10-A 道化
この作品に於けるラスボスが登場します。
軽量とはいえ、鎧の重みで水の奥底に沈んで行くイーフは、一人、思った。
―――俺は、負けた。
今度は、言い訳のできない完敗だ。二対一など理由にはならない。他の追随を許さない強大な力を振るい、常に一人で戦ってきた自分と共闘する者など、部下の中にも居ないのだ。他者と協調できるという意味でも、彼らは自分より一枚も二枚も上だ。
そもそも自分は、初めから彼らに劣っていたのだ。自分の故郷を侵略した国への醒めた帰属意識と、大切な者を前にしてもそれを捨てようとしない生半可な覚悟で、誰かを守ることなどできはしない。分かっていた。だが、怖かった。自分が、誰かに認められる自信が無かった。ミーファのいっていた通り、自分は臆病者だ。
そうだ、ミーファはいってくれた。自分を救いたい、と。なのに、その言葉を信じないまま、彼女だけを求めてしまった。自分が変わらないまま、何かが変わってくれればいいと、口を開けて待っていた。
口から大きな泡が出た。もう、自分にミーファを守る資格はない。ならば、最後、少しでも変わった自分を彼女に見せよう。弱さを認めた弱い自分を、ミーファに見せよう。
『君は私の生徒の中でも完璧に近い。しかし、完璧な人間などどこにいません。どんな人間も間違いを侵す。誰もが弱みを持つのです。それを隠さず見せることはつまり、信頼の証だと、私は考えています。一つ、心に留めておいてください』
丁度、恩師がいっていたように。
そう思考したのち、水中に手が差し伸べられた。イーフは、その部下の手を取った。
「さぁ、あんた等の戦力は残り十人ちょっとだ。降参して、ミーファを解放しろ」
シンがイーフとの戦闘が終わった後に急いで引っこ抜いた槍をロシェフとイギルスタン兵に向けた。
全力全開で力を使い果たしたがまだ目は死んでいないユキが荒い息を吐きながら凄みのある形相で睨む。
「ミーファを、返してください」
―――二対一とはいえ、まさかあのイーフを倒すとは思わなかった。ロシェフは、今しがた部下に噴水から引き揚げられた満身創痍の天才少年兵士に一瞥を遣りながら、先程呟いた自分の言葉を反芻していた。
(もういいか)
本当にいいのか。まだやり残したことは無いのか。いや、もういいだろう。“終わり”にしよう。
「ふふふ……」
部下に肩を貸してもらいながら何とかコーディシア兵の取り囲む広場の石畳に立ったイーフは、笑い声の主を探した。笑顔を作っているものは居ない。顔が見えないものが放った声だ。そうして、傍らに立った冷たい仮面を見つめた。
「ロシェフ殿……?」
槍を向け続けるシンも、警戒は怠らないまま怪訝な表情を浮かべている。
「何が可笑しい」
長い両手を演じるかのようにわざとらしく広げたロシェフは、笑みを含んだままの声で話し始めた。
「いえね。確かに、このままでは我々はジリ貧です。しっかりと戦略を練ってきたあなた方には勝てそうもない」
シンは芝居がかった調子で話すロシェフを見ながら、この仮面の男を、サーカスの道化のようだ、と感じた。一見隙だらけのとぼけた言動で巧妙に覆い隠しているが、その実、何をしてくるか、何が出てくるか分からない恐怖感を感じる。
「だからね、私もシンさんの真似をすることにしました」
「俺の真似―――!ミーファ!逃げろ!」
言葉の真意に思い当った時には、既に遅かった。ロシェフはミーファの身体をその腕に包むと、懐から出した古い短剣を首に突きつけた。
「脅迫は俺の専売特許だぜオッサン」
憎まれ口を叩くシンの口調には、言葉ほどの余裕が無かった。
「油断しましたねぇシンさん。王女はイギルスタンにとって重要なカード故、手を出さないとお思いでしたか?」
嘲笑の入り混じる上擦った声色で言うロシェフに、限界に達しつつある体力で思考を巡らせるシンは、急に口調を大きく変えた男の本気度を測るように言葉を紡ぐ。
「死体を連れ帰ったら、総統閣下は怒り狂うんじゃないか?」
「殺さなければ良いのです。例え手足を斬り落としても、我々にはこの娘の声さえあればいい」
