02. 残された者たち
一族を統べる長を父に持つレイダールと幼くして両親を亡くし遠い親戚のもとに身をよせているシオンとは、性格も外見も何もかもが正反対だった。
おだやかな夜闇を思わせる瞳と漆黒の髪。他人と付き合うのが、あまり得意ではないシオン。
特殊な立場ゆえ、好むと好まざるに関わらず一族の者から一目置かれ、いつのまにかいやらしいまでの社交性を身に付けた自分。
レイダールは視界をさまたげる前髪を、やや乱暴なしぐさでかきあげた。
長めの前髪には手を入れず、四、五日前に切り揃えたばかりの、ダークがかった灰色に近い金髪。そうやって前髪だけを長いまま放置しておくのは、これ以上は踏み込まれたくない他人との境界を、そうすることで保てるような気がするからだった。
自室にこもって書き物をしていた手を休め、石筆を置いて羊皮紙を裏返す。両開きの扉越しに立つ何者かの気配に気づいたためだった。
「兄さま」
音をたてて扉が開く。華奢な肩を震わせて立っているのは、レイダールの三歳年下の妹だった。名を、ディーティアという。
「なにごとだ、騒々しい」
「騒々しいですって?」
ディーティアは言った。
「よくも、そんなことが言えたものだわ」
主の入室の許可も待たず、レイダールの居室に踏み込んでくるのは相変わらずのことで、今更とがめる気もおきない。
今まで出かけていたらしい。デーティアは最近あつらえたばかりの薄紅色の外出着を着ていた。綾地のドレスには小さな花模様の浮き織りがされ、細腰に斜めに巻かれた繻子の飾り帯がアクセントとなっている。襟元にも筒状の袖口にも金糸銀糸で繊細な刺繍が施されていた。
格子が嵌めこまれた窓の前に立つディーティアの、ゆるく波打つ髪は陽の光を透かし込んだような白金をしていた。両サイドの髪をいったん上げてから軽く背に垂らし、耳の後ろに地上の花を象った純白の髪飾りを挿している。うっすらと色づいた頬と淡い空色の瞳、長い睫毛。
目をふせて静かに立ってさえいれば春の日溜まりを思わせる可憐な美少女はだが、形のいい眉を吊り上げてレイダールにつめよった。
「酷いわ、兄さま」
「どうした、急に」
「とぼけないで!」
ディーティアは鋭く言った。
「わたし、今までフレアリカのところにいたのよ。綺麗な紅色の染め糸が手に入ったと聞いたので、受け取りに行きがてら刺繍のわからないところを教わろうと思ったの。そうしたら……」
言葉が途切れた。ディーティアは唇を噛んで黙り込んだ。肩が小刻みに震えていた。見開いた両眼から大粒の涙が零れ落ちる。
「信じられないわ、シオンが」
慌てて制止をかけるとレイダールは開いている扉を閉めた。誰に聞かれるとも限らない。
シオンの失踪を知っているのは今のところ一部の身内のみで、表沙汰になってはいない。いずれは発覚すると解っていたが少しでも長いあいだ隠しておきたかった。
「コルダー家は大変な騒ぎよ」
ディーティアはしゃくりあげた。
「遠い親戚すじとはいえシオンも名家であるコルダー家の一員には違いないからな。家の者から離反者が出たとあれば家長のラルザハル殿も追及はまぬがれないだろう」
「まあ! よくも、そんなに酷いことが言えるわね」
「酷いも何も事実は事実だ。……なにか淹れてあげるから、とりあえず座りなさい」
「ずいぶんとまた悠長なことね。わたしはなにも飲みたくなどないわ」
「少し落ち着いたほうがいい」
「いやよ!」
ディーティアは首を振る。
「座りなさいディーティア。話はそれからだ」
何か言いたげなようすで口を開きかけたものの、これではらちがあかないと思いなおしたらしい。ディーティアは吐息をついた。
ディーティアが長椅子に座るのを見届けて、レイダールは戸棚から茶道具を取り出した。テーブルに白磁の器を二つならべる。
「……かわったお茶ね」
「花茶というそうだ。本物の花弁を特殊な製法で乾燥させ、糸で縒り合わせて造るらしい」
親指ほどの大きさの丸い形をした茶の素を器に落とし熱い湯をそそぐ。黄緑色の葉は湯に浸かると、固い蕾が開花するようにゆっくりと開いて白い器を淡い紅色に染めた。
「美味しいわ」
