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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
12/31

其の参 : 【疑心暗鬼 ③】

「彼女は、三年ほど前にやってきて、そのままここの住民になったんだ。死因は轢死」

 出掛ける秋尋を、玄関までトトキが送ってくれた。

「轢死って、あぁ、列車とかに」

 だからか。と納得しつつ、新たな疑問が浮かんだ。

「昨日の壱ノ湯に浸かったら、治るんじゃないのか? 少なくとも、見た目では」

「普通はね。ただ彼女は、此岸での恨みがあまりに強すぎて、壱ノ湯の浄化の煙を受け入れなかったんだろう。そういう人もいるんだよ。強い恨みや憎しみを抱いたまま死んで、こちらに来てもそれを引きずる人。女神は、そういった女性を八人、女官として傍に置いている。彼女たちは黄泉津醜女と呼ばれる」

「変わり者だな。その女神って。いま、どこにいるんだっけ」

「眠っているよ。女神が目覚めるのは年に二回。春と秋の彼岸会の日だけだ。そして二、三日のうちに再び眠りに就く」

「あの世とこの世が近付く日、だっけ。わざわざその日に目覚めるってことは、女神自身も、現世に未練があるのかな」

 夫イザナギに捨てられた、哀れなイザナミ。

 いまもまだ、夫を憎んでいるのだろうか。

 死してなお引きずる想いとは、どれほど強く、根深いものなのか、見当もつかない。

 秋尋自身も、現世では、他の女性と通じた父を憎んだり、無抵抗な青衣に嫌がらせをした同級生たちを蔑んだりと、人並みに心を揺らして生きてきたが、それを死後も引きずるかと聞かれれば、たぶん、ノー、と答えるだろう。