手に持った剣をミーファの細い腕に這わせる。恐怖に震える碧眼から涙があふれる。
「一人娘を取り返したところで、それが傷物になっていたら国王陛下は怒り狂うのでは?」
何も言い返せないままでいるシンと、剣先をミーファに向け続けるロシェフはしばらく睨み合いを続けた。
「―――仕方ない、か……」
思ったよりイーフとの戦闘に時間がかかってしまったことを後悔しながら、シンが武装を解除しようとしたが、意外なところからロシェフを止める声が上がった。
「ロシェフ殿!お止めください。それはコーディシアをより刺激することになります!」
兵士の手を振り解き、まだダメージの残る足で立ったイーフだった。努めて冷静な口調を装いつつ、かなり焦った様子で、ロシェフの行動を咎める。ロシェフは仮面から覗く目で懇願するような表情を捉えつつ、いった。
「イーフ殿、何をおっしゃっているのですか?このままおとなしくミーファ様を差し出せと?」
「そうではありません。しかし、その剣はお収め下さい。ミーファ様を傷つけることは―――」
「許さない、と?誰が?」
その言葉の意味するところを見透かしたロシェフの言葉に、イーフが押し黙る。ミーファがその苦悶の表情を見ながら、それでも、いった。
「イーフ、助けて。お願い」
そのか細く震える声を聞きつけたロシェフが、またも楽しそうにいう。
「イーフ、王女から直々のお願いですよ。聞いて差し上げなさい」
イーフは、彼自身の冷徹さの象徴だった黒い瞳を大きく見開き、明らかな怒りの色を含んだ声で言う。
「ロシェフ先生、いくら貴方の行為とはいえ、その悪ふざけは笑えません。ミーファ様を解放してください。さもなくば、貴方を軍法会議で訴えることになる。そんなことは、したくありません」
「これは、総統の意志です。何があっても“滅歌”を連れ戻せ、と。いいですか、“コーディシア第一王女”ではありません、必要なのは“滅歌”であり、それを持った入れ物です」
「詭弁です。そんなことで、王女を傷つけるのは―――」
「君こそ、いい加減に誤魔化すことをやめなさぁい」
尚もこの状況を楽しむ声色で発せられた言葉に、イーフは口を噤む。
「言葉はぁ、はっきりと発するべきでぇす。“王女”などという言葉に、自分の気持ちを覆い隠すのはやめましょう。さぁ、言いなさぁい、“ミーファ”を傷つけるな、と」
突然仲間割れを始めた敵の行動に唖然としていたシンが「なんだって?」と、我知らず呟くのを、ロシェフは聞き逃さなかった。再び手を大きく広げ、演劇の長台詞を演じるようにわざとらしい抑揚をつけて、広場中に聞こえる大きな声を出す。
「その通り!この若き師団長イーフ殿はぁ、一兵士の身でありながらぁ、国王の娘にぃ、あろうことか!恋心を抱き、愚かにも彼女の愛を求めたのでぇす!」
ロシェフの腕に捉えられたミーファから涙が零れ落ちた。その姿を認めると、そして再度イーフの方を向き、見下すように仮面から覗く目で俯く彼を見ながら続けた。
「若さゆえの過ちとはいえ、このような分不相応な行動を総統はお許しになられますかなぁ。いくら元ラスティミーズ家の人間とはいえ、君はもうただの軍人なのだから、軍法会議に、かけましょうかぁ?―――それにしてもぉ、兵士とはいえ、齢16の少年の心を弄ぶなど、ミーファ様も中々やり手でいらっしゃる。将来が楽しみですなぁ」
そういった後、ガラスを掻きむしるような不快且つ甲高い声で笑った。
その、あまりにも下品な声に、ミーファを助け出しに来た一人の少年拳を爪が刺さるほど握りしめ、もう一人は血が昇った頭を冷静にするための深呼吸をし、そして、あらんかぎりの声で叫んだ。
「ベタかっ!!!!」
この世界の、いわば禁忌に触れる行為に騒然とする周囲の空気をかき消し木霊した異世界の住人は、怒りのままに言葉を並べる。
「王女と庶民の禁断の恋なんて、俺たちの世界じゃ何番煎じどころか出涸らし!とっくに聞き飽きてんだよ!この仮面野郎、カビ臭いネタでダラダラ引っ張りやがって、これだからオッサンの話は嫌いなんだ!
