アルバとサカテの練習試合
昼下がりの村は、朝と違って随分と気温が上がっていた。
ただその分、風が出て来て空気は肌寒い。
そして鉱夫の男たちと行商の婆さまたちが村を出ているので、辺りは静まり返っていて深い静寂に包まれていた。
「ここら辺でいいか…。」
サカテは鶯色の短槍を器用に回しながら、井戸の西にあるちょっとした広場で足を止めた。
そこは地面が柔らかめの濃土で覆われた場所で、所々雑草も顔を出している。ここなら転んでも痛くはないし、建物との距離もそこそこある。力比べをするにはとっても好都合な場所だ。
「サカテさん、アルバと本当に模擬戦をやるおつもりですか?」
やがて2人について来たサーシャが心配そうにそう声をあげた。黄金色の髪をふわっとさせて清廉な白いローブを纏った彼女は、あいも変わらず信じられないほどの綺麗なお姿で、澄んだお声をしてるもんだからサカテでも少々調子が狂う。
( まったく…女の僕でも心が乱されるなんて…。厄介な御仁だな。 ) って、一度顔を顰める。
「そうだ。心配するな、手加減はする。」
サーシャの問いに、サカテはそう答えた。
「もう…怪我しても知りませんよ?」
「大丈夫!本気で刃を交えるんじゃない。しても、打撲程度だ。」
サカテがそう言い返す。
サーシャは顔をかかげ少し不安そうな表情を見せたが、それ以上は口を挟まなかった。
( 君の騎士様に、大怪我はさせないから安心してくれ。 )
小さな槍使いは、そう彼女を一瞥するとそのままゆっくりとアルバに目を向ける。
彼は、粗末な麻の服を着ていて、ポツンと立っていた。
その姿は女子の様に華奢で、どうにも迫力がない。
だが、その黒い大きな瞳には、生気が漲っていて意志の強さも感じる。
そして左手に持った黒い大剣もやけに眩しい。
( どうにもアンバランスな坊やだな…。 )
サカテは模擬戦とはいえ初めてアルバと相対してすぐに、そう違和感を覚えた。
彼女は若くして槍の達人となった。故に”心”の持ち人を心得る事ができる。
その目で見るならば…この男は、体も心もまるでなっていない。
まるでなってないのだが…目に見えない何かが斗出していると感じられた。
ただ如何な槍の達人でも、それが何なのかこの時は理解できない…。
とはいえだ。まぁ負ける事は考えられない。
何せ、剣の持ち方からしても素人だ。幾ら武器が違うとはいえ、実戦経験が豊富な自分にはとってもよく分かった。
( まるで道場の入りたての坊やに、初めて稽古をつける時みたいだ。 )
ふと、サカテに笑みが浮かぶ。
あの絶世の美女サーシャを守ると豪語したこの少年が、一体どこまで剣士としての階段を昇って行くかは知った事ではないが、どんなに名の知れた剣士や英雄でも、最初は必ず先輩や師範に転がされる。彼女だってそうだった。
何しろ彼女の先生は、世界に名を馳せる槍の名手で名をムカサという。
サカテはその先生の一番弟子で、師範の資格だって持っている。しかも、旅を長いこと続けている彼女は実戦の経験も数多く積んでいて、いわゆる道場剣法ではない本物の実力者だった。
「アルバ。まずは腕試しだ。君もその方がいいだろ?」
槍を脇に抱え、黒装束の襟を正しながら、彼女はそう告げて来た。
「俺は何でもいいです。」
「よし!じゃ、まずは一礼だ!」
「一礼?敵に頭を下げるんですか?」
「相手をリスペクトできない奴に勝利の女神は微笑まない。」
サカテがそう諭すと、アルバは素直に頭を下げた。
( 素直なのはいい事だ。 )彼女は少し笑みを浮かべ、自分も頭を下げる。何事も最初が肝心。基礎ができていないと、この先、剣術や戦いの技は絶対に伸びていかない。偶然うまく行く事があったとしても、ある一定のレベルでへし折られる。
