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2人の呼び名



アルバとサーシャは、まだ陽が昇っていない時間にひっそりと村を出た。

目的地は、村近くにある鉱山、イワミ山。

この山は古くから石の産地と知られ、ここ100年ほどは新たに鉄鉱石という、鉄を造る上で欠かせない資源が眠っていることで世界的に有名なっていた。

元々は、緑豊かな大自然が広がり山々が連なった秘境のような場所だったが、今では開発され続けていて、徐々に岩肌が目立つはげ山のような体をなしてきているという。


そんな場所に、この2人は足早に向かっている。

若い2人の男女が、洒落たカフェも劇場も雰囲気のいいBarもない、そんなとてもデートスポットとは思えない場所に朝早くから向かうのには、当然理由がある。


一つは、大金をくれたサーシャたっての願いだ。

昨日の朝に、アルバが出店で売っていた大きな藍色の石。彼女はそれを見つけた場所に連れて行って欲しいと彼に願ったのだ。法外な金銭を受け取ったのと、若干サーシャに魅了されてしまった彼はそれを結局は承諾した。


もう一つ…まぁ、それはなぜこんなに朝早くなのかって話なのだが、そちらは完全にアルバの都合だ。

サーシャにはまだ伝えていないが、アルバは実は毎日こっそり許可も取らず勝手に鉱山へ入っていて、山の神様の恵と評して鉱山にある珍しい石を拾っては売っているのだ。

もし鉱山の男たちの営業時間にのこのこ行ったら、確実につまみ出される。かと言って、ここら辺の夜は果てしなく治安が悪いので、それこそ早朝にしか行けないのだ。


「サーシャさん、大丈夫ですか?」


アルバはジグザクに伸びた険しい山道を先導しながら、そう彼女に尋ねた。何しろ獣道のようなこの道幅は1mもない。傾斜の急な坂道ばかりで、沢からの水で滑りやすい箇所もそれこそ山ほどある。冬とはいえ、枯れた色の草木や枝が所々で通せん坊していて、まぁ歩きにくい。しかも太陽の光すら差し込んでいない早朝なので辺りは暗い…山歩きにはとっても適さない環境だ。


「はい、勿論です。」


だがサーシャは優しい表情を崩さず、そう笑顔で答える。

彼女の出で立ちは昨日とほぼ同じで、純白の白ローブとアイボリーのインナーだが、今日は片手に何やら荷物を持っている。

そしてアルバも昨日とほぼ同じだが、一つ大きく違っているのは彼女から託された師匠の剣を背負っている事だ。そう…昨晩アルバと語り合ったとっても摩訶不思議な剣である。

ただあれ以降、剣が口を聞くことなどなかったのだけど…。

思えば、この背中の剣も本当にヘンテコだ。これだけ大きいのに妙に軽いし、とんでもない切れ味だし、きわめつけは喋るんだもの。

まぁ、この剣を持っていたサーシャさんがそもそも摩訶不思議だからね…って、アルバは乾いた木の枝を折り進みながら苦笑いを浮かべる。


「でも…サーシャさんはなぜあの石に…あんな大金を?」


アルバは後ろを行く彼女にふとそう尋ねてみた。彼女自身がもう秘密の総合商社なのだけど、中々本丸の事は話してくれない。彼はなんとかもっとサーシャの事を知りたくて、ならば、周りの堀から埋めていこうではないかと考えたのだ。石のことを尋ねたのはそういう理由だ。


