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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
20/31

其の伍 : 【殺意 ②】

「思い出したみたいだな」

 シラヌイは腕組みをして、シートに背中を押し付けた。

 〈殺意〉を取り戻した秋尋は、黙っていた。

 シラヌイは呆れたように、視線を外す。

「だけど不思議だな。殺意を忘れていたとは云え、どうしてアオイの魂を、自分の懐とも云える夢に抱き込んでいたのか。拒絶することもできたはずなのに」

 秋尋は、ゆっくりと、顔を上げた。

「それは、たぶん、俺がそう望んだからです」

 シラヌイの知らない、不思議な目をしていた。なにかを覚悟したような、諦めたような、そんな、目つきだった。

「おまえの望み? 憎んでいる奴を、閉じ込めることが?」

 そのとき、不意に列車が減速した。

 シラヌイが顔を上げた。車窓からは、鉄橋が見える。

「あぁ、駅に停まるな。でも降りる必要はない。死者が乗りこむだけの話だ」

 初江王が支配するとなりの街は、三途の川を越えたところにある。そこにゆくため、最初の裁判を終えた死者たちが乗り込んでくるのだ。

 秋尋は目を細めて、車窓を眺めた。見覚えのない駅舎の屋根が目に入る。

 やがて列車は停車し、開け放たれた扉からは、風とともに、経帷子をまとった死者の列が乗り込んできた。空気がひやりと冷たくなる。むせ返るような線香の匂いがした。

 かろうじて「人」の形を保っている彼らの中に、秋尋は、見知った人物を見つけた。

「おい、引きずられるなよ」

 秋尋は、吸い寄せられるように立ち上がった。

 シラヌイの声も、耳に入らない。

 だって。

 見つけてしまったのだから。

 探し求めていた、その人を。

「――あおい」

 名の通りの青白い肌に、どちらかと云えば女性のような顔立ち。

 間違いない。

 秋尋の視線を感じたのだろう。不意に、その少年は秋尋に焦点を合わせた。

 目が合った。

 鏡のように透き通った眼差しが、秋尋の戸惑いの表情を映し出す。

「青衣ッ」

 秋尋は、弾かれたように駆け寄り、その腕をとろうとした。

 だが腕は、すり抜ける。何度も試みたが、だめだった。

「青衣、なんで、おまえが死者の列の中に居るんだ。おまえはまだ、死んでないだろう」

 叫びながら、詰め寄る。

 腕は、まだ、掴めない。

「青衣」

「……まぶしい」

 青衣は眩しそうに目を細めた。

「死者にとって、日なたの人間であるおまえの存在は眩しいのさ」

 後ろからシラヌイがついてくる。

「死者……」

「そいつは、もう死んでる。鬼籍には、とっくに名前が載っていたはずだ。だが、おまえの中に隠れていたせいで、ずっとこの列車に乗れなかった。それだけのことだ」

「だっ、だってトトキは、青衣の名前はまだ鬼籍に載ってない、って」

 トトキは、自分に、嘘をついた?

 どうして?

 なぜ?

「トトキ、あいつはな、寿命をすりかえているんだ」

 言葉もなく、口を開閉させるだけの秋尋に、シラヌイは言葉を続ける。

「あいつの待ち人、もうだいぶ年なんだ。もう何度も寿命が尽きかけている。だがその度に、一命を取りとめている。不思議に思って調べてみたら、どうやらトトキが操作しているんだ。まだまだ寿命の長い若者を殺し、余った〈魄〉を、待ち人の〈魄〉とすり替えている。つまり、死ぬはずの人間が生き延び、かわりに、死ぬはずじゃない人間が死んでいる。こいつで、五例目だ」

 シラヌイは顎をしゃくった。

 五例目だという、青衣を。

「〈魄〉を抜かれている。もう此岸のことはほとんど覚えていないだろうな。おまえのことも、自分のことも」

 当の青衣は、なにも知らない幼子のように、目を瞬かせているだけだ。

 こんな表情は、見たことがない。

「あお…青衣、青衣、青衣」

 秋尋は震える声で手を伸ばした。

 掴むことのできない肩に手を添えた。

「青衣、青衣、俺がわかるか?」

 青衣は首を傾げる。

「覚えているか? 秋尋だ。俺、おまえに、云わなくちゃいけないことが、いっぱい、いっぱいあるんだ。ごめんも、ありがとうも、まだ、たくさんあるんだ。だから探していたんだ。青衣」

