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17. 襲撃



 リィザはシオンと別れた後、村の中にある一軒の家で一夜の宿を借りていた。

 その家の主婦であるルルはリィザと同い年で幼馴染だった。昨年、同じ村の青年と結婚したばかりで家はルルとその夫、ロランの新居であった。

 その日、ロランは隣村の親戚の家に収穫の手伝いに行っており、家を空けていた。ひとりで留守を守るのを心細く思っていたルルは、リィザの宿泊を歓迎した。

 襲撃が開始されたのは一番鶏が朝の到来を告げる直前のことだった。何の前触れもなく、爆音が大地を揺るがした。ルルの寝台で眠れない夜を過ごしていたリィザは、大きな音に飛び起きた。隣ではやはり目を覚ましたルルが不安気な目を向けている。

「リィザ……い、今の音……」

 リィザはベットから降りると窓辺に寄り、格子窓にかけた風除けの隙間から外を覗き見た。黒い煙が紅蓮の炎を巻き上げて、明け方の薄闇を圧倒している。

 ガタンと大きな音がして、細く開いた格子窓の向こう側を誰かが通り過ぎて行った。その後から別の人影が、緩やかな足取りで通過する。抜き身の剣が炎に反射して赤く光っている。その背にあるものは……

「……神魔!」

 その直後、絹を裂くような悲鳴が聴こえてきた。




 炎が風に流されて飛び火し、人家や家畜小屋、そして畑を燃やしている。村は赤く染まっていた。ごうごうと渦巻く火炎と、村の人々の鮮血で。

 火の粉が降りかかる中を、リィザは必死に走っていた。足元には、幾人もの見知った村人が打ち倒されて転がっていた。男も女も、老人や小さな子供の姿まである。生きているのか死んでいるのか判らない。判別するいとまもなかった。

 薄い夜着は火に煽られ黒く煤けていた。リィザの手や足にも真っ黒に焼けた灰が、後から後から降りそそいでいる。リィザの隣にはルルが、そして何人もの村人が、村の外を目指して必死に逃げ惑っていた。

 ヒュンと風を切る音がして、矢がリィザの右頬を掠めた。悲鳴と共に目の前を走っていた若い女が倒れ、抱いていた赤子が地に投げ出された。女の夫らしい男が振り向き、胸に矢を受けて絶命する。続けざまに音が聴こえ、その度にリィザと共に駆けていたはずの村人が、断末魔の呻きを残して地に沈んでゆく。まさに一方的な殺戮だった。

「あ、ああ……」

 止まることは出来ない。立ち止まることは死を意味していた。

 リィザは無我夢中で走り続ける。背後には背筋が凍るような羽音と、人々の泣き叫ぶ声が木霊していた。助けて、というそれが次の瞬間、耐え難いほどの絶叫にとって代わる。その絶叫の中を村人に混じり、リィザはただ夢中で走り続けた。

 やがて、村の出入口が見えてきた。そのとき――

 リィザのすぐ前を走っていたルルの背中に、深々と矢が突き刺さった。悲鳴と共に前のめりになって倒れ込む幼馴染に、リィザは絶叫した。

「ルルーっ!」

 リィザの左肩を激痛が貫いた。もの凄い衝撃が、細い身体をすくい上げるように浮かばせる。身体が空中で半回転し、赤い髪が波を打つように空中に翻る。次の瞬間、リィザは地面に叩きつけられた。意識が遠のく。再び気がついたとき、リィザの身体は横ざまに伏せて、冷たい地面に転がっていた。

 鈍い光を放つ矢尻が、リィザの肩から生えて視界を邪魔していた。四肢に全く力が入らなかった。それなのに肩が燃えるように熱い。

 濃密な臭気を放つ、ぬるりとした感触が頬をぬらしている。赤い色をしていた。それが自分の身体から流れ出る血だと解ったとき、その先に幼馴染の少女を発見した。

 ルルは下を向いて座っていた。

 地に膝を着いて前かがみになっていたが、完全に倒れてはいなかった。ルルの背中に刺さった一本の矢が、その身体を貫通して胸から伸びていた。身体を貫いて地に刺さった矢が、つっかえ棒のようにルルの上半身を支えていた。

「……あ、そんな……ルル……」

 いつも微笑んでいた唇が半開きになっていた。口元から鮮血が細長い糸を引いている。大きな茶色の目が、カッと見開かれていた。

 血走った目が宙をさまよって、じわじわとリィザに向けられる。腕が上がる。鍵爪のように曲げられた指が、何かを求めるようにリィザの方に伸ばされた。

「……たす……け……」

 擦れた声が言った。喉がごぼごぼと鳴る。がはっ、という音と共にルルは大量の血を吐き出した。伸ばされていた腕が弛緩してだらりと垂れ下がる。それきり、ルルは事切れた。

「こんな……こんなこと、こんな酷い……」

 前方で悲鳴が湧き起こった。村の出口まで辿り着いた人々が絶叫している。剣を手に彼らを待ち伏せしていた神魔が、新たな殺戮を繰り広げていた。

「あ、ああ、ああっ……!」

 リィザは慟哭した。心の中でシオンの名を何度も呼ぶ。

「あ、あたしの、せい……村が襲われたのは、きっと、あたし達のせいだ……教えて! それなら、あたし達は……シオン! あたし達は、いったい何のために出会ったの?」

 後先を考えず自分の幸せを優先し、そのために神魔を村に呼び込んでしまった。その結果、愛する人の生命すら危険にさらしている。

 リィザは横向きで土の上に寝そべったまま、胎児のように身体を丸めた。その傍らにはリィザよりも二つ三つ年下の少年の亡骸が、そして足元にはルルの物言わぬ骸が壊れた人形のように座っていた。

