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物売りの少年

その少年は、いつも笑顔だった。


と言っても、彼は別に幸せだったわけではない。

両親はいないし、友達もいないし、もちろん恋人だっていない。挙句、金など全く持っておらず、その日暮らし。未来の展望なんていうご大層なものなどまるでない。普通なら心が折れたりヤサグレたりして、盗みを働いたり山賊や強盗に走ってしまいそうなくらい酷い生活なのだが、彼の心根は意外と凛としていたのか、ハタマタただ臆病なだけなのか分からなかったが、人の道にそれたことはなかった。


そしてそんな彼の1日の生活スタイルは、寸分も狂うことはない。

朝起きてから、夜に寝るまでまるでの行動がルーティンワークのようにきっちり決まっている。

朝日が昇る前に家を飛び出し、森の中でクワの実やベリーで腹を満たし小川で喉を潤すと、イワミ山と呼ばれる鉱山へと向かう。その山は、白い石や鉄とともに宝石のような藍色の透明な石も採れるのだけど、彼の狙いはその美しく光る透明な石だ。

その石を拾い集め村に戻ると共同の加工場でその石を削り、ペンダントやネックレス、ブレスレットにする。そしてそれが完成したらお昼前までにせっせと街まで運び、唯一の肉親である叔母に借りている出店で販売するのだ。まぁ、彼は加工の腕は大したものだったが、物売りの素質はからっきし。そのため商売の方は大体は惨敗し、叔母に僅かな金か食料を分けてもらってトボトボ一人で村に帰って、ウサギ小屋のように狭い家でたった一度の食事をとって寝る…それが彼の変わらない日常だった。

それは、それこそ普通の民としては最下層の生活…。

しかしこの少年は、今のところ この日常に疑問など持っていないし、悲観しているわけでもない。むしろ呑気な彼は、意外にもこの平穏な生活を中々に気に入っていた。誰からも束縛されず自由だし、生きる為にやる事が決まっていて分かりやすい。

山の大自然に囲まれて生活するのは心地いいし、ルンという都会にも出かけるのでそれほど平坦な日常という訳でもない。自然は様々な恵みをくれるし、街に出れば文化に触れられるし、綺麗な服を着た可愛い女の子だって見れる。もっと言えば生きることで精一杯の彼は、他のことなど考えている余裕などないのだ。未来のことより、今晩の夕食にパンが並ぶかの方が大問題だったりするのだから。


そんな訳で、若干の食糧問題は抱えながらも彼はそれなりに楽しみながらも慎ましく生きてきたのだが、とても残念なことにその平穏な日々は突然終わりを告げることになる。


麻の薄汚れた茶色のシャツとボサボサの黒髪…華奢でマッチ棒のような体型…その少年の名は、アルバといった。このとき、彼は多分16歳である…。






( 最近は、数が少ないんだよなぁ… )


アルバは少し不安そうな表情を浮かべながら、いつものように自分の身長ほどしかないイワミ山の鉱山の穴に潜り込んだ。彼の目的はいうまでもなく、この鉱山に眠る藍色の石の原石だ。身寄りが叔母しかいない彼にとって、その石が採れるかどうかは死活問題となるからだ。

鉱山入口に備え付けてあったランプに火を灯し、誰もいない真っ暗な洞窟を進む。もともとこの鉱山は鉄の原石である鉄鉱石を採掘するために掘られたもので、山の地中をアリの巣のように巡っている複雑怪奇な道だ。まぁ彼は毎日のようにその藍色の石を探しにきているのだから迷うことはないのだけど、そんな彼でもここ最近どうにもその美しく輝く石と出会わない。

この仕事を思いついた一年前は、ランプを洞窟で灯せばその透明な石が光を反射してまるで水辺の蛍のように幾重にも光ったものだが、ここ一週間ほどは全くと言っていいほどお目にかかれないのだ。

そんな訳で彼の細やかな貯金はいよいよ底をつき、もし今日も見つからなければパンを買う事も出来なくなる。これにはさすがに、この呑気な少年も血眼になって、その藍色の石を探さざるを得ないというわけだ。

