サーシャの奪還とアルバの覚醒
やがて、静かだった森に、ひとすじの風がサァーって吹いた。
木々の葉が揺れて、耳に心地よい音が届く。その音に紛れるようにして、サァッ、サァッ、サァッ、サァッ、って、等間隔で草をかき分ける音が微かに聞こえた。
まるで森をいく野生動物のように、息を殺して木々の間をものすごい速さで進んでいるのは、物売りの少年アルバと黒装束の槍使いサカテだ。
「君、走るの速いね…。見直したよ。」
疾走しながら子供の様に小さいサカテが、彼を珍しく褒めた。
「仕方ないでしょう?」
アルバは、そう漏らして唇を噛む。うんうん、本当に仕方がなかった。
2人は、弁当に隠された藍色の石に導かれ、攫われたサーシャの行方を追って森の中を探索していたのだけど、つい先ほど、盗賊の叫び声を聞いてしまった。
それは相手の位置を掴む上でとんでもないヒントだったのだけど、その内容がとっても衝撃的で、えらいものだったので、アルバはサーシャの身を案じて、大慌てでその声のした方へ急行しているという訳だ。
またね…この怪しさ満点のサカテさんというお姉さんも、とっても意地悪で妄想好き。
( あのお姫様、服きてるといいな…。 ) とか、( もう唇は奪われているかもな。 ) とか、 ( 一緒に楽しんでたりして。 ) など、アルバの心をえぐることばかり言うもんだから、さすがの呑気者の彼も、速さが二割り増しくらいになってしまっていた。
そのため、こっそり近づいて奇襲するって作戦はあやふやになり、このままでは一か八かの剣での白兵戦になりそうな勢いだ。何しろ、一刻も早くサーシャを助けださないといけないから、様子を伺っている暇などない。
やがて声を頼りに進んできた2人の前に、森の中にひっそりと佇む、泉が見えてきた。
それは崖のような場所の更に下、茂みに囲まれた場所にひっそりとあった。そしてその場所からは、微かに言い争う男たちの声が確かに聞こえる…。
それを聞いた2人が申し合わせた様に足を止めると、その泉を山道の脇から目を細めて注意深く確認する。
すると、木々の枝や葉っぱの隙間から、チラチラと押し問答を続ける3人の盗賊たちと、白いローブを羽織った黄金色の髪の女性の姿がしっかりと見て取れた。
アルバは思わずガッツポーズを掲げる。
ここから見る限り、彼女はどうやら無事の様だ。
「ありゃ、服着てるな。」
一方のサカテは期待していた濡場じゃなくて、若干残念そうな声をあげた。
アルバは、そんな彼女の言葉をガン無視すると、何度も目を細めながらあの場所までの最短ルートを探る。
とはいえ、サーシャたちがいる場所は、ここからかなり下だ。位置は近いが、高低差がすごい。
だが、うまく近づかないと、盗賊たちにまたサーシャを人質に取られてしまう。それでは、本末転倒だ。
「サカテさん、何かいい手はあるか?」
アルバが困った様な表情を浮かべて尋ねると、サカテはスッと彼の横に来て、泉の位置を上から覗き込んだ。そして何やら、指差し確認する様に何かの数を数えている。彼はその様子を黙って見ていたが、どうやら木の数を数えている様だ。
と、しばらくして彼女はアルバを見返して、肩をバンって叩いた。
「ちょっと!痛いです!」
アルバがすかさず文句を言うが、「そんな痛いわけないだろう?」って、逆に睨見返される。
このサカテは、サーシャとはまた違った魅力を持つ可愛い女の子なんだけど、どうにもその2人の女性は違いすぎる。サーシャは、言葉一つ一つが優しいし、何事も丁寧だ。だけど、このサカテは、せっかちだし、乱暴だ。喋り方も男っぽいので、話しやすいんだけど…顔が綺麗なのに、性格と口の聞き方で損してるってタイプだとお見受けした。
