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21. 虜囚



 天空を飛翔する鳥が力尽き、命を落とす瞬間を目にしたことが一度だけあった。

 その鳥は、神魔界にほど近い高空の、切り立った崖っぷちに巣をつくっていた。

 翼を開けば人の背たけほどもあった。

 羽根を休めるのは岩盤にかけられた巣か、高い木の枝だけ。地上に降りることはなく、あるとすれば、空中から獲物をさらうときだけだった。翼が大きすぎるゆえに、地面に降りたら最後、二度と羽ばたくことができないのだ。

 怪我をしていたのかもしれない。

 あるいは年老いていたのか。

 あるとき、鳥は羽ばたくことをやめた。

 レイダールの眼前を、獲物を捕えようとして急降下でもするように通り過ぎ、鳥は、遥かな地上に向けて墜落していった。

 その日、雲はなく、青空はどこまでも澄みわたっていた。

 太陽は柔らかな光りで世界を満たし、おだやかな風がときおり髪を吹きぬけていった。

 死へと墜ちてゆく鳥は、その眼に何を映し、どんな色を見ていたのだろう。

「いっしょに生きたいんだ……リィザと」

 冷静に受け止めるなど、できなかった。

 認めるつもりはない。これは裏切りなのだ、と思ったのだ。

 女の存在がシオンをつなぐ枷となっているのなら、断ち切るつもりでいた。とまどいなどない。むしろたやすいはずだと確信していた。

 それなのに、とレイダールは思う。

 首尾よく当初の目的を果たしたはずなのに、いっこうに気分が晴れないのはなぜだろう。それが不思議でならない。

 恐怖と絶望とがないまぜになったシオンの表情がちらついて、頭を離れない。

 許さない、と絞り出すように口にしたシオンの眼には、深い哀しみのいろがあった。

 達成感などない。覚悟をしていたはずなのに、どうしてか後悔ばかりが先に立った。

 時を溯れないいじょう、いったん起きてしまった事実を、最初からなかったことにはできるはずもない。

 それでも考えずにいられない。

 いったい、どこからこうなってしまったのか。

 そもそも発端は何だったのだろう。




 地下牢を訪れた人物に、レイダールは驚いて声をあげた。

「リタじゃないか。こんな場所にまで足を運ぶとは……それにしても、よく入って来れたものだ」

「金貨にものを言わせましたからね」

 もちろん、とうけあってリタは独房に足を踏み入れた。

「それよりも、ご無事でようございました。傷のぐあいはいかがですか?」

「ああ、なんとかだいじょうぶだ。それほど痛まないよ」

 レイダールの顔は心持ち蒼褪めていた。シャツの胸元からは白い包帯が覗いている。

 痛まないはずはなかったし、ときおり呼吸があらく乱れたが、それを言ってもリタを余計に心配させるだけだったのでレイダールは微笑んでみせた。

「じつはお嬢さまのことで一刻も早く、レイダールさまに報告しなきゃならないことがあるんですよ」

 くちごもりながらリタは言った。その言いにくそうなようすから、深刻な相談だと察しがついた。

「ディーティアがどうかしたのか?」

「お嬢さまはダルファスさまの所へ直談判に行く、と言って出かけたきり戻らないんですよ。きっと何か悪いことがあったに決まっています」

 そう言ってリタは話しを始めた。

 ディーティアが制止を振り切って出ていってしまったこと、出ていったきり帰ってくる気配がないこと。近衛をしている甥のロンが得た情報では、どうも密かに外部に連れ出されたらしいことを含めて。

「あたしにはもう何が何やらさっぱりで、どうしたらいいか検討も付きません。それでこうして、レイダールさまをお迎えにあがったわけなんですよ」

「二人とも、危険を顧みずにこうして知らせてくれて心から感謝する。捕まるようなことがあれば、おまえたちとて無事ではすまないだろうに」

「ご心配には及びません。牢番はすでに買収してありますし、それ以外の者もうまく言い含めて追い払いました」

 ロンがうけあった。

「そうか……感謝する」

「さあさあ、つもる話しは後でゆっくりとなさってください。いまは時間がないんですから。さあ、急いで脱出しましょう」

「ああ、そうだったな」

 レイダールはリタが持ってきた洋服と剣を受け取った。服を着替えて、目深にフードをかぶって顔を隠した。

「レイダールさま、これを」

 リタが差し出したのは、小さな包みだった。中身を改め、一瞬、レイダールは虚を衝かれたように目を見開き、相好をくずした。

「リタ……ありがとう、助かるよ」

「これっきりですよ、坊ちゃま。特別な事情がなれりゃ、こんな物、ぜったいに渡しゃしません。何度も言うようですが、くれぐれも度を越さないでくださいね」

「判ってる。さあ、急ごう」

 包みから緑の葉を一枚だけ取り出して、レイダールは口に含んだ。



   ◆◇◆


 目覚めたときディーティアは見知らぬ部屋にいた。仰向けに寝かされている。寝台の天蓋をぼんやり眺めていたディーティアはふと視線を感じ横を向く。幼馴染の心配そうな表情とぶつかった。

