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芋のスープ



アルバがサーシャに導かれるように家に入ると、まず飛び込んで来たのは、何とも表現のしようのない美味しそうな温かな匂いだった。

ガーリックの焦げた香りや、パイが焼かれたときのような香ばしい匂い…。

部屋に丁寧に置かれた大きな鍋からは湯気が立ちのぼり、部屋はコンソメやトリュフのいい匂いでいっぱいだった。

そして、部屋の小さいテーブルの上には所狭しと並んだ様々な形をしたお皿に、色とりどりのお料理が綺麗に盛られていて、そのあまりの美味しそうな光景を見てアルバはお腹に手を当て、ごくんって唾を飲み込んだものだ。

もうね、ここが昨日までの自分が一人で暮らしていた侘しい部屋だったなんてとても思えない…。ちょっと部屋を見渡せば、彼女が摘んで来たのだろうか…可愛らしい野花が一輪挿しに収まり、味気なかったお部屋が何とも華やかだ。


「アルバくん、最後のお料理をふぅふぅするの、一緒にしませんか?」


後ろ髪をキュッと結び、橙色のエプロン姿のサーシャが、穴の貫通した竹筒を持ちながら、微笑んでいる…。土間に中腰で、大きな瞳で自分を見上げながら…。この時、最もこの部屋を華やかにしているのは彼女自身だって事に気づく…。


「あ、はい。火を起こすのですか?」


「いえ、種火は残っています。このお鍋のスープをもう少しだけ煮詰めたいのです。…お手伝いいただけますか?」


彼女がコンロにかけた鍋を指差しながら、そう尋ねてくる。アルバは緊張気味に、うんうんと頷きながら彼女の側まで行くと、何だが申し訳なさそうにサーシャの横でゆっくり膝を落とした。

…やる事は、分かった。簡単だ。コンロの下の蒔に、竹筒で息を吹きかけ炎を燃え上らせればいいのだから。


「はい。これ、どうぞ。」


サーシャは無邪気な笑みを浮かべながら、自分に竹筒を差し出す。


「ど、どうも…。」


「ふふっ、一緒にいたしましょう。」


「うん…。」


アルバは竹筒を受け取りながら、何とも情けない返事を返す。と、彼女は自分から目線を外してもう一本の竹筒を口に咥え、竃にそれを差し込むとフゥ〜って息を吹き込んだ。

もうね、そんな姿ですら幻想的だった。

ずっと料理を作っていてくれていたからだろうか。彼女の横顔は微かに紅潮していて、ほっぺには玉のような汗がキラキラと光り、雫となって伝っていく。

…いいなぁって思った。見た目の美しさだけじゃなくて、この懸命に料理を作ってくれるひたむきさが、温かい。この人といると何だか、心が落ち着く。まるで家族ができたように…。先ほどの村長との出来事を見るにつけ、彼女はやはり貴族のような高貴な出なのだろうけど、今の彼女は自分と視線を合わせてくれていて、すごく身近で親しみすら感じてしまう。


とはいえだ。


そんなお涙頂戴のような、ほんのりした心とは裏腹に、現実は残酷にリアルに飛び込んで来てしまう。

今までと違い、髪を後ろに束ねているので、サーシャの形のいい輪郭がくっきりと浮かびあがってしまっている。果てしなく…可愛い。ありえないほど…美しい。

…村長は、後はよろしくって言いながら、一人で帰ってしまった。ご飯は一緒に食べるとして…その後はどうなったのだろうか…ご飯を食べたらやはりサーシャは村長の家に行ってしまうのだろうか。それも何だが悲しい気がする…。


「ほら、アルバくんも一緒にふぅふぅしてくださいよ。」


やがて、サーシャが顔を膨らませながら、可愛い文句をぶつけてくる。

清廉で高貴なはずの彼女が、何かとってもはしゃいでいる…そう思えてならなかった。

彼女の楽しそうな横顔を眺めていると、思わず「アルバくんの所にお嫁に来たんです。」…って、彼女が「KINIKUNIYA」のレジで言った冗談を思い出してしまう…あれは、本当に冗談だったのだろうか。…って気になってしまった。もしかしたらほんの少しでも、そんな気があったりして…なんて事が頭を過ぎる。

だがそんな事を思う自分も、かなりはしゃいでいる…アルバは慌てて顔を引き締め直した。まぬけな顔をサーシャに晒すのだけはごめんだ。


キリリとして、再び彼女の横顔をチラッてみた。サーシャは変わらず懸命にふぅふぅしてくれている。

何だか…そんな彼女の自然な表情を見ていると、もう難しい事を考えるのがバカバカしく思えてきてしまっていた。

( 今を楽しもう…。どうせ、今日だけなんだから! )

