22. 抵抗
一度は賛同したフレアリカだったが、ディーティアが身振り手振りを交えて細かい手順を説明しだすと途端に逃げ腰になった。
「ちょっと待って、ディーティア! それ、わたくしがやるの?」
「もちろんそうよ」
自信たっぷりにディーティアは言い切った。
「あなたの他に、いったい誰がいるっていうのよ」
「だって、そんなこと無理よ。できっこないわ」
たったいま取り外したばかりの椅子の足を手にしてにじり寄るディーティアに、フレアリカは後ずさる。
「そんな、いくらなんでも。わたくし、そんなもの振り回せないわ」
フレアリカはディーティアの手を恐る恐る見下ろした。
一見したところ椅子の足というよりはただの木の棒のようだったが、もとが値打ち物の椅子だけに頑丈な造りだった。目立たない足の部分にまで意匠がこらしてあり、武器としてもなかなかの威力が期待できそうだ。
適度な凹凸がちょうどいいのか、ディーティアは手に持った足をもう一方の手のひらに何度も打ち付ける。その度にバシッと小気味良い音が響くのだった。どことなく楽しそうですらある。
「と、とにかく。無理だと思うわ。わたくしには絶対に無理。それに、あなたがやった方がきっと巧くいくと思うの」
「なに言っているの、あなたがやるからインパクトがあるんじゃない。なにごとも気力よ、気力!」
「……でも」
「考えてみてよ、相手はダルファス兄さまなのよ。悔しいけどわたしの行動パターンは読まれているわ。あなたが床に倒れていてわたしの姿が見えなかったらダルファス兄さまのことだもの、きっと警戒するに決まっているわ。扉の陰に隠れています、って宣伝しているようなものじゃない」
事実そのままの計画だったから、フレアリカには返す言葉もない。
「それは、そうかもしれないけれど……」
「でしょう。それじゃあ決まりね」
きっぱり宣言するディーティアにフレアリカは敗北を悟った。驚くには値しない。なにも今日に始まったことではなく、毎度のことなのだ。強引さにかけてはディーティアの右に出る者はいなかった。
「じゃあ、これを持ってちょうだい」
フレアリカは観念すると、差し出された椅子の足を受け取った。それは驚くほど重かった。
「いいこと? 手加減なんかしちゃだめよ。それで力いっぱい殴るの」
「……怖いわ」
「だいじょうぶよ、フレアリカ。あなたならきっとできるわ。勇気を出すの」
「でも」
「でも、はなしよ」
あっさり却下され、フレアリカは恨みがましい視線をディーティアに向ける。
「そんな目をしたってだめよ。とにかくやるしかないんだから」
フレアリカはおどおどとして頷いた。
「で、出来るかしら」
「出来るかじゃなくて、やるのよ。そうだわ、試しにちょっと振ってごらんなさいよ」
「い、いま?」
「いまに決まっているじゃないの。他にいつがあるっていうのよ。練習しておいたほうがいいわ。いまのうちにコツを掴んでおくの」
「ええ……」
フレアリカは椅子の足を振ってみた。ヒュンと風を切る音が部屋の中に響いた。
「そうじゃないわ。上から振り下ろすのよ。頭を狙うの」
「こんな感じ?」
もう一度、振ってみる。
「なんだか迫力に欠けるわねぇ」
腰に手をあてて見物していたディーティアは首をかしげた。
「もうちょっと、こう……なんていうか気迫が足りないのよ。相手を殺す気でやらなきゃだめよ」
「そんな。ほんとに死んでしまったらどうするの」
「なに言ってるの! フレアリカの場合は、そのくらいの気持ちでちょうどいいのよ」
「わ、わかったわ」
「振ってみて」
フレアリカは頷いて、立て続けに椅子の足を力いっぱい振り下ろした。最初のうちはへっぴり腰だったのが、なんとなくいい感じになってくる。
「あら、ずいぶん良くなってきたみたい。ねぇ、どんな感じ? 闘志が湧いてきた?」
「手が痛いわ」
かすれた声で答える。額には汗が浮いている。フレアリカはすでに息も絶え絶えだった。
「体力つけたほうがいいわよ、あなた」
「気が合うわね。わたくしも今ちょうど、それを考えていたところよ」
「それじゃあフレアリカ、あなたは扉の横に立ってちょうだい」
「え、ええ……わかったわ」
いよいよ決行することにした二人は、それぞれの位置に付くことにした。ほんの少しの間ではあったがフレアリカも休憩を取り、体勢は万全だった。後はただ実行あるのみだ。
「フレアリカ、腕は下ろしておいたんじゃだめ。頭上に振りかざしたほうがいいわ。その方がすぐ振り下ろせるでしょ。それから殴るのは一度で止めてはだめよ。とにかく殴りまくるの、何度もね。わかる? 相手が完全に気絶するまで手を休めずに何度も殴り続けるのよ」
「え、ええ……でも、そんなことをしたら本当に死んでしまうわ」
「だいじょうぶよ、ちょっとぐらい殴ったって死んだりしないわ。だいたいあなた自分が大の男を一撃で倒せるとでも、本気で思っているの?」
「思ってはいないけど、でも」
