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23. 怒り



 フレアリカとディーティアが軟禁されていた場所は、二階の奥、突き当たりの部屋だった。

 部屋の前は一本の廊下になっており、先の方で手摺りの付いた階段につながっている。階段はゆるやかなスロープになっていた。同じ造りのものが廊下を挟んだ向う側に向かい合う形でもう一つあり、二つの階段が向かい合うように対になっている。

 この型の屋敷なら構造はだいたい決まっている。

 階段を下りた場所がホールになっていて表に出る扉があるのだが、そこまで辿り着くのが容易ではないことぐらいフレアリカにも容易に想像がついた。

 ディーティアとフレアリカが力を合わせたとしても、ダルファスを相手にするには分が悪すぎる。自分たちの不利は目に見えている。適地で長居をすればするほど、この場から無事に脱出するのは難しくなるだろう。

「まったく、なんという娘たちだ」

 後から追いついてきたカルズが廊下に現れた。これでまたひとつ状況が悪くなった。

「逃がしてはなりませんぞ、ダルファス殿。逃がせば厄介なことになりますからな」

 躊躇している暇はない。先に行動を起こしたのはディーティアのほうだった。

「どきなさい!」

 彼女は気丈にも、逃げ道をふさいでいるカルズに襲いかかった。

「な、なにをっ……うわぁ!」

 武器を手に向かってくるディーティアに驚いて、カルズは悲鳴をあげた。

 椅子の足を振り回すディーティアから少しでも逃れようとする。ひきずるような長衣につまずきながらも必至の形相で狭い廊下を逃げ惑ったが、その背に一発くらい床にはいつくばった。

「行くわよ、フレアリカ」

 その声はしゃがれていた。

 ディーティアが息をつくたびに細い両肩が大きく揺れていた。

 綺麗に結い上げられていた髪が乱れ頬に落ちかかっている。細いうなじからはらりとたれさがる髪の一房に、かろうじて髪飾りがぶらさがり、ゆらゆらと左右に揺れていた。疲労のために彼女の動きは緩慢になっていたが、それとは対照的に目だけが爛々と輝いている。

 ディーティアの身体が激しくゆらいだ。

「放して!」

 ディーティアは金切り声を上げて、手足をばたつかせた。

 ダルファスの太い腕が、ディーティアを背後からはがいじめにしていた。抵抗する間もなく手にしていた武器があっさりと奪われた。

「おとなしくしろ、この! 少しは女らしくできないのかっ」

 両腕を押さえられたディーティアは痛みに顔を歪めはしたが怯む気配はない。ディーティアは激しく抵抗した。

「その手を放しなさい! 放せと言っているのが解らないの。わたしに触れないでよ、汚らわしい!」

「いい加減にしろ! 自分の立場くらい、おまえにも判るだろうが」

「立場ですって。それがどうしたって言うのよ! 冗談じゃないわ」

 ディーティアは、再びダルファスの太股を蹴りつけた。腕を掴んでいた力が緩んだすきにダルファスの手からすり抜け、その胸や腹部を手当たりしだいに拳で殴りつける。

「卑怯者の人殺し! 恥ずかしげもなく、よくもあんな酷いことをしたわね! お父さまを殺してレイダール兄さまやシオンのせいにするなんてっ……汚いわ! なにもかも皆に言ってやるわ。言いふらしてやる!」

「だまれっ!」

 ダルファスが叫んだ。

「妹だからと大目にみてやっていれば、どこまでもつけあがりおって」

「妹なんかじゃないわ。そう思ったことなんて一度もない。あなたなんか敵よ、ただの敵! この世界で一番嫌い。いつもいつも、レイダール兄さまの邪魔ばかりして――」

「やめろ……!」

 喘ぐようにダルファスは、言葉を遮った。

 だがディーティアは止めなかった。憎悪と侮蔑のこもった瞳で容赦なく断罪する。

「止めるものですか、何度でも言ってやるわ。あなたなんてレイダール兄さまの足元にもおよばない。一族の皆が陰で何て言っているか教えてあげるわ。レイダール兄さまがお父さまの後を継ぐべきだって、そのほうが一族が繁栄するだろうって、皆が言っているわ」

