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IDカード

作者: EICHAN

「ジリリリリリ……」

 目覚まし時計の音がけたたましく鳴り、芳美は目を覚ました。

「もう七時かぁ……。あー、頭がガンガンする」

 二日酔いの目を擦りながら芳美は目覚まし時計を止めた。

「昨日はどうやって帰ったんだっけ?」

 昨晩、同僚数人と会社の近くの居酒屋で盛り上がっていた芳美は、どうやって自宅まで帰ったのか全く思い出せない。 

 茂野芳美は、商社に勤める二十三歳のOLである。現在は一人暮らしで会社から電車二区間の駅の近くにアパートを借りて住んでおり、十分に歩いて帰れる距離でもある。

「まぁ、いっか。今日も会社へ行かねば……」

 覚悟を決めて布団から這い出した芳美は、シャワーを浴びて出勤の準備を始めた。髪をドライヤーで乾かしながら、片手で通勤用のバックの中身を確認する。

「ん? IDカードが無い!」

 ドライヤーを止め、床にバックの中身をばら撒いてみたがIDカードが見つからない。

「どーしたっけなぁ~?」

 頭をかきながら、昨夜の記憶を思い出そうとするが全く思い出せない。

 芳美の勤める商社は、社員証であるIDカードを通用口にあるカードリーダーに通して出勤となる。IDカードは免許証同様、個人管理が規則となっている。

「まあいいか。順一が警備室にいるし……後で探そう」

 通用口の警備室には、樋口順一が警備員として勤務している。芳美とは大学時代の同級生であり、まだ付き合ってはいないが芳美は好意を寄せていた。

「早く行かなきゃ遅刻しちゃうわ」

 芳美は、そそくさと支度を済ませ家を出た。


 駅の改札を出て歩くこと五分程で芳美は会社に着いた。他の社員達が続々と、玄関横の通用口からIDカードを通して社内へと入っていく。通用口には警備室があり、社外の来訪者やIDカードを忘れた社員の対応を行っている。芳美は毎朝、警備室の窓口で樋口順一の顔を見る事が日課になっていた。

「順一、いるぅ?」

 他の社員を尻目に、芳美は何の迷いも無く警備室の窓口に声をかけた。

「どうしましたか?」

 窓口から見知らぬ中年の警備員が顔を出した。

「あ、すいません。樋口順一さんは今日は出勤されていないんですか?」

 芳美は顔を真っ赤にしながらペコリを頭を下げ、中年の警備員に聞いた。

「ああ、樋口なら少し遅れるって連絡入ってな。おかげで俺は夜勤明けなのにまだ帰れないよ」

 中年の警備員は少し不満そうに答えた。警備員の名札には高森と書いてある。

「そうですか……」

 芳美は残念そうにうなずいた。

(高森さん……? 夜勤の人だったのね。どうりで見た事無い顔だわ。しかし、順一がいないと簡単に入れないじゃん)