「だいじょうぶ?」

 寝台の横から身を乗り出して覗き込む少女に、ディーティアは曖昧に頷いた。

「なぁに、ここ……もしかしてフレアリカの部屋? わたし、あなたの寝台を占領してしまったのかしら」

 顔を赤らめてディーティアは寝台から身を起こそうとした。目眩がする。

「ごめんなさい。わたしったら……」

 無作法にも他人の屋敷で居眠りをしてしまったらしい。いつのまに自分は友人の家に来ていたのだろうか。

「いいえ、違うわ。ここはわたくしの部屋ではないの。だけど、本当にここが、わたくしの部屋だったら良かったのだけど」

 フレアリカは首を振って吐息をつくと飲物をディーティアに手渡した。

「さあ飲んで。気分がすっきりするわ」

 言われるままディーティアは杯を飲み干した。そうとう喉が渇いていたらしく思いのほか美味しかった。頭の中の靄が霧散するように次第に意識がはっきりしてきた。

「もう少しいかが?」

「ありがとう。もう充分よ。それよりも、ここはいったいどこなの?」

 フレアリカの私室には何度か通されたことがあったが、それとは内装が異なっていた。当然ディーティアの屋敷でもない。改めて室内を見回せば、この部屋が見知らぬ場所だと解った。

「それが、よく解らないの」

 フレアリカは少しのあいだ考え込むように黙り、あらためて口を開いた。

「たぶんダルファスさまの私邸のひとつじゃないかしら」

「……あ!」

「思い出したのね」

 ディーティアは頷いた。嗅がされた薬のせいで頭の中が朦朧とし、記憶があちこち抜けていたが、それでもほぼ全てを思い出した。

 ディーティアは寝台から這い出ると、格子の嵌められた窓に近寄った。

 私邸といっても、ほとんど使用されることのないさびれた場所のようだった。窓から見える景色には切り立った岩盤と、青い空ばかり広がっている。何者かを密かに軟禁するには、もってこいの場所だろう。

「開かないわね」

 窓をふさいでいる格子を揺すってみたが、びくともしない。扉も同様だった。

「ちょっと、誰かいないの。開けなさいよ! 開けなさいったらっ」

 ためしに大声を出して扉を叩いてみたが反応はない。ディーティアは部屋の中をうろうろと歩きまわった。

「でも、どうしてフレアリカまで、こんな場所にいるの?」

「わたくしも、あなたと同じよ。ダルファスさまとカルズさまの話を立ち聞きしているところを見つかってしまったの」

 どうやら拉致されて、この部屋に閉じ込められていたらしい。

「いったい、どんな話しを立ち聞きしたの? それよりもフレアリカ……酷いことされなかったでしょうね」

「ええ、だいじょうぶよ」

「それならいいわ」

 ダルファスがフレアリカに恋心を抱いていることを知っていたから、それを聞いてディーティアは安堵した。好きになれない兄ではあったが、いちおう紳士ではあったらしい。

 ディーティアとフレアリカは互いが知っていることを教え合った。

「お父さまを殺したのはシオンではなく、ダルファス兄さまなのね」

「そうよ、カルズさまも荷担しているわ」

「なんてことなの、とても信じられないわ。なぜダルファス兄さまは、そんな酷いことをして平然としていられるの」

 フレアリカは眼にうっすらと涙を浮かべた。

「わたくしたち、この先どうしたらいいのかしら」

「少なくとも、のんびりしている暇はなさそうね」

 この場所でゆっくりと待ってはいられない。待っていても事態が好転するとは思えなかった。こうして悠長にしている間にも、悪い方へ状況が変化しているかもしれない。

「いつ現れるかわからない助けが来るのを待っているだけなんて、わたしの性分じゃないわ。何としても、ここを逃げ出すつもりよ」

 途方に暮れたようにフレアリカが尋ねる。

「でも、どうやって?」

「問題はそこよね」

 ディーティアはちょっと口ごもり、室内をうろうろしだした。しばらく歩きまわって長椅子に落ち着くと手で頭を抱え、下を向いて黙り込む。沈黙が続き、ようやく顔を上げた。

「ちょっと古典的だけど、わたしにいい考えがあるわ。さぁ、耳をかしてちょうだい」

 耳打ちすると、フレアリカは困惑の表情を浮かべた。

「ほ、本気なの?」

「もちろん。絶対にうまくいくわ」

 胸を張ってディーティアはうけあった。だがフレアリカは渋い表情を崩さない。

「ちょっとどころか、かなり古典的で使い古されでいるんじゃないかしら。そんな方法で、ほんとにうまくいくと思う?」

「仕方がないわ、だって他には何も思い浮かばないんだもの。それに手段を選んでいる場合じゃないじゃない。とにかく、当たって砕けろだわ!」

 と、フレアリカは少しだけ驚いたように眼を見開いた。

「ディーティア……そういうところ、あなたって昔から変わらないのよね」

「なぁに、それ」

「行き当たりばったりなところ」

 唇を尖らせるディーティアに、フレアリカはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「わたくし、いつもそれでドキドキさせられたけれど……でも、あなたのそういうところ嫌いじゃないの。どちらかと言うと、とても好きだわ。いいわ。童心にかえったつもりでやってみましょうよ。案外なんとかなるんじゃないかしら。わたくし、そんな気がしてきたわ」



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