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13. 止まらぬ流れ




 陽光が陰りをおびてきていた。陽が沈みかけている。

 族長の執務室にやって来たダルファスは、部屋に足を踏み入れると挨拶もそこそこに尋ねた。

「父上、レイダールに婚姻の話が持ち上がっているのは本当ですか?」

「いきなり、なんだ。わしはおまえを呼んだ覚えはないぞ。下がりなさい」

 ダルファスは苦々しい応答に顔を歪めた。

 書類に目を通しているバルダはいったんは顔を上げたものの、用はすんだとばかりに机の上に目を戻した。

 ダルファスは執務机越しに身をのりだした。

「答えてください、父上」

 邪険にされるのは今に始まったことではない。ダルファスがバルダの言動に傷ついていたのは遠い過去のことだった。

「話が出ているだけで、まだ本決まりになったわけではない」

 バルダは否定したが他家を巻き込んでのこういった話題を口に出すからには、ほぼ決定と思って間違いなかった。

 この分では次の族長をダルファスではなくレイダールに、と画策しているという話も真実かもしれない。

「なぜレイダールなのですか? 婚姻なら弟ではなく、まず長子である私にというのが順当でしょう」

「いずれ、おまえにも考えてやる」

「私が言いたいのはそういうことではありません!」

「では何だと言うのだ」

 苛立ちもあらわにバルダは尋ねた。

「フ、フレアリカ殿の相手は、なにもレイダールである必要はないと言っているのです。つまり……私でもいいはずだ」

「フレアリカだと? まさか、あの娘に懸想しているのではあるまいな」

 バルダは失笑した。

「ラルザハルの娘を欲しいと申すか。おまえが? コルダー家の娘はおまえにはやらん」

 カッと内側に感情が込み上げて、目の前が赤く染まる。

 父親にうとんじられているのは幼いころから気づいていた。

 父に気に入られようとダルファスがいくら頑張っても、バルダが気にかけるのはダルファスではなくつねに弟のレイダールだった。

「なぜです。次の族長になる私がルゼニ家だけではなく、もう一方の〈片翼〉コルダー家とも縁が深まれば次代は安泰のはずだ」

「いつおまえが次の族長になると決まったのだ。思い上がりもはなはだしい!」

 バルダの一喝に目をみはる。

 一時的な感情から出た言葉とは思えない。

 確かだと信じていた足元がふいにすくわれ、ずっと目を逸らしていた真実が明らかになったのをダルファスはようやく理解した。

「私には族長を継がせない、とおっしゃるのですか?」

「そうだ」

「私の立場はどうなるのですか? 私は族長になるため、そのために努力をしてきた!」

「おまえにはレナン領をやる。むろん、それ相応のことをしてやるつもりだ」

「それで、そんなことで、私が納得するとでも思っているのですか!」

 バルダは怒声を上げた。

「ええい、黙れ、黙らんかっ! 次代はレイダールに継がせる。おまえの愚痴など聞きたくもない」

「レイダール、レイダール……もうたくさんだ!」

 ダルファスは腰の剣を抜き放ち、大股で執務室を横切った。

「きさま、なんのつもりだ!」

 バルダに剣を抜くいとまを与えず、一気に距離を詰める。

「見ての通りだ。死ぬがいい!」

 ダルファスは剣を振り下ろした。

 バルダの手から石筆が転げ落ち、インク瓶が倒れて黒い染みが羊皮紙に流出する。




 バルダを切り捨てた後、ダルファスは執務机を調べた。

 机の上の書類箱を探り、引き出しを上から順番に開けていく。

 どれも公務に関する書類だったが、とりたてて問題になるようなものはない。

「そんなはずはない。かならず何かあるはずだ」

 一番下の引き出しを開けようとしたが鍵かかっていた。頑丈な造りで簡単に壊せそうにない。

 引き出しごと運び出すのは論外だった。

 騒音をたてれば執務室の外に待機している近衛兵が駆け込んでこないともかぎらない。