大袈裟に言えば生死を賭けた地中探索なのだけど…今日の彼はとてもツキがあった。


「あっ、あった!大物だ!」


と、彼の叫び声が洞窟に響き渡った。久しぶりにランプの光を大きく反射する、今となっては懐かしい青い輝きが目に飛び込んできたからだ。しかも地面からだ。彼が破顔してその場所に走り寄ると待望のその石は、洞窟の下に溜まっている水たまりの中で光り輝いていた。普通ならこの石は壁や上側に紛れていることが多く、無理をして掘り出さなくてはいけないのだけど、これではまるで取ってくださいと言わんばかりだ。しかも、やたら大きい。いつもの5倍はあろうかと思われる手のひらサイズの藍色の宝石だったのだから彼が興奮するのは仕方がないというものだ。


( まさに、これは神様からのお恵みだな。 )


彼は一度安堵のため息を漏らすと、神に感謝の祈りを捧げ、その水たまりにゆっくりと手を入れた。そしてその美しい石をゆっくりと掲げる。彼の目の前で光り輝く藍色の石は、やけに透明感があってとても美しいのだけど、残念ながらアルバには飯の種にしか見えない。やがて彼は頬ずりすると何度もジャンプして喜んだものだ。



アルバはその藍色の石を大事そうに粗末な布袋にしまうと、きつく腰紐に巻きつけた。腰が重く縄紐が少々キツイが、何しろこの石が売れれば一週間は食いっぱぐれることはない。

( 今日はきっといい事がいっぱいあるに違いない。 ) 彼はそうほくそ笑み、朝日に照らせれ始めた山を駆け足で降りていく。なにせ無許可で鉱山に出入りしているので、朝日とともに入山してくる鉄の採掘者たちと会う訳にはいかないのだ。

彼はとっても足が速かった。満足に食事をしていないのもあるのだけど、もともとアルバは女のように華奢な体型で体が軽く、森の木々の間をまるでカモシカのように駆け抜けていく。目が大きく童顔な彼は、一年前くらいまでは本当の女の子に間違えられたりもしていたものだが、ここ最近は身長も伸び、少々顔もキリリとしてきたので、さすがに女子に間違えられることはなくなった。


「アルバ兄ちゃん、おはよう。」


彼が村の麓まで駆け下りると、村の教会に通う子供たちが次々と声をかけて来る。まぁ、これは毎朝のことだ。そして子供達が彼の元に集まって来るのは当然理由がある。


「おはよう。」


アルバはそう返事を返しながら、山の中で獲った木の実やクワの実などを集まってきた子供たちに丁寧に配っていく。それは食べ盛りの子供達にとっては、おやつ代わりにしかならないささやかな量なのだけど、甘いものが少ないこの村の子供たちにとってはとても貴重な菓子代わりだ。彼自身これをいつから始めたのか覚えていないのだが、いつの間にか彼の日常になってしまっている。ただ親や友達のいない彼にとっては、人と関われる数少ない時間とも言えるのだが。


「ありがとう!…兄ちゃん…顔が真っ黒だよ?」


今日も、クワの実を遠慮気味に受け取った一人の女の子が話しかけてきた。


「鉱山へ行ってるんだ。仕方ないだろ?」


アルバは顔を手でぬぐいながら、揶揄う子供達をいなしていく。


「それじゃ、彼女なんてできないでしょう?」


「ハハッ。そんなものは俺には一番縁遠いものだな。そもそもお金ないし!」


彼はそう言って、苦笑いを浮かべた。


「お金持っててもお兄ちゃんは弱そうだから、モテないよ!」


…本当に最近の子供たちはませている。だが戦が絶えないこの世界ではそれはごもっともな意見だった。世の中が安定していなければ、女たちが自分の身と生活を守ってくれる強い男を求めるのは当然のことだ。


「はいはい、そうですね…。」


彼は少々ブーたれながら頭を掻いた。するとその女の子が突然アルバの手を掴んできた。


「そんな悲しい顔しないで!大丈夫よ、お兄ちゃん!私がお嫁さんになってあげるから。」


その言葉に思わず目を丸くして、彼はその女の子を覗き込んだ。その幼子が気になった…訳ではなく、何やらその言葉が懐かしく聞こえたのだ。記憶に残っている…という表現の方が正しいのかもしれない。だが、すぐに我に返った。なにせ彼には時間がない。


「……はいはい。」


彼は手を掲げ、その女の子に適当に返事をすると再び走り出した。

次に向かうは温泉だ。それはこの寂れた村にはとても似合わない立派なもので、いったい誰がどんな理由で作ったのか村の連中も知らなかった。そもそもこんなものを作る大金なんて、この貧しい村は当然誰も持っていないはずなのだけど、白い石で組まれた立派な温泉は今日も村の奥にデーンとある。アルバはいつものように巨大な湯船に飛び込み、せわしなく汗を流すと、ちゃっちゃと飛び出した。

