番外編 『天唱祭前夜祭』
PCが壊れるなどのアクシデントで長過ぎる沈黙でしたが、どんなロングパスでも通す主義なのです。ようやく書けました。いよいよ完結です。
東京の港と沖合に浮かぶ小さな島、天奏島を往復するフェリーは、一年に一度の夏祭りであり夏フェスでもある“天唱祭”のため、この時期だけの特別運行を続けていた。
何もない島に何かイベントをという思惑で二十年ほど前から始まった天唱祭は、当時の夏のロックフェスブームに乗り、初開催の時から大変な盛況をもたらした。
しかし、普段は観光地でもない一島嶼の自治体である。数万人の観客を受け入れるキャパシティもノウハウも碌にないのに、そこそこの成功を収めてしまったが故になかなか止められなくなるというジレンマも抱えることとなった。
何が問題かというと、まず、島まで行くのがとても面倒くさいのだ。そして、行った先には宿が無い。いや、あるにはあるが、絶望的に少ない。一年に一度のことであるので、わざわざ増やすこともままならない。
故に、観客は盛大に揺れるフェリーに乗せられ、疲労と酔いでデロデロになった状態で数少ない宿泊施設にありつけたらまだ良い方で、あぶれた人々は島の裏側に作られた急ごしらえのテント村で碌に眠れない夜を明かし、フラフラの体調でロックフェス特有のモッシュピットとダイブ&サーフを最長三日|(!!)こなし、ほうぼうの体でまた揺れに揺れるフェリーに乗って帰るのだ。
誰が呼んだか『ロッ苦フェス』もしくは『天唱災』または『昇天祭』なお、死者は出ていない。調子に乗ったロック誌が『東京の離島にロック狂いのマゾが大集結!』とコピーをつけて大顰蹙を買ったのもご愛嬌である。
黎明期のフジロックでももう少しちゃんとしているはずのキ○ガイ祭りが、既に二十年目に突入しているのは、まさしくバカが多い―――もとい、熱心なファンが多い証拠であると同時に、音楽フェスというものが日本で大切な文化として根付いている証左である。
誰もが音楽によって開放感を味わいに来ているので、文句もあまり出てこない。しかしながら、さほどお祭りに興味もなく、半ば仕事としてやってきた者にとってはその限りではない。
「おい、これはどういうことだ」
雑魚寝の客室には大量の音楽機材が持ち込まれ、プロアマ問わずそれを見張るロッカー達がひしめき合っているという、ある意味で壮観な、もしくは非常に貧乏くさい光景が広がっていた。それらの中で最も荷物が少なく、且つ疲労困憊な表情を浮かべて涅槃像のように寝転がっている14歳の少年がぼやき声を上げた。
「どうした?晃陽」
晃陽と呼ばれた少年は、胡坐をかいて座る男の方を向いた。
「お前らの組織っていうのは、よほど金が無いのか、それともケチなのか」
細いながらも筋肉質な体にシルバーを光らせ、海外ロックバンドのシャツとダメージジーンズといういかにもロックファンな服装をした長髪の男に文句を言う。男は、細面で鋭角的だが温厚そうな表情を変えることなく、穏やかな声で晃陽を宥める。
「両方だ。“上”に話を通したとはいえ、そもそもこれは非公式な作戦で、予算が回ってこないんだ。果たして、ここまで来た新幹線と電車代とタクシー代とフェリー代が経費で落ちるのかさえ分からない」
ここまで乗り継いできたすべての公共交通機関を思い返し、晃陽はため息を吐く。
「もっとこう、飛行機とかヘリとか―――」
「ない。むしろ、二色町からなら乗り継いだ方が安上がりだ」
13時間ほど前に出発した町の名前を聞いて、晃陽はさらにげんなりした顔をする。
「地方住まいは辛いな。高校は東京にするかな」
「受験生になる前に、ちゃんと進級できるのかな」
中学二年生で、長期の休学を強いられそうになる身には耳に痛い話を聞いて晃陽は仰向けになった。
「後悔しているか?」
「まさか、自分で決めたことだ」
疲れてはいてもその意志の強さが伺える目鼻立ちのはっきりした顔は崩れることなく、晃陽ははっきりと言った。
「補習になったら、勉強くらいは見てやるよ」
「それはどうも。氷月先生」
その冗談に、わずかな間非常勤講師として晃陽たちに勉強を教えていたことを思い出した氷月は、笑みをこぼしながら窓の外を見やった。
「―――晃陽、ヘリコプターは出ないが、空を飛ぶ船なら見つかったぞ」
「はぁ?」
氷月の声に、むくり、と起き上った晃陽は怪訝な顔で氷月の目線の先を追った。見ると、周囲の人々も一様にその方向を呆然と見つめている。
「何があるっていうん―――だ……」
夏特有の、抜けるような青い空の下、飛沫を上げて航行するフェリー正面の窓から見えたのは、目的地である島、天奏島と、その上空に浮かぶ大きな帆船だった。
「神宮寺君が言っていた『サウンドワールド』の空船とはこれのことか。これは、さすがに『十三人』も腰を抜かすだろうな」
乗客たちが一様に口をだらしなく開ける中、氷月が冷静に、そして面白そうに言った。
「晃陽?」
隣で、相棒が立ち上がる気配を感じた氷月が晃陽を見やる。先ほどまでの疲れ気味の表情とは打って変わった瞳の輝きに、思わず笑う。
「氷月、俺は先に行くぞ」
「ああ。ホテルには先にチェックインしておいてくれるか」
頼みを受け取った晃陽は満面の笑みを浮かべ、駆け出す。
「面白くなってきた!」
叫びながら、クタクタになっているミュージシャンたち及び乗客の間を縫うように走り、外に飛び出す。フェリーは丁度大揺れで、晃陽は濡れた甲板に滑り、したたかに腰を打ち付けた。
「いってぇ……」