「で?なんだっけ?」
この姉ちゃん、もう忘れたのかよって思った…。
「だーかーらー。下に素早く降りる方法はありますかって聞いたんです。」
「あっ!そうだったな!…えっと…ここからなら、僕のロープを使えば一気に奇襲できる。少々、荒っぽいが…それでいいか?」
「奇襲…いいですね。」
「だろ?」
「はい。恩にきります。…ところで、サカテさんは、戦いは何度か?」
アルバは心配そうにそう尋ねる。彼女の槍を見る限り使い込まれているし、そもそもこの事態にも全然ビビっていなさそうなのだから、まぁ強いと思うが、何しろ子供の様に小さいので若干不安だったのだ。巻き込んで、怪我とかされたら申し訳ないし。
だが彼女は切れ長の目を怪しく光らせると、ニカって笑ってアルバの目を覗き込んでくる。
「僕はここ数年、ムカサ師範以外に負けたことがない。」
「へぇ…。」
アルバは、怪訝そうに首を傾げた。…結構、無反応。
自信満々に言った彼女には大変申し訳ないのだけど、時勢に疎い彼はムカサなる人物を知らなかったのだ。まぁ…実を言えば、そのムカサという人物は、昨日アルバがルンの街中で偶然出会った、世界最強の傭兵コルドバと並び立つとんでもない御仁なのだが、彼がそれを知るのは、ここからかなり先のことになる…。
まぁ、それはともかく( こいつ、ムカサ師範知らないのかよ! )って、サカテは訝しんだが、まぁこの田舎の坊やでは知らなくても仕方ないのかもしれない。
やがて彼女は、頭巾を被りなおし、腰に巻いたベルトからやけにしっかりとした黒紐をヒュルヒュルと取り出し、それを器用に袖に通した。
「その紐みたいのを使って降りるんですか?」
「ああ。」
サカテは無愛想にそう答えると、その黒紐を一度袖から出してビュンビュン回し、遠心力をつけると、下の太い枝に投げつける。その勢いよく飛んだ様子を見るにつけ、先端には錘が付いている様だ。やがて、くるくるとその黒紐は下の木の太い枝に見事に巻き付いた。
「よし、アルバ。僕に捕まってくれ。」
サカテはロープを引っ張り、引っかかり具合を確認しながらそう尋ねて来た。
だけど、アルバは彼女の身体をまじまじと見ながら思わず首を傾げた。
いやいや、だって子供の様に小さなサカテの、どこに摑まればいいのかが分からないんだもの…。
「えっ?ど、どこに?」
「どこって…。そのまま、背中に乗ってくれ。」
「おんぶってこと?」
「そうだ。早くしろ!グズグズしてると、お前のお姫様が素っ裸にされちまうぞ?」
「お、おおっ!」
それだけは勘弁と、アルバは慌ててサカテの小さい背中に抱きついた。
…勢いで、抱きついてしまったのだけど…やっぱり恥ずかしい。目のやり場も、手の置き場も困ってしまう。彼女は言葉遣いも男っぽいし、服も髪も黒色だから全然女の子っぽくないのだけど、抱きつくとやっぱり女性だって如実に分かる。サーシャほどじゃないにしても、彼女の黒髪からはいい匂いもするし、どこか体だって柔らかくて華奢だ。
「おい、早く掴まれ!」
やがて、サカテの急く声がする。
「ど、どこに?」
「僕の脇に、手を通すんだ。決まってるだろ?グズグズすんな!」
「わ、わかった…。」
アルバは申し訳なさそうに、そして顔を赤らめながら、恐る恐る彼女の脇に手を通す。
まあね、肩越しに掴まったらサカテの首を締めちゃうし、確かにこうするしかない。
やがて彼女の身体を後ろから完全に抱きしめるような体勢になり、準備は整った。
( まさか、二日連続で違う女性を抱きしめる事になるなんて…。 )