 芳美は、少し考え込みながらも気を取り直して高森に声を掛けた。

「あのう、すいません。IDカード忘れちゃったんですけど……」

「ふーん、部署と名前は?」

 高森は、面倒くさそうに芳美に聞いた。

「総務課の茂野芳美です」

「総務課……茂野、茂野……」

 高森は、パソコンで名前を探しながらつぶやいた。

「あった、茂野……あれ? おかしいな?」

「何がです?」

 芳美は窓口に身を乗り出して聞いた。

「既に出社扱いになってるぞ。君、本当に茂野さん?」

 高森は、けげんそうな顔で芳美に聞いた。

「え? そんな馬鹿な……」

 芳美は窓口から首を突っ込んで高森のパソコンの画面を見た。確かに茂野芳美はIDカードを通した出社扱いになっていた。

「え? だって私ここにいますよ」

 芳美は少し興奮気味に自分を指差しながら言った。

「君、免許証か保険証とか持ってない?」

 高森は疑わしそうな目で言った。

「免許証なら、いつも持ってますけど」

 芳美は慌ててバックの中身を確認するが、免許証が見当たらない。

「あれ? おかしいなぁ……。いつもはここに入れてるんですよ」

「身分が証明できなきゃ、社内に通す事はできないよ」

「本当に茂野芳美なんですよ! 信じてくださいよ!」

 芳美は、すがるような目で高森に訴えた。

 高森は少し考え込んだが、何か思いついたように笑みを浮かべた。

「じゃあ、ここに茂野芳美を呼んでみるかい?」

「え? ……」

 芳美は、高森が何を言っているのか理解できなかった。

「もし、呼び出しに応じた茂野芳美が偽者なら、君が本物と証明できるだろ?」

 高森は、これから起こる事を楽しんでいるかのように芳美に提案した。

「まあ、それはそうですけど……」

 芳美は小さな声でうなずいた。

(もう、順一は何をやってるのよ! 早く来てよ!)

 芳美は心の中でそう叫んだ。

 高森は早速、内線で総務課に電話をかけた。

「あ、こちら警備室ですけど、そちらに茂野芳美さん出社してます? ……あ、そうですか。今、茂野さんにお客様がいらっしゃってますので、警備室まで来れますか? ……はい、あと五分くらいですね? お待ちしております」

 高森は電話を切って芳美の顔を見ながら不気味な笑みを浮かべた。

「さあ、どっちが本物か、これは面白い見世物だな」

 芳美は、一体何が起きているのか理解できない事と、今から自分を名乗る人物に会わなければならない恐怖で震えが止まらなくなり、今にも泣き出しそうになった。

 その時、背後から聞き覚えのある声がした。

「先輩、遅れてすいません!」

 芳美が後ろを振り返ると、樋口順一が小走りにやってきて警備室に入ろうとしていた。

「順一! 待ってたのよ! この人に説明してよ!」

 芳美は、安心した気持ちで涙が溢れそうになりながらも、順一が遅れてきた事に怒りの気持ちを込めて叫んだ。

 順一は、振り返って芳美の顔を見て、ぽかんとした表情で言った。

「君……。誰? ……」

 芳美は、順一の言葉に呆然と立ち尽くし、思わず手からバックを落としてしまった。

「おう、樋口。遅かったな。さっきからこのお嬢さんは茂野芳美を名乗っているんだが、お前の知り合いか?」

「いえ、全く見覚え無いですよ」

 順一は、きつねにつままれたような表情で答えた。

「順一! 何を言ってるの? 私よ! 芳美よ!」

 芳美は順一の肩をつかみ、揺さぶりながら叫んだ。

「おい、やめろよ!」

 順一は迷惑そうに、肩をつかんでいる芳美の手を払いながら叫んだ。

「一体、君は誰だ! なんで俺の名前を知ってるんだ!」

 芳美は、もう何が何だかわからなくなり、頭を抱えながらその場に座り込んでしまった。


「高森さん、お客様はどちらですか?」

 座り込んでいる芳美の頭上で女性の声がした。

「ああ、茂野さんですか?」

「はい、茂野芳美です」

 芳美の頭上で高森と女性の会話が聞こえる。

 座り込んだままの芳美は、恐る恐る頭上を見上げた。

 そこには、芳美に瓜二つの女性が立っており、険しい目つきで芳美をじっと睨んでいた……と想像していた芳美の期待を裏切るほどに、全く見覚えの無い女性が笑顔で芳美を見下ろしていた。

「この方ですか? 私に面会に来られた方は……」

 女性は少し不思議そうな顔で高森に尋ねた。

「ああ、そうだよ」

 高森はニヤニヤしながら答えた。

 今にも泣きそうな顔で頭を抱えて座り込んでいた芳美だったが、急に何かを思い出したようにすっくと立ち上がり、女性のほうを指差して高森に叫んだ。

「警備員さん! この人のIDカードを確認してちょうだい!」

 女性は、何が起こったかわらないと言った表情で芳美を見つめている。

「ああ、そうだったな……」

 高森は、少し気まずそうな顔で女性に声を掛けた。

「実は、このお嬢さんが茂野芳美を名乗っているのだが、なかなか引かなくてな……。本当に申し訳ないのだが、あなたが本物だと証明するためにもIDカードを見せてくれないか?」

