03. 発覚
ディーティアがレイダールの居室を後にして、およそ半刻の後。
父であり神魔一族を統べる長、バルダの呼び出しを受けたレイダールは、屋敷の西棟に位置する部屋の一つに足を踏み入れた。
広々とした室内は部屋の主の気帳面な性格をそのまま映したように整然としていた。
安楽椅子にゆったりと腰掛けていたバルダは息子の姿を見とめると、高齢を感じさせない機敏な動作で立ちあがる。
「お前に、二、三、尋ねたいことがある」
レイダールが応えるより早く、別の場所から言葉が重ねられた。
「シオンのこと、と言えばわかるだろう」
声のした方を振り返る。ブラウンの頭髪に青い眼。扉の右脇の壁に凭れるようにして立っているのはレイダールのよく知っている、だがこの場でもっとも会いたくない人物だ。
「兄上」
「どうした? 意外という顔をしているな」
ダルファスはいつになく上機嫌だった。寄りかかっていた壁から体を離すとレイダールに視線を向け、一歩前に出る。
バルダは何も言わない。詰問をダルファスに一任するかのように安楽椅子に座った。
「シオンが離反者になったそうじゃないか」
楽しくてしかたがない、というふうにダルファスは目を細めた。
異母兄弟である兄とはそりが合わず、レイダールとダルファスは幼いころから反目しあっている。
「知らないのなら教えてやろう。おまえの大切な友人のことだ。シオンが離反者となって地上に下ったそうだぞ」
「兄上、それは確かな情報なのですか? シオンは仮にも一族の〈片翼〉たる名家、コルダー家に席を置く身。あとになって間違いだったでは済まされません。いくら次代の長になられる兄上といえど憶測でものを言うのはお控えになるべきでしょう」
「憶測ではない」
重々しく、ダルファスは言った。
「この場で公にするわけにはいかないが、さる筋からの確かな情報だ。それによるとシオンは今朝早く神魔界から姿を消したらしい」
「おおかた狩りにでも行っているのでしょう。兄上もご存知かと思いますが、ここのところ地上人共を狙う遊びがたいそう流行っているとか。飽きればそのうちに戻りますよ」
「狩りだと。あの小僧にそんな気概があるものか」
薄笑いを浮かべ、バルダに目を向ける。
「早急に討伐隊を組織せねばなりません」
「まだ早すぎます」
「離反者などにくみするつもりか、レイダール。おまえの腑抜けた態度といい、シオンに懸想をしているディーティアといい、あんな小僧のどこが良いのかわからんな」
「ともかく、慎重にこしたことはありません。ここはもう少し様子を見てからに」
レイダールの言葉をさえぎるように、ダルファスが口を開く。
「離反は大罪だぞ。友人だからと追及の手をゆるめれば他に示しがつかん。それどころかシオンの真似をして地上に下ろうなどという馬鹿者が現われないとも限らんからな」
「ありえません。地上に降りたがる神魔などいるわけがない」
「シオン以外には、か? なんなら討伐隊の指揮をおまえに譲ってやってもいいぞ。本当をいうとこの役は俺自ら引き受けようと思っていたのだが、どうする? レイダール」
ダルファスが言った。
「それとも、あの小僧は討てぬか?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ダルファスはレイダールからバルダに視線を移す。全ての権限を有する神魔の長へと。
辺りをしばし沈黙が支配した。バルダが頷けば、それだけでシオンの運命が決定する。
ダルファスの声に応えるようにバルダは顔を上げた。無言のまま二人の息子に目を向け、やがて口を開いた。
「その者の離反が事実ならば、それなりの措置を取らねばなるまいな。だが別の目的で地上に降りた可能性もある以上は、事実を確かめるまで行動は控えるべきだろう。コルダー家が関わっているのなら尚更にな」
「ですが、父上」
異を唱えようとするダルファスを手で制し、バルダはレイダールに言った。
「その人物がおまえの友人だというのなら、おまえが事実をつきとめるがいい。どちらにせよ明らかになるのに、そう時間はかかるまい。異存はないな?」
「ありません」
レイダールの返答にバルダは満足げに頷くと、ダルファスに向き直る。
「話は終わりだ。ダルファス、おまえはもう下がってよいぞ。レイダールにはまだ少しばかり尋ねたいことがある」
席を外せ、との言外の要求にダルファスの顔にかすかな歪みが生じた。何か言いたげに口を開きかけて言葉を飲み込む。
「……失礼します」
短く言ってダルファスはレイダールの方に、ちら、と目を向ける。背後にある扉を開けた。その視線には明かな敵意が込められていた。
ダルファスが退出し、部屋に残っているのは二人だけになった。安楽椅子を立ったバルダは部屋を横切って長椅子に座り直すと、レイダールにも座るよううながした。
「単刀直入に尋ねるが」
みえすいた社交辞令やまわりくどい手続きを嫌うバルダらしい物言いだった。こんなふうに父親が話を切り出すとき、大抵は裏があることをレイダールはとうに知っている。
「確かシオンといったな。その者の離反が事実であると、いや、その事実をおまえは知っているのだな?」
「まだ離反と決まったわけでは」
否定はしたものの、呼び出しを受けた時点ですでに予想していた。その考えを裏付けるようにバルダが口を開く。
「偽りを申すな。すでにコルダー家から連絡を受けておるぞ」
「正式な報告が来たのですか?」
正式に離反との決定が下ればシオンの運命は決まる。そうなれば討伐隊が組織されるだろう。それは即、シオンの死を意味していた。
だが、バルダはかぶりを振った。
「報告はコルダー家当主としてではなく、ラルザハル個人のものだ」
コルダー家当主ラルザハルとバルダは幼いころからの親友だった。
若い時分には明け方まで酒を酌み交わしたり同じ女を競い合ったりと、良い遊びも悪い遊びも散々に経験したらしい。
昔ほど頻繁にというわけにはいかなかったが付き合いは現在も続いているらしく、それを考えるとラルザハルから内々に報告が来ても不思議はなかった。
「では、シオンの離反はまだ公表されていないと?」
「今のところはな。だが、それも時間の問題だろう」




