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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
23/31

其の陸 : 【変わらないもの ②】

 秋尋の通夜がはじまる時間に、家を抜け出した。両親には、通夜に行くと云ったが、秋尋の家とは反対の方向に足を向けた。

 墨をこぼしたような空が広がっている。棚引く雲も、満月を受けてきらきらと輝いて見える。

 秋尋なら、なんと云うだろう? また、英単語の数を引き合いに出すかな。

 星もきれいだ。オリオン座がはっきりとわかる。双子座も見える。カストルとポルックスという双子の兄弟だ。

 双子の兄の青太を亡くしたのも、こんな寒い日だった。

 あれは、小学校にあがる少し前のことだ。

 数十年に一度のなんとかという流星群が見えるのだと、見晴らしの良い場所を探して、おれはひとり、夕暮れ時に宇津川の下流にあるダムに向かった。

 案の定、青太が探しにやってきた。常に大人の顔色を窺う真面目な青太は、家を抜け出してきたことを口うるさく云っていたが、最後には諦めたらしい。

 だれも来ない河原の特等席に陣取って、並んで空を見上げた。

 きれいな夕暮れだった。

 冷たい空気を吸い込み、白く濁った息を吐き出し、それが立ち消える空を、寝そべって眺めていた。

 空はただただきれいで。

 時折気まぐれに流れる流れ星に、いちいち歓声を上げた。

 幸せだった。

 だけれど突然の雪解け水に、おれたちはいともあっさりと呑みこまれ。

 そして。

 気がつくと、青太がいなくなっていた。

 その日から、セカイは変わった。

 悪戯好きのおれに厳しかった大人たちは、不気味なほど、優しくなった。

『まぁアオイくん。どうしたの、どこへいくの、お菓子あげようか?』

 どこにいてもなにをしていても、大人たちは仮面のようにおんなじ顔で、笑いかけてくれるようになった。

 怖かった。

 子どもたちは、近寄らなくなった。

『あいつ、兄ちゃんいなくなったカワイソウな奴なんだ。なにかあったら親たちに怒られる。だから一緒には遊ばない』

 ケンカする友だちも、かけっこする友だちも、いなくなった。

 いなくなったのは兄ひとりだけのはずなのに、みんなみんな変わってしまった。

 だから、変わらないものが欲しかった。

 おれを、兄がいないカワイソウな青衣じゃなくて、ただの青衣として見てくれる人が欲しかった。

 だから、秋尋を選んだ。

 小学校で出会った、なにも知らない秋尋を選んだ。最初の動機からいえば、秋尋でなくても良かった。

 でも、いつの間にか、秋尋じゃなくちゃだめだと思うようになった。

 そういえば、「双子座」の存在をおれに教えてくれたのも、秋尋だった。

『おれたちってさ、似てるよな。気がつけばいつも一緒にいるし、一緒にいたずらしてるし、なんか、やることも云うことも似てて、双子みたいだな』

 何気なく秋尋がそう云ったとき、そうだ、と思った。

 一緒に遊ぶのも、

 かけっこするのも、

 悪いことするのも、

 叱られるのも、

 ケンカするのも、

 仲直りするのも、

 指きりするのも、

 ぜんぶ、秋尋だった。

 その秋尋がいないセカイなんて、存在しても意味がないものだ。

 同じくらいの明るさの星がふたつ並んでこその双子座だ。ひとつだけ残った星は、別の名前で呼ばれる、別の星座でしかない。



 雪が溶けてぬかるんだ階段を、一気に駆けあがった。太腿がじんじんと痛みを訴え、心臓がばくばくと鳴り、口は途切れることなく白い息を吐き出し続けた。

「こんばんは。青衣くん」

 社務所の前に、待ちわびたようにタヱさんが佇んでいた。その足元には、ぎっしりと絵馬が詰まった箱が置いてある。

「……タヱさん?」

「きっと来ると思っていたの。あなたが秋尋くんを諦めるはずはないってね。彼のことを諦めるくらいなら、この世界に見切りをつけるでしょう?」

 タヱさんの意図をはかりかね、おれは慎重に顔色を窺った。

「止めても、無駄ですよ。おれ、頑固ですから」

「知ってるわ。お父様の転勤の話が出たとき、ご家族と口論になったらしいじゃない? あなたは頑として引っ越しを受け入れなかった。だから、自分の覚悟を示すため、ご両親と賭けをした」

 タヱさんは無邪気に微笑むが、なにもかもお見通し、という様子だった。

「そうです。おれは、最後まで抵抗した。いつもは優しい両親なのに、鬼のように必死の形相でおれを説き伏せようとしました。おれのためになる、とも云いました。だけどおれは変わりたくなかった」

 変わりたくなかった。

 どこもいきたくなかった。なににもなりたくなかった。

 逃げたくなって、だれかに助けて欲しくて、兄が逝った死後の世界のことを考えるようになった。

「おれ、また、あっちに戻りたいんです。秋尋はおれを生き返らせてくれたけど、おれはそんなこと望んでいなかった。生きるべきはおれじゃなく、秋尋です」

 自分がどれだけ身勝手なのか、十分わかっている。

 わがままで、欲張りで、最低の人間だ。だから思うのだ。そんな人間が生きてていいはずがない、と。

 タヱさんはゆっくり歩み寄ると、皺だらけの手で、そっとおれの頭を撫でた。

「わたしは、生きて欲しい。あなたに、生き続けてほしい。これから先の未来を、その目で、しっかりと見て欲しい。あなたの幼なじみの女の子も、そう願っていた」

 タヱさんが視線を向ける先には、絵馬奉所がある。

 そこに並んだたくさんの絵馬。そのどれも、見覚えのある文字だった。

 