( さてと…急がないとな…。 )

彼は体を拭きながら、せわしなくズボンを履く。

これから獲ってきた藍色の石の加工をするために、村の中央にある共同の作業場へと向かうのだ。

村の共同の加工場は、刃物やハンマー、鉄くずやチェーンなどが揃っていてアクセサリーを作る部品が勢ぞろいしているとても便利な場所なのだが、如何せんお金を取らない場所であるがゆえ競争が激しい。言うなれば村人たちによる場所取り合戦が行われるのだ。そしてそれは今日も変わらなかった。


「うわぁ…。今日はやけに人が多いな…。」


アルバは作業場を見上げて、目を細めた。

少し小高い場所にあるその建物は、木で簡単に組まれた簡易的なもので、屋根はかろうじて付いているが壁はない。いつもペンダントやブレスレットを作っている村のお婆さんたちで溢れているが、今日は外まで列ができている。行商にいく村人が多いのだろうか…。だがこれに並んで加工したら、とてもではないが午前中に中央街につくのは無理そうだ。

( 仕方ない。この石は加工しないで、宝石の原石として売ろう…。 )

彼は腰に巻いた布袋に軽く手を当てると、そう思い立ち、加工することを諦めた。何としても今日はこの石を売らないと本当に夕飯が食べられないのだ。

( よし、教会でお祈りしてから行こう。 ) 彼はそう言って自分の顔を両手でパンパンと叩いて気合を入れた。そして急ぎ、村の東にある小さな教会へと向かう。切実な願いがあるときには、やはり神様にお願いするに限る。村の中の道は、全て土の道。人の足で自然と固められた土の道を、心地良さそうに彼は教会へと走った。


教会は、世界で唯一の宗教である 教団 が創った建物で、それこそ全世界どんな小さい村にも必ずある。そしてその建物の形は頑固に三角形屋根で統一されており、屋根の上には教団を表す「宇宙の真理」と呼ばれるマークと女神の横顔がデザインされている。

壁は必ず白い壁で、屋根は藍色。そして中にはいれば、祈りの間と呼ばれる大広間があり、その奥には必ず優しい微笑みをたたえた女神像が鎮座している。

アルバは教会に着くと、建物の周りをぐるっと囲んだ花畑に水をやり、花壇の中で目立つ雑草を取り払う。教会の神父は、「気にするな」と言ってくれるのだが、お布施を払うことの出来ない自分ができる事はこれくらいしかない。なにせ、今日は女神様にこの大きな藍色の石を売れるようにお願いしなくてはならないのだから尚更だ。若干、邪なお願いだとは思うが今日ばかりは何としても神様に聞き遂げてもらわない事には夕食が露と消えてしまう…。

彼は一通りの作業を終えると、側にあった井戸で手と顔を洗い、服を整える。特に敬虔な信者という訳ではないが、どこか厳かで美しい女神像と会うのだからといつも緊張してしまうのだ。

アルバが一礼をして、いつものように教会の大きな木製の扉を開けると。陽の光が教会の大広間に届き、やがてその光は奥にある女神像を照らした。


「女神様…。」


彼はその美しい女神像に目を止めると、もう一度深く頭を下げた。

実を言えばアルバがその女神像を見るのは久しぶりだった。先月から修繕作業をしていて、ここしばらく茶色の布で覆われていたからだ。ひと月ぶりに見るその像は、やはり美しく神々しい…。

教団の理などほとんど知らないアルバには、その女神像が一体どんなものかイマイチ分かっていないのだけど、なんとなくお願いを聞いてくれるのは彼女だという事だけは判るというものだ。彼は遠くから手を合わせて、若干邪なお願い事をすることにした。そう…大きな宝石が高く売れますように…と。


「これ、アルバ。そんな入口からでなく、女神様の目の前で祈りなされ。」


と、いつまでも奥に入ってこない自分を見兼ねて、この教会の神父であるロアンが奥から優しい声で話しかけてきた。彼は長く白い顎髭が特徴的な老神父だ。ロアンら神に仕える修道士たちは、グレーローブを着ているものがほとんどで、この老神父も当然それを羽織っていた。


