけでも大事だ。
「ついでに俺の女になってくれると助かるんだが。」
「まぁ…どっちがついでか、分かりませんよ。」
その男の言葉に、サーシャは目を細めて笑った。だが、横に座るユラは気が気でない。なにせアルバからサーシャの護衛を命令されていたからだ。折角の就職先をこんな事で失う訳にはいかない。彼女は必死にその傭兵を睨みながら忠告する。
「あなたねぇ…。サーシャ様には騎士様がいるのよ。あんたの出番は永久にこないわ。」
「けっ!これだから、素人は困る!騎士様だかなんだか知らねぇが、そんな道場剣法みたいな奴じゃ、実戦には何の役にもたたねぇぜ?」
彼はユラにそう言い切った。それは、傭兵として生きて来たコプラにとってごく当たり前の答えだった。城の中で安全に生きてきた格好だけの兵士など、実戦では全く役に立たない。震えて後ろで命令しているだけだ。
と、彼がそうユラに迫っていた時、急に店の扉が乱暴に開いた。店中にいた客が一斉に扉の方を向くといきなり、ドカドカと10人ほどの兵士が店に入ってきた。
「全員、動くな!」
そう恫喝した兵士たちは持っていた槍で、店の入り口にあった机や椅子を殴り倒し始めた。
「ちょっと!なにすんのよ!」配膳係のアムリタが慌ててそう叫んだが、その男たちはいっさい意にかえさない。
「我らは、国家警察だ!ここに教団の歌で民を惑わす反逆者がいるとの通報があった!皆、大人しくしろ!」
兵士たちの先頭に立つ、黒いマントの男がそう叫ぶと周りの兵士が一斉に店の中へとなだれ込んでくる。黒とイエローでデザインされたその鎧は間違いなく、ロフテン関係の兵士たちだ。
店内は急に客たちがザワザワしはじめ、所々で悲鳴のような声を聞かれる。国家警察と名乗った連中は、客など気にしないで真っ直ぐに、壇上の歌姫バイシャリの元へと向かった。その動きの早さどうやら内偵で全てを把握しているようだ。
「バイシャリさん!逃げて!」思わず、配膳係のアムリタはそう叫ぶ。バイシャリは、元々修道士になろうとしていたほどの敬虔な信者で、国から教団追放令が出ても変わらず教団の歌を歌っていた歌姫だった。
だが、槍を掲げた兵士たちが血相を変えて近づいてくる様子を見ても、バイシャリは表情ひとつ変えないでその場で堂々と佇んでいた。黒のドレッドヘアで、褐色の肌をもつその歌姫は白いドレスを着ながら、静かな目線を兵士たちに送っている。
彼女が国家警察のターゲットであることは明白だった。その場にいた誰もがその歌姫が受けるであろうひどい仕打ちを想像した時、ダンッ!と大きな音がして誰かが椅子から立ち上がった音が響いた。皆が驚いて振り返るとそれは、サーシャだった。
「お、おい!何する気だ!?」
傭兵のコプラが慌てて、立ち上がった彼女に声をかけるが、サーシャはその注意を全く無視して兵士たちに目を向け、なんといきなりアメイジングを歌い始めた。それは、教団のシンボル的な歌でその驚きの行動に、ユラも目を丸くする。
サーシャの歌声は、その場の空気を一変させた。
彼女は教団最高位の司祭である。エディアにいた全ての月日でこの歌を歌わなかった日はない。そのあまりに美しい歌声に、壇上にいたバイシャリも思わず彼女を見据えたほどだ。
(サーシャ様って、出来ない事ってないのかしら…)彼女の隣に座っていたユラは驚いた表情で歌う彼女を見つめる。
しばらく店の客も、秘密警察も驚いた顔でサーシャを見つめていた。その見事な歌声に皆、声が出なかったのだ。だがやがて、