 女性は一瞬ぽかんとしたが、すぐに我に返って笑顔で答えた。

「別にいいですよ」

 女性は何のためらいも無くポーチからIDカードを取り出し、高森に渡そうとしたが、横からいきなり芳美がIDカードを取り上げた。

「ちょっと、何するのよ」

 女性は芳美を睨みつけながらIDカードを取り戻そうとしたが、そんな事はお構いなしに芳美はIDカードの名前と写真を確認する。

「え! ……そんな馬鹿な……」

 芳美は写真を見て愕然した。IDカードに写っている写真はまぎれもなく女性の顔であり、名前は茂野芳美となっている。

「わかったのなら、もう返してよ」

 女性は芳美からIDカードを取り上げた。

「そんな……そんな……」

 芳美は再び頭をかかえ半狂乱状態で高森に訴えた。

「私が本当に茂野芳美なんです! 信じてください!」

「そう言われてもなぁ……」

 高森は、もう勝負あったという表情でつぶやいた。

「順一! 順一は私の事覚えているでしょ? ねえ、何とか言ってよ!」

 芳美は、今まで静観していた順一の肩を再び揺さぶったが、順一は哀れみな表情で芳美をじっと見つめていた。

(え! 何がどうなっているの? 私は本当に茂野芳美じゃないの? じゃ、私は一体誰なの?)

 芳美は、再び座り込み頭をかかえながら暫く考え込んでいたが、何かを思い出したようにすっくと立ち上がった。

「ありえないわ……絶対にありえないわ……」

「一体、何がありえないのかな?」

 ひとりで呟く芳美に高森が尋ねた。

「絶対にありえないのよ!」

 芳美はいきなり叫び出し女性に掴みかかったが、高森と順一が芳美を取り押さえた。

「こいつは絶対、茂野芳美じゃないわ! そんな事絶対ありえないよ!」

 芳美は二人に取り押さえられながらも、必死に逃れようと暴れながら叫んだ。

「何で、そんな事言い切れるんだ!」

 芳美をしっかりと捕まえながら高森が叫んだ。

「だって……だって……茂野芳美は……」

 芳美は突然暴れるのをやめ、目に涙を浮かべながら叫んだ。

「……私が殺したのよ!」


 暫くの間、沈黙が続いたが高森が芳美を促すように言った。

「北側明子。詳しい話は署で聞こうか」 

 芳美……いや、北側明子は力が抜けたようにぐったりとうな垂れて、高森に抱えられるように歩き出した。

「警部、こんな感じでよかったんですか?」

 女性は、何が起きているのかわからないと言った表情で高森に尋ねた。

「ああ、名演技だったよ。ボーナス弾むぞ」

 高森は微笑みながら答えた。明子をパトカーに乗せると高森は順一のほうに声を掛けた。

「ご協力ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。二ヶ月前に芳美がこの会社に入社してから、どうも別人のような感じがして……警察に相談して本当によかったです」

 順一は、ペコリと頭を下げた。

「しかし、彼女も刑事さんなんですか?」

 順一は芳美役を演じていた女性をまじまじと見つめて言った。

「はい! でも今回は警部の言われた通りにしただけで……」

 女性は顔を真っ赤にしてうつむいた。


 北側明子は、茂野芳美と樋口順一とは同じ大学の同級生であった。しかし、大学時代に明子は順一のストーカーをしており、順一は警察に度々相談していた。大学卒業間近には、明子のストーカーもおさまり、急速に仲が良くなっていた芳美と順一だったが、順一は二ヶ月前に同じ商社に勤務した芳美が別人ではないかと疑問を抱き、再び警察に相談していたのである。順一が採取した芳美の髪の毛をDNA鑑定した結果、北側明子が芳美になりすましているに間違いないと確信した高森警部は、おとり捜査での明子の逮捕を計画したのであった。

 昨晩、順一の同僚の協力にて飲み会を開き、泥酔状態の明子のバックからIDカードと免許証を奪ったのは高森である。もちろん、芳美役の女性が持っていたIDカードも偽造したものである。


 ー数日後……。

 

