アルバVSサーシャ 温泉での戦い3
ワラミ村の温泉地に少しだけ風が出てきた。
夜の真っ黒な雲は、ゆるゆると流れ、焦れったく月を隠しては、また浮かび上がらせている。
温泉から湧く靄も当然のように風で流れ、アルバの真横で温泉につかるサーシャの姿もくっきり見えてくる。彼は恥ずかしそうに視線を外し、やがてその意地悪な空を見上げた。
サーシャが語った中途半端なお話と、とってもいきなりな彼女からのほっぺへのキスのお陰で、一体どうしていいか分からず頭を抱え混乱していたが、共に温泉につかりながら静かに仲良く月夜を見ていたら、なんとなく心が落ち着いてきた。
それからは…サーシャは、師匠という謎の男の話はしなかった。
ただ、彼女が体験した、アルバの知らない世界のお話をいっぱいしてくれた。
断崖絶壁からチロチロと流れ落ちるお湯の音と、もわっと揺らぐ温泉の湯気。
いつもは気にならないこの空間の風情も、今日はとっても特別なものに思えてしまう。
仕事話、挨拶、近況報告。
限られた人間と、そんな限られた会話しかしてこなかったアルバには、サーシャが話してくれるお話は、心がとってもワクワクして何よりも楽しい。特に世界の有名な建物や料理の話はとっても興味を引いたものだ。
サーシャとの貴重な時間は、あっという間に過ぎていく…。
初めて心を奪われた相手とだから…と言ってしまえばそれまでだが、どんなに話しても話しても次々と言葉が勝手に溢れ出てくる。
すると如何に呑気で、何事にも執着しなかった彼の思考も、徐々に変わっていく…。
この人と…できるだけ長く一緒にいるには、どうしたら良いのだろう…って。
まぁ、興味を抱いてしまった相手に、そういう思考に陥るのは自然な事だ。ただ、妄想だけはドンドン先に進むが、現実はかなり厳しい。
「アルバくん、髪を洗うのを手伝っていただけませんか?」
やがて会話が一段落すると、何やら難しい顔で考え込むアルバに、サーシャは溢れんばかりの笑顔でそうお願いしてきた。
「えっ?髪ですか?」
「はい。最近、すっかり伸びてしまって…。洗うのも乾かすのも一苦労なんです。」
サーシャはそう言いながら困り顔で微笑むと、ゆっくりとアルバに背中を向けた。そして上で結んだ髪をとく。…すると彼女の美しい黄金色の髪が、湯の上で花のようにフワッって舞いひろがった。
アルバはお湯に美しく広がる彼女の髪を見て、困り顔になりたいのは自分の方だと苦笑したが、彼女は大金をくれた雇い主。このくらいはしてあげないといけない…なんて理由をつけて了承した。
「このクリームを、小豆の大きさ分くらいを手にとって、髪を摩ってください。」
やがて彼女は、湯の中から小瓶を差し出してきた。…この人、こんなもんをどこに忍ばしているんだろうかと、ちょっと気になる…。
と…その時、ホッとする物がチラッて見えた。彼女が手を湯から出した時に、体が少しだけ浮かんだのだけど、どうやらサーシャは体に白い大きなタオルを巻いているようだ。それなら髪を洗っている時に仮に体が触れても直に彼女の肌に触れることはないし、悩ましい部分が見えることもない。
アルバは安心したように小さくため息を漏らし、サーシャから小瓶を受け取った。絶対に指が触れないように…。だって触れたら絶対電気が走る…。
「いきますよ…。」
アルバは瓶から指でクリームを掬うと、そっと彼女の黄金色の髪に手を触れ、塗りつけた。
彼女の髪は細く、柔らかい。そして触り心地がなんともいい。
なんだが…自然と頬が緩む。そしてうっとりとその髪を見てしまう。
彼女の髪色は、金色といえど明るいケバケバしい色ではない。どちらかといと色素が淡い、白に寄った上品なお色だ。細く上品で艶があるサーシャの髪は、月の明かりを鏡のように受け、反射するように輝いていた。
( なんて…綺麗なんだろう…。 )
彼は指と指の間に、その彼女の輝く髪を挟み、恐る恐る、そして丁寧にといていく。
だけど、とても不思議な感覚に襲われる。彼女の黄金色の髪が…やけに手に馴染む。
「ふふっ。アルバくんは、触り方がとても優しいですね。」
やがてサーシャが、クスって笑いながらそう漏らす。
「…くすぐったいですか?」
「いえいえ、とても気持ち良いです。」
「それなら、良かった。」
アルバはちょっとホッとして、今度はゆっくりと彼女の髪を洗い流していく。
と、サーシャはいきなり突拍子もない言葉を口にした。
「でも、まさか本当に洗ってくれるなんて思いませんでした。感謝です。」
「はっ!?どういうことですか?」
「ふふっ。アルバくんはとっても真面目なので…きっと断られるって思ってました。」
「へっ?」
「今日会ったばかりの女の子に触れることなんてできません…とか、言いながら。」
サーシャはそう言って、クスって笑う。
「…断われば…良かったんですか?」
「フフッ。もう遅いですよ。今更辞めるのもナシです。」
「はぁ…。」
アルバは何とも情けない声をあげて小さなため息を落とすと、サーシャは横顔だけを見せ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私が悪いのです。少し我儘を言ってしまいました。ですが…アルバくんは案外、度胸がおありなんですね。関心いたしました。」
「…サーシャさんは結構、意地悪なんですね。そちらの方が意外です。」
アルバはそう文句を言い、彼女の髪を両手の手のひらを使いながら、ゆすぐ。
…ただ少しだけ意地悪しようと、乱暴にこすってみたりもした。
だけど、彼の表情は緩んだままだ。
そしてそれはサーシャも同じようだった。
アルバが珍しく意地悪とか言ったからだろうか…。
少しだけ気安くなった彼を見て、サーシャは「まぁ…。」なんて表情を崩す。
やがてアルバの視線の先にキャッキャッとはしゃぐ、可愛らしいサーシャが飛び込んできた。
あれっ?って、思った。
彼女の黄金色の髪を、しみじみと眺めてみる…。
今日、初めて出会った…サーシャさん。
寒空に人にマントを貸し与える事のできる、優しいサーシャさん。
盗賊に襲われても、毅然とした態度を崩さない、勇気あるサーシャさん。
何の見返りも求めず美味しい料理を作ってくれた、家族のようなサーシャさん。
ハグしてくれ温泉まで一緒に入りたいと言ってくれた、恋人のようなサーシャさん。
こんな女の子、他にいるのかなぁ…って漠然と思った。
そして、なぜだかふと思った。
彼女の後ろ姿、黄金色の髪、この光景…
どこかで見たこと…ある…って。
ただね…。
仲良しの友達や気になる異性に初めて会ったとき、稀に、その人の事をずっと前から知っている錯覚に陥ることがある。
彼女の髪に触れたとき、そんな懐かしい感触が指を伝った。知らず知らずのうちに、熱いものが込み上げてくる…。
サーシャさん、聞いても良いですか?