彼は、そんな事を思いながらなんとも申し訳なさそうな表情を浮かべた時、彼女はこちら振り返った。
「よし!!行くぞ!!」
アルバがいっちょまえに後ろで照れていることなど露ほども知らないサカテさんは、元気な掛け声をあげ、いよいよ直下にある泉に向かって飛び降りたのだった。
いやぁ…その速さは、すざましかった。
まぁ引力も味方していたので当たり前なのだけど。
それはサカテのロープを使った木々を移動する技のこと。よっぽど彼女は手の力が強いんだろうけど、左右の袖から次々とロープを順番に出しては木に巻き付け、そこを通過すれば、外して行く。それをリズムカルに連続技でズンズンと降下していくのだ。
さっきの場所から、盗賊たちがいる場所までかなりの高低差があったのだけど、それこそわずか数秒で、ついにその場所についてしまった。だが、ここで彼女は暴挙に出た。
「よしっ!お姫様を助けに行ってこーい!」
って、サカテは叫びながら、空中でまるで背負い投げでもする様に、背負ったアルバを盗賊たちに向けてぶん投げたのだ。
「ちょっ!こらっ!サカテ!!」
もうね、いきなりの事にアルバは焦る。
まさかいきなり空中から、ぶん投げられるとは思いもよらなかった彼は、目を丸くして叫び声をあげた。このままでは、着地をかなり気をつけないとそれこそ骨折もんだ。
だがそれからは考える暇もなく、一瞬だった。
バサバサバサーーって、木の葉っぱを強引に弾き飛ばす様に抜けると、まさに盗賊たちの真上に出てしまったのだから。
「サーーシーーャーー!!!!!」
もうね、アルバはやけになって、彼にしては珍しく感情を剥き出しで叫びながら、大地にしっかりと二本の足をつけた。タンッ!!って、大きな音を響かせて。
だけどその心地いい音ともに、それに比例しない足の痺れなんいう不快感が同時に彼の足を襲う。
折角恰好よく登場したのに、痺れを感じたその顔は結局しかめっ面になってしまった。
( 格好良くは…行かないなぁ…。 )なんてちょっと凹む。
…だけどそれは盗賊たちも同じだった。
天から人が降ってきた…。
もうね、その派手でサプライズが詰まったアルバの登場は、彼らの度肝を抜いた。
というか、抜きすぎて、彼らは動くことも声を出すことも致せなかったのだ。ただ、間抜けな顔を3つ並べて呆気に取られていた…。そもそもそれまでしていた事は、サーシャを売るか、恋人にするか、いたすか、のくだらない話し合いだもの。
ただね、ちゃんとアルバの味方はいた。それは勿論、彼女だ。
もうね、アルバと盗賊たちの間に漂う微妙な空気を一瞬で回復させるサーシャからの大歓声が上がった。
「騎士様!素敵です!すごくかっこいいわ!!!」
彼女はそれこそ手をいっぱい叩きながら、その場で可愛いジャンプまで初披露して、これまで聞いたことのない様な大声をあげてアルバの登場を祝福した。一体何人いるんだってくらい、一人で精一杯の黄色い歓声が飛ばしてくれている。
アルバは、その様子をチラチラと振り返りながら見ていたのだけど、自分が来た事を心から喜んでいる彼女の姿に、何やらこちらの方が熱いものが込み上げて来てしまった。
しかも可愛い。どんなお姿でも、やっぱり可愛い。どこにいても可愛い。もうその場で崩れ落ちそうなくらい可愛い。攫われてからまだ一時間も経っていないと思うけど、会えないこの時間は無限に感じられたのだから、どんだけ自分は彼女の事を好きなのかと呆れてしまうほどだ。
何しろ出会ってから、まだ24時間すら経っていないというのに、だ。
「アルバ。必ず助けに来てくれると信じておりました。」
