4-B ユキの覚悟
怪物に乗っかって、夜の散歩です。
流石に夜ともなると街の楽音も聴こえなくなってきている。今現在この宿の一階で執り行われているどんちゃん騒ぎを勘定に入れなければ。
宿屋の屋上に上がると、アンディは羽を畳んでおとなしくしていた。夜目の利く眼でユキとミーファの姿を捉えると、低く唸った。
『何か用か』
怪物の鳴き声にしか聞こえていないミーファが少し怯えたが、口調に怒っている様子を感じないユキは飄々としている。
「あのね、背中に乗せて欲しいんだ」
「ちょっと、ユキさん!何をおっしゃっているんですか!?」
リートレルムにおける悪魔の化身に乗るという提案に、ミーファが狼狽えるが、ユキはアンディとの会話を進める。
「ちょっとだけだから。ね?いいでしょ?」
『ふむ。貴様には多少なりとも恩義があるが、我らはそれなりに気高い生き物だ。おいそれと乗せるわけにはいかない』
「何か生贄的な物がほしいの?」
「生贄!?」
物騒な言葉に、さらに狼狽するミーファ。
「あの、ユキさん、一体何を話していらっしゃるのですか?」
『そのような大それたものではない。言うなれば食事を持ってきてほしいのだ』
「アンディは何を食べるの?」
「食べる!?ユキさん、ガーゴイルに何を献上するおつもりですか!?」
血相を変えるミーファに、やはり構わず会話を続行するユキ。
『我らは肉を好まぬ。ガーゴイルを生き永らえさせるのは、生物の血だ』
「そうなんだね。どうしようかな」
何を考えているのだろう、とミーファは気が気ではない。
『何も干乾びるまで吸血したりはせぬ。安心しろ』
「じゃあ、シンさんのでいい?」
『―――よし、いいだろう。背に乗るがいい』
「ミーファ、交渉成立。アンディの背中に―――」
「ちょっと待ってください!今聞き捨てならない言葉がありました!シンさんの何をアンディさんに与えるのですか!」
「大丈夫だよ~。ちょっと貧血になってもらうだけだから」
「何この子怖い」
口の中で飴玉を転がす様な笑顔を浮かべたユキは、軽い身のこなしでアンディの背に乗る。骨ばった体つきだが、背には毛皮があり、掴まり易かった。
「さぁミーファ。僕の手に掴まって」
差しのべられた手を恐る恐る取ると、有無を言わさぬ力で一気に引っ張り上げられる。
「夜の空中散歩だ~。安全飛行でお願いしま~す」
『心得た』
アンディが再び低く唸ると、薄く大きな翼を広げて飛び立った。ミーファは振り落とされそうになるが、ユキが覆い被さるように身体を支えてくれたおかげで助かった。
「ユキさん、意外と力持ちなんですね」
「フロアタムは重いんだ~」
相変わらず、こちらの予想した反応と少し違う返答だが、空を飛んでいるという感覚に気持ちが昂り、気にならなくなっていた。
『落ちたらどちらを先に助けるか決めておけ』
「ミーファ、落っこちたらどっちを先に拾ってほしいか決めとけって」
「縁起でもないこと言わないで!」
言葉遣いががさつになるのも気にせず、ミーファが怒鳴った。
「でも、ミーファは落ちても平気じゃない?フワフワしてたし」
天奏島の上空から降ってきたときのことだろう。しかしミーファは首を横に振る。
「いえ、あれは浮遊魔奏石を懐に入れていたからです。もう効力が無くなっているので、あの時のようにはいきません」
魔奏石は消耗品だ。石の魔力が枯渇すれば、どんなに音を聴かせたところで使えなくなってしまう。
「特に、あれは人工物ですから、消耗も早いのです」
「電池みたいだね~。アンディ、もっと高く飛べる?」
『いいだろう』
ガーゴイルの薄い羽根と、軽いとはいえ二人分の体重を乗せているアンディに高度は期待できないが、それでも街の夜景が美しく見える程度までは上昇していった。
「この明かりも、音楽の力なんだね~」
イギルスタンの東端にあるアブソビエの街を見下ろし、ユキがしみじみとした口調で言う。ミーファは頷くが、やはり、表情にはどこか煮え切らない思いが伺えた。
「僕のブーツも、そうなんだよね~」
先程と全く同じ口調で、ユキが言った。ミーファは何の気なしに頷いて、そしてしまったと思った。
「あ、いえ、その―――」
「僕は、人が傷つくのが嫌いなんだ」
背に乗っていると、それなりに大きな羽音がするので、二人は身を寄せ合い、顔を近づけて話をしている。ミーファは息遣いすら届きそうな距離にいるユキの、少年らしい幼い声がやや低くなり、真剣さが宿っていく。少し、鼓動が早くなるのを感じた。
