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黄泉国奇譚  作者: 芹澤
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其の参 : 【疑心暗鬼 ①】

 はっとして目を覚ました。明け方近くだったが、トトキの姿はない。

 どれくらいの時間眠っていたのか見当がつかなかった。こちらの世界には時計というものがなく、飛び降りる際に巻いていた腕時計も、文字盤が砕けて、針が止まっている。

 それにしても、なんて問題だろう。

 心臓が、ばくばくと必要以上に脈打っている気がした。

 もしかしてあの夢も、ひとつの試験なのだろうか。青衣に逢うための、青衣を見つけるための、空欄のままでは終わらせることの出来ない重要なテストなのだろうか。

 そうだとしたら、あの中から正答を選びとらない限り、次には進めない。

「沖野か。そんな奴もいたな。忘れてた」

 俺は再び目をつむり、寝返りをうった。

 青衣のことを、思い出していた。



 沖野研輔。入学式、クラス発表の掲示板でその名を見た。あいうえお順で、大崎青衣の次に名前が書かれていたから、たまたま目についただけだった。

 俺は一組。青衣は六組。一紗は五組だった。ずいぶん離れたクラス編成に、ため息をついた。

 不安もあった。自分たちのとなりで掲示板を眺めていた大柄な男のことだ。瀧本将太たきもと しょうたという名札をつけたその男は、その場にいた誰よりも背が高かった。名前を探すと、青衣と同じ六組だった。

 掲示板を見据える眼光は鋭く、その体格も相まって、見るからに「いじめる側」の筆頭に立ちそうだった。

 案の定。一ヶ月も経つ頃には、瀧本を中心としたグループが、六組の中で幅をきかせているという噂が漏れ聞こえてきた。内気なクラスメイトを狙って、悪口や嫌がらせをするといった類のものだ。

 いじめられていたのは、沖野という痩せた少年だった。

 遠く離れたクラスのことに口を挟むほどの正義感もなかったし、青衣が危なげなく日常を過ごしているようだったので、俺は傍観者を決め込んだ。

 関係ない、と。

 そして事件は起きた。中学一年の恒例イベントである臨海学校が終わった翌週のことだ。

 沖野が自殺したのだ。

 それだけなら、ただの悲劇で終わった。

 青衣に関わる、とんでもない遺書を残していたのだ。

〈おれが死ぬのは、大崎青衣のせいです〉と書かれた遺書だった。

 沖野の死から数日経ったある日、俺は部活を休み、玄関で青衣を待ちかまえた。

 雨の日だった。

 薄暗い木造の下駄箱には、靄のかかったような弱々しい光が差し込み、汗ばんで、肌に半袖シャツが張り付いてきた。湿気を帯びて、わけもなく苛々する、そんな日だった。

 渡り廊下のおぼろげな光を遮りながらこちらへ向かってきた青衣は、声をかけたわけでもないのに、すぐに俺の顔を見つけ、微笑んだ。

「待たせたみたいだね」

 何を訊かれるのか、あらかじめわかっているような口振りだったが、想像したよりも声音は明るい。

 安堵しかけた俺は、青衣の頬に、真新しい傷跡を見つけ、息を呑んだ。刃物を投げつけられたような、横に伸びる赤い筋。

「あおい、おまえ、それ」

「帰ろうか」

 靴を履きかえるため、下駄箱を開けた青衣は、靴の異変に気付き、素早くそれを隠そうとした。だけど、それより早く、俺は青衣の手首を掴んだ。

 くしゃくしゃに丸められた手紙と、パンや菓子の空き袋が、手の中からこぼれ落ちる。

「見るな、こんなもん」

 ぐしゃりと丸めて、近くの屑箱に放りこんだ。青衣は黙っている。

「帰ろうぜ。……あれ、傘は?」

 青衣は折りたたみの傘を常備していたはずだったが、何も持っていなかった。理由は大体想像がついた。

「使えよ」

 受け取ろうとしない青衣に傘を押しつけ、先に外に出る。幸いにも雨脚は弱まっていて、強くなった日差しが目に痛いくらいだった。これくらいなら、濡れても大丈夫。

 遅れてついてきた青衣は、傘を差してない。

「秋尋、訊きたいことがあるんだろう」

「……べつに、ないけど」

 青衣はぷっ、と噴き出した。

「きょう、部活ある日だろう。なにもないのに、わざわざ休むのか?」

「うるせぇよ」

 自分が不器用だというのは承知している。とかく、腫れ物に触るような扱い、というのが苦手だ。人の心情を思い、敢えて黙って寄り添うほど、他人のことなんて考えていられない。だけど青衣に対しては別だ。

