2-A リートレルム
それでは第二話です。
http://www.youtube.com/watch?v=NkgMn3nezHs
「よく生きてたな、俺たち」
神宮寺は目の前に芋虫のように転がっている―――原っぱへの決死の胴体着陸を成功させ自分たちを船体を真っ二つにすることと引き換えに無傷で生存させた小舟へ最大限の敬意を払いつつ、呆けたように呟いた。
平原の岩に腰掛け、神宮寺はパーカーのポケットからピックを取り出し、それなりの勢いで大地に叩きつけられたにもかかわらず全く無傷なギターを軽く弾く。音はやはり出ないが、空飛ぶ船内で足止めの役割を果たしてくれた六本の槍が犬笛に導かれたようにどこからともなく飛んできた。
「何だこの状況」
ほかにどう言いようもない言葉を背の低い草木が伸び伸びと風に揺れる平原に向かってこぼす。
ここはどう考えても天奏島ではないし、もっと言えば日本ではない。さらに言い切ってしまえば地球ですらない。何故なら地球上では物理法則に逆らって帆船が空を飛ぶなどということは無いし、楽器から音が出る代わりに六本の槍を操作できることは無いからだ。そういえばこれはどうやって元に戻すのだろう。
「神宮寺さ~ん」
思考を中断させたのは、ボロボロになった眼鏡の女性と、サマードレスを見に纏った銀髪の少女が大破した舟の方からこちらにやって来たからだ。
「大丈夫ですか千鶴先生。それと―――」
性も根も尽き果てたという表情の千崎千鶴と、未だ名の分からない少女に声をかける。少女の方にも疲れが感じられたが、千鶴に比べれば凛とした表情をしていた。
「歳の差か」
「あァ?今なんつった?」
三十路手前の女性教諭に凄まれるが、神宮寺も反応している余裕があまりない。
「ユキはまだ寝てるんですか?」
「はい、でも「タムは二個でいいよ~」という寝言が聞こえたので、大丈夫なはずです」
流石は授業中、担任教師が怒髪天を衝いていようが自分が寝たければ寝る、という飼い猫の理屈を地で行く太平楽の権化である。
「ここはどこなんですか?」
「その子に訊いてみてくださいよ。俺は学歴が無いんで分かりません」
「……拗ねないで下さいよ。子供みたい」
ここに着陸―――もとい墜落する以前のやり取りを蒸し返す神宮寺に千鶴がずれた眼鏡を手で押し上げながら言う。
「子供ですよ、千鶴先生の八つ下ですから」
「あ?」
「その流れはもういいです。あ、槍が戻った」
一定時間何もしないでいると、最初の10cm大の小さな物体に戻るらしいそれは、役目を終えたように、ことり、と地面に落ちた。
それを拾い集めながら、神宮寺はまた考え始める。あまりじっとしてもいられない。こうしている間にも、あの船にいた兵士たちが追いかけてくるだろう。どこかに身を隠す必要があったが、どこに行けばいいのか。
思案していると、服を引っ張られる感覚があった。見ると、少女が小さな手で、神宮寺のパーカーの裾を持っていた。
「どうした?―――って、おい!やめろ!」
強い力で服を引っ張られる。
「寒いんじゃないですか?」
千鶴が言う。気候はどちらかというと温暖だが、当然言葉は通じていない。
「わ、分かった、脱ぐって!」
半ば剥ぎ取られるような形で脱いだパーカーを着た少女は、自身の頭にフードを被せると駆け出した。
「おい、今度は何だよ!千鶴先生、先に追いかけて。俺はユキを起こしてきますから」
「え!?ちょ、ちょっと待ってください!」
運動不足なインドア派の規範的なヨタヨタ走りで少女を追いかける千鶴に見失う危険性を大きく感じた神宮寺は幸福そうに惰眠を貪る11歳に大声を上げた。
「ユキィ!なんでこの非常時にそんなにぐっすり寝られるんだ!とっとと起きろぉ!」
※※
平原を走っていくと、音が聴こえ始めた。それが大きくなるにつれ、目に映る景色も変わって行った。
最初は、地面。少しずつ平原から石畳で舗装された道が増え、草に足を取られることが無くなった。次に、石造りの家が立ち並び始めた。神宮寺たちの世界でいえばヨーロッパの古民家のようだった。
やがて、家々の建つ間隔が短くなり、気が付けば、四人は大勢の人と馬車が行き交う大通りに辿り着いていた。
「なんだか、イタリアの旧市街みたいですね!」
忽然と現れた街に、千鶴が大声を上げる。年甲斐も無くはしゃいでいるのではなく、声量を大きくしないと会話がし辛いほど、街に音楽が溢れているのだ。
「楽しそうな街だね~」
ユキが、そこら中からせわしなく聴こえる管・弦・打楽器の音々に合わせて奇妙なダンスをしながら言う。