 だって死は逃げ道だ。現世で受けた様々な悲しみや苦しみから逃れる救いの場所だ。

 そこまで負の感情を持ち込みたくない。

 そんなことを考えながら、校門を抜けた。

 振り返れば、英徳高校の校門を覆うように、絶えず桜の花びらが降り注いでいる。

 散っても散っても桜の地肌は姿を見せず、これはきっと一年中花びらを散らす万年桜なのだと思い至った。

 英徳高校を真っ直ぐに下りていくと、駅前商店街に出る。買い手もなく、シャッターを閉めたままの店が多いのは、こちらも変わらない。

 だが、ここを探せば、墨のひとつくらいあるだろう、と踏んでいた。

「それにしても。女って、わかんねぇな」

 強い恨みをもっているサキが手紙を書く相手とはだれだろう。

 仮に相手の手元に渡ったとしても、怖がられるのではないか。

 それを覚悟の上で伝えたい内容とは、なんだろう。

「手紙といえば、青衣が遺書を残していたっていう話も、いま考えれば、嘘だろうな」

「どーして」

 応じたのは、フードの中をねぐらにしてしまった鼠だった。

「だって、あいつ、そういうタチじゃねーもん。先行く不幸をお許しくださいとか、そういうシオらしいこと、するわけない。俺の知ってる青衣は、そういう奴じゃない」

 長い時間をかけて把握してきた青衣の性格、考え方、言動パターン。青衣のことは、なんでもわかつている。

 ともに過ごしてきた時間が長いからこそ、そう云いきれる自信がある。

 だからこそ、わからないことがある。

 青衣が、行方をくらましていた理由。自分が死のうとしたあのとき、タイミングよく神社にいた理由。

「ねぇ、きみ――ミナガワクン?」

「…………えっ」

 反応が遅れた。まさか、此処で、名を呼ばれることはないと思っていたからだ。

「ミナガワくん、だよね?」

 声の方向を振り返ると、萬年堂、と看板を掲げた薄暗い店があった。店の硝子戸を開けて、こちらを見ている少年がいる。

 短く刈り上げた髪型のせいで、卵型の顔立ちが強調される。瞳は仔犬のように大きく、忙しなく瞬きを繰り返している。

「あぁ、やっぱり、皆川くんだ」

「……えと、どちら様ですか?」

 首をかしげる。本当に憶えがない。

 彼は秋尋を手招きした。警戒しつつ秋尋が近付いていくと、にっ、と八重歯を覗かせて笑う。

「憶えてない? 無理もないね。オレと皆川くんは話をしたことないし。でも、オレは憶えているよ」

 だからお前は誰だよ、と少し苛々していたところへ、少年が声をひそめる。

「皆川くんは、あの大崎青衣と幼なじみなんだよね」

 青衣を呼び捨てにするな、という憤りとともに、記憶がよみがえった。

「沖野か? 中一のとき自殺した沖野研輔」

「ご名答」

 と人差し指を立てる沖野の顔に、自殺した者が抱える憂いや、後悔の念は見てとれない。

「驚いたよ。皆川くんが此処にいるなんて。あぁ、事故だろう? それとも病死? いずれにしてもお気の毒だね。さぞ痛い思いしただろう」

 まさか自殺未遂とは云いだせず、秋尋は無言で頷いた。沖野はそれで納得したらしく、詳しくは言及してこなかった。

「沖野は、ここで、何をしているんだ?」

 沖野がいる萬年堂は、どうやら文具屋のようだった。天井から吊るされたランプが、弱々しい光を放っているが、一見、火が入っているのかどうかわからないほど暗く、整然と並んだ鉛筆やノートが、人知れず息をしているような静けさだ。店の奥まったところに、置物のようにして坐っている老齢の女性がいる。姿勢こそ崩していないか、うとうとと、まどんでいるようだ。

「オレはここで働かせてもらっているんだ。あの女の人が店主なんだけど、いつも、あんなふうに、漬物石みたいに動かないんだよ。だからオレが呼び込みをしている。でもまさか生前の知り合いに会うとは思わなかった」

 にこにこと人懐こい笑みを浮かべる沖野の顔には、悪意はなく、単に知人との再会を喜んでいるだけのような無邪気さがあった。

「皆川くん、なんかきょろきょろしていたね。探しもの?」

 問われて、秋尋は手短に用件を話した。黄泉路列車に乗ってここに来て、湯殿で世話になっているが、客の一人から使いを頼まれた、と。青衣のことはもとより、自分がまだ現世と繋がっていることは云わなかった。

「良かったら、店の中を見ていく? ここは文具屋だけど、いろいろ置いてあるよ」

 厚意に甘えて、秋尋は店の中を見せてもらうことにした。

 文具に交じって、『現世に一度だけ電話できる携帯電話』や『現世に一度だけ戻れる電車切符』など、奇妙なものも置いてある。

「これ、このビー玉みたいなの、なんだ」

 秋尋が手に取ったのは、ちいさな玉だった。それぞれに、朱や黒といった淡い光が宿っている。

「あぁ、それは、『感情』さ。朱は嫉妬、黒は悪意といった具合に」

「感情? そんなものが売り物になるのか?」

「もちろんさ。この国の住民の多くは、ある特定の感情しかもっていない。現世を懐かしんで、時々、違う感情を買いに来る。でもこいつら、時々意思をもって動き出すから、厄介で」