「傷付けるのも嫌いだ。死んだりするのは、もっと嫌だ。だけど、それでも、ミーファのことを守りたいんだ」
実直な言葉遣いは、語彙の少ない少年そのものだったが、その内容は、明らかに男を感じさせるものだった。
「誰かがミーファを傷つけようとするなら、僕は“守るため”に戦いたい。そのために、“音楽の力”を使いたい。でも、ミーファが嫌なら、僕は使わない。ミーファは、どうしてほしい?」
ユキの言葉を聞き終えて、ミーファは、そうか、と思った。ユキは無垢に見えて、とっくに“力”を振るう覚悟を決めているのだ。恐らく、シンもそうだ。彼らは、自分たちの大切なもので誰かを傷つけても、ミーファの身を守ると言ってくれているのだ。
「どうして、そこまでして下さるのですか?」
思わず泣き出しそうな気持ちを押さえて、ミーファが訊いた。だが、その返答は、またも予想外だった。
「分かんない」
「はい!?」
またも予想外の返答にユキの顔を見た。先ほどまで強い意志を見せていたとは思えないほど呑気そうな丸顔は続けて言う。
「なんとなく、そうしなきゃいけない気がするんだ」
あっけらかんとした物言いに、ミーファは声を上げて笑った。可笑しいのではなく、嬉しいのだ。
行きずりの義務感や使命感ではない。少なくとも、このユキという少年は、自分の心が命じるままに“守る”と言ってくれている。その想いを止める言葉を、ミーファは知らない。ならば一緒に付いてきてもらおうと思った。いや、“一緒にいたい”と思った。
「分かりました。ユキさん、私を、コーディシアまでお願いします。道中、護衛してください」
「イエッサー!」
ユキは嬉しそうに言うと、アンディに、空中旋回を願い出た。アンディは承諾したが、ミーファが慌てて却下した。
結局、かなり深夜まで演奏会の名を借りた宴会は続き、すっかり酔いつぶれてしまったアルマを家まで送り届けてまた閑古鳥が鳴っている宿に戻ると、ルソラが腕組みをして待っていた。
「出迎えご苦労」
おどけて言うシンに、ルソラは相好を崩して言う。もう街から音はしない。二人分の声だけがよく通った。
「ふざけたこと言ってんじゃないよ。後片付けが残ってるんだ。手伝ってもらうよ」
「また深夜労働か。手当はつくのか?」
「朝飯のパンを一つ増やしてやるよ」
「そりゃ嬉しいな」
まだ初対面を脱した程度の関係だが、小気味良く会話が弾む。ルソラは不思議な感覚を抱きつつ、シンを自分の“家”に招き入れた。
「でも、何で待ってたんだ?」
シンに指摘され、ルソラは少し顔をしかめる。できれば言ってほしくない言葉だった。とりあえず、当たり障りのない返答をしておく。
「アルマの家でも一杯やって、フラフラになって帰ってくるかと思ったんだ。―――アンタ、全然酔わないんだな」
『演奏会』が終わった後、しこたま酒を飲んだはずのシンだが、イスや楽器類を片付けて回る足元は、しっかりしている。
「誘われはしたけどな。宿の女主人が腕組みして待ってる気がしてやめといた」
「ふん。口が減らないね。黙って仕事しな」
軽口の多い男は好きではなかった。はずだが―――ルソラは沈黙の中、物が動く音のみが支配する空間で、異を決し口を開いた。
「シン!」
「はい!?どうした?なんかまずいことでもしたか?」
大きな声で呼び止めすぎたせいで、シンが少々おびえた様子で返事をする。しまった。
「そうじゃない。待ってた理由……言う」
妙にぶっきらぼうな口調で発せられた声に、シンは一瞬合点がいかないという顔をしたが、やおら察しがついたようで、小さく頷いた。
ルソラはなかなか続く言葉を紡ぐ口を開かなかった。静寂の中、しばしシンの身長の割に小さな顔に乗った大きな目を見つめていたが、少しあって、言った。
「―――昨日は、助けてくれて、ありがとう」
昨日、とシンはオウム返しして、またワンテンポ遅れて理解した。暴漢が襲ってきた時のことだ。
「わざわざそれだけ言うために待っててくれたのか。律儀だな」
真っ白な歯を見せ笑いながら言うシン。だが、ルソラはまだ何か言いたいようだったので、すぐにその言葉を待つ態勢に入る。
「それだけじゃない。今日のことも。また、来てくれるって。明日、発つんだろう。その前に、言っておきたかった」