「芳美……どうしてこんな事に……」

 芳美の墓の前で涙を浮かべながら手を合わせる順一。その背後から高森は順一に声を掛けた。

「大変だったな」

「あ、警部さん。この度はどうも……これで芳美も浮かばれます」

 芳美の墓に手を合わせる二人。

「やっぱり……明子が芳美を殺したんですか?」

 順一は、涙を拭いながら高森に聞いた。

「ああ、芳美さんの遺体は明子の部屋のクローゼットから発見された。それに本人も自供しているしな。君との仲を嫉妬した明子が芳美さんを殺した。その後、自分の顔を整形して芳美さんになりすまし、既に内定が決まっていた君の会社に勤務していたんだよ。まあ、明子が犯人で間違いないな。……ただ、よくわからないのが、我々が彼女におとり捜査を仕掛けるまでは、自分が本当に芳美さんだと信じ込んでいたみたいなんだ」

 高森は少し首をひねりながら、順一に捜査状況を説明した。

「まさかこんな事になるなんて……」

 順一は、ぎゅっと拳を握りしめた。

「すまないな。ストーカーの被害の相談を受けている時に、この事件は防げなかったのか? と悩むところなのだが……警察を恨んでいるかい?」

 高森は少し気まずそうに聞いた。

「いえ、悪いのは北側明子ですから。それに芳美を殺すなんて誰も予測できませんよね」

「そう言ってくれると我々も浮かばれるよ。まあ、気を落とさずにがんばってくれ」

 そう言うと、高森は背を向け片手を挙げて手を振り歩き出した。

「はい、ありがとうございます」

 順一は、その場で高森の姿が見えなくなるまで深くお辞儀を続けていた。


 その夜、順一の勤める商社の通用口にある警備室。最後の社員が退社し、順一は一息ついた。

「さてと、これでここにいるのは俺だけか……」

 順一は、机の上に足を放り出し腕を組むと、いきなりニヤニヤと笑い出した。

「ふっふっふ……しかしうまくいったな。持つべき友は催眠術師ってか。……やば、誰も聞いてないだろな」

 順一は、辺りをキョロキョロと見回したが、誰も居ない事を確認すると再び笑みを浮かべた。

 その時、誰かが窓口から通り過ぎる気配を感じて、思わず体を起こした。

「ピー!」

 IDカードを通した音が鳴り、パソコンの画面には茂野芳美の名前が点灯して出社状態となっている。一瞬、血の気が引いた順一であったが、気を取り直し腰の警棒を確認しながら窓口の方へ声を掛けた。

「どちら様です? IDカードを確認させてください」

 順一は懐中電灯を取り出し守衛室から窓口を照らした。

「順一、会いたかったわ……」

 そこに立っていたのは、髪の毛が顔までかかってよく見えないが、まぎれもなく茂野芳美がであった。

「芳美? あ……、お前は、明子か? 捕まったんじゃないのか?」

 一瞬、腰を抜かした順一だったが、立ち上がって芳美を照らした。芳美の首には締められた跡がくっきり残っており、顔は血の気が全く無く目だけがギョロっとこちらを睨みつけている。

「うわー!」

 順一は再び腰を抜かした。

「何を驚いているの? 私よ、芳美よ」

 芳美はゆっくりと窓口から身を乗り出し、腰を抜かしている順一の顔を両手で掴み、体ごと持ち上げた。

「結婚してくれるって言ったのに……何で私を殺したの?」

 芳美は、両手で掴んだ順一の頭を自分の顔に近づけ低い声で言った。

「ゆ、ゆるしてくれ……だけど、お前を殺したのは明子だぞ!」

 順一は必死に頭から芳美の手を離そうとするが、爪が食い込んで離れない。

「そう、あなたに暗示をかけられた明子にね。でも、その時は私はまだ死んでなかったの。その後あなたが現れた時、助けてくれるかと思ったのに……明子に罪をなすりつけて私を殺したわね……」

「うわー! お願いだ! 殺さないでくれ!」

 順一は、手をばたつかせて逃れようとするが、芳美の手がメリメリと順一の頭に食い込んでいく。

「やっと一緒になれるわね」

 芳美は、ギョロっとした目つきで順一を見つめ、不気味な笑みを浮かべながらゆっくりと手に力を込めた。


ー完ー

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