「あ、ロアン神父。おはようございます。…いえ、ここで結構です。お布施だってしていないし。」


「そのようなこと気にするなといつも言っておろう?女神様が寂しがっておるぞ。」


「アハッ。あの像がですか?」


アルバが苦笑いを浮かべながらそう問いかけると、ロアン神父は一度大きく咳払いをした。そしてニンマリとした表情を見せ、自分を見据えてくる。


「うむ。お前は、あの女神像がただの石で出来ていると思っておるのか?」


「…違うのですか?」


彼は神父の意外な言葉に、思わず目を丸くして聞き返した。


「ふふふっ。確かに、ただの石じゃ。」


ロアン神父はそう言うと、フォフォフォと笑い出してしまった。アルバは苦笑いを浮かべながらその老神父に文句を言った。


「もう…神父様は何が言いたいのですか?」


「いや、悪かった。…ただのぉ…あの女神像は確かに石ではあるが、時に不思議な表情をお見せになる時があるのじゃ。」


「表情…ですか?」 …それはまた意外な言葉だ。


「うむ。儂はいつも女神様を見ているでの。そういう事も気がつく。」


ロアン神父はしみじみとそう言うと、女神像の方へ体をゆっくりと向けた。アルバは目をパチクリして彼を見つめる。いやいや、石像が動くわけがない…。


「ロアン神父、どういう事ですか?」


「ふむ。女神様はお前が教会に来ない日は、何とも悲しそうな顔をお見せになるんじゃ。今にも泣き出しそうな表情をなさる。じゃが、お前がくる日は何とも安らかで偉大な微笑みをお見せになる。ほら、見てみよ、あのお幸せそうなお顔を。」


老神父は自分の方を振り返ると、目配せまでして見せた。さすがに老人の目配せは気持ちが悪いと思ったのか、アルバは彼から視線を外し女神像にそっと目を向ける。…確かに女神像は優しい微笑みは浮かべてはいるが、それが普段とどう違うかまでは正直分からなかった…。


「神父。もしかしてそれは、毎日教会に来いという営業ですか?」


やがてアルバが神父の魂胆が分かったかのようにそう口を尖らせると、ロアン神父は肩を竦めて笑った。


「おっ、こりゃいかん。バレたか!」


「もう!神父様も人が悪いな。教団は嘘が禁止のはずでしょう?」


アルバはそう言いながら、呆れ顔を見せた。…だが、いつまでもこんな所で油を売っている訳にはいかない。ヒゲをさすりながら苦笑いを浮かべているロアン神父に、アルバはキチンと正面を向いて頭を下げた。


「今から街に行ってきます。…神父様は街に何かご用がありますか?」


「うむ、大丈夫じゃ。ありがとう。」


神父は笑顔のまま首を振った。


「分かりました。では、行ってまいります。」


「そなたに神のご加護があらんことを。」


神父のそのありがたい言葉を聞きながら、アルバはゆっくりと教会を後にした。

だが、この時の彼は、神父が小さなため息を落とした事に気がつかなかった。そして ( 嘘は…言っておらんのだがの…。 )なんてこの老神父の言葉も全く聞こえなかったのだ…。


そう、この日の女神像の表情は、なぜか本当に美しかった…。




アルバは意気揚々と教会を後にして、そのまま村を出ると、大きな木々に囲まれた暗い山道を東に向かう。

彼の目的地は、この村と繋がっているルンという大きな街の中心街だ。その街に向かって3時間ほどの距離を、えっちらほっちらひたすら歩く。一本道なので迷うこともない。

ルンは、50年前に滅びたザグレア国の主要都市で、今でも80万人ほどが暮らす大きな街。旧ザグレア国土の北東に位置していて、港町や北の大国とも距離が近い為、交通や物流の要所として商業が栄えている。更に、側にはイワミと言われる鉱山を有していて、貴重な白い石や鉄の原料となる鉄鉱石を採掘できるので、非常に豊かな街だった。その為、街の入口から中央街まで一直線に伸びる主要道路は石畳で整備され、周りの建物も白い石で統一されている。太陽の光を浴びると街全体が白く輝くことから、「天の街」なんていう称号も持っていた。


彼が中央街の街道にたどり着くと、陽の光は真上に昇っていた。

年末が近く、穏やかな気候が多いルンでもさすがに肌寒い。アルバはぺらぺらの麻の服なので、両手で自分の二の腕をせかせかと摩りながら、身を屈めて歩く。

彼が石を売るために出店を出しているのは、中央通り沿いにある叔母の店の斜め前だ。屋台も場所もその叔母から借り受けたものだが、一年あまりその棚代のお金すら支払えていない。立地はこの上なく素晴らしいのだから、原因は間違いなく自分自身の売り方である事は承知しているのだが…。