大通りの両側には民家が隙間なく建ち並び、音はそこから聴こえている。この街の造形や、ここまで見てきたこの世界の文明レベルを見るに、電子機器の類は一切ないどころか、蒸気機関すら無さそうだが、夕暮れの迫る各家には灯りが点きはじめていた。
火を焚いている様子も無いのに、どうやっているのだろうか、と考えていると、袖の大分余った服を着た少女がこちらにやってきた。銀髪は全てフードの中に隠しているらしく、碧い目を見るまで誰なのか判然としなかった。
どうやら、神宮寺たちから逃げたわけではないようだ。
「街に連れてきてくれてありがとうな」
理解されるはずのない声を発すると、少女は口元を緩めた。その仕草はとても自然なもので、明らかに、こちらの言葉に反応したものだったことに驚き、神宮寺は質問の声を継いだ。
「俺たちの言っていることが、分かるのか!?」
少女は大きな碧眼で再び微笑むと、神宮寺達に、ペンダントを渡してきた。
「これをかければいいのか?」
頷く少女を信じ、神宮寺は幸光と千鶴にも淡く光る石の嵌め込まれたペンダントを渡し、自分の分を首にかけた。少女が口を開いた。そういえば、この少女が声を発するところを見るのは初めてだな、と思っていると。
「どうですか?私の声が、皆さんに理解できる言葉になっていますか?」
すぐにレスポンスできなかったのは、言葉が通じるからだけでなく、少女の声が、容姿と同じく、驚くほど美しかったからでもあった。
「あの、やっぱりほかの世界の人たちでは“魔奏鉱石”の力は―――」
「とっても綺麗な声だね~」
万事にマイペースな少年に褒められた声で、少女は少しだけ頬を染めながら言った。
「いえ、そんなことは。というか、理解して頂けているのですね?」
「ああ、分かるよ。これ、どうなってるんだ?」
ようやくフリーズから解けた神宮寺が訊く。千鶴の方は、未だに状況が整理できていない様子で、眼鏡をせわしなく上げ下げしながらペンダントを見つめている。
「あなた方につけて頂いた首飾りに付いている“言語魔奏石”の効果です。石の魔力を介して、異国の言葉が伝わるようになるのです。」
「へぇ、つまりこれは“翻訳こんにゃ―――」
「よせ、ユキ。“翻訳機”でいいだろうが」
それはともかく、言語の壁を取り払う石の説明に、“魔力”というものがあるのが気になった。それについて訊こうとしたが、少女がおもむろに手渡してきた幾枚かの金貨に、右手を塞がれた。
「これは、細やかですがお礼です。それでは、私はこれで。」
そう言うと、踵を返し、足早に去っていく。
「おい待てよ!」
「お名前は~?」
呼び止める二人の声のうち、幸光の質問に「ミーファです」とだけ答え、白のフードは人波へと消えて行ってしまった。
神宮寺は追いかけようとするが、一人は頭が完全にパンクしており、もう一人は、またぞろ謎のステップを踏み始めたため、駆け出せなかった。
「おい、二人とも、あの子―――ミーファを追うぞ。ユキも踊るのは後にしろ!」
「あ、はい!行きましょう!」
「はいは~い。踊れないならゲスになって~―――あ、いた」
「え!?」
数メートル先の三階建て民家の前に、ミーファはいた。扉の前で立ち往生している少女の肩に手を置く神宮寺。
「よう、短い別れだったなぁミーファ」
「あ、皆さん……」
消沈している様子の少女に、千鶴が優しく声をかける。
「私たちにできることがあったら手伝いますよ。どうされたんですか?」
「いえ、それが、もう陽も落ちてしまいますから、この宿で一泊しようと思ったのですが」
「ですが?」と、幸光。
「どうしたんだ?」と、神宮寺。
「お金が、通貨が違っていて、使えないんです」
一瞬、街の音楽が鳴り止み、冷たい風が吹き抜けたような気分になり、神宮寺は少し身震いがする思いがした。そして、どうやら言語の次に大きな壁が立ち塞がっていることを感じながら次の質問をする。
「さっき俺たちにくれたペンダントは?」
「先程は旅の行商の方でしたので、使うことができました。でもここでは―――」
「では?」と、幸光。
「使えない?」と、神宮寺。
「使えません」と、ミーファ。
神宮寺と千鶴は「はぁー!?」と、絶叫し、幸光は「すかんぴんだぁ」と言った。
「ご、ごめんなさい。私……」
一人称がぶれるほどに動揺しているミーファに、幸光が訊く。
「ミーファの家は別の国にあるんだね」
「はい。あと、これも今気が付いたのですが、そういえば、私たちはこの国への入国手続きを一切していません。なので―――」
神宮寺と千鶴は「はぁー……」と息を吐き、幸光は「ふほーにゅうこくだー」と言った。
状況が矢継ぎ早に詰んでいく。生気を失った表情の千鶴に、ミーファはあたふたと次善の策を提示する。