まぁ正直、まだ何が起こってるのかよく分かってないけど、別にいいじゃねぇか、誰を好きになったって。それに―――」
そして息を吸うと傍らに立ったユキと声を合わせて、いった。
「人前で好きな子の名前言って恥ずかしい思いさせるって、小学生かお前は」
現役小学生にまで言われたロシェフは、やや呆気にとられた様子で師弟のような兄弟のような親友同士のような二人を見ていた。
「ミーファ」
ユキが涙を拭っている少女の名を呼ぶ。こちらを向いた碧眼を見つめ、問いかけた。
「ミーファは、イーフのことが好きなの?」
ミーファは、かつてこの少年の教師である女性から教わったことを思いだした。曖昧な言葉を嫌う。はっきりとした答えを欲しがる、素直で無垢で、自分より幼く、自分よりはるかに強い少年の質問に迷いのない声で答える。
「ええ、そうよ。私はイーフのことが好きなの」
周囲が再びどよめく。だが、ミーファの揺るぎない意志を伝えられたユキの表情は、何故か優れない。そして、シンは小さく溜息を吐いた。
「あの、ユキ……?」
「それは……ちょっと凹むなぁ~」
「ええ!?」
思わぬ言葉に動揺を隠せないミーファに、さらにシンの言葉がのしかかる。
「ミーファさぁ、流石にそれはないわ。ユキってば、結構ここまでお前のために頑張ってたんだぜ?それをこんなところで急に彼氏いますって梯子外されたんじゃこいつの立場がねぇよ。もっとこう、男心を傷つけない曖昧な表現でぼかすとかできなかったのか?これだから思春期の女子ってやつは」
数人のコーディシア兵もシンの言い分に同調したように頷いている様子を見て、どうやら自身が失態を侵したことに気付かされたミーファは混乱しながら反論を試みる。
「え?いや、これ私が悪いの?でもユキは―――」
明らかに肩を落としている。うん、これはどう考えても自分が悪い。
「ご、ごめんなさい、ユキ。あの、あなたのことも、別に嫌いじゃないわよ?」
「あう」
苦し紛れに放った謝罪と、余計なひと言が、さらに少年の心を抉る。
「最悪だこの姫様、おいコーディシアの兵隊さんたちよ、お前さん方ンとこの王女どうなってんだよ。情操教育がなってねぇんじゃねぇのか」
シンに咎められた兵士たちも、何故だか「面目ない」という表情をしているのでミーファは黙ることにした。今の自分は何を言っても墓穴を掘る状態だ。
「―――と、いうわけだロシェフ。あんたの三文芝居と古臭いお話なんて、お互いの気持ちがあればどうってことないんだ。分かったらさっさとミーファを離せ、悪いがこっちには音速で動ける奴がいるんだ。行けるか、ユキ」
「うん。長いおしゃべりで、少しは回復した」
肉体的にも精神的にも立ち直りの早いユキが地面を踏み始める。厄介な能力を使われる前にロシェフは片を付けに掛かることにする。
「実に面白い!シンさんにユキさん、あなた方は私以上の道化ですねぇ。しかし、私を止めることはできない」
「やめろ!!」
再び届いた大声。今度は、自分の弟子。
「まったく、何ですかイーフ。おお、イーフ。どこの馬の骨とも知らぬ素人二人に敗れた負け犬よ」
またも芝居がかった挑発するような言葉遣いのロシェフに向き合ったイーフは、しかし、その仮面の奥にある目を直視していた。昨夜見せた“あの目”と同じだった。
「あなたは、本当に道化だ」
なにをしようとも、ここで敗れ去ることは決まっている。このままではミーファは連れ戻され、イーフは総統に処刑される。
残された手は、あと一つ、ここで、イーフがイギルスタンを裏切ること。不器用な教師が残してくれた“道”に従うこと。
「ロシェフ殿、昨夜の話し声、まさかこうなったときに備えて練習をしていたのではないですか」
あり得そうだから、恐ろしいのだ。この人は。かくしてロシェフは、憑き物が落ちたように、こういった。
