25. 舞い散る翼
夕映えが玄関ホールを赤く染めていた。
コルダーとその配下に引き立てられていくカルズの後姿を見送ったレイダールは、ようやく息をついた。
「大丈夫か、ディーティア」
ぐったりと壁際に座り込んでいたディーティアに手を貸して、立ち上がらせる。彼女は酷いありさまではあったが、大きな怪我はしていないようで、頑固にひとりで歩けると主張した。むしろ隣にいるフレアリカの方が青褪めた表情をしている。
「二人とも無事でよかった」
コルダーが現れなかったら、皆が無事に屋敷を出られたか疑問だった。階下に向かう階段を見下ろす。出入口の二枚扉は、いまは外の世界に向かって大きく開け放たれていた。
「さあ、帰ろう」
扉の前のホールでは沈みかけた太陽が天井のステンドグラスを通して、白石の床に淡い影を落としている。風にさわさわと枝葉を揺らす樹木を象った緑と、さざ波をたてる深い湖の青、色とりどりに咲き乱れる花、その中央では二羽の白鳥が優雅に羽を休めている。
ふいにステンドグラスの向こうに影が掠めた。
大音響と共にステンドグラスに亀裂が走る。砕け散った欠片が宝石のようにきらめいて、ホールの床に降りそそいだ。
「レイダール!」
七色に乱反射する光に混じって、なかば落下するようにシオンが飛び込んでくる。背を覆う翼が突風に煽られて後方に大きく広がった。抜け落ちた純白が、シオンの周囲を小さな竜巻のように渦巻いて、乱舞している。
「シオン!」
着地した一瞬後、シオンは床を蹴った。レイダールに向かい、正面から切り込んでくる。手にした剣が陽光に反射して鈍く輝いた。
「やめろっ……シオン!」
反射的に自らも剣を抜いたレイダールは、すんでのところで攻撃を防いだ。互いの眼前で交差した刃が、青白い火花を散らす。
「リィザを……よくもっ」
後方に飛んで引くレイダールを追って、同じだけシオンが距離を詰める。
レイダールの背中が格子窓に当たった。これ以上は一歩も下がれない。シオンは減速することなく、まっすぐ剣で突いてくる。レイダールの身体ごと、二階の窓を突き破った。 ふたりは重なり合うようにして、落下する。
背中から地に叩きつけられる。息が詰まり、一瞬、意識が遠のいた。真上に、落ちてくるシオンの顔があった。互いの視線が絡み合う。切っ先がレイダールを狙って、冷たく光る。
レイダールは咄嗟に身体をひねって、右に転がる。次いでシオンの剣が、脇腹を掠めるように、地に突き立てられた。
片膝をついて起き上がる。
シオンの手が、地に深々と刺さった剣を抜こうとする。
させまいと、レイダールは掴みかかった。
強く、シオンの腕を掴む。
同時にシオンは身体ごと振り向いて、蹴りを放つ。即頭部を狙ってくる一撃を、レイダールは腕を上げて防御する。かろうじて防いだ。腕が痺れた。
レイダールはシオンの剣を引き抜くと、背後に投げ捨てた。すぐさま追うシオンの前に出て、行く手を阻む。
「シオン、やめるんだ」
どちらの剣も遠くに飛ばされている。取りに行く余裕はなかった。
シオンは取りそこねた剣を瞬時にあきらめ、かわりに腰にある短剣を抜く。
「なぜリィザを殺した! 殺るならおれのはずだろう。なぜおれを殺しにこない? どうしてリィザを……おれの……リィザ……よくもっ……ゆるさないぞ、レイダール」
レイダールは翼を開くと後方に大きく退いた。
シオンは再び地を蹴った。羽ばたきを交え、地面すれすれに滑空する。
レイダールも短剣を構えた。急速にふたりの距離が狭まった。シオンが短剣を横に薙ぐ。レイダールは飛び退いて逃れる。なおも距離を詰めてくるシオンの腕を狙い、短剣を突き出す。シオンの短剣に払われる。
再び距離をとる。レイダールが退き、シオンが追った。
互いの短剣が交差するたび、金属音が悲鳴のように響いた。
シオンは執拗に打ちかかってくる。
レイダールは短剣を横に薙ぎ、距離を取った。地を蹴って空に逃れる。シオンもまた身体をふわりと浮かせた。
二人は同時に距離を詰め、打ちかかった。
飛翔し、風を切って打ちかかる。旋回しながら落下して、地に辿り着いた刹那、矢のように空に駆け上がった。
テリトリーをめぐって争う二羽の鳥のように、二人は戦った。
離れては急速に接近し、再び離れる。
二人の距離が近くなるたびに、互いの間で火花が交差し、甲高い金属音が空気を震わせる。風が渦のように逆巻いて、大量の白い羽根を吹き散らした。
「やめろっ、やめるんだ!」
レイダールが短剣を一閃する。シオンが受け流し、返す刃で突いてくる。
「……リィザ……リィザをっ、よくも……レイっ、なぜだ……!」
シオンの蹴りが、こめかみを強打する。レイダールは跳ね飛ばされ、地に激突した。
「許さない、許さないっ……ゆるさ……っ!」
仰向けに倒れたレイダールに馬乗りになって、シオンがのしかかる。シオンが短剣を振り下ろす。レイダールは死を覚悟した。
「許さない、レイっ!」
刃が逸れて、地に刺さった。
「シ、オン……?」
シオンの手がレイダールの胸元を掴み、揺さぶった。シオンは慟哭する。その面は絶望に歪み、青褪めた頬を涙が滑り落ちた。
「……リィザ……返せっ! リィザ……おれのすべてだった、なのに……!」
シオンはレイダールから身を離し、額を擦り付けるようにして、地に這いつくばった。
どのくらいたったろうか。シオンはゆるゆると身体を起こす。足元に落ちた短剣に手をのばす。逆手に持ち、喉を突く。
「やめてーっ!」
ディーティアがシオンに縋りつく。
「やめて、シオンっ、死なないで……お願いよ、お願いだからっ……」
嗚咽交じりに懇願する。ディーティアは泣き崩れた。
シオンは人形のように座り込んだまま、なすがままになっていた。放心して視線をさまよわせている。その瞳からは、感情の波が綺麗に抜け落ちていた。
手の中から短剣が滑り落ち、乾いた音を立てた。
これが結果だった。もはや取り返しようのない、結果だった。
おまえのためだ、などと自分自身の一方的な価値観で、シオンを支配しようとしていた。
ただの自己満足の自分本位で身勝手な要求と、全てが手遅れになった今になって、ようやく気づいた。
シオンのことなど真に考えていたわけではない。本当は失うのが怖かっただけなのだ。
自分にとっての一番大切なものだったから、あたりまえのように、同じだけの想いをシオンにも求めていた。
目の前にいるシオンはもう昔のシオンではない。死んだも同然の、ただの抜け殻になりはてていた。
そのとき――
ディーティアが静かな声で告げた。
「彼女は……まだ死んでいないわ。わたしが術をかけたの。仮死状態のままで、時を止めたの。どうにか生きてはいる……長くはもたないでしょうけれど」