頭は悪くないのに、考えなしなところがある晃陽はめげずに立ち上がると、再び船の舳先へ向かって駆けだす。そして、なにかを唱え始める。
「≪陽光は天へ 冥暗は地に≫」
脇目も振らず、走る。周りの痛いものを見る目など気にしないで、走る。
「≪彼の名の下、差し昇れ
彼の名の上、墜落せよ≫」
心のままに走ること、それがこの東雲晃陽の、強さだ。
「≪太陽神アポロン 汝の力をここに名状する
我が真名の告白と血の契約に基づき この手に宿れ≫!」
でも、やっぱり厨二は厨二だよね。
「来い!退魔の剣“シルディア”!!」
舳先に辿り着くと同時に、右手を前に突き出す。手に光が宿り、それが消えると同時に、一本の剣が握られていた。
「よっしゃあ!」
尚、出すまでの前口上は一切必要ない。
「剣よ、力を解き放て。シルディア≪ゼログラビティ・フォーム≫!」
晃陽がそう告げた瞬間、下からの風に突き起こされるように晃陽の衣服がはためいた。そして、地面を蹴り出すと、晃陽は空の彼方へと飛び出していった。
「今日も、良く飛んでいるね、晃陽」
またぞろポカンとしている乗客と共に空を飛ぶ晃陽を見つめている氷月によれば、こことは正反対の虚数軸世界で生まれた剣であるシルディアには、マイナスのエネルギーが満ちており、それによって物理法則にすら逆らう動きが可能になるらしいのだが、晃陽は難しいことを考えていない。飛びたいから飛ぶのだ。
「それにしても、ライブブレード―――“シルディア”がこちらの世界でも出せるようになったというのは、あまり良いニュースではないな。この世界は確実に、“S”に侵食され始めているということか」
誰に言うでもない、しかし独り言にしては大きな声で言った。それはまるで、自分にしか見えない幽霊に話しかけているようだった。
―――その時のことを、後にミーファはこう語る。
『はい、避けることは難しかったです。些細なことでイーフと喧嘩になってしまった私は、ユキに『“れいきゃくきかん”を作ろう』と言われて、シーラと一緒に島を周回するトロッコに乗っていました。島の南側の森に入ると風が気持ち良くて、イライラとしていた気持ちも少しずつほぐれていくような気がしていた時に、目の前に“何か”が降りてきたんです。
それが人の姿だと分かったのは、上空から降り立った彼をトロッコが弾き飛ばした後でした。とんでもないことをしてしまったと思いながら、大の字になっている男性に向かってシーラが神妙な顔で静かに『埋めよう』と言ったとき、思わず頷きそうになりました』
―――一国の王女であるお二人の見解が図らずも一致したわけですね。
『う……、結果的にそうなりましたが、いえ、私は賛成していませんよ?ユキも急いでアンディを呼び出して医者である父君の下に向かわせようとしていましたし。
ですが、気絶していただけだった彼―――晃陽さんが目を開いたことで、私たちはホッとしました。せっかくユキたちの世界と交流を深められる機会に、その世界の人間を殺してしまっては―――』
―――でも、いざとなったら元の世界に逃げおおせればいいですしね。
『ええ、少しはそういうことも考え……いえそんなわけないじゃありませんか!なんですか、なんでさっきから私の発言に“悪意”を見出そうとしているのですか!』
―――ありがとうございました。
『いえ、何もありがたくありませんよ!そもそもなによこのインタビュー!誰が質問してる―――』
目を開けると、そこには小学生くらいの丸顔の少年と、これまた小さな少女、そして銀髪碧眼の美少女の後ろに謎の化け物がいるのを見て、晃陽は「なんだ夢か」と、再び目を閉じた。
「おきてー!」
「ぐはっ!」
志動雪光―――島の人間からはユキと呼ばれている少年が勢いよく晃陽の腹にフライングボディプレスを仕掛ける。晃陽は息を漏らしながら完全に覚醒した。
「あ、あの、大丈夫でしたか?」
銀髪の少女、ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシア―――通称ミーファが碧眼を少々潤ませて晃陽のみを案じる。
「ああ、大丈夫だ」
美少女が目と鼻の先に近づいてきても平静を失わない14歳は、ユキを丁寧にどかしてから起き上がると、この島に降り立ってから一番奇妙な物体を差し、ミーファに訊く。
「あれはなんだ?」
「ガーゴイルのアンディとシーラだよ~」
「こらユキっ!あたしをアンディの後にするなっ!」
代わりに答えたユキに、褐色肌の少女・シーラサナル・ケルティフ・ローレアンヌ―――シーラが彼女特有の弾んだ口調で怒る。
「僕はユキです。この女の子はミーファ。あ、あとのしかかってごめんなさい」
つらつらと自己紹介および謝罪を終えたユキの言葉に対し生返事した晃陽は、蝙蝠のような羽根と大鷲のような頭を持った怪物を凝視しながら、一つの質問をした。
「もしかして、お前たちが異世界から来たという連中か?」
「僕は違うよ~。ミーファとアンディとシーラがリートレルムから来たんだ~」
「こらーっ!またあたしを最後にしたっ!」
「シーラ、細かいよ~」
膨れ面で抗議するシーラを穏便にかわすユキの横で、ミーファは少し警戒をしていた。この少年は、自分たちのことを知り過ぎている。ここは一旦逃げて、シンに報告をすべきではないだろうか。
「……うひゃひゃひゃひゃ――――」
考えていると、突如、少年が奇声を発し出した。
「面白くなってきたぁ!!」
森に住む小鳥たちが何羽か逃げ出すほどの大声に、ミーファ以下全員がきょとんとしてしまう。晃陽は興奮した様子で巨躯の怪物の目の前に行くと、目を輝かせながら言う。