 全身がおこりにかかったように震えている。涙が零れる。涙がとめどなく流れるにまかせ、自らの震える身体を抱きしめる。リィザは目を閉じた。もう動けそうになかった。

 そのとき、すぐ近くで羽音がした。

 つむじ風が巻き起こり、リィザの長い髪を四方八方に吹き散らした。リィザは目を開けた。ゆるゆると首をめぐらせる。眼差しに微かな希望を乗せ、すがるように視線を向ける。

「ほう、ここにもまだ虫けらがいたか」

 返り血を浴びた神魔がひとり、冷笑する。

 リィザは凍りついたように動かない。目蓋は開いていたが、緑の瞳はうつろな空洞のようだった。

「立てるか? 立てるのなら逃げろ。その方が楽しめる」

 事切れているルルの身体を足で蹴って、脇に退かす。神魔はリィザに視線を据えたまま、ゆっくりと近寄った。リィザの足元で立ち止まると血に染まった剣の先をすい、とリィザの眼前に伸ばし、冷酷に尋ねる。

「どうした、逃げぬのか?」

 リィザは首をめぐらすと、目の前の神魔を見上げた。夜がいつのまにか明けている。神魔の肩越しに、澄み切った青空が見渡せた。

 視界の彼方、高くそびえる樹木の頂上近く、軌跡を描いて飛翔する姿があった。

 追っているのか、追われているのか。二つの影は離れては接近し、近づいてはまた離れてゆく。その度に火花が散り、白い羽根が大量に空に舞っている。彼らは闘っていた。

 擦れる声で、その名を口にする。

「……シ……オン」

「その名をどこで? ……そうか、お前があの小僧の」

 興味を覚えたように目を僅かに細めた。

「ならば礼を言わなければならぬな、女。お前のお陰で邪魔な者どもを排斥し、俺は族長になれるのだから」

 リィザは右腕で身体を支え、苦労して上半身を起こした。

 矢に射抜かれた左腕は、ぴくりとも動かない。矢尻は肩を突き抜けて前に出ていたが、背中側は折れて短くなっている。折れた矢羽が地に落ちていた。膝に、思うように力が入らない。おぼつかない足どりで、それでもリィザは立ち上がった。

 自由に動く右手で、左の肩にある矢を掴む。

「あっ、ああ……」

 歯を食いしばる。激痛が走り、獣じみた苦鳴が喉を震わせる。左肩から血がほとばしり、薄い夜着の胸元を真紅に染めてゆく。引き抜いた矢尻を構えたリィザは、いっとき視線を空に向け、次いで神魔をきつく睨んだ。

「死ぬわけにはいかないの……答えを探すためにも」

「しぶといな。だが、そんな折れた矢で何が出来る?」

 眼前に立ち塞がる神魔は到底リィザが敵う相手ではなかった。逃げようにも運動能力の差は歴然としていた。

 シオンの姿はすでに消えていた。安否すら解らない。助けを期待しても無駄だと理解していた。シオンに助けられてばかりの自分にリィザはいい加減、嫌気が差していた。

「どうする? 命乞いでもしてみるか?」

 神魔が嘲笑う。赤く濡れた長剣を手にして。

 すぐ横に家があった。炎に巻かれ黒煙を吹き上げている。前庭に続く門が開け放たれていた。リィザは手に持っていた矢尻を神魔に投げつると、駆け出した。神魔は剣を手に、地を蹴った。

「……っ!」

 すぐ横にあった死体につまずいた。バランスを崩し、少年の死体に折り重なるように倒れこむ。すんでの所を刃が掠めた。

「残念だったな」

 仰向けに倒れたリィザを、神魔が覗き込んでいた。リィザは少年の持ち物だった短剣を、神魔の大腿部に突き刺した。

「き、貴様っ……虫けらの分際で、よくも!」

 神魔が怯んだ一瞬の隙を突いて、リィザは門を通り抜けた。

 庭は火に包まれていた。熱風が押し寄せてくる。髪の焦げる匂いが鼻をついた。駆けて駆けて、炎の中をリィザは無我夢中で駆け抜けた。

 野薔薇の茂みに身を滑り込ませ、身体を低くして前進する。棘が顔や首筋に刺さり、肌から血が流れた。手を足を、全身を傷だらけにしながら、リィザは生きるために前に進み続ける。

 やがてリィザは、枝葉や下草がうっそうと絡み合う森の縁に辿り着いた。




   ◆◇◆


 リィザがどうにか森に姿を隠した頃、シオンは木々の梢を縫って飛翔していた。

 少し前に神魔と闘って辛うじて勝利を収めたが、怪我を負っていた。それほど深い傷ではなさそうだった。だが脇腹を刃が掠め、切られた傷口からは血が滲んでいた。

 先ほど村の上空で戦っていたとき、眼下に見えた惨事が頭を離れない。村は炎に包まれていた。家屋が焼け落ち、納屋から逃げ出した家畜が辺りを暴走していた。逃げ惑う村人を、神魔が次々と切り伏せていた。

「リィザ……頼む、無事でいてくれ!」

 あの惨状の中にリィザが混じっていないことを、彼女の無事を心から願った。

 いま他の神魔に見つかる訳にはいかない。リィザの無事を確認したい。悪夢のような状況から一刻も早く、リィザを救出したかった。

 ヒュン、という鋭い音が響いた。

「リィ……!」

 翼に矢を受けて、シオンは墜落した。




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