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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
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其の漆 : 【女神 ②】

「なぁ、沖野。もう一戦やろう。今度は石の色を逆にして」

「物好きだな。こんな子どもみたいなゲームに熱くなって」

 呆れつつ、沖野はまんざらでもない様子で、手早く中央に石を並べた。

 今度は秋尋の黒石が先手だ。

「そういえば、瀧本がいまどうしているか、知っているか?」

 ぱちん、と勢いよく最初の手を打つ。

「いや。此処に来てからは、一度も現世には戻ってないよ」

 ぱちん。

「瀧本、英徳高校を受験したんだ」

 ぱちん。

「――英徳を?」

「あぁ。俺は会ってないけど、入試のとき、同じ教室で受けた奴がいて、教えてくれた。おまえの一件のあと、ほかの中学に転校したのに、わざわざ戻ってきたみたいなんだ」

 すぐさま次の手を打つと思えた沖野の手が、石を持ったまま固まる。

「どうした? おまえの番だぞ」

「……試験の結果は?」

 沖野の手はまだ動かない。

「瀧本のか? いや、俺はわからない。受験番号も知らないし」

「そうか」

 ぱちん。ようやく沖野の手が動く。

「瀧本が受験していると聞いて、青衣は会いに行ったんだ。あとで何を話したのかと訊いてみたけど、大した話じゃない、と答えないんだ。おまえは、どう思う」

 ぱちん。

「……たぶん、あの莫迦は、へらへら笑いながら、志望動機を話したんじゃないか?」

 莫迦、と云ったのは、瀧本のことだろう。

 沖野の口許はかすかに、笑んでいる。

「英徳に入るのは、オレとの、昔からの約束だったってさ。あいつは頭も心も莫迦だから、オレが思いつきで云った言葉を真に受けて、死に物狂いで勉強したんだろう」

 ぱちん。

 沖野の辛辣な口振りは、愛情の裏返しだ。トトキは似ている。親しい相手のことを、わざわざ口悪く云うところがそっくりだ。

「あいつは本当に救いようのない莫迦なんだ。小学生のころも、オレが云うことにはなんでも従って、イヤな顔ひとつしない。掃除当番を押しつけても、消しゴムのカスなんかを投げつけても、帰りの荷物持ちをさせても、へらへらしている。だから余計に構いたくなった」

 オセロの次の手は秋尋だったが、石を握ったまま盤上の一点を見つめていた。考える振りをしながら、沖野の言葉を待っていたのだ。

「中学へ入ったとき、本当はこれまでの悪ふざけを謝罪して、真っ当な友情関係を築きたかったさ。だけど、人見知りしないあいつの周りに、ひとりふたりと友人が増えていくのを見て……」

 沖野は、あぁ、と息を吐いた。大きく大きく、息を吐いた。

「オレは淋しかったんだな。ほんの数週間前までとなりにいた将太が、急に遠くに感じてしまって。一方のオレは、小学校のころの悪評もあって、ガラの悪い同級生たちとしか、つながれなかった。それもひどく浅い、もろい友情でさ。そんな奴らと考えたのが、いじめごっこだ。将太をいじめる側の悪役に仕立てて、教師や親に怒られるのを見物しようっていう、サイテーな遊び。将太はなにも云わないだろうからさ。唯一の誤算だったのは、その遊びに大崎を巻き込んだことだ」

 急に青衣の名が出て、秋尋は、石を盤上にぽろりと落とした。磁石が入っている石は、空欄のひとつにばちんと吸いつく。どう考えても悪手だった。

「なぁ、青衣に、兄がいたって話だけど。いつ、青衣から聞いたんだ?」

 次は自分の番、とばかりに、沖野は石を手にとる。

「むかし。本人は憶えていないだろうな。オレも中学に入るまでは忘れていたし」

「……その回りくどい説明、いい加減やめてくれないか?」

 本調子に戻ったみたいだな、と沖野は笑い、椅子の背もたれに背中を押し付けた。

「オレの家、此処みたいな小さい文具店なんだよ。ガキのころから、店の手伝いをしていて。そこに、あいつがやってきた。たった一度だけ。雪がちらつく、寒い日だった。両親は近所の寄合に出掛けていて、オレひとりで店の留守番をしていたんだ。そこに、大崎が入ってきた。全身びしょ濡れで、しかもあちこち打撲やら出血している。普通の状態じゃなかった。そして、云ったんだ」