と、アルバがその場所まで体を屈めながら歩いていると、その途中の道端で傾いた大きな屋台と年老いた老婆の姿が目に入る。これも毎日変わらぬ光景だ。


「アルバや、おはよう。」


老婆が無愛想にそう声をかけてきた。まぁ彼女の場合はそれが素なので、決して機嫌が悪いとかではない。


「おばあちゃん、おはようございます。」


彼はそう笑顔で答えると、老婆の大きな屋台の端の手すりに手をかけた。そしてゆっくりと持ち上げ、方向を変えていく。屋台の向きを変えるだけなんだけど、大地が石畳のため一度持ち上げないと屋台の位置は変えられない。滑車の部分がその石畳のゴツゴツに引っかかってしまうからだ。勿論そんな事はこの腰の曲がった老婆には無理だ。これも子供達に木ノ実を配る事と同じように一年くらい前から彼に課せられた日課だった。

やがてアルバが悠々と屋台の方向を変えると、すぐに彼女がそばに寄ってきた。


「アルバや、いつもありがとうのう。」


老婆は、腰を屈めながら珍しく表情を緩めた。


「どういたしまして。まぁ、簡単な事だからさ。」


アルバが頭を掻いて照れ笑いを浮かべると、彼女は紙に包んだ干し芋を差し出してきた。


「ほほほっ。ほら、これを持っていき。これまでの礼じゃ。」


「えっ?いいのかい?」


この老婆だって決して豊かな生活ではない。食料は何より大切なはずだ。アルバが心配そうに彼女に目をやると、老婆は目を細めながらその干し芋をアルバの手に強引に押し付けた。


「いいのじゃ。」


そう答える彼女の顔は、何やらとても優らかで澄んでいる。そして、アルバの手の上に自分の手を重ねて、ゆっくりと噛みしめるように言葉を続ける。


「…実はノォ…今日で店じまいなのじゃ。」


「そ、そうなんだ。寂しくなるなぁ…。でも、急ですね…。」


アルバは目を丸くしながら彼女を見つめ返す。正直…驚いた。昨日まではそんな事は言っていなかった筈だ。


「ほほほっ。実を言えば、昨夜の夢に女神様が出てきてくれてのぉ。」


「女神様…ですか?教会の?」


まぁ、そうは言ったものの女神様とくれば教団の女神様しかいない。


「そうじゃ。それでのぉ、女神様が言うんじゃ。『おばあちゃんは十分に働いた。そろそろ、休みなさい。』とな。」


老婆は遠い目をしながら、そう言って微笑む。確かにおばあちゃんは、歳も歳だしその神様の意見も一理あるけど、あくまでそれは先立つものがあればこそだ。


「だけど…いいんですか?生活はできるのですか?」


アルバが心配そうに彼女の顔を覗き込む。何しろ、この老婆は一人暮らしのはずだ。


「ほほほっ。来週じゃがの…行商に出てた息子が帰ってくるのじゃ、嫁を連れての。」


「わぁ、良かったですね。」


「うむ。昨日、そんな手紙が届いての。これからは共に暮らせるようなのじゃ。」


老婆は顔をしわくちゃにして笑った。それはとても幸せそうな満面の笑みというやつで、アルバも思わずつられて笑ってしまった。だが少し寂しい気もする。何しろ毎日のように手伝っていた屋台の向き替えも今日で終わりということになるからだ。だけどこの事は、おばあちゃんが最も求めていた幸せだ。仕方がない。


「本当に良かったですね。」


アルバはもう一度そう言って笑うと、その老婆の手を強く握った。


「アルバにも早く幸せが来るといいの。」


「ハハッ。来ますかね?」


「アルバは、皆を笑顔にする。必ず、来る。」


老婆は、その言葉通り満面の笑みを浮かべてアルバを励ましてくれた。





アルバは幸せを掴んだ老婆と別れると、石畳でできた立派な中央通りの隅をテクテク進んでいく。経済の発展が著しいこのルンの中央街は、いつも通り活気に溢れていて人も多い。

年頃の健康な男子としては、やはり道ゆく華やかな女の子に目がいく。この街は裕福なので、こんな時間に歩いているのはいいとこのお嬢様たちだろう。皆、着ている服が華やかでどこか余裕が感じられる。アルバは歩きながらチラチラとそのお嬢様たちを見ていたが、当然あっちからこちらを見ることなどない。もうね、本当の別世界だ。

