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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
16/31

其の肆 : 【三月二十日、彼岸会 ②】

 笑い声が近付いてきた。

 うるさいな、と不機嫌な顔で体を起こした秋尋はすぐ傍らに転がっているモノに気付いた。

 女性の寝顔。の、生首。


「うンわぁあああっ」


「うるさいわね。わーわー騒がないでくれる? 近所迷惑よ」

 不機嫌そうに眉根を寄せるサキの生首。

 秋尋はその前に正座し、床を叩いた。

「何なんですか、サキさん。人の寝床に入り込んで。しかも生首。心臓が止まるかと思ったじゃないですかッ」

「あら。それなら大歓迎。早くこっちに来ちゃいなさいよ」

 満面の笑顔で生首が転がる。

「お断りですッ」

 ひとしきり騒いだあとで、秋尋は、トトキの姿を探した。

 トトキは障子を開けて、硝子ごしに窓の外を眺めていた。まだ夜明け前なので、室内は暗かったが、トトキの頬は、橙色の明るい光に照らし出されている。

 こういうときの顔を、知っている。

 誰かを、なにかを、想っているときの顔だ。

 青衣がたまに見せることがある。焦点が合わない、擦り硝子のような眼だ。

「外に、何かあるのか?」

 答えないトトキのとなりに並んで立つ。

 昨日、サキを背負って歩いた河原が見えた。対岸には、砦のごとく岩肌が立ちふさがっていたが、灯りは、その向こう岸から、ゆらゆらとやってくるのだった。

 暗闇に目が慣れてくると、対岸の岩肌はすでに影も形もなく、延々と、海原が続いているのが見てとれた。

 その沖合いから、光るものが近付いてくる。一艘の舟だった。朱や橙の提灯を溢れんばかりに飾りつけ、イカ釣り漁船かと見まごうほどだ。風で帆がはためく度に、きらきらとした金粉が宙に撒き散らされる。そこから生じるのは、目がちかちかするような艶やかな衣をまとった天女たちだった。

 笑い声の正体は、あの奇妙な集団だ。

「トトキ、あれ、なんだ? 近所迷惑じゃないのか?」

「……あれはね、向こう岸の住民だよ。きょうは三月二十日。彼岸会。此岸と彼岸がもっとも近付く日だと云われている。あの一行は、自分たちの岸を曳いていて、あと数時間もすれば、海岸線近くに、浮島が現れる」

「まじ? あ、うわ、船の数が増えてる」

 いつの間にか、こちらへ向かってくる舟はおびただしい数となっている。並走する舟のそれぞれの光が交じりあい、見分けがつかなくなった。さながら、光る津波のようだ。

「なんか、イカ釣り漁船が大量旗掲げて一斉に帰港するみたいだ」

 トトキとサキは一斉に噴き出した。

「秋尋、サイコー。云い得て妙だわ」

「そういう表現をした人は初めてだよ」

 外からの楽しげな声はなおも続き、琴や三味線の優雅な音色も加わった。

「きれいな音色だな。歌声も聴こえる」


 なかきよの とをのねふりのみなめさめ

 なみのりふねの おとのよきかな


「どういう意味だ?」

「永き世の、遠の眠りの皆めざめ、波乗り舟の、音の良きかな。和歌のひとつで、上から読んでも下から読んでも同じ並びになる回文歌なの。解釈については諸説あるみたいだけど、乗り込んだ舟があまりにも心地よい波音を立てるので、時間を忘れて酔いしれ、ふと、いつ朝になるのだろうと不安を覚える、みたいな意味が有力かな」

 朝を想う歌声は、凛とした厳かな響きから、すこしずつ、楽しげに、陽気に変わってきた。どうやら酔客が混じっているらしい。

「彼岸会のきょうは、女神がお目覚めになる特別な日。いずれの岸の者も、女神のご寝所の前で、大いに食べ、飲み、歌い、踊ることが許される。その昔、アマテラスを岩戸から導き出したようにね」

「ふぅん。それで、その女神はどこで眠っているんですか?」

 秋尋の問いかけに、サキはにこりと微笑んだ。

「棺桶の中。すごいよ。人間って、お腹の中でこうやってできるんだって、感心するくらい。見たい?」

「……イエ、結構です」

 秋尋の反応をひとしきり楽しんだサキが部屋を出て行ってから、秋尋はゆっくりと屈伸をはじめた。

「また、走りに行くの?」

「ん、そうだな。昨日は中学校と公園しか寄れなかったから、きょうは、塾と、家と、あと神社かな」

 云いたいことは、やまほどある。

 聞きたいことも、たくさんある。

 話したいことも、数え切れない。

 黄泉ノ国のこと、沖野のこと、現世のこと、なんでもいい。あのおかしな集団のことだっていい。

 どんな話でもいい。会いたい。いまはとにかく、それだけだ。

「トトキ、実はさ、夢では何度か見ているんだ。青衣の背中を」

「夢で?」

「笑うなよ。こっちに来てから、毎日見るんだ。高校入試の夢を。青衣は斜め前に座っている。俺はその背中を眺めながら、目の前の入試問題と向き合っている。変な問題ばっかりでさ、たぶん傍から見たら、うなされていると思う。だけど、早く、問題を解いて青衣を捕まえたいんだ。一緒に笑いあいたい」

