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24. 反撃



 ディーティアは無言でダルファスを見あげた。

「……なんだその目は。なんとか言え!」

 血の気が失せた蒼白いおもて。それとは対照的に瞳は挑戦的な光をはなっている。

 かすかに開いた口の中は血で真っ赤に染まり、唇から顎にかけて幾筋も流れ落ちていた。

「なんとか言ってみろ!」

「もう、やめてっ……ディーティアが死んでしまうわ!」

「下衆」

 赤く濡れた唇を歪めディーティアは微笑んだ。血の混じった唾をダルファスの頬に吐きかける。

 ダルファスは彼女の細い首をしめあげた。

 ふいにダルファスは焼けつくような衝撃を覚え首を締めていた手を放した。

 ディーティアは四肢を投げ出して床に倒れこむと、肩をあえがせて何度も息を吸い込んだ。

「フレ……アリカ……」

 ダルファスは顔をゆがめた。脇腹が燃えるように熱かった。手足が痺れて感覚をなくし、膝から力が抜けていく。ダルファスはゆっくりと床に片膝をついた。

 フレアリカが左脇にたたずんで、見おろしている。彼女は泣いていた。激昂するでも泣き叫ぶでもなく静かな声が告げる。

「やめてと言っているでしょう」

 青白い頬を、いくすじもの透明な滴がつたい落ちるさまを呆然とダルファスは眺める。

「なぜ、こんな……」

 ダルファスは短剣の刺さった脇腹を見おろした。すでに血が染み出して衣服を赤く染め始めている。じくじくとした熱を感じるだけで、もう痛みは感じなくなっていた。

「ディーティアを傷つけたら許さない、絶対に」

 ダルファスは顔をあげた。フレアリカと目があった。彼女の肩越しに、ステンドグラスの嵌め込まれた大窓が見える。

 新緑に縁取られた青い湖の中央に浮かぶ白鳥が、暮れかけた陽光を透かしこんで柔らかな風合いをかもしだしていた。西日に縁取られて、フレアリカの表情が解からない。

 腹にささったままの短剣に触れてみる。

 ふと、フレアリカから視線を外し、背後に伸びていた階段をのぼって近づいてくる人影に視線を向けた。

「……フレアリカ」

 名を呼んで、ダルファスは手を伸ばした。手首を掴み、その身体を引き寄せる。ダルファスは脇腹にささっていた短剣を引き抜いた。

「レイダールには渡さんぞ!」

 血に濡れた短剣でフレアリカの胸を貫こうとした刹那――銀色の光が空を切り、ダルファスの胸に吸い込まれた。

 衝撃が貫いた。ダルファスはぐらりと身体を揺らし、血走った眼をカッと見開く。胸に深々と刺さっている白刃を見下ろした。

「お、おのれーっ!」

鮮血が湯水のごとく溢れ出す。血しぶきに染まった顔を憤怒に歪め、ダルファスは声の限りに叫んだ。口の中からも紅が溢れ出す。

 ダルファスは自らの血の海に沈んだ。




 危ういところだったフレアリカを救ったのは、とっさに投げたレイダールの短剣だった。

 階段の最後の一段に片足をかけた態勢のままで、レイダールは安堵の息をついた。

 視線をめぐらせた先にいる、ディーティアの痛ましい姿に目を奪われる。

「ディーティア……!」

 無事だった、と手放しには喜べない。

 床に倒れたディーティアは肘で上半身をかろうじて支えていた。乱れて落ちかかった髪が彼女の疲れきった顔の半分を隠している。

 フレアリカは虚脱して座り込み、目の前で血を流してこときれているダルファスをぼんやり眺めていた。

 ダルファスを決して好きにはなれなかったことは事実だった。

 傲慢で冷徹なダルファスを、どちらかといえば嫌いだったと言える。

 族長を殺し、その罪を混乱に乗じて自分やシオンになすりつけようとした。ディーティアやフレアリカですら、危うく運命を狂わされるところだった。

 この兄がいなければ、どんなによかったろう。そう幾度も考えたものだ。決して相容れない関係だった。それでも殺してしまいたいとまでは考えなかった。大罪を犯した罪人とはいえ、血の繋がった兄ではあっのだ。