ルソラはいつもの快活な様子とは程遠い、もじもじとした小声でシンへの感謝を伝えた。心なしか、背も小さくなったように感じる。
シンは微笑みを湛えながら小さくなった自分の雇い主に近付き、頭一個分低い位置にある俯いた顔に向けて言った。
「ルソラのピアノ、すごく上手かった」
「そりゃ、どうも……」
息がかかるほどの距離で二人だけに届くような声量でそう言ってくれた男に礼を言う。
その男の顔が耳元に寄ってきた。
「また聴きたいから、絶対に戻るよ。待っててくれ」
ルソラは勢いよく顔を上げる。今まで何度も聞いた言葉だ。寂しさを紛らわせるためだけに宿に泊めて、そして去って行った人間たちと同じことを言われているだけなのに、顔が紅潮するのを感じる。
「そ、そうかい。いつでも来ればいいさ。べ、別にあんたを待つわけじゃないよ。宿代を貰うため……に―――」
だんだん消え入っていく程度の声量で言われた言葉に、シンは苦笑と呆れ顔を混じり合わせたような表情で言った。
「ルソラ、お前って、本当にベタだな。最近珍しいぞ」
「うるさい!っていうか何の話だい!」
ルソラが起こった瞬間、宿の前に何かが落下する音が聞こえた。シンはルソラに「そこで待ってろ」と言い、外に出た。
次はワイバーンでも現れたのかという予想は杞憂となり、シンは緊張を解いて、地面に不時着したガーゴイルと、その上に乗ったユキとミーファに言った。
「何してんだお前ら」
「あ~シンさ~ん、あのね~」
目を回しているユキが何か答えようとしたが、その言葉は遮られることになる。ミーファがそれ以上の大声で、烈火の如く怒り出したからだ。
「だから言ったじゃない!空中で三回転なんかしたらガーゴイルだって目を回すって!何とか言いなさいよ、ユキ!」
そう言ってユキの首元を掴み、前後に揺らし始める。シンはしばらく王女様の剣幕に気圧されていたが、軽く首を締められたユキの顔色がみるみる青くなっていくのを確認し、我に返った。
「おいミーファ、その辺にしといてやってくれ。本人も悪気は無かったと言ってる。と、思う」
シンの声が聞こえたことでミーファも忘我した状態から立ち直り、護衛の息の根を止めるところだった手で、乱れた銀の髪を直し始めた。
「―――あら、シンさん、ごきげんよう」
「急にキャラ戻すな。いや、戻ってねぇけど。いいから、さっきみたいに普通に話せ」
シンに言われ、少し恥じ入るような表情をしてから、アンディから降り、口を開く。
「これで、いいかしら。シンさん」
「シンでいい」
「僕もユキでいいよ~」
軽いチアノーゼから復帰したユキの言葉にも頷き、ミーファは頬を少し赤らめる。
「こんな話し方、王女らしくないわ」
「いいんだよそれで。俺たちにとってミーファは、めちゃくちゃ可愛い、普通の女の子なんだから」
「そうそう、ねぇ、ルソラさん」
「え゛?」
「あ、これ言っちゃダメなやつだった」
シンは恐る恐る振り返ると、面白い見世物でも見る様な顔をして立っているルソラを認めた。
「なかなか愉快な話をしているじゃないか。あたしも混ぜてくれるかい、ミーシャ?いや、ミーファ様」
「ばれちゃあしょうがない、アンディ、ミーファを連れて逃げるよ~」
『心得た』
「待ちな!第四師団の連中に付き出したりはしないよ。あたしを信じな」
「よし、信じよう」
「早いよ!まぁ、アンタはそういう奴だね」
ほぼノータイムで言ったシンに苦笑いをしてから、ミーファに向き合う。
「アンタ、本当にミーファ様なのかい?まぁ、そんな綺麗な髪、コーディシア王家でもなければあり得ないけどね」
フードなど、とっくに外れている。ミーファは街と月明かりに照らされた銀髪を撫でながら「はい。コーディシア王国第一王女、ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシアです」と白状した。
「そうかい」
「街を守る第四師団の兵士に伝えなくてよろしいのですか?」
ミーファの問いに、ルソラは大きな胸を張って言う。
「ここは確かにイギルスタンの領地だ。だが、同様に、元は別の国だったところだ。イギルスタンが小国家連合との交渉材料にしてる人質がこんなところにいるからって、そう簡単に連中に密告したりはしないよ。」
一枚岩ではないらしいイギルスタン共和国の内情の一端を垣間見た気がしたシンは、ルソラに礼を言う。
「ありがとうルソラ。でも、本当に大丈夫か?匿っていたことがばれたら―――」