「き、きさま!!それは教団の歌だぞ!!国の方針に逆らうのか!」
堂々と歌うサーシャに対して、秘密警察の兵士たちは一斉に彼女の方に槍を向けた。するとサーシャは、歌うのを止めて鋭い視線を兵士たちに向ける。その態度は堂々としていて、なんの揺らぎも感じられない。
「あら、歌うのが罪になるなんて、滑稽な法ね。どこがどう悪いのか説明いただけるかしら?」
そのあまりにはっきりとした物言いと不遜な態度に、兵士たちは一気に腰が引けた。彼女が放つ最高位の司祭の威光という得も言われぬ迫力もその兵士たちは感じ取っていたのだ。
(ちょっ!お客さ〜ん)配膳係のアムリタは心でそう叫ぶ。そんな事をこの国の秘密警察に言ったらどんな拷問が待っているか分からない。だがサーシャはそんな事は全く意に返さず、動かなくなった兵士を見据えながら、そっと傭兵のコプラに話しかけた。それは何とも意地悪な問いかけだったが。
「さて、用心棒さん。私を守ってくださいますか?」
彼女の問いにコプラは慌て反論する。
「ば、バカいうな!相手は秘密警察だぞ!?こいつらは、この国では一番残忍で最強な組織なんだよ!」
「あら、案外頼りないんですね…。」
「アホ!10人もいるんだぞ!俺にどうしろっていうんだよ!つーかおまえ、すぐにあやまんねーと、ひどい目にあうぞ!?」
コプラは大慌てで彼女の蛮行ともとれる行動を嗜める。いくら傭兵が戦い慣れているとはいえ、特殊部隊ともいえる秘密警察10人に飛び込んでいっても勝ち目がない。どんなに強くても、一人の傭兵が倒せる相手など5人が限界だ。
その間にも、秘密警察の一群は槍を構えゆっくりとサーシャに向かってくる。
「お、おい!召使い!お前のとこのお嬢さんはどうなってんだい?」
コプラは慌ててサーシャの横で呑気に座るユラに訴えたが、彼女は全く動こうとせず眺めているだけだ。そして、まるで哀れむように相手の兵士に苦笑している。
「はぁ…。どうなってると言われても…。お可哀そうだなとしか…。」
「だったら、すぐに止めるか、逃げるかしろよ!」
「いえいえ、サーシャ様に刃を向けた秘密警察とやらにです。あんなことしたら…彼女の騎士様に何されるか…。想像するだけで寒気がします…。」
ユラはその言葉通り体を震わせた。それは一週間前ほどに彼女自身が体感していた事で、その時の事を思い出すと今でも足が震える。コプラがその難解な言葉に頭が「?」になっているとそのユラの言葉は現実になって彼の目の前に現れた。
ブォン…。
ロフテンの秘密警察が歩み寄るサーシャの前の空間が突如、音を上げた。
「な、なんだ!?」
10人の秘密警察は、その不気味な音に足を止めた。とてつもなく嫌な空気が彼らを襲う。やがて音を上げた空間が裂け始め、黒い靄がサーシャの目の前に漂いはじめた。
「ひぃっ!?」
ついにその空間の裂け目から、恐ろしい黒いオーラが現れ始め、秘密警察の集団に恐怖と絶望が襲い掛かった。それは、激しい頭痛と吐き気をもよおし、常人では立っていることすらままならない。秘密警察の一団はその場に倒れ込み、恐ろしげにその裂け目を見続ける。不思議なことにそれはサーシャに槍を向けている兵士にだけおきた現象だった。
グォーーーーン!!
とその割れ目にエネルギーが集まる音がする。いよいよ黒いオーラはその裂け目を行ったり来たりを繰り返しながら、裂け目が広がり、そして一瞬激しい光を放った。
タンッ!!