 引き出しを開ける鍵を探して室内を見て回ったが、それらしい物はなかった。

「……もしや」

 ダルファスは机の奥に倒れているバルダの懐を探り、目当ての物を見つけ出した。

 鍵を使用して引き出しを開けたダルファスは、思ったとおり何通かの書簡を見つけた。

 新しいものから、色落ちしてインクが薄くなった古いものまである。

 公務に関るものではない。

 ごく私的なもので、差出人はコルダー家当主ラルザハルだった。

 そのうちの一通を手にとる。

 書かれているのはレイダールとフレアリカの婚姻に関することでなかば予想していた内容だったが、読み進めていくうちダルファスの手が震え出した。

「シオンめ……っ!」

 すう、と指先が冷えていく感覚を覚えた。

 ダルファスの胸にうずまいているのは実の父を自らの手にかけた後悔ではなく、腹の底から湧きあがる冷たい憎悪だった。

「これはまた……なんたること……」

 背後からの声にダルファスは現実に引き戻された。腰の剣に手をかけて振り向く。

「おやめなされ、ダルファス殿」

「叔父上……!」

 剣先を向けられながら慌てるふうもない。

 ルゼニ家当主カルズは共犯者めいた笑みを浮かべた。




   ◆◇◆


 シオンに両親はいない。

 まだ物心が付く前に母は病に倒れ、亡くなったと聞いている。

 どういう理由のためか、ついに母は父が誰なのかを明かすことなく、この世を去ってしまったのだ。

 それ以来、シオンは遠い親戚であるコルダー家に引き取られ、育てられていた。

 屋敷の人々は皆が優しく、身寄りのないシオンを暖かく迎えてくれた。

 ひとつ年下の可愛らしい従妹や友人も出来た。

 なかでもレイダールとディーティアは特別な存在だった。

 けれどシオンは、ずっと言い知れぬ疎外感を感じていた。

 何不自由なく幸福な毎日を送っているはずなのに心は満たされず、常に孤独を抱えていた。

 贅沢な悩みかも知れない。

 けれども胸にぽっかりと空洞があり、それを埋められるものは見つからなかった。

 あの日、地上人の少女に出会うまでは――

 両親を失い、リィザはたったひとりで孤独を耐えていた。

 同じように、心の底に決して埋めることの叶わない空洞を抱え、それでも精一杯リィザは生きている。

 寂しさが、互いを強く引き寄せたのかも知れない。

 けれどもリィザと一緒にいるだけで、シオンの胸を熱い想いが満たした。

 愛おしくて、狂おしいほどに愛おしくて、求めずにはいられなかった。

 すべての神魔が忌み嫌う、地上人に想いを寄せるのは何故だろう。

 ディーティアやフレアリカ――極上と評される神魔ではなく、リィザをこそ美しいと感じるのは。

 口にこそしたことはなかったが、シオンは同族であるはずの神魔に深い疎外感を感じていた。




「族長がおれを?」

 侍女に案内されるまま、シオンは執務室へおもむいた。

 レイダールの話だと近いうちにコルダーの屋敷に戻れるとのことだったので、きっとその話だろう。

 叱責を受けることは覚悟のうえだが、今まで遠くから見るだけの族長に直接面会となると緊張する。

「こちらの奥の扉でございます。ここから先はお一人でどうぞ」

 控えの間の奥にある重厚な扉の前でいったん立ち止まり、シオンは呼吸を整えると「失礼します」と声をかけ扉を開けた。

「あの……シオンです」

 返事はない。室内はシンとしずまり、痛いほとの沈黙に満ちていた。

 誰もいないことに首をかしげつつ、シオンは室内を見回した。さほど広くはないが綺麗に整頓されている。

 部屋の奥、扉と向かい合って置かれた執務机に目を向けて、インクの瓶が倒れていることに気が付いた。しみだしたインクが書類を黒く染めている。

 この匂いはなんだろう、とシオンは思った。

 どこか覚えのある匂いだった。インクの匂いに混じった、濃密で胸の悪くなるような。

 得体の知れない不安が、ざわざわと胸の奥に湧きあがってくる。

 倒れているのはインク瓶だけではなかった。

