プロローグ
この世界には、500年以上前の記憶がなかった。
それ以前にいったい何があったのか…。それを知る術は、一般の民にはなかったのだ。
世界中の歴史学者や探検家が探求しその真実をつかもうと世界中を巡っても、必ず結論まで行き着かない。ある者は財を使い果たし、ある者は気が狂い、ある者は命を失った。まるで呪いのように、何者かが500年以上前の世界の姿を漆黒のカーテンが覆い隠しているようだった。
ただ普通の民にはそれはそれほど重要なことではない。
普通に畑を耕し麦を育て生計を立てる者、技を身につけ様々なモノを作る者、そしてそれらを売る人々。国や街の存続が発展をかけて戦に出る者…日々を懸命に生きる民には確かに歴史はそれほど重要であろうはずもない。
ちなみに普通の民が触れることのできる一番古い文献は、教会にある。
そう、世界中どんな小さな村にも必ずある教会だ。
そしてその文献は、どんな教会にでも必ずある 女神像 と呼ばれる白石で削られた教団のシンボル的な像の下に必ず彫られている。
『500年前、この世界は一度…死んだ。
生き残った人間は、神から与えられたという13個の珠をそれぞれが持ち、世界に散っていった。その珠は、小さな小さなシロモノだったが、それぞれに色が違い、それぞれに役割があり、すべてに不思議なチカラが宿っていた。
世界に散っていた人々は、残された大地にその珠を神から授かった者を「王」として13つの国を創った。やがて珠を持つ王に導かれた人々は復活し、田畑を耕し、街をつくり、文化を生み出し本物の「国」が作り出された。』
それを信じるか信じないかは、民のそれぞれの意思で決まる。
余談だがその文字を刻んだ張本人である教団は、その事には一切口を噤んでいる。
ちなみに13つの国というのは、現在の国の数と同じだった。
だった…と過去形で言ったのは、その内の一つの国が50年ほど前に滅んでしまったからだ。その国の名は「ザグレア」というチョコレートと生クリームを連想させる若干甘そうな名前であったが、別に他国に攻められたとかクーデターが起こったわけでもない。
ーーーある日、すべての王族と国を動かしていた高官たちが一斉に姿を消してしまったのだ。
当時は様々な憶測が乱れとび、神隠しとまで噂され、それならばと教団の仕業かと疑うものもいた。教団は貧困に喘ぐ民の最後の砦ではあるが、それこそ世界中に根を張り巡らせていて、世界を真に牛耳っているのは実は教団ではないかと噂する者さえもいる。なにせ、この世界では宗教なるものが教団しかない。その為、教団に直接仕える修道士の数は1,000万人に及び、普通の民とて9割以上が信者だと言われている。
話が逸れたが、その50年ほど前に滅んだ「ザグレア」は、その後どうなったのか。
王を失い迷走するかに思われたが、意外にも国内にあったそれぞれの街が独立して自治を始めた。国単位ではなく、小さな街単位になったことで、場所によっては思ったよりも早く立ち直ったという。
だが、それは500年という歴史が紡ぐ時代の中で、初めて世界に空白地帯ができたことを意味している。
この国を失ったザグレア地方は、豊かな天の恩恵を受けている大地だ。
その為かこの豊かで大きな大地の空白地帯には、様々な思惑と憶測がなだれ込んでしまうのは仕方のないことかもしれない。
そしてこの思惑溢れる空白の大地に、様々な人物が訪れる事になる。まさに、何かに吸い寄せられるように…しかも、同時期に…。
一人は、子供のように背の小さな女だった。槍の名手として名高い彼女は、知り合いの病気を治せる 最高位の司祭 と呼ばれる人物を探し求めてこの地にやってきた。
一人は、赤い髪の美しい女だった。色素の薄い鶯色の目をもつ彼女は戦術・戦略の専門家で、フィルファという軍事大国の組織に属していて、とある人物の情報収集のためにここを訪れる事になる。
そしてもう一人は、黄金色の髪を持つこの世のものとは思えないほどの美しい女だった。常人なら一目見ただけで心を揺さぶられ、声を聞いただけで恋に落ち、少しの時間を共にしただけで取り込まれてしまう…人によっては女神、ある人にとっては魔性の女だと呼ぶものもいる。
世界で一番金持ちで、世界で一番身分が高く、世界で一番美しい女。彼女の前では王ですら跪く。
ただ、そんな彼女がここを訪れた目的は、誰にも分からなかったのだが…。