やがて自分のところに走り寄って来た彼女は、そう言ってアルバの右腕にそっと手を添えた。それは先日もやってくれていたんだけど、それをされると、すごく恥ずかしいやら嬉しいやらの感情的な事とともに、何やら気合が入り、力が漲る様に感じられるから不思議だ。
「サーシャ、遅くなってごめん。大丈夫だった?」
アルバが頭を掻いてそう詫びると、彼女は満面の笑みを見せてくれた。
「勿論です。ピンピンしております。」
「ハハッ…。良かった。本当に良かった。」
「ふふっ、でもちゃんと来てくれて、とっても嬉しいわ。しかもお空の上からだなんて…神様が助けに来てくれたみたいで、今でも胸がドキドキしております。」
サーシャはそう言って、嬉しそうに胸に手を添えた、
そんな姿を見ていると、本当に心がほっこりとしてしまうのだけど、まだ問題は解決していない。何しろ3人の盗賊さんたちは、呆気に取られているとはいえ、目の前でしっかりご健在だ。
「サーシャ、もう捕まらない様にね。」
アルバが背中の大剣に手を回しながら、チラッて彼女を見た。サーシャは溢れんばかりの笑顔を浮かべて大きく頷く。
「はい。騎士様の後ろにひっついておりますね。」
「はい。」
アルバはそう答えると、そろりと背中の剣を抜き、構えた。
基本通り正眼の構えをとったアルバ。
と、ともに目に力が宿る。
すると闇をも飲み込むような大きな漆黒の剣が何やら唸りを上げ、彼と共に敵をゆっくりと見据えた。
( な、なんじゃありゃ…。 )
この只ならぬアルバの様子に、陽気な盗賊たちも唇を噛んだ。さっきサーシャを捉えた時に、何もできずまごまごしていた少年の姿はもうない。
見た目は女子のように華奢なんだけど、その姿は誰が見ても威風堂々としていて、瞳には生気が溢れ、強い意志を感じる。
( 俺は…もう、誰にも負けれない。 )
彼の頭の中で、強迫観念に似た強い魂の様な理が駆け巡る。凛とした心が一本の幹を創り出し、決してぶれることのないたった一つの想いを紡ぐ。
ーーーー己の聖女を護れ。
彼の五感すべてがその言葉を発した。
聖女…その意味は分からなくても、やらねばならぬ事は分かる。
それは、ただグルグルと同じ抑揚で巡っていた日常が終わりを告げたことを意味していた、
そして自らの宿命めいたものに体のすべてが共感し、生きる意味さえも彼に与えもうた。
まるで…何かを思い出したかの様に。
騎士様…。
サーシャが自分を呼ぶその言葉に、これまでにない悦びと責を感じる。
彼女はその言葉を巫山戯て言った訳でも、軽口や冗談で口にしたのではない事が、今なら分かる…。
そして…何だか、自分が自分じゃないようにも感じる…。
寧ろ、生まれ変わったようなとっても不思議な気分だった。
やがて揺るぎない意志をたずさえた彼の大きな漆黒の瞳が、サーシャの敵を見据えた。
今度は盗賊たちは、3人とも自分の前に揃っている。アルバさえ下手を打たなければ、後ろにいるサーシャが捕まる事はない。
その為か、不思議と恐怖は感じなかった。それはすべての考えや想いが、彼女を護る事を中心に統べられていて、一切の迷いやブレがないからだ。
ーーー彼は、剣に全神経を注ぎ、やがて一体と化した。
「クソがっ!!今度こそ、ぶっ殺してやる!!」
すると、ようやく正気を取り戻した巨漢の盗賊ダエグは、大きな斧を振り回しながらゆっくりとアルバに近づいて来た。その男は100kgを超す大男、普通なら迫力満点でかなり恐ろしげなのだけど、アルバは一切怯まなければ動揺も見て取れない。
というより、こいつだけは…って余計に力が入っていた。
何しろ、その声に聞き覚えがあったのだ。