「私には、これが限界です。君の“未来”は君自身の手と、言葉で掴むのです。私はここで死んでも構いません。もう、やり残したことはありませんので」
背を押すにしても、もっとやり方があるだろう。そう思いながら、最後まで、狂った振りまでして自分の味方であろうとしてくれた人の恩に報いる声を出す。
「イギルスタン軍第四師団長ロシェフ。コーディシア第一王女ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシアに対する数々の狼藉、許してはおけない。もし、それ以上手を出すのなら―――」
右の拳を突き出し、高らかに宣言した。
「この命に代えても、貴様を倒す!そして、ミーファを助ける!」
「それは、反逆ですかな?イーフ殿」
「どうとでもとるがいい。最早私は、いや、俺は、イギルスタン軍第七師団長ではない。ミーファを愛する、一人の男として、ミーファを守る……!」
「弱いあなたが、ですか!?」
「そうだ。脆弱な俺が、だ。ミーファ、それでもいいか」
「うん……っ。イーフ、ありがとう……」
大粒の涙を零しながらミーファがいうのを見て、ロシェフはほっと息を吐いた。
「よく、いいました。頑固者の、私の一番弟子よ」
いってから、腕の力を解いた。ミーファが解放され、こちらに歩いてきた。
「イーフ……」
「先生のおかげで吹っ切れた。さぁ、コーディシアのところに戻れ」
いって、ミーファの背中を軽く押すと、小走りでユキたちの元に駆けて行った。
「ミーファ!」
ミーファに抱き付かれる自分より小さな少年に、また軽い嫉妬の念を抱いたが、みっともないなと思い直す。
「ユキ!ありがとう、来てくれて、本当に―――」
大事な人質をあっさりと離した敵にコーディシア側が呆気にとられているうちにイーフがいった。
「この人に手を出すな。恐らくもう、戦意はない」
いわれたロシェフは短剣をポトリと落とす。古びた剣は、石造りの地面でポキリと折れた。そんなもので、人を刺そうとしていたのか。
「おい、おっさん。ひょっとして、全部演技か」
再開を喜ぶユキとミーファを横目に、シンがロシェフに訊く。
「さぁて、どうでしょう」
「人質を解放したりしたら、殺されるかもしれないんだぞ」
「だから、自分にお伺いを立てました。『本当にもういいのか』とね」
飄々と受け応えるロシェフに、シンは身体の力が抜けるのを感じた。なんだというのだこの茶番は。
ロシェフはヘラヘラとした足取りで、イーフに近づいていった。
「先生。ありがとうございました」
「いえ、これからは、君が選ぶ君だけの“未来”を生きてください」
そういいながら、ロシェフは流れるような動きで剣を抜き、それを前方に突き出した。その先には、突然の恩師の造反に反応できなかったイーフが立っていた。
「―――なぁんちゃって」
鎧の隙間に差し込まれた剣はイーフの腹部に突き刺さったあと、大量の血を付けてゆっくりと引き抜かれた。イーフは糸の切れた人形のように崩れ落ちるのを、老練の兵士が受け止め、叫んだ。
「ロシェフ殿ォ!!何故ですか!!」
「確かに、シンさんのおっしゃっていたことも、最もです。王女の禁断の恋。物語としては、ややありきたりな感じがしますねぇ。ならば、これで如何でしょうか!」
しかし、さきほどまで二人を結ばせるために一芝居打っていたとみられる男は質問に答えない。舌の奏でるまま、といった調子で喋り続ける。
「想いが通じ合った瞬間に引き裂かれる。これもまたありきたりですが、悲劇はいつ見ても新鮮なものだと思われませんか?」
腹部から止め処なく溢れる血を押さえながら、ラキが血走った目と本気の怒りに染まった形相でロシェフを見る。だが、イーフに突き刺した剣の血を丁寧に拭うことに神経を注いでいたらしい冷血漢は、つまらなそうにいってのけた。