 云った傍から、秋尋の手の中にあったビー玉に、にょきっと足が生えた。

「ぎゃっ」

 たまらずビー玉を放り投げると、沖野が素早くキャッチした。

 しばらくして沖野が手を開くと、ただのビー玉に戻っていた。

「あぁ、びっくりした。皆川くんの力を吸って一時的に動き出したみたいだね」

「俺は、まったく、無自覚なんだけど」

「強い力は、良くも悪くも周りに影響するものさ。気付かないうちに、他にも、なにかやらかしているかもしれないよ」

 沖野は口を引き上げた。悪意が透けて見えるような、嫌な笑い方だった。

 秋尋はさっさと用件を済まそうと思い、事務的にサキが欲しいものだけを伝えた。

「墨? 手紙を書く? おかしなお客さんだね。残念だけど、ここには置いていないよ。それに、」

 そこで一度言葉を切り、

「こちらで書いた手紙が、容易に現世に届くのなら、オレだって、書きたいよ」

 と、付け加えた。

 生前、沖野が残した遺書はたったの一行。

 青衣に殺されたという内容だけだ。

「……沖野は、どうして、死んだんだ? やっぱり、いじめが」

「うん。不思議なものでさ、死を決意すると、自分でもどんどんその気になってくるんだ。ほんの些細なこと、たとえば、親の車に乗っていて赤信号に引っ掛かること、好きなテレビ番組が臨時ニュースで中断されること、携帯の電池が終わりそうなこと。そんな、全然関係ないことまで、死ぬことを正当化する理由に思えてくる。自分はこんなにも世界に否定されている。だから死んでいいんだ。それが正しいんだ、と思い込むようになる。自己陶酔というか、独善的というか。周りなんて見えなくなる。遺書まで書けばもう、引き返せなくなるんだ。浴衣に使う紐をドアノブに結んで、座って首を引っ掛けて……すぐに意識がなくなった。でも此処に来て、莫迦なことをしたと後悔したよ。死ぬ前、自分が両親や妹弟になんて云ったか、思い出してさ。ひどい言葉を投げつけて逃げてきたんだ。今更、どうしようもないんだけど、せめてみんなが来るまで待って謝りたいと、そう思って此処にいる」

「そうか」

 青衣にも、教えてやりたい。沖野が、憎しみや恨みの理由から、黄泉ノ国に留まっているのではないのだと。

「良かった。俺は、おまえが 自分をいじめた奴…」

 青衣、と云いかけて口を閉じた。

 青衣は、ちがう。きっと、違う。

「おまえをいじめた、瀧本が憎くて、成仏したくなかったのかと、思ったから」

「将くんはそんな奴じゃないよ」

「将くん?」

「瀧本将太。オレの幼稚園からの友だちなんだ。いつも一緒に遊ぶ仲間だったんだよ」

「マジか」秋尋は言葉を失った。

「実は、中学に入る直前に、些細なことで喧嘩してしまって、将くんを怒らせてしまったんだよ。だから、オレのことを避けていた。彼、体はでかいけど、本当は、すごく優しい奴なんだ。……大崎が、将くんを唆しさえしなければ、また友だちに戻れたのに」

「ちょっと待て、それは聞き捨てならないぞ。だって青衣は、あいつは、線香もあげに来なかった瀧本を、殴ったんだ。あの温厚な青衣が、だぞ」

 沖野の自殺という大事件は、夏休みの間に、息をひそめつつあった。瀧本は一学期中ずっと欠席し、その間、青衣ひとりが嫌がらせを受け続けた。

 夏休みという非日常は、学校から、沖野の自殺の一件を忘れさせた。秋尋にとって、それは救いだった。移り気な学生達は、沖野のことなんて、どうでも良くなるだろう、と。

 だが、夏休みが終わった二学期の始業式。秋尋の目論みどおり、誰もが沖野の件を忘れていたその日、何食わぬ顔で学校に出てきた瀧本に、青衣が殴りかかったのだ。「ふざけるな」という青衣らしからぬ暴言とともに。

 沖野の死の責任を感じ、ひとりで罰を受け続けた青衣の、それはささやかな報復だったのだろう。秋尋はそう思った。

「皆川くんは、何にも知らないんだね」

 秋尋の説明を受けた沖野は、きっぱりと云い切った。

「知らない?」

「大崎青衣の『正体』を知らないと云ってるんだ。オレがクラスでいじめられるように仕向けたのは、あいつなんだよ。沖野研輔は小学生の頃はひどい悪ガキで、いろんな奴をいじめたって吹聴して、不安定で退屈な生活を送っていた同級生たちを煽って、いじめに駆り立てた。将くんには、オレをいじめないとおまえがいじめられると脅した。気の弱い将くんは従うしかなかったんだ。クラスを支配していたのは奴なんだ」

「でも、青衣はひとりで謝りに行ったって」

「世間体を気にしたんだろう。非常識にも、通夜の晩にひとりでやってきて、親戚中の前で土下座して見せたんだ。周囲の憐憫を誘うためにね。大崎が来たのはその一回きりだ。将くんは、常識をわきまえていて、ちゃんと葬儀のときに来てくれた。ご両親と一緒に。大崎が夏休み明けに将くんを殴ったのは、たぶん、月命日に必ず墓参りをしてくれる将くんが気に入らなかったのと、自分を被害者に見立てるためで」