そう、こいつは先ほどサーシャにハレンチなお言葉をぶつけた変態だってすぐに気づいた。
嫉妬…と言ってしまえばそれまでだけど、彼女を侮辱する者も、もはや新たな自分の逆鱗に触れる一つに組み込まれている様だ。
アルバは剣をまっすぐに構えたまま、無心でその巨漢を見据える。
すると…何やらユラユラと揺れる相手の大きな体から、それを支えている軸のようなものが、ぼんやりと見える気がした。( これがこの大きな男の中心…。 )現実には見えていないのだけど、彼はそう確信した。
「どりゃっーー!!」
と、ダエグは気合の声をあげて、アルバの頭の上から巨大な斧を振り落とした。まるでギロチンのように鋭いその斧だったが、何せ動きが遅い。戦闘素人のアルバでも軽々と読み切れてしまう。アルバは、ヒラってその一撃を避けると、すぐには打ち返さず、ずっと相手の体の中心の動きを見ていた…。すると、すぐに気がつく。体の中心の動きで、相手が次に何をするかを読み取れるって。
動きが読めれば、心に余裕が生まれる。すなわちそれは、全てが自分の間合いの中で物事が進む事を意味していた。
( 試しに…次の1撃目を避けて、そこから反撃に出てみよう。 )
アルバはそう漏らし、相手の動きに注視した。
「ちょこまかと逃げやがって、小賢しい小僧め!!」
対するダエグはそう叫び、威嚇するように尚も巨大な斧を振り上げる。
だがアルバの心と躯体は一切の動揺を見せず、動こうともしない。
その不遜とも取れるヒョロヒョロ少年の態度に、ダエグは眉を顰め、そして余計に腹が立った。
( クソがっ!! )
やがてドンっと、大きな右足を踏み込んだその巨漢男は、両手で握ったその斧を力任せに振り下ろした。…アルバを頭からカチ割ろうと目論んでいたのだ。
遠心力も相まってその一撃は、先ほどよりも重く速かったが、アルバはその動きを既に本能で察知していたため軽々と躱す。この男のすべての動きが見えたと悟った瞬間だった…。
ガンって大きく鈍い音が響く。敵は渾身の力で振り下ろした斧が地面に突き刺さり、一瞬動きが止まった。
( ここだ! )それを見たアルバの確信めいた考えが彼の五感を一瞬で刺激した。
とともに彼の左手と漆黒の剣は、まるで何かに導かれるように頭で考えるより先に反応する。
斧が空を切って行き場を失ったダエグの手。
そこを漆黒の刃が大気を振動させながら、一閃したのだ。
ーーー勝負は一瞬だった。
まるで暗黒の炎を纏ったようなその刃は、漆黒の霧雨をちらつかせ、その男の丸太のように太い右腕を肩口から切り裂いた。
その男の右腕が宙を舞う。だが先ほどのラドゥの時と同じく、血は吹き出ない…。
切り口は漆黒…やがて一瞬で凍てつく。
「ぐぁっー!!あああっ!!ギャッー!!」
ダエグは激しい痛みと右腕を失ったショックで、大声で泣き叫び、やがて右肩を抱えながらその場で大きくバランスを失った。足をフラフラさせながら、無常の雄叫びをあげーーーやがて、その巨体は呻き声と鎧の軋む音を立てながら、ゆっくりと大地に崩れ落ちたのだった。
「騎士様、お見事でございます。」
すぐにサーシャの心沸き立つ声援が、彼の後ろから届く。
彼は一瞬、表情を緩めたが、再び唇を強く噛むとそのまま残りの2人の賊に向かって歩き出した。
後、2人ーー。
次にアルバが目を向けたのは、色男風のドガだ。
何故だか…この男には、異様に腹が立っていた。ゆっくり、まっすぐにそのドガの元へ足を向けた。
「ひっ!!お、親分!たす…。」
向かってくるアルバを見て、ドガの表情が恐怖で染まり、ドリ親分に助けを求め叫び出ぶ。