「やっぱり異世界と言えば空飛ぶ魔物だよな。でも、俺が知ってるガーゴイルとは少し違うな」
「リートレルムのガーゴイルは“ぜつめつきぐしゅ”で、こうなっちゃんだって。アンディがいってた。」
「へぇ、というかユキとかいったか。お前、アンディの言葉が分かるのか」
羨ましそうな晃陽を見て、ユキは得意気に、懐にしまってある石を取り出した。
「ちゃららちゃっちゃら~。魔奏石~」
何となくネコ型ロボット的だが、ギリギリセーフ(セルフジャッジ)。
「これを使えばリートレルムの人と話せるようになるのです。ミーファもシーラも持ってるけど、アンディと話せるのは僕だけ~」
「それは凄いな。ちょっと俺にも触らせてくれないか」
割とすごい状況なのに一切疑問を挟まないなこの人。ミーファはそう思いながら、数分ですっかり打ち解けた様子の二人を見つめている。
『ユキよ、この人間はなかなか面白いな』
「おお!アンディの声が聞こえるぞ!」
「ええ!?」
ミーファが驚く。翻訳用魔奏石を使った中でも、特にユキにしか発現しなかった能力をあっさりと開花させた。悪い人間ではなさそうだが、本当に何者なのだろう。
「くっそー、なんでこっちの世界の奴ばっかり!あたしもアンディとお喋りしたいぞっ!」
『ユキよ、シーラに「私とお前の間に言葉は要らない」と伝えておけ』
「いえっさー」
「随分と優しい怪物だな」
「怪物じゃないっ!アンディはあたしの“きょうだい”だっ!」
「おおそうか、すまない」
素直に謝った晃陽に満足したのか、シーラは「空から降りてきたなっ。お前も空が飛べるのかっ?」と、友好的な態度で話しかけてきた。
「ああそうだ。ええと、どこにいった?」
「この剣はなに~?」
ユキが道端に投げ出されていた剣―――シルディアを手に取る。
「ああ、それだ。ユキ、それは俺の街に出現した異世界『シャドウ・ワールド』で見つけた退魔の剣“シルディア”だ。この剣の力で俺は、この島まで飛んできた」
「え~本当に!?すごい、僕にも使わせて!」
「悪いな、この剣は選ばれし者しか使えない特別な剣だ」
晃陽が悦に入った様子で言うと、「そうかぁ」と、少し落ち込んだ様子を見せたユキ。晃陽は言い直す。
「しかし、この剣の“能力”を引き出せたのは俺だけではないからな。もしかしたらユキにも扱えるかもしれない。後で、練習してみよう」
「ほんと!?」
「ああ。じゃあ俺も、アンディに乗せてくれるか?」
「アンディ、いい?」
『まぁ、良いだろう』
「交渉成立だ」
「いえーい!」
ハイタッチを交し合った二人を見て、ミーファは思った。この人たち同類だ。楽しそうなものにはとりあえず飛びつくタイプ。
「む~ん」
シーラが腕組をして唸っている。あまり賢くない頭をしばし捻った後、パッと顔を上げ、晃陽を指差した。
「気に入ったっ!お前、あたしの家来にしてやるぞっ」
「家来?」
背の低い、華奢な少女からの高圧的な宣言に、若干戸惑った表情を浮かべる晃陽。
「シーラはね、こう見えてお姫様なんだよ」
ユキが一言多い説明をする。シーラがキッと睨むが、泰然自若を絵に描いたような少年は全く動じない。
「正確にはリートレルムにて再興したローレアンヌ王国の新女王陛下です」
ミーファの補足に、ほぉ、と、素直に感心する晃陽。こう、なんというか、話の理解が早すぎて逆にやりづらい。ミーファは奇妙な感覚でシーラの前に片膝をついて跪いた少年の挙動を目で追う。
「これは申し訳ないことをした。女王陛下に随分と頭が高かったな。異世界の女王の家来というのは、なかなか面白くなりそうなありがたい話しだが、俺には、この世界でやらなければならない使命がある。故に、申し出は、お断りいたします、女王陛下」
慇懃に言った彼の言葉は冗談のようにも聞こえたが、口調は全く真剣で、有無をいわせない迫力すらも備えていた。
「うむっ。分かったっ。それなら別にいいけど、お前のことは気に入ったから、家来の椅子はいつでも開けておくぞっ。アンディの次に偉い身分にしてやるっ」
満足気に言ったシーラに、晃陽も相好を崩す。
「使命って何~?」
ユキの質問に被せるようにミーファも訊いた。
「あ、そうです。あなたのお名前をまだ聞いていませんでした」
そういえば、と晃陽は立ち上がり、剣を肩に乗せると、島に着いて初めて出会った三人と一匹に向かって名乗る。
「そういえばいっていなかったな。俺は東雲晃陽、友達と世界を救うためにこの島にやってきた、二色南中学校の二年生だ。よろしくな」
何だか壮大な自己紹介に、ユキが目を輝かせたのはいうまでもない。
「ところで、天奏島のホテルはどこにある?チェックインに行きたいんだが。」
初めて見て興味が湧いたということで、島を巡るトロッコに乗った晃陽がユキに訊く。
「どこだっけ?」
「あたしに訊くなっ。ここに来て、まだ三日も経ってないぞっ」
「それにしても、こちらの世界に帰ったと思ったら突然引き返してきて、シンさんに『まだやることが残ってるから戻るよ』なんて、ユキらしい傍若無人さだったわね」
ミーファが王女の口調を外して、微笑む。どうせならみんな一緒に、ということで、アルマの大型空船に乗ってこの島にやってきたのが、丁度三日前。島は一年に一度の大きな祭りの準備で慌ただしかったが、島の人間たちは、異世界の自分たちを快く受け入れてくれた。シンの推察によれば、この島はかつてリートレルムにあったらしく、そのDNAが息づいているのかもしれない。