「いえね、“掴みどころがなさそうだけど結局のところ良い教師”を演じてみたんですが、思いのほか騙されてくれたってことです。あ、そうそう、“何だか危なそうな雰囲気を出しているのに間抜けなところもある師団長”を演じる私に対するあなたの突っ込みも嫌いじゃありませんでしたよラキさん―――別に好きでもなかったけど」
つらつらと言葉を並べるロシェフを、ラキは異形の生物に出くわしたかのような目で見つめていた。
分からない、この“生き物”が、まったく分からない。
「キャラ立ちするのも面白かったですが、飽きました。『もう、いい』です」
仲間であり弟子でもあるイーフを、何の躊躇も無く刺した“物”は、およそ人間的な暖かみを感じない挙動で血糊を拭き終え、血の海を作る少年に向けて言い放った。
「あーあ、なんと情けない姿ですかイーフ。世が世なら王子だったはずが、かつての敵国の兵士として育てられ、ぽっと出の『戦奏器』使いに敗北し、愛するものを奪われ、こうして地に伏している。ねぇ、異世界のお二人様」
ユキとシンに水を向けたロシェフは能面からでも分かる醜悪な笑顔を形作った。
「出来の悪い悲劇は、最早喜劇、実に笑えますねぇ……アヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」
不快指数100の馬鹿笑いを始めた男に、堪忍袋の緒が切れた二人が攻撃に移ろうとする。
「てめぇ、ロシェフ……!!」
しかし、本気の一撃を加えようとした直前に聞こえた悲鳴に、行動が一瞬止まってしまった。
「イーフ!!!!あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
後半はほとんど声にすらなっていない耳をつんざくようなミーファの悲鳴に、ロシェフが仮面を外し、ケロイドだらけの顔を歪め、恍惚の表情を作った。
「いい!いい!いい!いいぃぃぃ!!なんと素晴らしい“歌声”だろう!心の奥底から無限に湧き出る絶叫!絶望!慟哭!―――美しく着飾ることのない裸の感情の発露!これこそ“歌”の本質!―――これぞ、この世界を破壊する歌!―――“滅歌”!!」
そして、懐から手の平大の赤く光る石を取り出した。シンはそれを見て、初めに思いついた名を口にした。
「『最終戦奏器』……!?」
「ご明察ですシンさん。これぞ、言葉にならない言葉、声にならない声、音ですらない音に反応する『最終戦奏器』≪滅亡絶歌―ディスコードヴォイス―≫!」
「何でお前が持っていやがる!」
シンの問いに、ロシェフは歪んだ愉悦に浸った表情のまま答えた。
「だって、元々私が持っていたものを、総統に献上したものですし。ラスティミーズの王宮近衛兵長の家系を受け継ぐ者として、ね」
かつて犯した国への反逆行為をさらりと口にしたロシェフだが、シンはそれには取り合わず、さらに訊いた。
「だからって、おいそれと部下に持たせてやれる様なものでもないだろう。お前ら、まさか“S”に―――」
「私と総統は実によく通じ合っていましてね、『道中持っていた方がいい』という“声”に従って、一時的に借りておいたのです」
その言葉でシンが、一つの答えを得た瞬間、大地が大きく揺れた。
「どうやら始まったようですね。まずは序曲。楽しんでいきましょう!」
そういって、背負っていたアコーディオンを演奏し始めた。
「しまった――――」
シンが慌ててギターを弾き始めたときには、すでに遅かった。
≪戦奏―プレイ―≫
「ああそうそう、以前シンさんにお伝えした私の『戦奏器』の名前、嘘なんです。≪協和協宴――グルーヴィークレイジーサーカス―≫なんて名でもないし、他の『戦奏器』の能力をサポートするものじゃありません。本来の力は―――」