 届かない。

 響かない。

 目の前にいるのに。

 シラヌイに肩を叩かれる。

「諦めろ。もうすぐ次の停車駅だ。こいつらみんな、そこで降りる」

「諦めるられるわけがないだろッ」

 秋尋は叫んだ。

「俺、青衣のこと、嫌いだった。大嫌いだった。だけど、青衣は、俺が持っていないものを、それ以上にたくさんのもので埋めてくれた。だから、その青衣が引っ越して、遠くに行くかもしれないと思ったとき、叶うのなら、どこへもいかず、ずっと一緒にいられればいいと願ったんだ。だから夢に閉じ込めた」

 青衣がいなくなる。

 それを思ったとき、引っ越すことを教えてくれなかった寂しさよりも先にまさったものがある。

 青衣がいないセカイなんて意味がない。

 だったら、ふたりで、死んでしまえばいい。

 このまま、時を止めて。

「あのなぁ、今更そう云ったって仕方ないだろ。こればかりはもう」

 諍いになるふたりの前に、青衣が、なにかを差し出した。

「なかなおり」

 青衣の手のひらに乗っているもの。

 見覚えのある、赤地に白い水玉の包み紙。

 のど飴。

「棺に納められたものを持っている奴はいるけど…、飴玉かよ。呆れた。だれがこんなもの持たせたんだ?」

 俺だ。

 秋尋の喉は震えた。

 俺だ。

 俺が、いつも持ち歩いているんだ。

 青衣もそれを知っていて、せがんでくるんだ。「いつもの」ってさ。

 青衣の傍にいてもいい理由をもらえたような気がして、嬉しかったんだ。

 俺、青衣の傍にいたかったから。

 だけど、たぶんそれは、ひどく自分勝手な願いで。

 青衣の人生を奪う理由にはならない。

「……俺も同じもの、持っているよ」

 秋尋はポケットからのど飴を取り出した。

 青衣のために持ち歩いていた。

 また会ったとき、渡そうと思って。

「交換、してくれないか?」

 秋尋は、笑っていた。

 青衣にのど飴を渡すそのとき、どうせなら、笑いあっていたらいいと、思っていた。

「おい、秋尋ッ」

 シラヌイが叫ぶ。だけど聞こえない振りをする。

「いいよ」

 無邪気な青衣は、自分の飴玉を秋尋に手渡した。秋尋は、ありがとうな、と飴玉を受け取り、自分が持っていた飴玉を、青衣の手のひらに握らせた。

 冷たい手のひらに、ぎゅっと、強く、握らせた。

「ありがとう。これで、交換、できたな」

 小さな飴玉の交換。

 それが意味する大きなもの。

 秋尋は再び手を伸ばし、青衣の肩に、ちゃんと、触れた。

「青衣。元気でな。長生きしろよ」

 そっと、手を、離した。

 がたがたと列車が激しく揺れた。

 秋尋は目を閉じる。

 なにも、見えなくなった。なにも聴こえなくなった。すべてが闇に包まれた。


 閉じていた鬼籍が、突然、すさまじい勢いで頁をめくりはじめた。

 傍にいたトトキが、慌てて駆け寄る。

 

 ぱらぱらぱらぱらぱらぱら

 

 次々と頁がめくられていく。

 ひとつひとつの文字になっていた蝶たちが、溢れんばかりに飛び立っていく。

 そして、一番新しい頁で、ぴたりと止まった。


【死者 大崎青衣。享年十五歳】


 その文字から、蝶が飛び立つ。

 そして、かわりに、ひとつの文字が浮かび上がった。


【死者 皆川秋尋。享年十五歳】


「……まさか、生死を交換したのか?」

 驚いて手を伸ばしたトトキ。その手を拒むように、鬼籍は、ばたん、と閉じた。

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