 ――返してください。

 ――お願いです。お願いです。どうか、ふたりを返してください。


 すべて、快癒祈願の絵馬だった。ざっと数えただけでも、軽く三十は超える。

 あの日、自分たちが飛び降りてから、一紗ちゃんはそうやって、神に呼びかけていたのだ。

 ずっと。

 ずっと。

 絵馬のひとつひとつを見ていると、一紗ちゃんの姿が目に浮かぶような気がした。

 涙をこらえ、一心に、絵馬を結ぶ姿が。

「ねぇ、これ、見て」

 たくさんの絵馬の中に、ひとつだけ、快癒祈願ではない一文があった。


 ――ふたりが、同じところで、笑っていますように。


 自分のところに戻ってきて、また三人で仲良く過ごしたい。そういう想いがある一方で、もしそれが叶わないのなら、とこう書いたのだろう。

 どんな想いで、どんな覚悟で、書いたのだろう。

 一紗ちゃんの心情を思うだけで、息苦しくなった。自分たちの安易な行動が、一紗に、そんな覚悟を強いたのだから。

 そして、いまも、おれは一紗ちゃんの気持ちを裏切ろうとしている。

「……タヱさん、おれは、どうしたらいいでしょう。どうやって、秋尋を取り戻したら、いいでしょう」

 おれのとなりで、タヱさんが笑った。

「大丈夫。もうすぐ、迎えが来るわ。あなたには辛いかもしれないけれど、それを乗り越えれば、きっと、願いは叶う」

 なにもかも見透かしたような言葉に、おれは苦笑いするしかない。

「いままで気付きませんでしたけど、タヱさん、あなた、黄泉ノ国の住民ですか? そうでなければ、妖怪としか思えない」

「残念ながら、人間よ。まぁ、長く生きすぎて妖怪じみているのは事実だけど」

 タヱさんは、足元に置いてあった絵馬のひとつを手に取った。

「叶うといいわね、あなたの願い。きっと届くわ、親友を取り戻したい、あなたの気持ち」

 タヱさんのやさしい言葉に、おれは、黙って頷いた。

 タヱさんが社務所に戻ったあと、おれは段ボール箱を抱えて、絵馬奉所の前で拝み女の絵馬をすくいあげた。


 ――返してください。

 ――どうか、おれの親友を返してください。

  

 続けてもうひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと、同じ文言が書かれた絵馬を、次々と結び付けていく。

 赤いマフラーの隙間から吐き出される息は、白く濁って空へと溶けていく。薄墨色の雲がかかり、星は見えなくなった。

 それでもおれは、絵馬の紐を結ぶ。

 じゅう、さんじゅう、ごじゅう、ななじゅうと。まだまだ、まだ足りない。かじかんでうまく動かない指がもどかしかった。

 自分の指に息を吐きかけたとき、これまで結んだ絵馬が、一斉に揺れ始めた。

「迎えに来たぞ」

 知らない声に驚いて、顔を上げる。すぐ近くに銀髪の男が立っていた。足音も聞こえなかった。

 朱い眼は血走り、頭部から突き出した二本の角は鋭い。

「あんた、黄泉ノ国の住民か?」

「シラヌイだ」

 覚えがある。夢の中で、すり硝子のように世界を見ていたときに接触した。

 ここにいるということは、つまり。

「秋尋に会わせてくれるのか? おれは、どうしたらいい?」

 シラヌイは面白がるようにおれの顔を眺めていた。

「おまえの夢の中に、秋尋を引きずり込めばいい。秋尋がおまえをそうしたように」

「……おれの、夢に?」

 命を落としたあと、おれは、秋尋の夢の中に入り込んだ。

 正確に云えば、吸い寄せられたのだ。秋尋の願いに呼応して。だけど、秋尋の強い力で生まれた高校入試の夢は、変わりたくないと願うおれにとっては、居心地の良い場所だったことは間違いない。

 今度はその逆をすると云う。

「うまくいけば、向こうにいる秋尋を夢の中に引っ張り込める。死に別れるより、よっぽどマシだと思わないか?」

 夢と黄泉ノ国はとても性質が似ている。黄泉ノ国にもっとも近付く方法といっていいだろう。

 ただし、問題がある。

「おまえ、とびっきりの悪夢をひとつ、もっているな。それを使う。ふつうの夢じゃあ、すぐに消えてしまう」

 おれの、悪夢。

 それは。兄が死んだときの。

「おれが力を足して悪夢を大きくする。ただし、その分、おまえにはきついかもしれない。もし呑まれてしまえば、永遠に抜け出せないかもしれない。それでもいいか?」

 おれは。

 おれの答えは。決まっている。ずっと前から。

「覚悟は決まったみたいだな」

 シラヌイは、にっと笑うと、懐から手鏡を取り出した。

「見せてもらうぜ、おまえの、悪夢」

 鏡が光を放ち、おれの意識を包み込んだ。

 あの日の悪夢が、始まる。

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