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20. 地下牢



 レイダールが幽閉された事実はまたたくまに一族すべてに知れ渡った。

 レイダールがカルズに連行された一部始終を女官頭から直接聞いたディーティアは、リタの制止を振り切って新族長ダルファスに面会をもとめた。

「どういうことか説明してちょうだい」

「いったい何の騒ぎだ」

 亡き父の後を継いで族長となったダルファスは、引っ越したばかりの新しい執務室にいた。代々の族長が政を執り行なう部屋で、バルダが死亡する前まで使用していた場所である。

 まだ完全に片付けの終わっていない居室で雑事をこなしていたダルファスは、さも面倒くさそうに書類の束から顔をあげた。

「すこしは静かにできないのか。ここをどこだと思っている? 神聖な執務室だぞ。俺は入室を許した覚えもない」

「どうしてレイダール兄さまが連行されなくてはならないの! 幽閉ってどういうこと? 謀反だなんてあんまりじゃない。いくらなんでも、ひどすぎるわ」

「女が口を出すようなことではない」

「なんですって」

 一笑にふされ、怒りで足が震えた。こんな侮辱を受けるいわれはない。

「いますぐレイダール兄さまを釈放しなさい」

「できん相談だな、あいつは謀反人だ」

「嘘つき! レイダール兄さまは謀反人なんかじゃないわ。レイダール兄さまに嫉妬してるんでしょう?」

「下らんな」

 ダルファスは一笑にふした。

「俺がレイダールに嫉妬するだと? 笑わせるな! この俺が父上の跡目を次いで族長となるのはもとから決まっていたことだ。嫉妬する理由などどこにもない」

「理由ならあるじゃない」

 ディーティアは勝ち誇ったように言った。

「自分より人望のあるレイダール兄さまに本当は嫉妬しているくせに。誰からも好かれるのはいつだってダルファス兄さまじゃなく、レイダール兄さまのほうですものね!」

「いいかげんにしないか」

「お父さまだってそうだったわ。いつだってレイダール兄さまばかり気にかけていらしたじゃないの」

「黙れ、黙れ、黙れっ!」

 予期せぬほどの恫喝にディーティアは身を竦ませた。驚いて兄の顔をまじまじと見る。

「なによ、大声を出すようなこと?」

「どう言われようとレイダールは釈放せん……シオンもな」

 冷淡な声で告げ、ダルファスはせせら笑う。

「まちがっているわ。兄さまは謀反人ではないし、お父さまを殺したのがシオンであるはずないわ。なぜ、ちゃんと調べようとなさらないの?」

「調べはすでに終わっている。これ以上、なにを調べる必要があるというのだ」

「調べられては困る理由でもあるの」

 言葉にして初めてわかった。それが真実に違いない、とディーティアは半ば確信した。

「調べてほしくないのね。調べられたら困るから。何を隠しているの? 兄さま」

「たとえおまえでも、これいじょう詮索するとためにならんぞ」

 物騒な空気を匂わせてダルファスは言った。

「脅迫するつもり?」

 部屋の温度が下がったような気がする。

 ふいにディーティアは、いま立っている室内でバルダが死んでいたことをありありと思い出した。なぜダルファスは自分の父親が惨たらしく殺害された場所に、平然と居座れるのだろう。

「まさか、ダルファス兄さま」

 その声は言葉にならず、喉の奥でかすれて消えた。

 ダルファスは立ち上がると執務机の脇を通り、ゆっくりとディーティアに近づいた。

 剣呑な空気を纏う兄にけおされ、ディーティアは後ろに下がる。知らず、体中がこきざみに震えだす。かつてはよく知っていたはずの目の前の兄が、いつのまにか見知らぬ他人に変貌したかのようだった。

「兄さまの仕業なのね」

「勘がいいな」

 ディーティアの疑惑を、ダルファスが裏打ちする。

「聡いおかただ。ですが、困りましたな」

 その声が、ディーティアに退路を断たれたことを教えた。いつからそこにいたのだろう。扉を背にカルズが冷笑を浮かべていた。



   ◆◇◆


 うす闇にまぎれて進む人影があった。

 二人連れである。ひとりは腰に剣をさした衛兵らしき青年、もうひとりは布で顔を隠した、よく見ると年配の女のようだった。

 普通の神経を持っている者なら誰も足を運びたがらない、神魔界の北側に面したうら寂しい場所である。四方を高い塀に囲まれた殺風景な建物がひとつきり、堅牢な門構えをみせていた。