 ペン立ても倒れていた。机の向こう側にも石筆が床に転がり、書類らしき紙が数枚ちらばっている。拾おうとしてシオンは床に膝をついた。

 ふいに大音響がして、空気を震わせた。

 シオンの背後、執務室の入口の扉の前で、さっきの侍女が金切り声をあげている。銀盆に乗せて持っていた茶器が落ちて割れ、侍女の足元に散乱していた。

「人殺し!」

 驚いてシオンは立ちあがった。

 手のひらがべたついている。見ると深紅に染まっていた。

 そのときになって、ようやく長衣の裾を乱して床に伏している人物に気がついた。

「誰か……誰か来てっ!」

 叫び声をあげ続ける侍女が指さしているのが自分であることに驚愕し、シオンはうろたえた。

「ちがう、おれは……」




 レイダールが騒ぎを聞きつけて駆け付けたとき、周囲は騒然としていた。

 執務室には血臭が充満していた。

 すでに侍女たちは遠ざけられ、部屋にいるのはダルファスとレイダールの二人だけだ。

「いったい何ごと……お、お父さまっ!」

 その場に遅れてやって来たディーティアが、惨状を目にするなり気を失いかける。

 よろめいて後ろに倒れ込む寸前レイダールはどうにか細い身体をつかまえて、抱き込むように腕に抱えなおした。

「だいじょうぶか、ディーティア」

 ほどなくしてディーティアは息をふきかえしたが、小刻みに震えだした。

「部屋に戻って休んだほうがいい」

「い、いいえ。ここにいるわ」

 だが、ディーティアはまだ部屋に戻るつもりはないらしい。

 憔悴して血の気をなくした蒼白いおもてで、この場に居残る旨を伝えた。

「いったい誰がこんな酷いことを」

「犯人はもうわかっている」

 ダルファスはそう言って、控えの間に目を向けた。部屋の隅に侍女がひとりへたりこんでいる。

「何があったのかもう一度説明しろ」

 ダルファスにうながされ、侍女は震える声で口を開いた。

「ぞ、族長を殺したのはシオンです。私……この目で見たんです。まちがいありません」

「そんな馬鹿な」

「本当のことだ。この娘が悲鳴をあげると、シオンは逃げ出したそうだ」

「待ってくださいっ……そんな状況証拠だけでは納得できません」

 レイダールが異論を唱えると、ディーティアも同調した。

「おかしいわよ。だいたい、シオンが人を殺せるはずないわ! きっと、この侍女は嘘をついているのよ!」

「そんな! わたし嘘なんて……」

「出て行けディーティア! 女ごときが口をはさむな」

 ダルファスの一喝に、ディーティアはた目にも判るほど大きく肩を震わせた。

 レイダールはいっそう激しく震え出した華奢な身体を背後から支えなくてはならなかった。そうしなくてはすぐにも倒れてしまうだろう。

「嘘をつくと承知しないわよ! 本当のことを言いなさいよ」

「嘘なんかついていません、ほんとうです。私……見たんですから! 私が部屋に入ったとき、シオンは血だらけの手をしていました」

「殺すところを見たのではないのか?」

 侍女が返答につまった。

「で、でも、あの部屋には族長とシオン以外には……」

 助けを求めるようにダルファスに視線を送る。

「決まりだな、犯人はシオンだ。そうだな?」

「……は、はい」

 侍女の返答に、ダルファスは歪んだ笑みを見せた。

「兄上っ、待ってください!」

「シオンじゃないわ! シオンがそんなことをするはず……」

「二度の命乞いなど聞くつもりもない!」

 ダルファスは大股で控えの間を横切ると、騒ぎを聞きつけて集まってきた人々の前に進み出た。

「やめてっ……兄さま……!」

 その意図に気づいたディーティアが追い縋り涙ながらに懇願したが、ダルファスに降り払われてこんどこそ床に倒れ込んだ。

「族長が殺された。たったいまから、このダルファスが新しい族長となった。新族長の最初の命令だ。生死は問わぬ、族長殺しの離反者シオンを捕えよ!」




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