彼は竹筒を口につけ元気を取り戻したように、笑みを浮かべながらふぅふぅし始めたのだった。


それから暫くして、アルバ待望のお料理がついに完成した。その瞬間、二人を目を合わせて共に笑うと、大きく手を叩きあって、完成を祝ったものだ。




小さな小さなお部屋の、さらにその半分ほどのスペースに置かれた、一つの丸テーブルと2つの丸椅子。

サーシャは所狭しと料理が並べられたその丸テーブルでアルバと向かい合うように座ると、ゆっくりとテーブルに肘をつけ、両手の指を交互に組み、顔をそっと下げた。

それは、教団の代表的な祈りだ。主に食事をとるときに行う。

アルバも見よう見まねで、彼女と動きを揃える。サーシャが執り行ったそれは、彼が教会で習ったものと少々異なっていて、複雑だ。

彼女が口にした祈りの言葉など、聞いた事もない未知の言語だった。チンプンカンプンだったが、とにかく彼女の真似をして乗り切る…。


「さぁ、食べましょう。お腹…空きましたね。」


やがてサーシャは、一通り祈りを終えると、顔を擡げてアルバに大きな笑顔を見せた。当然、アルバも破顔する。彼はまだ16歳。半分は子供だ。


「こんなに沢山あると、どれから手をつけて良いのか悩みます。」


「ふふっ。まずは、スープです。体、温まりますよ。」


彼女はそういうと、テーブルの中央に置かれた鍋から丁寧におたまでスープをよそう。ふわぁって湯気が立ち上ったそのスープは、少し赤みをおびた黄金色で、まるで宝石のように透き通っていて、シンプルで美しかった。


「このような美味しそうなスープ、初めて見ました。サーシャさんの故郷のスープなんですか?」


「はい。故郷の伝統的なスープなんです。」


サーシャはそう言って、掬ったスープの中にジャガイモを一つだけ入れると、アルバにゆっくりと差し出した。


「ありがとうございます。」


アルバは小さく頭を下げて、両手でそのスープを受け取る。白い平らな陶器の中で、美味しそうな匂いをあげるそのスープは、意外にもサラサラで美しい油の膜が浮かんでいた。…めちゃくちゃ、うまそうだ。


「いただきます。」


アルバは、テーブルに置いてあったスプーンを使わず、そのままスープ皿に口をつけた。と、ともに目を大きく見開いてしまう。

( お、美味しい!!! ) って、頭と舌が同時に叫んだ。いやはや、自分なんて碌な料理を食べたことないっていうのは事実なんだけど、これはそれを超越していてありえないほど美味い。深い味わいにしみじみと滲み出るような旨味は、後味も抜群だった。


「美味しいですか?」


やがて夢中になり、たちまちそのスープを飲み干した自分に、サーシャは身を乗り出して尋ねてきた。…なぜだか、表情がとっても不安そうだ。


「美味しいなんてもんじゃない!こんな美味しい食べ物、初めて口にしました!」


アルバはもう子供の様に破顔して、皿を持ちながら思わず立ち上がったものだ。

するとサーシャは、「良かった…。」と漏らしながら、胸の前で祈る様に手を組むと、顔を傾げ嬉しそうに目を細めた。体いっぱい使って褒めたはずなのに、何だかその時の彼女の表情が、あまりにも切なそうで、悲しげで…アルバは立ったまま目を丸くして彼女を心配そうに見下ろす。

…どうしてなんだろう、喜び方が足らなかったのだろうか…アルバはふとそんな事まで心配までしてしまった。


「サーシャさん…?」


顔を傾げながら彼女の名を呼んでみたが、彼女はそのことを覆い隠す様に大きな笑みを浮かべると、手を掲げてアルバに料理を勧めた。


「ふふっ。お気に召していただけて何よりです。さぁさぁ、沢山食べてくださいね。」


もうね、謎だらけのミステリアスな彼女に、聞きたいことは山ほどあったのだけど、やはり人間は欲には勝てない。アルバは、うまそうなサーシャの手料理に目移りしながら、パンを片手に次々と手をつけ始める。

待ちに待ったサーシャの手料理は、一口のサイズがちょうどいい大きさに作られていて、まるでアルバが口いっぱいに頬張る事まで最初から分かっているようだった…。


10分ほどだろうか。アルバはたくさんある料理のほとんどをあっという間に平らげてしまった。


何しろ彼女の作った料理は、予想どおりどれもこれも素晴らしい味だったからだ。

とうのサーシャは、スープに少しだけ口をつけたがその他のお料理には手をつけなかった。肩肘をつきながら、アルバが美味しそうに食べる様子をニコニコ眺めていて、たまに「美味しいですか?」って、嬉しそうに尋ねてくる。


「サーシャさんは食べないの?」


「ふふっ。もう少ししたら、いただきます。」


彼女はそう言って、ポットからお茶を注ぐ。…実は、先ほどから気になっていたのだけど、竃が一つしかないというのにどの料理も温かい…。これだけ美味しく手の込んだ料理だ。普通ならいくつも冷めている料理があっていいはずなのに、全てちょうどいい温かさというのは、どうにも不可思議だ。だいたい、今、用意しているお茶だって、まるで淹れたての様に湯気がたち昇っている。


