04. 交換条件
隠しおおせるはずがないと解っていた。
これほど早く知れ渡るとは考えもしなかったが。
あの兄に事実を握られたことが悔やまれる。どう楽観的に考えてもダルファスがレイダールの不利を黙って見過ごすとは考えがたい。あの兄ならば嬉々として行動を起こすだろう。
ダルファスがもう情報を得ていることからも、シオンの離反の事実はすでに周囲に漏れ出ていることは明白だった。早ければ明日の朝には噂として人々の口に登るだろう。そうなれば打つ手はない。
「シオンを助けたいか?」
胸の内、その本心を見透かされたような気がしてレイダールは言葉をつまらせた。
「離反が皆に知れ渡ったあかつきには甥は見捨ててくれ、とラルザハルが言ってきた。討伐隊を組織するなら協力するともな」
〈片翼〉の称号を持つコルダー家の当主と神魔の長が幼馴染であるのは周知の事実だった。バルダが私的な理由からシオンの離反を見逃せば、もう一方の〈片翼〉であるルゼニ家が黙っているはずがない。
ルゼニ家はダルファスの母の生家である。ダルファスの情報源は予想が付く。なによりも一族の者達にも示しが付かなかった。
「おまえ次第だレイダール。一日だけ猶予をやろう。明日中にシオンを連れ戻せば、全て不問にしてやる。仮に事実が明るみに出たとしても、わしの力でもみ消してやろう」
「し、しかし……」
バルダの申し出はレイダールにとって願ってもないものだった。
明日中にシオンを連れ戻すだけで全てが丸く収まるのだ。だが、それだけで楽観的になるにはレイダールは父親を知りすぎている。
「条件は?」
案の定、バルダは言った。
「ほう、察しがいいな」
予想どおりの展開に、レイダールは苦く笑った。交換条件というわけだ。
「裏がないと思うほうがどうかしている」
「ならば話が早い。フレアリカを知っているな?」
「ええ。ラルザハル殿の御息女でしょう」
コルダー家当主ラルザハルの一人娘であるフレアリカは、ディーティアの友人であると同時にシオンの従兄妹でもある。レイダール自身、彼女とはそれほど親くはなかったが何度か言葉を交したことはあった。
「フレアリカを娶れ」
驚きはなかった。むしろ拍子抜けすらした。
「そんなことでいいのですか」
族長の息子という立場上、結婚問題はいずれ浮上してくる。フレアリカはレイダールとも年齢が近いうえに両家は家柄でも十分につりあいが取れる。
どちらにせよ政略にしかならない自身の結婚に、レイダールは最初から馬鹿げた夢など抱いていなかった。不服などあるはずもない。
だが、バルダはその言葉を一笑に伏すと、心持ち上体を前に乗り出した。
「勘違いするな。結婚は条件の一部にすぎん。フレアリカを娶り、わしの後を継いで次代の長になれ。それが条件だ」
「なんですって?」
意味をはかりかねてレイダールはバルダを見返した。その真剣な面持ちからバルダが本気であるのは明白だった。もとより冗談を口にするような父親ではない。
「兄上を退け、わたしを次の族長に据えるおつもりですか?」
「そうだ」
あっさりと言い切る父親にレイダールは眉根を寄せた。口で言うほど簡単なことではない。いくらバルダが族長という絶対の立場にあるとしても、それは変らないだろう。
「馬鹿な。長子である兄上が次代を継ぐのが筋というものでしょう。何よりも、そんなことをする必要がどこにあると言うのです?」
ダルファスがいる以上、次代を継ぐべきが誰かははっきりしている。一族の者に尋ねたなら次の長は長子であるダルファスだと皆が答えるだろう。
公正な事実を押してまでレイダールを次代に据えれば方々から不満が出るに決まっている。最悪、一族を二分した争いに発展する恐れもあった。ルゼニ家が黙認するはずもない。
「理由を訊かせてください」
しばらくの沈黙を置いてバルダは諦めたように言った。口元が自嘲にかすかに歪んだ。
「ダルファスに次代を継がせるわけにはいかんのだ」
「なぜです?」
「あれは、わしの胤ではないかもしれん」
バルダは吐息を吐くと椅子に深く座り直す。
「死んだあれの母親は、なにかと悪い噂の絶えない女でな。わしにも責任の一端はあるのだが、どうやら不義を働いていたらしい」
バルダの最初の結婚は例に洩れず政略によるものだった。最初の妻であるルーディエラは〈片翼〉の称号を持つ名家ルゼニ家の出身で家同士の絆を深めるための婚姻だったためか、それとも別の理由によるものか、二人の関係は冷え切っていたらしい。
肖像画で目にした彼女は華やかで美しく、とても若くしてこの世を去ったとは思えなかった。その悪評をレイダールも聞き及んでいたが不義の話までは初耳だった。
「確かなのですか?」
「たぶん間違いはない。はっきりとした確証があるわけではないがな」
「ならば――」
「疑いだけで充分なのだ。不義の子かも知れぬ者を次代に据えるわけにはいかん」
異を唱えようとするのを遮って、バルダは続ける。
「あれは族長の器ではない……何よりもわしはあれを好かぬ」
きっぱりと言い切る口調には、だが拭いきれない迷いがある。バルダは心の中の葛藤を断ち切るように強い口調で続ける。
「次代を継ぐのだ、レイダール。シオンのことはわしがなんとかしてやろう。悪い取り引きではないはずだ」
次代に誰を据えるかなど、族長としての立場にあるバルダが一言「跡目はレイダールに」と言えば済む。どれほど反感をかおうとも、たとえ後に災いを呼ぶことが予想されようとも、族長の言葉は絶対だった。
レイダールやダルファス、それらを囲むさまざまの思惑は抜きにしても、バルダの言うことはもっともだった。確かに悪い取り引ではない。コルダー家に席を置くとはいえ大して重要でないシオンのことで、族長自らが骨を折る必要はどこにもなかった。
この場で即答するのはためらわれた。だが、時間がないことも事実だった。どちらにせよ答えはすでに決まっている。
「明日中にシオンを連れて帰ります。約束は守っていただけるのですね? 父上」
「むろんだ」
まずはシオンを連れ戻すことが先決だ。その他の面倒事は、また後で考えればいい。
「レイダール」
短く退出を告げ部屋を後にする背に声がかけられる。レイダールは振り向いた。
「ダルファスが言っていたことだが。ディーティアがシオンに、その……特別な感情を抱いているというのはまことか?」
ディーティアから話を聞いていたが、レイダールは答えを濁した。
「知りません。それが何か?」
「いや、何でもない」
口を開きかけ、バルダは首を横に振った。