「可哀相なかた……」

 ぽつり、とフレアリカが言った。

 レイダールはダルファスの死体に近づくと、開かれたままの瞼をそっと閉じた。

「歩けるか、二人とも」

「ええ……なんとか」

 フレアリカが頷いて立ち上がる。

「だいじょうぶか、ディーティア。もう少しの辛抱だ」

 ディーティアも立ち上がろうとしたものの、どうにも心もとない。結局、一人では立ち上がれず、レイダールの手を借りてようやく立ち上がった。頭を打ったらしく足元がふらついていた。

「さあ、行こう」

「勝手に外に出られては困りますな」

 レイダールの言葉をひきつぐように、声がかけられた。

「カルズ……いつの間に」

「あなた方を帰すわけにはいかないのです。あなた方にはバルダ族長と新族長ダルファスさま殺害の犯人として、ここで死んでいただきます」

「なんだと」

 背後に手勢を従えて、カルズは勝ち誇った笑みを浮かべた。

「コルダーの娘がいたのは幸運だった。お陰でコルダー自身を謀反人として捕らえる口実ができたのだからな。片翼の称号を持つコルダー家が潰れれば、唯一のこったルゼニ家が、名実共に神魔の長というわけだ」

 人数はざっと見回しただけで、十人以上はいた。おそらくルゼニ家の息のかかった者達だろう。なかにはカルズの甥の姿もあった。

 レイダールひとりでは二人の少女を守りながら、この場を突破するのは困難だろう。そのうちのひとりは、歩くことすらぼつかない怪我人である。正直、絶望的といってもいいくらいだ。

 たとえ自分自身はどうなろうとも、ディーティアやフレアリカはどうにか逃がしたい。

 彼女たちが無事に屋敷の外まで逃れることができれば、なんとかなるだろうか。少しのあいだでもいい。どうにか時間を稼がなくては、とレイダールは考えた。

「フレアリカ、この場は俺がなんとかする。隙をみて、ディーティアを連れて逃げてくれ」

 フレアリカはかすかに青ざめた顔をしていたが、ディーティアを預けると覚悟を決めたのか、いつもの弱々しさは微塵も見せず静かに頷いた。

「……はい」

 レイダールは剣を手に、ゆるやかなカーブを描いて階下につづく階段を先にたって歩き出した。数歩後ろを、フレアリカがディーティアを助けながらついてゆく。

出口はカルズの手勢によって、完全に塞がれていた。

 どこかに隙はないだろうか、となかば期待を込めて周囲を見渡したものの状況は厳しい。正面突破は難しいが、他に方法もなかった。

「皆の者、わかっておるな。手加減はいらぬ。この屋敷から一歩も出してはならぬぞ」

 カルズにの声に応えて、剣を手にした神魔たちが一斉に距離を狭めてくる。

「くそっ、……ふたりとも行くぞ」

「そこまでだ!」

 そのとき玄関の扉が大きく開け放たれた。剣を手に武装した手勢を従えて現れたのは〈片翼〉にしてコルダー家当主ラルザハルだ。

「カルズ殿、族長殺しの罪によりあなたを逮捕いたしますぞ」

「なんのことだ。私の屋敷をいきなり包囲するようなまねをしたうえに、そのような戯言とは。後になって間違いでした、ではすまされませんぞ」

「承知のうえ」

 コルダーは重々しく頷いた。

「ご無事でなによりです、レイダール殿。探したぞ、フレアリカ……心配させおって」

「ああ、お父さま……よかった。でも、どうしてここがお解かりになりましたの?」

「私が、お知らせしたのです。あの夜、フレアリカさまが捕らえられたとき、この場所まで密かに後をつけたのです」

 コルダーの背後に控えていた少年が口を開いた。

「ええと……あなたは確かダルファスさまのところにいた」

「ユールです」

 行儀見習としてダルファスの元にいたはずの少年は、悪びれたふうもなくにっこりと微笑んだ。

「ユールは私が雇った密偵なのだ」

「そ、そんなはずは……素性は綿密に調べてあったはず」

 カルズが悲痛な声で言った。

「そうそう言い忘れていたがカルズ殿、族長殺害の証言をした侍女もすで押さえてありますぞ。危ないところを助けてやったものですから、いろいろと教えてくれましたよ」

「……そ、そんな」

「謀反人を捕らえよ」

 カルズは慌てて逃げようとしたが、コルダーの手勢にあっさりと拘束された。カルズの手下も同様である。



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