「さぁ、おいで。」
サカテは彼に向けて左半身を向け少し腰を落とすと、ゆっくりと短槍を掲げる。
槍頭には銀色に輝く見事なミスリルの刃が取り付けてあり、凄みを増していた。
やがて恐る恐る剣を構えたアルバ。
2人の地味な思惑が込められた模擬戦が始まった。
アルバは暫く黙ってその相手を見据えていた。。
そのお相手はもちろん、自分の目の前にいらっしゃる黒装束姿で鶯色の短槍を構えたサカテさんだ。
彼女はまるで子供の様に小さいのだけど、半身で槍を構えた彼女の身体からは武人特有の得も言われぬオーラが漂っている。
( 強そうだ…。 )
素人ながらも、それだけは分かる。
いよいよ人生初のちゃんとした武人との戦いが始まろうとしていた。
…と、大げさに言ってもだ。
まぁ、当の本人たちはとってもお気楽だ。
一人は、戦い方をタダで教えてもらおうって腹づもりだし、もう一人は新人デビューの坊やと遊んであげようってしか思ってない。だけれども、2人を少し離れた場所から見つめるサーシャには、とっても記念すべき日となった。そして実を言えば、それはこの世界にとっても同じだ。
「騎士様…。」
漆黒の大剣を青眼の構えで持つその少年を見て、サーシャは思わずそう呟く。そして彼女が心配そうに見つめるその少年は、大剣を震わせながらゆっくりと左足を前に出した。
アルバとサカテは共に構えを終え、僅か数メートルの距離に迫る。
( さて、どうしよう…。 )
構えたはいいけど、アルバはとりあえず何をしていいのか分からない。
だけど何故か戦う事への恐怖心はまるでない。盗賊との戦いの時もそうだったのだが、この剣を持つことにあまり違和感がないのだ。
だけれども、やはり自分は本当の素人だ。そもそもこの漆黒の剣でサカテを切りつけて怪我でもさせたら…なんて変な事が頭をよぎる。
「アルバ。本気で来るんだ。でないと、余計に怪我をする。」
顎を引いてそう諭す、サカテ。
まるで自分の心の中を読まれた様なそのお言葉に、アルバは思わず感嘆の声を漏らす。
「なるほど…。」
「何も心配しなくていい。無心で打ち込んでこい。」
「…はいっ!」
そう言った次の瞬間だった。
タンッ!!っと、アルバは大地を蹴り上げて、ついにサカテに打ち込んだのだ。
静かに空気を斬る音が響き、漆黒の大剣は、サカテの頭めがけて天から振り下ろされる。
だが彼女は、構えから一切動かない。
( あ、危ない!? ) アルバは一瞬躊躇する。このままではサカテの頭を砕いてしまう…って、緊張が走ったのだ。
が、次の瞬間、彼女の姿が忽然と視界から消えた。
ガキンッ!!
驚く間もなく、アルバの腕に鈍い感触と痺れの苦痛が伝わる…彼の剣が勢いよく地面を叩いたのだ。
云々、完璧に躱された…た。
( あれ?いつの間に…。 )
動きを止めたアルバが顔を傾げると、なんと彼女、自分のすぐ左横に涼しい顔で立っていらっしゃる…。しかも、体勢は短槍を構えた最初の時のまんまだ。
ちょっと…悔しい。
( もう一度だ! ) って、アルバは急いで大地に囚われた大剣を少しだけ持ち上げると、そのまま横から彼女を切りつけてみる。…ちょうど、サカテの腰めがけて。
シュッ!!
って、音が聞こえた。その空気の嗎、また躱されたって分かる…。
今度はサカテが目の前にいるから、またその様子がとってもよく見えた。この人…腰を奥へ引っ込めただけで躱してる!って驚愕する。
しかもだ。
自分は、下から斜め上をめがけて、思いっきり剣を振るった為、攻撃を躱された今となっては隙だらけ。はいはい、どこからでも攻撃してください!今なら、どこにでも当たるよ〜!って安売りしている様な状態だった。
タンッ!!!!