「その時は、あたしもアンタ達と一緒に国境を越えて逃げるさ。いいだろう?シン」
そういうと、悪戯っぽくシンの目の前に顔を近づける。さっきまでとは逆の立場になったシンはルソラから顔を逸らし、少し後ずさる。
「あ、ああ、分かった。ところでミーファ、話しの途中だったな」
露骨に話題を変えたシンに、「シン、赤くなってるわよ」と言って笑ったあと、ミーファはこう続けた。
「ユキ、シン、改めてお願いします。私を、コーディシア王国まで連れて行って。それと、道中の護衛も。身勝手な頼みなのは分かっているけれど、私を守って」
シンはアンディの背に乗ったユキに目配せした。ユキも目で合図を送ると、二人揃って破顔した。不安そうな表情のミーファに、高らかに宣言にした。
「任せとけ!」
「イエス、マム!」
異口同音に承諾した二人の護衛騎士に、ミーファは目を潤ませながら言った。
「ありがとう」
シンは顔を掻きながら礼の言葉を受け取ると「よし!」と気合を入れる。
「じゃあユキ、早速だが―――」
「うん」
互いに目配せをして、意思が統一されていることを確認してから宣言する。
「寝るぞっ!」
「そうだね~」
拳を高々と上げ、シンが言い、ユキが同意した。ミーファとルソラが顔を見合わせて笑った。
「本当にマイペースだね。あたしが密告するとは考えないのかい?」
「考えたけど、めんどくさい。なぁ、ユキ」
「うん、信じる方が楽~」
「信じる方が、楽」
ミーファが、ユキの言葉を繰り返す。そう、この二人は、疑うことより信じることを選んでくれる。だから、自分も二人を信じよう。そう決意した。二人の覚悟に報いよう。そう、思ったのだ。
「さぁ、二人とも、明日のためにしっかり休みましょう」
ミーファの快活な声にシンが応じる。
「おう!あれ?ユキ、どうした」
ユキがアンディと何事か話している。相変わらずこちらからはうめき声と独り言の応酬にしか見えないが。
「あのねシンさん、一つお願いがあって」
「なんだ?」
「血を頂戴」
「なんで!?」
『契約は果たしてもらうぞ人間共』
ユキとシンが眠りにつき―――特に昨夜からロクに寝ていないシンは泥のように眠り、アブソビエでの長い二日目を終えた頃、国境の広大な平原に設けた野営地に、馬車が到着した。
地平に降り立った男が大きなテントの中に入っていく。
中には重装備の鎧を着た大柄な男たちが六人、左右に並び、その奥に頭一つ分小さな、しかし最も威圧感を発するスキンヘッドの男がいた。
「イギルスタン軍第一師団長オーミット様、お迎えに上がりました。これより馬車にて、アブソビエの街に向かって頂きます」
オーミットは武骨な顔を全く緩めることなく、黙って使いの男の声に従った。
イギルスタン東、国境地帯で戦闘の指揮を執るイギルスタン軍最強の兵士に下った密命。一時的に指揮官を離脱させてでもやらなければならないことは何であるのか、男は知らされていなかったが、このオーミットであれば、どのような任務であれ忠実にこなすのだろうと思った。それだけの忠誠心と強さを備えていなければ、他国から流れ着いた平民出身者でありながら軍のトップにはなれない。
「何かありましたら、私に何なりとお申し付けください」
馬車に乗ってから発せられた男の言葉に、オーミットは初めて口を開いた。
「必要なことは、通信魔奏石で総統から全て聞いている」
大きな声ではなかったが、低音のよく響く声が男の耳に届き、身を強張らせた。
「失礼いたしました」
「構わない。あまり気負うな。お前はお前の任を粛々とこなせばいい」
オーミットに言われ、少し気が楽になる。
師団長にも色々なタイプがいる。第七師団のイーフのように自身の強さを以て部下を圧する者もいれば、第四師団のロシェフのように、戦闘力は高くなくとも、絶妙に隙のある立ち振る舞いで掌握していく者もいる。このオーミットは、他の追随を許さない人並外れた強さと、優れた統率力を兼ね備えた万能型だ。事実、緒戦では苦戦を強いられていたイギルスタン軍の戦況がひっくり返ったのは、ここに野営する三人の師団長、特にこのオーミットが参戦した直後だった。
余計な口を挟まないように注意しながら、男は確信していた。この男には、この世界の誰も敵わない。たとえ、敵が『戦奏器』を使っても。たとえ、二対一でも。
次回はまたバトル!面白くしていきますのでよろしくお願いします。