本当にね…彼女も彼女の周りも謎だらけだ…。


アルバはちょっとお腹が落ち着き、箸を休めるとチラッとサーシャに目を向けた。いよいよ、彼女の謎と向き合う時がきたって、気合をいれる。

食事を終えれば、恐らく彼女は村長の家に行ってしまう。そうなれば、二度と会えないかもしれない。せっかく、こんな美人で優しい女性に巡り会えたのだ。聞けることは全部、聞いておきたい。

サーシャはアルバがフォークをテーブルに置くと、ようやく料理に手をつけだした。食べ方も仕草も本当に上品だ。だがその様子を見るにつけ、彼女はアルバが食事に満足するまで待っていた様にも思える。どんだけ、気が使い優しいのかとむしろ困惑するほどだ。


「サーシャさん、聞いてもいいですか?」


アルバは遠慮気味にそう尋ねた。彼女は、プチトマトを口に入れながら小さく頷く。


「サーシャさんて…どこかのお姫様かなんかですか?」


それは最初から気になっていた事だが、ようやく聞けた。まぁ誰もがそう連想するって思うのだが、ただ、彼女はゆっくり首を振って、すぐに否定した。


「いえいえ。私は、ただの教会の娘ですよ。お姫様だなんて…とんでもありません。」


「教会の娘さん…ですか。」


アルバは唇に手をあてて、少し考え込む。

確かに彼女は、教団のマークが刺繍された白いローブを羽織っている。

…しかし、どうにも気になる事がある。この村にも教会があり、ロアンという神父がいるが、彼は全然金持ちじゃないし、むしろみんなに食料や衣服を分け与えすぎて貧乏だ。

それに彼女が羽織っているローブの色…。普通の修道士さんが羽織っている灰色ではなく、彼女のは純白だ。アルバは教団の理に詳しくないので何とも言えないが、イメージとしては、灰色より白い方が偉い気がする。

するってーと、彼女は教団のお偉いさんの娘さんだろうか。

世界には大きな教会がいくつもある。有名なルンの修道院だってかなり大きい。例えば、彼女があんな大きな教会の神父さんの娘なら、確かにお金持ちなんて事があり得るかもしれない…。若干、半信半疑だがここは信じることにした。どんどん進まないと時間がなくなってしまうから。

すると、次はその教団つながりでつい先ほどのことが頭に浮かぶ。


「うちの村長…カナイ村長とは、知り合いなのですか?」


「はい。彼は昔、私の護衛をしてくれていましたので。」


…出ましたね、護衛。一般市民には全く関係のない護衛。金持ちで権力を持っている人間にしか用のない護衛。


「するとカナイ村長は、その昔、修道兵だったのですか?」


教会や神父さんを守るのは、修道兵と相場が決まっている。彼らは、普段は普通の修道士と変わらないが、戦いになると槍を持ち勇敢に戦う。

だがその問いに対して、サーシャは顔を傾げ、「ん?」って表情を浮かべると、やがて苦笑いを浮かべながら小さく頷いた。…怪しい。目が少し、泳いでいるし…これはどうやら、嘘のようだ。


「…カナイ村長がこの村に来るまでどこにいたか…実は誰も知らないのです。サーシャさんの所にいたのですね。」


…カマをかけてみた。果たして彼女は、話の流れで自分の出身地の事を話すのだろうか。


「はい。私が小さい頃は、本当にお世話になっていたんです。」


「へぇ…。」


やっぱり…言わないか。と、なると、そこに大きな秘密がありそうだ。

アルバはそんな風に訝しんで頷いたが、ここである事にようやく気付く。

えっと…自分は別にサーシャの事を詮索したい訳ではないって。諜報部員じゃないんだから。ツーか、報告する人もいないし!それに、これでは尋問みたいだ。下手をすると彼女に嫌われてしまう…。

そんな事を考えていると、急にサーシャが顔を突き出して話しかけてきた。


「あの…アルバくん。」


「は、はい?」


「この村には、とても立派な温泉があると伺いました。」


…恐らく、カナイ村長から聞いたのだろう。


「はい、あります。」


アルバがそう答えると、サーシャは肩を竦め少しだけ前のめりになった。


「食事が終わったら、一緒に連れて行ってくださいませんか?」


「い、一緒にですか?」


「場所もわかりませんし、一人で入るのは怖いんです。ほら、先ほど盗賊さんたちに襲われたばかりですし…。ダメですか?」


まるで甘えるようにそう言ってくるサーシャに、アルバは目を丸くした。そして美味しいご飯と謎の究明の為に忘れかけていた彼女の超がつく可愛いオーラを思い出し、顔を赤く染める。

それに今までは、机の中央に置かれたスープ鍋とその湯気で、よく顔が見えなかったしね…。やがてサーシャがそのスープ鍋を土間に戻すと、再び彼女のそれはそれはお美しいお顔がはっきりと見えてくる。


「案内するだけなら…。」


アルバはしどろもどろにそう答えるしかなかった。

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