案の定…とっても小気味いい音が響き、アルバの腰に激痛が走る。そのまま彼は腰砕けになったが、間髪入れずに二撃目がアルバの溝うちを襲った。
「ぐあっ!」って、堪らず呻き声をあげたアルバはそのままその場に蹲り、やがて地面に崩れ落ちた。
…いやはや、この間わずか数秒。
もうね、自分でも何が起きたのか分からないってくらいの完敗だった。
「…おいおい、これでおしまいかい?」
蹲り、両腕を大地につけ激しく咳き込んでいる自分に、サカテから容赦のない嫌味が飛んで来る。また、厳しいお言葉だ。
もう、素人相手にひどいなぁ…なんて、むせ返りながら呑気に思ったのだけど、この現実を突きつけられた時、初めて自分は思い上がっていたことに気がついた。
…自分は、あの盗賊たちを倒したのだ…こんなチビに簡単に負けるわけないって、心の奥底でそう感じていたのかもしれない。
いやいや、それはとんでもない間違いだった。サカテは自らそう言っていた通り、半端なく強い…。もしこれが実践だったらと思うと背筋が凍る。
これではサーシャを守るどころか、自分は何もできずあの世行きだ。
よし!…こういう時には、分析だ!って、アルバは素早く、ない知恵を絞ろうと頭を回す。
今、自分が何もできず地面に転がされたのは、技術の差云々よりも、経験と圧倒的なスピードの差だ。技術や経験なんてもんは、昨日に剣士デビューしたてのアルバにはどうする事もできないが、少しだけ自信のあった”速さ”で負けるなんて思わなかった。
( もっとコンパクトに剣を扱うしかない。 ) アルバは直感でそう思った。
技術も経験もない自分が彼女に対抗しようとしたら、覚えのある”速さ”を活かさぬ事にはどうしようもないのだ。
「いつまで、寝てるんだ?」
彼女が短槍を頭の上で、くるりと回しながらそう言い放って来る。
アルバは、( まったく…。思ったより嫌味な人だなぁ… )って、一度苦笑いを浮かべると
打たれたお腹を庇いながら、ゆっくりと立ち上がった。
それを見たサカテは、嬉しそうにニカッて笑う。
「お、根性はあるんだな。でも出来るならすぐに立ち上がって欲しいが。」
「昨日は寝てないんだ。転がされたら、眠くなっても仕方ないでしょう?」
自分はそう嫌味を言いながら、なるべく剣を短く持ち、大振りにならない様にと心に刻む。
「…それは失礼。じゃ、僕は君に攻撃しない様にしてあげるから、存分に打ち込んでごらん。」
「…それは助かります!!」
本当ならプライドが傷つく場面かもしれないけど、何せ自分はど素人。失うものなど何もない。そういうので練習させてくれるなら大歓迎だ。何せ、彼女は自分にタダで戦い方を教えようとしてくれているのだ。まぁ、サーシャの前で格好つけたい気持ちも無い訳じゃないけど、それは本番までとっておけばいい。
素早く、単調にならず、小さい振りで、相手の動きを落ち着いてみる…。
それだけを頭と体に刻み「タァッ!!」って格好の悪い声をあげながら、やがてアルバはサカテに突っ込んで行ったのだった。
…15分たった。
もう、ヘトヘトだった。
いやはや、闘いってこんなに疲れるんだって初めて気がついた。
しかもその間、サカテはほとんど動く事なく涼しい顔で、自分の攻撃をかわし続けている。
アルバといえば、思いつく限りの攻撃とフェイントを繰り出したのだが、一向に彼女に当たらないし、当たる気配すらない。
「はぁ、はぁ…。」って肩で息をしながら、全身汗びっしょり。
体を左右に揺らしながら、漆黒の大剣を構えてサカテを睨むので精一杯だった。
時折、「アルバ〜!頑張れ〜!」って黄色い声援が聞こえるのだけど、こんな格好悪い状態では、そんなサーシャを見る勇気なんてない。