本当に…今日、初めて会ったんですよね?
だけど、それは自分に都合のいい、ただの妄想だ。
モテない男が陥る現象…いわゆる思い込みだ。これが過ぎると犯罪者になってしまう。
だって、僕はやはり君を知らない…。
アルバがそんな物思いにふけってしまった為、しばらく、無言の時があった。彼女は不意に「どうしたのですか?」なんて心配そうに目を向けてくる…。
「サーシャさん…こんな俺でも旅なんてできますかね?」
アルバは手に持った彼女の黄金色の髪を眺めながら、ふと尋ねた。それは、現実味のない夢物語でなんの力も夢もない少年の願望…だけど、サーシャは大きな笑みを浮かべ、一呼吸置いてから小さく頷いてくれた。
「…勿論、できます。アルバくんは、とってもしっかり者ですから。」
彼女の声が嬉しさで踊った……ように感じた。
彼は…夢の中にいるように頭がフワフワしだした。まるで、彼女に優しく包まれているようだった。そうか…夢だと思えば、彼女と旅に行ける。夢の中ならお金もいらないし、お腹も空かない。
「ひとつだけ、師匠さんのことを聞いて良いですか?」
彼は意を決したように、そう尋ねた。
「…どうぞ。」
サーシャは手をお湯からちょんと出し、可愛く、クイクイってする。…そんな彼女にどうしても確認しておきたいことがあった。
「さっき出会った盗賊さんたち…。師匠さんなら、簡単に勝てるんですか?」
何せサーシャの師匠さんは、あんな大きな剣を自在に操る御仁だ。5人の盗賊なんぞ、楽勝なんだろうけど…一応、聞きたかった。すると、彼女は即答した。
「そうですね。」
「あの黒い大きな剣で、バッタバッタと?」
「いえいえ、戦いにすらなりません。あの程度の盗賊さんでは、師匠に睨まれただけで腰を抜かして逃げていきます。」
「そ、そんなに…ですか…。」
「そんなにです。」
サーシャはそう言った。…少し、自慢げだ。…それは、今のアルバにとって、とても悔しい事のように感じられてならなかった。
「そうですか…。」
「はい…。」
また、無言の時がやってきた。
だが、今度は短かかった。
「お、俺も強くなりたい…です。」
やがてアルバは、苦しそうにそう漏らす。
「…どうしてですか?」
サーシャが顔だけを振り向き、心まっすぐにそう尋ねてきた。…ブラウンの瞳が彼の心を見通すように見つめてくる。…アルバは、慌てて彼女から目線を外した。なにせ動機が不純だ。
言えない…ずっと一緒にいたいからだなんて、絶対に言えない。
出会ったその日にそんな事言ったら、いかにも軽い男だ。それは恋愛経験のない自分でも、なんとなく分かる。恐らく言った途端、間違いなく拒絶される。
正直いうと、なんで彼女とこんなにも一緒にいたいのか分からない。
でも…どうにも離れがたい。…これは、一体どういう事だろう。
だが、経験不足が如実な自分には、今はその疑問の答えは出ないだろう。となると、今、考えなくてはいけない事は、一つしかない。
サーシャと一緒にいることが出来て、拒絶されない、ごもっともな理由を考えて、伝えるしかない。そしてそれは、先ほど思いついていた。
彼は意を決して、こちらを振り返るサーシャの瞳を見つめなおした。
「サーシャさんが、師匠さんに会える日まで…俺が貴女を護りたいんです。」
言い切った!
「………。」
…だが、彼女から返事はなかった。
「…だから、強くなりたいんです…。」
次はそう自信なさげに、呟いた。
だけど、やっぱりサーシャはゆっくりと顔をうつむかせて何も答えない。
ただ…小刻みに美しい顔を震わせていただけだった。
アルバはしばらくその様子を見ていたのだけど、なんか…中途半端感は否めないって気がした。
こういうとき、かっこいい男の人はなんて言うのだろう…。ああ、こんな事なら午前中に見たコルドバなる英雄さんに聞いておけばよかった…なんて後悔する。まぁ、友達でも知り合いでもないから、決して話しかけられないけど。つーか、無礼者って斬られるか…。
「サーシャ。俺が、必ずお前と師匠を会わせてやる!」
結局、アルバは同じ意味の言葉を、ちょっと俺様調に言い直して叫んだのだった。