サーシャに跪く男
ワラミ村の村長は、カナイといった。
おん年70になる爺様で、いたって温和で表情も穏やか。
少しだけ腰の曲がった小さい体と渋い辛子色の羽織も相まって、とてもいい味を出している好々爺だ。面倒見が良くって村人からの信頼も厚く、子供達にも「じいじい」と呼ばれ愛されていたりする。
むしろちょっとした人気者レベルの老村長さんなんだけど、この村の中でアルバだけは、彼を見る目が少々異なっている。
いい人…って評価は変わらないのだけど、彼は自分だけに…稀だが、とっても怖い顔を見せるのだ。
特に木刀を使った護身術を教えてくれる時など、温和な垂れ目が時に怪しく光り、声に張りが出たりもする。しかもこの爺様、中々お強い。
若干、栄養失調気味であるとはいえ、アルバは16歳。体力だって反射神経だって、70の爺様に遅れとるなんて、普通ありえない。だけれども、自分がムキになってどんだけ木刀を振り回してもかすりもしない。そればかりか、「投了じゃ。」なんて静かに言いながら、アルバの頭を木刀でゴツンとしてくる。
この爺様…絶対只者じゃない…彼は昔からそう思っていて、心の奥底でカナイの事を言い意味でいえば畏怖、悪くいえばとっても恐れていたのだ。
「夜分遅くにすいません。アルバですー!」
アルバは教会の横にある大きな一軒家の庭先で、そう叫んだ。
勿論そのお家はカナイ村長のご自宅だ。村長といえど自給自足は皆と同じ。庭には畑が作られ、建物の横には食料用の鶏が飼われている小屋、さらにその奥には乳牛なんてのもいる…そう、様々な生きる糧で埋まっているのだ。
とはいえ、されど村長。なっている野菜も果物も立派で大きい。万年腹ペコのアルバにしてみれば、羨ましい限りだ。
( 野菜がいっぱいなっているなぁ… )
アルバは、庭先にあった牛蒡や小松菜を羨ましそうに見つめながら、ゴクリと唾を飲み込む。とっとと蒔を抱えてサーシャの元に帰りたい…そうすれば彼女が作った美味しい料理が食べられる…。しかもだ。出迎えてくれるのは、あのお姫様みたいな超可愛いサーシャさんだ…そんな事を思って顔をほのぼのさせていると、目の前の大きな木の扉がゆっくり開いた。
「誰じゃ、騒々しい!」
やがてそんな悪態をつきながら、白髪で長いアゴ髭がとっても似合っているカナイ村長が、ランプを片手に腰を曲げながらノソノソと姿を見せた。
「こんばんは、村長さん!」
「おお、アルバではないか。こんな時間に如何した?」
ランプを掲げ自分の顔を確認した村長は、微かに笑みを浮かべた。
だけど少ししゃがれた声の彼は、何やら眠そうだった。うたた寝でもしていたのだろうか。
「すいません。実は…蒔を分けていただきたいのですが…。」
「ほう、お主がモノを請うなど珍しいの。構わんが…なんぞ、あったかの?」
「実はですね…。」
アルバは、これまでの経緯を丁寧に村長に説明する。山で見事な石を見つけ、それが高額で売れたこと。そしてその買ってくれた客が、どうしても鉱山を見たいというのでここまで連れてきたこと。そしてそのお客を、今日だけ家に泊める事になったこと…。
村長はいつもの温和な顔でそれを静かに聞いていたが、やがて「ふむ。」と漏らしながら、腕を組んだ。
「して、そのお客とは、どのような、お人なのじゃ?」
「えっ?どうと言われてもなぁ…。」
アルバは惚けるように頭を掻いた。何せアルバは未成年…それが世にも美しい若い娘なんて知れたら、泊めるのを反対されると思ったからだ。だがはっきり言わない自分を不審に思ったのか、カナイは諭すように自分に優しく語りかけてきた。
「これこれ、アルバよ。儂はここの村長じゃ。お主の事は信用しておるが、どのような人間が村に入ってきたかは把握せんといかんでの。」
…それはごもっともなご意見だ。アルバは仕方なく、全てを話すことにした。
「はぁ…。実は、女性なんです。」
「ほぉ、女ときたか。幾つくらいじゃ?」
「…20歳って、言ってました。」
なんともバツが悪そうに答える。と、カナイは一度目を丸くしたが、やがてほっほっほっと老人にしては、やけに豪快な笑いを見せた。
「アルバもやるのぉ!若い娘を家に連れ込んだときたか!」
「そ、そんなんじゃありません!」
アルバが顔を赤らめながら両手を小さく振った。するとカナイは再び豪快に笑う。ここまで笑われるなんて…よほど自分には女っ気が無いだろうかと、若干アルバは悲しい気持ちになってしまったものだ。
だが、村長はそんな自分を見るとようやく笑うのやめ、一度ゴホンって咳払いをしてからゆっくり目を向けてきた。そしてアルバの両肩をそっと掴むと、こちらの顔を憂いのある目で覗き込んでくる。
「じゃが、お主はまだ若い。気持ちは分かるが…女は、ちと早い。その彼女がどうしても村に泊まりたいと言いなさるなら、儂の家に連れてくるのじゃ。」
…そう話すカナイの顔は、護身術を教えてくれている時と同じ、鋭い目つきだった。温和な声色は変わらなかったが、それが冗談ではなく本気で言ってくれている事だと分かるというものだ。