しかもね、悔しい事に対戦相手のサカテさんは、アルバが攻撃するたびに首を捻っていらっしゃる。それが何とも気がかりだった。
( まさか、俺にはセンスの欠片もないとか、サーシャの騎士なんて不可能とか? ) なんて思われていたら嫌だなぁって、呑気に考えてしまう。
だが、結果から言えばそのアルバの妄想は大間違いだった。
サカテは全然違う理由で頭を捻っていた。
( この坊やって、もう少し強かった気がするけどな。 ) って訝しんでいたのだ。
実を言えば彼女はアルバと陽気な盗賊たちの戦いを、ずっと見ていた。まぁ、元々サカテは盗賊たちの用心棒だったのだから当たり前と言えば当たり前だが、その時に見た彼は、もっと素早くて、剣の一撃も鋭かった。
( 疲労?それとも…模擬戦だから手を抜いてる? ) なんて考えが頭をよぎるが、彼を見ている限りそれらは当てはまりそうにない。
それにもう一つ加えるとすれば、相対した時に感じた不可思議な感覚の正体を知りたかった。
それは百戦錬磨のサカテでも初めて抱いた感覚だったから。
何故なんだろう…。
あの時と、今では…何が違うのだろう…。
じっと、アルバを見て見る…。
目力は強いが、とりあえず今は何もできそうもない。
何か、大きなチカラを宿している様にもお見受けするのに…それが表に出てこない。
と、彼の後ろ、少し離れた場所に、黄金色の髪の彼女が目に入った。
天女の様に、可憐で穢れを知らぬ天真爛漫な美しい女…。
…………。
…………。
…暫く考えて…ピンときた。
だけど、それは…考えついた自分でもバカバカしいと感じる事だ。
普通は無い…。無いのだけど、もしかしてって思ったのだ。
( まぁ…やるだけやって見るか…。 )
そう思い立つと、サカテは一度足を曲げて勢いをつけて一気に飛び上がる。右手に抱えていた短槍を大地に突き刺し蹴り上げながら…すると彼女は信じられないくらいの跳躍を見せて、前に立っていたアルバの数メートル上空を抜け、そのまま彼の後ろにいたサーシャの目の前で華麗に着地した。
いやはや、見事な一芸…。
アルバはあまりに突然の事に、その様子を口をあんぐり開けながら、天空の雲を見上げる様に目で追う事しか出来なかった。
「アルバ!!」
やがてサーシャの目の前に降り立ったサカテが叫ぶ。
アルバが慌ててそちらへ目を向けると、あろうことか彼女は、サーシャの腕を鷲掴みにして槍を首元へ向けたのだ。
「サ、サカテ!何するんだ!!」
アルバが思わず叫ぶ。だが彼女は、サーシャに槍を向けたまま動かない。
「アルバ!気が変わった!僕はこのお姫様を売り飛ばして、悠々自適に暮らすよ!」
「ちょ、ちょっと待て!お前、何言ってんだ!!」
「止めたかったら、止めてみろ!騎士様!!」
サカテが不敵な笑みを浮かべてそう言い放った時だった。
辺りの空気が、一瞬、グンッ!!って淀んだ。
「ん?」
サカテはその気配の変化に目を細めると、注意深くあたりを伺う。
サァッーって一筋の風が流れたかと思うと、やがて近くにあった木々から鳥たちが奇声の様な鳴き声をあげ、一斉に大空へと羽ばたいていった。
そして暫くすると、ドン!ドン!ドン!と、まるで心臓が打ち付ける様な重い音が振動で伝わる。
( な、なんだこれ!? )
サカテがそう思い、再びアルバに目を向けた時だった。
( げっ!? )って、思わず声が漏れた。
「貴様…サーシャに剣を向けたな…。」
震える声でそう漏らしたアルバは、目は漆黒に染まり、口からは靄が溢れ、黒い大剣からは暗黒の炎が立ち昇っていたのだ。
云々、その姿は間違いなく人ではなかった…。