 青年はそれとなく周囲のようすに目を配ると、漆喰で塗り固められた建物を見上げた。門扉を警護する二人の兵士と二言三言、言葉を交わしたあと、背後に控えていた女性を振り返る。女性は頷いて、懐から包みを取り出した。労いの言葉をかけて、数枚の金貨を兵士の手に握らせる。

 兵士が門扉を開放し、ふたりに道をあけた。

 壁に囲まれた小さな中庭を通り抜け、無言のまま二人は建物の奥に足を運んだ。




 古い木戸が、蝶番をきしませて開閉した。

 建物の奥に目を凝らしてみても、暗闇に慣れていない目には最初のうちは何も見えなかった。まばたきを繰り返しているうちに、ようやく灰色の道のようなものが見えてきた。

「足元に気をつけて」

 燭台の炎が暗がりを照らした。しんと静まりかえった中のようすが、ぼんやりと炎に映し出される。

 リタは甥が差し出した手をとった。

「すまないね、ロン」

 自身の声に驚いて、思わずリタは首をすくめた。ひそめた声でさえ、やけに大きく響き渡る。

「リタ叔母さん、あまり大声を出さないでくれよ」

 前にいたロンが振り返り、小声でたしなめる。

「悪かったよ。こんなに響くとは思わなかったんだ」

 青年の名前はロンといい、一族の若い兵士のひとりだった。女官頭リタの甥であり、危険を承知でこの案内役を快く引き受けてくれていた。

 レイダールの軟禁騒ぎを聞きつけたディーティアが私室を飛び出してから、ずいぶん時間がたっていた。

 ダルファスに抗議をしてくると意気込んで出かけたものの、それきり彼女が戻るようすはなかった。そのかわりに甥から、密かにディーティアが屋敷を連れ出されたらしいとの情報を得たのだ。

 行先は、どうやらダルファスの私邸のひとつらしい。

 どうしよもなく不安を覚えたリタはロンの手を借りて、こうしてレイダールが幽閉されている地下牢に忍んできたのである。

 リタは案内役の青年に導かれるまま足元に気を配り、一段一段を確かめるように石段をくだった。その先には、灰色の石壁に挟まれた細長い通路が続いている。

「それにしても嫌な場所だねえ」

 リタは陰鬱な景色に体を震わせた。

 日中ですら陽光の届かない地下である。

 廊下のはしはしに点在する灯りを持ってしてもなお暗く、闇にぱっくりと口を開けた果てのない洞窟のようだった。

「まあ、こういう場所だからね」

 牢の警護も仕事のうちで慣れているのか、こともなげに頷いてみせる。

「これでも、高貴な方々が入るこっち側はまだマシなほうなんだよ」

「ああ、いやだいやだ」

 リタは首を振った。

「それにしても冷えるねえ」

 衣服の胸元をかき合わせ、布に埋もれるように首を竦める。

 冷え冷えとした、絡みつくような冷気が足元を這い上がってくる。外はまだそれほど寒い季節ではないはずなのに、一日中、日の光が射しこまない地下だからなのか、どこかじめじめとして陰気が空気がただよっていた。

「どうかしたの?」

 ふいに足をとめたリタに、ロンは訝しげな目を向けた。

「ねえ、ここは、いまは使われていないはずだったよね?」

 ロンが答えた。

「そのはずだけど。それが、どうかした?」

「なんでもないよ。さっきから妙に背中がぞくぞくして、少し気味が悪かっただけさ。二度と来たくない場所だよ、まったく」

「いろいろと噂もあるんだよ。まあ、あくまでも噂だけどね」

「やめとくれよ、そんな話し。あたしゃ苦手なんだから」

 閉ざされたままの誰もいない堅牢な扉の向う側で、あるはずのない啜り泣きが聴こえてきそうだった。さっきから鳥肌がたち、首の後ろがぴりぴりしている。

 ほどなくして目指す場所に辿り着いた。

 暗い地下牢の最深部の一角、高貴な身分の者を幽閉するために特別にあつらえた、広々としてはいるが寒々しい部屋である。

 レイダールはそこに監禁されていた。



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