盗賊らしからぬその態度はそのドリに叱責されそうなのだが、こればかりは致し方ない事だった。
何しろその時のアルバの体は、漆黒の靄がまとわり、それが炎のように彼の左腕を巡っていたのだ。もうね、その姿は、悪魔か物の怪だ。……絶対に人じゃない。
さらに、アルバは目までが漆黒に染まっているのだから。
ただアルバには自分の体の変化には気がつかなかった。
それより、なぜこの色男風の盗賊にこんなにも腹が立ったのか、そればかりを考えていた。
こいつは別に、自分に剣を向けてきた訳じゃないし、どう見ても盗賊の一味の中でも下っ端だ。今回のサーシャ誘拐計画も、親分の命令でしたのだろう。親分であるドリにその矛先を見せるならわかるが…。
しばらくして、最初は全く分からなかったその理由が、じわじわとアルバの頭に浮かび上がる。
なるほど……。
先ほどの高原でーーこいつはサーシャを羽交い締めにしてーーそしてーーー
そして、この男は…サーシャの剣を向けた……。
確かに、腹立たしい…。
というか…許せない。
許さない_
許さない_
彼がそう意識を起こす…。
すると、とっても不思議な現象が辺りに巻き起こった。
静寂に包まれていたはずの森が大きく騒めく。
この森で暮らす、生物、植物、精霊…生きとし生けるものすべてが、
恐怖で、ある者は逃げ出し、ある者は動けない。
「お、親分、これはいったい…。」
「し、知るかよ…。」
…もう、サーシャどころじゃなくなったドリ親分とドガは、ドン引きだ。
だって、今、目の前で起こっている事なんか、ほとんど絵本のおとぎ話のレベルなんだもの。
もう間違えなく、普通の盗賊風情がどうこうできる相手でないって事だけは分かる。
それに…全てが命あっての物種だ。死んでしまったら、意味ないし。
やがてアルバは、震え上がっているドガの目をまっすぐに見据えながら、ゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。
「貴様…サーシャに剣を向けたな?」
そう言い放つ、暗黒の衣を纏い漆黒の剣を構えたアルバ。
その凄んでくる少年の姿には、恐怖と戦慄しか感じ得ない。
「ギャァーーー!!助けてくれーー!!見逃してくれーー!!」
やがて…色男のドガはそう喚き立てると、あろうことか親分を見捨てその場から一目散に、森の奥へと逃げ出してしまった。
だが、もうそれは誰にも責めれない。この小僧がこれほどの力を秘めてるなんて誰も知らなかったんだから。まぁ、本当を言うとアルバ本人ですら知らなかったんだけど。
だからこそ足を痛め、置き去りにされたドリ親分ですら、逃げ出したその色男に文句すら言わなかった。
アルバは首を傾げながら、森に逃げ込んだドガの背中をしばらく黙って見据えていた。…不思議と追いかけようとまでは思えなかった。ただ、何度も転びながらその一目散に逃げる様を静かに見送る。やがてその男が森に消えると、怒りがサァーって引いていくのを感じた。
そして、いよいよ敵は一人になった。
だが、その最後の一人は手負い…しかも仲間に裏切られた盗賊一家の親分、ドリだ。
アルバは複雑な表情を浮かべながら、ゆっくりとその男に目を向けた。
…怒り狂っているだろうと、思った。
だが、足を痛め、その場に倒れこんでしまっていた赤鼻で髭ズラの親分は、胡座をかきながら無表情に自分を見上げていただけだった。
肩と腕周りの筋肉はもりもりだけど、お腹だけぽっこりでたそのお姿。
寧ろ、数少ない仲間をアルバに倒された挙句、逃げられまでしてしまったその男の目は、どこか虚ろで牙を剥かれた獣のように無気力。むしろ純朴な目にすら見えてしまった。