「異世界との交流か。うひゃひゃ、面白くなってきた!」
晃陽が変な笑い方をしながら、立ち上がって手を大きく広げ、大声を上げる。楽しそうに生きているな、とミーファは思う。歳は自分と一緒だが、何だか憧れる。
「ストーップッ!!」
ユキがトロッコに急ブレーキをかけ、何にも掴まっていなかった晃陽が慣性の法則で吹き飛んでいった。前言撤回。
「ユキ、どうかしたか?」
巨大なコブを作りながらも驚異的な生命力で立ち上がった晃陽が訊く。
「物知りな“お兄ちゃん”にホテルの場所を聞きに行くんだ~」
そういうと、ユキは元気よく森の傾斜になっているところを駆け昇って行った。お兄ちゃん、か。ミーファは自然と自分の兄貴分をそう呼んだユキを微笑ましく思いながら、その後姿を追った。
島の高台にあるコミュニティラジオスタジオは、非常に間が悪く、ユキが通う天奏島小学校兼中学校の担任教師、千崎千鶴一世一代の告白の真っ最中だった。相手はもちろん、このコミュニティラジオの支配者であり役場の職員であり、ユキと並んでリートレルムを崩壊から救った英雄である神宮寺敦―――通称、シンだった。
その様子を、現在ユキたち四人はスタジオの扉の死角から伺っている。趣味が悪いと思いつつ、気になる年頃のミーファはやめられないでいる。ほかの三人だって―――
「早く終わんないかな」
「そうだな、早いところホテルで一服したい」
「お腹減ってきたっ。話が終わったら、家に帰ってユキのお母さんに何か作ってもらおうっ」
―――うん、違ったね。知ってたけどね。
「行かないって選択肢は、ないんですね―――」
どうやら、あまりロマンチックな雰囲気ではなさそうだ。千鶴の声はどこか切実な色を含んでいる。それに応えるシンも、いつもの積極果断な様子とは違う。
「島に残ってくれってお願いだと、聞けませんね。……俺は、あのリートレルムって世界でやって行きたいんです」
「それは、ルソラさんがいるから、ですか?」
ミーファの胸がキリリと痛んだ。今、千鶴はそういう類の問いかけをした。自分と相手を傷つけてしまうかもしれない質問だ。
シンは、どう答えるのだろう。ミーファは心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、次の言葉を待った。だが、それが果たされることは無かった。
「ねぇシンさん、まだ~?」
デリカシーだの恋愛における微妙な雰囲気を察するだの、そんなものは生まれた瞬間へその緒と一緒に引っこ抜いたのであろう天上天下唯我独尊の権化たるユキが、テクテクと歩み出て行ったからだ。
「ユ、ユキッ!?」
「ユキ君……ど、どうしてここに?トロッコで遊びに行ったんじゃ―――」
「ホテルの場所を聞きに戻ってきました~。晃陽、もう出てきてもいいよ」
「いや全然良くねぇけど―――」
しかし、どやどやと現れた三人の人影に、シンは降参だというように両手を上げた。
「あの、申し訳ありません。盗み聞きするつもりはなくて―――」
「いや、あっただろう。嘘は良くないぞ、ミーファ」
晃陽にあっさりと叩き返され、ミーファは二の句が継げなくなる。
「大事な話の最中に割り込んで申し訳ない。道を聞きに来ただけなんだ。邪魔なら即刻退散する」
「いいえ、もう大丈夫です。神宮寺さん、案内してあげて」
デニムのショートパンツとTシャツという夏らしい軽装の千鶴が、フェス用のシャツを着ているシンにいった。
「はい、分かりました。ユキ、もうちょっとタイミングを考えろよ」
「だって、いつもだったら大事なことは三秒で決めるのに、今日はウジウジダラダラしてるし~」
「してない。言葉を選ぶのに時間がかかることもあるんだ。―――えーっと、君の案内をすればいいんだな?」
シンが挑むような目つきでいる晃陽を見て、怪訝な顔をする。晃陽の方は、「そうか……」と、何か納得するように呟いてから少々ボリュームを上げる。
「あなたが、『十三人』の諜報員、コードネーム“神宮寺”か」
コードネーム、という言葉に反応したシンを見て、晃陽は当たりを確信した。そして、改めて自己紹介する。
「俺は、東雲晃陽。氷月と一緒に、この島にやってきた」
そういった晃陽は不敵に笑った。シンも口元を歪める。
「随分若い、生意気な感じのエージェントが派遣されてきたな。俺の何を知っているんだ」
「いや、何も」
「は?」
あっさりとした晃陽の返答に、シンは思わず声を漏らす。
「いや、こういう秘密諜報員同士みたいなやり取り、一度でいいからやってみたかったなって思ってたから、ついニヤけてしまったんだ。生意気に映ったのならすまない。そんな気はなかったんだ」
「―――そうですか」
あっけらかんと言い放つ晃陽に、何となくユキと同じ匂いがすることを感じつつ、どうやら敵対するつもりは無いらしいことを確認し、シンは少年の頼みを聞き入れる。
「―――ホテルに案内するのは大丈夫だが、その前にやっておきたいことがあるんだ。それまで、ここで一休みしていてくれるか。あと、俺のことはシンで良い。みんなそう呼んでる」
「分かった。ありがとうシンさん」
「ユキ、シーラ、一緒に行くぞ。志動先生から帰って来いって連絡があった」
「は~い。行くよ、シーラ」
二人の児童を連れ立って外に出る寸前、シンがむくれたように俯く千鶴に向かっていった。
「千鶴先生、今夜の前夜祭に来てください。その時、また話します」
千鶴の反応は無かったが、シンは小さく頷きながら微笑むと、スタジオを後にした。
―――十分後。