湯気のたちのぼる器を両手で包むようにしてディーティアは呟いた。うすい器のなかで紅色の花びらが揺れている。
「どこで手に入れたの?」
「以前、地上に降りたときの土産だといってシオンが置いていったものだ」
「……そう」
言って、手元に目を落とす。
「まだ信じられないわ、シオンが離反者になるなんて」
「そうだな」
「シオンがフレアリカに残していった手紙を読ませてもらったの。驚いたわ、よりにもよって地上の女とだなんて。わたしたち神魔と地上人とでは寿命だって天と地ほどに違うのに……兄さまは知っていたの?」
「ここのところシオンが頻繁に地上に降りていたことなら。元々ふらりと地上のようすを見物に行くようなところがあったから、今回もいつもの気紛れだと思っていたのだが、その理由がじつは女だとは正直、思いもよらなかったがな」
「兄さまも相手を見たわけではないのね」
「ああ、見ていない」
レイダールは頷いた。
「相手の女のことを何か聞いているのか?」
「わたしではなくフレアリカが……前にとても綺麗な娘を見た、とシオンがもらしたことがあったらしいの」
「綺麗な娘? あれが本当にそんなことを言ったのか? 珍しいこともあるものだな」
「兄さまも、そう思うでしょう」
ディーティアは器をテーブルに置くと、まっすぐにレイダールに目をむける。
「その地上の女がいくら美しいといっても、たかが人の子よ。綺麗な娘など神魔界には大勢いるわ。なによりもシオンがそんなことを言い出すだなんて、おかしな話でしょう? あの、シオンがよ」
「たしかにな」
「まあ……シオンの言う綺麗は、だいたい想像がつくけれど」
「そうだな。じっさいに綺麗な娘には違いないだろうが」
「たぶん、そうなのでしょうね」
ディーティアはかすかな笑みを浮かべた。
「これではわたしが必死になって、シオンにたかろうとしていた悪い虫を追い払ってきた意味がないじゃないの」
「そんなことをしていたのか?」
「ええそうよ」
当然のようにうなずいて、言葉を継ぐ。
「ああ見えても、シオンに想いを寄せる娘はけっこういるのよ。もちろん兄さまほどではないけれどね。外面のいい兄さまなら適当に対処もするでしょうけど、シオンでは、そうもいかないもの」
「ディーティア、俺は誉められているのか? それともけなされているのか?」
「両方よ」
「ひどい言われようだな」
苦笑まじりに言う兄に、ディーティアは「そうかしら」と微笑んでみせる。
「どうりで、今までシオンには浮いた噂の一つもなかったわけだ」
「あら、兄さまのことだからとうに気づいていると思っていたけれど」
悪びれる風もなく、ディーティアは肯定した。
「わたしの認めた相手でなくてはシオンは譲れないもの。だから目に付いた娘はかたっぱしから排除してやったの」
「シオンも災難なことだ」
ディーティアのことだから、きっと友人であるフレアリカも巻き込んでのことだろう。
シオンは従兄妹であるフレアリカの屋敷に世話になっており、あまり交友関係が広いとはいえない。ディーティアにとってシオンの身辺を探るのはそう難しいことではない。
「おまえが邪魔をしていては今回のことがなければシオンは一生独り身になりかねないな」
「いいでしょう、わたしがいるのだから」
「なんだって」
それこそ初耳だった。ディーティアはというと、ただ微笑んで花茶を飲んでいる。
「シオンには有力な後ろ盾が必要よ。いくら名家であるコルダー家に席を置く身とはいえ、それだけでは不足だもの。族長の家系であるわたしと婚姻を結べば、それだけで有力な後ろ盾を得ることになるわ。それに……」
まるで密やかな秘密でも打ち明けるかのようにディーティアは声を潜めた。
「そのほうが兄さまも嬉しいのではなくて」
「いったい何の話だ」
返答に困ってレイダールは苦笑する。
「まあいい。だがそんな理由で、本当にシオンと結婚するつもりだったのか」
「そうよ。いけないかしら」
「いけなくはないが」
ふいにディーティアは笑みをおさめた。淡い色彩の瞳をまっすぐレイダールに向ける。
「それだけで充分だわ……だって、シオンは特別だもの。ちがっていて?」
「さあ」
「嘘つきね」