「でも、じゃないわよ。そのくらいの気持ちでちょうどいいの。失敗するわけにはいかないんだから」
「それもそうね」
フレアリカはちょっと顔を赤らめた。
確かにディーティアの言う通りだ。それにしてもディーティアは何だってこんなに詳しいのだろう。
「いいこと? それじゃあ、決行するわよ」
「え、ええ」
フレアリカは緊張した。いよいよだ。心臓がドキドキしてきた。
ディーティアが床の中央にうつぶせに寝そべったのを見届けてから、フレアリカも定位置である扉の陰に身を隠した。
ダルファスはレイダールを地下牢に拘禁し、その足で私邸に到着したばかりだった。地上人に刺された足は手当てしてあったが、痛みはなかなか治まらず怒りは募る一方だった。
娘を取り逃がしたことが悔やまれてならない。邪魔者を全て片付けて一段落したあかつきには、一族をあげて地上人に報復するつもりでいた。むろん娘には特別な趣向を用意してやるつもりでいる。そのために少しの間シオンを生かしておいてやるもの一興かもしれない、そうダルファスは考えていた。
「きゃああぁぁぁあーっ!」
建物中にかん高い悲鳴が響き渡った。耳をつんざくような叫び声である。その声にダルファスは椅子から腰を浮かせた。
「あの声は……フレアリカ?」
上の階にはディーティアとフレアリカを軟禁してあった。
「いまのは、いったい」
カルズが不快感をあらわにして、眉をひそめる。悲鳴はなおも続いていた。
「何かあったようだな」
ダルファスは怪我をした太股を気にしつつも急ぎ足で部屋を飛び出し、階段を上った。
足音が近づいてくる。扉の陰に身を隠したフレアリカは、足音に神経を研ぎ澄ませ、聞き耳を立てていた。
廊下の固い床を踏み鳴らす騒々しい靴音が、この部屋に向かってくる。階段をあがりきった足音はやがて部屋の前で停止した。
ドン、と扉が叩かれる。
「何ごとだ!」
扉越しにダルファスの声が聴こえてきた。
床の中央に倒れたふりをしているディーティアに目をやると、彼女は人差し指を唇に当て沈黙の合図を送ってきた。フレアリカは頷いて了解の意思を伝えた。
扉の向う側にいるダルファスは閂を外そうとしているようだった。思うように作業がはかどらないらしく悪態をついている。やがて閂が外される音が響いた。
扉が外側に開き、ダルファスが部屋の中に一歩をふみだした。
フレアリカの鼓動がドキンと波を打った。手のひらに力を込めぎゅっ、と椅子の足を握り直す。フレアリカは扉の陰から飛び出した。
「えいっ!」
かけ声と共に力任せに武器を振り下ろす。手加減している余裕はなかった。
手ごたえがあった。反射的に目を瞑ってしまったらしい。フレアリカはもう一度叩こうとして椅子の足を引いたがはたせなかった。
「これはまた……なんとも勇ましいことだ」
苦笑まじりの声に恐る恐る瞼をあげる。
「……きゃ……!」
思わず声が漏れた。唯一の武器である椅子の足の反対側を、ダルファスが握っていた。面白いものでも発見したかのように、ダルファスが口を開く。
「あなたにこんな一面があるとは存じませんでしたよ、フレアリカ」
「か、返してっ」
フレアリカはダルファスの手から椅子の足を取り戻そうとしてもがいた。
「そうはいきません」
ダルファスには慌てたようすはなく、むしろ余裕すらうかがえる。
「こんなものを振り回すと怪我をしますよ。さあ手を放しなさい、フレアリカ」
「い、嫌!」
失敗した。予想外の展開に頭の中が空白になる。
椅子の足をめぐって、フレアリカとダルファスとの奇妙な力比べが繰り広げられた。互角とはほど遠い、大人と子供のお遊びのようだった。
自分でも訳の分からない衝動に突き動かされて、フレアリカは必死に椅子にしがみついていた。ダルファスが椅子の足をもっと高く持ち上げたなら目の前に下ろされた餌に執着して飛び付く子鼠のように、彼女はその腕にぶら下っていただろう。
「放すのよ、フレアリカ!」
叱咤されようやく我に返る。
床の中央で寝転がっていたディーティアが素早く飛び起きて、もみ合う二人の方に走りよった。いつのまに準備していたのだろう。その手には自分のために用意してあったらしい、別の椅子の足を握りしめていた。
「きゃ……!」
急に手を放したフレアリカはバランスを崩し仰向けにひっくりかえった。大きく見開いた両目にダルファスの上半身が映った。彼もまた眼を見開いている。
そこへ、ふいに別の人影が入りこんだ。
ディーティアだ。彼女は大きく一歩を踏み出して、持っていた木の棒を横になぎ払った。容赦なくダルファスの怪我をした方の太股を殴打する。
「……っ!」
ディーティアの攻撃までは、さすがに予想していなかったらしい。ダルファスは手にした椅子の足を取り落とした。危うく床に倒れかかったが、すんでのところで膝を付いて堪えた。
「こ、のっ!」
痛みに顔を歪めてうめく。
だが、二度目の攻撃は難なくかわされた。
「さあ、逃げるのよ。早く!」
せっぱつまった声が再び急かしてくる。フレアリカは慌てて立ち上がった。