…まぁ、確かに村長の言っている事は正しい。そもそも、あんな美しい女性を兎小屋みたいな自分の家に泊めるのは抵抗があったし、村長のお家なら広くて部屋数も多いし、何より安心だ。
アルバは一度、残念なような、ちょっとホッとしたような複雑な表情を浮かべたが、やがてゆっくりと頷いた。それが一番最適なことのように思えたからだ。
すると村長もゆっくりと表情を崩し、にっこりと微笑む。まさに好々爺の顔だ。
「うんうん、アルバはいい子じゃ。なぁに、お主はいずれ、いい男になる。覚えておけ、今にのぉ、絶世の美女がお前を追いかけ回しに来よるぞ。…それは儂が保証する。それまでの辛抱じゃ。」
カナイは、何の根拠もない意味不明な言葉をアルバに言うと、ノソノソと玄関まで出てきた。そして「その娘さんのとこに案内せい。」と小さく呟くと、ゆっくりと彼の家へと足を向けたのだった。
村の冬は寒い。
カナイは何重にも服を重ねていたが、アルバは相変わらずぺらぺらの麻の服一枚。そもそも彼は村長の家で蒔を貰ってから、走って帰ろうと思っていたので、この爺様に合わせてゆっくりと歩いて帰るのは、寒さと言う点では中々に辛かった。
だがカナイは、サーシャに料理を作ってもらう所までは許可してくれたので、アルバの機嫌は上々だ。自然と笑みもこぼれる。
「で、どのような女なのじゃ。可愛いのか?」
ご機嫌な自分に村長はニヤニヤしながら尋ねてきた。
カナイは高齢ながら足腰が丈夫で、見えにくい夜の道でもしっかりした足取りで進む…体が若ければ、気も若いと言うことか…。アルバは蒔を脇に抱え、そんな彼から視線を外すと、夜空を見上げ嬉しそうに答えた。
「うん。とっても綺麗な人です。」
「ほほほっ。お主のような年頃の男には、どんな女も綺麗に見えるものじゃ。」」
「いえいえ。本当に驚くほど綺麗です。」
「綺麗、綺麗と言うばかりじゃ、わからんわい。」
カナイは苦笑いを浮かべて、首を振った。アルバは、顔を赤らめながらちょっと自慢げに、そして最大限の賛辞を込めて彼女の事を話した。
「まぁ…会えば分かるんですけど…髪が金色で肌が雪のように白いんです。目もとっても大きくて…何よりすごく優しくて、心も綺麗な女性なんです。」
「な、なんと…黄金色の髪をしておるのか?」
村長は驚いて、大きな声をあげた。いい歳して、パッキン好きなんだろうか…アルバは思わず苦笑してしまう。
「うん。教団の人らしいんだけど…彼女は見慣れない白いローブを着てて…ほら、普通の修道士さんたちは、グレーローブでしょ?」
「な、なんと!?」
カナイは、先ほどよりも更に大きな声でそう叫ぶと、いきなり足を止めた。
アルバが不思議そうに彼に目を向けると、いつも落ち着き払っているはずの村長さんが明らかに動揺している…。
小さい体がワナワナ震え、心なしか目まで血走っているように見えた。うんうん、間違いなく驚愕している…。
「ど、どうしたの?」
アルバが目を丸して尋ねると、村長は息を整えながらゆっくりとこちらに顔を向けた。
「どうしたも、こうしたもあるものか!急ぐぞ、アルバ!」
彼はそう言うと、いきなり細いあぜ道をスタスタと走り出した。いやはや、その様子は老人とは思えないほど素早くて、中々にバランスもいい。
( どういうこと? )
呆気にとられてカナイの背中をぼうっと眺めていたアルバだったが、やがて首を傾げながらその老村長の後を追う。( 最初からこうやって走ってくれれば、暖かかったのに…。 )なんて苦笑いを浮かべながら。
アルバがカナイと共に長屋の端にある小さい小さい自宅の近くに来ると、ちょうどサーシャが玄関で首を長くして待っていた。いつまでたっても蒔が来ないので痺れを切らしたのだろうか…。
「アルバくん、お帰りなさい。」
だが彼女はアルバを見つけると、遠くから笑顔で小さく手を振ってくれた。…怒ってはないようだ。少しホッとしながらアルバも彼女の真似をするように、左手を掲げ小さく手を振った。
月夜に照らされた彼女の美しいお姿に、何やら緊張してしまって動きが固くなってしまったが。
「や、やはり…。」
するとカナイ村長が、彼女を目にした途端そんな言葉を漏らすと、何やら慌てた様子で走り寄っていく…。なんだが、さっきよりも動きが素早い。どうにも走り方が老人ぽくない。
その様子に( どんだけ年老いても美女には弱いのね…。 )って、アルバは少々呆れたのだが、やがてとんでもない光景が目に飛び込んできた。
カナイはサーシャの前まで行くと、なんと、いきなりその場で跪いてしまったのだ。
( へっ? ) アルバはその様子に変な声を漏らす。何か…近くに行ってはいけない気がして、その場で足を止めて様子を伺うことにした。
「まぁ!カナイではありませんか。お久しぶりですね。」
やがてサーシャの驚いた声が辺りに響く。カナイも何事か彼女と話をしているようだったが、残念ながらボソボソと話す彼の声までは聞こえなかった。ただ、片膝を地につけ、胸に腕を掲げているその姿勢は、まるで王女に忠誠を誓う騎士のようだったが。
( いったい…これは…。 )
アルバは、月夜に照らされながら、ポツンとその様子を遠くから眺める事しかできなかった。