「アハッ。気になりますか?」


「とっても!売っておいて何なんですが…あんな石でしたらイワミ山にいっぱいありますから。」


彼は頭を掻きながらそう答えた。本当は、最近とっても不作なんだけど、それこそ一年前なら無数にあった。大きかったとはいえ、銀貨1枚の価値も無いような気がする。

するとサーシャは、急に足を止めてアルバの背中を人差し指でツンツンとつついてきた。


「どうしましたか?」


アルバがゆっくりと振り返ると、サーシャは困り顔で肩をすくめていた。


「アルバくん、申し訳無いのですが…手を繋いでくれませんか?思ったより山が険しくて…落ちそうで怖いのです。」


「ああ、それは気づきませんで…すいません。」


「いえいえ。」


サーシャはそう言って、白く華奢な手を彼に差し出してくる。あいも変わらず彼女に触れるのは緊張してしまう。なんとか手を挙げられたけど、やはりおどおどする。

やがて指を震わせながら彼女の手を何とか掴むと、サーシャは顔を破顔させてとても嬉しそうな表情を浮かべた。


「ありがとうございます。ご迷惑をかけて申し訳ございません。」


「………。」


アルバは何も答えず、小さく頷いただけだった。こんな娘に、「手を繋いで。」と言われ、ご迷惑と感じる御仁がいるのだろうかと若干思案にくれてしまったけど。


彼は、彼女を手をしっかりと掴みながら、先へと進む。


「あれは…正確には石ではありません。珠…と言います。」


と、彼女が突然先ほどの話の続きをしだした。


「珠…ですか…。」


そう頭を傾げるアルバ。もちろん何の事やらさっぱり分からない…。


「はい。そして珠には精霊の力というものが封じ込まれています。」


「精霊の…力?」


ますます混乱する。物の怪のことだろうか…。


「ふふっ、難しいお話をしてしまって申し訳ありません。アルバくんが売ってくれた藍色の珠は、水を表します。すごく簡単に言いますと、あの珠があるお陰で、この世界に水があると言われているのですよ。」


サーシャは、そう言って微笑む。

もちろんアルバにはさっぱり意味がわからないので思い切り頭を傾げたのだけど、あの藍色の石は珠という名前で、価値が有り、大事なものであるということだけは伝わった。


「そして、この珠に願いを込めてお祈りすると、何かしらの方法で水が願いを叶えてくれると言われているんです。」


彼女はうっとりとした声で、また摩訶不思議なことを口にした。願いを叶えてくれるっていうくだりは理解しやすいが、もはやアルバは奇々怪界な事にはお腹いっぱいで、なんとも困った表情を浮かべたものだ。


「へぇ、すごい物なんですね…。」


「ですから本当は、価値なんてつかないほど尊いモノなのです。」


「じゃ、俺は損をしたのですね?」


「はい。詐欺しちゃいましたね、私。」


サーシャはそう言って口に手を添えると上品にクスクス笑った。

彼女はとっても申し訳なさそうだったけど、アルバにしてみればそんな事はどうでもいい事であった。あの珠のお陰で自分はサーシャと出会えた。それ以上のものは…今は、ない。


「ですが…願いを叶えるというのは、凄いですね。神様みたいです。」


アルバは、精霊うんちゃらは分からなかったが、その事だけはやけに耳に残っていた。

何やら分かりやすし…。


「ふふっ。アルバくんは…何か叶えたい望みはあるのですか?」


「う〜ん…そうですね…。」


アルバは突然の問いに、顎に指を添えながらしばらく思案にくれた。…まぁ、そんなものいくらでもある。お金はもちろん、ご飯も、暖かな寝床も…。だが、ありすぎてすぐに答えられない…。


「欲しいものとか…ないのですか?」


やがてサーシャが目を細めて尋ねてくる。


「いえ…そういう訳では…。」


「ふふっ、願いなんてパッと思いつくものが案外、本当に欲しいものかもしれませんよ?」


いつまでも迷っている自分にサーシャは、そう言って優しく微笑んでくる。

…と、アルバは急に頭に浮かんだものがあった。


「いつも一緒にいてくれる…そんな人が欲しいのかもしれません。」


結局のところ彼は、そんなことを裏寂しそうに口にしたのだった。






しばらくすると2人は山の麓に出た。

そこは、森が拓けていて、数センチしかない背の低い雑草が辺り一面を覆っている見晴らしのいい場所だった。そして彼らのすぐ側には、上流にありがちな幅の狭い小川のような源流が、チロチロと水の音を奏でている。


「サーシャさん、鉱山はもうすぐそこです。ここで少し休憩にしましょう。」


アルバはそう言いながら、その小川のそばに転がっていた竹でできたコップを手に取り、川に入れ込んだ。コポッと空気が抜ける音がして、コップに水が注がれすぐにいっぱいになる。