無言だった。スタジオの椅子に座った晃陽、ミーファ、千鶴。三人とも話す気配がない。だんだん晃陽はいたたまれなくなってきた。色んな妄想をするのは好きだが、恋愛に関しては完全に専門外だ。どうしようか、しばし迷った挙句、実体験の話をすることにした。
「千鶴先生、でいいか?」
「はい?なんですか」
「告白するにも勇気が要るが、受ける方もなかなか大変だ。そこを分かってほしい」
よもや中学生に恋愛を指南されるとは思わなかった千鶴は、子供をあやすような笑顔を向けてやる。
「ははは、ありがとうございます。そういう晃陽君はモテるんですか?」
「それは分からないが、以前、一日で三人の女子に告白されてしまったことがある」
「モテモテではありませんか!」
ミーファが一オクターブ声を高くして言い、千鶴は先ほどの自分の態度を恥じた。この子、自分の今までの恋愛経験を一日で更新していた。とんでもない猛者だった。
「全員友達で、好きだったが、なんというか、友情以上のものは無い気がして、全員断った。中途半端な気持ちで付き合うのは嫌だったからな」
「きゃあ!すごい!晃陽さん、男らしいですね!」
尚もミーファが興奮したように言い、千鶴は押し黙った。女28歳、14歳男子に恋愛経験で完敗。さっき子ども扱いしてすみませんでした。と、内心で土下座である。
「だから、さっきのシンという人が言葉に詰まってしまったのも、決して先生が嫌いというわけではないと思うんだ。そんなに落ち込まないでほしい」
「そうですね。ありがとうございます。でも、それでも私には無理っぽいです」
弱音が、濁流の様に出てくる。
「あの人の目には、もう私は映っていない気がするんです。もっと美人で、強くて、彼の行きたい世界にいる女性の方が、相応しいかなって」
「リートレルムから出るときは、あんな“たんか”切ったのにね」
「うぅ……」
小学生の教え子にまで自分のヘタレさ加減を追及されてしまう。勢いでいって、勢いのまま行動できれば良かったのだが、妙なインターバルが置かれたせいで、熱意が萎み、元あった生活への未練が首をもたげ始め、自信を喪失していってしまったのだ。
晃陽は腕を組んで、何事か思案するように目を閉じている。
「やっぱり、どうしても自分に自信が持てないんですよ。私、そんなに魅力ないし」
「そんなことはありませんよ。千鶴さん、綺麗です」
ミーファがフォローする。外見がほとんど完璧な王女からの評価にも、千鶴の表情は暗いままだ。それを継ぐように、晃陽が目を開いて千鶴の方を見る。
「いや、こんなガキが言うのも失礼だが、男から見ても、先生は女性として魅力的だと思う。きっとあのシンさんもそう思っている」
いいえ晃陽先生、失礼なんてとんでもないです。舞い上がるほど嬉しいです。そうか、この飾り気のない実直さに、三人の女子が餌食になったのか。と、千鶴は合点がいった。
「ならば、付いて行けばいいだろう」
あっさりといってのけた晃陽に、千鶴と、ミーファも呆然としている。
「どうした?何かおかしなことをいったか?」
「いえ、そうではありませんけど、私にはお仕事もありますし、神宮寺さんの意志もありますし―――」
嘘だ、と、千鶴は自分を叱咤する。そんなことは言い訳だ。傷つかないために、どこかで自分を諦める理由を探しているのだ。実際、あの時はすべてを捨てる覚悟ができていたじゃないか。
「先生、あんたは何がしたいんだ?シンさんに、この島に残ってほしいのか。それとも、シンさんと一緒にいたいのか?」
千鶴の顔が茹蛸のようになる。流石恋愛強者の中学生だ。こちらの欺瞞をズバズバと言い当てる。
「ず、随分明け透けに、はっきり言いますね」
「すまないな。俺は妄想するのは得意だが難しいことは苦手で、こういう物言いしかできないんだ」
「ふふふ、素敵なことだと思いますよ。ねぇ、千鶴さん」
ミーファの言葉に頷く。物事を限りなくシンプルに捉えて答えを出す。これは晃陽という少年の美点だ。
「こんなガキに言われても反発するだけかもしれないが、大切なのは、自分の心に正直になることだと思う。自分の心が何をしたいのか、その声を聞くべきだと思うんだ」
「自分の心が、何をしたいか―――?」
「そうだ。どんな理屈をこねても、結局、人はそうするしかないような気がする」
どの学校にも、こんな生徒が一人はいるのだろうな、と千鶴は思った。教えられるまでも無く、生きていく上で一番大切なことを分かっている。
「うふふ、千鶴さん。晃陽さんに、また勇気をもらいましたね。お互いに頑張りましょうね」
「なんだ?ミーファも何かあるのか?」
「はい。ちょっと頑固で気難しい男の子と喧嘩してしまって」
「そうか。仲直りは、早い方が良いな。謝るのは俺も苦手だが、終わりにしたくはないからな」
その言葉の直後、スタジオの電話が鳴った。千鶴が受話器を取る。
「はい、天奏島コミュニティラジオです―――あら、イーフさん?」
ミーファがぴくっ、と反応した。晃陽はそれに何かを察し、今度こそ邪魔にならぬよう、しばらくスタジオの外に出ていることにした。
コミュニティラジオの電話が鳴る十分前―――
「手伝ってくれてありがとうイーフ君。流石に大きなお祭りの前だからね、人手があると助かるよ」
ユキの父親で、島の医師である志動昭光が診療所の手伝いを買って出た少年騎士イーフゴート・ヒナタリア・ラスティミーズ―――イーフに礼をいう。
「いいえ。寝床を提供してくださって何もしないというわけにもいきませんので」