曖昧に濁す兄にディーティアは薄く笑む。
「お茶をもう一杯いただくわね」
優雅にドレスの裾をさばいて席を立つと、ディーティアは二人分の花茶を淹れなおした。ふたたび甘い芳香がたちのぼる。
「それにしても、どうしてこんなに美味しいお茶をシオンは兄さまだけにしか届けないのかしら。ずるいと思うわ」
「おまえに言ったら最後、地上のことをあれこれと追及されると思ったのだろう」
「そうね、もちろん追及するわ」
ディーティアは唇を尖らせた。
「兄さまこそ、そうと知っていてなぜシオンを行かせたの?」
「止めて聞くような相手なら最初から苦労はないだろう」
「それはそうだけど。まさか、このまま放っておくつもりではないわよね?」
「放置しておくつもりはない。そういうわけにもいかないしな」
レイダールは即答した。そのためにシオンの失踪を伏せてあるのだ。
「早めに手を打つつもりだが、あれも今度ばかりはそう簡単に納得しそうもない」
「そうね。本当はシオンが一番に頑固で扱いにくいところがあるから。でも方法はあるのでしょう?」
「あまり気が進まないがな」
単にシオンを連れ戻したいのなら地上への未練を断ち切ってしまえばいい。だが一方で、それをやったならシオンは決して自分を許さない、とレイダールは確信していた。
「そうね、わたしもだわ」
ディーティアが吐息をつく。
「シオンに嫌われるのは、いやだもの」
「悠長にかまえてもいられないがな。それにしても……まったく、はた迷惑なことだ。自分がしでかしたことがどういう事態を引き起こすことになるか、判断がつかないわけでもなかろうに」
ディーティアは唇を噛んだ。中身の少なくなった器を膝に下ろしうつむく。花の素は開ききり、散りかけた花びらの鮮やかな色は抜け落ちていた。
「シオンはどうなるの?」
しばらくの沈黙をおいて呟くようにディーティアが問う。他者に尋ねるというより自身に向けて問うような口ぶりだ。
「この事実が明るみに出ればむろんただでは済まないだろう。離反者は極刑と決まっている。それこそ昔からな」
シオンの裏切りの原因が地上の女にあると神魔界の人々が知ったなら、どういう事態になるかおおよその検討はつく。
むろんただでは済まないだろう。一族の者たちの地上人に向ける視線は冷ややかだ。なかには狩りと称して地上に降り、いたずらに地上人の命を奪う者までいる。それが罪に問われることがないことも事実だった。
「忌々しい」
ディーティアは言った。
「地を這い廻るしか能のない人の子の分際で、よりにもよってシオンを惑わせるだなんて許せないわ」
「自分で選んでのことだ」
「だとしたら尚更よ」
わかっているの? ディーティアは言った。
「シオンが命を落とすかも知れないのよ。地上の、地上の女などのために! そんなこととても堪えられないわ。いっそのこと今すぐに、わたしが手を下してしまおうかしら」
「物騒なことを。シオンに嫌われるのはいやだと、さっき言っていただろう?」
「ええ。嫌われるのはいや。でも……」
迷いのない口調が告げる。
「失うくらいなら嫌われるほうが……いいえ、そのほうがずっといいもの」
「ディーティア」
「そうよ。地上人の女の一人くらい、わけないもの」
「おまえには無理だ。女のそばにはいつでもシオンがいる。シオンはおまえの手におえる相手ではない」
「いつも一緒にいるとは限らないわ」
「だめだ、ディーティア」
「なぜ? シオンが自分から戻ってくるのを悠長に待っている時間はないのよ。それとも他に、なにか良い方法があるというの?」
「いいや」
真剣な色を湛えて見つめてくる瞳を見据え、レイダールは言った。
「おまえが手を下すことはない。どちらにせよそれは最終手段だし、その時が来たら……」
「兄さま?」
「そのときが来たら、俺がやる」
そのことをレイダールはとうに考えていた。すべての元凶である女を殺すこと。
仮に今回の一件が明るみに出て一族の皆に知れ渡り、その結果シオンを討つことになったとしても、その役を自分以外の誰かに譲るつもりはなかった。
最終的に行きつく先がなにであれ、手を下すのは自分でなくてはならない。それだけは決まっていた。