「で、ですが、まだ方法はあります。せめて、今夜の宿を確保するくらいならば」
ミーファは懐から、神宮寺たちに渡した物とは別のペンダントを取り出した。
「これを売れば、多少のお金になるはずです。お母様、ごめんなさい。これも、一夜をしのぐため―――」
「待てミーファ、早まるな!その一泊は俺たちには重過ぎる!!」
神宮寺は慌てて悲壮すぎる決意をしそうになるミーファにペンダントを仕舞わせると、「俺に任せろ」と言った。
「こういう交渉は、俺の得意分野だ。ミーファは千鶴先生と一緒に待ってろ。ユキ、行くぞ」
「いえっさー!」
そうして、幸光に何事か耳打ちすると宿の中へ入って行った。何か不安になった千鶴がミーファに「私たちも行きましょう」と言った。
※※
「いらっしゃい。って何だ。さっきの子のお連れさんかい?」
快活な声で、受付に立っていた女性が言った。身体は大きくないが、女性的な曲線がはっきりした美人だった。神宮寺は自分たちの世界でいうラテン系にも見える濃い顔立ちと明るそうな性格から、勝機を感じた。後は、タイミング。
「悪いけど、ここではイギルスタンゴールドしか扱っていな―――」
女性の言葉が終わらないうちに、神宮寺は動いた。相手に構えさせる暇も与えぬ先手必勝の手段は、無一文唯一にして最大の武器―――
「ここで働かせてくださいッッッ!!」
―――土・下・座ッ!
あまり広くない宿屋のエントランスが、水を打ったような静寂に包まれた時のことを、ミーファは後にこう語る。
『シンさんが何をしたのか、きっとルソラさん―――宿の主で私たちに応対してくださった方の名前です―――も、分からなかったと思います。ドゲザと言うんですか?とにかく、なけなしの意地もプライドもかなぐり捨てて懇願しているということだけは伝わってきました―――あ、千鶴さんは白け切った目で見つめていました』
―――そのあとはどうなった?
『ええと、ユキさんが、「あ~れ~」と言いながら突然倒れました。シンさんが必死に抱き起こして「どうか、どうか一夜だけでも」と。……ええ、ユキさんは身体こそ大きくありませんが、顔は丸くて少しふっくらとしていますので、どう見ても栄養失調ではありません。いよいよ道端の雑草でも見る様な目に変わって行った千鶴さんを見て、ああ、同情を買おうとしているんだな、と』
―――それが功を奏した?
『―――いえ、交渉と言うには、浅知恵を絞っただけの猿芝居でしか無かったので―――あ、私としたことが、言葉が悪くなってしまいました。とはいえ、あまりに可笑しくて真剣なやり取りにルソラさんは吹き出し「分かった。そういうことならこき使ってやるよ」と、慈悲をかけて頂けましたので、結果的には成功だったのかな、と』
―――その後の顛末について教えていただけますか?
『はい。どう考えてもルソラさんのご厚意なのに、シンさんが「見たか、高校中退で島役場の地域振興課に潜り込んだ俺の交渉術を!」と得意気に話し、ユキさんがそれに対して素直に感心していたのを見て、千鶴さんがルソラさんに平謝りしていたのを見て―――あの、助けて頂いた身でこのようなことを申し上げるのは恐縮なのですが、この人たちと行動を共にすることに、一抹の不安を憶えました』
―――ありがとうございました。
『こちらこそありがとうございました。……というか、これ、なんですか?』
ルソラは気風の良さそうな感じで、頭を下げる千鶴を制し、四人を部屋に通してくれた。
「住み込みってことになるから、あまり良い部屋じゃないよ。お嬢さん方は品が良さそうだけど、大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
恐縮しきった様子で何度も礼を言う千鶴の肩を笑いながら叩く。
「嫌な旦那を持っちまったねぇ」
「そんなんじゃありませんっ!」
通された二部屋は、二対の固いベッドがあるだけの簡素なものだったが、疲労困憊だった四人にとってはありがたかった。
もう陽は暮れていたが、中は天井にランタンが吊るされ、そこから光が発せられていた。だが、相変わらず電気の通っている気配も、火が使われている気配も無い。
首を傾げる神宮寺に、ルソラが言った。
「少し経ったら呼びに行くから、それまで体を休めておきな。一泊か二泊か知らないが、泊まっただけ働いてもらうよ」
再度礼を言い、四人はまず、改めて自己紹介をするため一つの部屋に集まった。
「皆様、今日は本当にありがとうございました。私は、ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシアと申します。」