「黙れ、黙れっ!」

 ダルファスに力任せに突き飛ばされて、ディーティアは背中から壁に激突した。

「おまえなど……おまえなどに何がわかる!」

 ダルファスはディーティアの腕を掴み、彼女を強引に立ち上がらせた。両腕を掴んで細い身体をゆさぶると平手で頬を叩いた。

「やめてっ、もうやめて……!」

 フレアリカがダルファスに取りすがり、振り払われた。ふたりを引き離そうにも、彼女の力ではとうてい無理だった。

「いいざまだ。これに懲りて、これからは身の程をわきまえるんだな」

 ディーティアは目を開けた。

 乱れた髪もそのままにゆっくりと上体を起こし、視線をまっすぐダルファスに向ける。

 ディーティアは口を開いた。この場には似つかわしくない静かな口調だった。

「何度でも言うわ。あなたは最低の卑怯者よ」

 ダルファスはディーティアの頬を力任せに打ち据えた。

「やめてー!」

 フレアリカはその身を盾にするようにして、ダルファスとディーティアのあいだに身体を割り込ませた。

「お願い、もう止めて」

「どけ」

 ダルファスはフレアリカを見ようともしなかった。理性は完全に吹き飛んでいた。狂気に血走った双眸は、彼女の背後に倒れているディーティアだけを凝視していた。




 怜悧な音を響かせてダルファスの腰から白刃が抜かれた。

 切っ先が、まっすぐ胸に向けられる。

「剣を渡しなさい、フレアリカ。そんなものは、あなたが手にするようなものではない。怪我をしたくはないだろう」

「いやよ」

 フレアリカは首を横に振った。

「さあ、それを渡すんだ」

「本気よ。ディーティアを傷つけたら許さないわ」

 ディーティアは気を失っているらしく、まったく動くようすはなかった。その姿は死んでいるようにも見える。

「そんなことをしても無駄だ。フレアリカ……まさか、ここから無事に逃げおおせるとでも本気で考えているわけではないでしょう」

 それには答えずに、フレアリカが問う。

「なぜ、こんなことをなさったの」

「なぜ?」

「あなたは、こんなことをする方ではなかったはず……それなのに、どうしてなのですか」

「俺は昔からレイダールが嫌いだった。だから族長になるついでに目障りなあいつを始末しようと思っただけのことだ。剣を捨てなさい、フレアリカ。怪我をしたくはないだろう」

 フレアリカを壁際に追い詰めるように、ダルファスは一歩足を踏み出した。

「初めに言っておくが、いくら待ったところで助けは来ませんよ。レイダールは謀反人として地下牢に繋いである。シオンが捕まるのも時間の問題だ。ふたりを生かすも殺すもフレアリカ、あなたにかかっている。それから……そうだな、ディーティアの命もだ」

