【 問一 】
HBの鉛筆が、教室の床を楽しげに転がっていくのを、俺は頬杖ついて眺めていた。
からからころころと、賑やかだ。
転がっていった鉛筆は、近付いてきた誰かの革靴に当たって、かちりと止まった。
「これはおまえのものだな。皆川 秋尋」
革靴の男は鉛筆を拾いあげ、くるりと回して、俺の手のひらに押しつけた。
「気をつけなさい」
イイエ、俺の鉛筆ではないです。他の誰かが落としたのです。そう云いたかったが、革靴の男はすでに遠のいている。
俺の手に残された鉛筆が、気まぐれに、また、ころころと動き出す。削りすぎた先端の芯が、凶器になりそうなほど、鋭く光っている。
俺はこのとき初めて、真っ白な解答用紙が机いっぱいに広がっていることに気付いた。
あれ。俺は、なにをしていたんだろう。ちっとも覚えがない。
他の情報を求めて顔をあげると、教室のなかいっぱいに、学生がいるのが見えた。等間隔に並んだ机ひとつにひとりずつ座っている。そのくせ、やけに静かだった。鼻息と、控えめな咳と、唾を呑む音だけが聞こえる。
単なる授業中でないことはすぐにわかった。みんな、背中を丸めて、穴が空くほど熱心に机の上を見ている。着ている制服もばらばらだ。
みんな、どうしてそんなに真剣なんだろう。凶器のように鋭い鉛筆を、大事そうに握りしめて。
ふと黒板を見ると、
〈高校入試、国語〉
〈私語は慎むこと〉
と、やけに刺々しく書かれていた。
あぁ、思い出した。ここは、高校入試の会場だ。俺は、県下でも名高い進学校、英徳高校を受験した。いまは、最後の科目、国語の入試だ。その夢を見ているんだ。
なんでまた、いまさら。
現実では、高校入試はとっくに終わっているし、その結果だって昨日、発表された。いまさら問題を解いたところで、なんの意味もない。もはや、悪夢でしかない。
問題に向き合う気もなく、HBの鉛筆をくるくると回しながら、室内を眺めていると、斜め前の席に、幼なじみの後ろ姿を見つけた。
青衣だ。指先も体つきも女みたいに細いが、れっきとした男だ。
あいつ、ここで、なにをしているんだ。
だって、あいつは昨日から行方不明になっていた。だから俺は、あいつを探して――、そして。
ここで目覚める直前の記憶が、霧が晴れるようにゆっくりと、目蓋の裏に浮かんできた。
昨夜は、雲ひとつない、満月の夜だった。生まれたてのやわらかな新雪にうもれた神社の境内は、陽が落ちてから時間が経っていたが、満月の照り返しで昼のように明るかった。
受験を無事終えた学生たちのお礼参りの時期とあって、合格を報告する華やかな絵馬が多く飾られていて、山間から吹き降ろす雪交じりの風に、からからから、と、絵馬が笑い声を立てていた。
俺はあいつを見つけた。御神体へと伸びる短い橋の上で。危なっかしく身を乗り出して、満月をいとおしげに見つめてた。
名前を呼んだ。
手を伸ばした。
――それから、どうなった?
気を抜いたせいか、指の中から、鉛筆が転がり落ちていった。教壇に立っていた革靴の男がすかさずやってきて、鉛筆を拾いながら、俺をにらむ。この男、どうやら監督官の教師らしい。
はいはい、やりますよ。
俺は鉛筆を握り直した。
考えが変わった。この国語の試験が終われば、全科目が終了し、入試から解放される。
そうすれば、こいつを、捕まえられる。
夢であっても、かまわない。
今度こそ、ちゃんと、捕まえる。
そう意気込んで、机の上に広げてあった問題用紙に目を落とした。
真っ白なA3用紙の真ん中に、設問は、ぽつんと、ひとつだけ。
【問一】次の問いに答えなさい。
問いに目を移す。
そこで、手が止まった。
【問一】次の問いに答えなさい。
昨夜、あなたを殺したのは、誰ですか?
正しく答えなさい。
――汗が、出てきた。
鉛筆を、また、落とした。
あぁ、そうだ。
俺。
死んだんだ。