その場に何者かが舞い降りた音がした。「な、なんだぁ…。」周りから一様に不安な声が漏れる。
やがて、黒い霧が晴れていく。
とともに、
恐ろしげなシルエットがその場所に浮かび始める。
「!!?」秘密警察は思わず息を飲んだ。
その男は
白い法衣を纏い、
悠然と構えている。
そして背負った巨大な黒い剣の柄に手をかけ
今にも飛び掛かりそうな格好で構えていた。
「せ、聖騎士!?」秘密警察の面々は伝え聞く教団の最強騎士団の名を叫ぶ。だが、見た目にはその男は少年だった。姿を現したその男…アルバは開口一番、
「ユラさんに習っておいて良かった!こりゃ、楽だわ!」
と戯けると、ユラに礼を言った。ユラは顔を顰めながら小さく頷く。サーシャはアルバを見ると、先ほどとは別人のように、まるで子供のようにはしゃぐ。
「あは。アルバ!ますます素敵だわ。神様みたい!」
その無邪気なサーシャの声を聞いた女神の騎士は、呆れたような顔で彼女に振り返った。
「いやいや。これは化け物の類だな。」
「こんな素敵な化け物がいるものですか!」
アルバの言葉にサーシャはそう言って微笑む。だが、周りはそうはいかない。とんでもない登場を果たしたその男に、秘密警察はおろか、店の客も恐怖で凍りつく。
「さてと…。」
アルバはそう漏らすと、静かになった店内を見渡す。そして最近ますます巨大になった黒剣をやすやすと背中から抜くと、そのまま店の床に突きつけた。
ガンッ!!と威圧する音が店に鳴り響き、剣からは黒いオーラが揺らぐ。
「俺の聖女に、刃を突きつけたバカはどいつだ?」
その周りの状況を全く無視した言葉に、暫く誰も答える者はいなかった。当たり前だ。その黒いオーラも相まってアルバを知らぬ者は彼が悪魔にしか見えない。全てが人智を超えている。だが、店の入口でずっとその様子を見ていた黒いマントの男は声を震わせながら、なんとか言葉を発する。
「そ、その女は…わ、わ、わが国のほ、法を…」
「悪い。聞こえない。言いたい事があるならそんな遠くにいないで、こっちにこい!」
アルバの鋭い言葉に、その隊長とおぼしき黒いマントの男は震え上がった。当然、アルバの近くになど行ける筈も無い。その動けなくなった隊長を見て、アルバは呆れた顔で仕方なくユラの体に眠るコルドバに話かけた。
「しょうがないなぁ…。おい、コルドバ!」
「ひゃ、ひゃい!」
ユラの口からは、まるで男のような声が漏れる。ユラは二重人格者だ。普段は地味で弱気な女の子だが、一度戦いになると世界に名を馳せる最強の傭兵コルドバが顔を出す。そのコルドバは乱暴で恐ろしいほどの力を持っているが、彼は先日アルバに力で完全に屈服させられていた。
「ユラさんの言うことを聞いて、サーシャを守れ。指一本ふれさせるなよ!」
「ひゃい!」
ユラの中のコルドバは、そう返事をするとすかさず立ち上がって、サーシャの前に体を出した。そして仁王立ちになり、手を広げる。やがてユラの目が怪しく光りだし、髪が逆立つ。
「ユラさん、ありがとう。」
「いえいえ、主命ですから。」
サーシャがお礼を言うと、アルバの言葉通り体のコントロールをコルドバから受け継いだユラが嬉しそうな声で女神に言葉を返した。
アルバは、そのユラの姿を見届けると黒剣を持ち上げて倒れこんだ10人のロフテン秘密警察の中を堂々と進んでいく。と、
「バカめ!!」
といきなりマントの男が叫んだ。するとアルバの周りに倒れこんでいた秘密警察が一斉に手を振りかざした。それは暗具と呼ばれる毒のついた飛び道具をアルバに向けて投げつけた瞬間でもあった。(周りから一斉だ。これは躱わせまい!!)マントの男はそう呟き、頬を緩める。
だが、彼らの殺気を十分に感じ取っていたアルバは、素早く左手で聖剣を腰から抜くと、右手の黒剣とともに振りかざす。金属が弾かれる音が鳴り響くいたと思うとそのまま、真っ二つに割れた暗具が床にこぼれ落ち、その他は剣に弾かれて店の天井に突き刺さった。
「あわわ…ば、馬鹿な…」その又しても信じられないものを見せられて秘密警察の一同はいっきに腰が砕けた。その焦りと恐怖を滲ませた面々をアルバゆっくり見渡し
「で?手品はこれで終わりか?」
と、悠然とそう言ってのけた。ジルから学んだ「神速」は、ますますキレを見せ、戦いの中ではアルバにとって人の動きなど全てがスローモーションにしか見えない。
その様子を見たマントの男は、嘆きの顔で一気に騒ぎ立てる。
「た、退却だ!何としても逃げ延びよ!!ば、化け物に近づくな!!」
そう叫びながら真っ先に逃げていく自分たちの隊長を見て、他の兵士たちも我先にと立ち上がり、蜘蛛の子を散らすように店から逃げ去っていく。その様子を、厨房の隙間から震えるように見ていた店長のパルマとアムリタは顔を見合わせた。
「ほら、言ったろ?化け物みたいな彼氏がついてるって!」
「店長〜、お見それしました…。」