 秋尋は笑いながらトトキを振り返った。

 だが、トトキは笑っていなかった。

 恐ろしくなるほどの沈黙を保っている。

「と、トトキ?」

 秋尋の問いかけに、トトキは、やっと笑顔を見せた。

「あ、いや。……たぶん、その世界を造ったのはあなただ」

「セカイ? 俺は夢を見ているだけだぞ?」

「生きている人は知らないけれど、夢って、人が造る別の世界なんだ。多くの夢は、不安定で、一晩で崩れ去ってしまうものだけれど、力が強い人は、その夢世界を維持することができる」

 シャボン玉みたいなものか、と秋尋は想像した。

「夢と、この黄泉ノ国はとても性質が似通っている。聞いたことがない? 亡くなった人が、夢枕に立って、別れを告げに来るという話を。あれは、生きている人の想いや記憶が、死者の前に、夢に架かる橋を創るからなんだ。死者はその橋を渡って夢に入る。ごく稀に、逆のパターンもある。生きている人が黄泉ノ国に渡る、いわゆる臨死体験。あなたは力が強いから、きっと、無意識に夢世界を創ってしまったんだろう。そして、その夢に、アオイさんの魂を引きずり込んでいるんだと」

 つまり、と秋尋は身を乗り出した。

「つまり、あの夢にいけば、会えるのは、ほんものの青衣ってことか?」

 トトキはゆっくりと頷く。

 灯台下暗し。そんな近くに、青衣がいたなんて。そうとなれば話は早い。

「――秋尋さん、なにを?」

 畳んだばかりの蒲団を再び敷く秋尋に、トトキは目を丸くした。

「寝るんだよ。夢の中に戻る。そんで、青衣を引っ張り出してくる」

 だって、もう、じっとしていられない。

 秋尋はいてもたってもいられず、目をつぶった。だから、気付けなかった。

 秋尋の周りに、無数の蝶が、集まってきていることに。

 トトキは早々に眠りに就いた秋尋に呆れつつ、苦笑いしつつ、手を伸ばした。

 秋尋を介して、秋尋の夢に入るために。

「青衣さんを、捕まえるって? それは、ちょっと困るんだ。困るんだよ」



 そして、秋尋は、夢を、見た。

 青衣の夢だった。

 青衣の首を絞める夢だった。



「……あれ」

 目覚めた秋尋は、まだ夢の中にいるかのように、瞳を瞬かせた。

 文机に向かっていたトトキは、秋尋を振り返り、やさしく微笑んだ。

「おはよう。どうしたの、秋尋さん。どんな夢を見たの?」

 体を起こしながら、秋尋は、首を振る。

 頭が重い。だけど、体が軽い。なにかが欠け落ちたのかと思うくらい、軽い。

「あれ。あれ、俺、二度寝、してた?」

「さっき一度目覚めたけれど、あの賑やかな集団に邪魔されて寝たりないと云って、また眠ったんだよ」

「……そう、だっけ」

「そうだよ。忘れたの?」

 どこかに腑に落ちない様子で、秋尋は髪を掻いた。

 トトキに、なにかを教えられた気がする。

 そして、再び眠りに就いた気がする。

 だけれど、それもすべて、夢だったような気がする。はっきり思い出せない。

「秋尋さん。あなたに朗報だよ」

 トトキは着物の袷に白い手を差し入れ、取り出したものを秋尋の前に放った。

 長方形のぺらぺらした紙切れに、紫色でカタカナが印字されている。

「カイスウケン……回数券?」

「それ、黄泉ノ国を走る電車の回数券。本来であれば、この国の住民でしか手に入れられないものだ」

「くれるのか? 住民でもない俺に。なぜ?」

 トトキは微笑んだ。

「あなたの探し人が、見つかった」

 心臓が、どくんっと大きく跳ね上がった。

「ほんとうか? ほんとうに、青衣が」

 トトキは真っ直ぐな目で秋尋を見つめ、頷いた。

「いまは、となりの街にいる。申の刻に列車が出る。それに乗れば、目的地に着くから」

「わかった」

 あまりの嬉しさに、秋尋は床を踏み鳴らした。憎たらしいトトキの顔が、神仏に見える。

「ありがとう。マジで助かる…あ、いや、すごく助かります。ありがとうございます」

「……いいえ。こちらこそ」

 伏せ目がちに、トトキは笑う。目を合わせないようにしている。

「トトキ、なんか、きょう変じゃないか?」

 虚を突かれたらしいトトキは、ほんの一瞬、子どもみたいに目を丸くした。

 だがすぐにいつものオトナの顔に戻る。

「秋尋さんは、まだ子どものくせに、時々そうやって、妙に勘が鋭いときがあるね」

「そっちだって見た目はまんま子どもだろ」

「あぁ、そうだった」

 トトキにしては、やけに弱々しい台詞だった。秋尋は困惑の表情を浮かべ、トトキの顔を覗き込んだ。

 同じような表情を見たことがある。

 高校入試が終わったあと、青衣の顔色も同じように悪かった。

 無理して、無茶して、なにかを隠している顔だった。

「医者でも、呼ぶか?」

「へーきさ。そもそも医者なんていない。それより、早く、行かないと列車が出るよ」

 後ろ髪を引かれる思いだったが、秋尋は慌しく蒲団を畳み、支度を整えた。

「じゃあな、トトキ。行ってくる。つらいなら横になってろよ」

 手を振ると、トトキは笑い返してくれた。

「いってらっしゃい、気をつけて」

 やはり、少し変だった。張り合いがない。

 秋尋を見送ったトトキは、傍らに置いていた鬼籍を手に取り、呟いた。

「……彼に、よろしくお伝えください。きっと、最後になるでしょうから」

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