「気にしなくていいよ。それより、雪光の寝相は大丈夫だったかい?あいつはすぐ人の布団に潜り込んでくるから―――」
「寝起きでいきなりあの丸顔が目の前にあったのは驚きましたが、安眠妨害するほどではなかったので」
「ほとんど片親同然の上に、あまり構ってやれなかったせいか、どうも他人にベタベタと甘えてしまうところがあるんだ」
ユキの過去を知る者として、それは仕方のないことだと心得ている。むしろそれであれだけ開けっ広げならば、その方が良いとすら思う。
「自分が言うのもなんですが、息子さんは強いです。何も心配はいらないと思います」
そう言った瞬間、「ただいま~」と「お腹減った~」という声が届いてきた。ユキとシーラだ。
「シーラ様、あまり外を出歩かれると危ないですよ」
一国の女王としての自覚を促すが、人里離れた場所で、ガーゴイルと共に育てられて野生児であるシーラにそんなものはない。
「またお説教かっ!アンディがいるから大丈夫だって言ってるだろっ!」
「僕もいるしね~」
二人の王族を守るという使命を仰せつかったプライドを滲ませつつユキが付け加える。
「そうだっ。ユキもいるしっ。だから平気っ。それよりお腹減ったぞっ」
「おやつが二階にあるよ。食べてきなさい」
「ほんとかっ!?」
目を輝かせて駆けだしたシーラを見送ったイーフはため息だ。
「あれ?イーフ、まだ今朝のこと引き摺ってるの~?」
顔を覗き込んでくるユキに、イーフは頭を振る。
「そういうことじゃない。王族というのはどうしてああも自分勝手なんだと思っただけだ」
「みんなみんな自分勝手だよ~。僕もイーフも」
「俺はそんなことない。兵士として騎士として、礼節と忍耐を知っている」
「でもそれも、イーフが自分でそうしたかったことでしょう?」
その言葉に、イーフは一瞬口ごもる。
「そうしたかった―――わけではない。そうするしかなかったんだ」
自分には身寄りもなく、ほかに選べる道もなかった。我ながら、自分の意志などほとんど通用しない肩身の狭い人生だったと思う。
「そうなんだ~。じゃあ今は?」
今、か。どうなんだろう。自分がしたいこと―――
「笑って、泣いて、怒って、歌って、それでいいじゃない、人間だもの~」
歌うようにいうユキに、反感ではないが、何か納得できない感情が持ち上がってくる。
「そうはいっても、そんなに何でもかんでも心のままに動くことなんてできないだろう」
「なんで?」
ああもう、こちらのペースが乱される。しがらみという言葉がこいつの頭にはないのか。
「―――ないはずは、ないよな」
「ん?」
首を傾げるユキを見て、内心の前言を撤回する。こいつは、むしろ誰よりよく分かっている。どうにかしようと思ってもどうにもならないことを、11歳という年齢では考えられないほど経験してきたこいつのことだ。現実が自分の心を縛り付けてくるような体験はしてきただろう。それでも、なお『心のままに動け』といっているのだ。
「しかしな、ユキ。俺の世界には、身分の違いというものが存在する。それは、そう易々と超えられるものではないし―――」
「でも、ミーファと一緒にいたいんでしょ?」
こいつはいつだって直球一本勝負だな。イーフは苦笑交じりに曖昧に頷く。それはそうだが、そんな簡単な話ではないのだ。
「イーフ君」
昭光が会話に加わってきた。
「君とミーファさんの間にある事情は、よく分からないが、そんな何もかもを一気に背負い込むことは無いんじゃないかな」
白衣を纏ったユキの父親は、イーフの肩に手を置いていった。
「私はかつて、一つの失敗を犯した。それによって多くのものを失ったし、傷ついたが、自分を突き動かしたのはたった一つの“思い”からで、その意志を否定したり、後悔したことは今まで一度もないよ」
たった一つの思い―――。
「イーフ君も、まずは本当に大切なその一つを大事にした方がいいんじゃないかな。ほかのことは、とりあえず後回しにして。何より君は、まだ若いんだ。このユキの様に、心のままに動いてもいいと思うよ」
そう言い残して、再び診療所の整理に向かった昭光の後姿を見つめながら、イーフは考えていた。だが、見る前に飛べを地で行く小学生が目の前にいると、長考は許されない。
「じゃあ早速ミーファと仲直りしようそうしよう」
「いや、今すぐは―――」
「“ぶんめいのりき”っ!」
いって、ユキはイーフの腕を引っ張り、診療所の電話の前に立たせた。
「おとうさ~ん、電話使うね~」
「一回十円だぞ」
ユキは父に言われた通り、電話の傍らに十円を置いて、まだいるであろうコミュニティラジオスタジオの電話番号をプッシュする。
「おい、ユキ、何をするんだ」
「もんどうむようっ!」
その言葉通り、受話器をイーフに押し付けると、ユキは「僕もおやつ~」といいながら診療所の二階へ消えていった。全く、こちらの気持ちに関係なく自分を押し通そうとするのだからたまらない。ただ、そうでもされないと動き出せない自分の情けなさを棚上げして非難することもできないが。
電話口に出たのは千鶴だった。ミーファに変わってもらうようにいうと、ふふっ、という笑みが帰ってきた。
「あなたも“決着”をつけるんですね。イーフさん」
「……はい」
夜。
『天唱祭』の前夜祭が始まろうとしていた。あちこちに出店が出て、露天商が動き出し、フェスのメインステージには本番のリハーサルを兼ねたDJイベントが開かれる。
「安いですよ!リートレルム産の魔奏石ッ!アクセサリーにどうですか!?」
「よぉ、カルウラ。なかなか羽振りが良さそうじゃねぇか」