女の子というのは、きっと優しくて、可愛くて、愛らしいのだろう…アルバは勝手にそう思っている。そもそも関わることなどあり得ないので、今は遠くから眺めるだけで満足なのだが、いつか彼女ができて結婚できたらいいなとは思っている。何せアルバは家族との記憶がないので、そういうものに人一倍憧れるのだ。

( まぁ、あんなに綺麗でなくてもいいけど…いつか彼女とかできたらいいな…。 )

アルバは道ゆく華やかな町娘を眺めながら、そう思ったものだ。


と、彼は思わず顔を擡げた…気の所為かもしれないのだけど、何やら甲冑を着た兵士の数がいつもより多いような気がしたんだ。とは言え、この平和な街に戦争など起こるわけがない…。


( 思い過ごし…だよな。…でも、かっこいいなぁ…。 )


彼はその兵士たちを羨望の眼差しで見つめる。銀色に輝く甲冑と藍色のマント、そして腰に下げた見事な剣は、嫌が応にもこの少年の心を沸き立たせる。アルバは剣など持ったこともないし、そもそも兵士なんぞになる気はないのだけど、一人の男として強そうな彼らは憧れの存在だった。


と、そんな兵士たちに紛れて一頭の漆黒の馬がカツカツと蹄の音を響かせながら、悠然と道の真ん中を進んで来る姿が見て取れた。

見事な毛並みと見事な鬣から、一目で名馬と分かるほど見事な馬だ。アルバはふと足を止めてその馬を操る騎士に目を向ける。何やら吸い込まれるように…。

その漆黒の馬に騎乗した主は、顔を白のマスクで覆い隠していて顔は見えなかった。全身を藍色のマントで覆っていて、腰には湾曲した見事な剣を左右に挿している…二刀流だろうか。そしてマントには、水を表す見事な紋章が金色で刺繍されていた。

やがて辺りが何やらざわざわと騒ついている…それだけでこの御仁が有名人だというのが分かるというものだが、やがてアルバの周りにいたルンの民もその騎士を見上げて、何やら声をあげた。


「コルドバだ…。」


「最強の傭兵だ。なんでこんな化け物が、この街に来たんだ?」


「み、水の騎士かよ…。」


( 水の騎士?なんだそれ? ) アルバは、周りの人々が口にする言葉を聞きながら、首を傾げた。何せ彼は田舎者の一人暮らしで友もいない。世界の時勢や有名人のことなども何も知らないのだ。


「すいません。あの方は、有名な剣士さんなのですか?」


アルバは自分の横でやけに興奮して騒ぐ、丸メガネの中年おじさんに話しかけた。


「はぁ?お前は、コルドバも知らねぇのか?」


まぁ、予想された返答だ。アルバは頭を掻きながら、恥ずかしそうに笑う。


「すいません、何しろ田舎者で…。」


「あいつはよぉ、世界を股にかける最強の傭兵なんだ。もちろん剣の腕は相当なもんだろうけどよ、噂によると、魔法みたいな摩訶不思議な技まで使うんだとよ。」


「魔法…ですか…。」


アルバは思わず苦笑いを浮かべた。…そんなもの絵本の世界にしか登場しないはずだ。


「ああ。何年か前によ、その魔法みたいなもんで数万もいた大海賊団をさ、全部一人で海に沈めたって話だ。こえーよな…。」


その丸メガネの親父はそう言って体を震わせた。俄かには信じがたいが、もし本当なら確かに化け物だ…。


「へぇ…。」


アルバは目をパチクリしながら、その英雄の背中に目をやった。美しく光る藍色のマントが微かに揺れ、何やらそこだけ空間が歪んでいる…ように感じられた。あながち魔法を使うというのも嘘ではないのかもしれない…。


( あれが本物の英雄さんか…。 ) アルバは腕を組みながら、そんなコルドバの背中を見送った。と、馬が大きい所為だろうか…何やらコルドバ本人は体が小さく見える。

…数万の海賊を一網打尽にした化け物だ。そんな小さいわけはないのだが…と、彼はその姿を見て首を傾げた。だがアルバがその理由を知るのはもう少し先の事だ。まさかこの2年後、その世界に名を轟かす英雄コルドバに甘え倒される日が来るなど、この時のアルバは夢にも思わなかったが。

…ただ、それはまた別の話だ。




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