それはいつもは自分専用のコップなんだけど、今日は初めて他人が使う。彼はそれを水から引き上げるとそのままサーシャに差し出した。


「冷たいお水です。どうぞ。」


「わぁ、ちょうど喉が渇いていたのです。ありがとうございます。」


彼女はそう言って手に持っていた荷物を大地に置くと、その竹コップを両手でアルバから受け取った。彼女は恭しくコップを掲げて祈りを捧げると、竹コップを両手で持ったまま上品にゆっくりと水を口にする。それを見たアルバは( お姫様みたいな人はゴクゴク飲まないんだなぁ…。 )って苦笑したものだ。


「サーシャさんは、仕草も何もかもが上品ですね。驚きです。」


やがて彼は感心したように言う。


「ふふっ。そんな事はありません。猫かぶっているだけかもしれませんでしょう?」


彼女は竹コップに唇を添えながらクスって笑う。


「でもサーシャさんが取り乱した姿とか…想像できません。」


「ふふっ。私は結構泣き虫ですから、分かりませんよ。…でも、それを言うならアルバくんだって、とても丁寧だわ。言葉使いとか…感心いたします。」


「ハハッ。俺は呑気なだけです。ほら、ゆっくり話すと丁寧に聞こえたりするでしょう?…でも確かに今は猫かぶっていますね!」


アルバは恥ずかしそうに頬を掻く。


「また、どうして猫など被っているのですか?」


「そりゃ、サーシャさんと一緒にいますからね。貴女のような…お姫様みたいな女性なんて見たこともなかったから、どう接していいのか分からないのです。」


「もう!私はただの教会の娘だと言ったでしょう?」


彼女が可愛く頬を膨らます。だが、それを言い張られても、とてもではないがそうは感じられないのだから仕方がない。


「俺は本当は、結構、言葉が汚いです。だから、無理に敬語を使うのかもしれません。」


まぁ、餓死寸前の物売りですから…なんてことも付け加える。

彼はそもそも敵を作りたくない臆病な性格で、誰にでも丁寧に話すことが多いが、さすがに普段はここまで敬語を使うことは少ない。そうさせているのは、間違いなくこの彼女だ。


「アルバくん!」


やがてサーシャは急に何かを思いついたように元気な声をあげ、自分の名を呼ぶ。そして、屈んでいたアルバの目の前に可愛らしく足を横に流して腰を下ろすと、竹コップを置いて彼の両手の上に、その美しい手を添えた。


「こういうのはどうでしょう?…まずは名前を呼び捨てで、呼び合うと言うのは!」


やけに彼女の目がキラキラしている。だがそれは中々にハードルが高い。


「よ、呼び捨てですか?」


「はい。私たちは、まだ出会って1日も経ってません。おいおい慣れて行くとは思いますが、お互い名前を呼び捨てで、呼び合うと距離が一気に縮まるような気がいたします。…そうは、思いませんか?」


「はぁ…。」


「ねっ!そういたしましょう?」


彼女はやけに乗り気だ。そのあまりの強引な事の運び方にアルバは少々訝しんだが、サーシャがそう言いだしたら、もう覆らない。


「はい、では…そうしましょうか。」


彼は力なく頷いた。するとサーシャは、一気に体を屈めて顔を近づけてくる。…キスされるんじゃないかって驚くほどに…。


「決まりですね!では早速……いきますよ!」


彼女はそう言って、細腕をちょこんと掲げる。

アルバも真似をして、腕を掲げた。

2人で一緒の動きをするのは、意気投合した何よりの証だ。


「アルバ!」


「サ、サーシャ!」


…………。


…………。


…………。


しばらく続く息苦しい沈黙…。



「結構…照れますね…。」


やがてサーシャは目をパチクリさせながら、そう漏らした。アルバもそれに倣うように小さく頷く…。


「ですが、言い続ければいつか慣れます。」


「はぁ…。」


彼が心ここにないみたいな感じで返事をすると、ふと彼女の横に置かれた荷物が目に止まった。

それは、家を出るときから彼女が大事そうに抱えてきたもので、ちょうど晩白柚ほどの大きさの立方体だった。


「サ、サーシャ…それは?」


さっそく慣れぬ呼び名で、聞いてみた。


「アルバ。これは私たちの朝食です。お弁当というやつです。今からお食べになりますか?」


サーシャをそのお弁当とやらを手に取ると、可愛く胸に抱えて彼に微笑んだものだ。

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