( 山の麓で見たときは、野心っていうか…もっと目に力があった筈なのに…。 )
アルバは生気のないドリを見て、思わず体の力が抜けてしまった。
と、ともにアルバの目が、いつもの優しい瞳に戻っていく。
立場が逆転した2人は、しばらく目を合わせたまま動かなかった。
「騎士様、ありがとうございました。お怪我はありませんか?」
そんな彼の横に、サーシャが黄金色の髪を揺らしながらそっと寄ってきた。その溢れんばかりのキラキラを纏った彼女を、アルバは苦笑いで迎える。
「うん、大丈夫です。…えっと、この盗賊さんはどうしよう…。」
「騎士様にお任せしますが…。このお方は既に無害でございます。」
アルバはその言葉を聞くと小さく頷いて、漆黒の大剣を背中の鞘に静かに収めた。
そして小さくため息を漏らす。彼女の言葉を聞き、ついに戦いが終わったと実感できたからだ。とりあえず、サーシャも自分も無事だった。その事が何よりも嬉しい。
するとそんな満足げな表情を浮かべた自分を、サーシャは目を細めながら顔を覗き込んできた。
「この盗賊さんをお助けになるのですね?」
「はい。」
アルバは、小さく頷く。別にいい人を演じるつもりはないが、この男の足は、アルバの一撃により凍り付いていて、戦うどころか、もはや立つ事もできそうにない。
いくら盗賊とはいえ無力な人の命を奪うなど、本当にごめんだと思ったからだ。
何しろアルバは本当にただの物売り、どこにでもいる16歳の少年だ。
「この盗賊さんは、ワラミ村の官兵に任せましょう。どうせ、この足では動けないでしょうから。」
「ふふっ、とてもいい判断だと思います。あっ、この盗賊さんは、ドリさんという方です。親分さんらしいですよ。騎士様の大手柄ですわ。」
サーシャは胸元にそっと手を添えると、ふわっとした笑みを浮かべた。するとそこまで固く口を閉ざしていたドリがようやく声を上げる。自分の名前が出て、我慢できなかったのだろう。
「あんた…俺を騙していたのか?」
彼の視線の先はサーシャだった。泉の草原で胡坐をかくドリには、もはや生気はなかったが、目を見開いていて、何かに驚いている様子だった。
「はい?…私がですか?」
「そうだ。あんた以外、他に誰がいる?」
「…私が何を騙したと?」
サーシャは黄金色の髪を撫りながら怪訝そうな声でそう尋ねる。
まぁ、自分を攫っておいて、今更何を言うのかと、逆に興味を引いた。
「あんた…さっき、俺を選んだって…。」
「選ぶ…?そのようなお言葉、一切お話しした記憶はありません。」
「最初に閨を共にしたいのは、俺だと…。」
「私は、確かに貴方のお仲間であるドガさんとダエグさんとは嫌だと申し上げました。ですが、だからと言って、貴方と共にしたいなどと一言も口にしてませんよ?」
サーシャは不遜な物言いで、その男に冷たい目を向けた。
「…俺のような男らしく、心が大きい男が好きだと…。」
「失礼ですが、思い違いをされているようですね。私は、殿方というのはそういうものだと一般論のお話をしただけです。」
「ぐぐぐっ…。」
ドリは大きく項垂れた。そして両手をドンドンと大地に打ち付けながら、大きく首を振る。
アルバにはその問答の意味合いがさっぱり分からなかったが、サーシャが盗賊たちに捕まっている時に、自分が助けに来るまで時間稼ぎをしてくれたという事は、なんとなしに伝わった。
「それに…私のすべては、騎士様のものでございます。ごきげんよう。」
やがてサーシャは、溢れんばかりの微笑みを浮かべながら、ドリにそう言い残してアルバとともにその場を後にしたのだった。