「アルマさんこそ。空船の体験乗船が人気だそうですね」
「おう!しかしよ、この硬貨はちゃんと銀製なのかね」
アルマがポケットにジャラジャラといわせている百円玉や五百円玉を取り出して首を傾げる。
「……さぁ?」
カルウラもまた、なんとなく金目になりそうなものとの物々交換で店をやっていたので分からなかった。
「何をやっているのだ馬鹿者どもが」
「お、オーミット様!?何故ここに!?」
「なんでぇオーミット、結局おめぇも来たんじゃねぇか。どうした?祭りの気配に誘われたか?」
「ドゴール王が、ミーファ様とシーラ様のことが心配だと申されてな。イーフもシンもいるとはいえ、念入りにと私が駆り出されたのだ」
「え、じゃあその手に持っている綿菓子はなんなんですか?」
「……シーラ様に買わされたのだ」
「……」
「……」
それはないわ、という二人の表情に、やおら大声を上げるオーミット。
「なんだ、私の話が信用できないのか。本当だ!誰が何をいおうと!シンディオの誇りに懸けて、このような菓子を買い求めたかったわけでは断じてないのだッ!!」
熱弁を奮う王族の末裔の姿を見て、アルマが行商人にため息交じりの声を発する。
「カルウラよ」
「はい」
「我らが故郷の誇りは、随分と軽くなっちまったようだぜ」
「お察しします」
「違ーーーーう!!!!」
―――そんな喧噪を少し外れた夜の海岸に、二つの影が並んで座っていた。そのままの体勢で、既に十分が経過しようとする中、まず、最初に会話の口火を切ったのは夜に際立つ銀髪の髪を持った少女だった。
「以前、ユキから聞いたわ。このお祭りは、島に伝わる古い言い伝えが元になって始まったんですって。空から聴こえた美しい歌声。私たちの世界から届いた音楽の音色だったのかも知れないわね」
「そうか……」
人一人分ほどの距離を開けて座る黒髪の少年の反応は、鈍い。
「そういえば、音楽は嫌いでしたわね、イーフ殿。申し訳ございませんでした。それとも、またユキに嫉妬していらっしゃるのかしら。本格的に乗り換えちゃおうかな?」
ふん、とそっぽを向いていってやると、また少しの沈黙。次に破ったのは、イーフの方だった。
「―――あの、ミーファ……」
歯切れが悪いときは自分の非を認めているとき。ミーファはツンとした表情を崩さず、狼狽するイーフが放つ次の言葉を待つ。
「俺は、確かに血筋こそ王族だが、やはり育ちは平民であり、兵士だ。戦うことを幼い頃から教えられ、義務付けられてきた。ミーファと釣り合いの取れる男になれるか、正直自信がない」
喧嘩の発端となったことについて話し出す。ミーファは島の美しい星空を見上げながら、イーフの言葉に聞き耳を立てている。
「だが……努力する。ミーファに相応しい人間になりたいと思っている」
堅い。幼少から兵士として育てられてきただけあって、肝心な時ほど物言いがいちいち堅いところが欠点だ。気持ちを伝えようとするほど空回りする。そして、それが良いところ。
「イーフゴート・ヒナタリア・ラスティミーズ!」
滅多に呼ばれず、さらにほんの一部の人間しか知らない本名を呼ばれたイーフがかしこまる。
「コーディシア第一王女ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシアの名に於いて命じます」
「……はい」
はっきりとイーフの黒く澄んだ目を見つめ、ミーファが王族の口調になって高らかにいう。
「先ほどあなたがいったように、努力してください。私は、粗暴な人間が嫌いです。今は平民とはいえ、仮にも王族の末裔らしい礼儀作法を徹底的に身に着けるように」
「はい」
素直に返事をし続けるイーフに、ミーファは更なる条件を提示する。
「同じように、私を守ってください。リートレルムの崩壊を防いだ、あの時の様に、命を懸けて。私もそう致します」
「はい」
自分でも、少し赤面しているのが分かる。イーフもそうだからだ。
「そして―――」
首から下げていたペンダントを取り出す。イーフも、それに倣う。魔力の切れた魔奏石に、軽くハミングをして、青白く光らせる。
「私と一緒に、歌い奏でていきましょう。平和な世界で、あなたと、一生」
そっとイーフの手を握る。二人分の手の中で、二つの光が一つになる。
「今度から少しでもつまらないことをいい出したら、問答無用でひっぱたくから」
「是非そうしてくれ。こんな気まずいのはもううんざりだ」
「バカ」
笑い合う。二人の距離は、知らぬ間になくなっていた。
シンにいわれた通り浜辺に設けられたステージにやってくると、そこには前夜祭に浮かれる千人以上のフェスの観客たちに混じって、長身で快活な、リートレルムの宿屋を一人で切り盛りする女性―――ルソラがいた。
「おお、千鶴じゃないか。どうした?」
いつものようにはきはきと話しかけてくるルソラに、千鶴は少々表情を硬くしながら答える。
「ルソラさんこそどうして?」
ああ、ダメだ。口調に棘が混じってしまうことを止められないでいる。シンが行ってしまうのは彼女のせいというだけではないというのに。
「シンに呼びつけられた」
同じだ。千鶴は、暗澹とした心境でその言葉を受け取った。恐らく、シンは答えを言いに来た。そしてその結果、彼は自分を置いてルソラの下に行くのだ。
「一体何を企んでいるんだろうな」
楽しそうにいうルソラに悪意はない。自分に邪気があるから、その声が、その言葉が、当てつけの様に思われてしまうのだということは分かっている。だが―――