ロシェフが鍵盤を乱暴に叩いた。隣り合った音が同時になる、濁り切った和音―――“不協和音”が響いた。
≪不協和狂宴―アンチハーモニックパニックワルツ―≫
「抑え込まれるのは哀しかったでしょう。自由に鳴り、踊りなさい、『戦奏器』よ」
槍が揺れる大地に足元の覚束ないコーディシア兵たちの方に向けられた。それだけではなく、てんでバラバラな方向を向いた槍が勝手に動き出したのだ。
「シンさん、そもそも、『戦奏器』の基となる魔奏石は、人間の力が及ぶ代物ではありません。それを無理やり制御し、使えるようにしているだけなのです」
無差別な攻撃を始めた十二本の槍を抑え込もうと、必死で弦を弾くシンに、ロシェフが憐れむようにいった。
「私は、あなた方の『戦奏器』を、“解き放った”のですよ」
そう言うロシェフの方にも容赦なく襲う槍。だが、軍服の道化師は嬉々として自らに向かってくる槍を避けている。
「アヒャヒャヒャヒャ!!楽しいですねぇシンさん。あなたの力、実に楽しいですぅ!」
「くそっ、完全に性格が変わってやがる。それが“本性”とも思えないけどな」
「ほゥ!?それはどのような考察で?」
「お前のやることには確固たる目的が見えない。そもそも、目的なんて無いんだろう。お前はただ、飽きた玩具を壊しているだけだ。そうだろ?」
シンが尚も十二本の槍の制御を試みながらいう。ロシェフは、部下やイーフたちに取り入るために、“軽薄だが思いやりのある道化”を演じていた。そして今は、リートレルムを壊滅させるために“狂気的な道化”を演じている。
「よぉく分かりましたねぇ。そう、私は暇だっただけです。この世界の暇は十分に潰しました。だからもう、亡くなってくれていいんですよぉ」
世界の破滅を喜ぶように赤く光る『最終戦奏器』たる魔奏石を握りしめ、黒幕の男は面白そうにいう。
「お前みたいなやつを、俺たちの世界じゃサイコパスって言うんだ、憶えとけ。」
相変わらず、街は、というか世界全域は大きく揺れ続け、次第に立っていられないほどになってきた。
シンは原因について思考する。この揺れ、ただの地震にしては長すぎる。永続的に大陸全体を揺らすエネルギーがあの『最終戦奏器』から出ている。
シンとロシェフが対峙する間、ユキは暴走し続ける槍から逃げ惑う兵士たちの中から、ミーファを探し出した。未だにショックから立ち直れない様子で、頭を抱え蹲っている彼女を優しく抱きしめてやる。
「大丈夫?」
体温の高い手で震える背中をさすりながら訊く。
「私……私……」
固く閉じた双眸から涙をこぼしながら、ミーファは言葉を絞り出そうと努めたが、果たせず、ユキの「大丈夫だよ」という言葉に甘えた。
『ユキ』
脳内に少し焦りの色を含んだ声が響く。ややあって、アンディが姿を現した。
『何が起こっているのだ。大地が揺らぎ、妙な音が鳴っているぞ』
「音?聞こえないけど」
『人間の耳には聞こえないのかも知れぬ』
「おいユキ!とりあえず逃げるぞ!コーディシア兵、一時撤退だ!空船に戻れ!」
シンがこちらにやってきた。槍は諦め、退却することに決めたらしい。
「シンさん!アンディが、さっきから変な音がしてるって」
「変な音?なるほど、そうか。この揺れは“共振”」
この世界の大地に埋まった数多の魔奏鉱石と、あの『最終戦奏器』が出す音波が共鳴して、世界を揺らしている。ということは、あの赤い石が砕かれようと、超音波を出し続ける限り、この世界の崩壊は免れないということだ。
「なんのこと?」
「ただの仮説だ。深く考えるな。とりあえずこの世界はもうヤバい。空に逃げるぞ」
空に待機していたコーディシアの戦列空艦が降下してきていた。船の側面からロープが垂らされ、兵士たちがそれを昇って行く。シンがミーファを立たせて連れて行こうとした時、喧騒の中ではっきりと通る声が聞こえた。
「逃がすとお思いですか?」