「なんて」

「『お兄ちゃんを殺した』ってな。聞き間違いだと思った。だけど何回聞き返しても、同じことを云うんだ」

「なんで青衣は、沖野の店に行ったんだろう」

「大崎が兄さんと一緒に流されたダムにいちばん近かったからじゃないか。オレもわけがわからなくて泣きたくなっていたとき、ちょうど両親が帰ってきたんだ。詳しく話を聞きだして、そのあとは大変だった。警察やら救急車やら、大騒動。大崎は、死んだような目をして、自分の左手をずっと押さえているんだ。その手で、流れていく兄の体を捕まえたのに、勢いに呑まれ、離してしまった。兄はそのまま流れていった。だから、兄を殺したのは自分だ、と頑固に言い張るんだ。しばらくあとになって、大崎の両親がウチに礼をしに来た。そのとき聞いたんだ。たしかにその日、大崎の兄が川に流されて溺死したって」

 つねに傍らにあった存在がいなくなる。

 ぽつんと、空白ができる。

 幼かった青衣に、その衝撃は、あまりにも大きかったのではないか。

「中学で再会してから、青衣にその話をしたのか?」

「ある。……ちょっと、悪いタイミングで」

「どんな?」

 沖野は気まずそうに顔を背け、ぽつりと、云った。

「臨海学校の、夜」

 臨海学校の夜と云ったら、沖野が自殺した原因となった出来事ではないか。

 心なしか前のめりになる秋尋の胸中を知ってか知らずか、沖野は言葉を続けた。

「将太を海岸に呼び出して、海に沈めたり、砂をかけたりしていたんだよ。そこへ、大崎が現れた。というより、ずっと前からいたんだ。オレたちが気付かなかっただけで。ふつう、気の弱い奴なら、教師を呼びに行くだろうし、無駄に正義感の強い奴なら、しゃしゃり出てきて、やめろよ、とか、つまらない台詞を吐くだろう。だけど大崎はどっちでもない。じっと見ているんだ。怖いくらい静かに。目も口も笑っていない。オレたちは、全体集会の壇上に立たされた気分だった。何百という目が、オレたちの一挙一動を見ているような。――汗が出てきた。怖くなってきた。ついに誰かが云ったんだ。なんで止めないんだ、なんで何も云わないんだ。そうしたら大崎は、愉しいんだろう、それなら続けていればいい、とひどく大人びた口調で返したんだ。半年前まで小学生だったオレたちの罪悪感と恐怖心を揺さぶるには、それだけで十分だった」

 沖野は体をぶるりと震わせた。喉の乾きを潤すように、唾を飲み込む。

「オレは、無性に悔しくてさ。あの瞬間の心のドロドロ感、なにに喩えたらいいんだろう。ぱちん、と自分の中でなにかが弾けた。その瞬間、むかし家にやってきた大崎のことを思い出したんだ」

「それで?」

「オレは叫んでた。おまえだって、兄を殺したんじゃないかってな」

 青衣は、すこし驚いた顔をしたあと。

 悲しそうな顔をしたらしい。

 なにも云わずに。

「こっちは反論されると思っていたのにさ、そんな顔をされたもんだから。余計に悔しくなって、オレは、大崎をどうにかして貶めてやりたくて、遺書を書き、自殺……未遂をするつもりだったんだ。あんなに簡単に、意識がなくなるとは思いもしなかった。間抜けだろう。ちょっと驚かせてやるだけのつもりだったんだ、それだけだったんだ」