 云い終える前に、秋尋は沖野の襟元を掴んでいた。

「それ以上ふざけたこと云ったら殴るッ」

 沖野は必死に叫ぶ。

「嘘じゃない。オレは、大崎が憎くてたまらなかった。だから遺書に書いたじゃないか。濃く、はっきりと、大崎青衣の名を。あいつだけは、絶対に、許せない」

 息荒く吐き捨てたあとで、沖野は、仇の顔を見るような目を向けた。

「皆川くんは、大崎青衣のことを、何にも知らないんだよ。ずっと騙されているんだ」

 血走った眼。

 ひとは、人を憎むとき、こんな眼をするのだ。夜叉のような、羅刹のような。

 憎しみでいっぱいになった眼を。

 ぞっとした。秋尋は沖野を解放し、わずかに後ずさる。沖野は勝ち誇ったように笑った。

「――あ、悪かったね。皆川くんが悪いわけじゃないのに、関係者ってだけで、頭に血が上ってしまった。ごめん」

 我に返った沖野は、自分を落ち着かせるように幾度か深呼吸した。

「えぇと、お茶でも飲んでいく? お詫びっていうんじゃないけど。茶菓子もあるよ」

 愛想の良い店員の顔に戻って、パイプ椅子を勧めてくる。

「いや、俺は、これで。客が待ってるし」

 黄泉ノ国の食べ物を口にしてはいけない、という忠告を思い出したというのもあるが、ここに留まり、これ以上、青衣の悪口を聞きたくないという思いのほうが強かった。

 青衣とは、小学校からの付き合いだ。その性格も、人となりも、よく知っているつもりでいた。中学では別のクラスだったが、見かければ声をかけたし、青衣も笑って応えた。

 青衣のことは、何でも知っているつもりだった。

 そんな青衣の、自分の知らない側面を、他人から教えられることが悔しかったし、反論したくてもできない、それも悔しかった。

「でも、手ぶらで帰るわけにもいかないんだろう?」

 追いすがる沖野の眼からは、まだ、かすかに、悪意に似たものが感じ取れた。

 秋尋はその眼差しから逃げるようにして、まわりの商品に素早く視線をめぐらせた。

「その、髪留め、くれないか?」

「これ?」

 沖野が手に取ったのは、小さな髪留めだった。先端に、プラスチック製の桜の花が貼り付けられている。

「こんなものでいいの?」

 沖野は怪訝な顔をしたが、秋尋がそれでいいと頷くと、奥から白い和紙を持ってきて、丁寧に包んでくれた。

 トトキから預かったがま口財布を取り出した秋尋を、手で制しながら、「お金はいいよ」と云った。

 包み紙を差し出しながら、沖野はなおも続ける。

「気を悪くしないでくれよ。でも、事実なんだ。オレはね、死んだ後、すぐには黄泉ノ国に降りずに、現世に留まっていたんだよ。そして、ずっと見ていたんだ。みんなの前で殴られて萎縮した将くんが転校したことも、大崎青衣がのうのうと学校生活を続けたことも、見ていたんだ」

 秋尋は沖野と目を合わせなかった。

 早く、ここから離れたい。その一心だけだった。

「それから、もうひとつ。大崎青衣には、お兄さんがいたんだよ。知ってたかい?」

「…………えっ」

 虚を突かれた秋尋の顔を見て、沖野はさも楽しげに手を叩いた。ぱんぱん、ぱんぱん、はしゃぎながら。

「知らない? あぁ、そうなんだ。知らないんだ。幼なじみなんだよね? 親友なんだよね? でも知らないんだ。大崎青衣は教えてくれなかったんだ。へぇ、笑える」

 体が震えた。

 沖野に、負けた気がした。

 青衣に、裏切られた気がした。

「云っておくけど、兄がいたのはほんとうのことだよ。オレは本人の口からそう聞いたんだから」

 だって、青衣は、そんなこと、一言も。

 一紗だって。

 青衣の両親だって。

 近所の人たちだって。

 一言も。

「――――俺、帰らなくちゃ」

 うわ言のように呟いて、沖野の冷たい手から包みを奪い取る。どうも、とだけ云って走り出した。

 遠ざかる秋尋の背中を、沖野の声が執拗に追いかけてくる。

「またおいでよ。お茶でも飲みながら、大崎青衣の話をしよう。きみが知っている彼の人格、ぜんぶ否定してあげるから」

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