稲光のような閃光が、自分たちを襲った。天奏島の浜辺に組まれた巨大ステージが、光を放ったのだ。
「天奏島プレゼンツ『天唱祭前夜祭』へ、ようこそーーーー!!!!」
そして、どこかで聞いたようなマイクを通した大声と、それに対する割れんばかりの歓声。
「あいつ、何してるんだ」
ルソラが呆気にとられたように呟く。千鶴の方は頭に手をやり、ため息を吐いた。そうだ、あの男は何をするにしても目立つようなことを積極的にやるんだった。
「前夜祭恒例、オールナイトDJパフォーマンスの時間がやってまいりました。会場にお越しの皆様、フェス本番の前にぶっ倒れる準備できてんだろうなぁ!!?」
乗せ方を心得たMCに、再びの歓声。流石に口が上手い。ステージの上に立ったシンは、満足そうに何度も頷く。リートレルムを旅していた時の服装だ。
「最高だな。こんな僻地のフェスに前乗りした上、徹夜で騒ごうなんて最高な連中を相手にします、トップバッターは私、天奏島村役場地域振興課職員“DJシン”です!よろしくどうぞ!!」
微妙にとぼけた感じの自己紹介に、これもまた万雷の拍手が与えられる。
「じゃあ早速曲に入りたいんだけど、その前に一つだけ話しておきたいことがある。俺には今、成し遂げたい夢がある!」
会場が、しばし静寂に包まれる。真剣な雰囲気が作られ、シンの顔もまた、引き締まっている。
「俺、音楽が好きで、それ以上にこの世界が好きで、もっというと、この世界にいる人が好きなんだ」
隣をちらりと見ると、ルソラも真剣な表情でシンのステージを見つめている。千鶴は口を真一文字に結ぶと、改めてステージに向き直る。
「でもさ、この世界って、完全に完璧に良いってわけじゃない。常にどこか間違ってるし、誰かが傷ついてる。今も多分、ヤバい状況になっているところもある。俺はそれを音楽の力で救いたいと思ってるんだ。そのきっかけを、最近掴めたんだ」
ルソラじゃ、ない。千鶴は、その言葉で確信した。シンがリートレルムに残るのは、本当に『俺の都合』なのだ。
「俺は、素敵な世界を、もっと良くするために戦って行きたい。そのせいで―――これは超個人的な話なんだけど、俺を好きだっていってくれた女の人にも、良い返事が返せなかった」
会場が、シンの“超個人的な事情”を聞き、一気に沸き立つ。今度はルソラが千鶴の方を見た。千鶴は表情を変えず、しかし赤くなっていた。ルソラは一度深く頷くと、シンが話す言葉を聞く体勢に戻る。
「ほんっとに申し訳なくて、でもその人のこと嫌いなわけじゃないんだ。俺は本気で自分の夢を掴みたいと思ってる。それが一区切りつくまで、恋愛とかは、ちょっと考えてられなくてさ」
千鶴は、自分の表情が弛緩していくのを感じた。現金なものだ。「嫌いじゃない」といわれただけで、気分が浮き立ってしまう。ほかの女性のためではない。そんなことに嬉しくなってしまう。全く以て、ダメな女だなと思う。
「今、その人を呼んでいます―――うん、探すな探すな。どうせ分かんねぇだろ、女の子たくさんいるんだからさ―――今から流す一曲目は、その人に届けたい。もちろん、この会場にいる全員にも。―――DJつっても、俺の本職はギターボーカルだから、曲は垂れ流すだけだ。好きに踊れ!天奏島!!踊れ!!!ストレイテナー『Melodic Storm』!!!!」
シンが叫び終えると、とてつもない音圧でギター・ベース・ドラムのバンドサウンドが鳴り響いた。それこそ嵐のような轟音の中に、ピアノの美しい音色が混ざり合い、まさにMelodic Storm(音楽の嵐)だ。
「あいつ、本気で音楽が好きなんだね。」
ルソラが独り言のように呟くのを聞き、千鶴も頷く。
「はい。“音楽バカ”みたいです。知ってたはずなんですけどね」
「私も残念だ。あいつがリートレルムに残るって言ってくれた時、そうか、こいつはあたしと暮らすために残るって言ってくれたんだと思ったからね」
その言葉に、思わずルソラの方を勢いよく振り向いてしまった。ルソラは少し上気した顔で、恥ずかしそうにいった。
「ダメだダメだ。本人に何も訊かず、一人で勝手に浮かれちまってたよ。おかしいだろ?」
千鶴の方を見たルソラは、少し面食らった。おっとりとした感じの千鶴が、見たこともないような険しい顔でいたからだ。
「どうしたんだい?」
「ルソラさん」
覚悟を決めるのは三秒以内。そんな風に、自分は即断即決できない。だけど、やるといったら絶対にやる。自分の心に従って。そうでしょう?晃陽君。
「私、シンさんと結婚しますから」
「え?」
「そして、彼の夢のお手伝いをします。」
突然の表明に、ルソラが狼狽える。
「だって、お前、そんないきなり―――」
そうか、この人、見た目と恋愛遍歴の割に初心なところもあったんだった。
「ルソラさんには、いろいろ負けてますけど、でも―――」
“Melodic Storm”で会場を踊らせ、自分も音に乗って舞っているシンを一瞥してから、いった。
「シンさんは、渡しませんよ」
口笛を吹かんばかりに、驚嘆そのものの表情を作ったルソラは、すぐに不敵な笑みを作った。
「そうかい。あたしも負けないよ」
そうして差し出された手を、千鶴は強く握った。頑張れ、私。胸も背も、そんなに負けてない。年齢は―――それでも負けない。どんな壁も超えて見せる。
大きな物語を終えた後に残った、さまざまな思いが一つ一つ決着し、『天唱祭前夜祭』の夜は更けていった。
番外編『天唱祭前夜祭』 完
もうちょっと、もうちょっとだけ続くんです。