「長い~」
部屋に入ったところでフードを取り、美しい銀色の長い髪を見せながら「ミーファで結構ですよ」と、幸光に微笑みかけた。
三人もそれぞれ自己紹介をする。ミーファは少し思案する様子を見せ、言った。
「この世界―――リートレルムでは、家名を持つ方は珍しいので、隠した方が良いでしょう。ユキミツさんは、シングウジさんに呼ばれているように“ユキ”のほうが自然です。そして―――」
「じゃあ、俺はシンと名乗ることにする」
「はい、その方が良いですね。チヅルさんはどうしましょう?」
「え?私は、あだ名とか、無いし―――」
「少し不自然ですが、国によってはあるかもしれない名前なので、そのままにしておきましょう」
「不自然……」
生まれてこの方ずっと付き合ってきた名前をそう評され、少し落ち込んだ様子の千鶴は置いて、話しを進めに入るシン。
「ミーファは、高貴な家系の生まれなんだな。まぁ、話し方で大体分かるが」
ミーファは、一瞬言い淀んだ様子で、それでも意を決したように、言った。
「私は、コーディシア王国第一王女、ミーファラフティス・ヴィクーヴ・コーディシアでございます」
「ええ!?」と、千鶴。
「やっぱりか」と、シン。
「そっか~」と、ユキ。一対二で分かれたリアクションに、ミーファが疑問を呈する。
「あの、お二人は驚かれないのですか」
「まぁ、なんとなく分かってたよなぁ、ユキ」
「ねぇ~?」
妙に通じ合う少年と青年に、ミーファは「どのあたりで?」と、質問を重ねる。
「まぁ、俺たちの世界では大体相場が決まってるっていうか」
「ねぇ~?」
それにしては千鶴の反応は驚愕そのものだったじゃないかということには触れず、ミーファは話を続ける。
「本来なら、こうした話はしない方が良いと思うのですが、助けて頂いた上、暫く行動を共にする、ということになりましたのでお伝えしておきます。この世界の置かれた現状と、私が追われている理由についてです」
ミーファの語るところによると、この世界はリートレルムという大陸であり、現在戦争が起こっているという。
「先程申し上げたように、この世界には“魔奏鉱石”と呼ばれる石がございます。この石の魔力無くして、私たちの生活は営めないと言っても過言ではない、重要な資源なのです。大陸の中心から東側に位置する小国であるコーディシアには、特に良質なものが採掘されます」
しかし、西のほとんどを占める大国“イギルスタン共和国”が、コーディシア産の石の輸出を制限する条約を一方的に結び、一部を除いた交易ルートを軍事力で封鎖してしまった。
コーディシアを始めとする東と北の小国家連合はその通達と武力行使に反発。紛糾したリートレルム国家連合議会は事実上解散し、イギルスタンの国境付近が戦争状態に入った。
当初は、かなり広い範囲での戦闘を第一から第三師団という少ない兵力で戦うことを余儀なくされたイギルスタンが、思いのほか早くに軍備を整えたコーディシア軍に叩かれ、不利な状況に陥った。だが、そこでコーディシアにとって誤算が起こる。軍が出払ったコーディシア城を少数精鋭の部隊が攻め込み、第一王女ミーファを奪取したのだ。
王族を人質に取られたコーディシア軍は撤退。現在は、残る八師団で国の守りを固めるイギルスタンが、小国家連合に対し降伏を求めているという状況だった。
「そこをミーファは逃げ出して、俺たちがその手伝いをしてしまったってわけか。随分とデカいことに巻き込まれたなぁユキ。寝るなよ」
頭を抱えてベッドに寝転んだユキを横目に、シンが言う
「う~、千鶴先生、あとでもう一回教えて」
しかし、その千鶴はというと、巻き込まれてしまった案件のあまりの重大さに思考回路がオーバーロードを起こしたようで、呆けた表情を浮かべていた。
「ダメだこりゃ。ミーファ、そのフードはなんで被っていたんだ」
「私たちの家系は、代々銀色の髪と、碧い眼を持って生まれてくるので、それを隠すために」
「ということは、“ミーファ”という名前も知られているんだな」
「あ、そうですね。私も、何か偽名を考えないと」
「“ミーシャ”はどう?」
ユキが提案する。ミーファはその名の由来を訊きたがったので、「僕の好きな歌手の人の名前だよ」と、言った。
「歌手、ですか。私、歌はあまり―――」
「でも、ミーファと一緒で、綺麗な声の人だから」
屈託のない命名理由に微笑み、ミーファが首肯した直後、ルソラが部屋のドアを開けた。
「おい野郎共、仕事だよ!」
「じゃあ、行くか、ユキ」
「はいは~いシンさん」
「……シンってちゃんと呼べるじゃねぇか」
「何のこと~?」
「何でもない、行くぞ」