「なんですって?」

「コルダー家との新たな結びつきを」

「いったい何をおっしゃっているの?」

「俺の望みは解っているはずだ」

「わたくしに、あなたの妻になれと?」

 フレアリカの表情に嫌悪が刻まれる。

 ダルファスは満足を覚えた。たとえ形はどうあれ、望むものが手に入るのなら躊躇する理由はなかった。

「政略結婚は珍しいことではないでしょう。さあ、どうしますか。選ぶのはあなただ」

「……ディーティアやシオン、レイダールさま……皆を、助けてくれますか?」

「約束しますよ」

 心にもないことをダルファスは請けあった。目的さえ遂げてしまえば後はどうとでもなる。約束など初めから反故にする気でいた。

「ほ、本当に……?」

おずおずとフレアリカが問う。

 いかにも世間ずれしていない深層の令嬢らしい素直さにダルファスは内心でほくそ笑む。

「信用してはだめよ、フレアリカ」

「黙れ、ディーティア」

 ディーティアは苦労して身を起こすと、苦しげに息をついた。どうやら意識が戻ったらしい。

「そんなの嘘に決まっているわ。取り引きなんて絶対にだめよ。あなたが犠牲になる必要なんてないんだから」

「いい加減にしろ、ディーティア」

 ダルファスが一喝する。

「ちょうどいい機会だ。おまえもよく聞いておくといい」

 ディーティアの方に首だけで振り返り、ダルファスは言った。

「いずれ、おまえはルゼニ家に嫁がせる。カルズには何人か息子がいるから、その内のどれでもいいだろう。名案だと思わないか? 長いこと諍いの絶えなかった〈両翼〉の関係もようやくこれで安定するわけだ」

「安定ですって? あなたの都合のいいように操れるだけじゃないの。誰がそんなこと、冗談じゃないわ」

 ディーティアが吐き捨てた。

「どちらにしろ決定権があるのは、この俺だ。どうしても決められないと言うのなら、決断しやすくなるようにしてやろうか?」

「……どういうことよ」

「シオンだ。人質は二人もいらないだろう」

 ディーティアの表情が劇的に変化した。勝ち誇ったようにダルファスは言った。

「なぶり殺しにしてやってもいいんだぞ」

「卑怯者」

「それがどうした」

 ダルファスは楽しくて堪らなかった。

「どうした、シオンの命乞いをしないのか?」

「シオンには関係ないでしょう」

 壁に手を付いて、ディーティアは立ち上がった。

「あるさ」

「これはわたしたち異母兄弟のことだわ。なぜそれにフレアリカやシオンまで巻き込もうとするの」

「それがおおいに関係ある。なぜならシオンと俺たちは血が繋がっているのだからな」

「なんですって。嘘よ。そんなずないわ!」

「驚くのも無理はないがな、ディーティア……シオンはおまえの腹違いの兄だ。父上が地上人の女に産ませた子を、フレアリカの父であるコルダーが遠縁の子供と称して密かに育てていたにすぎない。わかるか? シオンは本来なら表に出ることもないであろう、不浄の子だ」

「それが、お父さま……いいえ、族長殺しをシオンになすりつけた理由なのね」

 ディーティアの問いには答えずに、ダルファスはフレアリカに一歩近づいた。

「さあ、剣を渡しなさい、フレアリカ」

 どうするか決めかねているのか、フレアリカは何も言わなかった。

「剣を渡すんだ」

 フレアリカは逃れようとして壁際に一歩さがった。同じぶんだけ、ダルファスはフレアリカに近づいた。

「……こ、来ないで」

 剣を握り締めた手が震えている。

 ダルファスは大またで近づき今度こそフレアリカを壁際まで追い詰めると、彼女の手から剣を奪い取った。

 腕をとられ、自由を奪われてフレアリカは悲鳴をあげた。

 ダルファスは彼女を引きずるようにして、近くにあった部屋の扉を開けた。

「放してください!」

「口約束だけでは心もとない。気が変わらぬうちに、今ここで夫婦の誓いをたてることにする」

「何ですって……い、いやっ、放して!」

既成事実を作り一方的にとはいえ婚姻を完成させて発表してしまえば、娘可愛さにコルダーも嫌とは言えないだろう。

「そうやって力ずくで手に入れて、それで満足なの? 惨めね、本当に惨めだわ」

「なんだと」

「フレアリカは、あなたなんてこれっぽっちも好きじゃないわ。彼女を力ずくでを手に入れて、それであなたは満足かもしれないけれど、フレアリカは永遠にあなたを愛したりしないわ。だってフレアリカが愛しているのはレイダール兄さまなんですもの」

「嘘をつくな」

「嘘じゃないわ。誰だって、優しいフレアリカでさえ、あなたのことなんて大嫌いなの」

「きさま……言わせておけば、いい気になりおって」

 ダルファスはディーティアを殴りつけると、床に倒れた彼女の金の髪を掴んで顔をうわむけた。

「おまえにはもう我慢の限界だ」

 憎悪に燃える双眸でディーティアを睨めつけて、ダルファスは言った。



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