「沖野くんのことだろう?」

 アタリ、だ。

「そうだよ。俺、沖野って奴のことは知らないけど、なんか、いろいろ、あったんだろう」

 沖野に何をしたのか云ってみろ、その一言が云えなかった。

 自分はおまえの敵じゃない。疑っているわけじゃない。その想いを、伝えたかっただけだ。だけど、遺書に青衣の名前が書かれていた以上、無条件で擁護することができない。

 事実を知りたかった。青衣に非がないことさえ判れば、全力で、青衣を守る。その決意でいた。

「変わらないな、秋尋は。それがいいところなんだけどさ」

 青衣は肩を揺らして笑った。

「なんだよ、その顔は。俺は真面目に訊いてるんだ。真剣に答えろ」

 自然と語気が強くなった。

「心配してくれてるんだろう」

 どき、っとした。なんでわかるんだ。

「わかるよ。陰口ではなく、真正面からおれに向かってきたのは、秋尋と一紗ちゃんだけだから」

「一紗が?」

「彼女、五組だろう。三時間目の休み時間にやってきて、携帯のサイトを見せてくれた」

 一紗が見せたサイトというのは、たぶん、あの掲示板だ。匿名の投稿者からの、『人殺しの名前』という文章とともに、青衣の名前が実名で載せられていた。

「一紗ちゃん、おれを遠巻きに見ている同級生たちに向かって、アンタたちも見て見ぬ振りしたんだから同罪でしょって物凄い剣幕で啖呵切って、すごかった」

「あいつ、またそういう無茶なことを」

 だが、一紗の気持ちもわからないでもない。

 クラスメイトに限らず、校内でも、青衣への反応は冷ややかだった。遠く離れたクラスの生徒や、上級生たちが、用もなく六組に顔を出し、あいつか、と確認していくのだ。

 いじめの加害者が被害者になるだけで、同じようなことが、また、繰り返されようとしているのだ。

「昨日、沖野くんの家に謝りに行ったよ」

「みんなで、か?」

「いや、ひとりで」

 こともなげに云って、青衣は自らの頬に手をやった。白い頬は、出血を伴い、赤く滲んでいた。沖野の母親からハサミを投げられたという。 

「避けなかったのか?」

 せめて痕が残らなければいいと思ったが、口にはしなかった。

「だって、悪いのは、瀧本だろう。なんで青衣の名前だけが書かれていたんだ。おまえは悪くないだろう」

 青衣は黙っている。

「なんとか云えよ」

 沖野とどういう関係で、どんな会話をし、どうしてこういう事態になってしまったのか。

 教えてくれ。頼むよ。

 青衣は、答えた。たった一言。

「いまは、云えない」

「……なんで」

 なんでだよ。

 どうしてだよ。

 力になりたいんだ。救いたいんだ。周りにあふれた悪意から、守りたいんだ。

 全力で。

 そのためなら、なにを失ってもいい。

 学校中、いや、世界中を敵に回してもいい。

 それなのに。

 なのに、そんなことを云われると。

 そんな云い方をされると。

 心の中に、ぽっかりと、大きな穴が空いたような気がする。

 動けなくなる。

「ありがとう、秋尋」

 立ちすくむ秋尋の肩を、青衣が叩いた。

「秋尋と一紗ちゃんがおれの親友で良かった。ほんとうに、そう思うよ。ありがとう」

 結局、真相を、青衣は語らなかった。言い訳もしなかった。弁護もしなかった。誰が悪いとも、悪くないとも、云わなかった。

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