 笑っていたが、そうするより他にない、といった力のない笑いかただった。

 もう互いにオセロのことは忘れている。

 だが、沖野が言葉を継ぐたびに、トタン屋根が、雨音を受け止めて、とん、とん、と鳴る。まるで、雨たちがオセロゲームに興じているようだ。

 雨音は間断なく響き、一体いくつ、石が置かれたのか、もはや数えようがなかった。

「さっきの話だけど。将太はきっと合格しているよ。たぶん、間違いない」

「どうして断言できる?」

「そうでなければ、あんな夢を、送ってこないだろう」

 沖野は硝子戸の向こうを指し示した。

「何も無いぞ」

「よく見ろ。橋がかかっている」

 目を凝らすと、さめざめとした霧雨のなかに、虹が架かっていた。

 その向こう側には。

「花びら……?」

 秋尋は目をこする。

 雨音はやまない。降り注ぐ雨粒にまじって、ふわりふわりと、薄紅色の花びらが舞っている。瞬きをしている間に、雨はいつの間にか花びらに成り代わっていた。

 満開の桜の花びら。英徳高校の校門。そのほど近くに、紺色のブレザーを着込んだ大柄な少年が立っている。瀧本だ。

「少し前までは、合格発表の掲示板の前で、自分の番号を見つけられずに焦っている悪夢しか見ていなかったんだ。だけどいまは、あんなふうに、満開の桜が咲いている。合格した証拠だろう」

 桜を見上げながらも、瀧本は淋しそうに肩を落としている。

 この桜を誰かと見る約束をしていたのだろう。ここに来るはずだった誰かを想っているのだろう。

「瀧本が待っているのって」

 云い差した秋尋は、居たたまれない様子の沖野の顔に、唇をつぐんだ。

「あんなに傷つけたオレを、あんな顔して、待ってるんだ。ほんと、莫迦だろう」

 力なく笑う沖野。

「――行ってやれよ」

「行けないんだ。動けないんだ」

 沖野の声は、震える。だん、と床を蹴った。

 秋尋はそこに、縒り合わせた糸のようなものを見つけた。糸は、沖野の首に食い込んでいる。先端を辿ると、店の奥にいる老婆のもとに続いていた。

 だが、それは既に老婆ではなかった。

 老婆の姿形をした、地蔵だ。それが、沖野の首に食い込んだ糸を踏みつけている。

「オレ、死後、しばらく現世に残っていたと云っただろう。将太に取り憑いていたんだ。毎晩夢に立って、一緒に行こう、ひとりは淋しいと誘った。さすがの将太もノイローゼ気味になって、一度は高架橋から飛び降り自殺しようとした。やった、と思ったよ。だけどそこへ運よく大崎が通りかかり、我に返った将太は生き延びたんだ。転校する前に、一度だけと云って学校に登校した将太を、大崎は殴っただろう。そのとき、オレは将太から剥がされたんだ。どうやら大崎には、霊的なものを祓う力があるらしい」

「そうだったのか」

「祓われたオレは、生きている人間を取り殺そうとした罰として、死後の裁判を受ける権利さえ与えられずに、赦しが出るまで、こうして縛りつけられることになったんだ」

 沖野は疲れたように笑って、首に巻きついた糸を引っ張った。

「オレは弱虫だった。将太が他の友達を作って、自分ひとりになるのが怖くて、いじめというつながりを使って、将太を束縛した。しまいには、道連れにしようとしたんだ。大崎が止めてくれて良かった。オレはオレが間違っていたと気付くことができた。感謝してる」

 いつの間にか雨はあがり、満開の桜の下にいた瀧本の姿も、霧が晴れるように消えうせていた。

 沖野は晴れ晴れとした顔で、秋尋に笑いかけた。

「生き返る術について、オレはなにも手助けしてやれない。ただ、女神への交渉しだいでは、どうにかなるかもしれない。もしおまえが生き返ったらさ、将太に伝えてくれよ。合格おめでとう、ってさ」

 生死を越えてさえも想いあう、そういう「つながり」もある。

「ああ、約束するよ」

 秋尋は頷いて立ち上がった。

「このオセロの勝負は、また次の機会にしような」

「気長に待ってるよ」

 秋尋は店を出て歩き出す。その足取りは軽かった。

 動かなければ、なにも始まらない。

 たとえ、残り少ない時間だとしても。

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